ロアッソ熊本
ロアッソ熊本 | |
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原語表記 | ロアッソ熊本 |
呼称 | ロアッソ熊本 |
クラブカラー | 赤[1] |
創設年 | 2005年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 熊本県熊本市[1] |
ホームスタジアム | えがお健康スタジアム[1] |
収容人数 | 32,000[1] |
運営法人 | 株式会社アスリートクラブ熊本[1][2] |
代表者 | 永田求[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
ロアッソ熊本(ロアッソくまもと、Roasso Kumamoto)は、日本の熊本県熊本市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
Contents
概要
運営会社は株式会社アスリートクラブ熊本(2004年12月設立)[1]。ホームスタジアムはえがお健康スタジアム[1]、練習場は熊本県民総合運動公園、水前寺競技場などを使用している[3](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
チーム名のロアッソ(ROASSO)は、阿蘇山および「火の国熊本」からイタリア語で赤を意味する「ロッソ」(ROSSO)と、イタリア語で「唯一の」や「エース」を意味する「アッソ」(ASSOO)を組み合わせた造語である[1][2]。エンブレムのデザインは暴れ馬と赤い盾[2]。馬は選手・若者、盾はサポーターを表しており、盾の形は熊本県のマークからイメージしている[2]。エンブレムやマスコット等のモチーフとなっている「馬」は熊本の伝統的な祭事などに関わる象徴的な動物である[2]。
クラブマスコットは「馬」をモチーフとしたロアッソくん(2008年誕生)[1] が務めている。2017年1月には元所属選手でスタジアムDJを務める小林弘記に交代すると報じられたが[4]、3月1日に「条件付き」ながらロアッソくんが復帰した。
歴史
プロサッカークラブ発足まで
1969年に創部された日本電信電話公社熊本サッカー部が母体となり、2002年からはアルエット熊本(A熊本)の名称でクラブチームとなった。
2004年9月に発足した「熊本にJリーグチームを」県民推進運動本部[2] は、A熊本を母体としてプロサッカークラブを設立する方針を決定。2004年12月に運営会社として株式会社アスリートクラブ熊本(AC熊本)を設立[1] し、2005年2月にロッソ熊本が発足した[1]。なお、2008年に商標権の問題で「ロアッソ熊本」へ改称した[1]。
発足と共に特別顧問に県知事、熊本市長が就任するなど自治体からの支援も受けた全県的なチームとしてJリーグを目指すこととなり、所属選手全員とプロ契約を結んだ。
なお、形式上ロアッソの前身はA熊本であるが、ロアッソへの移行の際にチーム名称以外にチームカラー・エンブレム・所属選手など全て変更されたため、新たにクラブが発足した2005年がロアッソの創設年とロアッソやJリーグのホームページにも記載され[1][2]、A熊本とロアッソは別のクラブと見なされている。ただし、天皇杯全日本サッカー選手権大会の出場回数はA熊本時代からの通算である。
2005年 - 2007年(九州・JFL)
- 2005年
九州リーグでは最終戦でFC琉球との首位攻防戦を制し、A熊本時代を含めて7回目の優勝を収めた。全国地域サッカーリーグ決勝大会は3位。なお、JFL優勝の愛媛FCがJリーグへ加盟したため、日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格した[1]。
- 2006年
8月、Jリーグ準加盟が承認された[1]。JFLは5位の成績となり、Jリーグ入会は見送られた。
- 2007年
9月27日、Jリーグ加盟の申請書を提出。11月11日のFC琉球戦に勝利し、J2昇格条件のJFL4位以内が確定した(最終順位は2位)。12月3日のJリーグ臨時理事会で2008年度からのJリーグ加盟が承認された[1]。
11月16日、Jリーグ加盟に併せて商標権取得の為にクラブ名をロアッソ熊本へ改称すると西日本新聞などが報じた[5]。この名称は8月に特許庁に申請しており、翌2008年4月には承認された[6]。これに関して一部のサポーターが抗議を行った[5]。11月29日、公式サイトに「チーム名変更について(お詫び)」と記された文面が掲載され[7]、12月25日に新チーム名称とエンブレム・ロゴが発表された。
2008年 -(J2)
2008年
- チームスローガン:Action & Communication
1月23日に『「ロアッソ熊本」国獲り宣言』と題した中期目標並びにシーズンスローガン、シーズン目標が発表され、またクラブマスコット『ロアッソくん』が誕生した。
韓国から車智鎬を完全移籍で、G大阪から中山悟志をレンタル移籍で獲得。あとは高校生2人(吉田智志、網田慎)を獲得した。JFL昇格時のメンバーを中心としたメンバー構成で戦った1年目はシーズン終盤には8試合無敗となるなど、10勝13分19敗で12位の成績。5月に九州産業交通元取締役の岡英生がAC熊本の社長に、8月に池谷友良がゼネラルマネージャー(GM)に就任(監督と兼任)。なお、シーズン終了後に池谷が監督を退任した(GMは留任)。
2009年
