等々力陸上競技場

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等々力陸上競技場
Kawasaki Todoroki Stadium
等々力陸上競技場の位置
施設情報
所在地 神奈川県川崎市中原区等々力1-1
位置 北緯35度35分7.93秒
東経139度39分9.71秒
開場 1962年
拡張 1986年、1994年、1995年、2015年改修
取り壊し 2013年旧メインスタンド取り壊し
所有者 川崎市
運用者 公益財団法人川崎市公園緑地協会
グラウンド 天然芝
大型映像装置 オーロラビジョン 2基
使用チーム、大会
川崎フロンターレ(Jリーグ)(1999年-)
ゴールデングランプリ陸上 (2011年-2012年、2015年-2017年)
第92回日本陸上競技選手権大会(2008年)
第37回皇后杯 (2015年)
ヴェルディ川崎(Jリーグ)(1993年-2000年)
収容能力
27,495人
アクセス
#アクセスを参照

川崎市等々力陸上競技場(かわさきし とどろきりくじょうきょうぎじょう)は、神奈川県川崎市中原区等々力緑地内にある陸上競技場球技場としても使用される。施設は川崎市が所有し、公益財団法人川崎市公園緑地協会が指定管理者として運営管理を行っている。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)などのサッカー大会、日本陸上競技選手権大会などの陸上競技大会などが開催されている。

施設概要

  • 日本陸上競技連盟第3種公認
    • 2007年の改修時までは第2種公認だったが、改修後第1種に昇格。その後補助競技場が4種になったために第1種陸上競技場から外れる[1]
  • 施設面積:35,048m2
  • 陸上トラック:400m×8レーン
  • フィールド:天然芝
  • 収容人員:27,495人

メインの陸上競技場は8レーンの陸上トラックを保有している。2階席の下には、室内用の走路もある。2008年までは、補助競技場が300mトラックの日本陸上競技連盟第3種公認であり、全天候舗装ではなくクレー舗装で、メンテナンスは余り行き届いていなかった。補助競技場のトラックは400mでないと、メインの陸上競技場は第1種認定を受けられない。そこで、2008年の第92回日本陸上競技選手権大会の会場決定を受け、川崎市が10億円を超える予算で改修工事を行うことになった。補助陸上競技場を400mの全天候舗装トラックに改修した上で、日本陸上競技連盟の第1種公認競技場として再認証を受けた。

バリアフリー設備としては、正面入口のスロープ、メインスタンド端のエレベーター、多目的対応トイレなどの整備が行われ、メインスタンドやバックスタンドの1階通路前などに車いす用の観戦スペースが確保されている。ただし、階段を使わないと上がれないバックスタンド2階席はバリアフリー非対応である。[2] また、バックスタンド2階席にはトイレや売店が無い[3] 2015年3月の改修では新メインスタンドのトイレに一方通行の動線を作るなどの工夫がなされた。15分の間に全員が観客席まで戻れることを目標として設計したという[4]

2005年J1最終節で、フロンターレを下したガンバ大阪が初のJ1優勝を果たした。この試合、試合終了間際にアラウージョがゴールを決めた際、ガンバのサポーター数十人がゴール裏(サイドスタンド)1階席から陸上トラックに侵入してアラウージョと抱き合って喜んだため、以後のフロンターレの試合ではバックスタンドや両サイドスタンドの前に可動式の柵が置かれるようになった。

これまでフロンターレの主催試合ではJ2時代は22試合、J1は17試合ある中で1試合の入場者数で2万人台を記録しているのは僅か37回(2002年に1回、2003年に2回、2004年に1回、2005年に2回、2006年に3回、2007年に4回、2008年に7回、2009年に6回、2010年に4回、2011年に2回、2012年に3回、2013年に2回、2014年は0回)と数える程しかなく、しかもフロンターレがJリーグに加盟した1999年から再びJ2の生活を余儀なくされた2001年にかけての時期に至っては1万人台を割る事もざらにあったが、メインスタンドが新しくなった2015年は17試合あったホームゲームで2万人台を割ったのは4試合とフロンターレの強みであるサッカークラブらしからぬ斬新なプロモーションに充実したイベント企画力や2012年に途中就任した風間八宏監督が掲げるフロンターレの魅力ある楽しいサッカーを提供した事が実を結びつつある。

