SC相模原
SC相模原 | |
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原語表記 | SC相模原 |
呼称 | SC相模原 |
クラブカラー | 緑[1] |
創設年 | 2008年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J3 |
ホームタウン | 神奈川県相模原市[1]、座間市[1] |
ホームスタジアム | 相模原ギオンスタジアム[1] |
収容人数 | 6,291[1] |
運営法人 | 株式会社スポーツクラブ相模原[1] |
代表者 | 望月重良[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
SC相模原(エスシーさがみはら、SC Sagamihara)は、神奈川県の相模原市、座間市をホームタウンとする日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するサッカークラブである。
Contents
概要
2008年2月に元サッカー日本代表の望月重良が中心となり創設、同年3月に運営会社(株式会社スポーツクラブ相模原)が設立して2010年2月16日にJリーグ準加盟クラブとして承認され[2]、2014年よりJリーグに入会した。
ホームタウンは創設当初から相模原市のみであったが、2018年2月に座間市が追加されている[3]。ホームスタジアムは相模原ギオンスタジアム、練習場は綾瀬スポーツ公園およびノジマフットボールパークである[1]。
2012年8月、アメリカンフットボールのノジマ相模原ライズ、ラグビーの三菱重工相模原ダイナボアーズと共に、相模原市より「相模原市ホームタウンチーム」として認定された。なお、相模原市はSC相模原を含めたこれらの3チームに2014年3月に認定されたノジマステラ神奈川相模原(女子サッカー)を加えた4チームを「スリーフットボール4チーム」と呼称している[4]。
チームマスコット(新入社員)は、ダチョウをイメージしたガミティである。
歴史
2008年 - 2010年(神奈川県リーグ)
- 2008年
神奈川県社会人サッカーリーグ3部から活動を開始し、全勝でリーグ優勝。 第15回全国クラブチームサッカー選手権大会で優勝した。 12月、第10回相模原市サッカー協会長杯争奪大会決勝で、関東大学リーグ所属の青山学院大学に0-2で敗戦。公式戦初黒星を喫し、チーム誕生以来の公式戦の連勝は「21」でストップ。
- 2009年
第28回神奈川県社会人サッカー選手権大会1次トーナメント(2部昇格トーナメント)にて県リーグ2部への昇格を決めた後、決勝トーナメントで優勝。 7月、第45回全国社会人サッカー選手権大会関東代表決定戦でYS横浜に敗戦。翌週には第14回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)決勝トーナメント1回戦で桐蔭横浜大学に敗戦。 第16回全国クラブチーム選手権大会は、関東大会で2年連続優勝を果たすも、全国社会人サッカー連盟より全国大会への出場を不認可とされる。 神奈川県リーグ2部は、11戦全勝、1試合平均7.5得点の成績でリーグ優勝。県リーグ1部昇格を決めた。 12月、第11回相模原市サッカー協会長杯決勝で、青山学院大学とPK戦の末、2年連続で敗れた。
- 2010年
2月16日、都道府県リーグ所属のチームとして初めてJリーグ準加盟クラブとして承認された[2]。 第29回神奈川県社会人サッカー選手権大会にて優勝、同大会連覇。 第15回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)では、横浜商科大学戦で チーム最高得点となる「25-1」のスコアで勝利したが、決勝でYS横浜に敗れる。 9月9日、日本サッカー協会より、ザスパ草津以来2例目となる「Jリーグ加盟を標榜するクラブに対する優遇措置」を適用することを認められ、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会への出場が決定。 第46回全国社会人サッカー選手権大会は3位に入賞したが、全国地域決勝大会は1次ラウンドでグループ2位の成績で敗退した。 神奈川県リーグ1部で優勝。関東社会人サッカー大会で準優勝。関東サッカーリーグ2部6位のSGシステムに入れ替え戦で勝利し、関東リーグ2部昇格を果たした。
2011年 - 2012年(関東リーグ)
- 2011年
FC岐阜やFC町田ゼルビア元監督の戸塚哲也が監督に就任。 関東リーグ2部で1勝1分2敗の5位と成績が低迷したため、5月に戸塚を解任し、6月に代表の望月が監督を兼任。その後、7連勝を挙げるなどでリーグ優勝し、関東リーグ1部への昇格を決めた。なお、第16回神奈川県サッカー選手権大会は、1回戦で産業能率大学にPK戦で敗退。 第47回全国社会人サッカー選手権大会で準優勝。第4回KSL市原カップは1次ラウンド敗退。第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝ラウンドで3戦全敗の4位に終わった。