- チームスローガン:絆~Keep & Change~
京都のジュニアユース元監督の北野誠が監督に就任[1]。レンタル移籍だった中山悟志、松岡康暢が完全移籍。京都から石井俊也を、甲府から宇留野純を、名古屋から元日本代表の藤田俊哉を完全移籍で獲得。G大阪から木下正貴をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は前年を下回る14位の成績。シーズン終了後に北野が監督を退任した。
2010年
- チームスローガン:絆 〜STRONG WILL 強い意志〜
東京V元監督の高木琢也が監督に就任[1]。木島良輔、小森田友明、石井俊也、中山悟志、山本翔平らが退団した一方、レンタル移籍であった木下正貴を完全移籍で獲得。また、元日本代表の柏から南雄太、同じく神戸から松橋章太を完全移籍で、名古屋より平木良樹がレンタル移籍、徳島にレンタル移籍していた筑城和人、元山形の渡辺匠を完全移籍で獲得。
シーズン開始後の4月に、2月より練習生として参加していたファビオとターレスが入団した。2010 FIFAワールドカップによる中断期間に浦和より堤俊輔がレンタル移籍で加入。中断期間終了直後の7月にターレスが退団したが、7月21日には磐田よりカレン・ロバート、8月1日には横浜FCより片山奨典が完全移籍した。
開幕から5戦負け無しで一時は3位まで浮上。シーズンを通して2桁順位に一度も落ちる事無く終盤まで昇格争いに加わり、過去最高の7位でシーズンを終了、目標としていた10位以内を達成した。
2011年
- チームスローガン:絆 〜be Real 実現〜
高木体制2年目。神戸よりエジミウソン、横浜FCより岩丸史也、根占真伍を完全移籍で、FC岐阜SECONDより片山朗を獲得。清水より長沢駿及び廣井友信、柏より武富孝介が期限付き移籍。また、中京大学より齊藤和樹、大阪教育大学より田中俊一、柏U-18より仲間隼斗が入団した。この他、元福岡の通訳である早川エジソン正吉が正規スタッフとなった。
夏の移籍ウィンドウ期間中に、岡村和哉が長崎へレンタル移籍したが、G大阪より菅沼駿哉がレンタル移籍、ソン・イニョンが入団した。
また、九州産業大学サッカー部所属の前山拓也・田中達也がクラブ史上初の特別指定選手となり[8]、2種登録選手としてロアッソ熊本ユースより6人が登録された。また、南がキャプテンに、廣井と宇留野が副キャプテンに就任。
J2参入後開幕戦初勝利を挙げ、リーグ戦も前半は前年からの堅守路線を継続して昇格圏を伺う位置にいたが、FC東京や東京V、岡山に大敗するなどして、昨年よりも下位となる11位で終了。シーズンを通して3点以上得点した試合が全く無く、チームの総得点は33点で2011年のJ2リーグ20チーム中最低を記録した。天皇杯は初戦(2回戦)で鳥取に敗退。
第38節の鳥栖戦の試合終了後、J1昇格が決まった鳥栖に対してロアッソサポーターが「サガン鳥栖を愛する全ての人へ 堅忍不抜の努力に敬意を表します 追いつき追い越すまでJ1にいてね♥」という横断幕を掲げ[9]、サガン鳥栖コールを繰り返した[10]。これに対し、鳥栖市から礼状が届き[11]、また、サガン・ドリームス代表取締役会長井川幸広が感謝の意を述べた[12]。
2012年
- チームスローガン:絆 ONE heart 〜心をひとつに〜
高木体制3年目。フィジカルコーチの大塚俊介、通訳の早川エジソン正吉、アカデミースタッフの北川佳男が退団。また、3月9日に岡英生が社長を辞任、後任にGMの池谷が就いた[13]
補強は、C大阪から高橋祐太郎、川崎から昨シーズン甲府にレンタル移籍した養父雄仁、岡山から白谷建人、大宮から藤本主税、栃木SCから崔根植を完全移籍で獲得、関西サッカーリーグ・アイン食品サッカー部から畑実及び元FC琉球の田島翔が新加入した。また、ロアッソユース創設以来、初のトップチーム昇格で甲斐敬介が加入。新卒では宮崎産業経営大学サッカー部所属の五領淳樹が加入した。前年から引き続き九州産業大学サッカー部所属の田中達也、新たに鹿屋体育大学サッカー部に所属している山崎侑輝が特別指定選手となった。
シーズン開幕後、3月30日に練習生として参加していた元柏の藏川洋平、5月25日に柏の北嶋秀朗の期限付き移籍が発表された。
第2節のホーム開幕戦の鳥取戦でシーズン初勝利を挙げ9位となるが、第7節から第15節まで9試合無勝利となるなど、開幕から15試合で2勝6分7敗と低迷、一時は19位にまで順位を下げた。第34節ホーム大分戦から第38節ホーム町田戦までクラブ史上初のリーグ戦5連勝(公式戦である天皇杯の仙台戦を含めると6連勝)したが、最終成績は14位。シーズン終了後に高木は監督を退任した。天皇杯は3回戦でJ1仙台に勝利し、クラブ史上初めて4回戦へ進出した。
北嶋秀朗の呼びかけにより藤本主税と南雄太が賛同して、第28節栃木SC戦よりロアッソ熊本で使用されているチャントの一つである「come on rosso!」に乗せて、ホーム・アウェイに関わらずチームが勝利した時のみ試合後選手・スタッフと観客が一緒に踊るというパフォーマンスが行われるようになった[14]。
2013年
- チームスローガン:絆 with us 〜180万馬力〜
監督に、U-20サッカー日本代表元監督の吉田靖が就任。また、ロアッソ熊本アカデミーコーチの山口武士がトップチームコーチに、ロアッソ熊本ユースの非常勤トレーナーである松本純一がフィジカルコーチ、徳島で通訳経験のある神山敦史が通訳にそれぞれ就任した。
市村篤司が横浜FCへ、武富孝介が湘南へ移籍、廣井友信は清水へ復帰した。
