アビスパ福岡
アビスパ福岡 | |
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原語表記 | アビスパ福岡 |
呼称 | アビスパ福岡 |
クラブカラー |
ネイビーブルー[1] シルバー[1] ブルーベールダンス[1] |
創設年 | 1982年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 福岡県福岡市[1] |
ホームスタジアム |
東平尾公園博多の森球技場 (レベルファイブスタジアム)[1] |
収容人数 | 22,331[1] |
運営法人 | アビスパ福岡株式会社[1][2] |
代表者 | 川森敬史[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
アビスパ福岡(アビスパふくおか、Avispa Fukuoka)は、福岡県福岡市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
Contents
概要
1982年創部の中央防犯サッカー部が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している[1]。クラブ名のアビスパは、スペイン語で「熊ん蜂(スズメバチ)」の意味[1]。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する[1]。運営会社はアビスパ福岡株式会社である[1]。
ホームタウンは福岡市1市のみであるが、2017年4月29日にホームスタジアムのある東平尾公園の近郊に位置する糟屋郡宇美町、志免町との間で「地域活性化とスポーツ文化の振興」並びに、「地域に根ざしたスポーツクラブ」および「地域に生活する人々とともにスポーツを通じて子どもたちに夢と感動を、地域に誇りと活力を与える」ことを目的とした「フレンドリータウン協定」を締結している[3]。
ホームスタジアムは東平尾公園博多の森球技場(命名権名称、レベルファイブスタジアム)[1]、練習場は福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である[1](詳細は#スタジアムを参照)。
運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり[注 1]、取締役には主要株主であるコカ・コーラウエスト・福岡市(市民局)・九州電力・西日本新聞社・九電工・ふくや・福岡銀行・西日本シティ銀行の幹部が就いている。なお、主要な出資者にセコムが入っているのはクラブの母体となった中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、大都技研が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、システムソフトが筆頭株主となった(後述)。
福岡市の姉妹都市でもあるボルドー(フランス)をホームタウンするFCジロンダン・ボルドー(リーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っていた[5]。
歴史
前身
1982年に静岡県藤枝市で創部された中央防犯サッカー部が前身であり[1]、1991年に日本サッカーリーグ2部[1]、1993年にジャパンフットボールリーグ1部に昇格した[1]。1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスと改名し、同年にJリーグ準会員となった[1] が、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に福岡ブルックスへ改名した[1]。
1995年(JFL)
1995年JFL優勝主要メンバー |
- チームスローガン:iARRIBA!(上へ向かってさあ行こう)
監督に1978 FIFAワールドカップでアルゼンチン代表であったホルヘ・マリオ・オルギンが就任。
鳥栖Fよりウーゴ・マラドーナ、簔口祐介、中込正行らを獲得、引き続き中央防犯時代より所属の元アルゼンチン代表ペドロ・トログリオらを擁し、京都、鳥栖F、神戸などと争った結果、24勝6敗の成績でJFLで優勝し、1996年からのJリーグ加盟を決めた[1]。なお、シーズン終了後にオルギンが監督を退任した。
また、Jリーグ加盟に合わせ「アビスパ福岡」へ改称した[1]。これは「ブルックス」の呼称が紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標で商標権侵害の恐れがあるためであった。
1996年 - 1998年(Jリーグ)
1998年 J 2nd 第04節 清水戦 (年間総合順位最下位) |
1997年 J 1st 第02節 磐田戦 |
1996年 J 第02節 浦和戦 (Jリーグホームゲーム初戦) |
1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎F、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高等学校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れた。
1999年 - 2001年(J1)
2001年 J1 2nd 第10節 FC東京戦 (J2降格前最終勝利) |
2000年 J1 1st 第11節 清水戦 |
1999年 J1 2nd 第08節 浦和戦 (連勝時) |
- 1999年
- チームスローガン:¡MAS ARRIBA!(もっと上を目指そう)
- 監督に菊川凱夫が就任。前年、監督を務めた森孝慈はGMに就任。
- 平塚からGK小島伸幸、鹿島からDF水筑優文、広島からDF小島光顕、横浜FMからMF野田知、市原からMFネナド・マスロバル、V川崎からMF三浦泰年などを獲得したが、最終順位は14位。
- 2000年
- チームスローガン:¡JUNTOS,PODEMOS!(一丸となれば、やれる)
- 元福岡所属で、前年アシスタントコーチのネストール・オマール・ピッコリが監督に就任。
- 例年下位に低迷するチーム状態からの脱却を目指すことを念頭に置き、キャンプは朝・昼・晩練習することや戦術面などはそこそこにし砂浜での走り込みなどを中心にまず徹底してフィジカルトレーニングを課して精神・肉体面の基礎力向上(スキルアップ)を選手に求めた。第2ステージでは最後まで優勝争いに加わり、結果として6位の成績を収めた。
- 新加入の高卒ルーキー平島崇が主力として機能したことや、外国人も元横浜MのMFダビド・ビスコンティ、平塚や柏で活躍したバデア、エースフォワードのモントージャも活躍した。
- 2001年
- チームスローガン:¡MAS JUNTOS,PODEMOS MAS!(もっと一丸となれば、もっとやれる)
- ピッコリ体制2年目。元韓国代表で広島やC大阪に所属したMF盧廷潤、元U-23日本代表のFW松原良香を補強したが、年間成績15位となりJ2へ降格。なお、所属のDF平島崇が児童買春等禁止法違反で逮捕された(当時は19歳であったため、実名では報じられていない)。
- シーズン終了後にピッコリが監督を退任。また、三浦泰年らベテランも運営費縮小に伴って、退団した。
2002年 - 2005年(J2)
2003年 J2 第39節 広島戦 |
2002年 J2 第09節 C大阪戦 |
- 2002年
- チームスローガン:Just in ONE
- 名古屋元コーチの今井雅隆が監督に就任。
- 中払大介・山下芳輝らが退団した一方、呂比須ワグナー・内藤就行・盧廷潤などが残留し、横浜FMから古賀誠史、磐田から元日本代表GKの大神友明などを補強し1年でのJ1復帰を目指したが、後半戦はわずか3勝に留まり、8位の成績。
- 2003年
- チームスローガン:新生
- 松田浩が監督に就任。前半戦は下位に低迷したが、千代反田・米田・宮崎・古賀・宮原・林ら若手を辛抱強く使い、後半戦は5連勝を含む16勝3分3敗(後半戦だけの成績ではトップ)の成績を残し、シーズン4位の成績を収めた。
- 2004年
2005年 J2 第27節 京都戦 |
2004年 J2 第35節 大宮戦 |
- チームスローガン:We WILL make it! 成し遂げる!