- 2012年
- チームスローガン :「ともに育ち、ともに戦う」
2月12日、神奈川大学サッカー部元監督の木村哲昌が監督に就任。 関東リーグ1部は、15勝2分け1敗の成績で優勝。第17回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)は準決勝で横浜猛蹴フットボールクラブに敗退。第5回KSL市原カップで準優勝。第36回全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝した。12月16日、日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された[5]。
2013年(JFL)
- チームスローガン :「ツナグ」
木村体制2年目。宮川大輔、鈴木祐輔が引退し、ファビオが横浜FM、吉岡航平が盛岡、中川勇人がカセサート(タイ)にそれぞれ移籍。奥山雅之、古賀誠史、エウデルも退団となった。一方、SAGAWA SHIGA FCから森田耕一郎・吉村修平・御給匠、栃木ウーヴァFCから田村仁崇、MIOびわこ滋賀から桝田雄太郎、ブラジルからホニ・ソウザとウイリアンス、ルーキーでは安藝正俊と鈴木翼が加入した。
JFLリーグ戦は18勝7分9敗の勝点61で18チーム中3位の成績を収めた。シーズン中にホニ・ソウザとウイリアンスが退団し、ブラジル人のウェズレイが加入。第18回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)は、初戦で専修大学に敗れた。
なお、11月19日に日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[6]。
2014年 - (J3)
- 2014年
- チームスローガン :「闘走」
木村体制3年目。森田耕一郎および小澤雄希が讃岐へ、橋本真人および斎藤広野が盛岡へ、吉村修平および御給匠がFC大阪へ移籍、渡辺彰宏が引退(アカデミーコーチに就任)、森谷佳祐が退団した一方、藤吉皆二朗(横河武蔵野)、フェアー・モービー(ポートランド・ティンバーズ)、寺田洋介(琉球)、大森啓生(秋田)、三幸秀稔(甲府)、乾達朗(ウォリアーズFC)の6名が完全移籍により入団。さらに、森本良(横浜FC)、阿波加俊太、神田夢実(いずれも札幌)の3名がレンタル移籍により入団した。また、服部康平(国士舘大学)が入団した。3月21日、元日本代表FW高原直泰(東京V)がレンタル移籍で加入した。8月に元ブラジル代表MFトロが加入した。
J3リーグ戦は12チーム中6位の成績。第19回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)は、初戦で神奈川大学に敗退した。シーズン終了後に木村が監督を退任した。
- 2015年
- チームスローガン :「一丸突進」
前佐川印刷京都監督の辛島啓珠が監督に就任。新戦力として横浜FCユース出身の黒木晃賢が加入した。1月19日、高原直泰を完全移籍で獲得。第20回神奈川県サッカー選手権大会(天皇杯県予選)は、初戦で専修大学に敗れた。
11月2日をもって辛島が辞任し、松原良香が監督に就任した[7]。最終成績は4位。シーズン終了後に松原監督が退任、高原直泰らが退団した。
- 2016年
- チームスローガン :「MOVE」
前FC琉球監督の薩川了洋が監督に就任。元日本代表GK川口能活がFC岐阜より完全移籍で加入。8月に薩川が監督を辞任し強化部に異動、後任に安永聡太郎が就任。リーグ戦は11位に終わった。シーズン終了後、深井正樹、石川大徳、近藤祐介などが引退した他、9名が退団した。
- 2017年
- チームスローガン :「禅足緑」
安永体制2年目。岐阜から岡根直哉、金沢から辻尾真二、福島から梅井大輝、大分から千明聖典、岡山から昨年水戸に在籍した久保裕一、水戸から麦倉捺木、JFLを退会したファジアーノ岡山ネクストから寄特直人、北信越1部・サウルコス福井から山口聖矢が完全移籍で加入した。シーズン中には群馬から岩田拓也がレンタルで加入、ドイツ・オーバーリーガのFV Diefflenから松木政也、オーストリア・エアステリーガのSVホルンから新井瑞希が完全移籍で加入した。リーグ戦で順位が12位と前年より下がったこともあり、安永の同年限りでの退任が決定した。シーズン終了後には岩田拓也のレンタル移籍期間満了、岡根直哉がかつて所属していた高原直泰が代表を務める沖縄SVへの移籍をはじめ9名が退団した。
- 2018年
- チームスローガン :「Grow up!」
新監督に前水戸監督の西ヶ谷隆之が就任。町田から谷澤達也、富山から北井佑季、鹿児島から丹羽竜平、大分から大津耀誠、新潟から成岡翔、関東1部・栃木ウーヴァFCから加納錬、 Kリーグ・大邱FCから金炫成が完全移籍で加入した。
成績
タイトル
リーグ戦
- 全国地域サッカーリーグ決勝大会:1回
