日本プロサッカーリーグ
日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) | |
---|---|
今シーズン・大会: 2018年のJリーグ | |
分類 | サッカー |
創立 | 1991年11月 |
開始年 | 1993 |
代表 | 村井満(チェアマン) |
参加チーム | 57(J1:18、J2:22、J3:14+3) |
国 | 日本 |
前回優勝チーム |
J1:川崎フロンターレ J2:湘南ベルマーレ J3:ブラウブリッツ秋田 |
参加資格 | Jリーグクラブライセンス制度参照 |
公式サイト | Jリーグ.jp |
日本プロサッカーリーグ(にほんプロサッカーリーグ、英語: Japan Professional Football League)は、日本のプロサッカーリーグ。略称はJリーグ[注 1](ジェイリーグ、英語: J.LEAGUE)。
Contents
概説
主催団体は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)、公益社団法人日本プロサッカーリーグ。主管団体はJリーグに加盟する各クラブ。加盟するには参加カテゴリーに対応した単年のみ有効のクラブライセンスが必要である。
1993年に10クラブで開始し、1998年までは1部のみの「Jリーグ」として最大で18クラブによって開催された。1999年からJリーグ ディビジョン1(現J1リーグ)とJリーグ ディビジョン2(現J2リーグ)[注 2]の2部制に移行、2014年にJ3リーグ(J3)が創設された。但し制度上J3リーグは日本フットボールリーグ(JFL)と同格とされた独立したリーグとして位置付けられ、「プロ・アマ分離」の観点から一体的に運用しているだけである。このためJ1・J2とJ3とでは様々な点で大きな違いがあり、スポーツメディアでの扱いなどでの露出面でJ3は不利な立場にある[注 3]。
2017年シーズン開始時点で、日本国内の38都道府県に本拠地を置く54クラブ(J1:18、J2:22、J3:14)が参入[注 4]、また、JFLなどのカテゴリーに属するJリーグ百年構想クラブが6クラブ認定されている。リーグ構成については日本サッカーのリーグ構成 (1種)を参照。
J1リーグの年間最終順位上位原則3クラブは、同年度の天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝クラブとともに、翌年度のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を与えられる(J1上位3クラブと天皇杯優勝クラブが重複した場合は、J1の4位も出場)。アジアの大会における日本のサッカークラブも参照。
理念と活動方針
Jリーグでは、次の3つの理念を掲げている[2]。
- 日本サッカーの水準向上およびサッカーの普及促進
- 豊かなスポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与
- 国際社会における交流および親善への貢献
また、次の内容の活動方針を掲げている[2]。
この活動方針は、Jリーグの3つの理念を実現するための方法とみなせる[3]。
加盟要件
Jリーグ加盟の要件には、スタジアム・経営状況・チーム運営状況などの項目が定められている。チーム運営については、実際にJリーグの試合に参加するチームそのもののみならず、育成組織(下部組織)によるクラブユースチームの運営義務なども規定されている。2013年シーズンよりJリーグクラブライセンス制度が発足し、Jリーグへの加盟可否・加盟可能なディビジョンについての判断を行う制度が更新された。
また2006年から、Jリーグ加盟の基準を満たしているか近い将来満たせそうと判断されたクラブを「Jリーグ準加盟」と認定することを定め、J3発足後の2014年以降は代わって「Jリーグ百年構想クラブ」と呼称するものとしている。
設立経緯
日本におけるサッカー競技は、アマチュア主体の全国リーグである日本サッカーリーグ(JSL)が1965年に創設され[4][5]、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり、一時的に人気を得たが[6][7][8]、その後の日本代表の成績不振もあり、長らく観客動員は低迷した[6][9][10][11]。1980年代にプロ化を視野に入れた読売クラブ×日産自動車は観客を集めたものの[5][12][13]、総じて日本リーグの人気は停滞し、マスメディアにも大きく扱われるほどの存在ではなかった[14][15]。JSLや日本サッカー協会(JFA)ではその様な状況を打破しようと、1982年からリーグ主導の試合開催から、各チームが試合を主催する「自主運営」に移行したり[16]、1984年には釜本邦茂の後ろ向きヌードポスター『格闘技宣言。』[17][18]、1985年には明石家さんまの上半身裸のポスターを製作するなど[19]、人気回復に向け模索を続けていたが上手くいかなかった[6][9][14][20][21]。
日本サッカーのプロ化としては、1968年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得した後、当時の日本蹴球協会(日本サッカー協会)会長・野津謙が将来の"プロ化導入"を目指して読売新聞社社主の正力松太郎にプロサッカーチームの創設を依頼したり[22]、1977年にドイツブンデスリーガで、日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦が、1986年に帰国し古河電工に復帰する際、森健兒が導入したスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度[6][15][23]により奥寺、木村和司を始め[24]、翌年からはJSLの多くの選手がプロになっていた[8][11][21][25]。また1986 FIFAワールドカップ・アジア予選で、ワールドカップ出場まであと一歩まで迫りながら、韓国代表に敗れ出場を逃した日本代表の森孝慈日本代表監督が、「(プロ化を先んじていた)韓国に追いつくには日本にもプロを作るしかない」と訴え、長沼健サッカー協会専務理事に自身のプロコーチとしての契約を要求したが拒否され辞任したことがあった[26][27]。
1980年代後半は、プロとアマチュアの選手が混在し、サッカー協会はプロ選手を認めているのにも関わらず、リーグはアマチュア、日本代表の試合もアマチュア基準に合わせるという歪な状態が続いた[13][28][29][30]。
このような流れを受け、翌1988年3月にJSL総務主事・森健兒、JSL事務局長・木之本興三を中心として設置した「JSL第一次活性化委員会」[注 5]が、実質的な「Jリーグ」のスタートと見られる[6][8][11][14][15][21][36][37][38]。Jリーグ公式サイトの「Jリーグの歴史」でも、この1988年3月「JSL第一次活性化委員会」設置をその始まりに置いている[24]。『サッカー批評』は「JSL第一次活性化委員会」を"実質的なプロ化検討委員会の創設"と評している[39]。「JSL第一次活性化委員会」は、6回目の1988年7月21日に、森が「現状改革を進めながら、トップリーグを商業ベースによる事業化を志向した『スペシャルリーグ』[11](プロリーグ)にすることを検討する」という結論を出し、最終報告書をまとめて日本サッカー協会の理事会に提出した[16][40][注 6]。1988年8月に森の後任として川淵三郎がJSL総務主事となり[11][15][37]、同年10月に川淵が「JSL第二次活性化委員会」[注 7]を設置[11][24]。サッカー協会内部では“JSLの活性化”では意見が一致し、長沼健や岡野俊一郎ら幹部の中には本音ではリーグをプロ化したいと考える者もいたが[45]、ペレのいた北米リーグが失敗した例もあり[46]、まだまだ“リーグのプロ化”に対しては親会社から出向してきた当時の1部リーグに所属する実業団チーム出身の役員達を中心に「プロ化は時期尚早」や「プロ野球の球団ですら赤字経営なのに、サッカーではまともに採算が取れる訳がない」などの意見が「JSL評議委員会」[注 8]で大勢を占めた[48][49]。実業団チームのほとんどは、サッカーを福利厚生の一環と考え「プロ」という言葉に反発を感じる人は少なくなかった[37]。川淵は「活性化委員会」の議論をJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に移さなければ何も始まらないと判断し[11][50]、翌1989年 6月に「JSL第二次活性化委員会」を解散させ、日本サッカー協会の副会長になっていた長沼健に要請し[8][11][37][51]、JFA内に「プロリーグ検討委員会」[注 9]が設置された[11][24][44][53]。保守的な日本サッカー協会理事会の承認を得るために「検討」という文字が付いていたが、実際には関係者の間では、既にプロリーグの発足は既定の方針として固まっていた[54]。やりようによってはプロリーグが出来るという段階まで来たのはこの「プロリーグ検討委員会」が設置されたときである[35]。プロリーグ構想は具現化され[11][55]、1991年7月1日、新プロリーグの正式名称を「日本プロサッカーリーグ」とし、愛称を「Jリーグ」とすることを発表[44]、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足した[注 10]。「Jリーグ」という呼称は、博報堂が提出した複数の案[注 11]の中から川淵が気に入り採用に至ったもの[16][58][59]。博報堂は「釜本のポスター」からJSLと接点を持っていたが[18][60]、当時は会社のビジネスではなく、個人のネットワークを生かした手伝い程度の物で[18]、電通がペレの引退興行を始め[61]、サッカー協会に深く入り込んでいて入る余地はなかった[62]。しかしプロサッカーリーグに関しては電通は「実現性が乏しい」と判断していたといわれる[63]。Jリーグを博報堂が手掛けることになったのは長沼副会長からのリンクといわれる[64]。
1986年6月のメキシコワールドカップ開催中の会見で[21][65]、FIFAの第7代会長・ジョアン・アヴェランジェから、1998年か2002年をアジアでのFIFAワールドカップ最初の開催地として日本が念頭にあるような示唆を得て[21][66]、1989年11月、正式にFIFAに2002 FIFAワールドカップ日本開催の意思を伝える[21][67]。日本がワールドカップを開催するにふさわしい国であることを証明するためにも、FIFAの要求を満たすスタジアムの建設などの他、日本代表のワールドカップ初出場を念頭に置いた強化[注 12]とそれに伴うプロリーグ創設、成功が不可欠となった[21][68][69]。ワールドカップはオリンピックとは違い、全国展開のため、拠点拠点にFIFAの要求を満たすスタジアムを造らねばならず[35]、ワールドカップの招致とプロリーグ創設を結び付けた[21][70][37]。サッカー協会内の慎重論から川淵らを後押しした長沼は[11][71]、「プロリーグの成功とワールドカップ誘致は、車の車輪であると認識した。同時並行で推進しなければ、片方がつまずけば両方ころぶ。幸いバブル経済の余韻が残っていた時期に、Jリーグのスタートが間に合った」と述べている[67]。また、あれほど弱かった日本代表が、Jリーグ開始前に突然強くなったこともJリーグ人気を後押しした[9][5][72][73]。
Jリーグが創設されると川淵がJリーグチェアマンとして、日本代表の強化委員長としてマスメディアに盛んに露出し脚光を浴びたため、Jリーグは川淵が作ったかのようにイメージが付いた[11][15][74][75]。プロリーグの創設は、日本のサッカーを盛んにしたい、強くしたいという多くの人たちの長年の仕事の積み上げにより作られたものではあるが[5][13]、最後の一歩は川淵のバイタリティ、強引さが大きな原動力になったのは事実ではある。しかし、森健兒と木之本興三は、不毛状態が続いた日本サッカーリーグ時代から長きに渡りプロ化を考え、その運営に携わっていて[15][39][76][77]、川淵は日本サッカーに絶望し、一時サッカー界から離れていた時期があり[78][79]、後から入って来た川淵に手柄を取られたようで面白くなかった[80]。川淵は最初にプロリーグの話を聞いたときも「バカじゃないか」と思ったと話しており[81]、森の後任でJSL総務主事に抜擢された際も、木之本から「プロ化する気持ちがないなら来ないで」と言われたほどで[82]、木之本は「川淵さんのJSL総務主事就任前にプロ化の道筋はすでに出来上がっていた」[83]、森は「プロ化の道筋をつけてから川淵さんにバトンタッチした」と述べている[84]。特に木之本にとって川淵は古河電工でのかつての上司でもあり、当初の関係は悪くはなかったが[77]、2002 FIFAワールドカップ後、読売新聞に次期チェアマン候補として木之本の名前が出ると、急に木之本と川淵の関係が悪くなった[15]。川淵の後任チェアマンには鈴木昌が就任したが、木之本は公平な立場でなければならないチェアマンにクラブ出身の社長はまだ早いと反対したら、鈴木と川淵からJリーグ専務理事・JFA常任理事と、Jリーグ映像他、Jリーグ関連の子会社の社長を解雇され、Jリーグ及びJFAから追い出された[15][69][74]。森、木之本の二人と川淵の間に確執が生まれ[15]、この恨みからか『日刊ゲンダイ』などのマスメディアで川淵を批判した[15][77][85]。
1992年には前哨戦として、第1回のJリーグヤマザキナビスコカップが開催された。
クラブ名称表記
Jリーグでは方針としてクラブ名称を地域名称+愛称にしているため、発足当初から企業名称は原則排除している。ただ、前哨戦として1992年に開催されたヤマザキナビスコカップではプロ化への移行・準備的な要素が考慮された事から一部のクラブ名称表記について、例えば「読売ヴェルディ」(ヴェルディ川崎)や「三菱浦和レッドダイヤモンズ」(浦和レッドダイヤモンズ)などの様に報道などでクラブ名称表記に企業名称を入れることを暫定的に容認したことがある。
沿革
- 1988年
- 1989年
- 6月、第二次JSL活性化委員会による最終報告書が日本サッカー協会へ提出される。
- 1990年
- 3月、Jリーグ参加条件の詳細が決定される。(ホームタウン制、ホームスタジアムの確保、拠出金など)
- 6月、日本サッカーリーグ参加クラブへJリーグ参加の要請が行われ、20団体からプロリーグ参加希望の返答。
- 8月、プロリーグ検討委員会が組織される。
- 1991年
- 2月、加盟する10クラブ(鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原、浦和レッドダイヤモンズ、ヴェルディ川崎、横浜マリノス、横浜フリューゲルス、清水エスパルス、名古屋グランパスエイト、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島F.C)が発表される。
- 3月、プロリーグ設立準備室が組織され、川淵が室長に就任。
- 7月、プロサッカーリーグ設立の報道発表。(正式名称、ロゴマークなど)
- 11月、「社団法人 日本プロサッカーリーグ」設立、初代チェアマンに川淵が就任。
- 1992年
- 1993年
- 4月、Jリーグ規約施行。
- 5月15日、「サントリーシリーズ」開幕で初年度のリーグ戦開始。(1993年Jリーグ開幕節)