- 松田体制2年目。前年に行ったサポーターへのアンケートを受けてユニフォームの色を変更した(1stがシルバー、2ndがネイビーだったのを逆にした)。
- リーグ戦では第37節から最終節まで8連勝して3位。J1・J2入れ替え戦に進出したが、柏に敗れて昇格はならなかった。
- 2005年
- チームスローガン:挑戦 〜Try it again to J1 !
- 松田体制3年目。チームの育成路線が実を結び高卒2年目の中村・同じく2年目ユース出身の田中、新加入の元ブラジルユース代表グラウシオらが活躍。11月23日のホームでの第42節徳島戦を引き分けて2位を確定。5年ぶりのJ1復帰を決めた。
- 6月の2005 FIFAワールドユース選手権に中村北斗・柳楽智和が日本代表として出場した。
2006年(J1)
2006年 J1 第09節 新潟戦 (J1復帰後初勝利) |
- チームスローガン:Climb to the top !
松田体制4年目。薮田光教(前神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前C大阪)などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。5月22日に松田を監督から解任。後任にV川崎と神戸の元監督の川勝良一が就任。
2006 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断期間に神戸からバロンを完全移籍、また大宮から佐伯直哉、東京Vから飯尾一慶を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。J1・J2入れ替え戦でJ2・3位の神戸に2分けながらアウェーゴール差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。
シーズン終了後に川勝が監督を辞任。5回戦へ勝ち残っていた天皇杯は沖野等が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。
2007年 - 2010年(J2)
- 2007年
2007年 J2 第43節 山形戦 |
- チームスローガン:SUFFER FOR SUCCESS!
- シドニーFC元監督のピエール・リトバルスキーが監督に就任。GK水谷雄一が柏、DF千代反田充が新潟にそれぞれ移籍。さらに前年キャプテンを務めたMFホベルトが退団した。一方で、ブラジルからFWリンコン、かつてリトバルスキー監督の下でプレイしたDFチェッコリを獲得した。そのリンコン、アレックスのコンビは2007年チームにとって重要な得点源となった。
- 開幕戦の鳥栖とのダービーで攻撃的布陣が機能し5-0で完勝するなど第1クールを1位で終えた。第2クールに入って以降も上位に入っていたが、第36節京都戦から第40節東京V戦まで5年ぶりとなる5連敗。第48節の仙台戦に敗れてJ1昇格が消滅。最終順位は7位で終了した。なお、シーズン終了後にチーム統括グループ長の小林伸二、同副長の中村重和、育成統括の沖野等を解任した。
- 2008年
2008年 J2 第40節 横浜FC戦 |
- チームスローガン:ココロ粋 !
- リトバルスキー体制2年目。前年の登録メンバー31人の半数以上にあたる16人(レンタル選手、外国籍選手含む)と契約を結ばなかったため、選手が大幅に入れ替わった。また、外国籍選手は全員退団し、新たにいずれもオーストラリア出身のDFルダン、MFタレイ、FWグリフィスを獲得した。また、京都から元福岡所属のMF中払大介、千葉からFW黒部光昭、横浜FCからDF中島崇典、C大阪からGK吉田宗弘らが加入。横浜FMからハーフナー・マイク、柏から大久保哲哉の両FWがレンタル移籍、鈴木惇、大山恭平の両名をユースチームから昇格した(鈴木は2007年シーズンに2種登録で出場)。
- 4月12日の岐阜戦では5分間で4失点[6] するなど守備が崩壊、第1クールは15チーム中14位に終わった。7月11日、成績不振により監督・リトバルスキー、ヘッドコーチ・クルーク、フィジカルコーチ・クレアを解任し、篠田善之が監督に就任したが、最終順位は8位に終わった。
- 2009年
2009年 J2 第51節 横浜FC戦 |
- チームスローガン:結心 〜全ての心をひとつに〜
- 前年途中から監督に就任した篠田が引き続き指揮を執る。中村北斗がFC東京へ完全移籍した他、昨季所属した外国籍選手もすべて退団。一方で熊本からFW高橋泰、磐田から元日本代表DFの田中誠を獲得。シーズン序盤は、この年よりJリーグに加盟した岡山にJ2初勝利を献上するなど、第1クール(17試合)終了時点で4勝5分け8敗の勝ち点17。第41節の徳島戦の引き分けにより、J2残留が決定。最終順位も11位。また、鳥栖とのダービーでクラブ史上初めて未勝利に終わった。その一方でJ2を優勝した仙台には2勝1敗と勝ち越した。
