ギラヴァンツ北九州
ギラヴァンツ北九州 | |
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原語表記 | ギラヴァンツ北九州 |
呼称 | ギラヴァンツ北九州 |
クラブカラー | イエロー[1] |
創設年 | 1947年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 福岡県北九州市[1] |
ホームスタジアム | バックスタンドからメインスタンドを見るミクニワールドスタジアム北九州[1] |
収容人数 | 15,300[1] |
運営法人 | 株式会社ギラヴァンツ北九州[1] |
代表者 | 玉井行人 [1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
ギラヴァンツ北九州(ギラヴァンツきたきゅうしゅう、Giravanz Kitakyushu)は、福岡県北九州市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
Contents
概要
1947年に創部された三菱化成黒崎サッカー部が前身となり[1]、2010年に九州地区ではロアッソ熊本に次いで5番目の、福岡県ではアビスパ福岡に次いで2番目のJリーグ加盟クラブとなった。運営会社は株式会社ギラヴァンツ北九州である(2011年2月に株式会社ニューウェーブ北九州から商号を変更)[1]。
クラブ名称の「ギラヴァンツ」(Giravanz)はイタリア語で『ひまわり』(北九州市の市花)を意味する "Girasole" と『前進する』という意味の "Avanzare" を組合せた造語である[1]。
北九州市1市をホームタウンとしている[1] が、北九州市周辺の自治体との間で「スポーツの振興や地域の活性化、住民サービスの向上を図ること」を目的とした「フレンドリータウン協定」を締結しており、2014年2月20日の遠賀郡水巻町[2]を皮切りに北九州市周辺の6市11町[注 1]と締結している。
チームマスコットは、ズグロカモメをモチーフとしたギラン(Giran)。2010年にウェービー(Wavy)より名称を変更している[1]。
歴史
前史
1947年(昭和22年)、三菱化成工業黒崎工場(現・三菱化学黒崎事業所)内にサッカー部が創部[1]。九州リーグではリーグ優勝7回の成績を納める。
2001年4月、北九州市と地元企業などが共同でJリーグ入りを目指す任意団体「北九州フットボールクラブ」を設立(2004年にNPO法人に移行)。2001年から三菱化学黒崎サッカー部の運営を引き受け[1]、市民主導のクラブチーム「ニューウェーブ北九州」として再出発する。2007年に九州リーグで優勝、全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。同年にはJリーグへの準加盟承認を受け[1]、同年に運営法人を株式会社化。2009年、JFLで4位の成績を収め、2010年からのJリーグ加盟が承認された[1]。
2010年 - 2016年(J2)
年度 | 節 | 会場 | スコア | 相手 | 年度 | 節 | 会場 | スコア | 相手 | |
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2010 | 4 | Ksスタ | 0-0△ | 水戸 | 2010 | 23 | 鳴門大塚 | 4-4△ | 徳島 | |
5 | 本城 | 0-3● | 千葉 | 24 | 本城 | 0-2● | 柏 | |||
6 | 富山 | 0-1● | 富山 | 25 | 長良川球 | 0-1● | FC岐阜 | |||
7 | 本城 | 1-1△ | 栃木SC | 26 | 本城 | 2-2△ | 岡山 | |||
8 | 大銀ド | 0-0△ | 大分 | 27 | 本城 | 0-1● | 草津 | |||
9 | 本城 | 0-1● | FC岐阜 | 28 | 味スタ | 0-4● | 東京V | |||
10 | カンスタ | 0-0△ | 岡山 | 29 | 本城 | 1-1△ | 大分 | |||
11 | 正田スタ | 1-1△ | 草津 | 30 | 栃木グ | 0-2● | 栃木SC | |||
12 | 本城 | 0-1● | 札幌 | 31 | レベスタ | 0-2● | 福岡 | |||
13 | ニンスタ | 1-1△ | 愛媛FC | 32 | 本城 | 1-2● | 富山 | |||
14 | 本城 | 0-1● | 福岡 | 33 | 小瀬 | 0-6● | 甲府 | |||
15 | ベアスタ | 2-3● | 鳥栖 | 34 | 本城 | 0-3● | 愛媛 | |||
16 | 本城 | 0-0△ | 甲府 | 35 | フクアリ | 1-2● | 千葉 | |||
17 | 日立柏 | 0-2● | 柏 | 36 | 本城 | 0-1● | 鳥栖 | |||
18 | 本城 | 2-2△ | 熊本 | 37 | 熊本 | 0-3● | 熊本 | |||
20 | 本城 | 1-1△ | 水戸 | 2011 | 1 | 本城 | 0-3● | 千葉 | ||
21 | 札幌厚別 | 0-2● | 札幌 | 8 | 本城 | 0-2● | 鳥取 | |||
22 | 本城 | 1-4● | 横浜FC | 9 | ニンスタ | 3-0○ | 愛媛 |
2010年
- チームスローガン:感動創出
与那城ジョージが監督を続投(4年目)。商標上の問題から、2月にチーム名を「ギラヴァンツ北九州」と改めた(7月23日に商標登録を出願)[9]。
