栃木SC
栃木SC | |
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原語表記 | 栃木サッカークラブ |
呼称 | 栃木SC |
クラブカラー | 黄[1] |
創設年 | 1953年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 栃木県宇都宮市[1] |
ホームスタジアム | 栃木県グリーンスタジアム[1] |
収容人数 | 15,589[1] |
運営法人 | 株式会社栃木サッカークラブ[1] |
代表者 | 橋本大輔[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
栃木SC(とちぎエスシー、Tochigi SC)は、日本の栃木県宇都宮市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。登録チーム名は栃木サッカークラブである。
Contents
概要
1953年創部の栃木教員サッカークラブが前身[1]。2007年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[2]、2009年よりJリーグへ加盟している[1]。Jリーグ加盟以前より、主に商標登録の兼ね合いから[注 1]チーム名の変更が検討され、新名称の公募も行われたが、Jリーグ加盟にあたり、チーム名を変更せず、「栃木SC」のままで活動を継続している。2013年2月、栃木SCのシニアアドバイザーに就任した松本育夫は、(宇都宮名物の雷にちなんだ)「栃木サンダーズ」など地域を連想しやすい愛称を取り入れることを、私案として考えているとコメントした[4]。ホームスタジアムは栃木県グリーンスタジアム[1]、練習場は河内総合運動公園である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。運営会社は株式会社栃木サッカークラブ[1]、マスコットはサルをモチーフとして、2011年に誕生したトッキーである[1]。
歴史
前史
- 1953年:栃木県教育委員会傘下の教職員サッカーチーム「栃木教員サッカークラブ」が創部[1]。
- 1980年:国民体育大会で教員の部が廃止。
- 1994年:アマチュアのままでクラブチーム化、栃木サッカークラブに改称[1]。
- 1999年:関東サッカーリーグに昇格し、同年優勝[1]。全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝。
2000年 - 2008年(JFL)
- 2008年
2009年 - 2015年(J2)
- 2009年
-
- チームスローガン : 一枚岩
- 福岡や神戸元監督の松田浩が監督に就任。13人の選手が退団した一方、甲府から井上雄幾を、千葉から川上典洋、伊藤淳嗣を、山形から本橋卓巳を、神戸から栗原圭介を、京都から大久保裕樹を、大宮から4年半ぶりの復帰になる若林学を、名古屋から元日本代表の米山篤志を完全移籍で、新潟から河原和寿を期限付き移籍で獲得。シーズン途中に宮本亨、レオナルドを期限付き移籍で獲得した。なお、シーズン成績は18クラブ中の17位。
- 2010年
-
- チームスローガン : 前新
- 松田体制2年目。レンタル移籍者を含め16人の選手が退団。前年より期限付き移籍中の宮本、飯田健巳(横浜FC)、高木和正(岐阜)、林祐征(徳島)、廣瀬浩二(鳥栖)を完全移籍で獲得。那須川将大、橋本真人、リカルド・ロボ、余孝珍を期限付き移籍で獲得。宇佐美宏和、杉本真、小野寺達也、船山貴之が新加入した。レオナルドのレンタル期間も延長した。シーズン途中には横浜FMから水沼宏太を期限付き移籍で獲得した。第14節で4位につけ、最終的な順位も10位となり前年を上回った。
- 2011年
-
- チームスローガン : J1へ
- 松田体制3年目。水戸から大和田真史を、草津から西澤代志也を、東京Vから鈴木智幸を、アルセナルFCからトリポジを完全移籍で獲得(6月7日に契約を解除)。柏から渡部博文を、鹿島から鈴木修人を、新潟から2009年に在籍した河原和寿を期限付き移籍で、東京Vから期限付き移籍していた那須川将大を完全移籍で獲得。7月、FCファドゥースからサビアを完全移籍で、浦和から堤俊輔を期限付き移籍で獲得した。
