V・ファーレン長崎
V・ファーレン長崎 | |||
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原語表記 | V・ファーレン長崎 | ||
呼称 | V・ファーレン長崎 | ||
クラブカラー | 青、 オレンジ[1] | ||
創設年 | 2004年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J1リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 長崎市、諫早市を中心とする長崎県全県[1] | ||
ホームスタジアム | 220pxトランスコスモススタジアム長崎[1] | ||
収容人数 | 20,258[1] | ||
運営法人 | 株式会社V・ファーレン長崎[1] | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート |
V・ファーレン長崎(ヴィ・ファーレンながさき[注 1]、V Varen Nagasaki)は、日本の長崎市、諫早市を中心とする長崎県全県をホームタウンとしている[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
2009年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[1]、2012年11月にJリーグへ加盟した[1]。「V・ファーレン」の内、「V」はポルトガル語で勝利を意味するVITORIA(ヴィトーリア)とオランダ語で平和を意味するVREDE(ブレーダ)の頭文字、「ファーレン」(VAREN)はオランダ語で「航海」を意味している[1]。
ホームスタジアムはトランスコスモススタジアム長崎、練習場は諫早市の「諫早市サッカー場/なごみクラブハウス」を主に使用している。また、雲仙市の国見総合運動公園、島原市の平成町多目的広場[1] なども使用することがある(詳細は#スタジアムを参照)。マスコットはヴィヴィくんである。
歴史
前史
2004年、有明町(2006年1月に島原市に編入)で活動していた「有明SC」と国見高校サッカー部OBを中心に結成された「国見FC」が統合した「有明SC」が前身[1][2]。2004年、長崎県サッカーリーグ1部で優勝。また、九州各県リーグ決勝大会でも準優勝して九州リーグ昇格を決めた(決勝はFC琉球に敗退)。
2005年 - 2008年(九州リーグ)
- 2006年
- 6月、クラブの運営法人を特定非営利活動法人(NPO法人)の「V・ファーレン長崎スポーツコミュニティ」から「株式会社V・ファーレン長崎」へ移行[1]。なお、V・ファーレン長崎スポーツコミュニティは、地域振興業務を中心に活動。九州リーグで初優勝し、全国社会人サッカー選手権大会(以下全社)も優勝した。全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝ラウンド3戦3敗の成績で最下位に終わった。なお、10月に元セレッソ大阪監督の小林伸二が強化部長兼アシスタントコーチに就任。
- 2008年
- 愛媛FCユース元監督の東川昌典が監督に、強化育成部長にアビスパ福岡、元チーム統括グループ副長の中村重和がそれぞれ就任した(前監督の岩本は長崎銀行からの派遣という形でクラブの事業部長兼総務部長に就任)。九州リーグは2位。第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会は決勝ラウンド2位(FC町田ゼルビアが優勝)の成績を収めた。12月9日、日本フットボールリーグ(JFL)の評議員会でJFLへの昇格が承認された。
2009年 - 2012年(JFL)
- 2009年
- 2月、Jリーグ準加盟クラブとして承認された[1] が、ホームスタジアムの長崎県立総合運動公園陸上競技場の改修(2010年7月から3年間、第69回国民体育大会の開催に伴う)時期の代替スタジアムの目処が無いことなどより、2010年度のJリーグ入りを断念した。