補強は、千葉から佐藤慎之介、ブラジルからドゥグラスとジェフェルソンが完全移籍で、鳥栖から黒木晃平がレンタル移籍で加入。新卒は、秀岳館高校出身のパブロ、流通経済大学から藤本大が入団した。また、北嶋秀朗がレンタル移籍から完全移籍へ、特別指定選手として昨季3試合に出場した山崎侑輝が正式に加入、終盤にベンチ入りしたユースの森川泰臣がトップ昇格を果たした。鹿屋体育大学の坂田良太が特別指定選手となった。また、4月に水原三星からノ・ヒョングを完全移籍で、甲府から堀米勇輝、FC東京から橋本拳人をレンタル移籍で獲得。なお、堀米と橋本は2013年より新たに適用された「23歳以下の選手は下位カテゴリーへのレンタル移籍に限り、登録期間外でも自由に移籍が出来る」制度[15] を活用した[16]。
開幕2戦を連敗後、第3節アウェー松本戦でシーズン初勝利を挙げるが、その後第4節から7戦勝利なし(4連続引分の後3連敗)となり、順位も20位まで低下。第11節から3連勝し14位まで順位を上げたものの、6月に入り再び第17節から第24節にかけて4連敗1回を含む8試合連続勝利なし(3分5敗)となり順位も19位まで降下。また6月15日(第19節)の北九州戦ではJ2最多得点差タイ記録となる0-7での敗戦を喫した[17]。
7月10日、成績不振により吉田が監督を退任[18](一部報道機関では解任としている[19][20]。また、クラブ史上初のシーズン途中での監督交代となる[21])し、池谷友良が社長との兼務で代行監督に就任。また、同日付でパブロがヴォルカ鹿児島へ期限付き移籍した。7月27日、DFジェフェルソンの契約を解除。8月10日、元甲府所属ウーゴの移籍及び千葉から青木良太のレンタル移籍を発表。8月14日、池谷が社長を退任し、会長の永田求が社長を兼任することになる。
9月30日、2014年度のJリーグクラブライセンス申請において、J1ライセンスを付与されたものの、同時に、債務超過解消に向け「今期損益見通し詳細を報告し、Jリーグの指導を受けること」「2014年度予算編成に際し、Jリーグの事前指導を受けること」の2点が是正通達された[22]。
第25節での勝利を最後に第26節から第32節まで7試合勝利なし(3引分後4連敗)の後、第33節から4試合負けなし(3勝1分)を記録したが、最終順位はJ2参加後ワーストの19位(10勝13分19敗、勝点43)。得失点差は22チーム中20位の-30であった。ホームゲームは4勝6分11敗の勝点18(アウェーは6勝7分8敗の勝点25)。年間入場者数は130,769人となり、前シーズン比6.3%の増加。天皇杯は3回戦で広島に敗れた。シーズン終了後に池谷が監督代行から退任した。
2014年
- チームスローガン:絆 My Hometown 180万馬力
広島元監督の小野剛が監督に就任[1]。監督代行を務めた池谷友良は社長に復帰した[23]。
ノ・ヒョング、ドゥグラス、ウーゴが契約満了に伴い退団、また2013年シーズン途中に期限付き移籍で加入した堀米勇輝、青木良太についても契約満了に伴い退団した。さらにチーム設立時から所属している唯一の選手だった福王忠世が鳥取、南雄太が横浜FC、期限付き移籍をしていた白谷建人が町田へ完全移籍した。2013年7月からブラジル・サンパウロ州のモジミリンECに短期留学していた甲斐敬介も関西サッカーリーグ1部の奈良クラブへ期限付きで移籍している。北嶋秀朗、筑城和人、佐藤慎之介が引退、北嶋はアシスタントコーチ兼アカデミースタッフに、筑城は強化スタッフに就任した。
補強は札幌から岡本賢明、東京Vから巻誠一郎といずれも熊本県出身の選手が完全移籍で加わったほか、愛媛から園田拓也、富山から金井大樹がいずれも完全移籍で、岡山から篠原弘次郎、広島からキム・ジョンソクがいずれも期限付き移籍でそれぞれ加入した。さらに2013年に期限付き移籍で加入していた黒木晃平、橋本拳人は期限付き移籍期間が延長され、Kyuリーグヴォルカ鹿児島に期限付き移籍していたパブロ・ヤン・フェレイラが復帰した。新人については、ジュニアユース時代からクラブに所属する上村周平、嶋田慎太郎がトップチームに昇格、中央大学から大津高校出身の澤田崇、流通経済大学から広島ユース出身の中山雄登、第92回全国高等学校サッカー選手権大会ベスト4の京都橘高校の永井建成、韓国・漢陽工業高等学校のジョン・ミンヒョクが加わった。
4月に選手登録してるGK畑実と永井建成が練習中に負傷[24]、4月13日の讃岐戦(うまスタ)でGKが金井大樹だけになり控えがいない状況になった。この緊急事態にGKコーチの加藤竜二が選手登録となり7年ぶりに現役復帰[25]、4月20日には育成型期限付き移籍でJ1仙台のGKシュミット・ダニエルを加入[26](- 2014年5月19日まで)。4月25日にはシュミット・ダニエルの背番号が「31」[27] となり試合出場可能になった、4月18日に選手登録してた加藤竜二は選手登録抹消しGKコーチとして再登録した[28]、 またロアッソユースからGK八木大政が2種登録選手として選手登録した[29]。
夏の移籍ウィンドウ期間にキム・ビョンヨン、アンデルソンが完全移籍で、髙柳一誠は期限付き移籍で加入、大津高校の野田裕喜は特別指定を受けた。ジョン・ミンヒョク、藤本大及び山崎侑輝は山口へ期限付き移籍、加療中のパブロが外国人枠の関係で登録を外れた[30]。
開幕5戦で勝ち点がわずか4であり、第19節から第22節まで4連敗するなど波に乗り切れなかった時期もあったが、若手の起用を積極的に行い[31]、ハードワークをしながら球を奪ったらすぐにシュートまで持ち込むスタイル[32] を徹底させた結果、昨年よりも上の順位である13位でシーズンを終えた。