- この年栃木グリーンスタジアムのバックスタンド座席化完了。しかし、3月11日に東日本大震災が発生したことにより観客の客席通路となっている橋の結合部分が破損した[9]。そのため改修工事を行い、工事中は別の安全な場所に仮ゲートを設置した[10]。
- リーグ戦は第9節(3試合目)、第10節、第11節、第17節(11試合目)、第18節(12試合目)で首位に立ち、9月4日の第4節FC東京戦は引き分けに終わったが、その試合でパウリーニョが右腓骨骨折で戦線離脱すると順位が下降し、最終順位は10位。J1昇格は成らなかったものの、北関東ダービーで初優勝した。
- 2012年
-
- チームスローガン : J1へ
- 松田体制4年目。鴨志田誉、崔根植(熊本へ移籍)、入江利和、落合正幸が退団、リカルド・ロボが柏へ、那須川将大、大久保裕樹が徳島へ完全移籍、堤俊輔(福岡へ移籍)、渡部博文(柏へ復帰)、水沼宏太(横浜FMに復帰⇒鳥栖へレンタル移籍)がレンタル移籍期間満了で退団した。
- 新戦力として、神戸から柳川雅樹を、横浜FCから荒堀謙次を、FC岐阜から菅和範を、鹿島から當間建文を、湘南から臼井幸平を、東京Vから菊岡拓朗を、川崎から久木野聡を、福岡から山形辰徳を完全移籍で、川崎から棗佑喜をレンタル移籍で獲得、河原和寿、鈴木修人が完全移籍に移行、柳大鉉が新加入、ホーム開幕戦を前に車永煥が途中加入した。(それに伴い、外国人枠の関係で今シーズンCAメトロポリターノからレンタル移籍で獲得したジャイロが登録抹消となった[11])。シーズン途中臼井幸平が退団し、期限付き移籍で6月に鹿島から佐々木竜太が、8月には川崎から田中雄大が加入した。
- また、パウリーニョがチーム初の外国人キャプテンとなった。
- 第3節・徳島戦から7節連続負けなしで、第8節終了時点で7位。第10節山形戦から3連敗で13位に後退したが、第21節松本戦から6連勝し、一時は8位に順位を上げたが、最終10試合で2勝2分6敗と低迷し、11位でシーズンを終えた。天皇杯は、2回戦で横浜FCに敗北。
- 3月10日にオフィシャルストアの「TOCKEY SQUARE(トッキースクエア)」がオープンした[12][13]。
- 2013年
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- チームスローガン : 感動!
- 松田体制5年目。武田博行、河原和寿ら7人が退団、棗佑喜ら3人の期限付き移籍が満了した。
- 新戦力は、栃木県日光市出身の湯澤洋介(駒澤大学)、榎本達也(徳島)、中野洋司(横浜FC)、勝又慶典(町田)、近藤祐介(札幌)、元日本代表の三都主アレサンドロ(名古屋)を完全移籍で、クリスティアーノ(レッドブル・ザルツブルク)、西岡大輝(広島)、原田圭輔(仙台)を期限付き移籍で獲得し、27人体制でスタートした。また、宇都宮市出身で鳥栖元監督・GMの松本育夫が、シニアアドバイザーに就任し、4月25日には取締役に就任した。
- 第9節以降、第23節終了時まではJ1昇格プレーオフ圏内となる6位以内をキープしていたが、第19節以降4連敗1回を含む11試合連続勝利なし(6分5敗)となり[14]、順位も第27節終了時点以降14位まで低下する。雷雨によって中止再試合となった9月11日の第26節愛媛戦に0-1で敗れた直後の9月13日、松田が監督を退任し、松本が後任監督に就任。監督交替後はリーグ戦でホームゲーム4戦全勝を含む10試合7勝1分2敗の成績を挙げ、結局9位でシーズンを終える[15]。天皇杯は3回戦で横浜FMに敗北。なお、11月に経営問題が浮上した(詳細は#経営問題を参照)。シーズン終了後に松本が監督を退任した(取締役に専念)。
- 2014年
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- チームスローガン : 挑戦-すべては栃木のために-
- ヘッドコーチの阪倉裕二が監督に就任。クラブの中心戦力であったパウリーニョが期限付き移籍、チーム得点王のサビアとクリスティアーノ、當間建文、高木和正、菊岡拓朗、三都主アレサンドロらが退団した。
- 新戦力は宇都宮市出身の中美慶哉と坂田良太の大卒2人、大分トリニータから永芳卓磨、FC東京から重松健太郎が移籍加入。清水エスパルスから岡根直哉、イ・ミンス、瀬沼優司の3人、横浜FCから大久保哲哉、鹿島アントラーズから鈴木隆雅、CAメトロポリターノからドゥドゥが期限付き移籍で加入し、総勢25人でシーズンに臨むこととなった[16]。クラブは債務超過の問題もあり方針を「育成型クラブ」に転換を図った[17]。