- JFLリーグ戦は開幕から低迷し、6月4日付で東川を監督より解任。後任の大久保毅も6月30日に辞任したため、岩本文昭が監督代行を務めた後、7月22日に監督に就任したが、JFLリーグ戦は11位の成績に終わった。天皇杯は2回戦で横浜F・マリノスに敗退した。
- 2010年
- ザスパ草津元監督の佐野達が監督に就任。なお、Jリーグ入会予備審査で前年同様の指摘を受けて、2011年度のJリーグ加盟を断念した[4]。運営会社の代表取締役であった小嶺忠敏は2年連続でスタジアム問題等によりJ2参入を逃した責任を取って辞任した。
- リーグ戦は5位の成績。天皇杯は2回戦で横浜FMに敗退。
- 2011年
- 1月11日、運営会社の代表取締役社長に元長崎銀行支店長の宮田伴之が就任し、小嶺はチームアドバイザーに就任。2011年はJリーグ入会予備審査申請自体を見送った。
- リーグ戦は5位の成績。天皇杯は2回戦で東京Vに敗北。
- 2012年
- リーグ戦は前半戦を首位で折り返して、天皇杯でのJFLシードを獲得。なお、天皇杯は2回戦で千葉に敗退した。また、U-18チームを設立し、U-18監督にOBの原田武男、コーチに竹村栄哉と加藤寿一がそれぞれ就任。
- 9月、2013年のJリーグクラブライセンスについて、条件付きながらJ2ライセンスが交付された(2013年シーズン開幕までにスタジアムが供用開始できること及びJ2入会審査に合格すること)[5]。
- 11月11日、JFL初優勝が決定。11月12日のJリーグ臨時理事会で正式にJリーグへの入会が承認され、2013年シーズンからのJ2参加が決定した[6]。シーズン終了後、クラブ側の「監督も含め、もっと県民に親しまれ、愛されるチームをつくるための一つの方策」との方針を理由として佐野が監督を退任した[7]。
2013年 - 2017年(J2)
- 2013年
-
- チームスローガン:「飛翔 -Fly&Run-」
- 前ロアッソ熊本監督で、2005年にテクニカルアドバイザーであった高木琢也が監督に就任[8]。J2昇格後初年度は12位以内、2年目にJ1昇格プレーオフ圏内となる6位以内、3年目に自動昇格圏となる2位以内を目指すと発表した[9]。
- 9月、2014年度のJリーグクラブライセンスについて、J1ライセンスが交付された[10]。
- リーグ戦は、第4節ホーム富山戦でJ2初勝利。その後、第15節ホーム京都に敗れるまで4連勝1回を含む11試合負けなしで、第13節終了時に2位、その後もプレーオフ圏内の6位以内を維持。第40節終了時にはJ1昇格プレーオフ準決勝のホームゲーム開催権の与えられる4位であったが、第41節および42節と連敗して最終成績は6位(なお、J2創設後に新規加入したクラブとして初年度過去最高の順位)。プレーオフ準決勝は京都と引き分けたが、規定により決勝進出は成らなかった。天皇杯は2回戦で東京Vに敗退した。
- "「2013年のJリーグ#J1昇格プレーオフ」"
- 2014年
-
- チームスローガン:「努力=無限」
- 高木体制2年目。4月、運営会社の社長に大村市元副市長の内田正次郎が就任した。
- リーグ戦は、第1節、5節から13節で、昇格圏に入るが、怪我人の続出で、第9節から16節と第18節から25節に8試合連続未勝利となる。また後半戦に入ると1度も1桁順位に復帰できず、第40節の東京Vに敗れたことで、プレーオフの可能性が消滅。年間成績は14位。
- 天皇杯は、4回戦で千葉に敗退した。
- 2015年
-
- チームスローガン:「結心 ~ナガサキをひとつに~ ALL FOR NAGASAKI」
- 高木体制3年目。
- リーグ戦は、3節以降17節まで昇格圏内の順位をキープ、18節に一度昇格圏内から落ちたが、34節以降プレーオフ圏内に再浮上、最終順位は6位で、2年ぶり2度目の昇格プレーオフ進出を決めた。昇格プレーオフは、この年プレーオフを制してJ1に昇格する福岡に敗れ準決勝で敗退した。天皇杯は2回戦で大分に敗退した。
- "「2015年のJリーグ#J1昇格プレーオフ」"
- 2016年
- 高木体制4年目。4月、運営会社の社長に池ノ上俊一が就任。内田正二郎前代表取締役社長は取締役会長へ就任した。
