徳島ヴォルティス
徳島ヴォルティス | |
---|---|
原語表記 | 徳島ヴォルティス |
呼称 | 徳島ヴォルティス |
クラブカラー | 青[1] |
創設年 | 1955年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン |
徳島市[1]、鳴門市[1]、美馬市[1]、 板野町[1]、松茂町[1]、藍住町[1]、 北島町[1] を中心とする徳島県全県[1] |
ホームスタジアム | 鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[1] |
収容人数 | 17,924[1] |
運営法人 | 徳島ヴォルティス株式会社[1] |
代表者 | 岸田一宏[1] |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート |
徳島ヴォルティス(とくしまヴォルティス、Tokushima Vortis)は、日本の徳島市、鳴門市、美馬市、板野町、松茂町、藍住町、北島町を中心とする徳島県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
Contents
概要
2004年9月に設立された「徳島ヴォルティス株式会社」が運営会社であり[1]、徳島県、ホームタウンの各自治体(市町)、大塚製薬グループ、徳島新聞販売(徳島新聞本体は一般社団法人のため販売店を運営する子会社が出資)、四国放送、ケーブルテレビ徳島、阿波銀行、徳島銀行、四国旅客鉄道、テレビ鳴門、トヨタカローラ徳島などの企業・団体などが出資している[2]。ホームスタジアムは鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム[1]、練習場は徳島スポーツビレッジである[1]。
チーム名称の「ヴォルティス」(Vortis)とは、イタリア語で渦を意味する「Vortice」(ヴォルティーチェ)をもとにした造語である[3]。「豪快な鳴門の渦潮のように、パワー・スピード・結束力を兼ね備え、観客を興奮の渦に巻き込むチーム」を目指すと説明される[3]。なお、この「ヴォルティス」は大塚製薬の実業団サッカー部時代のジャパンフットボールリーグに在籍していた1994年から1998年まで愛称(当時はヴォルティス徳島)として使われていた。
マスコットキャラクターは2009年に制定されたタヌキのペアである『ヴォルタくん』と『ティスちゃん』である。かつては、ホームゲーム(試合前・ハーフタイムなど)や徳島県内で開催されるイベントでは非公式マスコットの「ボール君」が存在し(ボール型の着ぐるみをかぶっているが、顔と手足が出ているため、MCも可能)、『ヴォルタくん』『ティスちゃん』『ボール君』とで「ぽんぽこ倶楽部」というユニットを組んでいた[4]が、『ボール君』を演じていたスタッフが退職したため、活動していない。
歴史
前史
1955年に創設された大塚製薬サッカー部が前身[1]。1990年に日本サッカーリーグ2部へ昇格[1]、1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に参戦[1]、1999年からは日本フットボールリーグ(JFL)へ参加し、2003年および2004年にはJFLで2連覇した。
2004年9月に大塚製薬サッカー部を引き受けるサッカークラブの運営法人が設立され、Jリーグ加盟を申請[3]。2004年12月にJリーグ入会が認められ[1][3]、翌年のJ2への参加が決まった。
2005年 - 2013年(J2)
- 2005年
- 新入団の羽地登志晃(12得点)と小林康剛(11得点)のFW2人が二桁得点を挙げ、MF伊藤彰・DF大森健作・GK高橋範夫などの他の新戦力や、MF大場啓・MF片岡功二などの大塚時代からの選手も活躍し、7位の湘南と勝ち点2差の12チーム中9位に入った。