- リーグ前半戦は好成績を上げてPO圏内手前をキープしていたが、第22節の千葉戦から第27節の湘南戦で6連敗を喫して最終順位は12位。天皇杯は2回戦で群馬に敗北。経営問題は改善され、新スポンサーの獲得や県民からの募金などで債務超過を解消。シーズン終了後、松本が取締役を辞任した。
- 2015年
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- チームスローガン : 熱誠-すべては栃木のために-
- 阪倉体制2年目。重松健太郎が町田、榎本達也がFC東京、鈴木智幸が松本、チャ・ヨンファンが金沢、近藤祐介が北九州にそれぞれ移籍。またパウリーニョは期限付き移籍先の川崎から復帰した後、千葉に完全移籍し、鈴木隆雅、大久保哲哉、岡根直哉、イ・ミンスが期限付き移籍満了で退団。柴崎邦博が現役を引退した。
- 新加入選手は、愛媛からハン・ヒフン、広島からイ・デホン、仙台から桜井繁、水戸から尾本敬、磐田から竹重安希彦、鹿屋体育大学から吉満大介。また仙台からフェリペ、広島からパク・ヒョンジン、甲府から河本明人、浦和から阪野豊史、神戸から松村亮が期限付き加入した。
- 第5節からの3連敗、11節からの5連続引き分けなどで勝点を稼げず、24節には降格圏寸前の20位にまで落ちてしまう。7月20日に阪倉裕二の監督辞任が発表され、倉田安治を新監督として迎える。そして新たにブラジル・Novoperario FCからジョナタン、韓国・天安市庁FCからイ・ジュヨンを獲得して、清水から金子翔太を期限付き移籍で加えた。一方でフェリペとイ・デホンを放出し、永芳卓磨をSC相模原へ期限付きで移籍させた[18]。
- 9月にヘッドコーチの上野優作が辞任したが、下野新聞の取材に「辞めるつもりはなく、J2残留のために頑張る気持ちでいた。しかし、現体制では厳しかった」とコメントした[19]。第29節の横浜FC戦を最後に勝利が無く、33節で最下位に転落。『ここから這い上がるぞ! J2死守総力戦』プロジェクトとして特製のTシャツを頒布し、のぼりを設置するなどしてチームを鼓舞するが、最終節でコンサドーレ札幌に敗れ、結局最下位に終わり、J3リーグへの降格が決定した。また、天皇杯は1回戦で流通経済大学にPK戦で敗北した。シーズン終了後倉田安治が降格の責任を取り監督を辞任した。また水沼富美男社長と中津正修会長が辞任。上野佳昭GMと湯田一弘強化部長が解任された[20][21]。
2016年 - 2017年(J3)
- 2016年
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- チームスローガン : 勇昇 -すべては栃木のために-
- 前湘南ヘッドコーチの横山雄次が監督に就任。荒堀謙次が山形、湯澤洋介が水戸、中美慶哉が鳥栖、小野寺達也が長崎、西川優大が富山、イ・ジュヨンが千葉へ移籍、松村亮、金子翔太、河本明人、パク・ヒョンジン、阪野豊史が期限付き移籍満了で退団。
- 新戦力は、川崎から山越享太郎、藤枝から大石治寿、徳島から斉藤大介、鳥取から山本大稀、松本から和田達也、京都から佐々木勇人を完全移籍で、CAメトロポリターノから昨シーズン金沢に期限付き移籍していたジャーン・モーゼル、湘南から広瀬健太、大宮から川田修平、長崎から上形洋介を期限付き移籍で獲得。永芳卓磨が期限付き移籍先から復帰した。シーズン中には2011年まで在籍したリカルド・ロボが復帰した。
- J3リーグでは、開幕から5試合で1勝1分3敗と開幕ダッシュに失敗するも、第6節以降、第10節からの10連勝を含む17試合負けなし(13勝4分)で、前半戦最後の第15節終了時に首位に立って以降、後半戦は常に首位をキープし続けた。しかし、第29節で長野に敗れ、4連勝した大分に勝点で並ばれ、得失点差で優位に立つ大分に首位を明け渡す。最終節、アウェーで盛岡に引き分けで終わったため、同節も勝利し5連勝で終えた大分に及ばす、結局2位でJ2・J3入れ替え戦に回り、J2で21位の金沢と対戦、ホームで0-1、アウェーで0-2でいずれも敗れ、1年でのJ2復帰を逃した。
- 天皇杯ではJ3降格に伴い予選会に出場したが、ヴェルフェたかはら那須との準決勝で敗退し、天皇杯の出場を逃した。
- 2017年
-
- チームスローガン :集心必翔 -すべては栃木のために-
