AC長野パルセイロ
AC長野パルセイロ | |
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原語表記 | AC長野パルセイロ |
呼称 | AC長野パルセイロ |
クラブカラー | オレンジ[1] |
創設年 | 1990年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J2 |
ホームタウン | 長野県長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市[1] |
ホームスタジアム | 216px長野Uスタジアム |
収容人数 | 15,515[1] |
運営法人 | 株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブ[1] |
代表者 | 堀江三定[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
AC長野パルセイロ(エーシーながのパルセイロ)は、日本の長野県長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村、佐久市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) に加盟するサッカークラブ。
Contents
概要
1990年創設の長野エルザサッカークラブが前身。2007年に「AC長野パルセイロ」に名称を変更した。ACはAthletic Clubの略[1]、「パルセイロ」はポルトガル語で「パートナー」の意味であり、地域社会とクラブがパートナーとして共生する「地域密着協働型スポーツクラブ」を目指すことを意味している[1]。運営会社は株式会社長野パルセイロ・アスレチッククラブである[1]。
クラブカラーのオレンジは長野県旗の色であり、紺色と共に長野県国体選抜チームのユニフォームカラーでもある[2]。クラブエンブレムは旧称の「エルザ」に由来する雌ライオンに、長野のシンボルであるリンゴの花を対で組み合わせて「パートナー」の意味を表している[2]。ホームスタジアムは南長野運動公園総合球技場(長野Uスタジアム)(詳細は#スタジアムを参照)、練習場は千曲川リバーフロントスポーツガーデン、千曲市サッカー場である[1]。
ホームタウンは準加盟承認時は長野市1市であった[3] が、Jリーグに入会した2013年11月に長野地域・北信地域にある4市と埴科郡・上高井郡・下高井郡・上水内郡・下水内郡の10町村を加えた15市町村(長野市、須坂市、中野市、飯山市、千曲市、坂城町、小布施町、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、飯綱町、小川村、栄村)が[1]、2016年6月に佐久市が追加され、16市町村となった[4]
マスコットキャラクターはライオンをモチーフとした「ライオー」「パルル」「ライト」「パルパパ博士」である。
歴史
1990年 - 2010年(長野県/北信越リーグ)
1990年、長野県立長野南高校サッカー部OBを中心に長野エルザサッカークラブとして発足し、同年の長野県北信リーグ、長野県地域リーグ決勝大会を優勝。長野県リーグ昇格入替戦も勝ちあがり、長野県リーグへ昇格した。
エルザは1996年に長野県リーグで優勝し、北信越フットボールリーグに昇格した。北信越リーグでは松本、金沢、JAPANサッカーカレッジ(JSC)らと争い、2002年に初優勝。全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場している。2004年には全国社会人サッカー選手権大会(以下「全社」)、天皇杯に初出場するが、いずれも初戦で敗れた。
2005年、支援組織としてAthle-naganoが発足した。2006年にはチームフロント内の「長期的視野に立ち、地元出身者を活かし、高いレベルの指導者により、選手を育成しながらJを目指したい」という考えから、イラン代表元監督のヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラが監督に就任。要田勇一、貞富信宏の2人のプロ契約選手の獲得や、天然芝グラウンド(千曲川リバーフロントスポーツガーデン)への練習拠点の移転、クラブハウスの設置、更には選手が半日就労後に行う2部練習の体制等を発表するなど、ヴィエイラの方針に則った練習環境の整備が行われた。
2007年1月15日に運営組織を株式会社化。また商標登録の関係から新たなクラブ名を公募し、名称を長野エルザサッカークラブからAC長野パルセイロへ改称。2008年2月には長野市、千曲市、須坂市、中野市の4市や競技団体など30団体で構成するホームタウンながの推進協議会が発足した。
クラブは2008年の北信越リーグおよび第44回全社で優勝するが、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会では、1次ラウンドで2戦を終えグループ首位、3戦目はPK戦勝利以上なら自力で、PK戦で敗れても次の試合の結果次第では決勝リーグ進出という条件下で前半途中まで2-0とリードしながらその後3点を取られ逆転、結局グループ3位となり敗退した。翌2009年も北信越リーグではJAPANサッカーカレッジ (JSC) に次ぐ2位で、JFL昇格はならず。ヴィエイラはシーズン終了後に退任した。ヴィエイラの後任には、コーチから薩川了洋が昇格した。
2010年シーズンはJSCから移籍してきた諏訪雄大や宇野沢祐次の活躍もあり、北信越リーグを無敗(12勝2分)で制す。9月の鈴木政一(ジュビロ磐田元監督)の強化本部長就任を経て、続く第46回全社、第34回地決をともに準優勝し、同年12月8日に日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFLへの入会が承認された[5]。
2011年 - 2013年(JFL)
- 2011年
- チームスローガン:DO OUR BEST!