2015年
- チームスローガン:RISING 絆 180万馬力
小野体制2年目。コーチを務めていた山口武士が退任、北嶋秀朗がコーチへ昇格した。また、GKコーチを務めていた加藤竜二も退任しており、後任には女子日本代表GKコーチ経験を持つ澤村公康が就いた。
ファビオ、高橋祐太郎(長崎へ移籍)、大迫希(V大分へ移籍)、五領淳樹(鹿児島へ移籍)、山崎侑輝(栃木Uへ移籍)が契約満了。期限付き移籍だった橋本拳人、篠原弘次郎は元のクラブへ復帰、キム・ジョンソクは山口へ再度期限付き移籍した。昨シーズン、チーム最多得点を挙げた澤田崇は清水へ完全移籍、仲間隼斗は讃岐、森川泰臣は鳥取へそれぞれ期限付き移籍した。矢野大輔、原田拓、藤本主税、吉井孝輔が引退、藤本はロアッソ熊本ジュニアユース監督、吉井はロアッソ熊本ユースコーチに就任、矢野と原田はロアッソ熊本のフロントスタッフとなった。
補強は、群馬から平繁龍一、クォン・ハンジン、東京Vから常盤聡、広島から原裕太郎、札幌から上原拓郎を完全移籍で獲得。期限付き移籍であった黒木晃平、髙柳一誠も完全移籍へ移行した。広島の大谷尚輝は期限付き移籍で加入した。山口に期限付き移籍していた藤本大は復帰、登録外となっていたパブロは再登録された。新卒は、九州産業大学から1年次より特別指定選手だった田中達也、流通経済大学からインカレMVPを獲得した鈴木翔登、駒沢大学から熊本出身の小牧成亘が入団。昨年、特別指定選手だった熊本県立大津高等学校の野田裕喜は今年も指定を受けた。
第3節で初勝利を上げたものの、その後は第6節から第10節まで5連敗するなど低迷。一時はJ3降格圏にまで達したが、シーズン途中に鳥栖から清武功暉、湘南から岡崎亮平、そして前年に続き仙台からシュミット・ダニエルを期限付き移籍で獲得した。清武とダニエルはいずれも主力として活躍し、リーグ後半戦で9勝7分け5敗とチームが躍進する原動力になった。最終成績は13位に終わった。
しかし、8月26日に小野監督が練習中にスタッフの1人に行き過ぎた注意をした事が暴力行為ではないかと問題となり、Jリーグから11月7日付で「厳重注意」の処分が下された。処分が下った後でクラブ側は小野監督に来季続投を要請していたが、シーズン終了後、プレーオフ進出を逃した責任を取って小野監督は辞任した。
2016年
- チームスローガン:+ONE 絆180万馬力
ヘッドコーチの清川浩行が監督に就任し、ヘッドコーチにはユース監督を務めていた財前恵一が就任した。コーチを務めていた北嶋秀朗が新潟へ移籍し、後任には福岡ユース監督の久藤清一が就いた。また、通訳の神山敦史も柏へ移籍した。2014年シーズンを持って引退してユースのコーチを務めていた吉井孝輔は鹿児島で現役復帰を果たした。
キム・ビョンヨン、パブロ、常盤聡(群馬へ移籍)が契約満了。クォン・ハンジンは済州ユナイテッドFCへ、齊藤和樹は磐田へ、養父雄仁は長崎へそれぞれ完全移籍した。讃岐へ期限付き移籍した仲間隼斗も完全移籍となった。期限付き移籍で加入した選手のうち、岡崎亮平、シュミット・ダニエル、大谷尚輝は期間満了でチームを離れ、藤本大は引退した。
福島より齋藤恵太、札幌より薗田淳、鹿島より佐藤昭大、岡山より植田龍仁朗、愛媛より村上巧が完全移籍で加入。鳥取へ期限付き移籍していた森川泰臣、大分へ期限付き移籍していた金井大樹は共にチームに復帰。新卒は阪南大学より八久保颯が加入した。また、前年期限付き移籍で加入した清武功暉は期限付き移籍期間が延長された。
チームはシーズン開幕から3連勝を果たし、第3節終了時にはJリーグ昇格後初めてリーグ戦で単独首位に立った。
ところが4月14日及び16日未明に発生した熊本地震により練習場が使用不能となり、ホームスタジアムの熊本県民総合運動公園陸上競技場(うまスタ)が支援物資の集積所となった。そのため、トップチーム及びアカデミーを含め活動が中止になり、リーグ戦についても、第8節・京都(4月17日・西京極、6月29日に同球場で代替開催)戦、第9節・横浜FC(4月23日・うまスタ、9月7日に同球場で代替開催)戦、第10節・山形(4月29日・NDスタ、7月6日に同球場で代替開催)戦、第11節・愛媛FC(5月3日・うまスタ、8月31日に同球場で代替開催)戦、第12節・札幌(5月7日・札幌ドーム、8月25日に同球場で代替試合)戦の計5試合が中止となった。
リーグ戦自体には5月15日の第13節から復帰を果たしたものの、ホームスタジアムのうまスタは安全確認が完了していないことや試合運営の準備期間を確保することが困難なためリーグ戦に復帰した後もホームスタジアムでの試合は行えない状態が続いた。そのため、うまスタ開催の予定であった第14節水戸戦は「熊本地震復興支援マッチ」として柏側の協力もあり柏のホームスタジアムである日立柏サッカー場[33][34] で、第15節町田戦は神戸側の協力もあり神戸のホームスタジアムであるノエビアスタジアム神戸[35][36] で、第17節金沢戦・19節讃岐戦は鳥栖側の協力もあり鳥栖のホームスタジアムでもあるベストアメニティスタジアム[37][38] でのホーム代替開催に変更、うまスタでの試合開催は7月3日の第21節・C大阪戦からとなった。またこの期間中に原裕太郎がゴールキーパーの相次ぐ負傷離脱による登録ウィンドーの例外による期限付き移籍の制度により愛媛へ期限付き移籍した[39]。