- 2006年
- 9月、大塚製薬から8年間チームを率いた田中真二が監督を辞任し、ヘッドコーチの東泰が監督に就任したが、就任直後に行われた愛媛との四国ダービーで敗れるなど、最下位の13位でシーズンを終えた。
- シーズン終了後、東が監督を退任。また、大塚製薬の社員選手の内、大場と林は現役を引退。片岡はプロ選手契約を結んで大塚製薬を退社した。12月にクラブ事務所が徳島スポーツビレッジ(土地は板野町と大塚製薬が無料で貸与)に移転した。
- 2007年
-
- クラブスローガン :「Re・ヴォルティス -再生への決意-」
- 今井雅隆が監督に就任。シーズン中に横浜FMからGK塩川岳人を獲得、羽地登志晃が甲府に移籍する一方で甲府からFW長谷川太郎が期限付き移籍で加入した。リーグ戦は2年連続の最下位に終わり、今井がこの年限りで監督を退任。
- 第43節から第50節にかけての7試合連続無得点敗北は、この期間を挟む757分連続無得点と共にJリーグ記録を作った(合計31得点もリーグ最少)。
- 2008年
-
- クラブスローガン :「闘走!〜想いをひとつに〜」
- 京都元監督の美濃部直彦が監督に就任。DF青葉幸洋・DF筒井紀章・DF大森健作が現役引退、FW小林康剛・FW長谷川太郎らが退団した一方、DF西河翔吾・DF藤田泰成・MF米田兼一郎などJ1経験を持つ選手を補強した。
- また、新外国人として、柏からFWドゥンビアを期限付きで獲得。ドゥンビアは2年連続最下位だったチームを上位チームにも互角の戦いを演じるなど徳島の戦力アップに貢献し、さらに5月にはコートジボワール代表に選出された(チーム史上初となるA代表選出)。しかし、ドゥンビアが6月にスイスのBSCヤングボーイズへ移籍してチームから抜けると全く勝てなくなり、第20節から第37節まで1勝も出来ず(4分け13敗)、3年連続で最下位に終わった。社長の髙本浩司は3年連続最下位の責任をとり辞任、新田広一郎が後任社長へ就任した。
- 第88回天皇杯も初戦(3回戦)で国士舘大学に敗北した。
- 2009年
-
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 前進あるのみ」
- 美濃部体制2年目。監督以外のスタッフが全員退団し、新たなコーチを招聘。また、昨シーズンから15人の選手が退団し、期限付き移籍だった外国人選手3人も契約を更新せず、MF石原卓・DF西河翔吾もレンタル元に復帰した。一方で、MF徳重隆明・DF三田光・GK高桑大二朗・GK上野秀章・MF井上渉・DF筑城和人・DF三木隆司・MF青山隼などのJ1経験者やDFペ・スンジン・FWファビオ・GK日野優などを獲得、東海大学卒のFW佐藤晃大らが新加入した。また、シーズン中の8月にC大阪から元U-17日本代表のFW柿谷曜一朗を期限付き移籍で獲得した。シーズン成績は19勝5分17敗の9位(18チーム中)と前年を上回る順位でシーズンを終えた。第89回天皇杯は初戦(2回戦)で鹿屋体育大学に敗北した。
- 2010年
-
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 不断前進」
- 美濃部体制3年目。FW柿谷曜一朗の期限付き移籍期間を延長、期限付き移籍だったMF青山隼を完全移籍で獲得、鳥栖からMF島田裕介、甲府からDF輪湖直樹、C大阪からMF濱田武とDF平島崇などの選手を獲得。また、名古屋からFW津田知宏を、広島からFW平繁龍一をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。また、初の下部組織出身者としてユースからFW岡卓磨が昇格。7月にブラジルのトンベンセFCよりFWドウグラスが期限付き移籍で加入した。