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- ヴィッセル神戸が加盟。(17クラブ)
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 水戸ホーリーホックが加盟。(J1.16クラブ、J2.11クラブ)
- 2001年
- 横浜FCが加盟。(J1.16クラブ、J2.12クラブ)
- 2002年
- J2での延長戦を廃止。
- 7月、鈴木昌が2代目チェアマンに就任。
- Jリーグアカデミー・サポートセンターが発足。
- 2003年
- J1での延長戦を廃止。
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦を導入。
- 2005年
- J1の所属クラブ数が増加(16クラブ→18クラブ)。
- 徳島ヴォルティス・ザスパ草津が加盟。(J1.18クラブ、J2.12クラブ)
- J1を1ステージ制へ移行。Jリーグチャンピオンシップを廃止。
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 栃木SC・カターレ富山・ファジアーノ岡山FCが加盟。(J1.18クラブ、J2.18クラブ)
- J1・J2入れ替え戦を廃止。
- Jサテライトリーグが廃止。
- 2010年
- 2011年
- ガイナーレ鳥取が加盟。(J1.18クラブ、J2.20クラブ)
- 2012年
- 4月1日、「公益社団法人 日本プロサッカーリーグ」に移行[86]。
- FC町田ゼルビア、松本山雅FCが加盟。(J1.18クラブ、J2.22クラブ)
- J1昇格プレーオフを導入。
- J2・JFL間での入れ替え制度を導入。
- タイ・プレミアリーグ、ベトナムサッカーリーグ、ミャンマーサッカーリーグとパートナーシップ協定を締結。
- 2013年
- 2014年
- 2月、村井満が5代目チェアマンに就任。
- 3部にあたる下部リーグ・J3リーグ(J3)新設。J3リーグ独自の「タイトルパートナー」(特別協賛)として明治安田生命保険と契約を締結し、名称を「明治安田生命J3リーグ」に制定。
- カマタマーレ讃岐が加盟(J2)。
- AC長野パルセイロ、SC相模原、町田、ツエーゲン金沢、ブラウブリッツ秋田、FC琉球、横浜スポーツ&カルチャークラブ、藤枝MYFC、福島ユナイテッドFC、グルージャ盛岡が加盟(J1.18クラブ、J2.22クラブ、J3.11クラブ+Jリーグ・アンダー22選抜の計12クラブ/チーム)[89]。
- インドネシア・スーパーリーグ[90] とパートナーシップ協定を締結。
- 2015年
- スポンサーカテゴリーに「タイトルパートナー」を新設し、明治安田生命保険相互会社と契約を締結。リーグ全体の総称を「明治安田生命Jリーグ」、また各カテゴリーごとのタイトルも「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」に統一。
- J1を11年ぶりに2ステージ制へ移行。ステージ優勝クラブと年間勝点1位、2位、3位の最大5クラブが出場できるJリーグチャンピオンシップを復活させる。
- レノファ山口FCが入会(J1.18クラブ、J2.22クラブ、J3.12クラブ+Jリーグ・アンダー22選抜の計13クラブ/チーム)。
- ニューイヤーカップを新設。
- イランサッカーリーグ[91]、マレーシア・スーパーリーグ[92]、カタール・スターズリーグ[93] とパートナーシップ協定を締結。
- 2016年
- 鹿児島ユナイテッドFCが加盟しFC東京U-23、ガンバ大阪U-23、セレッソ大阪U-23がJ3に参加(J1.18クラブ、J2.22クラブ、J3.13クラブ+3チーム)。
- Jサテライトリーグが7年ぶりに復活し仙台、鹿島、川崎、横浜FM、湘南、新潟、名古屋、神戸、広島の9クラブが参加。
- 3月、日本トップリーグ連携機構に加盟[94]。
- Aリーグ(オーストラリア)と戦略的連携協定を締結[95]。
- 7月20日、イギリスの大手動画配信会社パフォーム・グループと2017年から2026年まで10年間の放映権を契約。
- 2017年
- アスルクラロ沼津が加盟(J1.18クラブ、J2.22クラブ、J3.14クラブ+3チーム)。
- J1を3年ぶりに1ステージ制へ移行。JリーグチャンピオンシップおよびJ2・J3入れ替え戦を廃止。
- ラ・リーガ(スペイン)と戦略的連携協定を締結[96]。
- 2018年
- J1参入プレーオフを導入。
開催日時
リーグ戦は基本的に試合は毎週土曜日または日曜日に開催している。スケジュールの都合で週2試合とする必要がある場合には水曜日に試合を行うことがあるほか、祝日の配列の関係で変則的な試合間隔となるケースもある。
土曜日・日曜日に開催される試合は基本的にデイマッチであるが、各節数試合はテレビ中継に配慮する形でナイトマッチでも行われることがあるほか、夏期(おおむね6月下旬から9月上旬にかけて)のJ1・J2の試合は原則としてナイトマッチで開催される。また、祝祭日以外の平日に開催される試合は全てナイトマッチで開催されている(ただし、Jリーグの発足直後と2011年には水曜日の開催でもデイマッチを行う事があった[注 13])。
なお、最終節は全試合の開催日と試合開始時間を統一している。
2008年以降、日本代表の試合のある日は原則として、JリーグカップおよびJ2の試合は組まれない(この間、J1は日本代表に選出されている選手の強化期間としているため、リーグ戦の試合自体が組まれない)。また、試合予定が未定の分で、日本代表の試合が予定されている場合は土曜、日曜両方で開催できるように対応している。
試合日程については、概ね1月中旬に、各クラブのホームゲーム開幕節の試合日程・対戦組み合わせ・試合会場のみを先行で発表し、1月末もしくは2月上旬に残り全試合の詳細な試合日程・組み合わせ・試合会場、並びに前半戦(概ね8月下旬まで J1リーグが2シーズン制となる年は、第1ステージの17試合分のみ)の試合開始時間を、6月下旬または7月初めに後半戦(概ね9月以後 J1リーグの2シーズン制となる年の第2ステージ17試合についても同様であるが、第2ステージの開始時期によっては前倒しとなる場合あり)の試合開始時間について発表される[97]。
- J1
-
- 1部制だった時代(1993年から1998年)も含めて、1993年から2000年までは基本的に土曜日に開催されていた。ただし、1993年から1995年の2ステージ制だった時代は試合数の問題から平日(主に水曜日)にも開催されていた。
- 2001年以降はスポーツ振興くじ(toto)の導入に伴い、J2と共に土曜日を中心とする開催になった。
- 2002年、テレビ中継などの日程調整も考慮し、土曜日開催を基本としつつ、原則として1節のうち2試合を日曜日に開催する分散型が採用された。
- 2012年以後は原則土曜日開催に固定したが、AFCチャンピオンズリーグに参加するクラブについては、週の中間(火曜・水曜)に試合をすることを考慮して、週末の試合を金曜日や日曜日に組んだり、アウェーゲームを国外で行う場合を配慮して別の週の水曜に開催する例もある。国際Aマッチ期間は試合が開催されない。
- 2018年度からは、DAZNと協力し年間10節程度、各節1-3試合程度を「明治安田生命フライデーナイトJリーグ」として金曜日に適宜開催する。
- J2
-
- 1999年から2000年の2年間は基本的に日曜日に開催するのが中心だったが、1か月に1-2回程度は木曜日にも開催されていた。
- 2001年以降はtotoの導入に伴い、J1と共に土曜日を中心とする開催になった(一部は日曜日に開催)。
- 2012年以降は原則日曜日開催。J1の大半の試合が日曜日開催となる週は土曜日開催となることがある。水曜日開催が行われる週もある。国際Aマッチ期間も、日本代表戦と重複しない範囲で調整しながら試合を開催する(ただし2002年と2010年のワールドカップ期間は試合を行わなかった)。
- J3
-
- 基本的に原則日曜日の開催に固定している。
- J3クラブのスタジアム基準で照明設備が必須とされていないことから、夏季を含め基本的にデイマッチを中心として編成している(本拠地に照明設備があるクラブのホームゲームはナイトマッチも開催される)。
- 毎年8月から9月は、天皇杯の都道府県予選(J3は都道府県予選から出場)、並びに国体ブロック予選(ミニ国体)が行われるため、3週間から1か月程度のインターバルがある。なおこれについては2017年以降、天皇杯の制度改革によって多少見直されている。
その他、同一都道府県・市区町村を本拠地とするクラブが複数ある場合は、極力同じ節にホームゲームを開催しないように日程を調整している(2011年の場合はJ1のさいたま市、神奈川県、静岡県、大阪府、J2の東京都、神奈川県が該当)。ただし、初期の頃は横浜市の2チームが同じ日にホームゲームをしたことがあった[注 14]。2011年にもJ1のさいたまと大阪、J2の東京都、さらにJ1・J2それぞれ2クラブずつの神奈川県の2チームが同じ節にホームゲームをする場合があるが、このときでもやむをえない場合を除き原則として、どちらかが土曜日、もう一方は日曜日の開催[注 15] とするように配慮されている。
クラブ一覧
正会員クラブ
2018年シーズン[98]。複数の資料で記述にぶれがあるものについては、Jリーグ公式サイトのクラブガイドの記述に基づき、スタジアム名称は命名権によるものとした(命名権の取り扱いについては各スタジアムの記事を参照のこと)。準加盟年度については、準会員(1992-98)、準加盟(2005-13)、Jリーグ百年構想クラブ(2014-)をすべて含む。
管轄 地域協会 |
クラブ名 (呼称) |
運営法人 | カテゴリ | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
加盟 年度 |
準加盟 年度 |
---|---|---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道コンサドーレ札幌 Hokkaido Consadole SAPPORO |
(株)コンサドーレ | J1 | 北海道 / 札幌市を中心とする全道 (札幌ドーム) |
1998年 | 1996年 |
東北 | グルージャ盛岡 Grulla MORIOKA |
(株)いわてアスリートクラブ | J3 | 岩手県 / 盛岡市ほか13市15町4村[注 16] を中心とする全県 (いわぎんスタジアム) |
2014年 | 2013年 |
ベガルタ仙台 Vegalta SENDAI |
(株)ベガルタ仙台 | J1 | 宮城県 / 仙台市 (ユアテックスタジアム仙台) |
1999年 | 1996年 | |
ブラウブリッツ秋田 Blaublitz AKITA |
(株)ブラウブリッツ秋田 | J3 | 秋田県 / 秋田市、由利本荘市、にかほ市、男鹿市を中心とする全県 (あきぎんスタジアム) |
2014年 | 2013年 | |
モンテディオ山形 Montedio YAMAGATA |
(株)モンテディオ山形 | J2 | 山形県 / 山形市、天童市、鶴岡市を中心とする全県 (NDソフトスタジアム山形) |
1999年 | ||
福島ユナイテッドFC FUKUSHIMA United FC |
(株)AC福島ユナイテッド | J3 | 福島県 /福島市、会津若松市を中心とする全県 (とうほう・みんなのスタジアム) |
2014年 | 2013年 | |
関東 | 鹿島アントラーズ KASHIMA Antlers |
(株)鹿島アントラーズ・エフ・シー | J1 | 茨城県 / 鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市 (茨城県立カシマサッカースタジアム) |
1991年 | |
水戸ホーリーホック MITO Hollyhock |
(株)フットボールクラブ水戸ホーリーホック | J2 | 茨城県 / 水戸市ほか5市3町1村[注 17] を中心とする全県 (ケーズデンキスタジアム水戸) |
2000年 | ||
栃木SC TOCHIGI SC |
(株)栃木サッカークラブ | J2 | 栃木県 / 宇都宮市 (栃木県グリーンスタジアム) |
2009年 | 2007年 | |
ザスパクサツ群馬 Thespakusatsu GUNMA |
(株)草津温泉フットボールクラブ | J3 | 群馬県 / 草津町、前橋市を中心とする全県 (正田醤油スタジアム群馬) |
2005年 | ||
浦和レッズ URAWA Reds |
浦和レッドダイヤモンズ(株) | J1 | 埼玉県 / さいたま市 (埼玉スタジアム2002) |
1991年 | ||
大宮アルディージャ OMIYA Ardija |
エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ(株) | J2 | 埼玉県 / さいたま市 (NACK5スタジアム大宮) |
1999年 | ||
ジェフユナイテッド千葉 Jef United CHIBA |
ジェフユナイテッド(株) | J2 | 千葉県 / 千葉市、市原市 (フクダ電子アリーナ) |
1991年 | ||
柏レイソル KASHIWA Reysol |
(株)日立柏レイソル | J1 | 千葉県 / 柏市 (三協フロンテア柏スタジアム) |
1995年 | 1992年 | |
FC東京 F.C. TOKYO |
東京フットボールクラブ(株) | J1 | 東京都 / 東京都 (味の素スタジアム) |
1999年 | ||
東京ヴェルディ TOKYO Verdy |
東京ヴェルディ(株) | J2 | 東京都 / 東京都 (味の素スタジアム) |
1991年 | ||
FC町田ゼルビア FC MACHIDA Zelvia |
(株)ゼルビア | J2 | 東京都 / 町田市 (町田市立陸上競技場) |
2012年[注 18] | 2009年 | |
川崎フロンターレ KAWASAKI Frontale |
(株)川崎フロンターレ | J1 | 神奈川県 / 川崎市 (等々力陸上競技場) |
1999年 | 1997年 | |
横浜F・マリノス YOKOHAMA F. Marinos |
横浜マリノス(株) | J1 | 神奈川県 / 横浜市、横須賀市、大和市 (日産スタジアム、ニッパツ三ツ沢球技場) |
1991年 | ||
横浜FC YOKOHAMA FC |
(株)横浜フリエスポーツクラブ | J2 | 神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場) |
2001年 | ||
Y.S.C.C.横浜 Y.S.C.C YOKOHAMA |
(特非)横浜スポーツ&カルチャークラブ | J3 | 神奈川県 / 横浜市 (ニッパツ三ツ沢球技場) |
2014年 | 2013年 | |
SC相模原 SC SAGAMIHARA |
(株)スポーツクラブ相模原 | J3 | 神奈川県 / 相模原市、座間市 (相模原ギオンスタジアム) |
2014年 | 2010年 | |
湘南ベルマーレ SHONAN Bellmare |
(株)湘南ベルマーレ | J1 | 神奈川県 / 平塚市ほか8市11町[注 19] (Shonan BMW スタジアム平塚) |
1994年 | 1992年 | |
ヴァンフォーレ甲府 Ventforet KOFU |
