村井満
むらい みつる 村井 満 | |
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生誕 |
1959年8月2日(65歳) 埼玉県川越市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 早稲田大学法学部 |
職業 | 企業経営者 |
肩書き | 日本プロサッカーリーグ理事長 |
任期 | 2014年 - |
前任者 | 大東和美 |
村井 満(むらい・みつる、1959年8月2日 - )は、日本の実業家。第5代日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)。
Contents
来歴
1959年8月2日、埼玉県川越市出身。埼玉県立浦和高等学校から早稲田大学法学部に進学。在学中は早稲田精神昂揚会に所属。卒業後、1983年に日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。
リクルート入社後は東京・秋葉原の営業所配属となり、近辺の中小電気ショップを中心に求人広告の営業活動の業務を行っていた[1]。
1988年に発生したリクルート事件とほぼ時を同じくして営業部門から人事部門に異動となり、人事畑での業務が中心となり、2000年に人事担当の執行役員に就任[1]。2004年に本社執行役員兼務でリクルートエイブリック(後にリクルートエージェント)代表取締役社長に就任。2011年まで社長を務めた。
2011年にリクルート本社執行役員(アジア担当)のまま、RGF Hong Kong Limited(香港法人)社長に就任し、2013年3月まで務めた後に同社チェアマン(会長)に昇格[2]、また本社執行役員は2012年9月で退任している[3]。
リクルート執行役員時代の2008年に日本プロサッカーリーグ理事に選任[4]。以後、2013年まで務める。
2014年1月16日、大東和美の後を受けて第5代日本プロサッカーリーグ理事長(Jリーグチェアマン)に就任することが内定し[5][6][7]、1月31日に正式に就任した[8]。
サッカーとの関わり
村井は中学時代まではバスケットボール部に所属していたが、梶原一騎原作の漫画『赤き血のイレブン』の影響でサッカーに関心を持ち[9][10]、1975年に埼玉県立浦和高等学校に進学しサッカー部に入部すると、ポジションはゴールキーパーを務めた[9][7]。
監督の倉持守三郎やコーチの柴田宗宏から指導を受け[10]、1年時の全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県予選では控えキーパーとしてベスト4進出(全国優勝した浦和南高等学校に0-1で敗退[11])、2年時には正キーパーとして[12]全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県予選でベスト8進出(全国優勝した浦和南高等学校に0-2で敗退[13])、3年時には控えキーパーとして[14]全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県予選でベスト8進出(武南高等学校に0-2で敗退[15])を経験した。
高校卒業後は本格的な競技から遠ざかっているため自身は「素人」と称しているが[16]、一方で熱心なサッカーファンでもあり[16]、大学在学中の1979年に日本で行われた1979 FIFAワールドユース選手権を観戦[17]、1997年に行われた1998 FIFAワールドカップ・アジア予選の第3代表決定戦・日本対イラン戦の際には社業を抜け出して現地へ観戦に訪れたという[9]。また埼玉県出身ということもあって浦和レッドダイヤモンズのサポーターでもあり[7]、『Jリーグの理念を実現する市民の会』理事でもある。
Jリーグチェアマンとしての実績
チェアマン就任から間もない2014年3月8日、Jリーグディビジョン1第2節の浦和レッドダイヤモンズ 対 サガン鳥栖でホーム側ゴール裏スタンドのゲート付近に差別的横断幕が掲出された問題に際しては、ホームとなる浦和に対して、Jリーグ史上初となる1試合の無観客試合の制裁を決定した[18]。 就任以降、リーグ経営基盤の拡大を掲げ、2014年12月には明治安田生命保険と翌2015シーズンから2018シーズンまでの4シーズンにわたるタイトルパートナー契約を締結した[19]ほか、2015年3月にはスカパーJSAT株式会社と2015から5シーズンにわたる海外放送権販売契約を締結する[20]などし、事業収入増を果たしている[21]。 また、『魅力的なフットボール』『スタジアム整備』『デジタル技術の活用』『国際戦略』『経営人材の育成』を「5つの重要戦略」として掲げ[22]、さまざまな改革に取り組んでいる。2015年には重要戦略の一つである経営人材育成事業として「Jリーグヒューマンキャピタル[23]」を設立。第一弾事業として、立命館大学との提携講座を開設した。 2016年3月9日にチェアマン再任を果たし、強化・育成部門のトップとして、前・日本サッカー協会専務理事の原博実を副理事長に迎える新理事体制も発表している[24]。
その他の役職
- NPO法人大学教育と就職活動のねじれを直し、大学生の就業力を向上させる会 理事
- 金沢工業大学客員教授(非常勤)
- 川野小児医学奨学財団 評議員
- NPO法人健康寺子屋 理事
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “三つの“境界”を越えることが不幸を潰し、人を生かす――村井 満さん(RGF Hong Kong Limited取締役社長)”. BCN Bizline (2012年9月19日). . 2014閲覧.
