FUJI XEROX SUPER CUP
FUJI XEROX SUPER CUP | |
---|---|
開始年 | 1994年 |
主催 | 下記参照 |
参加チーム数 | 2 |
加盟国 | 日本 |
前回優勝 | セレッソ大阪(1回目) |
最多優勝 | 鹿島アントラーズ(6回) |
サイト | FUJI XEROX SUPER CUP |
FUJI XEROX SUPER CUP(富士ゼロックス スーパーカップ、ふじゼロックス スーパーカップ)は、日本のサッカーにおけるスーパーカップである。1994年の開設当初から富士ゼロックスが特別協賛につき、2008年まではXEROX SUPER CUP(ゼロックス スーパーカップ)、2009年から現在の大会名に変更された[1]。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のリーグ戦開幕の1週前に行なわれる、その年度の最初の公式戦である。
なお、本項では同大会に合わせて行われる関連行事、ならびに日本サッカーリーグ (JSL) 時代に行われたスーパーカップについても記述する。
Contents
概要
前シーズンのJ1リーグの年間優勝クラブと天皇杯全日本サッカー選手権大会の優勝クラブが出場する。前年のJ1年間と天皇杯の優勝クラブが同一だった場合は、2008年までは天皇杯準優勝クラブ、2009年からはJ1年間準優勝クラブに代替で出場権が与えられる[1]。
試合時間は前後半各45分で行なう。勝敗が決まらない場合には延長戦は行わず、PK戦によって勝敗を決める[2]。
主催・主管団体
- 主催:公益財団法人日本サッカー協会[2]、公益社団法人日本プロサッカーリーグ[2]
- 主管:公益社団法人日本プロサッカーリーグ[2]、公益財団法人東京都サッカー協会[2](国立競技場開催年)/ 一般社団法人神奈川県サッカー協会(日産スタジアム開催年)/ 公益財団法人埼玉県サッカー協会(埼玉スタジアム開催年)
- 後援:神奈川県(2017年)、神奈川県教育委員会(2017年)
- 特別協賛:富士ゼロックス株式会社[2]
- 賞金総額:5,000万円(優勝:3,000万円、準優勝:2,000万円)[2]
試合放送
統計
クラブ別成績
クラブ名 | 優 | 準 | 優勝年度 | 準優勝年度 |
---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | 6 | 4 | 1997,1998,1999,2009,2010,2017 | 2001,2002,2008,2011 |
サンフレッチェ広島 | 4 | 0 | 2008,2013,2014,2016 | |
東京ヴェルディ | 3 | 1 | 1994,1995,2005 | 1997 |
ジュビロ磐田 | 3 | 1 | 2000,2003,2004 | 1998 |
ガンバ大阪 | 2 | 4 | 2007,2015 | 2006,2009,2010,2016 |
名古屋グランパス | 2 | 1 | 1996,2011 | 2000 |
清水エスパルス | 2 | 1 | 2001,2002 | 1999 |
浦和レッズ | 1 | 3 | 2006 | 2007,2015,2017 |
柏レイソル | 1 | 1 | 2012 | 2013 |
セレッソ大阪 | 1 | 0 | 2018 | |
横浜F・マリノス | 0 | 4 | 1996,2004,2005,2014 | |
横浜フリューゲルス | 0 | 1 | 1994 | |
湘南ベルマーレ | 0 | 1 | 1995 | |
京都サンガF.C. | 0 | 1 | 2003 | |
FC東京 | 0 | 1 | 2012 | |
川崎フロンターレ | 0 | 1 | 2018 |
出場権別成績
出場権 | 優 | 準 |
---|---|---|
J/J1年間優勝クラブ | 15 | 10 |
天皇杯優勝クラブ | 10(3) | 15(3) |
※天皇杯優勝クラブのカッコ内は、J1優勝クラブと天皇杯優勝クラブが同一などにより代替出場した天皇杯準優勝クラブ並びにJ1リーグ2位クラブの成績
NEXT GENERATION MATCH
2010年の大会より前座試合として行われている試合で、全国高等学校サッカー選手権大会の優秀選手を中心に集められた「日本高校サッカー選抜」とJリーグクラブのユースチーム(高校1,2年生)から集められた「U-18・Jリーグ選抜」が対戦する。2010年は「FUJI XEROX SUPER CUP 2010 フレンドリーマッチ」として行われ[3]、翌2011年の大会から「NEXT GENERATION MATCH」を当試合の名称に制定している。
主催・主管団体
- 主催:公益財団法人日本サッカー協会[4]、公益社団法人日本プロサッカーリーグ[4]
- 主管:公益社団法人日本プロサッカーリーグ[4]、公益財団法人神奈川県サッカー協会(2015年の場合)[4]
- 後援:公益財団法人全国高等学校体育連盟[4]、神奈川県(2017年)、神奈川県教育委員会(2017年)
- 協力:アディダス ジャパン株式会社[4]、プーマジャパン株式会社[4]
- 特別協賛:富士ゼロックス株式会社[4]
結果
■U-18Jリーグ選抜:2勝4敗3分 ■日本高校サッカー選抜:4勝2敗3分
年度 | 結果 | 会場 | ||
---|---|---|---|---|