(株)ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ | J2 | 山梨県 / 甲府市、韮崎市を中心とする全県 (山梨中銀スタジアム) |
1999年 | ||
北信越 | AC長野パルセイロ AC NAGANO Parceiro |
(株)長野パルセイロアスレチッククラブ | J3 | 長野県 / 長野市ほか6市5町5村[注 20] (長野Uスタジアム) |
2014年 | 2012年 |
松本山雅FC MATSUMOTO Yamaga F.C. |
(株)松本山雅 | J2 | 長野県 / 松本市ほか4市1町1村[注 21] (松本平広域公園総合球技場) |
2012年 | 2010年 | |
アルビレックス新潟 Albirex NIIGATA |
(株)アルビレックス新潟 | J2 | 新潟県 / 新潟市、聖籠町 (デンカビッグスワンスタジアム) |
1999年 | ||
カターレ富山 Kataller TOYAMA |
(株)カターレ富山 | J3 | 富山県 / 富山市を中心とする全県 (富山県総合運動公園陸上競技場) |
2009年 | 2008年 | |
ツエーゲン金沢 Zweigen KANAZAWA |
(株)石川ツエーゲン | J2 | 石川県 / 金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町を中心とする全県 (石川県西部緑地公園陸上競技場) |
2014年 | 2013年 | |
東海 | 清水エスパルス SHIMIZU S-Pulse |
(株)エスパルス | J1 | 静岡県 / 静岡市 (IAIスタジアム日本平) |
1991年 | |
ジュビロ磐田 Júbilo IWATA |
(株)ジュビロ | J1 | 静岡県 / 磐田市 (ヤマハスタジアム、エコパスタジアム) |
1994年 | 1992年 | |
藤枝MYFC FUJIEDA MYFC |
(株)藤枝MYFC | J3 | 静岡県 / 藤枝市ほか4市2町[注 22] (藤枝総合運動公園サッカー場) |
2014年 | 2013年 | |
アスルクラロ沼津 Azul claro NUMAZU |
アスルクラロスルガ(株) | J3 | 静岡県 / 沼津市 (静岡県愛鷹広域公園多目的競技場) |
2017年 | 2013年 | |
名古屋グランパス NAGOYA Grampus |
(株)名古屋グランパスエイト | J1 | 愛知県 / 名古屋市、豊田市、みよし市を中心とする全県 (パロマ瑞穂スタジアム、豊田スタジアム) |
1991年 | ||
FC岐阜 FC GIFU |
(株)岐阜フットボールクラブ | J2 | 岐阜県 / 岐阜市を中心とする全県 (岐阜メモリアルセンター長良川競技場) |
2008年 | 2007年 | |
関西 | 京都サンガF.C. KYOTO Sanga F.C. |
(株)京都パープルサンガ | J2 | 京都府 / 京都市ほか9市1町[注 23] (京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場) |
1996年 | 1994年 |
ガンバ大阪 Gamba OSAKA |
(株)ガンバ大阪 | J1 | 大阪府 / 吹田市ほか7市[注 24] (パナソニックスタジアム吹田) |
1991年 | ||
セレッソ大阪 Cerezo OSAKA |
(株)セレッソ大阪 | J1 | 大阪府 / 大阪市、堺市 (キンチョウスタジアム、ヤンマースタジアム長居) |
1995年 | 1993年 | |
ヴィッセル神戸 Vissel KOBE |
楽天ヴィッセル神戸(株) | J1 | 兵庫県 / 神戸市 (ノエビアスタジアム神戸) |
1997年 | 1995年 | |
中国 | ガイナーレ鳥取 Gainare TOTTORI |
(株)SC鳥取 | J3 | 鳥取県 / 鳥取市、倉吉市、米子市、境港市を中心とする全県 (とりぎんバードスタジアム) |
2011年 | 2007年 |
ファジアーノ岡山 Fagiano OKAYAMA |
(株)ファジアーノ岡山スポーツクラブ | J2 | 岡山県 / 岡山市、倉敷市、津山市を中心とする全県 (シティライトスタジアム) |
2009年 | 2007年 | |
サンフレッチェ広島 Sanfrecce HIROSHIMA |
(株)サンフレッチェ広島 | J1 | 広島県 / 広島市 (エディオンスタジアム広島) |
1991年 | ||
レノファ山口FC Renofa YAMAGUCHI FC |
(株)レノファ山口 | J2 | 山口県 / 山口県全県13市6町[注 25] (維新みらいふスタジアム) |
2015年 | 2013年 | |
四国 | 徳島ヴォルティス TOKUSHIMA Vortis |
徳島ヴォルティス(株) | J2 | 徳島県 / 徳島市ほか4市4町[注 26] を中心とする全県 (鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム) |
2005年 | |
カマタマーレ讃岐 Kamatamare SANUKI |
(株)カマタマーレ讃岐 | J2 | 香川県 / 高松市、丸亀市を中心とする全県 (Pikaraスタジアム) |
2014年 | 2011年 | |
愛媛FC EHIME FC |
(株)愛媛FC | J2 | 愛媛県 / 松山市を中心とする全県 (ニンジニアスタジアム) |
2006年 | ||
九州 | アビスパ福岡 Avispa FUKUOKA |
アビスパ福岡(株) | J2 | 福岡県 / 福岡市 (レベルファイブスタジアム) |
1996年 | 1995年 |
ギラヴァンツ北九州 Giravanz KITAKYUSHU |
(株)ギラヴァンツ北九州 | J3 | 福岡県 / 北九州市 (ミクニワールドスタジアム北九州) |
2010年 | 2008年 | |
サガン鳥栖 Sagan TOSU |
(株)サガンドリームス | J1 | 佐賀県 / 鳥栖市 (ベストアメニティスタジアム) |
1999年 | ||
V・ファーレン長崎 V Varen NAGASAKI |
(株)V・ファーレン長崎 | J1 | 長崎県 / 長崎市、諫早市を中心とする全県 (トランスコスモススタジアム長崎) |
2013年 | 2009年 | |
ロアッソ熊本 Roasso KUMAMOTO |
(株)アスリートクラブ熊本 | J2 | 熊本県 / 熊本市 (えがお健康スタジアム) |
2008年 | 2006年 | |
大分トリニータ OITA Trinita |
(株)大分フットボールクラブ | J2 | 大分県 / 大分市、別府市、佐伯市を中心とする全県 (大分銀行ドーム) |
1999年 | ||
鹿児島ユナイテッドFC KAGOSHIMA United FC |
(株)鹿児島スポーツプロジェクト | J3 | 鹿児島県 / 鹿児島市 (鹿児島県立鴨池陸上競技場) |
2016年 | 2015年 | |
FC琉球 FC RYUKYU |
琉球フットボールクラブ(株) | J3 | 沖縄県 / 沖縄市を中心とする全県 (沖縄県総合運動公園陸上競技場) |
2014年 | 2013年 |
Jリーグ百年構想クラブ
クラブ名 | 運営法人 | リーグ | 活動区域 / ホームタウン (ホームスタジアム) |
承認年度 | |
---|---|---|---|---|---|
東北 | ヴァンラーレ八戸 Vanraure HACHINOHE |
(特非)クローバーズ・ネット 八戸事業部 (株)ヴァンラーレ八戸 |
JFL | 青森県 / 八戸市ほか3市11町2村[注 27] (ダイハツスタジアム) |
2013年 |
関東 | 栃木ウーヴァFC TOCHIGI Uva FC |
(株)栃木ウーヴァ | 関東1部 | 栃木県 / 栃木市 (栃木市総合運動公園陸上競技場) |
2014年 |
tonan前橋 Tonan MAEBASHI |
(株)図南クラブ | 関東2部 | 群馬県 / 前橋市 (前橋総合運動公園陸上競技・サッカー場) |
2013年 | |
東京武蔵野シティFC TOKYO MUSASHINO City FC |
(特非)武蔵野スポーツクラブ | JFL | 東京都 / 武蔵野市 (武蔵野陸上競技場) |
2016年 | |
関西 | 奈良クラブ NARA Club |
(特非)奈良クラブ | JFL | 奈良県 / 奈良市を中心とする全県 (ならでんフィールド) |
2013年 |
四国 | FC今治 FC IMABARI |
(株)今治.夢スポーツ | JFL | 愛媛県 / 今治市 (ありがとうサービス. 夢スタジアム) |
2016年 |
過去にJリーグ正会員であったクラブ
クラブ名 | 運営法人 | 活動区域/ホームタウン (ホームスタジアム) |
加盟期間 |
---|---|---|---|
横浜フリューゲルス YOKOHAMA Flügels |
全日空スポーツ(株) | 神奈川県/横浜市、長崎県、熊本県、鹿児島県[注 28] (三ツ沢公園球技場、横浜国際総合競技場、長崎県立総合運動公園陸上競技場[注 28]、熊本市水前寺競技場[注 28]、鹿児島県立鴨池陸上競技場[注 28]) |
1991-1998年 |
入れ替え制度
1998年にJ1参入決定戦を実施。1999年からはJ1・J2の2部制への移行に伴い、入れ替え制度を導入した。
- Jリーグによる審査でJ1昇格の権利を得たJ2クラブがJ1の規格に満たしていなければJ1昇格が取り消され、J1の16位からJ2降格も取り消される。なお、J1・J2の2部制へ移行した1999年から2017年シーズン終了時点までにJ1昇格・J2降格が取り消されたことは1度もない。
- 公式試合安定開催基金から融資を受けているクラブが返済期日まで完済できない場合、次シーズンはJ2所属となる。すなわち、J1に所属するクラブにおいてはJ1残留できる順位であってもJ2降格となり、J2に所属するクラブにおいてはJ1昇格できる順位であっても昇格は見送られる。ただし、過去にこの制度が適用(J1からの強制降格、もしくはJ2からの昇格見送り)となったクラブは1度もない(2017年シーズン終了時点)。
- 2012年よりJ2からの降格が制度化され、J2への昇格クラブが生じた場合、同数のクラブが2012年のポストシーズンにおいては日本フットボールリーグ(JFL)へ、2013年のポストシーズン以降はJ3へ降格する。詳細はJ2・J3入れ替え戦を参照。
- 2012年のポストシーズンより、J1・J2への昇格にあたっては、Jリーグクラブライセンス制度により参入資格が審査される。
1996年 - 2013年
年度 | J1チーム数 | J1→J2 降格 |
J1←J2 昇格 |
J2チーム数 | J2→JFL 降格 |
J2←JFL 参入 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | 18 | - | |||||
札幌 | - | (降格制度なし) | 9クラブ | J1参入決定戦実施 | |||
1999 | 16 | 10 | |||||
浦和 平塚 | 川崎 FC東京 | 水戸 | 自動入れ替え2チーム | ||||
2000 | 16 | 11 | |||||
京都 川崎 | 札幌 浦和 | 横浜FC | |||||
2001 | 16 | 12 | |||||
福岡 C大阪 | 京都 仙台 | - | |||||
2002 | 16 | 12 | |||||
広島 札幌 | 大分 C大阪 | - | |||||
2003 | 16 | 12 | |||||
仙台 京都 | 新潟 広島 | - | |||||
2004 | 16 | 12 | |||||
- | 川崎 大宮 | 徳島 草津 | J1・J2入れ替え戦の導入 | ||||
2005 | 18 | 12 | |||||
柏 東京V 神戸 | 京都 福岡 甲府 | 愛媛 | 自動入れ替え2チーム+J1・J2入れ替え戦 | ||||
2006 | 18 | 13 | |||||
福岡 C大阪 京都 | 横浜FC 柏 神戸 | - | |||||
2007 | 18 | 13 | |||||
広島 甲府 横浜FC | 札幌 東京V 京都 | 熊本 岐阜 | |||||
2008 | 18 | 15 | |||||
東京V 札幌 | 広島 山形 | 栃木 富山 岡山 | |||||
2009 | 18 | 18 | |||||
柏 大分 千葉 | 仙台 C大阪 湘南 | 北九州 | 自動入れ替え3チーム | ||||
2010 | 18 | 19 | |||||
FC東京 京都 湘南 | 柏 甲府 福岡 | 鳥取 | |||||
2011 | 18 | 20 | |||||
甲府 福岡 山形 | FC東京 鳥栖 札幌 | 町田 松本 | |||||
2012 | 18 | 22 | |||||
神戸 G大阪 札幌 | 甲府 湘南 大分 | 町田 | 長崎 | 入れ替え3チーム(J1昇格プレーオフ導入) | |||
2013 | 18 | 22 |
2014年以降
年度 | J1チーム数 | J1→J2 降格 |
J1←J2 昇格 |
J2チーム数 | J2→J3 降格 |
J2←J3 昇格 |
J3チーム数 | J3←JFL 参入 |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 18 | 22 | - | ||||||
湘南 磐田 大分 | G大阪 神戸 徳島 | 鳥取 | (讃岐) | 10クラブ[注 29] |
讃岐はJFLからJ2への参入 | ||||
2014 | 18 | 22 | 12 | ||||||
大宮 C大阪 徳島 | 湘南 松本 山形 | 富山 | 金沢 | 山口 | J2・J3入れ替え戦の導入 | ||||
2015 | 18 | 22 | 13 | ||||||
松本 清水 山形 | 大宮 磐田 福岡 | 大分 栃木 | 山口 町田 | 鹿児島 | |||||
2016 | 18 | 22 | 16 | ||||||
名古屋 湘南 福岡 | 札幌 清水 C大阪 | 北九州 | 大分 | 沼津 | |||||
2017 | 18 | 22 | 17 | ||||||
甲府 新潟 大宮 | 湘南 長崎 名古屋 | 群馬 | 栃木 | - | |||||
2018 | 18 | 22 | 17 | ||||||
自動入れ替え2チーム+J1参入プレーオフ導入 |
懲罰
Jリーグでは各クラブが不正行為や選手・観客のトラブルなどがあった場合に以下の順で制裁処置をとる場合がある。制裁措置についてはJリーグ規約第141条から第143条に定めがあり、裁定委員会もしくは関連する専門委員会の調査結果を踏まえて、チェアマンが最終的な制裁措置の判断を下すとされている。
制裁措置はクラブ、及びクラブに所属する個人に対して行われ、以下のような段階が設けられている。
- クラブに対する制裁
※中立地開催・無観客試合・没収試合・強制降格は2014年から設けられた。
- 個人に対する制裁
-
- けん責
- 制裁金(最大5,000万円)
- 出場資格停止(無期限または最大1年以内の期限付き出場停止)
- 公式試合に関わる職務の停止(一定期間、無期限または永久的な公式試合に関わる職務の全部または一部の停止)
通算成績
J1リーグ戦
J2リーグ戦
J3リーグ戦
タイトル獲得クラブ一覧
- Jリーグ発足以降に主なタイトルを獲得したクラブのみ掲載。