- 開幕から4連勝で一時は首位に立つが、その後は守備の不安定さもあり、負けが込んで失速、最終的に8位となりJ1昇格は成らなかった。また、この年を最後に徳島ヴォルティス・セカンドが活動休止となった。第90回天皇杯は3年振りに初戦(鳥取戦)を突破したが、3回戦で浦和に敗北した。
- 2011年
-
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全力前進」
- 美濃部体制4年目。FW羽地登志晃やMF挽地祐哉が引退、MF青山隼が浦和に移籍した一方、名古屋からFW杉本恵太、鳥栖からMF衛藤裕、札幌からDF西嶋弘之、仙台からDFエリゼウ、神戸からGK榎本達也などをそれぞれ完全移籍で獲得。また湘南からDF島村毅、名古屋からGK長谷川徹を期限付き移籍で獲得した。また、7月に仙台から斉藤大介を完全移籍で獲得。センターラインを中心に新戦力を獲得した2011年は序盤は4-3-3での流動的攻撃をテーマに戦い、津田復帰後は主に佐藤と津田の2トップの4-4-2で戦った。
- シーズン開幕から津田やエリゼウ、ドウグラス、DFペ・スンジンなど主軸を怪我で欠きなかなかフルメンバーが揃わなかったが、シーズンを通して昇格争いに絡み7月31日の第23節を終えた時点で首位に立った。その後は札幌・鳥栖の後半戦の巻き返しなどもあり、一時は5位まで順位を落とすが9月以降は上位戦や愛媛戦などで取りこぼしはあったものの、連敗は無く徐々に勝ち点を積み上げていった。
- しかし、東日本大震災の影響で10月26日に延期されていた第7節のホーム札幌戦、11月27日のホーム鳥栖戦、最終節(12月3日)の岡山戦と3連敗。シーズン4位となり、J1昇格はならなかった。シーズン終了後、昇格を逃した責任を取る形で美濃部が監督を退任した。
- 2012年
-
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 全ての力でJ1へ!」
- 美濃部の後任には山形元監督の小林伸二が監督に就任。
- 山形からMF宮崎光平、千葉からMF太田圭輔とDF福元洋平、FC東京からFW鈴木達也、名古屋からMF花井聖、栃木SCからDF那須川将大とDF大久保裕樹、札幌からジオゴをいずれも完全移籍で、FC東京からMF上里一将、浦和からMF青山隼をいずれも期限付き移籍で獲得(青山は事実上の復帰)。また期限付き加入していたFW津田知宏、GK長谷川徹が完全移籍に移行、FWドウグラスの期限付き移籍期間を延長したほか、前年8月に期限付き移籍していたGK阿部一樹がC大阪から復帰、DFエリゼウとは一旦戦力外としながらも再契約した。またシーズン中の6月に鹿島よりMFアレックスが期限付きで加入した。
- 一方で、GK上野秀章が引退してアカデミーコーチに就任、MF六車拓也とMF福島新太が契約満了で退団、DF島村毅が湘南に、FW柿谷曜一朗がC大阪へそれぞれ期限付き移籍満了で復帰、FW佐藤晃大がG大阪に、DFペ・スンジンが横浜FCに、DF輪湖直樹が水戸に、MF倉貫一毅が京都に、DF登尾顕徳が北九州に、MFディビッドソン純マーカスがMLS・バンクーバー・ホワイトキャップスに、MF島田裕介がKリーグ・江原FCにそれぞれ完全移籍。期限付き移籍中だったDF大原卓丈が東北1部・福島ユナイテッドFCに、DF安藤寛明がJFL・HOYO大分にそれぞれ完全移籍した。
- 開幕から2連勝で、第2節終了時に首位に立ったが、第3節から第11節まで3連敗2度を含む9試合勝ちなし(2分7敗)で第11節終了時に20位へ順位を下げた。第6節以降シーズン終了までの間は第26節から28節と第31節に12位となったのが最高で、一度も昇格争いに絡むことがなく、前年より大きく順位を下げた15位でシーズンを終えた。
- 2013年
-
- クラブスローガン :「KEEP GOING FORWARD 2013 跳動」