最多入場者数記録は、長らく2005年3月12日のフロンターレ対浦和レッズ戦の24,332人だったが、10年後の2015年4月12日のフロンターレ対レッズ戦で24,992人、その翌年2016年4月24日のフロンターレ対レッズ戦で25,450人を動員し、2年続けて同じカードで最多観客動員数を更新し[5]、同年6月25日のフロンターレ対大宮アルディージャ戦は鹿島アントラーズの勝敗結果でフロンターレのファーストステージ優勝が決まる一戦ということもあり、過去最高の最多観客動員数の26,612人を記録した。

利用状況

サッカー競技場として

ヴェルディ川崎(移転)

1993年日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足時には、読売クラブが改名したヴェルディ川崎がホームスタジアムとして使用したが、観客収容数は約1万人弱であった。また、ピッチに敷設された天然芝の剥がれや枯れを隠すため、緑色に塗装した砂をピッチに散布した。

当時、人気チームであったヴェルディのチケットは入手が困難となり、さらにヴェルディはJリーグ発足前から東京都への移転を希望していた。 1994年から1995年にかけて観客席の改築(2万5000人収容へ拡大)、大型映像装置の設置を行った(「歴史」節を参照)。

ただし、ヴェルディはこの年まで3年連続出場したチャンピオンシップでの主催試合をいずれも東京都内の国立霞ヶ丘陸上競技場で開催した。この頃からヴェルディの観客動員数が減少に転じた。

2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転し当競技場からは撤退。移転後のホームスタジアムは東京都調布市東京スタジアム(2003年より「味の素スタジアム」の呼称を利用)となっている。

川崎フロンターレ

1997年川崎フロンターレ富士通サッカー部を母体にクラブチームとして発足し、等々力をホームタウンとした。フロンターレは2000年にJ1に昇格し、ヴェルディとの公式戦4試合が全て等々力で開催された(川崎ダービー)。リーグ戦はヴェルディの1勝1分、ナビスコカップ準々決勝はフロンターレの1勝1分。

なお、フロンターレは2001年からJ2に降格し、2001年からヴェルディが東京都へホームタウンを移転したため、川崎ダービーは2000年が最後となった。また、フロンターレが2005年にJ1へ昇格するまで当競技場でJ1の試合は開催されなかった。

フロンターレは2006年・2008年・2009年の3度リーグ戦で2位に入り、2013年にはレッズに続いてリーグ2位の65得点を誇る攻撃陣の頑張りで終盤8試合で7勝を挙げ3位になったため、2007年・2009年・2010年・2014年は等々力でAFCチャンピオンズリーグの試合も実施された。チーム成績の上昇と共に観客動員も増加し、1試合で2万人以上の動員をたびたび記録するようになっている。また2008年には署名運動を受けた川崎市による再整備計画が示された(「施設整備計画」の節を参照)。

フロンターレは2005年のJ1再昇格以降2017年シーズン終了時点で通算819ゴールを挙げているが、そのうちの192ゴールが試合終了まで残り15分の段階で稼いでいる事から、フロンターレの試合でしばしば劇的なゴールを挙げる事があり、ファンやサポーターはおろか中村憲剛ら一部の選手からも等々力劇場と呼ばれる。