- 天皇杯については、Jリーグ所属クラブが参加するようになった1992年度の第72回大会以降の戦績について記す[注 30]。
- Jリーグカップについては、Jリーグ発足前年の1992年大会を含む。
- J2・J3の年間優勝および2ステージ時代のJ1ステージ優勝は除く。
- 詳細な情報については各クラブ・大会の項目を参照の事。
クラブ名 | J / J1 |
天 皇 杯 |
J 杯 |
X S C |
96 J C |
国 内 |
C W C |
A C L |
S B C |
A C W |
A S C |
A 3 C |
P P C |
T P C |
S B C |
国 際 |
合 計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | 8 | 5 | 6 | 6 | 0 | 25 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 28 |
浦和レッズ | 1 | 2 | 2 | 1 | 0 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 |
ジェフユナイテッド千葉 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
柏レイソル | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 |
FC東京 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 |
東京ヴェルディ | 2 | 2 | 3 | 3 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 11 |
川崎フロンターレ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
横浜F・マリノス | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 |
横浜フリューゲルス | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 |
湘南ベルマーレ | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
清水エスパルス | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 |
ジュビロ磐田 | 3 | 1 | 2 | 3 | 0 | 9 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 |
名古屋グランパス | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 8 |
京都サンガF.C. | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
ガンバ大阪 | 2 | 4 | 2 | 2 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 12 |
セレッソ大阪 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
サンフレッチェ広島 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 8 |
大分トリニータ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
※2018年2月10日現在[24][99][100][101][102][103][104][105][106][107][108][109]
表彰
試合入場者数
歴代入場者数
2010年8月8日、J1およびJ2のリーグ戦における通算のべ入場者数が1億人に到達した。なお、カップ戦やオールスターゲームなどの公式試合を含めた通算のべ入場者は、2009年3月に1億人を突破している。
なお、2009年の統計によると、世界各国のサッカーリーグで平均入場者数が最も多いのはブンデスリーガの38,975人であり、J1リーグは19,278人で第6位に位置している[112]。
スタジアム別入場者数
- 掲載順は1試合あたりの平均入場者数の多いクラブ順による。
- ホームスタジアムの略称、所属ディビジョン、入場者数[113] は、2015年度時点のもの(浦和から岡山までは2017年度。順次更新中。)(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が20試合)。
- ホームスタジアムが複数登録されている場合は、座席数が大きいものから記載(ただし本拠登録されていてもJリーグ主催公式試合が行われなかった場合は除外)。
- 招待券比率は、2017年シーズン中に各クラブ毎の特定のホームゲーム開催日にJリーグが行ったスタジアム観戦者調査(アンケート)の集計結果による[114](必ずしもシーズン全体の傾向を示しているわけではない)。
- 入場料収入[115] は、各クラブの2014年(平成26年)度決算の数値(ホームゲーム数:J1が17試合、J2が21試合、J3が18試合)。
クラブ 所属 |
スタジアム略称 (所在地) |
座席数 (席) |
平均入場者数 (人) |
総入場者数 (人) |
招待券比率 (%) |
入場料収入 (億円) |
画像 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 浦和 J1 |
埼玉 (さいたま市) |
63,770 | 33,542 | 570,215 | 2.7 | 23.75 | |
2 | FC東京 J1 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 26,490 | 450,331 | 10.3 | 9.61 | |
3 | 横浜FM J1 |
日産ス (横浜市) |
72,372 | 24,776 | 421,028 | 17.5 | 10.05 | |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | |||||||
4 | G大阪 J1 |
吹田S (吹田市) |
39,694 | 24,277 | 412,710 | 4.9 | 13.90 | |
5 | 川崎 J1 |
等々力 (川崎市) |
20,693 | 22,112 | 375,910 | 7.6 | 9.07 | |
6 | 新潟 J1 |
デンカS (新潟市) |
42,300 | 22,034 | 374,585 | 27.6 | 6.79 | |
7 | C大阪 J1 |
ヤンマー (大阪市) |
47,000 | 20,970 | 356,491 | 9.3 | 5.10 | |
金鳥スタ (大阪市) |
20,500 | |||||||
8 | 鹿島 J1 |
カシマ (鹿嶋市) |
40,728 | 20,467 | 347,942 | 18.7 | 8.69 | |
9 | 札幌 J1 |
札幌ド (札幌市) |
41,484 | 18,418 | 313,100 | 5.0 | 4.57 | |
10 | 神戸 J1 |
ノエスタ (神戸市) |
30,132 | 18,272 | 310,625 | 13.0 | 4.27 | |
11 | 磐田 J1 |
ヤマハ (磐田市) |
15,165 | 16,321 | 277,450 | 11.2 | 4.74 | |
12 | 名古屋 J2 |
豊田ス (豊田市) |
40,000 | 15,365 | 322,672 | 11.1 | 7.61 | |
パロ瑞穂(瑞穂陸) (名古屋市) |
20,000 | |||||||
13 | 清水 J1 |
アイスタ (静岡市) |
20,281 | 15,116 | 256,965 | 19.8 | 6.08 | |
14 | 仙台 J1 |
ユアスタ (仙台市) |
19,694 | 14,746 | 250,677 | 10.1 | 6.08 | |
15 | 鳥栖 J1 |
ベアスタ (鳥栖市) |
24,490 | 14,194 | 241,295 | 6.4 | 5.53 | |
16 | 広島 J1 |
Eスタ (広島市) |
50,000 | 14,042 | 238,720 | 17.4 | 5.63 | |
17 | 松本 J2 |
松本 (松本市) |
20,396 | 12,146 | 255,076 | 8.4 | 5.28 | |
18 | 柏 J1 |
柏 (柏市) |
15,349 | 11,820 | 200,936 | 9.8 | 4.35 | |
19 | 大宮 J1 |
NACK (さいたま市) |
15,600 | 11,464 | 194,887 | 8.3 | 3.98 | |
20 | 甲府 J1 |
中銀スタ (甲府市) |
17,000 | 10,842 | 184,311 | 18.6 | 3.42 | |
21 | 千葉 J2 |
フクアリ (千葉市) |
18,500 | 9,983 | 209,637 | 8.3 | 3.33 | |
22 | 福岡 J2 |
レベスタ (福岡市) |
22,563 | 9,550 | 200,546 | 18.1 | 2.75 | |
23 | 岡山 J2 |
Cスタ (岡山市) |
20,000 | 9,471 | 198,883 | 1.3 | 2.00 | |
24 | 湘南 J2 |
BMWス (平塚市) |
15,690 | 12,208 | 207,539 | 8.4 | 2.25 | |
22 | 山形 J2 |
NDスタ (天童市) |
21,292 | 10,030 | 170,518 | 9.6 | 1.83 | |
26 | 大分 J2 |
大銀ド (大分市) |
40,000 | 7,533 | 158,194 | 9.3 | 2.49 | |
27 | 京都 J2 |
西京極 (京都市) |
20,588 | 7,491 | 157,306 | 19.8 | 2.29 | |
28 | 熊本 J2 |
えがおS (熊本市) |
32,000 | 7,037 | 147,785 | 17.1 | 1.35 | |
29 | 岐阜 J2 |
長良川 (岐阜市) |
20,000 | 6,179 | 129,756 | 22.7 | 1.40 | |
30 | 東京V J2 |
味スタ (調布市) |
49,970 | 5,655 | 118,751 | 29.8 | 1.87 | |
31 | 栃木SC J2 |
栃木グ (宇都宮市) |
15,589 | 5,167 | 108,501 | - | 1.37 | |
32 | 横浜FC J2 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 5,113 | 107,364 | 16.4 | 1.67 | |
34 | 長崎 J2 |
トラスタ (諫早市) |
20,246 | 5,093 | 106,953 | 8.1 | 1.01 | |
35 | 徳島 J2 |
鳴門大塚 (鳴門市) |
16,599 | 5,019 | 105,398 | 2.7 | 2.42 | |
36 | 金沢 J2 |
石川西部 (金沢市) |
20,261 | 4,910 | 103,120 | 13.0 | 0.20 | |
37 | 水戸 J2 |
Ksスタ (水戸市) |
12,000 | 4,816 | 101,132 | 21.9 | 0.88 | |
38 | 長野 J3 |
南長野 (長野市) |
15,491 | 4,733 | 94,665 | - | 0.51 | |
39 | 山口 J2 |
みらスタ(維新公園)[注 32] (山口市) |
14,850 | 4,367 | 87,348 | 5.8 | 0.12 | |
40 | 群馬 J2 |
正田スタ (前橋市) |
15,253 | 4,099 | 86,077 | 7.3 | 0.79 | |
41 | 愛媛 J2 |
ニンスタ (松山市) |
21,401 | 3,771 | 79,193 | 12.4 | 0.60 | |
42 | 町田 J2 |
町田 (町田市) |
16,033 | 3,766 | 75,312 | 17.8 | 0.42 | |
42 | 讃岐 J2 |
ピカスタ(丸亀)[注 33] (丸亀市) |
30,099 | 3,658 | 76,824 | 14.6 | 1.04 | |
43 | 北九州 J2 |
※本城[注 34] (北九州市) |
10,202 | 3,488 | 73,243 | 36.1 | 0.79 | |
44 | 相模原 J3 |
ギオンス (相模原市) |
15,300 | 3,291 | 62,533 | - | 0.27 | |
45 | 富山 J3 |
富山 (富山市) |
25,250 | 2,820 | 56,392 | - | 0.80 | |
46 | 秋田 J3 |
A-スタ (秋田市) |
4,992 | 1,998 | 37,955 | - | 0.08 | |
47 | 鳥取 J3 |
とりスタ (鳥取市) |
16,033 | 1,932 | 38,637 | - | 0.53 | |
48 | 琉球 J3 |
沖縄県陸 (沖縄市) |
10,189 | 1,498 | 28,466 | - | 0.15 | |
49 | 福島 J3 |
とうスタ (福島市) |
21,000 | 1,289 | 24,497 | - | 0.16 | |
50 | 盛岡 J3 |
いわスタ(盛岡南)[注 35] (盛岡市) |
4,946 | 1,239 | 24,784 | - | 0.11 | |
51 | 藤枝 J3 |
藤枝サ (藤枝市) |
13,000 | 1,103 | 20,962 | - | 0.10 | |
52 | YS横浜 J3 |
ニッパツ (横浜市) |
15,454 | 919 | 17,465 | - | 0.12 | |
参考 | 鹿児島 J3 |
鴨池 (鹿児島市) |
12,571 | 2,624[注 36] | 39,361[注 36] | - | - |
ユニフォーム
1993年から1996年までは「ミズノ」が全クラブのユニフォーム・サプライヤー(供給メーカー)を一括して受け持っていた。ただ、その契約はリーグ戦のみの契約だったので、天皇杯やJリーグカップなどのカップ戦では各クラブが個別にユニフォームメーカー等と契約して、カップ戦用のユニフォームを着用していた[注 37]。しかし、1997年にはこれまでの「ミズノ」に加えて、「アンブロ」・「アディダス」・「プーマ」(ヴェルディ川崎は自主制作という形で「ナイキ」)が新たなユニフォーム・サプライヤー(これもリーグ戦限定)として加わり、1998年からは事前にJリーグとユニフォーム・サプライヤー契約を結んでいるユニフォームメーカーなどに限って、各クラブがユニフォームメーカーなどの各社と個別の契約を締結することができるようになった[116]。
3rdユニフォームは横浜FMと名古屋がJリーグでは2001年になって初めて採用したが、現在ではその年のACLに参戦をするクラブを中心に数クラブが導入している。また、Jリーグ事務局長の事前承認があれば、「ユニフォーム使用計画」に定めるユニフォームとは異なるユニフォームを着用することができる。なお、Jリーグ年間王者のクラブは、金色のJリーグロゴマークをチャンピオンマークとして翌シーズン、ユニフォームの袖にJリーグのロゴに代えて付けることができる。