- 2010年
2010年 J2 第34節 大分戦 |
- チームスローガン:福岡 維心
- 篠田体制3年目。前年度のオフに吉田宗弘や黒部光昭らベテランを中心に選手9人との契約を打ち切り、監督以外のコーチ陣も一斉に退団。30歳を越える選手が久藤、田中誠だけと大きく若返り、下部組織から昇格した朝鮮籍の孫正倫以外は日本人選手だけでシーズンに臨んだ(7月に韓国人の李鍾民が加入)。なおシーズン直前の1月27日にJ1時代の2006年途中からクラブ社長に就いていた都筑興が辞任し、3月4日に後任として電通九州大分支社長の大塚唯史が就任した。
- 東京Vから加入した永里源気が得点源として、更には大卒選手の中町公祐(高校卒業後の2004年 - 2007年に湘南在籍)と末吉隼也がボランチコンビを形成し中盤の要として、移籍2年目の田中誠が守備の中心としてチームを牽引した。
- 開幕戦で甲府に3-1と快勝。4月には4連敗を喫したが、5月5日の11節熊本戦で6-1と大勝するとそれ以降は順調に勝ち点を積み上げて9月12日に千葉、11月20日に東京Vと昇格争いのライバル相手にホームゲームで勝利を収め、アウェイで岐阜を破った11月23日に4位の千葉が草津に敗れ3位以内が確定、5年ぶりのJ1復帰を決めた(最終順位は3位)。外国籍選手は李と孫の2人のみであったため、この年のリーグ戦での全得点を日本人選手が挙げた(ちなみに天皇杯では孫が1ゴールを挙げている)。
- 天皇杯では広島、大宮とJ1勢を連覇して15年ぶりでアビスパ福岡となってからは初のベスト8へ進出(準々決勝はFC東京に延長戦の末に2-3で敗退)。
2011年(J1)
2011年 基本布陣 |
- チームスローガン:福岡力! 〜Run with the ALL〜
篠田体制4年目。長年在籍した久藤清一が引退、前シーズン15ゴールを挙げた永里源気が甲府へ、中島崇典が柏へ、大久保哲哉が山形へ、柳楽智和がFC東京へ、阿部嵩が金沢へ移籍、大山恭平、平石健太が退団した。
補強は、千葉から和田拓三、磐田から成岡翔、横浜FMから清水範久が完全移籍で、磐田から松浦拓弥、FC東京から重松健太郎がレンタル移籍で加入。キム・ミンジェ、畑本時央、牛之濱拓が新加入した。また丹羽大輝のレンタル移籍期間も延長した。
開幕戦で新潟に敗れて以降、開幕から9連敗(Jリーグ杯・磐田戦を含めると公式戦10連敗)。6月15日の第15節(リーグ10戦目)の神戸戦に引き分けて初の勝ち点を得た。その後、3連敗で13試合連続勝ち無しとなったが、7月2日のリーグ戦14試合目の甲府戦で初勝利を挙げたが、8月に篠田を解任し、ヘッドコーチの浅野哲也が監督に就任した。
10月22日に新潟に敗戦してJ2降格が決定[7]。最終順位は17位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で仙台に敗退した。
2012年 - 2015年(J2)
- 2012年
- チームスローガン:ガムシャラ!! 今年だから出せる力がある。2012福岡ヂカラ
- クラブOBで神戸元コーチの前田浩二が監督に就任。田中誠が引退、田中佑昌が千葉へ、岡本英也が鹿島へ、中町公祐、六反勇治が横浜FMへ、山形辰徳が栃木SCへ完全移籍、丹羽大輝(G大阪へ復帰)、松浦拓弥(磐田へ復帰)、重松健太郎(FC東京へ復帰)がレンタル移籍期間満了、清水範久、ハマゾッチが退団した。一方で横浜FCから西田剛、C大阪から尾亦弘友希、磐田から古賀正紘、FC東京から坂田大輔、浦和から堤俊輔を完全移籍で、大宮から木原正和、G大阪から河田晃兵、磐田から岡田隆をレンタル移籍で獲得、 呉昌炫、石津大介が新加入した。
- 鹿児島市出身の前田を始めとして九州にゆかりのある人物で戦っていく「オール九州」の方針を打ち出し、同時に1年でのJ1復帰を目指したが、開幕2連勝を挙げて4位タイとなったが、それが最高順位となりその後はJ2ワースト2となる失点の多さ(68失点53得点 得失点差-15)などで、第6節京都戦、第7節愛媛戦と連敗して5位→8位→13位と転落して以降は一度も一ケタ順位に復帰できず、第35節の熊本戦に敗れてJ1自動昇格となる2位以内の可能性が、第36節の横浜FC戦に引き分けてJ1昇格プレーオフに出場できる6位以内の可能性も消滅した。8月26日の第31節松本山雅FC戦から10試合連続勝利なしとなった10月28日、第40節大分戦での敗戦後に前田を監督から解任、池田太が監督代行に就任したが、結局シーズン終了まで12戦連続勝利なし(5分7敗)のまま、J1在籍経験のあるクラブとして2011年の横浜FCと並びシーズン終了時最低の順位となるJ2リーグ戦18位[8] でシーズンを終えた。バトルオブ九州は、全てホームゲームだった前半3戦は2勝1分ながら、後半は3戦全敗し最終的に最下位となった。