シーズン中には、関東2部・LB-BRB TOKYOから若杉拓哉が完全移籍で、C大阪から小谷祐喜が期限付き移籍で加入、さらに元鳥栖の菅沼実が新加入した。一方で森川泰臣が藤枝MYFCに期限付き移籍、坂元大希がドイツ6部リーグのFCドルンドルフへ完全移籍、アンデルソンが退団した。
リーグ戦復帰後は4連敗となかなか勝利に恵まれていなかったが、第17節金沢戦で復帰後初勝利を挙げた。しかしリーグ復帰前の順位には届かず最終順位は16位で終了した。
2017年
- チームスローガン:光となれ!絆 180万馬力
清川体制2年目。
髙柳一誠(山口へ移籍)、金井大樹、永井建成(京都へ移籍)、森川泰臣(JFL・V大分へ移籍)、キム・テヨン、藏川洋平が契約満了、若杉拓哉が退団、小牧成亘が沼津、鈴木翔登が北九州へ期限付き移籍、清武功暉は期限付き移籍満了で退団(その後千葉へ完全移籍)、愛媛へ期限付き移籍していた原裕太郎も完全移籍となった。
札幌より上里一将、福岡より光永祐也、名古屋から昨年秋田でプレーしていた野村政孝、川崎より安柄俊が完全移籍で加入。ECバイーアより昨年名古屋でプレーしていたグスタボを期限付き移籍で獲得。C大阪から期限付き移籍していた小谷祐喜は完全移籍に移行。岐阜へ期限付き移籍していた田中達也はチームに復帰。新外国人選手として嶺南大学からイム・ジンウ、サイバー韓国外国語大学校からヤン・サンジュンが加入、元町田の三鬼海、国士舘大学から林祥太が新加入した。
J2リーグ開幕戦、讃岐に2-1で勝利し3位タイとなったのか年間最高順位で、続く第2節3節を引き分け、そこまでは1桁順位だったものの、第4節からの4連敗で一気に20位にまで低下、直後に2連勝し17位までは戻したものの、さらに4連敗し19位まで降下。3度目の3連敗(先述の2度の4連敗を含む)となった第18節終了時点で4勝3分11敗で19位のままとなり、清川監督が退任、代表取締役社長の池谷友良が社長を退任し監督代行を含め3度目の監督に就任した[40]。また社長は会長の永田求が再び兼任することになった[40]。3度目の連敗は5連敗まで続き、前半戦を5勝3分13敗の勝点18、19位で終える。
シーズン中に、齋藤恵太が水戸へ完全移籍したがECヴィトーリアU-20からモルベッキ、CAメトロポリターノからジュニオール、JFL・東京武蔵野から内山圭が完全移籍で加入、特別指定選手で東海大学熊本キャンパスの末次敦貴が登録された。
前半戦最終戦の第21節の勝利から4戦負けなし、同節から6戦で3勝2分1敗とするなど調子を上げたかと思われたが、第27節の敗戦を皮切りに4試合で1分3敗するなど21位でシーズンを終える。本来であればJ3降格となる順位だが、J3からの昇格が2017年シーズン2位だった栃木SCの1クラブのみ(1位のブラウブリッツ秋田は2018年J2ライセンス未交付のため昇格できず)となったため、規定によりJ2残留となった。
シーズン終了後には成績低迷の責任をとり、池谷は退任して熊本から離れることになった[41]。また、強化本部長を務めていた飯田正吾が解任された[42]。
2018年
- チームスローガン:飛翔
大宮元監督の渋谷洋樹が監督に就任した。ゼネラルマネジャーには前広島社長の織田秀和が就いた。トップチームコーチを務めていた北嶋秀朗がヘッドコーチに昇格、コーチにはロアッソジュニア監督兼スクールコーチを務めていた藤本主税とトップチームテクニカルコーチを務めていた石原田啓太が就任した。また、久藤清一コーチは退任、福岡のコーチへ転任した。
モルベッキ(磐田へ移籍)、グスタボ(ベトナムのホーチミン・シティFCへ移籍)、ジュニオール、光永祐也(藤枝へ移籍)、菅沼実が契約満了となった。他クラブへ期限付き移籍していた薗田淳(秋田へ移籍)、小牧成亘(藤枝へ移籍)も契約満了、富山へ期限付き移籍をしていた平繁龍一は群馬へ完全移籍した。期限付き移籍で加入した田鍋陵太、木村祐志は共に期間満了となりチームを離れた。また、嶋田慎太郎は大宮へ、三鬼海は山形へ完全移籍した。岡本賢明は引退して、ロアッソ熊本のアカデミーコーチに就いた。
大宮から高瀬優孝、鳥栖から青木剛、千葉から多々良敦斗、京都から伊東俊、琉球から田辺圭佑、アルビレックス新潟シンガポールから佐野翼が完全移籍で加入した。広島から皆川佑介が期限付きで加入している。北九州へ期限付き移籍していた鈴木翔登は復帰した。中央大学からはロアッソ熊本ユース出身の池谷友喜、中京大学からは同じく熊本ユース出身の坂本広大が入団した。ユースからは衛藤幹弥がトップチームへ昇格している。
成績
タイトル・主な成績
リーグ戦
- 九州サッカーリーグ:1回
- 2005年(第33回)
カップ戦他
- NHK杯熊本県サッカー選手権大会(兼天皇杯熊本県予選):3回
- 2005年(第9回)、2006年(第10回)、2007年(第11回)
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 2005年(第41回)
- 熊本県チャンピオンシップシップサッカー大会(アデルカーズカップ):1回
- 2005年(第1回)
個人別
その他
- 日本フットボールリーグ
- ベストサポーター賞:2007年(第9回)
スタジアム・練習場
ホームスタジアムは熊本県民総合運動公園陸上競技場「えがお健康スタジアム」(旧愛称:KKWING 旧名称:うまかな・よかなスタジアム)であるが、熊本市水前寺競技場でもホームゲームを開催している。創設当初は水前寺がメイン、KKWINGと大津町運動公園球技場をそれぞれ準本拠と位置づけて開催していた。なお、2008年は鹿児島県立鴨池陸上競技場で開催した。