国内公式戦(リーグ、リーグカップ、天皇杯)では、ユニフォームの前面胸部と、背番号上部、左袖、トランクスにそれぞれスポンサー広告を付けることが認められている。2016年からは背番号下部、2018年からは前面鎖骨部(左側および右側)に関してもスポンサーを付けることが認められたが、これ以前にもFC東京とガンバ大阪が背番号下部のところに広告を入れた事例がある[117]。
2018シーズンユニフォーム・サプライヤー
|
|
背番号
1993年から1996年までは試合ごとに付ける番号が違う変動背番号制であったが、1997年からはシーズン開幕前やクラブ加入時点で決定される固定背番号制へと変更された[118]。
また、2004年には欠番の解禁など規約を一部改定した。現在、Jリーグの定める「ユニフォーム規約」では、
- 背番号はJリーグへ登録し、シーズン途中の変更は認められない。
- 背番号0番は不可。
- 背番号1番はゴールキーパー、背番号2番から11番まではフィールドプレーヤーが付けなければならない。
- 背番号12番以降は、登録選手が50人以下であれば50番まではポジションとは無関係に自由に付けることができる。ただし登録選手が51人を超えた場合は、51番から連番で番号をつけなければならない。
などの取り決めがある。
なお2016年からJ3リーグへの出場が解禁された、J2以上に在籍するクラブのU-23世代のいわゆる「セカンドチーム」への登録については、トップチームと異なる背番号でもよいことになっているが、この場合でも、シーズンの途中での背番号変更は禁止されている。
2018年5月30日、Jリーグの理事会が開催され、上記規約のうち、シーズン途中の背番号変更が可能となり、同日から適用となった[119]。初適用者はヴィッセル神戸の三田啓貴で、8番から7番に変更となった。
なお、変動背番号制であった1996年にはG大阪の今藤幸治がGKの番号である1以外の2から11までの背番号を付けた事がある。
公式試合球
Jリーグの試合では、Jリーグの公式ロゴマークが入っているJリーグ公認の試合球(公式試合球)が使用されている。なお、1993年の開幕戦でヘニー・マイヤー(V川崎)が決めたJリーグ第1号ゴールの試合球はJリーグ事務局のチェアマン室に、ガラスケースに入れて保存されている[120]。
年度 | 公式試合球 |
---|---|
1993年 - 1994年 | エトルスコ・ユニコ |
1994年 - 1997年 | クエストラ |
1998年 - 2000年 | トリコロール |
2001年 | ガマラダ |
2002年 - 2003年 | フィーバーノヴァ |
2004年 - 2005年 | ロテイロ |
2006年 - 2007年 | チームガイスト |
2008年 | チームガイストII |
2009年 | テラパス |
2010年 | ジャブラニ |
2011年 | スピードセル |
2012年 | タンゴ12[121] |
2013年 | カフサ[122] |
2014年 | ブラズーカ[123] |
2015年 | コネクト15[124] |
2016年 | エレホタ[125] |
2017年 | クラサバ[126] |
2018年 | テルスター18 |
指導者資格
- 第1種チーム(トップ)の監督は日本サッカー協会公認S級指導者ライセンスを保持している者が指導すること。
- 第1種チーム(サテライト)は同A級(以上)指導者ライセンス保持者、第2種以下は同B級(以上)ライセンス保持者が監督を務めることが出来る。
審判員
- 日本サッカー協会の「サッカー公認審判員」の1級審判員の中より推薦、決定されJリーグ担当審判員となる。
- Jリーグでは審判のレベル向上のため、一部の審判員にプロ審判員(プロフェッショナルレフェリー、略称PR)制度を採用している。アマチュアが一般的なサッカー審判員のプロ化は世界でも珍しい例である。
フラッグ
毎試合、Jリーグの試合会場にはJリーグフラッグと対戦する両クラブのフラッグ(旗)が掲げられる。フラッグのデザインは自クラブのクラブカラーを基調とし、自クラブのロゴタイプやエンブレムが入っていることが一般的である。また、Jリーグ旗の横や下などにFIFAのフェアプレーフラッグが掲げられている場合があるほか、選手が入場する際には必ずスターティングメンバーのサインが入ったJリーグのフェアプレーフラッグを先頭にしてピッチへ入場する。なお、リーグ戦で使用されるJリーグフラッグは2種類あり、通常の試合会場では主に無地のフラッグが使われている。
- 背景は「白」を基調とした無地の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
- 背景は左側から黒で縁取られた「緑」「白」「赤」を基調としたイタリア国旗風の柄で中央部にJリーグの公式ロゴマークが入ったタイプ。
音楽
特に規約では規定されていないものの、リーグ戦では選手入場時にアンセムが流れる。Jリーグの公式アンセムが存在するが、Jリーグ公式アンセムを使用しているのは、水戸ホーリーホック・ザスパクサツ群馬・川崎フロンターレ・FC岐阜・サガン鳥栖などであり、他の多くのクラブがクラブオリジナルのアンセムを流している。なお、JFLはFIFA Anthemを使用しているため、JFLから昇格したクラブは数年間Jリーグアンセムで通すことが多く、アビスパ福岡やサガン鳥栖、ヴァンフォーレ甲府のように、10年以上にわたり、クラブアンセムのないクラブもある。また、現在ではもう耳にする機会はほとんどないが、開幕当初にはJリーグ公式テーマソングがあり、Jリーグに関するイベントなどでよく使われていた。
ルヴァンカップは専用のアンセムを使用する。
年度 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 | |
---|---|---|---|---|---|
公式テーマソング | 1993年 | J'S THEME | - | 春畑道哉(TUBE) | - |
公式アンセム | 1993年 | J'S BALLAD | - | - | |
2003年 | THE'GLORY | - | 岸利至 | 岸利至 | |
公式ソング | 2003年 | 飛躍 | 安岡優 | 村上てつや | 小西貴雄 |
スローガン
年度 | スローガン |
---|---|
1999年 - 2004年 | Join! |
2005年 - 2006年 | Amazing,J. |
2007年 | Will Be 見せたい未来がある。 |
2008年 | Will Be クラブサッカーの世界水準へ。 |
2009年 | 「SHOUT! for SHOOT!」声、枯れるまで。体、果てるまで。 |
2010年 | 極上のライブエンターテイメント |
2011年 - 2015年 | 明日のために 今、走る チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(東日本大震災復興支援スローガン) |
2016年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-がんばろう熊本・九州(熊本地震復興支援スローガン) |
2017年 | チカラをひとつに。-TEAM AS ONE-(震災復興支援活動を一本化) |
アカデミー
Jリーグに所属するクラブはアカデミー(下部組織、Jリーグの用語では「育成組織」)をもつことを義務つけている。アカデミーはJFAに世代別のチームとして登録され(日本サッカー協会チーム登録種別を参照)、Jリーグの主催する各大会やJFA主催大会などに出場する。
マスコットキャラクター
Jリーグ
- Mr. ピッチ
- 読み方は「ミスター・ピッチ」。
- 1991年11月1日生まれ、出身地は不明。
- 血液型はJ型。
- 身長は180センチメートル、スリーサイズは上から200・200・200センチメートル、全身を緑の芝生におおわれているのが特徴。
- 好きな色はグリーン。好きな言葉は「地球は青かった」、「石の上にも三年 芝の上にも百年」。
- 趣味はガーデニング。
- 「Jリーグ百年構想メッセンジャー」として、現在は各地で毎年行われている「ファミリーJoinデイズ」や「Jリーグオールスターサッカー」を始め、積極的に様々なイベントなどに出演している。また、各地の試合会場において、試合の前後やハーフタイム中に電光掲示板などで彼の出演しているビデオ映像を目にすることができる。なお、「百年構想」をPRしているポスターや雑誌の広告などでも、彼がモデルを務めている。
- Jリーグキング(J-boy)
- 参照: Jリーグキング
Jリーグクラブ
協賛団体
Jリーグ(リーグ戦)の公式スポンサーはJ1の試合会場で広告看板を掲示できるほか、新聞や雑誌、放送媒体の広告でJリーグのロゴマークとともに「(企業名)はJリーグの○○パートナーです」、あるいは「(企業名)はJリーグを応援しています」のクレジットを掲載できる。また、各所属クラスに関係なく、試合前後の時間やハーフタイム中に試合会場の電光掲示板や場内放送で企業名を読み上げられる。
2011年度までの協賛カテゴリーは「オフィシャルスポンサー」と、それ以外のスポンサー(用具サプライヤー、90度システム広告スポンサーなど)とに区分されていたが、2012年度から原則として「○○パートナー」に呼称を統一させており、スポンサー・サプライヤーのカテゴリーをよりわかりやすく細分化している。
- 全ディビジョン共通
- オフィシャルパートナーの広告設置に関しては、Jリーグ規約[127] 第35条(27ページ)に「スタジアムにはJリーグが指定する位置にJリーグ、並びにJリーグオフィシャルパートナーの企業・団体が所定サイズ・及び枚数の広告看板(幕)を設置・掲出できるスペースを確保しなければならない」とする取り決めによるものである。
- 日本スポーツ振興センター(toto・BIG、2001年より)、朝日新聞社(2003年より)、パフォーム・インベストメント (DAZN)(2017年より)のトップパートナー[注 38] 以外の形でリーグ戦を協賛する企業の広告横断幕が基本的にバックスタンドの最前列の箇所に設置されている[注 39]。なお一部のスポンサーはJリーグカップにも広告看板を掲出する場合[注 40] もある。
- 2008年から2013年まで、メインスタンドから見て左側(原則としてホームゴール裏)にオフィシャルサプライヤー(コンタクトレンズ等提供)のジョンソン・エンド・ジョンソンの小型広告が設置されていた。
- 2015年度より、Jリーグ全体(J3含む)の「トップパートナー」よりさらに最上級のスポンサーカテゴリーとして「タイトルパートナー」が制定され、明治安田生命保険が就任することになり[1]、リーグの正式な名称が「明治安田生命J(1・2・3)リーグ」となった。
- J1
- 1993年から1995年の2ステージ制時代は、そのステージの冠スポンサー(1st・サントリー、2nd・日本信販)の広告看板がバックスタンドとゴール裏のそれぞれ最前列[注 41] に2枚ずつの合計4枚、他のオフィシャルスポンサー団体は1枚ずつ掲出されていた。それ以後は原則バックスタンドに各社2枚ずつ掲出されている。2015年2ndステージからは1stステージよりトップパートナーが1社増加したため、両サイドの外側にトップパートナーの広告が1枚ずつはみ出る形になり、ランダムに2社の広告が1枚ずつはみ出している(球技専用が多い)場合がある[注 42]。
- 2005年から2014年までJ1の各節1試合ごとに電動式回転広告板を導入していた。ただ、導入される試合は各節注目の試合に設置される場合が多い。また、2008年からはこれと併用する形でJ1の各節1試合ごとに三菱電機社製の電光広告板(オーロラリボンビジョン)を導入した。主に、NHK-BSの中継対象試合を中心に運用されている。2015年からは回転広告板を廃止した代わりに、電光広告板を使用する試合は1節に2試合に増加した。
- 2015年からは、タイトル協賛である明治安田生命の広告を6枚(うち、長方形の通常サイズ4枚を両コーナーとハーフライン付近に各2枚ずつ、コーナー部分に同社商品の正方形の広告が2枚)設置されている(J2・J3も同様)。またJ1ではこれとは別に90度システムの広告幕2枚(各ゴール裏1枚ずつ)を設置している。
- J2
- J2ではJリーグの公式スポンサーの広告看板は2007年まで掲出されなかった(各クラブごとの公式スポンサーの看板がかかっている)が、1996年から1998年のジャパンフットボールリーグでJリーグ準会員だったチームのホームゲーム開催時にはゴール裏部分に各1枚ずつのJリーグ公式スポンサーの広告看板が掲出されていた。なお、2008年から大会名の看板の横に小さめに公式スポンサーの広告が1枚にまとめて載るようになった。
- J3
- 2014年は、J1・J2とは別の独自の協賛スポンサーが制定されており、各会場のバックスタンド最前列[注 41]に、タイトル協賛の明治安田生命が4枚、他のJ3公式スポンサーからは2枚ずつの広告看板(横断幕)が設置されていた[注 39]。2014年のJ3のスポンサーのうち、日本航空以外の各社はJ1・J2の何らかの公式スポンサーを兼務していたが、2015年度からはJ1・J2を含めて統一したスポンサー体系にすることになり、J2同様、大会名の看板の横に公式スポンサーを1枚にまとめて載せるようになった(なお2014年はJ3公式スポンサー団体を除いたJ1・J2のスポンサー団体の広告は設置しなかった)。
- Jリーグカップ
- 大会創設時よりヤマザキナビスコ→ヤマザキビスケットの企業ロゴ、および同社商品の広告看板(ルヴァン、チップスター他)が設置されている。なお創設当初からの最初の3年(1992年から1994年)は、予選リーグの試合(1994年は1・2回戦)に限って、ナビスコの広告と一緒に、通常ゴール裏に設置される各クラブ個別の協賛スポンサーの看板を置いていた。
- スポンサースペシャルデー&スペシャルマッチ
- 1996年にこれまでのステージスポンサーの制度が廃止されてから数年間に渡って、Jリーグでは公式スポンサー企業が特定の節・試合を対象としてスポンサースペシャルデー、ないしはスペシャルマッチを開催した。試合会場ではスペシャルデーのスポンサー企業がキャンペーンプロモーションを展開した。
協賛団体一覧
協賛カテゴリー種別 | 契約開始年度 | 協賛団体名 |
---|---|---|
Jリーグタイトルパートナー | 2015年 | 明治安田生命保険[注 43] |
Jリーグトップパートナー[注 38] | 1996年 | キヤノン キヤノンマーケティングジャパン |
2005年 | アイデム | |
2014年 | 明治安田生命保険 | |
2015年 | ルートインジャパン | |
イオンリテール | ||
2016年 | エレクトロニック・アーツ(EAスポーツ) | |
LVMH(タグ・ホイヤー) | ||
2017年 | マスターカード・ジャパン | |
NTTドコモ[128][129] | ||
2018年 | コナミデジタルエンタテインメント[注 44] | |
Jリーグ90度広告システム[注 45] スポンサー | 2015年 | 明治安田生命保険 |
Jリーグ百年構想パートナー | 2003年 | 朝日新聞社 |
リーグカップ戦スポンサー | 1992年 | ヤマザキビスケット[注 46] |