- 天皇杯は3回戦で大宮に敗退した。
- 2013年
- チームスローガン:一燃蜂起 〜2013 福岡ヂカラ〜
- NKマリボルなどの元監督のマリヤン・プシュニクが監督に就任。成岡翔がアルビレックス新潟へ、鈴木惇が東京Vへ、高橋泰および小原章吾が愛媛FCへ完全移籍、和田拓三が引退、河田晃兵は期限付き移籍期間満了でG大阪に復帰した一方、2006年まで福岡に所属していた水谷雄一が京都から完全移籍で獲得、前年ギラヴァンツ北九州に特別指定選手として所属した中原秀人が福岡教育大学から加入した。
- 開幕から連勝スタートで第2節終了時には2位となるが、直後に3連敗を含む5試合勝ちなしとなり15位まで順位を下げる。第8節、福岡ダービー対北九州戦で勝利し、第9節で連勝した時点で8位まで再浮上して以降、前半戦終了の第21節までは8位から11位の間を推移する。6月19日には、元フォルトゥナ・デュッセルドルフU-19で5月から練習生として参加していた金城クリストファー達樹が加入。また、8月に入って、長崎に期限付き移籍していたオ・チャンヒョンが期間満了前の契約解除で復帰し、ルーマニアからブラティスラフ・プノセバッチを獲得した。第24、25節終了時にはJ1昇格プレーオフ圏内の6位となるが、その直後10試合で3連敗5連敗各1回を含む1勝1分8敗と低迷し、第34節終了時には15位まで転落。11月10日、第40節の時点で6位以内の可能性が消滅し、最終的に14位でシーズンを終了した。ただし、バトルオブ九州では、福岡ダービーで連勝するなど3勝3分で、2010年シーズン以来2度目の制覇となった。
- 天皇杯では、初戦(2回戦)で栃木SCに敗北。なお、10月に経営問題が表面化した(詳細は#経営問題を参照)。
- 2014年
- チームスローガン:協力同心 福岡ヂカラ2014
- プシュニク体制2年目。宮本卓也、船山祐二、尾亦弘友希らと契約を更新せず、岡田隆、金久保順、金永基が期限付き移籍満了(金久保は後に川崎に期限付き移籍、金は長野に完全移籍)、水谷雄一が富山、西田剛、キム・ミンジェが愛媛、木原正和がカンボジア・リーグのトライアジア プノンペンFCにそれぞれ完全移籍し、畑本時央が金沢へ期限付き移籍した。一方、北九州から森村昂太、神戸からイ・グァンソン、松本から阿部巧、G大阪から平井将生がいずれも完全移籍、浦和から野崎雅也、大分から清水圭介、新潟から酒井宣福、横浜FMから武田英二郎がいずれも期限付き移籍でそれぞれ加入した。
- 天皇杯では、2回戦で水戸に敗れ、2年連続の初戦敗退となった。
- 前半戦は好調で一時は5位にまで上昇し、プレーオフ圏内の6位で前半21試合を終えたが、31節から最終戦までの12試合で1勝3分8敗という成績で順位は去年を下回る16位。バトルオブ九州は最下位となった。
- このシーズンをもってマリヤン・プシュニクが退任した。
- 2015年
2015年 J1昇格プレーオフ 決勝 |
- チームスローガン:福岡MOVEMENT 鼓動。躍動。感動。
- 元日本代表DFで前柏のヘッドコーチだった井原正巳が監督に就任。鈴木健仁がチーム統括部長に、三浦文丈がコーチに就任。選手では、MF金城クリストファー達樹、MFタム・シイアンツン、DF畑本時央との契約を満了[9]、DF山口和樹が現役引退。また、MF野崎雅也、DF武田英二郎、FW鍋田亜人夢、GK清水圭介が期限付き移籍期間満了で退団。DFオ・チャンヒョンがソウルイーランドFCに移籍。一方、MF鈴木惇、DF中村北斗、MF末吉隼也が完全移籍により復帰したほか、浦和からDF濱田水輝と仙台からFW中原貴之がそれぞれ完全移籍で、柏からGK中村航輔と湘南からDF亀川諒史がそれぞれ期限付き移籍で加入。また、浦和ユース出身のMF邦本宜裕、福岡大学からMF田村友が新加入した。
- 開幕節から3連敗し一時は最下位に沈んだものの、井原が挑んだ3バックによる守備の再構築が功を奏し第4節からクラブ記録を更新する11戦無敗(8勝3分)と戦績が向上[10]。さらに夏の移籍期間には湘南などでプレーしたFWウェリントンを完全移籍で獲得すると攻撃にも厚みを増すようになり、相手によって3バックと4バックを使い分けるシステムも機能し始め、シーズン後半には自動昇格争いにも絡めるようになる。終盤には8連勝を含む12戦負け無し(11勝1分)でシーズンを終え、最終的に2位磐田に同勝点ながら得失点差で4点届かず3位でJ1昇格プレーオフに駒を進めることになった[11]。
- 昇格プレーオフは、準決勝で長崎戦に勝利。決勝でC大阪に引き分けでレギュレーションにより5年ぶりのJ1昇格が決まった。
- 天皇杯は、2回戦で磐田を下し3年ぶりに初戦を突破するも、3回戦でJ3の町田に敗れた。
2016年 (J1)
- 2016年
- チームスローガン:子供たちに夢と感動を!