2010年シーズンはKKWINGの施設改修(4-5月)実施のため、水前寺競技場で7試合(うち6試合は改修時期を利用)を開催。同年5月29日の大分戦は大分県方面からの応援団が訪れる可能性を踏まえて「会場調整中」としていたが代替地の調整が付かず、水前寺での開催となり、急遽収容人員の問題(KKWINGの半分程度)もあるためチケットが先行発売された。
2016年シーズンは水前寺競技場の耐震補強を伴う全面改修に伴い、Jリーグ加盟以後初めて全主催21試合をうまスタで開催することが一度は決定した。[43] しかし、平成28年熊本地震の発生に伴い、同5・6月開催予定の4試合は安全が確保できていないとしてうまスタでの開催を見送り、日立柏サッカー場とノエビアスタジアム神戸、ベストアメニティスタジアムに代替することに決めた。2017年度もホーム21試合をえがおスタジアムで行い、水前寺での開催予定は1月25日に行われた組み合わせ発表の際には組まれていない。
2012年3月29日、熊本県民総合運動公園内にロアッソ熊本のクラブハウスを兼ねた「スポーツ交流館」が落成した[44]。クラブ専用のミーティングルームやロッカー、シャワールームなどを備えている。練習は主にスポーツ交流館横のサッカー場・ラグビー場で行われる他、水前寺競技場、大津町運動公園球技場、益城町陸上競技場、七城町サッカー場などでも行われる[45]。
ユニフォーム
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チームカラー
- 赤[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
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胸 | 平田機工 | Hirata | 2018年 - | |
鎖骨 | なし | |||
背中上部 | マイナビ | マイナビ | 2017年 - | |
背中下部 | 高橋酒造 | 白岳(1st) 白岳しろ(2nd) |
2018年 - | 2005年はパンツ 2006年 - 2007年、2012年 - 2017年は胸 (2005年 - 2007年は「白岳」表記、 2012年より1st・2nd別表記) |
袖 | 熊本電力 | 熊本電力 | 2018年 - | 2016年第6節 - 2017年は背中下部 |
パンツ | サトウロジック | サトウロジック | 2015年 - |
トレーニングウェアスポンサー
公式用トレーニングウェア
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
---|---|---|
胸 | シアーズホームグループ[2] | シアーズホーム |
背中 | 熊本日日新聞[2] | 熊本日日新聞 |
背中下部 | 磯崎工務店[2] | 磯崎工務店 |
袖 | アンサー・インターナショナル[2] | アンサー・インターナショナル |
両袖 | えがお[2] | えがお |
練習用トレーニングウェア
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
---|---|---|
胸 | フジバンビ[2] | 黒糖ドーナツ棒フジバンビ |
背中 | シアーズホームグループ[2] | シアーズホーム |
袖 | えがお[2] | えがお |
ユニフォームサプライヤー
- 2005年 - 現在:プーマ
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
2005-2006 |
2007 |
2008 |
2009-2011 |
2012-2013 |
2014 |
2015 |
2017 |
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2005-2006 |
2007 |
2008-2009 |
2010-2011 |
2012-2013 |
2014 |
2015 |
2016 |
2017 |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2005 | Tsuruya | 解禁前 | Q-NET SECURITY |
解禁前 | Coca-Cola | 白岳 | PUMA |
2006 | 白岳 | ANESIS | |||||
2007 | |||||||
2008 | 武者がえし | 神城文化 の森 |
しんきん | Coca-Cola | |||
2009 | 武者がえし(1st) 陣太鼓(2nd) |
NTM | |||||
2010 | |||||||
2011 | |||||||
2012 | 白岳(1st) 白岳しろ(2nd) |
再春館製薬所 | |||||
2013 | |||||||
2014 | えがお | - | |||||
2015 | サトウロジック | ||||||
2016 | - / 熊本電力[48] | ||||||
2017 | マイナビ | 熊本電力 | |||||
2018 | Hirata | - | 白岳(1st) 白岳しろ(2nd) |
熊本電力 |
スポンサー
アカデミー