甲府から時久省吾、福岡から長野聡とウェリントン、熊本から河端和哉、水戸から村松潤を完全移籍で、柏から池元友樹(北九州へは4年ぶりの復帰)をレンタル移籍で獲得した。前シーズン途中に徳島よりレンタル移籍していた大島康明を完全移籍で獲得。さらにシーズン途中の7月に栃木SCからレオナルド、ペルセラ・ラモンガン(インドネシア)から小森田友明を獲得した。
Jリーグ初戦は横浜FCに敗れたが、第3節(東京V戦)でJリーグ初勝利(及び初勝ち点)を挙げた。
その後は得点力不足(年間で2得点以上は全36試合の内4試合)および守備崩壊(無失点は全36試合の内5試合、第17節以降シーズン最終戦まで20試合連続計47失点、うち4失点3試合6失点1試合)に苦しみ、第33節の甲府戦に敗れリーグ戦1シーズン29試合連続勝ち試合なし(それまでは2003年シーズンの鳥栖)、11月20日の千葉に敗れリーグ戦31試合連続勝ち試合なしのそれぞれJリーグワースト記録を更新した(それまでは2003年から2004年シーズンの鳥栖)[10]。
Jリーグ初年度は最下位で、リーグ戦年間1勝のJリーグ最少記録、リーグ戦ホームゲーム年間1勝も併せてJリーグワースト記録[注 2] で、リーグ戦アウェイゲーム年間無勝利は2003年の鳥栖に並ぶワーストタイ。シーズン終了後に与那城が監督を退任、三浦泰年が2011年2月1日付で後任監督に就任した[11]。ニューウェーブ北九州時代からプレーしてきた選手を含む多くの選手が退団・移籍した。
天皇杯は、9月5日に行われた2回戦で草津戦に勝利して、リーグ戦の東京V戦以来約5ヶ月半ぶりに公式戦勝利を挙げた[注 3]。
2011年
- チームスローガン:一心
2011年は、三浦に監督が交代した以外にコーチ陣も一新。新たにゴールキーパー専門のコーチも導入した。
また、清水から永畑祐樹、札幌から佐藤優也、川崎から木村祐志、G大阪から安田晃大、栃木から宮本亨、林祐征を完全移籍で、東京Vから福井諒司、横浜FCから橋村祐太、FC東京から森村昂太(前年度所属は水戸)をレンタル移籍で獲得。開幕後は3月に金水連(8月に契約解除、公式戦出場なし)、4月に呉勝録、7月に金鐘必と韓国人選手を獲得した。さらに前年度所属選手のうち、特別指定選手であった多田高行(鹿屋体育大学)が正式に入団したほかレンタルだったレオナルドは完全移籍へ移行、池元友樹のレンタル期間も延長された。
一方で、7月に佐野裕哉がSC相模原へレンタル移籍、河内勇太が契約満了により退団した。
2月9日から19日まで、長崎県島原市で前身を含め球団創設以来初となるキャンプを行い、主将に移籍1年目のMF木村が就任[12]。
開幕戦(千葉戦)、東日本大震災による中断後の初戦(第8節・4月24日、鳥取戦)と連敗したが、第9節(4月30日)愛媛戦に勝利し、前年からの連続試合未勝利を35(12分23敗)で止めた。また、第13節(5月22日)京都戦で初のホーム連勝、第14節(5月29日)富山戦(ホーム)で初の連勝を飾った。
第19節(7月2日)大分戦に勝利してバトルオブ九州初勝利。第23節(7月30日)でFC東京、第3節(8月5日)で徳島と当該節時点での首位を連破。また、第36節(11月20日)で同じく2位の鳥栖に勝利(後半戦19試合での鳥栖の敗戦はこの試合のみ)して、シーズン目標の「勝点56」を達成、順位も一時は5位へ上げた。
シーズンを通して、連敗は2度のみ(うち一度は開幕からの2連敗)で、最終順位は8位となり、前年の最下位から順位を上げた。
その一方で、Jリーグでのアンフェアなプレーによる反則ポイントは、2010年の125[13] から180[14] へと増加し、制裁措置となる反則金の金額も前年の60万円[13] から150万円[14] へと増えた。特に2011年シーズンでは反則ポイント・反則金の金額ともJ1・J2の38クラブを通じて最多であった[14]。
2012年
- チームスローガン:一心(前年度より継続)
大宮から新井涼平(前年度所属はFC岐阜)、徳島から登尾顕徳、水戸から常盤聡を完全移籍で、甲府から加部未蘭、東京Vからキローラン木鈴、キローラン菜入、高野光司、清水から竹内涼、横浜FMから端戸仁をレンタルで獲得した。さらに渡大生(広島皆実高校)と、前年度特別指定選手だった武田大(東京学芸大学)が入団した[15] ほか、柏よりレンタル移籍していた池元友樹とFC東京からレンタル移籍していた森村昂太を完全移籍で獲得した。
一方で、重光貴葵、桑原裕義が引退、河端和哉(長崎へ移籍)、宮川大輔(SC相模原へ移籍)、佐藤真也、呉勝録が契約満了により退団し、時久省吾が岐阜へ完全移籍、水原大樹が讃岐へレンタル移籍、東京Vからのレンタルだった福井諒司が復帰(その後、柏へ完全移籍)、佐野裕哉が相模原へ完全移籍した。
リーグ戦は、第7節終了時にJ1昇格プレーオフ圏内の6位に浮上。第28節の大分戦(8月12日)から第34節(9月17日)の千葉戦まで6勝1分の成績を残した。第29節(8月19日)の福岡ダービーで、過去3戦3敗の福岡に初勝利。また、バトルオブ九州も2連覇を達成した。
9月28日、2013年度のJリーグクラブライセンス申請において、J2ライセンスの交付を受けた[16]。これにより本シーズン終了後のJ1昇格は無くなった。なお、最終成績は9位で、勝点は前年の58を上回る64を獲得した。
天皇杯は初戦(2回戦)でFC町田ゼルビアにPK戦で敗退。シーズン終了後に三浦が監督を退任した。
6月には渡大生がAFC U-22アジアカップ2013 (予選)のU-19日本代表に選出され、クラブ史上初めての代表選手となった。
2013年
- チームスローガン:一新
監督に京都や山形の元監督の柱谷幸一が就任[1]、前伊賀FCくノ一監督の大嶽直人がトップチームヘッドコーチに就任。常盤聡、佐藤優也、安田晃大、関光博、金鐘必、関光博らが東京V、新井涼平が甲府、木村祐志が大分、川鍋良祐が松本にそれぞれ完全移籍。また、クラブが長期的な方針として期限付き移籍による補強(2012年は所属29選手中7選手)を減らし、大卒ルーキーを積極的に獲得する方向に転換したこともあって[17]、期限付き移籍満了でDFキローラン木鈴、GKキローラン菜入が東京Vに、端戸仁、竹内涼がそれぞれ横浜FMと清水に復帰、高野光司は所属元の東京Vから町田に期限付き移籍した。さらに加部未蘭は福岡大学に進学、大島康明および林祐征が引退、水原大樹および鈴木慎吾が退団(その後、アルビレックス新潟シンガポールへ移籍)。2012年から継続して在籍している選手は7名となった。