- 深井正樹(相模原)、花井聖(北九州)、黒木聖仁(甲府)、イ・ヨンジェ(京都)、刀根亮輔(期限付き移籍期間満了)ら15名が退団。
- 補強は、上本大海(仙台)、昨年栃木SCへ期限付き移籍していたパク・ヒョンジン(広島)、田中輝希(名古屋)、永井龍(C大阪)、田中裕人(磐田から期限付き移籍)らを補強。昨年期限付き移籍だった梶川諒太が完全移籍に移行。新外国人として、富川FCからロドリゴが加入した。
- シーズン中には、武内大(契約解除)、植草裕樹(清水へ完全移籍)、ロドリゴ(北九州へ期限付き移籍)がチームを去ったが、元日本代表の坂井達弥と白星東(ともに鳥栖)、碓井鉄平(長野)を期限付き移籍で補強した。また10月12日には甲府から期限付き移籍で加入していた松本大輝が日本サッカー協会選手契約書内第9条1(5)にある「クラブの秩序風紀を乱す行為」があったことを理由期限付き移籍契約終了となり退団した。
- 最終順位は15位。天皇杯は2回戦で横浜FCに敗退した。
- 2017年
- 高木体制5年目。
- 永井龍が名古屋へ、大久保択生がFC東京へ、梶川諒太が東京Vへ、佐藤洸一が金沢へそれぞれ完全移籍、岸田翔平が期限付き移籍期間満了となるなど16名が退団。
- 一方で補強は、FC東京から、前年山口へプレーしており、2013年に在籍していた幸野志有人、群馬から乾大知、甲府から福田健介、山形から田代真一を完全移籍で、広島から増田卓也をそれぞれ期限付き移籍で獲得。昨年期限付き移籍だった木村裕が完全移籍に移行。新外国人としてUCAMムルシアからファンマ、ハート・オブ・ミドロシアンFCに所属していたが、2016年夏からフリーになっていたミゲル・パジャルドが加入した。
- シーズン前に経営問題が発覚するものの(後述)、リーグ開幕戦は群馬戦に4-0と大勝。しかし続く2試合で1分1敗となり、第3節終了時には11位まで順位を下げる。しかしこれが年間最低順位となり、直後の第4節から3連勝で一気に3位まで順位を戻し、その後前半戦中盤は混戦となったこともあって3位から9位の間を推移、しかし前半戦終了となる第21節には前節の9位から4位に浮上、10勝5分6敗の勝点35、自動昇格圏内の2位とは勝点差8で前半戦を終える。
- 天皇杯では、初戦となる2回戦で山形に延長戦の末1-0で敗れた。
- シーズンを通じ、リーグ戦の連敗は第7節からの3連敗と、第24・25節の2連敗のみ[11] と大きな連敗がなく、後半戦は常にJ1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を維持したものの、第27節湘南戦に敗れた際は、同節終了時2位の福岡に勝点差を11にまで広げられる。しかし、第30節京都戦の勝利から、5連勝と3連勝を含む12戦連続負けなしとなった一方、2位の福岡が第28節から6試合連続未勝利となったことなどもあり、第33終了時には、ついに福岡を抜いて、第2節以来となるJ1自動昇格圏内の2位に浮上。その後福岡とのデッドヒートに勝ち星を積み上げた名古屋が絡む三つどもえの展開となる。
- 3位名古屋・4位福岡と勝ち点差2の2位で迎えた11月11日の第41節、昼の試合で名古屋が敗れて福岡が引き分けに終わり、その日のナイトゲーム・ホーム讃岐戦に勝てば2位確定(J1自動昇格)という状況を迎えた。クラブ史上最多の22,407人の観客を集めたこの試合、唯一JFL時代から在籍する前田悠佑の勝ち越しゴールなどで3-1で勝利。J2昇格から5年目にして初のJ1昇格を成し遂げた。
2018年 - (J1)
- 2018年
- 高木体制6年目。
- 元ナショナルトレセンコーチなどを務めた松田浩が育成部部長に就任、元長崎U-18監督で昨シーズン北九州の監督を務めていた原田武男がトップチームコーチとして復帰、貝崎佳祐がトップチームテクニカルコーチ就任。
- 村上佑介が現役引退、契約満了等により古部健太(山形へ移籍)、三浦雄也、ミゲル・パジャルド、期限付き移籍加入していた丸岡満(C大阪へ復帰した後山口へ期限付き移籍)が退団、ソン・ヨンミンが讃岐に完全移籍、林田隆介がJFL・ヴェルスパ大分に期限付き移籍、前年から沼津に期限付き移籍していた畑潤基の期限付き移籍期間を延長した。
