ナイキ
ナイキ(Nike, Inc.)は、アメリカ合衆国・オレゴン州に本社を置くスニーカーやスポーツウェアなどスポーツ関連商品を扱う世界的企業。設立は1968年[1]。ニューヨーク証券取引所に上場。
社名の由来は、同社社員のジェフ・ジョンソンが夢で見たギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー (Nike)」から。
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歴史
オレゴン大学の陸上部で活躍し、スタンフォード大学経営大学院在学中にビジネスプランの論文「日本の運動靴は、日本のカメラがドイツのカメラにしたことをドイツの運動靴に対しても成し遂げ得るか」を書いた創業者のフィル・ナイトが卒業後に出向いた神戸でオニツカタイガー(現アシックス)の品質と低価格を気に入り、1962年にオニツカのアメリカ販売権を取得したことから始まる[2]。
1964年、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立し[2]、日本からオニツカタイガーのランニングシューズを輸入しアメリカ国内で販売し始めた。
BRS社は次第にオニツカの製品開発にも関与するようになり、バウワーマンのアイデアによってオニツカは1968年に「タイガー コルテッツ」をデザインする。これは「タイガー マラソン」と並ぶBRS社の看板となった。しかし、たび重なるオニツカの輸送や発注トラブルに不満を抱いたBRS社は日本の総合商社である日商岩井(現・双日)の融資を得たこともあり、自社でシューズを生産することに決定した[2]。1971年にオニツカとの提携を終了する。
1971年6月18日、ナイキの象徴である「スウッシュ」がデザインされた最初のシューズが発売された。「スウッシュ」がギリシャ神話の勝利の女神である「Nike」が翼を広げたデザインに見えなくもないことから、社員の助言でシューズのブランド名を「Nike(ナイキ)」とし、社名もナイキに変更された[2]。創業当初はメキシコの工場で生産していたが、高品質なシューズを生産するために日商岩井の仲介によりオニツカタイガーの競合社である福岡県の日本ゴム(現・アサヒシューズ)の工場でトレーニングシューズを生産することになり、1972年より生産を開始した。
一方で、オニツカとの提携終了後もバウワーマンの名付けた「コルテッツ」の名称をオニツカが使用していたため裁判を起こすこととなった。裁判は1974年に決着し、ナイキはオニツカから「コルテッツ」の使用権を獲得する。オニツカはナイキに1億数千万円の和解金を支払うことになり、「タイガー コルテッツ」は「タイガー コルセア」(現・「アシックス コルセア」)に名称が変更された。また、「ナイキ コルテッツ」はその後もナイキの看板となっている。なお、以上はあくまでナイキ側の視点で、オニツカ側の視点では、オニツカの海外の販売店が日商岩井に唆されてオニツカを裏切りオニツカのライバル商社と提携した上にオニツカを訴えて和解金を支払う羽目になるという、「高い授業料を払わされた」ことになっている[3]。
ナイキは新興メーカーながら、1970年代より積極的な広告キャンペーンによりシェアを獲得していた。技術開発も盛んに行い、1978年にはソールに「エア」を搭載した「エアソール」を初めて使った「ナイキ テイルウインド」を発売する。1980年代から1990年代にかけてはバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンとタイアップした「エアジョーダン」シリーズや、ソールに搭載されたエアが可視化された「ビジブルエア」の前衛的なデザインからラッパーのファッションとしても愛好された「エアマックス」シリーズが世界的に大人気となった。特に1995年に発売された「エアマックス95」は、エアシリーズで初めて前足部のエアまでも可視化されたデザインから1990年代に大ブームとなったハイテクスニーカーの代表作として、単なるスニーカー以上の人気となった。日本でもスニーカーブームのピークとなる1995年から1998年頃にかけてはエアマックス95の値段が高騰し、履いているエアマックス95を強奪されるエアマックス狩りが社会問題となった。