一方で栃木SCからGK武田博行とMF鈴木修人、京都からMF内藤洋平、関西リーグ・アミティエSCからDF松本陽介、横浜FCからMF八角剛史とDF渡邉将基、大分からMF小手川宏基、湘南からGK松本拓也、山形から前田和哉、札幌から大島秀夫、韓国・大田のキム・ドンフィを完全移籍で、韓国・水原のアン・ヨンギュ、大宮から李根鎬を期限付き移籍で獲得。また、九州共立大学から柿本健太、桃山学院大学から谷口功等大卒5名、高卒1名が加入した。さらに7月1日にセレッソ大阪から井上翔太を2014年1月31日までの期限付き移籍で獲得した。
リーグ戦は、第3節時点で10位につけたのがシーズン最高順位となった。第8節の福岡戦から第13節の札幌戦まで6連敗を喫し、第11節から第14節まで21位へ順位を落とした。第19節の熊本戦でリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録したが、第21節から第26節まで6試合勝ちなし(2分4敗)で第27節時点で20位と低迷。9月に3勝1分1敗[注 4] の成績を残して、第35節時点で16位へ順位が上昇。ただし、年間通して公式戦で3連勝以上を挙げることが無く、最終順位は昨年度を下回る16位の成績。なお、バトルオブ九州は2勝4敗の成績で3年連続の優勝は成らなかった。天皇杯は、3回戦でJFL・AC長野パルセイロにPK戦で敗れた。
9月30日、2014年度のJリーグクラブライセンス申請において、2013年度に続きJ2ライセンスの交付を受け、その際、「2014年度末までに債務超過を解消する方法について具体的に提出すること」という旨の是正通達を受けた[18]。
2014年
- チームスローガン:一進
柱谷体制2年目。武田博行がC大阪、森村昂太が福岡、武田大が鹿児島へいずれも完全移籍、松本陽介と、キム・ドンフィ、アン・ヨンギュ、ナム・イルウの韓国籍3選手とは契約を更新せず、大宮から期限付き移籍していたイ・グノとの契約も満了(後に秋田に期限付き移籍)、また、谷口功が鹿児島へ期限付き移籍することとなった。一方、京都から原一樹、湘南から下村東美、川崎から風間宏希、G大阪から星原健太、鹿島から川島大地、秋田から鈴木彩貴がいずれも完全移籍で、浦和から大谷幸輝が期限付き移籍でそれぞれ加入し、2013年度途中にC大阪から期限付き移籍で加入していた井上翔太が完全移籍することとなった。また、新人として関西大学から寺岡真弘が加入した。なお同年のJ1、J2所属40クラブの中で唯一、シーズンを通して外国籍の選手がいないクラブとなった。
前年のチームをベースに風間・星原・大谷などがレギュラーの座をつかみ、堅い守備陣を構築。12節富山に勝利してクラブ最高順位の4位に躍進。これ以降は一度も6位以下に下ることなく最終的に5位でリーグ戦を終えた。なお、J2ライセンスの交付となったため、J1昇格プレーオフへの出場は成らなかった。
天皇杯ではJ2東京V、前年度天皇杯王者J1横浜FM、J1甲府に勝利し、クラブ初となるベスト8進出を果たした(準々決勝でJ2山形に敗戦)。
2015年
- チームスローガン:一心 〜夢へホップ!〜
チームスローガンについては、新スタジアム完成が予定されている2017年シーズンに向けてJ1昇格という目標にステップアップするという意味で、3年分一斉に発表され、2016年は「一心 〜夢へステップ!〜」、2017年は「一心 〜夢へジャンプ!〜」とされた[19]。
柱谷体制3年目。前シーズン全公式戦に出場したGK大谷幸輝が、期限付き移籍期間終了で浦和に復帰、前身のニューウェーブ北九州時代を知るFW池元友樹が松本へ、DF冨士祐樹が岐阜へ共に完全移籍。さらにDF渡邉将基が甲府へ、GK松本拓也と地元出身のFW柿本健太は秋田へ、前シーズンから期限付き移籍中のDF谷口功がJFL・鹿児島へ、DF田中優毅が中国リーグ・松江シティFCへいずれも完全移籍。DF下村東美、MF鈴木修人が引退(鈴木は明治学院大学サッカー部コーチに就任)、また、Kyuリーグ時代の2007年から通算8年間在籍し、2013年度からは地域コミュニケーターだった藤吉信次が東京Vユース監督に就任するためクラブを離れた。一方、湘南からGK阿部伸行、群馬からMF加藤弘堅、大分からFW小松塁(2013年シーズンから長崎に期限付き移籍中)、栃木からFW近藤祐介、横浜FCからDF西嶋弘之、千葉からFW大塚翔平がいずれも完全移籍加入し、新人として福岡大学から弓崎恭平、近畿大学からGK中山開帆、鹿屋体育大学からMF小谷健悟の3名が加入、さらに、前シーズンU-18チームから2種登録選手として登録されていたDF梶原夕希也が正式にプロ契約となった。
J2参入6シーズン目にして初めてホーム開幕戦(第2節)・徳島戦で勝利したものの、その後3試合無得点で3連敗し、第5節終了時点で降格圏となる21位にまで順位を下げる。第6・7節を連勝して降格圏を脱し、暫くは連勝連敗を繰り返したが、第15節・千葉戦からJ2参入後新記録となるリーグ戦4連勝を含む5試合負けなしで一旦10位まで順位を上げ、前半戦は9勝2分10敗勝点29の13位で終える。後半戦はリーグ戦で2連勝3回2連敗2回と一進一退の戦績を繰り返していたが、10月以降の8試合で5勝1分2敗で順位を上げ、2年連続プレーオフ圏内となる6位以内こそならなかったものの、最終的に6位長崎と勝点差1の7位でシーズンを終えた。