- 一方、FC東京から徳永悠平、新潟から鈴木武蔵(昨季は松本に期限付き移籍)、神戸から徳重健太、福岡から中村北斗、甲府から黒木聖仁、1.FCハイデンハイムからベン・ハロランが完全移籍で加入、札幌から前年G大阪へ期限付き移籍していた中原彰吾が期限付き移籍加入、東海学園大学から本多琢人、順天堂大学から新里涼、米田隼也がそれぞれ入団した。
- J1リーグ戦では、開幕から6戦未勝利(2分4敗)となり、一時は17位まで順位を落とすが、第7節アウェーで清水エスパルスにJ1初勝利を果たすとそのまま4連勝する。直後に3連敗するも、ワールドカップによる中断期間に入る前の時点で5勝2分8敗、13位と勝点で並び得失点差で15位となる。
- YBCルヴァンカップでは、グループD初戦ヴィッセル神戸に引き分け、2戦目湘南ベルマーレ戦、3戦目サガン鳥栖戦と連勝し、一旦はグループ首位に立ったものの、残る3試合を全敗し最終的にグループ3位でグループリーグ敗退となった。
- 天皇杯では、2回戦で松江シティFCに0-0の後、延長戦で先制するも追いつかれ、アディショナルタイムのゴールで2-1と辛勝。3回戦では湘南ベルマーレ相手に0-0の後、延長戦で先制するもアディショナルタイムに追いつかれ、PK戦で3-4で敗れた。
- 中断期間中、オーストラリア・シドニーFCから元オランダU-19代表のDFヨルディ・バイスが完全移籍で加入した一方、MFベン・ハロランが家族の事情で双方合意の上契約解除、DF乾大知が鳥栖、DF田代真一が横浜FCへそれぞれ期限付き移籍した。
経営問題
2017年2月に日本プロサッカーリーグ (法人)からの監査を受けて[12]、同月8日に社長の池ノ上俊一および常勤役員全員が辞任を表明[13] し、15日には新しい役員人事が発表され、大株主の一社であるチョープロ社長の荒木健治が会長に就任した[14]。
3月、池ノ上がクラブハウス内に開設した鍼灸院において療養費の不適切な保険請求が行われていたこと[15] および、同月1日に開かれた臨時株主総会では、資金不足が深刻化し早ければ4月にも社員への給与未払いが発生する見込みであることが明らかにされた[16]。
3月7日、英会話教室のNOVAホールディングスが出資を打診し[17]、経営陣は3月10日に一旦はNOVAからの出資を受け入れる意向を表明するが[18]、同日に当時の筆頭株主であるジャパネットホールディングス(以下「ジャパネット」)がチームを100%子会社化する意向を表明し、翌日にジャパネットの支援を受ける方針を決めた[19]。
ジャパネットは3月20日に既存株主[注 2]に対して株式買取について説明を行った。
2017年4月20日時点で第三者割当増資と既存株主からの株式譲渡によりジャパネットがクラブ運営会社の89.5%の株式を取得[20]、4月25日に株主総会と取締役会を開き、同日付でジャパネットの創業者・髙田明が代表取締役社長に就任した[21][22]。同年5月16日付で全株式を取得した[12]。
新たな経営陣が過去の経営体制の洗い直しを行っていたところ、2015年の開幕節から2017年第6節(4月2日)までのホームゲーム45試合で発表された入場者数について、「広告収入減を避けるため」との理由から入場者実数に運営関連スタッフ等を上乗せして発表していたことが判明[23]。Jリーグに報告の上、2017年7月25日に行われた理事会で譴責と制裁金300万円の処分を受けた[24]。
成績
タイトル
リーグ戦
- 日本フットボールリーグ:1回
- 九州サッカーリーグ:1回
- 2006
その他
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 2006年(第42回)
- 長崎県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会長崎県予選):6回
- 2006, 2007, 2009, 2010, 2011, 2012
個人
- 日本フットボールリーグ
スタジアム・練習場
スタジアム