2006年にジュニアユースチーム、2009年にユースチームが発足。また、2008年はJサテライトリーグ(2010年廃止)へ参加したが、2009年より九州チャレンジャーズリーグへ参戦している。U-18は2013年に高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ九州2部に参入[49] したが、同年を持ってリーグを1部体制にする煽りを食って降格、2015年には県リーグで首位に立ち、プリンスリーグ参入戦で勝利したことにより、2016年度より再度昇格している[50]。
2016年より、これまでユース(U-18)、ジュニアユース(U-15、U-14、U-13)に加えて、小学生を対象にしたジュニアチームを発足させる[51]。
ジュニアユースまでは男女一緒にプレーする環境となっており、時折女子生徒のチームメンバーが加入する。
ゆるキャラ応援団
2010年より熊本県PRキャラクター・くまモンがロアッソ熊本のホームゲームにて毎試合応援に駆けつけている[52]。2012年からは鞠智城(菊池市)のPRキャラクターであるころう君も参加[53] するようになり、ロアッソくん、くまモンと共に試合開始前やハーフタイムで会場を盛り上げている。2016年2月26日、熊本城(熊本市)のPRキャラクターであるひごまるも応援レギュラーメンバーに加わり、ゆるキャラ応援団を結成した[54][55]。なお、レギュラーメンバー以外にも熊本県内各地のゆるキャラが参加することもある[56]。
メディア
番組
- roasso magazine - RKKテレビ(2014年4月18日以降は自社制作の情報番組「ガルキン」に内包[57]、旧VIVA!!ROASSO)
- VIVA! ROASSO RADIO - RKKラジオ
- Roasso Links - エフエム熊本
- ロアッソ魂 - 熊本シティエフエム
- 月刊ロアッソ - ジェイコム熊本 番組は毎月1回更新され、1ヶ月間同じ内容が放送される。
コーナー
- TKUみんなのニュース(毎月1回) - テレビ熊本(TKU) - 「月刊ロアッソコバ's EYE」と題し、試合を振り返るとともに、小林弘記が解説者としてVTR出演。
- クマロク!(月曜日) - NHK熊本放送局 - 2014年4月よりスタートしたスポーツコーナー「クマロク!SPORTS」内で試合結果とともに、「池谷の視点」と題し、池谷友良が解説者としてVTR出演。
特集
- 仕事ハッケン伝 - NHK総合テレビジョン 2012年6月28日放送[58]。お笑いコンビ・スピードワゴンのボケ担当である小沢一敬が、ロアッソ熊本の運営スタッフとして1週間働いた。小沢はこれ以後、ロアッソ熊本のファンを公言している[59]。また、小沢が企画した「叫べメッセージ!!」と「ロアッソ選手ってこんな人!クイズ」は2012年シーズンのホーム最終戦まで行われた。
公式応援ソング
関連項目
- ロアッソ熊本の選手一覧
- 九州ダービー
- K'move - ロアッソ熊本専門の無料情報誌
- 人物
- ロアッソと同じく、NTTグループ内のサッカー部に由来を持つクラブ
- 大宮アルディージャ (←NTT関東サッカー部←電電公社関東サッカー部)
- ベンターナAC (←NTT西日本四国サッカー部)
脚注・出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 “クラブプロフィール”. Jリーグオフィシャルサイト (2015年1月31日). . 2016-1-17閲覧.
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 2.24 2.25 2.26 “クラブ概要”. ロアッソ熊本. . 2015-2-2閲覧.
- ↑ “練習場”. ロアッソ熊本オフィシャルサイト. . 2013-4-13閲覧.
- ↑ J2熊本マスコット、まさかの人事異動!?このままなら倉庫お片付け係 - スポーツニッポン・2017年1月20日
- ↑ 5.0 5.1 “ロッソ改めロアッソ 熊本J2加入前に運営会社決定「説明ない」サポーター抗議” (プレスリリース), 西日本新聞, (2007年11月18日), オリジナルの2007年12月7日時点によるアーカイブ。 . 2013.12.12閲覧.
- ↑ 商願2008-30208、商願2007-91509(第5149767号)、商願2007-117015(第5150345号)
- ↑ ロッソ熊本公式サイト - 2007年11月28日時点でのウェブアーカイブ(2014年4月16日閲覧)
- ↑ 九産大のFW田中受け入れ 特別指定選手に - 熊本日日新聞 2011年8月11日 前山が先に指定されており、田中は特別選手としての受け入れでは2人目となる。
- ↑ “J2:第38節 鳥栖 vs 熊本”. J's Goal (2011年12月3日). . 2013-2-3閲覧.
- ↑ 「来季こそJ1へ」 最終戦 サポーター2000人がエール - 熊本日日新聞 2011年12月4日
- ↑ “12月3日 サガン鳥栖 J1昇格お祝い横断幕の御礼” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2011年12月7日) . 2013-4-13閲覧.
- ↑ “(株)サガン・ドリームス代表取締役会長・井川幸広よりサガントスを愛する全ての皆様へのご挨拶”. サガン鳥栖公式サイト (2011年12月12日). . 2013-2-3閲覧.
- ↑ “株式会社アスリートクラブ熊本 代表取締役交代について” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2012年3月9日) . 2013-4-13閲覧.