- 横山体制2年目。永芳卓磨が引退、本間勲が新潟、吉満大介、大石治寿が山口へ完全移籍、島川俊郎、ジャーン・モーゼルは期限付き移籍期間満了、JFL時代の2008年から在籍し昨年途中から相模原へ期限付き移籍していた赤井秀行をはじめ斉藤大介(高知へ移籍)、佐々木勇人、山形辰徳(富山へ移籍)、山越享太郎、山本大稀、西村洋平(藤枝へ移籍)、リカルド・ロボが契約満了で退団した。
- 新戦力は、盛岡から牛之濱拓、長野から仙石廉、夛田凌輔、ジョニー・レオーニ、山口から安藤由翔、湘南から昨年福島に在籍した福岡将太、G大阪から岡崎建哉、JFL・浦安から竹中公基を完全移籍で獲得。宮崎泰右、上形洋介、川田修平が期限付き移籍から完全移籍に移行した。シーズン中には、オーストリア3部・SVホルンから榊翔太、大宮からネイツ・ペチュニクを完全移籍で、大宮から藤沼拓夢を期限付き移籍で獲得。一方で、二戸将が栃木1部のFC CASA FORTUNA OYAMA、竹中公基がJFL・八戸へ期限付き移籍した。
- シーズン初勝利こそ第3節YS横浜戦であったが、開幕から9試合負けなし(5勝4分)で2位となる。中断期間に入る直前の第18節終了時点では、8勝6分3敗で4位、首位秋田と勝点差7、2位富山とは勝点差5となる。
- 中断期間前の第16節から、3連勝6連勝各1回を含む13試合連続負けなしを記録、第24節終了時からは首位をキープするが、第29節から最終節までは逆に6試合連続未勝利で失速、最終的に優勝は逃したものの2位を死守し、3年ぶりのJ2昇格を決めた。
成績
タイトル
リーグ戦
- 関東サッカーリーグ1部:1回
- 1999
- 栃木県社会人サッカーリーグ1部:10回
- 1978, 1979, 1981, 1984, 1987, 1988, 1993(1993年まで栃木教員サッカークラブ)、1994, 1996, 1998
その他
- 栃木県サッカー選手権大会(兼天皇杯栃木県予選):9回
- 1998-2004, 2006, 2007
- 関東社会人サッカー大会
- 1988, 1998
- 北関東ダービー:1回
- 2011年
個人
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
ホームスタジアムは栃木県グリーンスタジアムである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「当該項目」を参照のこと。
栃木県グリーンスタジアムは栃木SCのJ2加盟にあわせ、2008年から3年間総額15億5,500万円でナイター試合対応のための照明設備整備、バックスタンドの改修等の改修工事を実施しており、2009年シーズンは改修工事に伴いシーズン当初の期間中の平日ナイターに当たっていた第4節(3月25日・福岡戦、国立霞ヶ丘陸上競技場、第8節(4月15日・徳島戦、国立西が丘サッカー場)、第19節(6月3日・札幌戦、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)を栃木県外で開催した。なお、第23節(6月24日・仙台戦)も県外開催を予定していたが、照明設備が整い、栃木県グリーンスタジアムで開催した。
2018年、栃木県はメイングラウンドの芝生改修工事に着手する方針を決定。2022 (予定)年に開催される栃木国体を前に芝生を張り替え、競技会場の環境向上を図る。スタジアムの芝は、年々傷みが目立つようになり、試合でも関係者やサポーターから芝の劣化が問題視されていた。2018年度一般会計当初予算案に芝生改修費として約8,700万円を計上する方針。2018年度から2ヵ年かけて改修し、総事業費は約2億500万円となる見通し。2018年度は測量設計を行い、2019年度は土壌改良を行った上で暖地型の芝に張り替える。張り替え時期は、試合に影響しないよう、シーズンオフとなる2019年12月から約3ヵ月程度とみられる[22]。
一方で、栃木県グリーンスタジアムは、現状でもスタジアムの屋根とトイレの数がJリーグの求めるクラブライセンスにおけるスタジアム基準を満たしていない。
栃木SCは栃木県が宇都宮市西川田地区(東武宇都宮線西川田駅近く、宇都宮競馬場跡地周辺)で計画中の「総合スポーツゾーン」に新設予定の陸上競技場へのスタジアム移転の可能性もにらみながら今後の改修の方向性について検討を行うこととしている[23]。
練習場