小松塁がクラブ新記録かつ自己最多の18ゴールを挙げ、J2得点ランキングでジェイ(磐田)、ムルジャ(大宮)に続く3位(日本人選手では1位)となったほか[20]、原一樹も13ゴールで7位タイとなるなど、チームの総ゴール数は59で全22チーム中4位と攻撃面で躍進した一方、守備面では前年度のレギュラーが3人抜けたこともあり不安定な状況が続き、岐阜・栃木に次ぎ、横浜FCと並んで22チーム中ワースト3位の58失点であったため得失点差は僅か+1。また順位こそ7位ながら、勝敗では18勝5分19敗と負け越しとなった。また、反則ポイントが-5と初めてマイナスとなり、2014年に続き2年連続でフェアプレー賞を受賞した[21]。
2016年
- チームスローガン:一心 〜夢へステップ!〜
柱谷体制4年目。1月1日付で、2008年10月にクラブ運営会社が株式会社化されて以来7年以上社長を務めた横手敏夫が退任、強化本部長の原憲一が後任の社長となり、発表日前日(2015年12月15日)付で福岡取締役を退任したばかりの野見山篤が原の後任の強化本部長に就任[22]。コーチの大嶽直人が京都ヘッドコーチに就任のため退団[23]、後任に元長野監督の美濃部直彦が就任した[24]。
選手では、FW大塚翔平(川崎に移籍)、DF宮本亨(現役引退し福岡U-18コーチに転身)が契約満了に伴い退団。東海リーグ・FC鈴鹿ランポーレへ期限付き移籍中のMF山之内優貴との契約も満了(後に大分に移籍)となった。また、FW渡大生が徳島に完全移籍した。一方、長崎からMF石神直哉[25]、MF花井聖[26] と地元出身のDF刀根亮輔(名古屋から期限付き移籍中)[27] を、さらに鹿島を退団した地元出身のMF本山雅志[28] をそれぞれ完全移籍で獲得。また、前年松本に移籍したFW池元友樹が完全移籍により復帰した[29]。
シーズン前には、監督・スタッフが「100点満点(の補強)。自分がやれる事は全てやれた」とプレーオフ圏内を目指すことを明言[30]、J2加盟7シーズン目にしてクラブ初となる開幕戦勝利を挙げたものの、続く第2節の山口戦から11試合連続未勝利(5分6敗)を記録、第9節終了時には“J3降格圏”となる21位に転落する。第13節でシーズン2勝目を挙げるも以後4連敗を喫し、第16節終了時には、2010年シーズン以来となるJ2最下位となる[31]。
こうした状況を受けて、夏の移籍期間には大宮からDF福田俊介、長崎からFWロドリゴをいずれも期限付き移籍で獲得。鹿屋体大のDF福森健太が特別指定選手で加入した。ロドリゴは北九州としては2013年以来3シーズンぶりの外国籍選手となった。
第20節・21節とシーズン初の連勝を記録してJ2残留圏となる20位まで浮上したものの、結果的にこれがリーグ戦唯一の連勝となり、後半戦に入り8試合連続未勝利(4分4敗)となる。特に、後半戦最初の試合となった第22節山口戦では5失点を喫した。第25節終了時には再び最下位に転落し、その後もなかなか浮上のきっかけをつかめないままシーズンが過ぎる。第39節対長崎戦に引き分け一旦20位に浮上するものの、長崎戦を含む最終4節で勝利出来ず(2分2敗)、最下位の金沢と勝ち点差なしの21位で迎えた最終節で山形に敗れ、首位札幌と引き分けた金沢に抜かれ最下位が確定、初めてJ1ライセンスを取得した年にJ3降格となった[32]。
敗戦数こそほぼ変わらないものの、勝ちきれない試合が増え、特にアディショナルタイムでの失点が増加[33]。後半44分以降に失点した試合が実に42試合中13試合に上り、失点64は岐阜・群馬に次ぐJ2リーグワースト3位となったことが戦績に大きく影響した。
天皇杯では、2回戦で徳島に敗れ敗退。
シーズン終了後、柱谷が監督を退任し[34]、美濃部・吉満・豊島の各コーチの退任[35]が相次いで発表された。
2017年 - (J3)
2017年
- チームスローガン:一心 〜夢へリスタート〜
監督に長崎でU-18監督などを務めていた原田武男が就任[36]。ヘッドコーチに東京Vジュニアユースコーチの萩村滋則を、GKコーチに元神戸・鳥取GKコーチの武田治郎を、コーチに湘南トップチームアシスタントコーチの齋藤直幸を招聘した。
DF多田高行・FW大島秀夫が現役引退、MF風間宏希が山形、FW原一樹が讃岐、MF新井純平とDF寺岡真弘が長野、MF小手川宏基が古巣大分、DF星原健太が松本、GK鈴木彩貴が横浜FMへいずれも完全移籍。GK阿部伸行(長野に移籍)とDF市川恵多(群馬に移籍)が契約満了で退団。2016年シーズン途中に長崎から期限付き加入したFWロドリゴも契約満了により退団となった。
一方、同じく前年途中に大宮から期限付き移籍で加入していたDF福田俊介が完全移籍加入したほか、福岡からFW平井将生とFW中原秀人(中原は特別指定選手時代以来の北九州復帰)、長崎からMF神崎大輔、横浜FMからGK高橋拓也、JFL・奈良から前年度JFL新人王のMF茂平がいずれも完全移籍で加入。また熊本からDF鈴木翔登、長崎からMF小野寺達也、千葉からDF浦田樹(前年は琉球へ期限付き移籍)、金沢からFW水永翔馬、山形からGK山岸範宏が、それぞれ期限付き移籍で加入した。また新人として、前年度特別指定選手だったDF福森健太と、MF紀藤隆翔(三重高校)が新加入した。主将には地元出身の池元友樹が就任し、副将に八角剛史と加藤弘堅が選ばれた[37]。またシーズン開始後の3月に中国超級・上海上港から孫峻崗を期限付き移籍で獲得(シーズン終了前の11月29日に契約期間終了で退団[38])した。
年頭の出陣式で、監督、選手ともに「1年でのJ2復帰」を明言[39]、同年からホームスタジアムとなったミクニワールドスタジアム北九州では、開幕戦の秋田戦を引き分けた後はホーム5連勝を挙げるなど、前半戦(17試合)でホームでは6勝1分1敗と相性の良さを見せたものの、逆にアウェーでは2勝2分5敗と低迷。特に昇格を争う上位陣に全く勝てなかったことが影響し、前半終了時点で7位と低迷。