- ↑ サッカー批評61 p.32-33
- ↑ Jリーグ 23歳以下はいつでもレンタル移籍が可能に - スポーツニッポン 2012年11月15日
- ↑ 韓国人DFノ・ヒョングと甲府の堀米の2人加入 - 熊本日日新聞 2013年4月27日
- ↑ 他に、2000年3月30日の浦和×鳥栖(浦和の7-0)、2013年10月20日の神戸×松本(神戸の7-0)。
- ↑ 吉田 靖監督 退任のお知らせ - ロアッソ熊本公式サイト 2013年7月10日
- ↑ 吉田監督解任、池谷監督代行を発表 - 熊本日日新聞 2013年7月10日
- ↑ 成績低迷、立て直せず ロアッソ熊本・吉田監督解任 - 朝日新聞 2013年7月10日
- ↑ エル・ゴラッソJ2リーグ総集編2013 p.122
- ↑ “2014シーズン・Jリーグクラブライセンスの交付について”. ロアッソ熊本. (2013年10月1日) . 2013閲覧.
- ↑ “池谷監督代行、社長復帰 GM的立場担う”. 熊本日日新聞. (2013年12月18日) . 2014-1-17閲覧.
- ↑ 選手の負傷について(2014年4月15日閲覧)
- ↑ “GK不足のJ2熊本、44歳GKコーチを選手登録 7年ぶり現役復帰”. スポニチアネックス. (2014年4月18日) . 2014閲覧.
- ↑ シュミット ダニエル選手、期限付き移籍加入のお知らせ(2014年4月20日閲覧)
- ↑ シュミット ダニエル選手、背番号決定のお知らせ(2014年4月25日閲覧)
- ↑ 加藤竜二選手登録抹消、GKコーチ登録について
- ↑ ロアッソ熊本ユース選手、トップチーム登録ついて
- ↑ “パブロ選手の登録について”. ロアッソ熊本オフィシャルサイト. (2014年8月8日) . 2014閲覧.
- ↑ サッカーダイジェスト 2014Jリーグ総集編 p.182
- ↑ エルゴラ J2リーグ総集編2014 p.87 なお、同出典によるとタックル数はリーグ1位、シュートまでの平均時間は3番目に短い。
- ↑ “ホームゲーム・水戸戦 代替スタジアム決定のお知らせ” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2016年5月2日) . 2016-5-6閲覧.
- ↑ “2016明治安田生命J2リーグ 第14節 ロアッソ熊本 vs 水戸ホーリーホック 代替スタジアム決定のお知らせ”. Jリーグオフィシャルサイト (2016年5月2日). . 2016-5-6閲覧.
- ↑ “5/28 ホームゲーム・町田戦 代替スタジアム決定のお知らせ” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2016年5月16日) . 2016-5-17閲覧.
- ↑ “2016明治安田生命J2リーグ 第15節 ロアッソ熊本 vs FC町田ゼルビア 代替スタジアム決定のお知らせ”. Jリーグオフィシャルサイト (2016年5月16日). . 2016-5-17閲覧.
- ↑ “6月開催ホームゲーム(金沢戦、讃岐戦)開催スタジアム変更のお知らせ” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2016年5月24日) . 2016-5-24閲覧.
- ↑ “2016明治安田生命J2リーグ 第17・19節 ロアッソ熊本vsツエーゲン金沢、ロアッソ熊本vsカマタマーレ讃岐 開催スタジアム変更のお知らせ”. Jリーグオフィシャルサイト (2016年5月24日). . 2016-5-24閲覧.
- ↑ “原 裕太郎選手、愛媛FCへ期限付き移籍のお知らせ” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2016年5月9日) . 2016-5-11閲覧.
- ↑ 40.0 40.1 “監督交代、及び 代表取締役社長交代のお知らせ” (プレスリリース), ロアッソ熊本, (2017年6月14日) . 2017-6-14閲覧.
- ↑ 池谷友良監督、辞任のお知らせ - ロアッソ熊本公式サイト 2017年11月20日
- ↑ 飯田正吾 強化本部長、解任のお知らせ - ロアッソ熊本公式サイト 2017年11月20日
- ↑ がんばれロアッソ「今季日程決まる」(2016年1月28日・1月29日閲覧)
- ↑ J2・ロアッソのクラブハウス完成 熊本 - 朝日新聞 2012年4月11日
- ↑ 練習場 - ロアッソ熊本公式サイト 2014年4月16日閲覧
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- ↑ 【熊本】今季ユニにくまモンをプリント - 日刊スポーツ 2014年1月15日
- ↑ 4月3日の第6節・清水戦より提出開始。
- ↑ 【ユース】公式戦結果 - ロアッソ熊本公式サイト 2012年12月23日
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- ↑ “ロアッソ熊本2016開幕に向けて”. ロアッソ熊本オフィシャルサイト. (2016年2月26日) . 2016閲覧.
- ↑ “ロアッソ開幕戦盛り上げろ ゆるキャラも後押し”. 熊本日日新聞. (2016年2月27日) . 2016閲覧.
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- ↑ RKK熊本放送「ロアッソマガジン」について - ロアッソ熊本公式サイトニュースリリース 2014年4月15日
- ↑ 過去放送記録 第11回 スピードワゴン 小沢一敬 × サッカークラブ運営スタッフ - NHK公式サイト 2013年2月4日閲覧
- ↑ サッカーダイジェスト 2012年7月31日号p.51
- ↑ 60.0 60.1 “ロアッソ熊本公式応援ソング”. ロアッソ熊本公式サイト. . 2013-4-13閲覧.
外部リンク
- 公式ウェブサイト (携帯)
- 赤馬の厩舎 (ロアッソ熊本公式ブログ)
- がんばれ!ロアッソ熊本! - 熊本日日新聞
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