練習場は河内総合運動公園以外に、栃木SC宇都宮フィールド、栃木県総合運動公園や栃木市総合運動公園陸上競技場、市貝町城見ヶ丘運動公園、さくら市鬼怒川運動公園なども使用している[24]。
2015年4月24日にクラブは記者会見を行い、河内総合運動公園に隣接する、宇都宮市が所有する土地にクラブハウスを建設する計画があることを発表。6月に着工するクラブハウスは総工費約8,000万円を見込み、宇都宮市からの1500万円の補助金のほか、「クラブハウス建設協力の会」による募金活動などにより資金を調達する方向。[25]
その後、およそ半年をかけてクラブハウスが完成。総工費は約8,000万円で、敷地面積は756,35㎡、延べ床面積390,02㎡。トレーニングルームやロッカールーム、シャワールーム、メディカルルーム備えられている。また、健康教室、介護予防事業、テーピング教室、栄養教室など、地域の方々とのコミュニケーションを図りながら、サッカーの楽しさ、スポーツの楽しさを伝えていくホームタウン活動の拠点として使用する多目的ルームも完備している[26][27]。
足利劇場
過去に足利市総合運動公園陸上競技場で行われた試合は劇的な展開をすることが多かったため、「足利劇場」と呼ばれた[28]。
- 後半38分まで0-3であったが、その後に3点を返し3-3の引き分け。
- 前半終了時点で1-2。また退場で一人少なかったが、シュート2本で2点を決め逆転勝利。
- 2005年JFL前期第7節(10月2日)、流通経済大学サッカー部戦 ○2-1[29]
- 1-1で迎えた後半アディショナルタイムに決勝ゴールを決め、ホイッスルと同時に試合終了。
- 2009年10月3日、J2第43節愛媛戦 △1-1
- Jリーグ加盟後初めて、かつ現状最後となる足利陸でのホームゲーム。「足利劇場」をテーマにイベントが行われた[29]。
ユニフォーム
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- 県リーグ時代は緑と紺を基調としたユニフォームだったが、2000年のJFL昇格を機にシャツを黄色、パンツを青、ストッキングを赤に変更。
- 2008年にストッキングの色を青に変更。
- 2014年第7節より、ユニフォーム右袖に宇都宮市のキャッチフレーズ「住めば愉快だ 宇都宮」が入る。
チームカラー
- 黄[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | TKC | TKC | 2007年 - | 2016年は「50th TKC」表記 |
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鎖骨 | トヨタウッドユーホーム | TOYOTA WOODYOU HOME | 2018年 - | 左右とも掲出 2017年は背中下部に掲出 |
背中上部 | カワチ薬品 | カワチ薬品 | 2007年 - | |
背中下部 | 足利銀行 | 足利銀行 | 2018年 - | |
袖 | 北関東綜合警備保障 | ALSOK 北総警 |
2015年 - | 2010年 - 2014年は 「まもるくん 北関東総合警備」表記 2015年 - 2017年は「ALSOK」表記 |
パンツ | 無し | - | - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2005 | サトーカメラ | 解禁前 | 坂田新聞店 | 解禁前 | - | 接骨院ふくだ | Mizuno |
2006 | アイライン | サトーカメラ | 坂田新聞店 | ||||
2007 | TKC | カワチ薬品 | I Line | 栃木信用金庫 | |||
2008 | 栃木信用金庫 | コジマ | |||||
2009 | もったいない運動 | ||||||
2010 | まもるくん 北関東総合警備 | ||||||
2011 | |||||||
2012 | |||||||
2013 | |||||||
2014 | Grandy | ||||||
2015 | ALSOK | ATHLETA | |||||
2016 | 50th TKC | Grandy | - | ||||
2017 | TKC | TOYOTA WOODYOU HOME | |||||
2018 | TOYOTA WOODYOU HOME | 足利銀行 | ALSOK 北総警 |
スポンサー