天皇杯では、2009年以来の県予選参加となり、決勝で九州産業大学に3-2で勝利し本大会出場を果たす[40]。1回戦では香川県代表のアルヴェリオ高松に10-0と大勝したものの、2回戦で清水エスパルスに1-4と完敗した。
中断期間中の8月1日、同年から移籍加入していたMF中原秀人が鹿児島に完全移籍する一方[41]、8月9日には、栃木からFW安藤由翔が完全移籍で[42]、同12日には、金沢からMF山藤健太が期限付き移籍で[43]それぞれ加入した。
後半戦に入っても上位陣にはなかなか勝てず、前半戦で相性が良かったホームゲームでも3勝1分4敗と負け越し、さらに下位チームにも敗戦を喫するなど上昇気流に乗れず、9月に入り第22節からの8試合で5試合連続未勝利を含む1勝2分5敗と低迷、10月29日、他チームの第29節の結果によりシーズン3位以下が確定して「1年でのJ2復帰」を逃した。最終的に、3連勝以上することが一度もないまま、13勝7分12敗の勝点46、9位でシーズンを終えた。
なお、シーズン終了前の10月25日、ゼネラルマネージャーの野見山篤のシーズン終了後の退団を発表[44]。11月21日には、監督の原田武男がシーズン終了を以って退任すること[45]、コーチの齋藤直幸、GKコーチの武田治郎も契約満了により退団となることが発表された[46]。12月18日には萩村滋則ヘッドコーチの退任も発表され、監督コーチ陣が総退陣となった[47]。
さらに12月5日には社長の原憲一が年内いっぱいで退任することが明らかにされた[48]。
1年でのJ2復帰を逃した結果を受け、当時の北九州市長・北橋健治は11月1日の定例会見で、市そのものの財政状況が厳しいこともあり市が拠出している年間6,000万円の運営補助金やミクニワールドスタジアムの利活用方法について支援のあり方を見直す意向を示している[49]。
明るい話題としては、シーズン終了直前にDF浦田樹がU-20日本代表に選出されている[50]。
2018年
- チームスローガン:to the next stage 〜この北九州(まち)とともに〜
原の後任社長として元西日本新聞社北九州本社代表の玉井行人が就任[48]。前ヴェルスパ大分監督の佐野達を強化育成本部長に招聘[51]。前九州産業大学サッカー部監督で、金沢前監督の森下仁之が監督に就任[52]、GKコーチには前鳥栖GKコーチの高嵜理貴を招聘した[53]。
前年末に報道された、北九州市からの補助金については、同市議会で前年比1000万円減の5000万円の補助金交付が承認された[54][55]。
DF西嶋弘之、DF前田和哉(後日アカデミーU-15コーチ就任)、MF八角剛史が現役引退、DF石神直哉(FCマルヤス岡崎に移籍)、DF弓崎恭平(富山に移籍)、DF梶原夕希也(現役引退、スクールコーチ就任)、MF神崎大輔(現役引退)、FW小松塁(現役引退、C大阪サッカースクールコーチ就任)が契約満了[56][57]、DF鈴木翔登(熊本に復帰)、MF山藤健太(金沢に復帰)、FW水永翔馬(テゲバジャーロ宮崎へ移籍)が期限付き移籍期間満了でいずれも退団。DF刀根亮輔が大分へ完全移籍した[58]。
一方、前年度期限付き加入していたGK山岸範宏(山形から)、DF浦田樹(千葉から)、MF小野寺達也(長崎から)がいずれも完全移籍に移行。秋田からDF有薗真吾[59]、藤枝からDF川島將、福島からMF川上竜、琉球からFW前田央樹がいずれも完全移籍、G大阪からDFぺ・スヨンが期限付き移籍でそれぞれ加入。DF野口航(筑波大学)、MF藤原奏哉(阪南大学)、FW佐藤颯汰(日章学園高校)が新加入。さらに、J3リーグ開幕後(但し北九州の初戦前)になり、高知ユナイテッドSCからFWチョン・ウォンジェを期限付き移籍で、清水からDF村松大輔を完全移籍でそれぞれ獲得。シーズン開幕後の4月6日には元J2得点王で前年松本所属のFWダヴィを、同月27日にはかつて札幌、京都に所属し、前サンベルナルドFC所属のFWフェホをそれぞれ獲得した。
天皇杯は福岡県予選決勝で福岡大学と対戦、1-1で延長戦でも決着がつかずPK戦となり、8-9で敗れ、ニューウェーブ北九州としてKyuリーグ所属だった2007年以来11大会ぶりに本大会出場を逃した。
翌年のJ2復帰を目標に謳ったものの、第3節でシーズン初勝利を挙げ暫定9位になった以外は12位以下に低迷[60]、第8節から5試合連続未勝利(1分4敗)となった第12節終了時には遂に最下位に転落、4連敗かつ開幕からホームゲーム6試合全敗となった第14節YSCC横浜戦の翌日、6月17日に、成績不振を理由に森下仁之監督が解任され[61]、同月20日、後任として柱谷哲二の監督就任が発表された[62]。監督交代後、J3リーグ戦が夏季中断される第19節[63]まで、同年のホームゲーム初勝利を含む公式戦3戦無敗(1勝2分)とはなったものの、中断前最後の試合終了時点で3勝4分9敗の勝点13、暫定最下位を抜け出せなかった。
リーグ戦休止期間中の7月30日、FW平井将生がJFLのFCマルヤス岡崎へ期限付き移籍した[64]。
成績
タイトル・表彰
- カップ戦他
- 福岡県サッカー選手権大会:1回
- 2017
- フェアプレー賞 2014年-2016年
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
- 北九州市立本城陸上競技場[1](八幡西区、2016年まで)
- ミクニワールドスタジアム北九州(正式名称:北九州スタジアム、略称:ミクスタ。小倉北区、2017年から)
本城陸上競技場はギラヴァンツのJリーグ加盟時にJ2開催基準を満たすための改修工事を行い、収容能力が椅子席で10,202人となったが、それでもなおJ1の開催基準のひとつである収容人数15,000人を満たしていなかった。このため北九州市は2013年、小倉駅北側の小倉北区浅野3丁目(小倉駅北口)に、15,000人収容の球技専用スタジアムを建設すると表明[65]。その後の検討を経て建設されたのがミクスタで、正式開業は2017年のJ3リーグ第1節の3月12日となった[66]。スタジアムの名称については施設命名権(ネーミングライツ)が導入され、地元の不動産会社・ミクニが落札した。