- 井原体制2年目。コーチの三浦文丈が長野監督に就任のため退団。前年守備の要として活躍したGK中村航輔が柏に、MF酒井宣福が新潟に復帰したものの、湘南から期限付き移籍中だったDF亀川諒史を完全移籍で獲得。また、名古屋からMFダニルソン、川崎からDF實藤友紀、千葉からDFキム・ヒョヌン、長崎からMF古部健太、大分からMF為田大貴を獲得したほか、Kリーグクラシック・釜山から韓国代表のGKイ・ボムヨンが加入した。
- 5年振りのJ1は、開幕から7試合勝ちがなく(3分4敗)、第9節のFC東京戦で初勝利を挙げるも、結局1stステージはわずか2勝にとどまり最下位に終わる。夏の移籍期間には巻き返しのためにFC東京からDF駒野友一を獲得するも、得点源のFWウェリントンが7月に持病の左膝痛を悪化させて出場機会が激減したことも影響し、8月から9月にかけては今季チーム最長の5連敗を喫する[12]。第14節で名古屋に敗れ、残留を争っていた新潟が勝利したことにより、年間順位16位以下が決定し、1年でJ2降格となった。
- 4度目のJ1からの降格はJリーグ史上最多タイ、またJ1最下位でのJ2降格はクラブ初で、J1年間総合順位で最下位となるのもJ2創設前の1998年シーズン(J1参入決定戦で勝ち残りJ1残留)以来18シーズンぶりとなった。
- YBCルヴァンカップでは、Bグループ第6節終了時点では6位だったものの、最終節対新潟戦の勝利により逆転でグループ2位となり、クラブ史上初の準々決勝進出を果たす。準々決勝でFC東京に敗れた。
2017年 - (J2)
- 2017年
- チームスローガン:子供たちに夢と感動を!
- 井原体制3年目。FW金森健志が鹿島、MF古部健太が長崎、沼津へ期限付き移籍していたDF光永祐也が熊本、GKイ・ボムヨンがKリーグクラシック・江原FCへ完全移籍、MF田村友が浦和、MF鈴木惇が大分へ期限付き移籍、DF阿部巧(群馬へ移籍)、MF中原秀人(北九州へ移籍)、FW平井将生(北九州へ移籍)が契約満了になった一方で、名古屋からFW松田力、G大阪からDF岩下敬輔、清水からGK杉山力裕、京都からMF山瀬功治を完全移籍で獲得。FW石津大介が神戸への期限付き移籍から復帰、期限付き移籍加入だったDF駒野友一が完全移籍で加入し、U-18のFW崎村祐丞が昇格、静岡学園高等学校のGK山ノ井拓己が加入、新外国人選手として磐田・甲府・岐阜でプレーしていたMFジウシーニョがアトレチコ・ゴイアニエンセから加入した。
- シーズン中にMFダニルソンが家庭の事情により退団したが、漢陽大学校のDFウォン・ドゥジェを獲得、さらに横浜FMからFW仲川輝人が期限付き移籍で加入した。
- 開幕戦は大分に敗れたが、第3節からは1桁順位を維持、第12節からの4連勝で、第15節終了時に首位に立つ。第16節には2位となるも、第17節から前半戦終了の第21節まで首位をキープする。第22節に湘南に首位を明け渡すと、その後は2位をキープしていたが、第28節から6試合未勝利で第33節にはついに長崎に抜かれ3位となる。第34節から3連勝し再び2位に浮上するが、第39節には長崎だけでなく名古屋にも抜かれ4位に落ちる。最終的に長崎を抜き返すことは出来ず、4位でシーズンを終え、2シーズンぶりのJ1昇格プレーオフに回ることとなった。プレーオフ初戦の5位東京V戦では、ホーム開催権を得ながらも、レベルファイブスタジアムが改修工事のため使用出来ず、ロアッソ熊本のホームスタジアムであるえがお健康スタジアムで開催、山瀬功治のゴールで1-0で勝ち、3位名古屋とのプレーオフ決勝に進むも、アウェーの豊田スタジアムで0-0の引き分けに終わり、規定により名古屋が2018年のJ1リーグ昇格となり、1年でのJ1復帰を逃した。
- リーグ戦では42試合で僅か36失点、次に少ない優勝した湘南の41失点よりさらに5点少ない守備力の高さを誇りながらも、得点は54点でリーグ12位タイ、うちウェリントンだけで19得点を挙げており、次点が石津の8得点、山瀬の6得点と差が大きく、ウェリントン以外の攻撃力が課題であった。
- 天皇杯は3回戦で筑波大学に敗れた。
- 2018年
- チームスローガン:感動と勝ちにこだわる
成績
タイトル
国内タイトル
※福岡ブルックスとして
個人別
ハットトリック
得点数 | 選手名 | 開催日 | 対戦クラブ | スタジアム | 得点時間 | |
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J1 | 3得点 | ビスコンティ | 2000年11月18日(2nd第13節) | ジェフユナイテッド市原 | 市原 | 12分にゴール 12分, 44分, 82分 |
J2 | 3得点 | 江口倫司 | 2002年7月24日(第20節) | セレッソ大阪 | 博多球 | 19分にゴール 19分, 28分, 29分 |
宮崎光平 | 2003年5月31日(第15節) | サガン鳥栖 | 19分にゴール 19分, 39分, 80分 | |||
アレックス | 2007年7月25日(第30節) | ザスパ草津 | 群馬陸 | 11分にゴール 11分, 31分, 34分 | ||
JFL | 3得点 | ウーゴ・マラドーナ | 1995年5月7日(第1節) | 福島FC | 平和台 | 36分にゴール 36分, 55分, 68分 |
1995年6月11日(第7節) | NTT関東サッカー部 | 15分にゴール 15分, 40分, 70分 |
スタジアム
ホームスタジアムは福岡市博多区の東平尾公園内にある東平尾公園博多の森球技場(命名権名称、レベルファイブスタジアム)。2008年以降のリーグ公式戦は全て同競技場で開催しているが、2017年11月26日に行われるJ1昇格プレーオフ準決勝は、博多の森球技場のラグビーワールドカップ2019を見据えた改修工事に伴い熊本県民総合運動公園陸上競技場(命名権名称、えがお健康スタジアム)で行われる[13]。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。
練習場は福岡市東区の福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。
スタジアムDJ
- 信川竜太
- 信川が日曜にテレビ・ラジオで生番組を担当している関係で、その際はEIJI(2008年度はMAX、LOVE FMAJ。プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの主催試合でもスタジアムDJを担当)が代役としてスタジアムDJを担当する。
チームマスコット
ユニフォーム
チームカラー
2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーだったが、2004年からは前述のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビー、2ndユニフォームがシルバーに変更、さらにその後、2ndユニフォームの色がシルバーからホワイトになった。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 福岡地所 | Fj. 福岡地所 |
2015年 - | |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 博多グリーンホテル | HAKATA GREEN HOTEL |
2018年 - | |
背中上部 | 新日本製薬 | 新日本製薬 | 2018年 - | |
背中下部 | ピエトロ | ピエトロ | 2017年 - | |
袖 | ふくや | 博多中洲 ふくや | 2011年7月 - | |