ホームスタジアムは諫早市のトランスコスモススタジアム長崎である。2014年までは長崎市総合運動公園かきどまり陸上競技場と併用していたが、2015年以降は全てのホームゲームをここで開催している。また、Jリーグ昇格前は島原市営陸上競技場など複数のスタジアムを併用していたなお、過去のホームゲーム開催スタジアムは当項目を参照のこと。
長崎市総合運動公園かきどまり陸上競技場については、2009年に長崎県サッカー協会などと協力して改修を求める署名活動を実施した[25] が、同競技場のJリーグ基準への改修は最終的に断念した。詳細は当項目を参照。
長崎市内での球技専用スタジアム建設に関してはJリーグ昇格前後から動きがあり、2012年に署名活動を行う[26]、2014年に県内のサッカー・ラグビーなど体育関連団体が中心となって、長崎市茂里町の中部下水処理場(2016年度末に全体の約4割が稼働停止、更に2023年には全面操業停止予定)跡地に球技専用スタジアム「茂里町スタジアム」(仮称)を建設する構想を発表し、引き続き署名活動を進める[27]などの動きがあった。
2017年、長崎市幸町の三菱重工業長崎造船所幸町工場の再開発事業計画案募集に、V・ファーレンの親会社となったジャパネットホールディングスが応募。2018年4月24日付でジャパネットが優先交渉先に決定したことが明らかになった。計画では、約2万3000人収容の球技専用スタジアムを建設、その周辺にマンションやオフィス、商業施設を建設するというもので、ジャパネットと竹中工務店(スタジアム建設)・ジョーンズ・ラング・ラサール(不動産開発)との共同事業として取り組むことが想定されている[28]。
練習場
2014年9月、長崎市東部の戸石町に専用練習場「V・ファーレン十八銀行フィールド」が完成した[29]。十八銀行の所有していた「十八銀行戸石グラウンド」に天然芝等を整備したもの。2015年4月にはグラウンドに隣接する形でクラブハウスもオープンした。クラブハウスは元々空き家だった日本家屋をリフォームしたもので、その見た目がメディアでも話題となった[30]。
2016年8月には、同月に供用開始した諫早市多良見町の諫早市サッカー場/なごみクラブハウスを新たな練習場として使用開始[31]。
2017年3月には併設のクラブハウスが完成したが[32]、同クラブハウスは一般社団法人が所有権を持っており、前述の経営問題の影響で一般社団法人の運営方針が不透明な状態が続いていたこともあり、供用開始が遅れていた。その後、諫早市サッカー場の冬芝切り替えに合わせる形で2017年11月15日に移転した[33]。
ユニフォーム
チームカラー
限定ユニフォーム
戦後70年、長崎での被爆70年を迎えた2015年の夏より、平和を祈念するユニフォームを発表。原爆の悲惨さとともに、スポーツのできる平和の尊さを感じられるように、という思いが込められている。
- 2015年 : チームカラーである青とオレンジのグラデーションをベースに、ユニフォーム全体に祈りの折り鶴模様をプリント。また、長崎の平和を象徴する「平和祈念像」のシルエットを配置。長崎の象徴とも言えるこの平和祈念像をデザインに入れることで、若者を含めた様々な層へ、原爆投下日である1945年8月9日の認知、原爆の悲惨さと平和の尊さを喚起できるデザインとしている。8月に開催する2回のホームゲーム限定で着用された。なお、売上の一部は、日中韓3カ国による小学生サッカー大会「第1回 VREDE CUP in NAGASAKI」(8月15-16日開催)に寄付された[34]。
- 2016年 : シャツの前面には平和祈念像をプリント。原爆の脅威を表す右手を中心に据え、天を指す指先に陰影をつけて強調。また、左右の異なるカラーを切り裂くように下から上へと昇るような光を、指先に合わせることで、過去から未来へと平和の光を照らし続けていけるように、という願いを込めている。また、シャツの背面には、ギリシャ政府によって長崎に贈られた長崎誓いの火・灯火台をデザイン。7~8月に開催する3回のホームゲーム限定で着用された[35]。