スーパーカップスポンサー | 1994年 | 富士ゼロックス |
Jリーグオフィシャルエクイップメントパートナー | 1993年 | モルテン[注 47] |
2005年 | アディダスジャパン[注 47] | |
Jリーグオフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2017年 | パフォーム・インベストメント (DAZN)[129][130] |
Jリーグスポーツ振興パートナー | 2001年 | 日本スポーツ振興センター (スポーツくじ<toto・BIG>) |
Jリーグオフィシャルチケッティングパートナー | 2012年 | ぴあ(チケットぴあ) |
JリーグオフィシャルECプラットフォームパートナー | 2017年 | 楽天[131] |
Jリーグオフィシャルテクノロジーパートナー | 2017年 | NTTグループ[128][129] |
Jリーグサポーティングカンパニー | 2015年 | Yahoo! JAPAN[132] |
2017年 | デロイトトーマツ(ファイナンシャルアドバイザリー/コンサルティング)[133] | |
Jリーグマーケティングパートナー | 2014年 | 電通[134] |
過去の協賛団体一覧
協賛カテゴリー種別 | 契約期間 | 協賛団体名 |
---|---|---|
Jリーグステージスポンサー[注 48] | 1993年 - 1995年 | サントリー(第1ステージ・チャンピオンシップ[注 49]) |
日本信販(NICOSカード)(第2ステージ) | ||
Jリーグオフィシャルスポンサー(1993年 - 2011年) →Jリーグトップパートナー(2012年 - )[注 38] |
1993年 - 1999年 | 小学館 |
1993年 - 2004年 | ローソン[注 50] | |
1993年 - 2007年 | サントリー | |
日本信販→三菱UFJニコス(NICOSカード) | ||
1993年 - 2014年 | カルビー | |
1994年 - 2007年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2002年 - 2004年 | 武富士 | |
2005年 - 2007年 | 平和[135] | |
GE Money(新生フィナンシャル)[136] | ||
2008年 - 2010年 | マイラン製薬 | |
レオパレス21 | ||
プレナス | ||
2011年 - 2013年 | 日本マクドナルド | |
2009年 - 2015年 | 日本コカ・コーラ | |
2012年 - 2015年 | ジェーシービー | |
2015年 - 2016年 | コロプラ | |
ECC | ||
Jリーグ90度広告システム[注 51] スポンサー | 2002年 - 2007年 | サントリー |
2004年 - 2010年 | OCN(NTTコミュニケーションズ) | |
2008年 - 2010年 | ジャパンエナジー(JOMO) | |
2012年 - 2014年 | 東京エレクトロン[注 52] | |
2009年 - 2015年 | 日本コカ・コーラ | |
Jリーグネットワークパートナー | 2002年 - 2010年 | 東日本電信電話 |
西日本電信電話 | ||
Jリーグオフィシャルサプライヤー | 2008年 - 2013年 | ジョンソン・エンド・ジョンソン |
Jリーグフェアプレーパートナー | 2012年 - 2014年 | 東京エレクトロン[注 52] |
Jリーグアソシエイト[注 53][137] | 2015年 | 日本航空[137][注 47] |
Jリーグアライアンスマーケティングパートナー | 1993年 - 2013年 | 博報堂DYメディアパートナーズ |
博報堂 | ||
Jリーグオフィシャルブロードキャスティングパートナー | 2007年 - 2016年 | スカパーJSAT |
J2サポーティングカンパニー | 2002年 - 2003年 | 大日本印刷 |
※2014年のJ3リーグに設定されていた独自の協賛スポンサーについてはJ3リーグ#協賛団体参照。 |
注釈
- ↑ リーグの定める 用語集(ターミノロジー) では「J」は全角の「J」を用いることとしているが、Wikipediaにおいては表記ガイドに基づき半角で表記する。
- ↑ 2014年度までJ1・J2のリーグ戦の呼称についてはJリーグ定款でそれぞれ「Jリーグ ディビジョン1」「Jリーグ ディビジョン2」と表記されていたが、2015年よりそれぞれ「J1リーグ」「J2リーグ」に改める。なおJ3については、初年度の2014年から正式な呼称として「J3リーグ」を採用している。[1]
- ↑ 例として、天皇杯は都道府県予選を勝ち上がらなければ出場できないほか、スポーツ新聞でも紙面では結果ですら小さな囲み記事で扱われる程度である。また、2017年からJ3のクラブにも開放されたリーグ主催のJリーグマスコット総選挙でも、J3クラブのマスコットは記念撮影に参加することができない。
- ↑ これと別にJ3に参加するJ1クラブのU-23チームが3チームある。
- ↑ 「活性化委員会」の提唱は森健兒[31]。設置時の名称は「JSL活性化委員会」である。現在これを「JSL第一次活性化委員会」と呼ぶのは、川淵が森の後、総務主事に就任し、森らに倣い再開させたものを「第二次活性化委員会」と名付けたため、森が総務主事だった時代に開催されたものを後に「"第一次"活性化委員会」と分けて呼ぶようになった[32]。「第一次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三の他、森と木之本が、石井義信、森孝慈、小倉純二、村田忠男(JFA)、浅野誠也(読売)、杉山隆一、佐々木一樹[16] の7人を選んだ[33]。委員長には森健兒が就くのが自然だったが、森は名古屋転勤で忙し過ぎたためとバランスや企業説明を考え、森が小倉純二を委員長に指名した[21][34]。「活性化委員会」は、短期間に6回の会合をもち、日本リーグの現状分析、他国のプロリーグの調査、日本にプロリーグをつくる可能性を模索した[35]。
- ↑ この10ヵ月後にまとめられた「第二次活性化委員会」の報告書もこれを踏襲し、これがほとんどそのままJリーグの骨格となる[41]。
- ↑ 「第二次活性化委員会」のメンバーは、森健兒、木之本興三を含む、「第一次活性化委員会」と同じメンバー9人と、プロ化に乗り気でないチームの実行委員・阿部豊(NKK)、有村宏三郎(ヤンマー)、泉信一郎(全日空)に、川淵を加えた13人で[42]、「第二次活性化委員会」でも委員長には引き続き川淵が小倉純二を指名した[21][43]。「第二次活性化委員会」は「第一次活性化委員会」が出した結論をさらに検討させた[21][44]。川淵は、当時の日本リーグのレベルが低いばかりでなく、アンフェアなプレーが横行していたこともあり、当初はリーグのプロ化には反対だった[44]。しかし「活性化委員会の真剣な議論に参加しているうちに、根本的な改革が必要であることを思い知り"失うものは何もない"とプロ化推進に傾いていった[44]。「第二次活性化委員会」は1988年10月3日から翌1989年3月13日まで8回の会合を開き「1992年スペシャルリーグ・スタート」という提案を出して解散、以後の検討をJFAの「プロリーグ検討委員会」に委ねた[44]。
- ↑ 「JSL評議委員会」は、JSLの最高議決機関。主に加盟チームが自ら選出した評議員で構成されていた。親会社で立場のある取締役クラスの人が選出されることが多く、会社の意向を尊重する傾向があった[11]。「第一次活性化委員会」~「第二次活性化委員会」のメンバーは、各チームを実質的に切り回していた人たちではあったが、親会社に戻れば会社の経営方針に直接タッチできる役職には就いていなかった[47]。「JSL評議委員会」の議長は日産自動車副社長の細川泰嗣。他のメンバーも各チームの代表者であり、親会社での地位は「活性化委員会」のメンバーよりはるかに上だった[47]。
- ↑ JFA内に「プロ対策本部」(本部長は長沼健)が作られ[35][37]、1990年10月、その中に「プロリーグ検討委員会」(委員長は川淵三郎)が設置された[37]。「プロリーグ検討委員会」は1991年1月まで6回の会合を重ね、リーグ参加条件の決定、当該団体への参加意思確認とヒアリング、アドバイザーボードの開催などを行う[37][44][52]。
- ↑ 1991年11月1日、新リーグが「社団法人日本プロサッカーリーグ」として法人化されることが決定した[24][56]。
- ↑ 「Jリーグ」という名称の提案は、当初 Jipang League(ジパング・リーグ)の略称として提案された[57]。
- ↑ 未出場の国がワールドカップのホスト国となった先例はなかった。
- ↑ 一例として、1993年サントリーシリーズ第6節(6月2日)・清水vsV川崎(静岡県草薙総合運動場陸上競技場)、1994年NICOSシリーズ第3節(8月17日)の清水vs平塚、2011年J1第15節(6月15日)の仙台対G大阪、同年第17節(6月22日)仙台対甲府(以上2試合ユアテックスタジアム仙台)。
また2000年J2の水戸もひたちなか市総合運動公園陸上競技場で主催した一部の平日の試合を16時からの薄暮デイマッチにした事例がある。 - ↑ このときは横浜Mが三ツ沢、横浜Fは九州への「遠征」、あるいは国立での開催などがあった。
- ↑ ゴールデンウィーク・お盆等年数回の平日に行われる場合でも、どちらかが火曜日、もう一方は水曜日。
- ↑ 盛岡市・北上市・宮古市・大船渡市・花巻市・久慈市・遠野市・一関市・釜石市・二戸市・八幡平市・奥州市・滝沢市・雫石町・葛巻町・岩手町・紫波町・矢巾町・西和賀町・金ケ崎町・平泉町・住田町・大槌町・山田町・岩泉町・田野畑村・普代村・軽米町・野田村・九戸村・洋野町・一戸町
- ↑ ひたちなか市・笠間市・那珂市・小美玉市・茨城町・城里町・大洗町・東海村
- ↑ 2013年に退会し2014年に再加盟。
- ↑ 厚木市、伊勢原市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、平塚市、藤沢市、大磯町、寒川町、二宮町、鎌倉市、南足柄市、大井町、開成町、中井町、箱根町、松田町、真鶴町、山北町、湯河原町
- ↑ 長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市
- ↑ 松本市、安曇野市、山形村、塩尻市、大町市、池田町
- ↑ 藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町
- ↑ 京都市、宇治市、城陽市、京田辺市、向日市、長岡京市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町
- ↑ 吹田市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、摂津市、箕面市
- ↑ 山口市、下関市、山陽小野田市、宇部市、防府市、周南市、美祢市、萩市、下松市、岩国市、光市、長門市、柳井市、周防大島町、和木町、上関町、田布施町、平生町、阿武町
- ↑ 徳島市、鳴門市、美馬市、松茂町、板野町、藍住町、北島町、吉野川市
- ↑ 八戸市、十和田市、五戸町、三戸町、田子町、南部町、おいらせ町、階上町、新郷村、三沢市、七戸町、六戸町、東北町、野辺地町、横浜町、六ケ所村
- ↑ 28.0 28.1 28.2 28.3 1992年から1995年に「特別活動地域」として九州地方の3県をホームタウンとほぼ同権限の地域と位置づけた。
- ↑ 盛岡 秋田 福島 町田 相模原 YS横浜 長野 金沢 藤枝 琉球
- ↑ 天皇杯の公式記録では、Jリーグクラブについては、前身のクラブからの通算としている。この場合、最多獲得クラブは横浜FMの7回(前身の日産自動車時代に5回獲得)となるほか、C大阪が前身のヤンマー時代に3回の天皇杯を獲得している(Jリーグ発足後はタイトルなし)。
- ↑ 10歳以下は調査対象外となっている。
- ↑ 2018年1月に命名権導入により呼称変更。
- ↑ 2015年9月に命名権導入により呼称変更。
- ↑ J3降格後の2017年以降はホームスタジアムとして使われていない。
- ↑ 2016年4月に命名権導入により呼称変更。
- ↑ 36.0 36.1 鹿児島の数値は2015年度のJFLリーグ戦(ホームゲーム15試合)の数値を参考として掲載。
- ↑ 全面的にミズノと契約したクラブの場合、チームや年度によってリーグ戦と全く同一の場合と、他社契約時と同様にデザインを変えていた場合とがあった。またリーグ戦とカップ戦でユニフォームスポンサーが異なることもあった他、天皇杯では、当時変動背番号制だったリーグ戦では存在しなかった17番以上の背番号のユニフォームがあった。
- ↑ 38.0 38.1 38.2 2011年までのオフィシャルスポンサーに当たるリーグ戦最上位スポンサーカテゴリー(なお2015年度からは明治安田生命保険がJリーグ全体のタイトルパートナー(特別協賛)に就任するため、スポンサーカテゴリーとしてはタイトルパートナーが最上級、トップパートナーはその次のクラスに当たる)。
- ↑ 39.0 39.1 J3に関しては2014年度にJ3独自のオフィシャルパートナーがあった名残で、日本スポーツ振興センター、スカパーJSAT、アディダスジャパンの広告はバックスタンド最前列に2枚ずつ張り付けてある
- ↑ 2014年予選ではコカコーラ、コナミ(ウィニングイレブン)、東京エレクトロンの3社。
- ↑ 41.0 41.1 陸上競技場の場合は、バックスタンドはトラック部分、ゴール裏はフィールド競技が行われる箇所に設置
- ↑ 陸上競技場は場所によってバックスタンド一列で掲示する場合もある
- ↑ 2014年度はJリーグ全体のトップパートナーであるとともに、J3リーグのタイトルパートナー(特別協賛)であったが、2015年度はJリーグ全体のタイトルパートナーに昇格させた(Jリーグチャンピオンシップを含む。トップパートナー契約も継続)。
- ↑ 2002年から2014年まで以来のトップパートナー復帰
- ↑ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
- ↑ 2016年8月までの社名は「ヤマザキナビスコ」。
- ↑ 47.0 47.1 47.2 2014年J3リーグのオフィシャルスポンサーも務めた。
- ↑ 公式スポンサー兼務
- ↑ 1997年から2004年のチャンピオンシップにおいても冠スポンサーとなっている
- ↑ この期間中、関連会社のローソンチケットがJリーグオフィシャルチケットステーションの業務を担当していた。
- ↑ ゴール部90度広告とは、看板を立てることが出来ないゴール両脇に、扁平に印刷された広告布を敷くことによって、テレビを通してみると通常の広告と同じに見える効果がある広告である。F1のコーナー部広告で発案された手法である。
- ↑ 52.0 52.1 2011年はオフィシャルスポンサー。
- ↑ アソシエイトとは、Jリーグ・アンダー22選抜チームと、それが出場するJ3リーグをサポートするための協賛カテゴリーである
出典
- ↑ 1.0 1.1 明治安田生命保険相互会社とJリーグタイトルパートナー契約を締結(日本プロサッカーリーグ2014年12月16日 12月17日閲覧)
- ↑ 2.0 2.1 “About Jリーグ”. Jリーグ.jp. . 2017閲覧.