パンツ | ビケンテクノ | BIKEN TECHNO |
2016年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
- 1995年:アドミラル
- 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はアドミラル
- 1997年 - 2010年:ミズノ
- 2011年 - 2014年:スボルメ
- 2015年 - 2017年:アスレタ
- 2018年 - 現在:ヨネックス[14]
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
1999-2000 |
2001-2002 |
2003 |
2004 |
2005 |
2006 |
2007 |
2008 |
2009 |
2010 |
2014 |
2015 |
2016 |
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
1999-2000 |
2001-2002 |
2003 |
2004 |
2005 |
2006 |
2007 |
2008 |
2009 |
2010 |
2015 |
2016 |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1995 | GEORGIA | 解禁前 | - (FUKUOKA) |
解禁前 | 三洋信販 | - | Admiral |
1996 | RICOH | Admiral / Mizuno | |||||
1997 | |||||||
1998 | Mizuno | ||||||
1999 | 三洋信販 | RICOH | |||||
2000 | |||||||
2001 | |||||||
2002 | ポケットバンク | ||||||
2003 | - | ||||||
2004 | 九州電力 | ||||||
2005 | J.COM | ||||||
2006 | ZENRIN | ||||||
2007 | |||||||
2008 | - | アクセス・ジャパン | .Rドッとあ〜る | 九州電力 | |||
2009 | everlife 皇潤 | Odyssey | |||||
2010 | |||||||
2011 | - / 西日本新聞 |
- / 博多中洲 ふくや |
svolme | ||||
2012 | - / Nishitetsu Group |
- | 博多中洲 ふくや | 西日本新聞 | |||
2013 | Nishitetsu Group | ||||||
2014 | - | Broad-minded | 伊都きんぐ | ||||
2015 | Fj. 福岡地所 |
ATHLETA | |||||
2016 | Toppa! | E保険 | BIKEN TECHNO | ||||
2017 | プレモバ Premiere Mobile |
ピエトロ | |||||
2018 | HAKATA GREEN HOTEL |
新日本製薬 | YONEX |
スポンサー
アカデミー
- アビスパ福岡U-18
- アビスパ福岡U-15
- アビスパ福岡U-14
- アビスパ福岡U-13
タイトル
U-18
U-15
- 九州ユース (U-15)サッカーリーグ:2010年、2011年
問題・トラブル
李官雨入団問題
1999年11月に、韓国の漢陽大学校に所属していた李官雨(当時五輪韓国代表)の獲得を発表したが、Kリーグからドラフト規約違反と反発があったため、入団契約を解除した。
主力温存(Jリーグ規定)問題
2000年のJリーグカップ予選・湘南ベルマーレ戦(4月12日)で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。
経営問題
福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%減資と大株主からの追加支援を受ける[15] など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「GEORGIA」のロゴを掲出)であった筆頭株主の北九州コカ・コーラボトリング→コカ・コーラウエストジャパン(CCWJ、リコー三愛グループ)が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退[16]。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず(#歴代ユニフォームスポンサー年表も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。
2008年6月、パチスロ機メーカーの大都技研がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された[17]。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示した[18]、が同年9月に正式に同社の資本参加が発表された[19]。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。
2009年シーズンはパンツ以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった[20] が、2009年4月にユニフォームの胸スポンサーが「エバーライフ」に決定した[21]。背スポンサーも オデッセイ コミュニケーションズ に決まった[22]。2010年には電通出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし[15]、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。
しかし2013年、2014年度のJリーグクラブライセンスで経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された[23] 直後の10月15日に、地元紙の西日本新聞(西日本スポーツ)が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた[24]。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。
アビスパ社長の大塚唯史は「最悪の場合は、Jリーグから借金して、勝ち点マイナス10となることを覚悟している」とコメントし、大株主らに協賛金の要請を行ったが、2006年当時の経緯もあり、大株主の福岡市や西部ガス[25]、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本鉄道[26] などがアビスパに対する追加支援に否定的な見解を示した。しかし「アビスパKidsパートナー」協賛金をはじめとする個人・法人からの小口協賛金2645万円や、大株主のふくやによる間接的な支援(支援商品を販売し、売り上げをアビスパに寄付[27]・最大約1776万円)などが集まり、11月16日時点で年内の資金繰りは手当てできたことを発表[28]。11月30日には一連の経営問題の責任を取って大塚唯史が代表取締役を辞任し[29]、後任には元鹿島アントラーズ強化担当部長の野見山篤が就任し、野見山をサポートする役割として常勤の取締役に市文化振興部課長の樽見哲が就任した[15]。