- 2017年 : 折り鶴とタスキ、そして長崎の象徴になっている「平和祈念像」をデザイン。平和の象徴である折り鶴をベースに、左肩から右裾にかけて、折り鶴によるタスキを浮かび上がらせ、原爆の悲惨さと平和の尊さを次世代につないでいく気持ちを表している。また、右肩にはチームカラーのブルーとオレンジで折り鶴をプリント。8面9点で描かれた折り鶴で、原爆が落とされた日付である8月9日を象徴。一方、背面には平和祈念像を配置している。「長崎を最後の被爆地に」という思いを、長崎から世界に向けて発信していく。8月の3試合限定で着用された[36]。
- 2018年 : 2018年は、J1で同じ被爆地の広島との対戦があることから、両地域からの思いを込めるため、平和の象徴である折り鶴をメインに、長崎県出身の岡本一宣デザイン事務所が担当。年齢や性別、国籍も異なる多くの人々が被爆した歴史を、サイズやカラーの異なる折り鶴でデザイン。未来への広がりを意味するシェブロンラインをデフォルメしたV字を、シャツの全面にプリントすることで、70数年の経過を表し、サッカーを通して、平和を楽しむことのできる今があることを表現。ナガサキの地から世界に向けて原爆の悲惨さと平和の尊さを発信する。7月、8月のホームゲーム5試合で、この平和祈念ユニフォームを着用する[37]。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | ジャパネットたかた | Japanet | 2009年 - 2010年 2012年 - |
2009年 - 2010年、2012年 - 2014年は 「ジャパネットたかた」表記 |
鎖骨 | なし | |||
背中上部 | 日本ユニセフ協会 | UNICEF | 2018年 - | 無償掲出[注 3] |
背中下部 | なし | |||
袖 | ハウステンボス | ハウステンボス | 2018年 - | |
パンツ | リンガーハット | リンガーハット | 2015年 2018年 |
2012年 - 2014年は背中上部 2016年は袖 2017年は背中下部 |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
2005 - 2006 |
2007 - 2008 |
2009 - 2010 |
2011 |
2012 |
2013 |
2014 |
2015 |
2016 |
|
2018 平和祈念 | ||||
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2005 - 2006 |
2007 - 2008 |
2009 - 2010 |
2011 |
2012 |
2013 |
2014 - 2015 |
2016 |
2017 | |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2005 | 親和銀行 | 解禁前 | 岩崎本舗 | 解禁前 | - | - | PUMA |
2006 | 玄海酒造 | ||||||
2007 | |||||||
2008 | 岩崎本舗 / KMT LABO |
タクショク | |||||
2009 | ジャパネット たかた |
- | 親和銀行 | 山田青果卸売市場 | |||
2010 | - | ||||||
2011 | - | チョープロ | |||||
2012 | ジャパネット たかた |
リンガーハット | 長崎新聞 | PENALTY | |||
2013 | 岩崎本舗 | - | |||||
2014 | hummel | ||||||
2015 | Japanet | チョープロ | リンガーハット | ||||
2016 | 岩崎本舗 | リンガーハット | - | ||||
2017 | リンガーハット | 岩崎本舗 | 名もなき一日を走る。 長崎バス | ||||
2018 | - | UNICEF | - | ハウステンボス | リンガーハット |
下部組織