2010年 | Jリーグ選抜 | 1 - 1 | 高校選抜 | 国立霞ヶ丘競技場(東京) |
2011年 | Jリーグ選抜 | 2 - 1 | 高校選抜 | 日産スタジアム(横浜) |
2012年 | Jリーグ選抜 | 3 - 0 | 高校選抜 | 国立霞ヶ丘競技場(東京) |
2013年 | Jリーグ選抜 | 0 - 0 | 高校選抜 | |
2014年 | Jリーグ選抜 | 0 - 1 | 高校選抜 | |
2015年 | Jリーグ選抜 | 1 - 2 | 高校選抜 | 日産スタジアム(横浜) |
2016年 | Jリーグ選抜 | 1 - 1 | 高校選抜 | |
2017年 | Jリーグ選抜 | 0 - 4 | 高校選抜 | |
2018年 | Jリーグ選抜 | 1 - 2 | 高校選抜 | 埼玉スタジアム2002(さいたま) |
Jリーグマスコット総選挙
2013年大会から行われている催しで、全クラブのマスコットが当日会場に集結する(クラブ公式マスコットがいないなど、クラブ側の都合等で不参加のクラブあり)のに合わせ、当日撮影される記念写真の「センターポジション」に収まるマスコットをWeb投票で選出するというものである。2014年まではJ's GOALの企画として実施され、正式タイトルは「センターポジション争奪! Jリーグマスコット総選挙」だった。
宇都宮徹壱によると、このイベントが行われるきっかけになったのは、2011年大会が行われた日産スタジアムに一平くん(愛媛FCの“非公式”マスコット)が現れたことだという[5]。一平くんにファンが群がる様子を見ていたJリーグメディアプロモーションの人物が「この(一平くんに群がるファンの)笑顔こそが、大会の価値そのもの」と訴え、2012年大会で当時のJ1所属18クラブのマスコットを集めた「J1マスコット大集合」として開催、翌年からJ2クラブまで対象を広げて「総選挙」として行ったものであるという。2017年大会からはJ3クラブのマスコットも参加可能となった。
Jリーグが唯一公式に実施している「マスコットの人気投票」であることから、クラブを挙げてセンターポジションを狙っているマスコットも少なくない[6][7][8]。
過去の順位は以下のとおり。
年度 | 1位 | 2位 | 3位 |
---|---|---|---|
2013年 | ベガッ太(仙台) | ヴァンくん(甲府) | ドーレくん(札幌) |
2014年 | ヴィヴィくん(長崎) | サンチェ(広島) | ベガッ太(仙台) |
2015年 | サンチェ(広島) | ドーレくん(札幌) | ディーオ(山形) |
2016年 | ベガッ太(仙台) | 東京ドロンパ(FC東京) | サンチェ(広島) |
2017年 | サンチェ(広島) | ベガッ太(仙台) | レノ丸(山口) |
2018年 | グランパスくん(名古屋) | レノ丸(山口) | 東京ドロンパ(FC東京) |
JSL時代のスーパーカップ
日本サッカーリーグ (JSL) 時代の1977年から1984年まで、JSL年間優勝クラブと天皇杯優勝クラブが対戦するスーパーカップが行われていた。なお、1978年(第2回)大会はJSL開幕戦を兼ねていた。
回 | 年度 | JSL年間優勝 | 結果 | 天皇杯優勝 |
---|---|---|---|---|
1 | 1977年 | 古河電工 | 3 - 2 | ヤンマー[‡ 1] |
2 | 1978年 | フジタ工業 | 5 - 1 | ヤンマー[‡ 1] |
3 | 1979年 | 三菱重工 | 0 - 0 (PK 3 - 1) |
東洋工業[‡ 1] |
4 | 1980年 | フジタ工業 | 1 - 2 | 三菱重工[‡ 1] |
5 | 1981年 | ヤンマー | 0 - 0 (PK 3 - 2) |
三菱重工 |
6 | 1982年 | フジタ工業 | 2 - 0 | 日本鋼管 |
7 | 1983年 | 三菱重工 | 3 - 0 | ヤマハ発動機 |
8 | 1984年 | 読売クラブ | 2 - 0 | 日産自動車 |
- 注
- 1977年度はこの年から始まった「サッカーフェスティバル」の行事として、4月10日に国立競技場で行われた。[9]
- 1978年度は第2回サッカーフェスティバルの行事とJSL開幕戦を兼ねて、4月2日に長居競技場で行われた[10]。これはジャパンカップの日程に合わせて、JSLの日程が1週間繰り上がったことによる[11]。
- 1979年度は第3回サッカーフェスティバルの行事とJSL第2節を兼ねて、4月8日に国立競技場で行われた[12]。
- 1980年度は第4回サッカーフェスティバルの行事として、4月6日に長居競技場で行われた[13]。
- 1981年度は、第5回サッカーフェスティバルの行事とJSL開幕戦を兼ねて、4月5日に国立競技場で行われた[14]。
- 1982年度はリーグ開幕前の3月28日に国立競技場で行われた[15]。
- 1983年度はリーグ開幕前の3月27日に国立競技場で行われた[16]。
- 1984年度はリーグ開幕前の3月25日に国立競技場で行われた[17]。
ゼロックス・チャンピオンズ・カップ
1992年4月に日本サッカーリーグ (JSL) 閉幕記念イベントとして開催された賞金大会。富士ゼロックスが冠スポンサーとなったことから「XEROX CHAMPIONS' CUP」と呼ばれる。
チャンピオンズ杯大会概要