- ↑ 忠鉢信一 (2013年4月11日). “スポーツの自立を目指して Jリーグ20年”. nippon.com. . 2017閲覧.
- ↑ 日本リーグの錦の御旗 - 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト、日本サッカーリーグの創設(上)、多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕|賀川サッカーライブラリー
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 Jリーグの基礎である日本サッカーリーグ27年間、ラモス瑠偉 オフィシャルウェブサイト、2013年5月16日、“ラモス瑠偉が見た現在の日本代表、足りないものは…”. マイナビ (2017年5月7日). . 2017閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 “サッカー (PDF)”. Web Japan. 外務省. pp. 1-4. . 2017閲覧.
- ↑ 伝説-スポーツ王国日本 歴史を作った者たち- 【メキシコ五輪サッカー銅~クラマーの息子たち(10)】- nikkansports.com
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 オリンピック代表監督からワールドカップ招致まで 40年間を日本協会とともに 長沼健(下)、人の話を聞き、人を働かせ、自らも労をいとわぬ気配りの名手。日本サッカーの大功労者、長沼健さんを偲んで、トヨタカップを呼んだ男たち 第5回 長沼健(Internet Archive)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 KIRIN サッカー応援の歴史|サッカー応援|CSV活動|キリン - キリンビール“日本が歩んだ1923ー2017 そして舞台は、2018年ロシアへ ともに走りつづける。倒れてもともに立ち上がる。キリン (PDF)”. キリンホールディングス. . 2018-5-6閲覧.
- ↑ 『サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』 双葉社、2003年、36-37。(Web版サッカー批評(Vol.11) -スポーツナビ2003年9月12日)(Internet Archive)
- ↑ 11.00 11.01 11.02 11.03 11.04 11.05 11.06 11.07 11.08 11.09 11.10 11.11 11.12 武智幸徳. “川淵三郎、大いに語る”. Number Web. 文藝春秋. . 2017閲覧.Soccer King - 川淵三郎「日本人にとってサッカーは非常に相性のいいスポーツ~」、【川淵 三郎】色褪せることのない情熱と日本サッカーへの想い Jリーグ誕生の仕掛人| 早稲田大学ア式蹴球部の公式サイト、『我が道 - 川淵三郎(13)』スポーツニッポン、2014年10月13日付。(14)、2014年10月15日付。
- ↑ 『釜本邦茂 蹴球男塾(21))』 ヤンマー電撃入社編(2) デイリースポーツ、2011年11月9日6頁。
- ↑ 13.0 13.1 13.2 日本サッカー・リーグ50年(11) - 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評
- ↑ 14.0 14.1 14.2 “創立記念日によせて~【コラム】田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.1~”. 日本サッカー協会. (2016年9月9日) . 2017閲覧.公益財団法人日本サッカー協会 田嶋幸三 副会長と対談インタビュー
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 15.5 15.6 15.7 15.8 15.9 “木之本さん死去を盟友・森健児氏しのぶ「病室でもサッカーの話ばかりだった」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年1月18日). オリジナルの2017年6月12日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.“森健兒氏 「Jリーグをつくった男 木之本興三君を悼む」”. 日刊ゲンダイ (株式会社日刊現代). (2017年1月18日). オリジナルの2017年1月30日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.NHKプロジェクトX|第85回 2002年4月23日放送-わが友へ 病床からのキックオフ(Internet Archive)、宇都宮徹壱 「木之本興三が語る真実のJリーグ史」『サッカー批評issue64 - サッカーメディアを疑え!』 双葉社、2013年、24-31。
- ↑ 時代の証言者, pp. 52-54; 日本サッカー狂会, pp. 128-132; 平塚, pp. 34-40、103-104.
- ↑ 18.0 18.1 18.2 豊田真嗣(博報堂DYメディアパートナーズスポーツ事業局局長代理)、「連載 『J15年目の輝き』 蹴球熱を創り出せ~J創世記を駆け抜けた男たちの情熱 第3回 【プロリーグ誕生の舞台裏】 Jが生まれた日」 『週刊サッカーダイジェスト』 日本スポーツ企画出版社、2007年2月20日、100-101頁。
- ↑ マネジメント, pp. 31-32; 日本サッカー狂会, pp. 128-132.
- ↑ 時代の証言者, pp. 52-54; マネジメント, pp. 11-29; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 21.00 21.01 21.02 21.03 21.04 21.05 21.06 21.07 21.08 21.09 21.10 夢があるから強くなる ~日本サッカーの国際化を支えて40年~. 講師: 公益財団法人 日本サッカー協会名誉会長 小倉純二氏、情報紙『有鄰』No.412 P3 - 有隣堂
- ↑ 『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ~ヴェルディの40年』 読売サッカークラブ~東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会、東京ヴェルディ1969フットボールクラブ、2010年。佐野眞一 『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』 文藝春秋、1994年、491-494頁。ISBN 978-4-16-349460-x。スポーツナビ|サッカー|トヨタカップを呼んだ男たち 第2回 坂田信久(Internet Archive)、3月例会報告 -「サロン2002in岡山」 - サロン2002オフィシャルサイト(Internet Archive)。
- ↑ Jリーグ創造記, pp. 69-73; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 24.0 24.1 24.2 24.3 24.4 24.5 24.6 Jリーグの歴史 Jリーグ
- ↑ 日本サッカー史, pp. 230-231、240頁; 日本サッカー狂会, pp. 128-132; 75年史, pp. 51-54、120-121、258-259頁.
- ↑ 日本サッカー史, pp. 229-230; 平塚, pp. 134-140; 75年史, pp. 126-127、258頁.
- ↑ 森孝慈さんの思い出 - 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評、五輪で共にプレー 釜本氏「あまりにも早い」 ― スポニチ Sponichi、J SPORTS|コラム 【後藤健生コラム】日本代表新監督が決まらないのはなぜか?、ARCHIVE:2010.8.9 森孝慈 ラストインタビュー[最終回]、浦和タウンミーティング第3回Special issue 森孝慈さんを偲び。浦和レッズの原点を知る(1)、伝統の立役者たち 森 孝慈 | 早稲田大学ア式蹴球部
- ↑ 平塚, pp. 126-131; 虹を掴む, pp. 84-89; 75年史, pp. 258-260、268-273頁.
- ↑ 「三浦知良インタビュー」『Jリーグ10年の軌跡 1993-2002』 ベースボール・マガジン社、2003年、16-21。ISBN 4-583-03775-9。
- ↑ 二宮清純 (2010年12月10日). “第127回 日本代表監督、こう選んだ<前編>”. SPORT COMMUNICATIONS. . 2017閲覧.
- ↑ Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 「フットボールサミット」議会 『フットボールサミット第1回』 カンゼン、2010年11月19日、172-179頁。
- ↑ Jリーグ創世記, pp. 154-158、170、356頁; 虹を掴む, pp. 19-23.
- ↑ 平塚, pp. 163-184; マネジメント, pp. 11-29; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 35.0 35.1 35.2 35.3 75年史, pp. 51-54.
- ↑ “戦後の学制改革とスポーツ”. 牛木素吉郎のビバ!スポーツ時評. . 2013閲覧.「岡野俊一郎インタビュー」『サッカーファン・ブック '92-'93』 日本出版社、1992年、65-77。ISBN 4-89048-317-9。『釜本邦茂 蹴球男塾(36))』 Jリーグ誕生編(2) デイリースポーツ、2011年11月30日6頁。
- ↑ 37.0 37.1 37.2 37.3 37.4 37.5 37.6 37.7 「連載1 日本プロ・サッカーリーグのビジョンと問題点 川淵三郎氏 ―日本サッカー協会プロ準備検討委員長― に聞く プロ・リーグ設立の狙いと構想」、『週刊サッカーマガジン 1990年11月号』、ベースボール・マガジン社。
- ↑ 平塚, p. 6、172頁; 75年史, pp. 51-53、258-260頁; 時代の証言者, pp. 52-54; 日本サッカー狂会, pp. 128-132; Jリーグ創造記, pp. 69-73; 日本サッカー史, pp. 240-241; Jリーグ群像, pp. 9-37。.
- ↑ 39.0 39.1 「木之本興三の提言 初心 第2節」『サッカー批評issue56』 双葉社、2012年、100-101。
- ↑ 平塚, p. 184; 75年史, pp. 259-260; 日本サッカー狂会, pp. 128-132; Jリーグ創世記, pp. 154-158、170、356頁; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 平塚, p. 184.
- ↑ 平塚, pp. 190-197; 虹を掴む, pp. 84-89.
- ↑ 平塚, pp. 190-197; マネジメント, pp. 31-32.
- ↑ 44.0 44.1 44.2 44.3 44.4 44.5 44.6 75年史, pp. 258-260.
- ↑ Jリーグ創造記, pp. 69-72.
- ↑ 平塚, pp. 141-150; 時代の証言者, pp. 52-54.
- ↑ 47.0 47.1 虹を掴む, pp. 84-89.
- ↑ 『週刊サッカーマガジン 別冊 春季号「まるごとJリーグ完全版〜栄光の記憶15年〜」』 ベースボール・マガジン社、116頁。
- ↑ 日本サッカーは, pp. 220-222.
- ↑ マネジメント, pp. 32-35; 虹を掴む, pp. 84-89; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ マネジメント, pp. 32-35; 虹を掴む, pp. 84-89; 75年史, pp. 51-54.
- ↑ チケットぴあ/JAPANサッカーを支える企業第23回 株式会社スポーツ21エンタープライズ 代表取締役 三ッ谷洋子
- ↑ 沿革・歴史JFA|公益財団法人日本サッカー協会
- ↑ 日本サッカー史, pp. 240-241.
- ↑ 平塚, pp. 196-197.
- ↑ 75年史, pp. 258-260; プロ制度構築, pp. 27-32.
- ↑ プロ制度構築, pp. 27-32.
- ↑ マネジメント, pp. 55-58.
- ↑ 烏賀陽弘道 『Jポップとは何か』 岩波書店、2005年。ISBN 978-4-00-430945-1。
- ↑ マネジメント, pp. 35-37; Jリーグの経済学, pp. 19-21.
- ↑ 濱口, pp. 57-80.
- ↑ Jリーグの経済学, pp. 19-211; 濱口, pp. 57-80.
- ↑ マネジメント, pp. 35-37; 虹を掴む, pp. 35-38.
- ↑ 長沼健さん、ご逝去 (スポーツ総合研究所 広瀬一郎Blog) (Internet Archive)
- ↑ 平塚, pp. 167-169.
- ↑ 平塚, pp. 167-169; 田崎, pp. 143-148; 濱口, pp. 109-118; 仮野, pp. 58-63.
- ↑ 67.0 67.1 時代の証言者, pp. 52-54.
- ↑ 平塚, pp. 167-169; 75年史, pp. 18-19、51-54頁; 濱口, pp. 109-118.
- ↑ 69.0 69.1 セルジオ越後が、日本サッカーをなで斬り! | スポーツ | 東洋経済オンライン
- ↑ 75年史, pp. 51-54; 仮野, pp. 58-63.
- ↑ 時代の証言者, pp. 52-54; 75年史, pp. 51-54.