近年起こった3コンペティションの等々力劇場
茨城県鹿嶋市のカシマスタジアムで行われた第1戦を0-1で落としたフロンターレは、準々決勝敗退が濃厚となった後半ロスタイムの4分にジュニーニョが起死回生の同点弾を挙げ2試合合計1-1にし延長戦に持ち込んだ。その後、延長前半で当時フロンターレに在籍していたレナチーニョ鄭大世のゴールが決まり、2年ぶりの準決勝に進出した。
激しい雨の中行われ、前半を0-0で折り返した後半51分にアドリアーノによるペナルティーキックでガンバが先制。その10分後に中村がペナルティーエリアの外から放ったミドルシュートで追いつくと、後半ロスタイムの1分までは一進一退の攻防。当時2年目の小林悠が20分にバーに当たったこぼれ球を押し込み切れず32分にはディフェンダーを1人躱してシュートを放つも右に外せば、ロスタイム1分に後にチームメイトになる中澤聡太にフリーでシュートを放たれるも、当時初先発だった安藤駿介がゴールを死守してピンチ脱出。このまま引き分けで試合終了かと思われたロスタイム4分にフリーキックを獲得、中村が直接フリーキックを決めたプレーが最後のプレーとなり逆転勝利を収めた。
2013年シーズン最終節。この試合F・マリノスは前々節優勝に王手をかけながら前節は横浜市の日産スタジアムアルビレックス新潟に敗れて優勝を決められず。勝てば文句なしの優勝、引き分け以下は他会場(アントラーズ対サンフレッチェ広島)の結果次第ではタイトルの行方が決まる試合となった。
また、前節終了時5位だったフロンターレも勝てばカシマスタジアムで行われるアントラーズ(同3位)対サンフレッチェとさいたま市の埼玉スタジアム2002で行われるレッズ(同4位)対セレッソ大阪(同6位)戦如何では、30節終了時には7位だった状況から大逆転でACL出場権を獲得出来る上、フロンターレ一筋であった伊藤宏樹のラストゲーム。更に最終節がF・マリノスとの神奈川ダービーの為、そのシーズン最多となる20151人の観衆が集まった事もあり注目を集めていた。
試合は54分に中村憲剛が中村俊輔からボールを奪い自陣深くからカウンターを開始、大久保嘉人のシュートは榎本哲也に阻まれるが、フォローした大島僚太のラストパスにレナトが合わせて先制。このリードを守ったフロンターレが1-0で勝利。サンフレッチェがアントラーズを2-0で、セレッソがレッズを5-2でそれぞれ破った為、F・マリノスはあと1勝が出来ずに優勝を逃して中村俊輔がピッチで崩れたのに対し、フロンターレが逆転でACL出場権を獲得し、中村憲剛がガッツポーズを表した様に両チームの明暗が分かれる結果となった。
等々力での開幕戦にして最初の神奈川ダービー。試合はノーガードの打ち合いとなり、大久保が一足早く達成した佐藤寿人(当時サンフレッチェ)に続いてJ1通算157ゴールを決めて先制するが、20分、38分と続け様にベルマーレにゴールを決められて逆転される。それでも小林悠が1分後に追いつき、コーナーキックから2014年にフロンターレに在籍したパウリーニョに竹箆返しのゴールを奪われ再びリードされるも、大島のフライスルーパスに完璧なトラップで反応した小林が2ゴール目を決めて同点で前半を折り返す。後半32分に勝ち越しゴールを決められ三度ビハインドを背負うがロスタイム、車屋紳太郎のロングボールにこの日2ゴールの小林がヘディングで折り返した所に合わせたのが後半途中出場の森本貴幸。J1では11年ぶりのゴールを挙げて敗色濃厚だったムードを一掃して4-4の引き分けに持ち込んだ。
  • 2016年 Jリーグディビジョン1第1ステージ第6節(対サガン鳥栖
スコアレスのまま後半ロスタイムに突入。中村のヘディングから途中出場の原川力田坂祐介と繋ぎ小林のクロスにヘディングで合わせたのは再三決定機を決めきれなかった大久保。中村の第3子誕生を祝う揺り籠ダンスも披露し、フロンターレは勝利を収めて首位に再浮上。そして大久保はJ1通算最多得点単独トップの159とし、佐藤を抜いて最多得点記録保持者となった。
前半35分にサンフレッチェからレンタル移籍し、7月1日に発表されたリオデジャネイロ五輪メンバーから選ばれなかった(バックアップメンバー)野津田岳人の移籍後初ゴールで先制されるも、その3分後にリオデジャネイロ五輪メンバーに選ばれた大島僚太の見事なミドルシュートで追いつく。後半19分に大島のパスが当時の主審だった榎本一慶に当たった所でショートカウンターを喰らいラファエル・シルバのスルーパスに反応したレオ・シルバに決められ、勝ち越されるも後半39分に橋本晃司と大島の小気味よいパス回しから小林裕紀のオウンゴールで同点に追いつく。そして4分間与えられた後半ロスタイム4分に車屋のクロスのこぼれ球に小林がヒールで決めて3-2と逆転し3連勝を飾った。
  • 2016年 Jリーグディビジョン1第2ステージ第13節(対横浜F・マリノス)