2012年よりイギリスのリーボックに代わってNFLの公式アパレルとなった[4]。
現在においても、ナイキは運動靴のみならず多くのスポーツ製品を手がけている。
2017年にナイキの創業者でもあるナイトの自伝『SHOE DOG』が発売された。
ロゴマーク
スウッシュ (Swoosh) は、1971年に商標登録されたナイキのロゴマークである。ロゴマークは、勝利の女神であるニーケーの彫像の翼をモチーフにデザインしたとされている。また「勢いよく動く」という意味で、その形状は躍動感やスピード感を表現している。日本では「スウォッシュ」と誤読・誤記されることが多い。
ナイキのロゴのデザインは、1971年にナイキの創設者でもあるナイトが会計学の講師をしていたポートランド州立大学で出会ったキャロライン・デビッドソンが制作した。ナイトはグラフィックデザインを専攻していたデビッドソンが製図の課題をしていたところを捕まえ、ロゴのデザインを依頼したのだった。まだデザインを仕事にして間もないデビッドソンは、スウッシュのデザイン料として僅か35ドルの請求書をナイトに提出した。デビッドソンはその後もナイキ初期の多くのツールのデザインを手がけることになった。デザイン制作が代理店に移った後の1983年9月、デビッドソンは当時スポーツブランドとしてナイキを成功させていたナイトの呼び出しを受け、ナイトからダイヤモンド入りの金のスウッシュリング[5]とナイキ株を受け取った(具体的な株数は不明)。
主なテクノロジー
ワッフルソール
焼き菓子のワッフルからヒントを得て開発されたソールパターンで、独特のパターンはクッショニングやグリップに優れておりアスファルトやダートなど様々な路面状況に対応できる。初期プロダクツには「ワッフル」の名を冠するオレゴンワッフル・ワッフルトレーナー・ワッフルレーサーなどがある。他にもLD-1000・LD-V・エリートなど当時のフラグシップモデルに多数採用されていた。
AIR(エア)
衝撃を吸収するためのミッドソールの中に仕込んだエアバッグのこと。1978年に発表された。発案者は元NASAの技術開発者フランク・ルディである。特許取得番号は4219945、受託人はロバート・ボガードで、クッション性を確保するためのエアバッグはビニールパックの内部にガスを充填したものであり、搭載位置は試行錯誤の末、ミッドソールの中に仕込むという方法を発明し、ここに完成した。 もともとは6フッ化硫黄が充填素材として用いられていたが、環境保護の問題や耐久性の観点から2001年頃から充填素材として窒素ガスが使用されるようになった。 ナイキにおける初搭載モデルはメンズシューズはテイルウインドであり、レディースはテンペストである。
Lunarlon(ルナロン)
内側のコア部分に柔らかいフォームを使用し、外側のブリッジ部分には硬いフォームを使用した2層構造にすることで高いクッション性・高弾性・履き心地を実現している。
主な製品
コルテッツ
1971年に最初のコルテッツであるレザーコルテッツを発表以来、現在まで生産され続けているナイキを代表するモデル。素材はレザー・ナイロン・スウェードなどがあり、そのバリエーションは多岐にわたる。
エア・フォース1
AIR FORCE1:「ナイキエア」を搭載したバスケットボールシューズ第一号で、1982年に発売された。デザイナーはBRUCE KILGORE(ブルース・キルゴア)。 ヒールに備えたエアクッションや、アウトソールのピボットポイント、フィッティングを高めるためのアンクルストラップなど発売当初としては最新鋭の機能を備えていた。
エア・ジョーダン
AIR JORDAN:マイケル・ジョーダン(元・NBAシカゴ・ブルズなど)の名を採ったバスケットボールシューズ。1985年に最初のモデル「エアジョーダンI」が発売された。以降、年1回のペースでモデルチェンジされる。
エアマックス