1991-92年度シーズンは日本サッカーリーグ(JSL)として最後の年度であったため、その最終公式戦としてJSL1部所属チームが参加する4大会(JSL・JSLカップ・コニカカップ・天皇杯)の優勝チームによる「チャンピオンの中のチャンピオン」を決めるチャンピオンズ杯が開催された。
JSL最終戦の翌週1992年4月5日に国立霞ヶ丘陸上競技場で激しい雨の中で準決勝2試合が行なわれた。第1試合はトヨタ(コニカカップ優勝)が日産(天皇杯優勝)を1対0で降し、第2試合は読売(JSL1部とJSLカップの2大会優勝)がJSL1部3位のヤマハ(読売と日産がJSL1部でそれぞれ1位・2位となったため出場権を得た)に2対0で勝利し、翌週の決勝戦へコマを進めた。
4月12日に国立競技場で開催された決勝戦はフジテレビで中継され、トヨタを2対1でやぶり優勝した読売がJSL最後のタイトルと共に「3冠」を達成、優勝賞金4,000万円を手にした。
チャンピオンズ杯参加クラブ
- 読売クラブ(第27回日本サッカーリーグ1部優勝、第16回JSLカップ選手権大会優勝)
- 日産自動車(第71回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝)
- トヨタ自動車(第2回コニカカップ・チャレンジ'92選手権大会優勝)
- ヤマハ発動機(第27回日本サッカーリーグ1部3位)- 繰り上げ出場
脚注
- ↑ 1.0 1.1 “スーパーカップ 冠スポンサーに富士ゼロックス株式会社 〜大会名を「FUJI XEROX SUPER CUP」に変更〜” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2008年12月16日) . 2015閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 “大会概要”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015-2-27閲覧.
- ↑ “【FUJI XEROX SUPER CUP 2010】フレンドリーマッチ U-18 Jリーグ選抜 対 日本高校サッカー選抜開催のお知らせ” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2010年1月10日) . 2015閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 “NEXT GENERATION MATCH 実施概要”. 日本プロサッカーリーグ. . 2015閲覧.
- ↑ 宇都宮徹壱 (2017年2月6日). “Jリーグマスコット総選挙の歴史…一平くんがもたらした笑顔を指摘したある人物の言葉”. GOAL.com. . 2017閲覧.
- ↑ “センターポジション争奪!Jリーグマスコット総選挙”. ジェフユナイテッド市原・千葉 (2013年2月10日). . 2015閲覧.
- ↑ “「センターポジション争奪!Jリーグマスコット総選挙」開催中!” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2014年1月31日) . 2015閲覧.
- ↑ “2015Jリーグ マスコット総選挙 選挙対策本部”. モンテディオ山形. . 2015閲覧.
- ↑ 「春の国立競技場にお祭り満開!第1回サッカーフェスティバル」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1977年5月25日号 No.169、39-41頁。
- ↑ 「JSL'78開幕!フジタ好スタート“釜本ヤンマー”を粉砕」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1978年5月10日号 No.190、12-13頁。
- ↑ 「第14回日本リーグ “1強”フジタ中心に混戦リーグか」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1978年4月25日号 No.189、28頁。
- ↑ 「“スーパーカップ”は三菱の手に」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1979年5月25日号 No.214、19頁。
- ↑ 「三菱が“スーパーカップ”2連覇」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1980年5月25日号 No.237、13-15頁。
- ↑ 「'81日本リーグ1部開幕 釜本建材15年目の春はつらつ」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1981年6月号 No.259、5-7頁。
- ↑ 「高橋2ゴールのデビュー=スーパーカップ」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1982年6月号 No.271、121頁。
- ↑ 「第7回スーパーカップ 三菱、巧みに3ゴール」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1983年6月号 No.284、20頁。
- ↑ 「第8回スーパーカップ読売ク2発で快勝」『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1983年6月号 No.296、25-27頁。
関連項目
外部リンク
- テンプレート:日本のサッカー