前半14分に小林のクロスに狩野健太が合わせ、リーグ戦は移籍後初ゴール。後半もF・マリノスの攻撃に耐えながら後半39分に田坂のスルーパスにこの年のAFC U-19選手権で優勝に貢献、ユースから昇格して2年目の三好康児中澤佑二栗原勇蔵という日本を代表するセンターバックを振り切って、ループシュートで追加点を奪いシーズン3点目。これで勝負ありかと思いきや、後半20分に鄭成龍の代わりに入った新井章太が負傷した関係でロスタイムが9分。途中出場の天野純に右サイドを突破されクロスに合わせた伊藤翔のヘッドはその新井に代わって入った高木駿がナイスセーブを見せるもこぼれ球に中町公祐に押し込まれ1点差とされると、三好のパスをペナルティーエリア手前で齋藤学に奪われた後高木も躱され、ラストパスを伊藤に詰められて折角奪ったリードを吐き出してしまう。しかしロスタイムも目安の9分を過ぎた所で得たコーナーキックから田坂の折り返しに小林がヘディングシュートで勝ち越しシーズン15点目。その直後に試合終了を迎え、フロンターレは3位以上が確定。既に出場を決めているアントラーズに続いてJリーグチャンピオンシップ出場を果たした。
フロンターレ一筋の中村がJ1通算400試合出場に加え、10月日本代表の活動でJリーグの中断期間に行われた2017YBCルヴァンカップの準決勝でもベガルタとのホームアンドアウェーを戦ったので、3番勝負の最終章。前半42分にその前に1回警告を受けた家長昭博奥埜博亮を倒してしまい2回目の警告を受けて退場、その6分後の前半ロスタイム、右サイドの古林将太から3バックでオーバーラップした平岡康裕三田啓貴に繋ぎ、三田からのフライスルーパスがレンタル移籍ながら放出した中野嘉大に繋がれ最後はアルビレックスの一員だった昨年に引き続き野津田にゴールを奪われベガルタに先制される。さらに後半14分。中央でボールを受けた当時プロ3年目の西村拓真から途中出場の蜂須賀孝治に右サイドを駆け上がられると蜂須賀のクロスをレッズからの期限付き移籍中だった石原直樹に合わせられ2点ビハインドを負う展開になる。しかし、後半37分に車屋からのパスを受けたエウシーニョが右サイドからカットインして左足を一閃。反撃の狼煙を上げると2分後、自陣からドリブルで駆け上がった車屋がサイドチェンジ。そして小林がペナルティーエリアやや右寄りで受けると中央に持ち込んでまたも左足を振り抜いて同点に追いつく。そして3分後、小林のプレスで大岩一貴のロングパスをカットした長谷川竜也がペナルティーエリア付近までドリブルで運ぶと左サイド寄りに位置していた小林がカットインしてミドルシュートを突き刺し後半37分から僅か5分間で逆転。その日首位のアントラーズが残留争いを繰り広げたサンフレッチェに2-0で勝っているので負ければ優勝が一気に遠のく試合で勝利し優勝争いに踏みとどまった。因みに残り10分間で2点差をひっくり返したのは1998年11月3日、横浜マリノス対レッズ(後半39分までにレッズに2点ビハインドだったのが3-2)、2006年11月11日のFC東京対フロンターレ(後半37分までにFC東京に4-2でリードしながら4-5)に続いて3例目だが、1人少ない状態で2点ビハインドから逆転したのはJリーグ史上初である。
  • 2017年 Jリーグディビジョン1最終節(対大宮アルディージャ)
フロンターレが優勝する為にはフロンターレの勝利かつ静岡県磐田市にあるヤマハスタジアムで行われるジュビロ磐田対アントラーズが引き分け以下に終わる事が条件となった等々力でのJリーグ最終戦。前半1分にガンバ時代の2014年に国内タイトル3冠を達成した阿部浩之がエウシーニョのラストパスを受けて左足を一閃すると、これが勝利への号砲となる。前半のロスタイムに家長のクロスに小林がヘディングで合わせ2試合連続ゴール。後半15分に阿部のパスを受けた家長が再び左サイドを突破しグラウンダーのクロスに合わせたのに続いて約20分後に獲得したPKをきっちり決めて小林にとってはプロ初のハットトリックかつ今シーズン23ゴール目。アルディージャに退場者が出た後ロスタイムに当時プロ2年目の長谷川竜也がダメ押しの追加点で勝負あり。5-0と前節降格し昨年のJリーグチャンピオンシップ準決勝と天皇杯の元日決戦でアントラーズの一員で指揮を執ってフロンターレの進撃を阻み今年11月7日に就任した石井正忠率いるアルディージャに完勝し、アントラーズがジュビロにスコアレスドローを演じ勝ち点は72で同点だったものの、得失点差での勝負では+39のフロンターレに対しアントラーズは+22に留まった為フロンターレがJリーグで逆転優勝を果たしたのである。同時にそれまで得点王争いで首位を走っていたセレッソの杉本健勇が最終節はノーゴールだった為22ゴール止まりとなり、小林が2007年のジュニーニョ、2015年の大久保以来3人目(フロンターレの生え抜き選手としては初の)の得点王に輝いた。