- ↑ “RGF Hong Kong Limited代表(President)変更のお知らせ”. RGF Hong Kong Limited ニュースリリース (2013年4月1日). . 2014閲覧.
- ↑ “執行役員の異動等に関するお知らせ (PDF)”. リクルート プレスリリース (2012年9月10日). . 2014閲覧.
- ↑ “理事・監事選任”. Jリーグオフィシャルサイトプレスリリース (2008年7月15日). . 2014閲覧.
- ↑ “理事・監事内定の件”. Jリーグオフィシャルサイトプレスリリース (2014年1月17日). . 2014閲覧.
- ↑ “村井氏「すべてを懸けて頑張りたい」 大東チェアマンは1月31日で退任へ”. スポーツナビ (2014年1月17日). . 2014閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 7.2 “Jリーグ新チェアマンに村井氏が内定、熱烈な浦和ファンは「今日で終わり」”. ゲキサカNews (2014年1月17日). . 2014閲覧.
- ↑ “新チェアマンに村井氏就任 元熱烈浦和党”. 日刊スポーツ (2014年2月1日). . 2014閲覧.
- ↑ 9.0 9.1 9.2 「時の人 Jリーグのチェアマンに就任した村井満」『埼玉新聞』2014年2月1日 3面。
- ↑ 10.0 10.1 “ぐるっと首都圏・母校をたずねる 埼玉県立浦和高校/2 受験さなかでもスポーツ Jリーグチェアマン・村井満さん /東京”. 毎日新聞 (2016年4月8日). . 2017閲覧.
- ↑ 麗和 1992、272頁
- ↑ 麗和 1992、203頁
- ↑ 麗和 1992、273頁
- ↑ 麗和 1992、205頁
- ↑ 麗和 1992、275頁
- ↑ 16.0 16.1 「ひと Jリーグ第5代チェアマンに就任した村井満さん (51)」『朝日新聞』2014年2月1日 13版 2面。
- ↑ “村井チェアマンが“初仕事”福島市長と意気投合”. スポニチ Sponichi Annex (2014年2月10日). . 2014閲覧.
- ↑ “ホームゲームにおける差別的な内容の横断幕掲出に対し浦和レッズに制裁を決定”. Jリーグ公式ウェブサイト (2014年3月13日). . 2016閲覧.
- ↑ “明治安田生命保険相互会社とJリーグタイトルパートナー契約を締結”. Jリーグ公式ウェブサイト (2014年12月16日). . 2016閲覧.
- ↑ “スカパーJSATと海外放送権契約について合意”. Jリーグ公式ウェブサイト (2015年3月4日). . 2016閲覧.
- ↑ “2015年度(平成27年度)決算について”. Jリーグ公式ウェブサイト (2016年3月9日). . 2016閲覧.
- ↑ “事業計画書(平成28年度)”. Jリーグ公式ウェブサイト. . 2016閲覧.
- ↑ “プロスポーツクラブ経営人材育成・開発事業『Jリーグヒューマンキャピタル』の発足について”. Jリーグ公式ウェブサイト (2015年1月30日). . 2016閲覧.
- ↑ “理事選任の件”. Jリーグ公式ウェブサイト (2016年3月9日). . 2016閲覧.
参考文献
- 『麗和 浦和中学・浦和高校サッカー部史』 麗和サッカークラブ、1992年。