下部組織
2002年に小学生年代のジュニア(U-12、U-11)および中学生年代のジュニアユース(U-15、U-14、U-13)、2006年に高校生年代のユース(U-18、U-17、U-16)を、2007年2月には栃木県女子サッカーリーグ1部所属(当時)のブランカFCを母体として、女子チームの 栃木SCブランカ を発足させた。また、栃木SCのOBによるアマチュアクラブがあり、栃木県社会人サッカーリーグに所属している。
- 栃木SCアカデミーセンター
- ユース
- ジュニアユース
- ジュニア
- 栃木SCブランカ (栃木SCレディース)
経営問題
- 2013年9月、ユニフォームスポンサーのコジマが2013年シーズンをもって栃木SCを含む県内の4つのプロスポーツクラブのスポンサーより撤退することが下野新聞により報じられた。なお、コジマによる4つのクラブへのスポンサー料は年間数千万円とされ、栃木SCの経営面にも影響を及ぼす恐れがあるとしている[30]。
- 2013年9月30日、2014年度Jリーグライセンスについて、J1ライセンスの交付が決定したものの、新たに債務超過となったことで、2013年度ライセンス交付時に出された「個別通知」より悪い「是正通達」が出され、債務超過の解消に向け、(1)今期損益見通し詳細を報告し、Jリーグの指導を受けること(2)2014年度予算編成に際し、Jリーグの事前指導を受けることの2点が挙げられた[31]。クラブライセンスマネジャーの大河正明Jリーグ理事は「栃木は昨季、J1に上がりたいが故に身の丈以上の投資をして戦力補強したが、昇格を逃して債務超過に陥った。Jリーグとしても良くないケースとしている。栃木が新しく債務超過に陥ったのは、すごく心配している」とコメント、債務面で「要注意」とされた[32]。
- 2013年11月5日、運営会社の株式会社栃木サッカークラブが記者会見を行い、2013年度決算で約9,000万円の赤字が見込まれ、同年度末に約1億5,000万円の債務超過に陥る見通しとなることを発表。2014年度に債務超過を解消できないとJリーグライセンスを剥奪される恐れがあるため、人件費削減などの経費圧縮および収入増に結びつく観客数の増加を図るとした[33]。
- 2014年9月12日、平成26年度中間決算報告の記者会見を行い、経費圧縮や広告収入増などにより営業利益が黒字に転じたことから、債務超過が解消されJリーグライセンス剥奪は無いとの見通しを報告[34][35]。9月29日、2015年シーズンのJ1ライセンスが交付された[36]。
- 2015年4月2日に行われた記者会見によると、2014年度決算は売上高約9億4100万円、経常損益は約1億5000万円の黒字となり、債務超過も解消された。主な改善要素は募金(約4300万円)及び外国人選手放出による人件費の削減(前年度比-1億2000万円)と移籍金収入(約3800万円)[37]。
応援スタイル
コールリーダーは毎試合上半身裸にオイルを塗って応援している。
県民の歌
試合開始前にはチームの応援歌ではなく「県民の歌」を歌い、本拠地の栃木グの映像装置には、県民の歌の歌詞が表示される。2011年からは勝利試合の後にも歌われるようになった。
公式応援ソング
- 2009年 - 2012年 LITTLE WIDE ORCHESTRA 『Fly to the sky player』
- 2013年 - DIRTY OLD MEN 『呼吸』
メディア
テレビ
- とちぎテレビ
- スカパー!Jリーグ中継(Jリーグから製作を委託され、ホームゲーム全試合をスカチャンで生中継、不定期で県内向けに地上波生中継、J SPORTSで録画中継。実況は主に篠田和之、ピッチレポーターは2011年まで萬代裕子、2012年から針谷衣織里が担当。2011年から佐藤悠介がプレイヤー解説)
- T.S.☆LAB!! 栃木サッカー研究所 毎週月曜22:00~22:30 (再放送 毎週金曜日17:00~17:30)
- TOCHIGI FIGHTING!!SC一枚岩 (2009年3月~2013年12月)
- Go to J!!~SC一枚岩~ (2007年は独立した番組として放送、2008年はイブニング6月曜日のコーナーとして放送)
- 「栃木SC祭~年末年始もKeep on Fighting!!興奮をもう一度~」
- 栃木SCホームゲームプレイバック
- 2008年12月29日 前期第1節 FC琉球戦