その他

陸上競技場として

アメリカンフットボール競技場として

ライブ会場として

開場以来ライブ会場として使用されたことはなかったが、川崎市出身のバンド・SHISHAMOが初のスタジアムワンマンライブとして当競技場を会場に選定。2018年7月28日に「SHISHAMO NO 夏MATSURI!!! 〜ただいま川崎2018〜」として開催予定だったが、本番当日の台風12号接近のため中止された[8]

歴史

1941年の内務省の等々力緑地の都市計画に基づき、整備中の等々力緑地内に1964年より陸上競技場の建設が開始され、1966年より供用を開始した。メインスタンドに観客席が配置され、バックスタンドとサイドスタンドは芝生が貼られた。等々力緑地の整備の進展に合わせ、1968年に競技場の外周道路が整備され、1969年に競技場前広場が整備された。

当初より多目的競技場として、陸上競技の他に、トラック内の芝生コートでサッカーラグビーアメリカンフットボールといった球技場としても活用された。

1981年にはメインスタンドの一部に屋根が設けられると共に、サッカー・ラグビー兼用のスコアボードが設置された。

1993年よりヴェルディ川崎が当競技場を本拠地としたため(前述)収容客数拡大のための改築が行われた。1994年秋にサイドスタンドを立見に、バックスタンドを二層スタンドに改築し、1万6000人収容となった。1995年にゴール裏を二層式に改築して2万5000人収容となった。また、オーロラビジョンを北側サイドスタンド、得点掲示が出来る電光掲示板を南側サイドスタンドにそれぞれ設置した。日本リーグ、及びJリーグ開始当初は第3・4コーナー付近の北側サイドスタンドに磁気反転(チーム名表示は手書きパネル)スコアボードがあったが、改修で取り壊され1995年の仮オープン時はトラックに仮設の電光得点盤(これもチーム名表示は手書きパネル)を設置した。

川崎市が2002 FIFAワールドカップサッカークロアチア代表のキャンプ誘致を目指し、芝生の全面張り替えやスタンドの一部改修などを実施したが(このため、等々力は2001年10月から翌年2月まで閉鎖)、結局キャンプ誘致には失敗した。その後、トヨタカップFIFAクラブワールドカップに出場するクラブの練習場としても使用された。2011年度のJリーグアウォーズでは、初めてベストピッチ賞を受賞した。

施設整備計画

2008年、川崎市は『等々力緑地再編整備検討委員会』を設けると、川崎フロンターレはサポーター有志らと「等々力陸上競技場の全面改修を推進する会」を発足させ、22万1216人の署名を集めた。約2年間をかけて関係各方面での検討が行われた結果、川崎市側がこの程纏めた『新総合計画川崎再生フロンティアプラン』の2011年2013年計画に等々力陸上競技場の再整備などが盛り込まれることになった。計画では等々力陸上競技場を建て替え、3万5千人収容の新スタジアムとすることなどが掲げられている[9][10]

ファイル:Todoroki 15031402.JPG
新メインスタンド全景
ファイル:Todoroki 15031403.JPG
メインスタンドから見るピッチ

整備計画は以下の通り[11]

  • 2012年-2015年:第1期整備
    • 2012年12月-2013年3月末:現メインスタンドと陸上トラックの間に仮設メインスタンドを設置する。仮設メインスタンドでの運営期間中、フロンターレホームゲームの場合、約2500席の減少となる。[12]
    • 2013年4月-2015年2月:現メインスタンド取り壊しおよび新メインスタンド整備。
    • 2014年-2015年2月:大型映像装置、メインスタンド前広場整備。
      • 実勢収容人員(Jリーグ公式届出[13])は26,530人(メイン7,281人、バック・ゴール裏19,249人)[14]
      • 第1期工事のメインスタンド建て替えのために設置した仮設スタンドは、メインスタンド最前列にある走り幅跳び用コースを閉鎖して設置した[15]。このため前述の通り、一時的に第1種公認が充足できなくなったため2013年に第3種公認に降格された。
      • また、今回の改修では、大型映像装置の更新も行われ、ホーム(北)側の従来のビジョン(三菱電機オーロラビジョン[16])に加え、これまで得点掲示のみ表示していたアウェー(南)側スタンドにもビジョン(富士通フロンテック[17])が設置されることになった[15]
      • 照明設備についても一部変更がなされ、メインスタンドはこれまでの鉄塔式2基が撤去される代わりに、メインスタンドに新設される屋根にインサートする形で、LED方式のものを、Jリーグ開催スタジアムとして初めて設置した[15]
  • 時期未定:第2期整備
    • サイドスタンド・バックスタンドの整備を行う。時期に関しては第1期工事終了後に行う川崎市等々力球場の改修終了後としている。なお、1993年からの増築の際に発行した市債の繰上償還が必要とされている。