ユースチームとして、「U-18」(2012年発足)、「U-15」(2010年4月発足)、「U-12」(2011年4月発足)を有し、U-15はJリーグ U-13サザンクロスに参加している。また、2008年6月に開設した「V・ファーレン長崎サッカースクール」も別途運営しており、ジュニアA(小学校4・5・6年生)、ジュニアB(小学校1・2・3年生)、キッズ(幼稚園年中、年長)の3カテゴリから構成されている[39]。なお、株式会社V・ファーレン長崎で行っていたアカデミーの運営の一部を2014年度より一般社団法人V.V.NAGASAKIスポーツクラブ(2014年3月19日設立)へ移管した[40]。
また、2016年7月、セカンドチームとして18歳から23歳以下からなる「V・ファーレン長崎U-24」が創設された[41]。
決算
V・ファーレン長崎の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | J2 | 718 | 248 | 132 | 100 | 36 | 203 | 728 | 229 | 115 | 78 | 26 | 0 | 279 | -9 | -11 |
2014 | J2 | 894 | 502 | 101 | 98 | 35 | 158 | 889 | 335 | 67 | 135 | 28 | 0 | 324 | 5 | 1 |
2015 | J2 | 897 | 440 | 94 | 87 | 9 | 267 | 888 | 348 | 74 | 98 | 10 | 0 | 358 | 9 | 2 |
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | J2 | 749 | 359 | 74 | 76 | 0 | 54 | 186 | 878 | 322 | 79 | 90 | 0 | 0 | 56 | 331 | -129 | -138 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016
金額の単位: 百万円
資産
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2013 | 218 | 187 | 31 | 221 |
2014 | 139 | 67 | 71 | 241 |
2015 | 221 | 147 | 73 | 240 |
2016 | 214 | 201 | 13 | 279 |
脚注・出典
注記
出典
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 “クラブガイド:V・ファーレン長崎”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-8-19閲覧.
- ↑ “有明SCの軌跡”. 長崎新聞公式HP (2005年3月4日). . 2012閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「company
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “来季のJ2昇格断念 選手落胆「やっぱり」”. 長崎新聞公式HP (2009年9月17日). . 2012閲覧.
- ↑ “クラブライセンス交付第一審査機関(FIB)による 2013シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2012年9月28日) . 2013閲覧.
- ↑ “【Jリーグ臨時理事会】終了後の大東和美Jリーグチェアマン会見コメント”. J's GOAL (2012年11月12日). . 2012閲覧.
- ↑ 監督の退任でV長崎が会見 長崎新聞ホームページ 2012年11月22日付
- ↑ “高木琢也氏 トップチーム監督就任のお知らせ”. J's Goal (2012年12月20日). . 2013-2-2閲覧.
- ↑ 高木新監督起用の長崎、「3年でJ1昇格」目標に 読売新聞 2012年12月21日付記事
- ↑ “2014シーズンに関するJ1クラブライセンスの取得について”. V・ファーレン長崎. (2013年9月30日) . 2013閲覧.