JFL昇格初年度。リーグ最少失点(27失点)、13試合連続無敗(前期第16節 - 後期第9節(東日本大震災で順延となった8月17日の前期第4節と8月21日の前期第5節も含む))といった記録を残し、SAGAWA SHIGA FCに次ぐ2位の成績を収めた。
長野県サッカー選手権大会(天皇杯長野県予選)は準決勝より出場、上田ジェンシャンを破るが決勝で松本にPK戦の末敗れた。
- 2012年
- チームスローガン:Run All
2月にJリーグ準加盟の審査を受け[6][7]、同年7月23日にJリーグ準加盟クラブとして承認された[3][8]。なお、ホームスタジアムとして登録した南長野運動公園総合球技場がJリーグ規格に満たないため、J2ライセンスの申請をせず、J2・JFL入れ替え戦への出場は見送られた。2012年シーズンはV・ファーレン長崎に次ぐ2年連続の2位。
第92回天皇杯は県予選決勝から出場、アルティスタ東御を下し8年ぶりに長野県代表として出場(パルセイロに改名後は初)し、2回戦でJ1・札幌にPK戦で勝利した。シーズン終了後に薩川が監督を退任した。
- 2013年
- チームスローガン:結心
徳島ヴォルティス元監督の美濃部直彦が監督に就任。開幕5連勝でリーグ戦をスタートし、一時3位に後退するも第9節から第32節まで24試合連続無敗(そのうち第26節から第32節まで7連勝)を記録。第26節終了時にカマタマーレ讃岐に代わって首位に浮上し、第32節ブラウブリッツ秋田戦に勝利して初のJFL優勝を決めた。同年11月19日には日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[9]。
第93回天皇杯の2回戦でJ1・名古屋グランパスエイトに勝利。3回戦でJ2・ギラヴァンツ北九州にPK戦で勝利してベスト16に進出した。なお、4回戦はJ1・横浜F・マリノスに延長戦で敗れた。
2014年 - (J3)
- 2014年
- チームスローガン:頂戦
美濃部体制2年目。藤田信、平島崇、堤隆裕、鯨岡佑太、保戸田春彦、木下正貴、小川裕史が退団した一方、甲府から元日本代表の伊東輝悦、栃木SCから勝又慶典、町田から向慎一を完全移籍で獲得。シーズン途中には山田晃平を長崎から期限付き移籍で獲得した。
リーグ戦は2位の成績でJ2・J3入れ替え戦に回ったが、1分1敗の成績でJ2・21位のカマタマーレ讃岐に敗れてJ3残留が決まった。
- 2015年
- チームスローガン:Strong 心・信・進
美濃部体制3年目。旗手真也、野澤健一、高野耕平が引退、松尾昇悟、川邊裕紀、田中恵太、下村悠太、畑田真輝、川鍋良祐がチームを去った。補強は、長崎から金久保彩、相模原から菅野哲也、盛岡から土井良太、京都から内野貴志を完全移籍で、岡山から仙石廉を期限付き移籍で獲得。鮫島晃太の期限付き移籍期間が延長され、山田晃平が期限付き移籍から完全移籍に移行した。
リーグ戦開幕直前に福岡から光永祐也を期限付き移籍で獲得。リーグ戦開幕後は、パク・ゴンが福岡から、近藤祐介が北九州から、金信泳が釜山アイパークから加入、ムリロ・アルメイダを大分から(7月2日契約解除)、小山内貴哉を札幌から期限付き移籍で獲得した。一方で、吉田実成都がMIOびわこ滋賀へ移籍、平岡将豪が沼津、高慶汰が盛岡へ期限付き移籍、井上寛太が退団した。また、8月5日、美濃部監督が健康上の問題を理由に監督を辞任。後任には衛藤元ヘッドコーチが就任した。
リーグ戦は、昨年同様昇格争いをしていたが3位となり昇格はならなかった。第95回天皇杯は2回戦でJ1・神戸に敗れた。また、シーズン最終戦にてマスコットキャラクター「ライオー」がお披露目された。
シーズン終了後、衛藤が監督を退任、大橋良隆、諏訪雄大が引退、鮫島晃太、高橋駿太、土井良太、金信泳、向慎一、伊東輝悦、光永祐也、小山内貴哉が退団した。
- 2016年
- チームスローガン:共超
監督に福岡のヘッドコーチだった三浦文丈が就任。補強は、群馬から夛田凌輔、大分から阪田章裕、荒田智之、岐阜から関田寛士、横浜FMから天野貴史、長崎から東浩史、柏から三浦龍輝、松本から塩沢勝吾を完全移籍で、長崎から碓井鉄平、愛媛から渡辺亮太を期限付き移籍で獲得。期限付き移籍から高慶汰、平岡将豪が復帰、仙石廉が期限付き移籍から完全移籍に移行した。
開幕後、ジョニー・レオーニがFCル・モンから加入。橋本英郎がC大阪から、コンハードがトンベンセFCから期限付き移籍で加入。一方、平岡将豪がいわきFCへ、パク・ゴンが群馬へ、近藤祐介が相模原へ、金久保彩が鹿児島へ、高慶汰がブリオベッカ浦安へ期限付き移籍。碓井鉄平が長崎へ復帰。リーグ戦は昨年と同じ3位。天皇杯は3回戦でJ2・横浜FCに敗れた。
シーズン終了後、三浦が監督を、神野が強化部長を退任した。金永基(現役引退)、山田晃平、ジョニー・レオーニ、鹿児島へ期限付き移籍していた金久保彩、相模原へ期限付き移籍していたが近藤祐介が契約満了で、渡辺亮太、橋本英郎、コンハードが期限付き移籍期間満了で退団、三浦龍輝が磐田、仙石廉、夛田凌輔が栃木SCへ完全移籍、期限付き移籍していた高慶汰(浦安)、パク・ゴン(群馬)、平岡将豪(いわきFC)は完全移籍で退団した。