改修にあたっては、Jリーグ各会場のスタンドやスロープの角度が測定され、さらに1998 FIFAワールドカップ決勝会場のスタッド・ド・フランスプロ野球広島東洋カープの本拠地MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が参考にされた。

なお当初は、トラックのレーンをレンガ色からフロンターレのチームカラーの青色に変更する予定であったが、日本陸上競技連盟から「この大会が出場選手選考会となる北京オリンピックと同じ、選手の慣れ親しんだ色にしてほしい」と要請を受け、この計画は断念された[18]。この他、メインスタンドとバックスタンド(サイド部分)が途切れた部分、スタジアム全体の南西側に高さ9mの防風壁を設置し、直線を走ってゴールに向かう選手や跳躍を行う選手への向かい風を弱めようとした[19]

メインスタンドは高齢者や子供連れの家族が多いことから、下層部は傾斜を緩やかに設計され、さらに子供をステージで遊ばせられるファミリーシートや、2人1組のペアシートなどJリーグ初の席種が採用された。一方、上層部は徐々に傾斜が急になるように設計されており、トラック部分までせり出したスタンドからの眺めは圧巻である。完成したメインスタンドを見た中村憲剛は「カンプ・ノウみたい」と呟き、川崎フロンターレ関係者は「あり得ない光景」と驚嘆した[20]

バックスタンドについては、当初は上記のとおり第2期大規模改修の時に整備する予定になっていたが、AFCチャンピオンズリーグにフロンターレが出場した場合、アジアサッカー連盟の取り決めで「AFC主催の国際公式戦に出場するクラブのスタジアムの観客席は、背もたれが30㎝以上あること」「ACLの場合は5000席以上、AFCカップの場合は3000席以上の背もたれ付椅子が必要。立見・芝生席は使用不可」が2017年から厳格化[21] されることになっており、現在のスタジアムではバックスタンド、及びゴール裏スタンドの1階席の10402人分の背もたれが設けられておらず、このままでは使用不可となる可能性が高くなるため、同市長・福田紀彦は2016年10月17日の定例記者会見で2階席の背もたれ付の座席1243席と、1階席のバックスタンドの一部の背もたれなしの椅子席を交換して、改修費約1000万円程度で改修する意向を決定し、12月上旬から着工、2017年1月末までに終了することを目指している。

福田は「第2期改修との二重投資にならないように、必要最低限の予算でご理解いただけるのでは」としている。[22]

このため、2017年度のシーズンシート販売に際して、ACL進出が決まった場合は、バックスタンドホームA自由席・およびバックスタンド車いす席の大半が使用できなくなることによりシーズンシートの販売可能席数が2016年度のシーズンシートの販売実績を下回ることになるため、この箇所に関してはシーズンシートの観戦対象から外す処置をとることにし、代わってカップ戦(ACL)のグループステージで使用することができる全席共通の500円割引優待券を付けることにした(なおシーズンシートはACLノックアウトステージ、及びJリーグYBCルヴァンカップのノックアウトステージ、並びに天皇杯全日本サッカー選手権大会については元々から対象とはしていないが、購入特典として天皇杯を除くカップ戦対象の先行入場券、及びSSS、メインSS指定席、バックSS指定席のチケット購入者を対象とした当該席種と同じ座席の入場券の購入権利が与えられている)[23]

その後、アジアサッカー連盟に対し、今回の一部座席交換工事と第2期大規模改修の計画が進行中であることを踏まえ、今回の工事個所以外の座席の使用について認めてもらうよう交渉した結果、アジアチャンピオンズリーグ2017年度の大会に関しては、バックスタンド1階席全体の使用が認められることになった[24]

2017年5月末、川崎市は、当スタジアムの第2期整備の基本方針案をまとめ、「2020年ルール」といわれるJリーグの新しい要綱に沿って、収容人員を35000人程度に増やすものとしており、バック・ゴール裏の1階席を改修、2階席はそのまま残したうえで、新たに3階席を設け、すべての観客席を個別背もたれ付きの屋根付きにする。まず6月12日から約1か月、市民からの意見を求めるパブリックコメントを募集し、2018年3月に整備計画を策定。2020年度以後の着工を目指すが、大会の中断などがないように、段階を追って工事を行えるように検討していくという。このほか、南風が吹き抜けるため、陸上競技の公認記録の影響も考えられることから、南側の走路に風対策を施すほか、バリアフリー対策も進めていくとしている[25][26]