- 関東サッカーリーグ1部:1回
- 2012年
- 関東サッカーリーグ2部:1回
- 2011年
カップ戦他
- 全国クラブチームサッカー選手権大会:1回
- 2008年
- 神奈川県社会人サッカー選手権大会:2回
- 2009年、2010年
個人
- 日本フットボールリーグ
- 関東サッカーリーグ1部
- 関東サッカーリーグ2部
下部組織
- SC相模原U-18
- SC相模原U-15
- SC相模原U-12
- SC相模原U-11
- SC相模原スクール
ユニフォーム
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クラブカラー
- 緑
エンブレム
- エンブレムを形どる六角形は、相模原市の特徴である工業を支えるボルトをモチーフにしたものである。
- エンブレムの5つの星(★)は、相模原市と平成の大合併で相模原市に編入された津久井郡4町(城山町・津久井町・相模湖町・藤野町)を示している。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
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胸 | ギオン | ギオン | 2010年 - | |
鎖骨 | KYB | KYB | 2018年 - | 左側のみ表記 2011年 - 2012年、2014年 - 2015年までは袖 2016年は背中下部 |
背中上部 | 住宅情報館 | 住宅情報館 | 2012年 - | |
背中下部 | なし | |||
袖 | 和僑 | アクセスチケット | 2016年 - | |
パンツ | ジェイコムイースト 相模原・大和局 | J:COM | 2016年 - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
- 2008年 - 現在:gol.
歴代ユニフォームスポンサー
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2008 | 協同商店 | 解禁前 | 相模化学金属 | 解禁前 | 不動産投資の王道 | トータルハウジング久野 | gol. |
2009 | SHO-TOKU.CO.,LTD | K.D.S | |||||
2010 | ギオン | 北辰企業 | ミュゼプラチナム | ||||
2011 | KYB | ||||||
2012 | 住宅情報館 | ||||||
2013 | GMR | ||||||
2014 | KYB | ||||||
2015 | |||||||
2016 | KYB | アクセスチケット | J:COM | ||||
2017 | - | ||||||
2018 | KYB |
関連番組
- ~Players~Forza SC相模原
- JCOM相模原・大和 チャンネル(Ch.11)
- エフエムさがみコミュニティー番組。SC相模原の速報、選手コーナーあり。
その他
スタジアムDJ
- ケチャップ(2013年 - )
応援マネージャー
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 “プロフィール:SC相模原”. 日本プロサッカーリーグ. . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “Jリーグ準加盟審査結果について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2010年2月16日) . 2017-2-10閲覧.
- ↑ “SC相模原 ホームタウン追加について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2018年2月27日) . 2018閲覧.
- ↑ “市内4チーム目のホームタウンチーム誕生! がんばれ!ノジマステラ神奈川相模原!!”. 相模原市. . 2014-3-24閲覧.
- ↑ “日本フットボールリーグ 新入会チームにつきまして” (プレスリリース), 日本フットボールリーグ, (2012年12月5日) . 2014-6-6閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「j3
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 辛島監督退任および松原新監督就任のお知らせ SC相模原オフィシャルブログ 2015年11月2日付
- ↑ #2吉川綾乃#3阪本麻美 SC相模原応援マネージャー 南葛シューターズ オフィシャルブログ 2013年6月8日
- ↑ 6/9 SC相模原応援マネージャー 南葛シューターズ オフィシャルブログ 2013年6月12日
関連項目
外部リンク
SC相模原 関連テンプレート |
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