- ↑ 75年史, p. 261-262; Jリーグの経済学, pp. 36-39; 濱口, pp. 118-120.
- ↑ 飯尾篤 (2013年10月27日). “福田正博 「20年前のドーハは『悲劇』じゃない」”. Web Sportiva. 集英社. . 2017閲覧.
- ↑ 74.0 74.1 “一時は“余命5年”の宣告、両足を日本サッカー界に捧げた木之本興三氏が死去”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2017年1月18日). オリジナルの2017年7月1日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.
- ↑ 「リーダー」としての極意と覚悟~川淵三郎氏 | GLOBIS 知見録 - 視る
- ↑ 平塚, pp. 61-63、108-113、124-131; 虹を掴む, pp. 60-65、75-77; Jリーグ群像, pp. 9-37.
- ↑ 77.0 77.1 77.2 「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(全20回)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006年11月21日~12月18日。
- ↑ 平塚, pp. 190-191; 虹を掴む, pp. 19-23.
- ↑ 「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(5)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006-11-28。「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(6)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006-11-29。
- ↑ 日本サッカー狂会, pp. 128-132.
- ↑ Jリーグの経済学, pp. 16-19.
- ↑ 「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(5)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006-11-28。
- ↑ 「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(13)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006-12-8。
- ↑ 「連載 森健兒 いま沈黙を破る(11)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2007-4-24。
- ↑ 「連載 森健兒 いま沈黙を破る(全15回)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2007年4月10日~4月28日。「連載 木之本興三 Jリーグへの遺言(全20回)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、2006年11月21日~12月18日。「木之本興三 月刊サッカー通信(6)」『日刊ゲンダイ』 株式会社日刊現代、1998年。
- ↑ “「公益社団法人」への移行について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ
- ↑ “カンボジアリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2013閲覧.
- ↑ “シンガポールリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2013閲覧.
- ↑ “2014Jリーグ クラブ編成” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年12月17日) . 2013閲覧.
- ↑ “インドネシアスーパーリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2014閲覧.
- ↑ “イラン・プロフェッショナル・フットボールリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
- ↑ “マレーシア・スーパー・リーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
- ↑ “カタール・スターズリーグとのパートナーシップ協定締結について”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
- ↑ “JTLにJリーグが加盟、9競技13団体に” (プレスリリース), 日本トップリーグ連携機構, (2016年3月29日) . 2016閲覧.
- ↑ “オーストラリア・Aリーグとの戦略的連携協定の締結について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2016年5月2日) . 2016閲覧.
- ↑ “スペイン ラ・リーガとの戦略的連携協定の締結について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年6月22日) . 2017閲覧.
- ↑ 参考として、“2015 Jリーグ 日程発表について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2014年12月25日) . 2016閲覧.
- ↑ “2018Jリーグ クラブ編成” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年12月12日) . 2018閲覧.
- ↑ J1歴代優勝クラブ ゲキサカ
- ↑ 歴代優勝 - ナビスコ杯 日刊スポーツ
- ↑ 天皇杯歴代優勝チーム スポニチ
- ↑ “大会の歴史”. FUJI XEROX SUPER CUP 2017. 日本プロサッカーリーグ. . 2017閲覧.
- ↑ “日程・結果”. J.League Data Site. . 2017閲覧.から各大会を検索
- ↑ “大会の歴史”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017閲覧.
- ↑ “歴代優勝チーム”. スルガ銀行チャンピオンシップ2016. 日本サッカー協会. . 2017閲覧.
- ↑ “Asian Cup Winners' Cup”. RSSSF. . 2017閲覧.
- ↑ “Asian Super Cup”. RSSSF. . 2017閲覧.
- ↑ “East Asian Champions Cup”. RSSSF. . 2017閲覧.
- ↑ “Sanwa Bank Cup 1994-1997”. RSSSF. . 2017閲覧.
- ↑ “年度別入場者数推移”. 日本プロサッカーリーグ. . 2013閲覧.
- ↑ “観戦者調査”. 日本プロサッカーリーグ. . 2013閲覧.
- ↑ 大住良之. “J1の入場者数は世界で第6位「日本サッカー世界への挑戦」”. NIKKEI NET. . 2013閲覧.
- ↑ “通算データ - 入場者数”. 日本プロサッカーリーグ. . 2016閲覧.
- ↑ “2015 Jリーグ スタジアム観戦者調査 サマリーレポート (PDF)”. 日本プロサッカーリーグ. . 2016閲覧.
- ↑ “クラブ経営状況、2014年度(平成26年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. . 2016閲覧.
- ↑ 中山淳 『Jクラブ歴代ユニフォーム完全カタログ 西日本編』 えい出版社、170頁。
- ↑ “スポンサー募集! Jリーグユニ背面下部の広告解禁”. 日刊スポーツ. (2015年12月15日) . 2015閲覧.
- ↑ “No.180 Jリーグも固定番号制に”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1997年2月17日). . 2012.5.2閲覧.
- ↑ Jリーグ背番号変更が可能に スポニチ2018年5月30日
- ↑ 『週刊サッカーマガジン 2003年5月27日号』 ベースボール・マガジン社。
- ↑ “2012Jリーグ公式試合球として“TANGO 12(タンゴ12)”を使用” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2011年12月19日), オリジナルの2011年12月20日時点によるアーカイブ。 . 2011閲覧.
- ↑ 5月の1か月間はJリーグ発足20周年記念として「タンゴ12コトホギ」が使用された。
- ↑ “2014Jリーグ公式試合球として『brazuca(ブラズーカ)』を使用” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年12月9日) . 2013閲覧.
- ↑ “2015Jリーグ公式試合球として『コネクト15』を使用” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2014年12月9日) . 2014閲覧.
- ↑ “2016Jリーグ公式試合球として『ERREJOTA(エレホタ)』を使用 2016Jリーグヤマザキナビスコカップ 特別デザイン試合球を使用” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2015年12月15日) . 2016閲覧.
- ↑ “2017Jリーグ公式試合球として『クラサバ(KRASAVA)』を使用” (プレスリリース), 公益社団法人日本プロサッカーリーグ, (2016年12月13日) . 2016閲覧.
- ↑ J リーグ規約(平成26年1月21日改正) (PDF) - 日本プロサッカーリーグ
- ↑ 128.0 128.1 “2017年Jリーグトップパートナー&オフィシャルテクノロジーパートナー契約決定” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年6月30日)
- ↑ 129.0 129.1 129.2 “Jリーグ、DAZN、NTTグループ 「スマートスタジアム事業」協業契約締結 ~スタジアム・ホームタウンのICT化で、日本のスポーツ界に新たな感動と体験を~” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2016年7月20日)
- ↑ “Jリーグオフィシャルブロードキャスティングパートナー決定” (プレスリリース), 公益社団法人日本プロサッカーリーグ, (2017年1月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “JリーグオフィシャルECプラットフォームパートナー決定” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年4月24日)
- ↑ “2015年Jリーグサポーティングカンパニー契約決定” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2015年11月24日)
- ↑ “2017年Jリーグサポーティングカンパニー契約決定” (プレスリリース), 公益社団法人日本プロサッカーリーグ, (2017年5月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “株式会社電通と「Jリーグ マーケティングパートナー」契約に基本合意” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年12月17日)
- ↑ “【2005-2007 Jリーグオフィシャルスポンサー】” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2004年12月21日)
- ↑ “GEコンシューマー・ファイナンス株式会社がJリーグオフィシャルスポンサーに決定” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ
- ↑ 137.0 137.1 “Jリーグ - 2015年Jリーグアソシエイト契約決定” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2015年1月30日) . 2015閲覧.
参考文献
- Jリーグ法務委員会 池田正利+小竹伸幸 『Jリーグ、プロ制度構築への軌跡』 自由国民社、1993年。ISBN 4-426-46000-X。
- 生方幸夫 『Jリーグの経済学』 朝日新聞社、1994年。ISBN 4-02-256698-1。
- 大住良之 『Jリーグ群像 夢の礎』 アストロ教育システム あすとろ出版部、1995年。ISBN 4-7555-0857-6。
- 財団法人 日本サッカー協会75年史編集委員会 『日本サッカー協会75年史』 ベースボール・マガジン社、1996年。ISBN 4-583-03337-0。
- 大住良之・後藤健生 『日本サッカーは本当に強くなったのか』 中央公論新社、2000年。ISBN 978-4-12-003044-4。
- 仮野忠男 『新時代へのキックオフ』 角川書店、2001年。ISBN 4-04-883696-X。
- 平塚晶人 『空っぽのスタジアムからの挑戦』 小学館、2002年。ISBN 4-09-366481-1。
- 後藤健生 『日本サッカー史・代表編 日本代表の85年』 双葉社、2002年。ISBN 4-575-29489-6。
- 広瀬一郎 『「Jリーグ」のマネジメント』 東洋経済新報社、2004年。ISBN 4-492-50128-2。
- 読売新聞解説部 『時代の証言者13 「サッカー」長沼健』 読売新聞社、2006年。ISBN 4-643-06006-9。
- 川淵三郎 『川淵三郎 虹を掴む』 講談社、2006年。ISBN 4-06-212676-1。
- 『日本サッカー狂会』 国書刊行会、2007年。ISBN 978-4-336-04848-6。
- 濱口博行 『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』 朝日新聞出版、2010年。ISBN 4-02-100903-7。
- 木之本興三 『日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記』 ワニブックス、2013年。ISBN 4-8470-9165-5。
- 木村元彦「[21年目の真実] Jリーグ創造記 森健兒、木之本興三の回想」、『サッカー批評』第62号、2013年5月。
関連項目
試合関連
- 世界のサッカー
- 日本のサッカー大会一覧
- 日本サッカーのリーグ構成 (1種)
- Jリーグの試合中止例
- 公式試合安定開催基金
- ファミリーJoinデイズ
- 譲渡試合
- 反則ポイント
- 日本のダービーマッチ
- プレシーズンマッチ
下部組織によるリーグ戦
- Jリーグ U-13(中学1年生年代)
- Jリーグ U-14(中学2年生年代)
- Jリーグ U-16チャレンジリーグ(中学3年・高校1年生年代)
- Jユースカップ(高校生年代)
クラブ関連
- Jリーグ百年構想
- 地域密着
- クラブチーム
- ホームタウン
- オリジナル10
- Jリーグ加盟を目指すクラブ
- Jリーグ所属クラブの下部組織チーム一覧
- Jリーグクラブライセンス制度
- Jリーグ準加盟制度
- Jリーグセミナー
選手関連
- プロフェッショナル (サッカー)
- 日本のサッカー選手一覧
- Jリーグのクラブに所属するサッカー選手のクラブ別一覧
- Jリーグの外国籍選手一覧
- Jリーグにおける選手の出場諸条件
- Jリーグの選手契約条件
- Jリーグ合同トライアウト
- レンタル移籍
- 特別指定選手
- Jリーグ マン・オブ・ザ・マッチ
- Jリーグ選手協会
- Jリーグ選手OB会
- 外国人枠 (サッカー)
- 社員選手
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
報道関連
- 放映権 (サッカー)
- Jリーグ中継
- サッカー専門誌
- Jリーグメディアプロモーション(公式映像製作)
海外の提携リーグ
- タイ・プレミアリーグ(2012年2月、パートナーシップ協定締結)
- ベトナムサッカーリーグ(2012年8月、パートナーシップ協定締結)
- ミャンマーサッカーリーグ(同上)
- カンボジア・リーグ(2013年5月、パートナーシップ協定締結)
- Sリーグ(2013年6月、パートナーシップ協定締結)
- インドネシア・スーパーリーグ(2014年1月、パートナーシップ協定締結)
- イランサッカーリーグ(2015年1月 - 2017年、パートナーシップ協定締結)
- マレーシア・スーパーリーグ(2015年2月、パートナーシップ協定締結)
- カタール・スターズリーグ(2015年5月、パートナーシップ協定締結)
- Aリーグ(2016年5月、戦略的連携協定締結)
- ラ・リーガ(2017年6月、戦略的連携協定締結)
その他
- Jリーグアウォーズ
- Jリーグベストイレブン
- Jリーグチェアマン
- Jリーグ監督経験者
- Jリーグ歴代記念ゴール達成者一覧
- 日本のサッカー
- Jリーグオフィシャル書籍
- スポーツ振興くじ(toto、サッカーくじ)
- フラッグスタウン(オフィシャルショップ)
- J's GOAL(かつて存在した公認ファンサイト、2015年2月にJリーグ公式サイトと統合)
- Jリーグ・マッチスケジューラー(日程くん)
- ワンタッチパス(Jリーグ全試合対象観戦記録システム)
- Jリーグ イレブンミリオン プロジェクト
- Jリーグ特命PR部
- Jクロニクルベスト
- Jリーグで始まる記事の一覧
- キャプテン翼
- 仮面ライダーシリーズ・スーパー戦隊シリーズ(2013年よりJリーグとテレビ朝日・東映3社協同によるコラボキャンペーンを実施し、Jリーガーも映画に出演している)
- 足立梨花(2010・2011・2012 Jリーグ 特命PR部 女子マネージャー、Jリーグ名誉女子マネージャー)
- 佐藤美希(2015・2016・2017 Jリーグ女子マネージャー、Jリーグ名誉マネージャー)
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- Jリーグ規約・規定集(Jリーグに関する規定がすべて閲覧可能)
- Jリーグチャンネル - 公式YouTubeチャンネル
- 日本プロサッカー選手会
- Jリーグ選手OB会公式サイト
- Jリーグ 公式ブログ
- テンプレート:日本のサッカー
Jリーグアウォーズ表彰者 |
---|
|