翌2014年2月5日、クラブ経営強化を図るためにアドバイザリーボード(経営諮問委員会)を設置[30]。7月23日に発表されたJリーグ参加51クラブの2013年度決算において、2期連続赤字で約2800万円の債務超過となっていることが報告された。大河正明Jリーグ常務理事は「黒字化はなんとかなるが、債務超過(解消)は確証が持てない」と指摘[31]、報告時点において債務超過であった11のクラブのうち、9月のライセンス審査までに債務超過を解消させる目処が立っていないクラブは福岡のみであった[32]。
2014年8月25日、この日行われた臨時取締役会で、福岡市発祥で基幹・業務系システムの開発やWebアプリの開発を手がけるシステムソフトを対象に約1億円の第三者割当増資を実施することを9月の臨時株主総会に諮ることを決議[33]。8月29日付けでシステムソフトがアビスパへの資本参加決定を発表した[34] ことから、懸念されていた債務超過の解消と、Jリーグクラブライセンス制度の剥奪は回避される見通しとなった。第三者割当増資は9月22日付けで実施されシステムソフトが筆頭株主となり、同社社長の吉尾春樹とシステムソフトの親会社であるアパマンショップホールディングス常務取締役(アパマンショップネットワーク代表取締役、あるあるCity代表取締役)の川森敬史が新たに非常勤の取締役に就任[35]。川森は2015年3月30日に開かれた株主総会および取締役会で社長に就任(前社長の野見山は常勤の取締役に交代)した[36]。
社長に就任した川森敬史は、経営再建と効率化に向けた様々な改革を実施。業務限定社員の導入を含めた営業体制の拡充、社員それぞれのスキルを生かせる雇用環境の確立、キャッシュフローの改善等を進めた。その結果、スポンサー数が186社(2014年度)から1010社(2015年度)と約5倍以上に増加。観客動員においても「レベスタ1.5万人プロジェクト」を始め、トップチームはもちろん、アカデミー・スクール生に対する理念共有を含めた様々な取り組みを重ねた結果、2016年では2015年との比較で観客動員数172%へアップした[37][38]。
メディア
テレビ
- 瞬感スポーツ (RKB毎日放送、金曜 23時55分 - 24時15分)
- VIVA!SPORTAS (TVQ九州放送、土曜 18時30分 - 19時00分)
- 夢空間スポーツ (福岡放送、日曜 16時55分 - 17時25分)
- もっと!あみ〜ご!アビスパ (J:COM福岡)
- アビスパッと!TV (テレビ西日本、土曜25時35分 - 25時40分)
ラジオ
- バモス!アビスパ (FREE WAVE、木曜 19時00分 - 19時30分)
- NOBUKAWA SPORTS (CROSS FM、金曜 20時00分 - 23時00分)
- オーレ!アビスパ (RKB毎日放送、土曜 6時00分 - 6時20分)
決算
アビスパ福岡の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 1220 | 581 | 237 | 120 | 282 | 1243 | 908 | N.A. | 335 | -23 | -21 |
2006 | 1575 | 767 | 387 | 235 | 186 | 1682 | 1238 | 778 | 444 | -107 | -117 |
2007 | 1421 | 669 | 266 | 121 | 365 | 1385 | 1024 | 610 | 361 | 36 | 21 |
2008 | 1157 | 552 | 245 | 110 | 250 | 1209 | 930 | 559 | 279 | -52 | -61 |
2009 | 1006 | 424 | 201 | 103 | 278 | 1119 | 872 | 479 | 247 | -113 | -109 |
2010 | 938 | 377 | 206 | 105 | 250 | 925 | 693 | 401 | 232 | 13 | 33 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 1246 | 441 | 308 | 207 | 144 | 146 | 1122 | 428 | 101 | 157 | 71 | 0 | 365 | 124 | 130 |
2012 | 854 | 301 | 170 | 95 | 172 | 116 | 1015 | 411 | 86 | 155 | 63 | 0 | 300 | -161 | -158 |
2013 | 871 | 324 | 180 | 94 | 171 | 102 | 986 | 390 | 73 | 161 | 58 | 0 | 284 | -95 | -87 |
2014 | 947 | 334 | 192 | 96 | 210 | 115 | 942 | 417 | 76 | 121 | 65 | 0 | 263 | 5 | 9 |
2015 | 1654 | 474 | 235 | 94 | 211 | 640 | 1595 | 626 | 96 | 374 | 73 | 0 | 426 | 59 | 49 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 1836 | 618 | 275 | 207 | 175 | 112 | 449 | 1814 | 937 | 142 | 187 | 67 | 0 | 92 | 389 | 22 | 21 |
- 金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016
資産
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2005 | 449 | 196 | 252 | 3370 |
2006 | 558 | 424 | 134 | 90 |
2007 | 439 | 284 | 155 | 90 |
2008 | 437 | 273 | 164 | 125 |
2009 | 463 | 409 | 54 | 125 |
2010 | 440 | 353 | 87 | 125 |
2011 | 515 | 298 | 217 | 217 |
2012 | 415 | 355 | 60 | 126 |
2013 | 345 | 373 | -28 | 126 |
2014 | 389 | 307 | 82 | 176 |
2015 | 537 | 406 | 130 | 176 |
2016 | 732 | 580 | 152 | 176 |
- 金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 1.24 1.25 1.26 “クラブガイド:アビスパ福岡・プロフィール”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-9-23閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「company-info
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 宇美町および志免町との「フレンドリータウンに関する協定書」締結調印式についてのお知らせ - アビスパ福岡・2017年4月24日
- ↑ アビスパ福岡株式会社 増資等についてのお知らせ - アビスパ福岡・2008年9月25日
- ↑ “FCジロンダン・ド・ボルドー(フランス・リーグ1) 練習参加のお知らせ”. アビスパ福岡. (2011年3月18日) . 2012閲覧.