スタジアムDJ
練習場・クラブハウス
練習場は北九州市本城公園内の本城運動場と、門司区新門司北の新門司球技場[1]を併用する。新門司球技場については、2009年2月までクラブを運営していた特定非営利活動法人北九州フットボールクラブ(北九州FC)が(新門司球技場を含めた北九州市立新門司体育施設全体の)指定管理者となっている。
クラブハウスは当初新門司球技場内の施設を利用していたが、J1ライセンス基準を踏まえて、2016年から隣接する新門司マリーナの一角にある元レストランを改修し借り上げて使用している[67]。
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
クラブカラー
- 黄、 赤
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 安川電機 | 安川電機 | 2012年、 2017年 - |
2012年は「YASKAWA安川電機」 2017年は「YASUKAWA」表記 2011年はパンツ(「YASUKAWA」表記) 2013年 - 2016年は背中上部 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | なし | |||
背中上部 | TOTO | TOTO | 2012年 - | 2010・2012年はパンツ 2013年 - 2016年は胸 |
背中下部 | なし | |||
袖 | ナフコ | ナフコ | 2010年 - | |
パンツ | ゼンリン | ZENRIN | 2013年 - | 2010年 - 2012年は背中上部 |
トレーニングウェアスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
---|---|---|
練習着 | 第一交通産業 | 第一交通産業 |
ユニフォームサプライヤー
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
2010 - 2012 |
2013 |
2016 |
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2010 - 2012 |
2013 |
2016 |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2010 | Kitakyushu | 解禁前 | ZENRIN | 解禁前 | ナフコ | TOTO | UMBRO |
2011 | TOTO | YASKAWA | |||||
2012 | YASKAWA 安川電機 |
TOTO | |||||
2013 | TOTO | 安川電機 | ZENRIN | bonera | |||
2014 | |||||||
2015 | |||||||
2016 | - | ||||||
2017 | YASKAWA | TOTO | |||||
2018 | 安川電機 | - |
- 2010年の「Kitakyushu」は多数企業の合同スポンサー
- ユニフォームに関する備考
- 2011年 - 2012年のユニフォームのシャツは1stが黄色、2ndは紺色(パンツは白)を採用。なおこの間のザスパ草津戦においては、両方の色が草津の1stユニフォームの色(紺に黄色の縦縞)と重複したため、ホームの草津が2nd(白に紺の縦縞)、アウェーの北九州が1stユニフォームを着用した。
決算
ギラヴァンツ北九州の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 495 | 117 | 111 | 136 | 131 | 493 | 380 | N.A. | N.A. | 2 | 1 |
2011 | 521 | 176 | 78 | 91 | 34 | 584 | 222 | N.A. | N.A. | 0 | 2 |
2012 | 682 | 252 | 98 | 86 | 44 | 675 | 259 | N.A. | N.A. | 0 | 2 |
2013 | 686 | 272 | 88 | 90 | 50 | 673 | 249 | N.A. | N.A. | 0 | 2 |
オフィシャルサプライヤー
- コカ・コーラウエスト
- ギランがデザインされた自動販売機を設置、売り上げの一部をチーム支援に充てている。
スポンサー
メディア
テレビ
下部組織
アカデミーとしてユースチーム(U-18)、ジュニアユースチーム(U-15)を有している。また、若手育成を目的として発足した九州チャレンジャーズリーグに2009年の発足当初より参加している。
なお、「北九州フットボールクラブ」が運営する女子中学生以上を対象とした「ニューウェーブ北九州レディース」、40歳以上を対象とした「ニューウェーブ北九州シニア」が別途存在する。
応援をめぐる騒動
同チームのサポーターが応援する際、横断幕や応援コールで地元北九州の方言で「殴り倒せ」を意味する「ぶちくらせ」という言葉を使用している事について、クラブ側は不適切な表現であるとして、使用禁止を通達した。これに対しサポーター側は反発し、使用を継続したが、2015年11月にクラブ側は使用した者を入場禁止にした[69][70][71][72]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 “ギラヴァンツ北九州(クラブ・選手名鑑)”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-2-8閲覧.