世界初のビジブルエア搭載のシューズである。初代のシューズはティンカー・ハットフィールドがパリのポンピドゥーセンターから着想を得てデザインしたエアマックス1であり、1987年に発売された。 このシューズを皮切りに人類はエアソールを「履く」ばかりか「見る」こととなるのだが、ビジブルエアの目的は、デザインというよりもエアバッグにかかる圧を逃がすためにミッドソールにウインドウを開けるという機能面を考慮しての考案である。 以降、舗装路におけるビジブルエア搭載のランニング・トレーニング用シューズ最上位モデルにその名が冠せられているが、エア・スタブやエア180などの例外もある。 特に1995年に発売された通称「エアマックス95」は爆発的に売れ、数多くの偽物の流通や「エアマックス狩り」などもあってマスコミにとりあげられ、社会現象化した[6]ことで良くも悪くもナイキの社名と製品を有名にした。 本来、ナイキはネーミングに関しては厳格で、市場では区別のためにエアマックスの後に数字や西暦の下二桁を付した名称で認識されたモデルも正式名は常に「AIR MAX」であったが、近年その傾向は薄れ正式なモデル名にも認知度の高い通称を採用するようになった。 エアマックスシリーズは、当初はエアバッグを含むソールを如何に進化させるかに重点を置いていた。 2代目となるエアマックスライトでは、2種類の素材(ファイロンとポリウレタン)をミッドソールに使用したり、4代目となるエアマックス4(後にエアクラシックBWへ改名)ではウインドウを大きくするなど随所においてソールの進化が見られる。
ショックス
かかとなどにコラム(柱)を搭載し、クッション性と反発性を高めたシューズ。2000年に発売され、2001年にはビンス・カーターのシグネイチャーモデル「Nike Shox VC」が発売された。
サッカースパイク
ファントムビジョン
2018年7月から登場。これまで特殊の糸で編み上げたフライニット技術を採用した「マジスタ」に代わるサイロとして誕生した新しいモデル。フィリペ・コウチーニョ、ケヴィン・デ・ブライネ、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケツなどといった、ボールコントロールが優れた選手達が着用している。
マーキュリアル
クリスティアーノ・ロナウド、ネイマール、エデン・アザール他、トッププレーヤーが着用している。爆発的なスピード重視の選手向けに作られたシューズで、アッパーにマジスタ同様、フライニットを搭載している。また、フライワイヤーで抜群の軽量性とホールド感を実現している。
ハイパーヴェノム
ナイキの中で、ポピュラーな種類として展開してきたTOTAL 90に代わる新シリーズとして2013年に登場した。相手DFに恐怖感を与えるような俊敏性と正確、ホールド性を兼ね備えたサッカーシューズ。主にロベルト・レヴァンドフスキ、ピエール=エメリク・オーバメヤン、エディンソン・カバーニ、ハリー・ケインらが着用している。
ティエンポ
ボールタッチを重視したカンガルーレザー使用のサッカーシューズ。アンドレア・ピルロ、ジェローム・ボアテング、ジェラール・ピケ、セルヒオ・ラモス、そしてカルロス・テベスなどが着用している。
社風
ナイキは今までにスポーツシューズを数多く世に送り出し、商業的に成功した。 自社工場を持たない委託生産方式を採り、小売店への出荷は基本的に買取制とし厳密なマーケティングに基づき余分な在庫を持たないなどの方針を採っている。しばしば奇抜かつ斬新なデザインを提案している。
工場の人権問題
ナイキの製品デザインは自社で行うが、自社工場を持たずに生産は外部の工場に委託している。以前よりナイキは海外工場において労働力の不当な搾取をしていると噂されていた。1997年、NGOによって実際にナイキのベトナムなど東南アジアに所在する委託工場における児童労働、低賃金労働、長時間労働、セクシャルハラスメント、強制労働などの問題点の存在が明らかになった[7]。こうした事実を知ったアメリカのNGO団体および学生たちは大学キャンパスやインターネットを使用し、ナイキの社会的責任を批判した[7]。運動は製品の不買や訴訟問題に発展した[7]。
これに対してナイキは1999年にグローバル・アライアンスを設立し、世界各国の自社を含む多国籍企業における労働環境の調査を行い、環境の改善に対して迅速に取り組めるよう対応している[8]。
関連書
- 『SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。』フィル・ナイト、東洋経済新報社 (2017/10/27) - 創立者自伝・創業秘話
脚注
関連項目
外部リンク