アクセス

鉄道

なお、東急大井町線には等々力駅が存在するが、等々力駅と等々力陸上競技場とは多摩川をはさんだ対岸の位置関係にあり、しかも付近には多摩川を渡る橋が存在しないため、等々力駅で降車すると相当の大回りを強いられることになる。等々力 (世田谷区)等々力 (川崎市)等々力駅も参照のこと。

バス

  • JR南武線・横須賀線・湘南新宿ライン・東急東横線・目黒線 武蔵小杉駅北口から東急バス溝02系統「溝の口方面」行きもしくは杉40系統中原駅行き「市営等々力グランド入口」下車、徒歩5分[27][28]
  • 東急田園都市線大井町線 溝の口駅、またはJR南武線 武蔵溝ノ口駅北口よりバス「武蔵小杉方面」行で「市営等々力グランド入口」下車、徒歩5分[27]
なお、「溝の口駅」と「武蔵小杉駅」の間で運転される系統には、東急田園都市線・高津駅を経由するものもある。

道路交通

等々力緑地内には4ヶ所の駐車場があり、中央駐車場(収容可能乗用車数135台)は同競技場の正面入口にほど近い所、東駐車場(同158台)はバックスタンドのすぐ裏側、市民ミュージアム前駐車場(同323台)は道なりで約1km離れた場所、南駐車場(同71台)は互助会館とどろきの裏手に位置する[29]。しかし、中央駐車場はフロンターレ戦開催時には関係者専用となり、また駐車場の台数に限りがあることから、フロンターレでは観客に自動車ではなく公共交通機関での来場を呼びかけている[30]。なお、車椅子利用者向けならびにバスで来場の団体客向けの専用駐車場は事前予約制にて設定している[2][31]

タクシーは武蔵小杉駅から競技場まで1000円前後である[30]。なお、競技場のメインスタンド正面に面した2車線の市道が通行可能となっている[30]

等々力緑地の南側の小杉十字路では国道409号府中街道、「市営等々力グランド入口」バス停は同道路に設置)と神奈川県道45号中原街道)が交差し、同競技場を利用する自動車の大半はこれらの幹線道路を通る。

フロンターレの試合の際には自転車での来場も多く、2013シーズンよりフロンターレの試合開催時は等々力緑地内プール横に臨時駐輪場を設けている[30]。緑地周辺は比較的平坦な地形で(一部に旧堤防の名残の坂がある)、多摩川の堤防上に整備された多摩川サイクリングロードなどを利用した長距離移動が可能である。なお、同ロードは同競技場をスタート・ゴールとする「川崎国際多摩川マラソン」の会場ともなり、最長でハーフマラソンのコースが設定されている[32]

将来構想

川崎市の北部(西部)と南部(東部)をつなぐ川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)計画を2005年に見直した際、1期整備区間の中に「等々力緑地駅」を設置し、小田急小田原線小田急多摩線(同線との直通運転構想あり)の新百合ヶ丘駅(途中で東急田園都市線宮前平駅を経由)や武蔵小杉駅とつなぐ案が川崎市から提示された[33]。これは同競技場やとどろきアリーナなどの等々力緑地内各施設への利用客を取り込もうとした計画で、等々力緑地駅は同競技場から最も近い鉄道駅(1km以内)になる。しかし、2012年度をもって川崎縦貫高速鉄道の会計が廃止され、この計画は事実上頓挫した(詳細は川崎縦貫高速鉄道の記事を参照)。