- ↑ “ギラヴァンツ北九州と「フレンドリータウン協定」を締結しました” (プレスリリース), 水巻町公式サイト, (2014年2月21日) . 2014閲覧.
- ↑ “ギラヴァンツ北九州と「フレンドリータウン協定」を締結しました。” (プレスリリース), 芦屋町公式ホームページ, (2014年4月14日) . 2014閲覧.
- ↑ “J2:第7節 北九州 vs 磐田”. J's GOALフォトニュース (2014年4月13日). . 2014閲覧.
- ↑ “宮若市・直方市・小竹町・鞍手町 「フレンドリータウン協定」締結のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州公式サイト, (2015年4月1日) . 2015閲覧.
- ↑ “フレンドリータウン協定合同調印式”. ギラヴァンツ北九州 (2015年5月25日). . 2015閲覧.
- ↑ “飯塚市とフレンドリータウン協定締結”. ギラヴァンツ北九州 (2017年8月22日). . 2017閲覧.
- ↑ 2010年J2は19クラブ体制だったため、第19、38各節は北九州は試合なし。
- ↑ “ニューウェーブ北九州がJリーグ入会” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2009年11月30日) . 2017-2-8閲覧.
- ↑ “ギラ 31戦勝ち星なし Jワースト更新”. 西日本スポーツ. (2010年11月21日) . 2010閲覧.
- ↑ “三浦泰年監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2010年11月30日) . 2010閲覧.それぞれの日付については当日NHK北九州放送局が地域ニュースで報じた。
- ↑ NHK『こんばんは北九州』2011年2月14日放送の「VIVA!ギラヴァンツ」コーナーより
- ↑ 13.0 13.1 “2010Jリーグ アンフェアなプレーに対する反則金” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2010年12月21日) . 2017-2-8閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 14.2 “2011Jリーグ アンフェアなプレーに対する反則金” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2011年12月19日) . 2017-2-8閲覧.
- ↑ “輝け!ギラヴァンツ:サッカー J2 11選手、新天地で活躍誓う--入団会見/福岡”. 毎日新聞北九州版. (2012年1月18日) . 2012年2月26日閲覧.
- ↑ “クラブライセンス交付第一審査機関 (FIB) による 2013シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について” (プレスリリース), Jリーグ, (2012年9月28日) . 2017-2-8閲覧.
- ↑ “J2北九州が大卒積極獲得、「期限付き移籍」転換”. 読売新聞九州版. (2012年12月27日). オリジナルの2013年5月1日時点によるアーカイブ。 . 2013年1月13日閲覧.
- ↑ “2014シーズン Jリーグクラブライセンス交付について”. ギラヴァンツ北九州. (2013年9月30日) . 2013閲覧.
- ↑ “2015クラブスローガン決定のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. (20155-01-01) . 2015閲覧.
- ↑ “【進め! ギラヴァンツ北九州】J2の得点ランキング3位 FW 小松塁選手(32)”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2015年12月3日) . 2016閲覧.
- ↑ “新年のご挨拶”. ギラヴァンツ北九州 (2016年1月1日). . 2016閲覧.
- ↑ “役員人事等についてお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. (2015年12月16日) . 2015閲覧.
- ↑ “大嶽 直人 コーチ 京都サンガF.C.ヘッドコーチ就任のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2015年12月22日) . 2015閲覧.
- ↑ “【北九州】元長野監督の美濃部氏がコーチ就任”. スポーツ報知. (2015年12月24日) . 2015閲覧.
- ↑ “石神直哉選手 ギラヴァンツ北九州へ完全移籍のお知らせ” (プレスリリース), V・ファーレン長崎, (2015年12月8日) . 2015閲覧.
- ↑ “花井聖選手 ギラヴァンツ北九州へ完全移籍のお知らせ” (プレスリリース), V・ファーレン長崎, (2015年12月28日) . 2016閲覧.
- ↑ “名古屋DF刀根はJ2北九州へ 地元出身「J1昇格に力尽くす」”. スポーツニッポン. (2015年12月17日) . 2015閲覧.
- ↑ “鹿島退団のMF本山が北九州に移籍「すべてを出し切りたい」”. ゲキサカ (講談社). (2015年12月26日) . 2015閲覧.
- ↑ “松本FW池元 1年で北九州へ復帰「思うようにいかず、難しい1年に」”. スポーツニッポン. (2015年12月25日) . 2015閲覧.
- ↑ “【2016シーズン始動!】北九州:新体制発表会見での出席者コメント(1)newspaper=J's Goal”. (2016年1月9日) . 2016閲覧.
- ↑ “本山雅志、プロ19年目で初体験の“プレッシャー”。故郷・北九州で挑むJ2残留争い(3/5)”. Football Channel (kanzen Ltd.). (2016年10月28日) . 2016閲覧.