- ↑ 公式戦では、天皇杯2回戦とJ2第20節における連敗もある。
- ↑ 12.0 12.1 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ V長崎会長「申し訳ない」社長ら辞表 クラブ関係者も衝撃 - 西日本新聞・2017年2月9日
- ↑ 1億2000万円赤字のV長崎が役員人事変更 - 長崎文化放送・2017年2月15日
- ↑ V長崎整骨院不適切請求か - 長崎新聞・2017年3月1日
- ↑ V・ファーレン長崎来季J3降格危機 臨時株主総会「来月にも資金不足」 - 西日本新聞・2017年3月2日
- ↑ V・ファーレン長崎 NOVAと出資交渉 県内企業の支援にも期待 - 西日本新聞・2017年3月8日
- ↑ 経営危機のJ2長崎 NOVA支援受け入れ発表 - 読売新聞・2017年3月11日
- ↑ J2のファーレン長崎支援 NOVAから一転、ジャパネットに - 西日本新聞・2017年3月11日
- ↑ 20.0 20.1 “V長崎、新たな「県民クラブ」へ 高田明新社長就任、スピード感もって改革”. 西日本新聞. (2017年4月27日) . 2017閲覧.
- ↑ “J2長崎社長に高田明氏 ジャパネット創業者”. 日本経済新聞. (2017年4月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “実行委員選任について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年4月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “J2長崎、入場者水増し 過去数年、25日の理事会で処分”. 西日本新聞. (2017年7月25日) . 2017閲覧.
- ↑ “V・ファーレン長崎に対する制裁決定について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (20173-07-25) . 2017閲覧.
- ↑ “かきどまりに照明を 競技場改修求め署名活動”. 長崎新聞公式HP (2009年10月12日). . 2012閲覧.
- ↑ サッカー専用スタジアム建設署名活動について(2012年9月19日 同11月14日閲覧)(2013年4月24日時点のアーカイブ)
- ↑ (仮)茂里町スタジアムプロジェクト、長崎市茂里町に「フットボール専用スタジアム」、建設署名活動へ(2014年7月31日 長崎経済新聞 11月2日閲覧)
- ↑ “三菱重工長崎 工場跡地再開発、ジャパネットと締結”. 毎日新聞. (2018年4月24日) . 2018閲覧.
- ↑ “「V・ファーレン十八銀行フィールド」落成式!” (2014年9月27日). . 2015閲覧.
- ↑ どう見ても“家” 話題のV・長崎のクラブハウスを見学してきた! - SUUMOジャーナル・2015年6月24日
- ↑ <諫早市×V・ファーレン>「諫早市サッカー場」供用開始! - V・ファーレン長崎 2016年8月1日
- ↑ V長崎クラブハウス3月完成 - 長崎新聞・2016年12月16日
- ↑ “V長崎、多良見に練習拠点” (2017年11月16日). . 2017閲覧.
- ↑ “原爆投下70年、平和を祈念したV・長崎ユニフォーム” (プレスリリース), hummel公式サイト . 2017-9-18閲覧.
- ↑ “被爆71年、V・ファーレン長崎と平和祈念ユニフォームを発表” (プレスリリース), hummelサイト . 2017-9-18閲覧.
- ↑ “V・ファーレン長崎と平和祈念ユニフォームを発表” (プレスリリース), hummelサイト . 2017-9-18閲覧.
- ↑ “被爆73年 平和祈念ユニフォームを発表” (プレスリリース), hummelサイト, (2018年6月26日) . 2018-6-27閲覧.
- ↑ “ジャパネットがユニセフと⽀援プロジェクトを発起 ~世界の⼦どもたちに教育⽀援を~” (PDF) (プレスリリース), ジャパネットホールディングス, (2018年1月10日) . 2018閲覧.
- ↑ V・ファーレン長崎サッカースクール規約(第2条) (PDF) 2013年3月12日閲覧
- ↑ “V.V.NAGASAKI総合型地域スポーツクラブの発足について” (プレスリリース), V・ファーレン長崎, (2014年4月29日) . 2014-4-30閲覧.
- ↑ “<V.V.NAGASAKIスポーツクラブ>「V・ファーレン長崎U-24(仮称)」設立及び選手募集のお知らせ” (プレスリリース), V・ファーレン長崎, (2016年7月15日) . 2016閲覧.
関連項目
外部リンク
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