- 2017年
- チームスローガン:一体感
新監督に昨年まで鹿児島の監督だった浅野哲也が就任。また元監督の美濃部直彦がGMに就任した。補強は、北九州から阿部伸行、新井純平、寺岡真弘、鹿児島から武田大、富山から三上陽輔、岡山から小林秀征、京都から岩沼俊介、國領一平、名古屋から元日本代表明神智和、YS横浜から野崎雅也を完全移籍で、東京Vから大木暁を期限付き移籍で獲得。
開幕後、京都産業大学の前田悠斗が新加入、水戸から萬代宏樹を期限付き移籍で、山口から岡本英也を完全移籍で獲得した。
開幕2連勝で第2節終了時に暫定首位となるも、直後に連敗しJ2昇格圏となる2位以内から脱落、結果的に昇格圏に入ったのは第2節終了時のみとなった。11月9日、第30節のアウェー藤枝MYFC戦に4-2で敗れ、同節終了時に2位に浮上したブラウブリッツ秋田との勝点差が残り4試合で13に開いたため、この時点で2018年のJ2リーグへの昇格の望みが絶たれた。
成績
タイトル
リーグ戦
- 日本フットボールリーグ:1回
- 北信越フットボールリーグ1部:4回
- 2002, 2005, 2008, 2010
- 長野県フットボールリーグ1部:3回
- 1991, 1996, 2000
カップ戦
- 長野県サッカー選手権大会(兼天皇杯全日本サッカー選手権大会長野県予選):6回
- 2004, 2012, 2013, 2015, 2016, 2017
- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 2008(第44回)
個人
- 日本フットボールリーグ
その他
スタジアム
ホームスタジアムは長野Uスタジアムである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはAC長野パルセイロの年度別成績一覧#年度別入場者数を、南長野の改修に関しては南長野運動公園総合球技場#改築工事に至る経緯を参照のこと。
アカデミー・下部組織
レディース
ジュニアユース
2005年に前身の長野エルザジュニアユースとして設立。2013年現在U-15長野県ユースサッカーリーグ・トップ1部に所属し、同年第22回長野県クラブユースサッカー選手権大会(U-15)で優勝した。
スクール・アカデミー
U-10(小学校3・4年)、U-12(小学校5・6年)世代を対象にパルセイロサッカースクールを、U-6(年中・年長)、U-8(小学校1・2年)を世代を対象に信濃グランセローズと共同で設立したNico Sports Academy(ニコスポーツアカデミー)での指導を行なっている。また上記とは別に、長野市を中心とした北信、東信地域の幼稚園、保育所、小学校などでの指導も行なっている。
総合型地域スポーツクラブとして
「AC(Athletic Club)」の名前の通り当クラブはJリーグ百年構想による総合型地域スポーツクラブを目指しており、サッカークラブ以外に下記のスポーツクラブが「パルセイロ」として活動している。前述の通りパルセイロのブランドネーム、チームカラーであるオレンジ色、クラブエンブレムの「エルザ」のロゴマークの共有はあるが
アイスホッケー
AC長野パルセイロアイスホッケーチーム。2008年にまず中学生のチームを立ち上げ、現在はU-12(小学生)、U-16(中学生)、U-18(高校生)及び社会人チームと各年代層のカテゴリ-のチームを有している。[10]。
バドミントン
2016年4月に信陽食品バドミントンクラブがAC長野パルセイロバドミントンチームに名称を変更した。現在男子チームがバドミントン日本リーグのチャレンジリーグ(3部リーグ)に参戦中、2部である日本リーグへのステップアップを目指している。
ユニフォーム
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チームカラー
- オレンジ、 紺
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
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胸 | ホクト | HOKUTO | 2015年 - | 2011年 - 2014年は袖 |
鎖骨 | 栗田病院 | 栗田病院 | 2018年 - | 左側に表記 |
トヨタUグループ | トヨタユー・グループ | 2018年 - | 右側に表記 | |
背中上部 | 長野都市ガス | 長野都市ガス | 2016年 - | 2010年 - 2014年は胸 2008年 - 2009年・2015年は袖 |
背中下部 | マナテック | MANATEC | 2018年 - | 2016年 - 2017年は 「松田・南信」表記 |
袖 | 炭平コーポレーション | 炭平 | 2013年 - 2014年 2017年 - |
2013年 - 2014年は 「炭平グループ」表記 |