- ↑ “新スタジアムが来春開業も、J3降格…北九州が謝罪「申し訳ない気持ちでいっぱい」”. サッカーキング. (2016年11月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “【北九州】最下位22位転落でJ3自動降格…柱谷監督「全ての責任は自分にある」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2016年11月20日) . 2016閲覧.
- ↑ “柱谷 幸一 監督 退任のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2016年11月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “美濃部 直彦コーチ、吉満 樹フィジカルコーチ、豊島 幸一GKコーチ 契約満了のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2016年11月23日) . 2016閲覧.
- ↑ “原田 武男氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2016年12月12日) . 2016閲覧.
- ↑ “2017シーズン キャプテン、副キャプテンならびに選手会役員決定のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2017年1月20日) . 2017閲覧.
- ↑ “孫 峻崗 選手 期限付き移籍契約期間終了のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年10月29日). . 2017閲覧.
- ↑ “輝け!ギラヴァンツ サッカー 1年でのJ2復帰を 新加入選手発表し、出陣式/福岡”. 毎日新聞. (2017年1月16日) . 2017閲覧.
- ↑ “【天皇杯 県予選決勝】九州産業大学戦の結果”. ギラヴァンツ北九州. (2017年4月9日) . 2017閲覧.
- ↑ “中原秀人選手 鹿児島ユナイテッドFCへ完全移籍のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. (2017年8月1日) . 2017閲覧.
- ↑ “安藤由翔選手 栃木SCより完全移籍加入のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. (2017年8月9日) . 2017閲覧.
- ↑ “山藤健太選手 ツエーゲン金沢より期限付き移籍加入のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州. (2017年8月12日) . 2017閲覧.
- ↑ “野見山 篤 ゼネラルマネージャー退任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年10月25日). . 2017閲覧.
- ↑ “原田 武男 監督 退任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年11月21日). . 2017閲覧.
- ↑ “齋藤直幸コーチ、武田治郎GKコーチ 契約満了のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年11月21日). . 2017閲覧.
- ↑ “萩村 滋則ヘッドコーチ 退任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年12月18日). . 2017閲覧.
- ↑ 48.0 48.1 “株式会社ギラヴァンツ北九州 代表取締役社長交代のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2017年12月5日) . 2017閲覧.
- ↑ “北九州市長がギラに厳しい注文 「チーム一新の覚悟を」 補助金見直しも示唆”. 西日本新聞. 西日本新聞社 (2017年11月2日). . 2017閲覧.
- ↑ “浦田 樹選手 U-20日本代表選出のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年11月30日). . 2017閲覧.
- ↑ “佐野 達氏 強化育成本部長就任のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2017年11月22日) . 2017閲覧.
- ↑ “森下 仁之氏 監督就任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年12月25日). . 2017閲覧.
- ↑ “高嵜 理貴 氏 GKコーチ就任のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年12月27日). . 2017閲覧.
- ↑ “北九州市がギラヴァンツの補助金減額 1000万円減の5000万円に”. 西日本新聞. 西日本新聞社 (2018年2月8日). . 2018閲覧.
- ↑ 平成30年度 一般会計予算に関する説明書(PDF形式:1,966KB)p. 109(web上では119ページ目) (PDF) 北九州市 2018-04-08閲覧
- ↑ “契約満了選手のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年11月22日). . 2017閲覧.
- ↑ “契約満了選手のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2017年12月4日) . 2017閲覧.
- ↑ “刀根 亮輔 選手 大分トリニータへ完全移籍のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年12月21日). . 2017閲覧.
- ↑ “有薗 真吾 選手 ブラウブリッツ秋田より完全移籍加入のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2017年12月20日). . 2017閲覧.
- ↑ 北九州の試合がなかった第1節終了時点の暫定10位を除く
- ↑ “ギラヴァンツ北九州、成績不振で森下仁之監督との契約を解除…新監督は後日発表”. Goal.com (2018年6月17日). . 2018閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「GK180620
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ ただし第17節鹿児島戦は平成30年7月豪雨のため中断再開直前の8月18日に延期、第19節北九州は試合なし。
- ↑ “平井 将生 選手 FCマルヤス岡崎へ期限付き移籍のお知らせ”. ギラヴァンツ北九州 (2018年7月30日). . 2018閲覧.
- ↑ “北九州市、新球技場着工へ 市街地活性化狙う”. 日本経済新聞. (2013年6月26日) . 2013年6月26日閲覧.
- ↑ “ミクニワールドスタジアム北九州グランドオープン”. 北九州市. . 2017閲覧.
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- ↑ “2013シーズンユニフォームサプライヤー決定ならびに新ユニフォームデザイン発表のお知らせ” (プレスリリース), ギラヴァンツ北九州, (2012年10月26日) . 2013-3-26閲覧.
- ↑ “「ぶちくらせ」問題で北九州が見解と経過報告”. ゲキサカ[講談社]. (2015年7月17日) . 2015閲覧.
- ↑ “「ぶちくらせ」横断幕禁止に J2北九州、応援コールも”. 朝日新聞デジタル. (2015年11月2日) . 2015閲覧.
- ↑ ““ぶちくらせ”問題、サポーター14名が無期限入場禁止に。北九州が対応を発表”. フットボールチャンネル. (2015年11月6日) . 2015閲覧.
- ↑ “「ぶちくらせ」応援 物議 J2北九州”. 西日本新聞. (2015年11月8日) . 2015閲覧.
関連項目
外部リンク
ギラヴァンツ北九州 関連テンプレート |
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テンプレート:ギラヴァンツ北九州のメンバー テンプレート:ギラヴァンツ北九州及びその前身チーム歴代監督 |