緑地内その他の施設

周辺施設

  • 多摩川河川敷
  • まんが寺(常楽寺、日本まんが博物館)
  • 富士通川崎工場

フォトギャラリー

出典

  1. 等々力緑地概要(P9「主な施設」、P10「等々力陸上競技場」の各項参照)
  2. 2.0 2.1 車椅子をご利用の方へ”. 川崎フロンターレ. . 2014閲覧.
  3. スタジアム案内図”. 川崎フロンターレ. . 2014閲覧.
  4. こんなトイレがあった! 等々力競技場、ハーフタイムの行列を解消 (1/4ページ) - 日経ビジネスオンライン 「キーパーソンに聞く」、2015年4月7日
  5. ちなみに、フロンターレの観客動員数トップ10の中に4試合レッズ戦が含まれている。
  6. “10月20日(金)2017明治安田生命J2リーグ 第38節 横浜FC vs.FC町田ゼルビア戦試合観戦におけるご案内と諸注意” (プレスリリース), 横浜FC, (2017年8月22日), https://www.yokohamafc.com/2017/08/22/58558 . 2017閲覧. 
  7. 【お知らせ】10/22(月)富士通戦 フィールド長の変更について
  8. “SHISHAMOワンマンライブ、無念の直前中止”. 日刊スポーツ. (2018年7月28日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201807280000526.html . 2018閲覧. 
  9. 等々力陸上競技場の専用サッカー場案消える、現在位置で建て替えへ/川崎 神奈川新聞 2010年9月30日閲覧
  10. 川崎F3万人本拠 等々力5000席を増築 日刊スポーツ 2010年10月23日閲覧
  11. 等々力陸上競技場整備計画策定について: 川崎市公式サイト 2012年10月4日
  12. お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:等々力陸上競技場メインスタンド改築「工事概要・仮設スタンドでの試合開催」について: 川崎フロンターレ公式サイト 2012年10月4日閲覧
  13. これはスタジアムの施設所有者(この場合は川崎市)の定める公称収容人員である27,495人から、Jリーグの定める実勢入場可能人数の考え方に沿って、見切り席や記者席・来賓席など、一般発売しない座席などを省いた数値。なお当日の実際の収容可能人数は、ホームとアウェーの緩衝地帯(一部立ち入り禁止区域)などにより、若干変動が生じる
  14. 等々力陸上競技場「新メインスタンド」について(第6弾)
  15. 15.0 15.1 15.2 等々力陸上競技場・新メインスタンドについて(第5弾)
  16. 導入事例 等々力陸上競技場様”. オーロラビジョン公式サイト. 三菱電機. . 2017閲覧.
  17. 導入事例 川崎市等々力陸上競技場様”. 富士通フロンテック. . 2017閲覧.
  18. 等々力競技場「青いトラック」変更、川崎市が断念”. Yahoo!ニュース. 読売新聞 (2007年2月27日). 2007年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
  19. 等々力10億円かけ高速トラックに変身 日刊スポーツ 2008年6月21日閲覧
  20. NEW等々力「カンプノウみたい」14日川崎ホーム開幕戦でお披露目 スポーツ報知 2015年3月11日
  21. 2016年度までは、「個別席を完備したスタジアムの使用を強く勧告する」としていた
  22. 等々力陸上競技場の座席改修 年明けのACL向け(東京新聞2016年10月18日 12月21日閲覧)・川崎フロンターレ、ACLのルール厳格化により等々力陸上競技場の観客席を一部改修へ 1階バックスタンド観客は1243席のみに。(川崎フロンターレ応援ブログ「フロスキ」2016年10月18日 12月21日閲覧)
  23. 「2017シーズンチケット」販売のお知らせ
  24. AFCチャンピオンズリーグ2017 グループステージの席割および入場料について(2017年1月30日 川崎F 2017年2月23日閲覧)
  25. 川崎の等々力陸上競技場 3万5000人規模に増築へ(2017年5月31日 東京新聞)
  26. まちづくり委員会資料「等々力陸上競技場第2期整備「整備の基本方針」(案)の策定について」
  27. 27.0 27.1 27.2 27.3 スタジアム(等々力陸上競技場)”. Jリーグ. . 2014-1-17閲覧.
  28. 28.0 28.1 28.2 アクセス”. チケットぴあ. . 2014-1-17閲覧.
  29. 等々力緑地”. 川崎市. . 2014閲覧.
  30. 30.0 30.1 30.2 30.3 チケット・観戦”. 川崎フロンターレ. . 2014閲覧.
  31. バス専用駐車場について(事前申込制)”. 川崎フロンターレ. . 2014閲覧.
  32. 平成20年11月16日(日)開催 等々力陸上競技場〜多摩川マラソンコース - 川崎市(2008年9月30日時点のアーカイブ
  33. 川崎縦貫高速鉄道線整備事業 - 川崎縦貫高速鉄道線整備事業ホームページ(2012年3月7日時点のアーカイブ
  34. 等々力陸上競技場メインスタンドのリニューアルオープンについて(その2) (PDF)”. 川崎市 (2015年2月3日). . 2018閲覧.

関連項目

外部リンク


先代:
長居陸上競技場
大阪市
日本陸上競技選手権大会
会場

第92回
次代:
広島広域公園陸上競技場
広島市