パンツ | 信濃毎日新聞 | 信濃毎日 | 2007年 - 2008年 2010年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
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2005 | - | 解禁前 | 八幡屋 礒五郎 |
解禁前 | - | サニーヘルス | DELL'ERBA |
2006 | AOKIホール ディングス |
みすずコーポレーション | |||||
2007 | - | 信濃毎日 | |||||
2008 | 長野 都市ガス | ||||||
2009 | MJマガジン | 八幡屋 礒五郎 |
長野平青学園 | ||||
2010 | 長野 都市ガス |
鈴木 | 信濃毎日 | ||||
2011 | HOKUTO | ||||||
2012 | |||||||
2013 | 炭平グループ | DUELO | |||||
2014 | |||||||
2015 | HOKUTO | - | 長野都市ガス | ||||
2016 | 長野 都市ガス |
松田・南信 | Densen | PENALTY | |||
2017 | 炭平 | ||||||
2018 | 栗田病院(左) トヨタユー・グループ(右) |
MANATEC |
備考
- 2014年から2015年まで第15回日本フットボールリーグ(2013年)優勝による星がエンブレムの上に付けられていた。
メディア
テレビ
- NHK長野放送局
- 『イブニング信州』 (マンデースポーツ、スポーツコーナー「スポしん」)
- テレビ信州
- 『スポーツジェネレーション』(毎週火曜 21:54 - 22:00)
- 信越放送
- 『オレンジ魂週刊パルセイロ』(毎週木曜 18:55 - 19:00)
- 長野放送
- 『アスリートG』(毎週水曜 22:54 - 23:00)
ラジオ
- FMぜんこうじ -「キリンビール・フォルサ!!パルセイロ!!」(毎週金曜 17:30 - 17:40)
- SBCラジオ -「らじ☆パル」(毎週木曜 14:30 -14:50、情報わんさかGOGOワイド!らじ★カン内)
新聞・雑誌
- 信濃毎日新聞 - がんばれ!信州サッカー
- 長野市民新聞 - 「Go Goal AC長野パルセイロ」(毎月第3火曜日掲載)
- Do!Sul - 「ORANGE ROAD AC長野パルセイロ通信」(長野市周辺地域のフリーマガジン。毎月第3木曜日発行)
映画
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 “プロフィール:AC長野パルセイロ”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-7-23閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 クラブビジョン「市民会議プレゼンテーション資料」 (PDF) - AC長野パルセイロ公式サイト2012年10月24日
- ↑ 3.0 3.1 “Jリーグ準加盟審査結果について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2012年7月23日) . 2017-7-23閲覧.
- ↑ “AC長野パルセイロホームタウン追加について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2016年6月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “「日本フットボールリーグ、新入会チームについて」” (プレスリリース), 日本フットボールリーグ, (2010年12月8日) . 2014-1-25閲覧.
- ↑ “Jリーグ準加盟審査の結果について”. AC長野パルセイロ (2012年2月21日). . 2012閲覧.
- ↑ “AC長野準加盟「審議継続」 Jリーグ理事会”. がんばれ!信州サッカー. 信濃毎日新聞 (2012年2月22日). . 2012閲覧.
- ↑ “Jリーグ準加盟が承認されました。”. AC長野パルセイロ (2012年7月23日). . 2012閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「j3
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “チーム概要”. AC長野パルセイロアイスホッケーチーム. . 2015閲覧.
関連項目
外部リンク
AC長野パルセイロ 関連テンプレート |
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テンプレート:AC長野パルセイロのメンバー テンプレート:AC長野パルセイロ及びその前身チーム歴代監督 |