- 2008年12月31日 前期第5節 TDK戦 ・ 前期第14節 SAGAWA SHIGA FC戦 ・ 後期第15節 アルテ高崎戦
- 2009年1月2日 前期第16節 ファジアーノ岡山FC戦
- JAグループ栃木presents Go to J!! 栃木SC J2への軌跡 (2008年12月30日放送)
- 栃木SCホームゲームプレイバック
ラジオ
地域貢献活動
- ゆめプロジェクト
- 日本サッカー協会の「DREAM~夢があるから強くなる」というスローガンの下に、栃木SCのスタッフ及び選手が県内の小中学校を訪問し、講話や実技を行って子供の心身の健全な発達に対し積極的に関与・貢献していくプロジェクト。2008年4月1日に概要が発表され[38]、2008年5月12日に第1回が開催された[39]。
- キッズスマイルキャラバン
- 栃木SCアカデミーセンターのスタッフが幼稚園や保育園を訪問し、「サッカーを通して子供たちに身体を動かすこと(スポーツ)の楽しさを伝えること」を目的としたサッカー教室を開催している[40]。2009年6月8日に第一回が開催された[41]。
- いきいき健康サッカー教室
- 宇都宮市からの受託事業として、高齢者を対象に栃木SCの監督や選手、スタッフと共に簡単な運動を行い、健康の維持増進や介護予防を目的するイベントを開催している。2011年6月24日に第一回が開催された[42]。
- 栃木県農産物リポート
- 2011年3月の福島第一原子力発電所事故による栃木県産農産物への風評被害を払拭するため、栃木県農政部農政課と共同で農産物のPRや生産者を励ます活動を行っており、その模様を栃木SCオフィシャルサイトにて発表している。2011年8月5日に第一回目のリポートが掲載された[43]。
そのほか県サッカー協会主催のサッカークリニックへの参加、高齢者を対象とした「栃木SC健康教室」や「栃木SC介護予防教室」の開催、中学校での「総合的な学習の時間」講演、栃木県中学校体育連盟と協力してのサッカー部の指導、栃木県サッカー協会と協力しての小学校訪問事業、企業経営者を対象とした監督による講演会、清掃活動や緑化活動への参加などを行っている[44]。
注釈
- ↑ 「栃木SC」の名称での商標登録が意味的な範囲が広すぎてできないことがわかったため[3]「栃木サッカークラブ」が商標登録できないため(下野新聞2006.12.27)
- ↑ ただし、2006年のメンバーについては、高等学校教諭1名、養護学校(当時)期限付き講師3名、中学校期限付き講師1名(ここまで「教員」)、指導助手(期限付き)2名、公仕・校務員(期限付き)4名の計11名であり、また正規採用である教員は1名(2015年に退職しジュニアユース監督となった只木章広)だけであり、当時の報道である「教員集団」「選手の約半数が教員」(サンケイスポーツ、共同通信社他)は明らかな誤報である。(栃木県連合教育会『平成18年栃木県学事関係職員録』他による)
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 “プロフィール:栃木SC”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
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- ↑ 栃木SC、4期ぶり黒字 経常利益は1億5000万円 下野新聞「SOON」2015年4月30日閲覧
- ↑ ゆめプロジェクト 栃木SC公式サイト
- ↑ 【フォトリポート】5月12日(月)「ゆめプロジェクト」に選手が参加しました。 栃木SC公式サイト
- ↑ スマイルキャラバンのご案内 栃木SC公式サイト
- ↑ <フォトリポート>キッズスマイルキャラバン始動!!(東浦保育園) 栃木SC公式サイト
- ↑ 【フォトレポート】宇都宮市受託事業「いきいき健康サッカー教室」。 栃木SC公式サイト
- ↑ 【フォトリポート】第1回 佐藤悠介栃木SCドリームアンバサダー 栃木県農産物リポート 栃木SC公式サイト
- ↑ ニュース & トピックス HOME TOWN 栃木SC公式サイト
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外部リンク
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