- ↑ 2008 J2 第7節 福岡 vs 岐阜 J's GOAL ゲームサマリー
- ↑ アビスパ福岡を応援してくださったすべての皆さまへ
- ↑ 但し、横浜FCは20クラブ中18位、福岡は22クラブ中18位
- ↑ “福岡が3選手の契約満了を発表”. ゲキサカ (講談社). (2014年11月30日) . 2015閲覧.
- ↑ 藤江直人 (2015年12月8日). ““井原マジック”の真実。福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み”. サッカーキング. フロムワン. . 2015閲覧.
- ↑ “井原福岡が4発8連勝も自動昇格に4得点届かず”. 日刊スポーツ. (2015年11月24日) . 2015閲覧.
- ↑ “アビスパ「J1残留」正念場 守備に甘さ? ミスも多く”. 西日本新聞. (2016年9月23日) . 2016閲覧.
- ↑ “2017 J1昇格プレーオフ 出場決定 11/26(日) 準決勝 チケット販売について” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2017年11月15日) . 2017閲覧.
- ↑ “『ヨネックス株式会社』様との オフィシャルユニフォームサプライヤー契約締結のお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2018年1月5日) . 2018-1-7閲覧.
- ↑ 15.0 15.1 15.2 “再生なるか?アビスパ福岡 課題は脱・有力企業頼み…”. MSN産経ニュース. (2013年12月28日). オリジナルの2013年12月27日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.
- ↑ “福岡胸スポンサー「GEORGIA」撤退”. 日刊スポーツ. (2007年11月22日). オリジナルの2011年8月16日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “サッカー・J2福岡に遊技機メーカー「大都技研」が資本参加へ”. 読売新聞. (2008年6月5日). オリジナルの2008年6月8日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “J2福岡への大都技研出資、自粛対象業種とリーグ難色”. 読売新聞. (2008年6月7日). オリジナルの2008年6月12日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ Jリーグ アビスパ福岡への資本参加について 大都技研 2008年9月25日
- ↑ J2アビスパ、ユニホーム広告なしの非常事態に 朝日新聞 2009年2月7日
- ↑ スポンサー名が入ったユニホームで敵陣に攻め込む。 朝日新聞 2009年4月14日
- ↑ 背中スポンサー入りユニホームがお披露目された。 朝日新聞 2009年4月27日
- ↑ “クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について”. Jリーグ. (2013年9月30日) . 2013閲覧.
- ↑ “アビスパ危機 経営難 資金5000万円不足 Jリーグ退会も”. 西日本新聞. (2013年10月16日). オリジナルの2013年10月16日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “アビスパ福岡へ追加支援、地元企業に慎重論広がる”. 日本経済新聞. (2013年10月30日) . 2013-11-3閲覧.
- ↑ “アビスパ支援「ノー」、福岡銀・西鉄トップ表明”. 読売新聞九州版. (2013年10月29日). オリジナルの2013年10月31日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “明太子がアビスパを救う?スポンサー「ふくや」が支援商品販売へ”. スポーツニッポン. (2013年10月31日) . 2014閲覧.
- ↑ “アビスパ社長「年内の資金繰りにはメド」”. 日本経済新聞. (2013年11月16日) . 2014-2-8閲覧.
- ↑ “代表取締役社長の辞任に関するお知らせ” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2013年11月29日) . 2014-2-8閲覧.
- ↑ “「アドバイザリーボード(経営諮問委員会)」設置のお知らせ” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2014年2月5日) . 2014-2-8閲覧.
- ↑ “福岡の経営状況を注視=全51クラブの経営情報を開示-Jリーグ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2014年7月22日) . 2014閲覧.
- ↑ “Jリーグ、福岡の債務超過を問題視 9月にライセンス審査”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2014年7月22日) . 2014閲覧.
- ↑ “アビスパ福岡株式会社 増資等に関するご報告” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2014年8月28日) . 2014閲覧.
- ↑ “アビスパ福岡株式会社への資本参加のお知らせ” (プレスリリース), (2014年8月29日) . 2014閲覧.
- ↑ “クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による2015シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2014年9月29日) . 2014閲覧.
- ↑ “役員人事に関するお知らせ” (プレスリリース), アビスパ福岡, (2015年3月30日) . 2015閲覧.
- ↑ “【レポート】アビスパ福岡社長が語る、100億円クラブへの展望” (プレスリリース), サッカーキング, (2016年6月15日) . 2018-4-16閲覧.
- ↑ “【インタビュー】川森敬史さん|アビスパ福岡(株) 代表取締役 女性活躍が支えた、アビスパ福岡のJ1復帰” (プレスリリース), 九州イクボスドットコム, (2016年8月12日) . 2018-4-16閲覧.
関連項目
- アビスパ福岡の選手一覧
- 九州ダービー
- 福岡ダービー
- 福岡J・アンクラス - アビスパのホームゲームでボールスタッフをしている。
外部リンク
アビスパ福岡 関連テンプレート |
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テンプレート:アビスパ福岡のメンバー テンプレート:アビスパ福岡及びその前身チーム歴代監督 |