- 小林体制2年目。ヘッドコーチに山形元ヘッドコーチの長島裕明が就任した。
- GKオ・スンフンが京都へ移籍、徳重隆明が契約満了で退団(プロ引退を宣言し東海1部・名古屋SCに入団)。「獲得のポイントは中央のライン」[5] との小林の意向を受け、名古屋からDF千代反田充、川崎(前年は東京Vでプレー)からMF柴崎晃誠、甲府からMF高崎寛之をそれぞれ完全移籍で、C大阪からGK松井謙弥、柏からGK川浪吾郎、広島からMF大﨑淳矢を期限付き移籍により獲得、期限付き加入中のMFアレックスが完全移籍に移行、FWドウグラスとの期限付き移籍期間を再延長した。また、大卒新人選手としてDF木下淑晶、DF藤原広太朗、FW佐々木一輝、MF李栄直を獲得した。
- 開幕から3試合未勝利(1分2敗)の後3連勝し、第6節終了時には一旦5位となるが、その直後に3連敗するなどし、結局前半戦は第6節を除き10位以下で、前半戦(第21節)終了時は15位であった[6]。第22節の札幌戦からクラブ記録となる6連勝[7]、第33節まで12試合連続負けなしを記録したことで、第33節終了時に3位に浮上した。第37節からの3連敗で6位に下げ、最終節の長崎との上位対決に敗れると7位札幌・8位松本の結果次第ではJ1昇格プレーオフ圏外に落ちる可能性もあった[8] が、長崎との戦いを制しリーグ戦を4位で終えた。プレーオフ準決勝はホームで5位千葉と引き分けたが、規定により決勝に進出。決勝は3位京都に勝利して四国初となるJ1昇格が決まった。
2014年(J1)
- クラブスローガン :「共創 〜KEEP GOING FORWARD 2014〜」[9]
- 小林体制3年目。
- 柴崎晃誠が広島へ完全移籍した一方、前年レンタル契約だったGK松井謙弥、DF川浪吾郎、MF大﨑淳矢、FWドウグラスを完全移籍で、C大阪からMF小暮大器、浦和からMF小島秀仁、山形からMF廣瀬智靖を期限付き移籍で、ブラジル人のMFクレイトン・ドミンゲス、韓国からDFソン・セファンを獲得し、大卒新人選手としてMF窪田良が加入した。新加入となった6人の平均年齢は21.6歳とJ1出場経験も少なく、J2時代の戦力を含めてチーム全体を成長させながら臨むことを目論んだ[10]。
- J1初戦となる開幕戦はアウェーで鳥栖に大敗、J1でのホーム初戦もC大阪に敗れ、4月29日の第10節・甲府戦でJ1昇格後の初勝利を飾る[11] まで、J1リーグ戦が90分制(延長なし)となった2003年以降のワーストタイ記録となる開幕9連敗を喫する[10][12]。
- ワールドカップによる中断後、清水からDF村松大輔[13]、済州ユナイテッドFCに期限付き移籍していた神戸所属のMFエステバン[14] をそれぞれ期限付き移籍で獲得、カタールSCから元C大阪・G大阪のFWアドリアーノを完全移籍で獲得し、J1での実績のある選手3名を加入させた。その一方、FWドウグラスを京都へ、今シーズン獲得したクレイトン・ドミンゲスを岐阜へ期限付き移籍で放出した。
- リーグ戦再開後は7試合で2勝3敗2分けを記録したが、第22節から6連敗を喫する。10月22日の第29節・C大阪戦での敗戦により残り5節を残してJリーグ史上初のシーズン全節最下位とJ2降格が確定。最終節・12月6日のG大阪戦(ホーム)で引き分け、G大阪の優勝を目の前で決められてしまうなど2013年の大分に続いてJ1ホーム未勝利に終わる。勝ち点数は2012年の札幌と2013年の大分に並びリーグワーストタイの14。Jリーグアウォーズでフェアプレー賞受賞。
2015年 - (J2)
- 2015年
-
- クラブスローガン : 「挑戦!〜Keep Going Forward 2015〜」
- 小林体制4年目。シーズン開幕直前、社長が岸田一宏に交代。
- 高崎寛之が鹿島へ、松井謙弥が川崎へ完全移籍、李栄直と花井聖が長崎へ完全移籍など合計8人を放出。また、宮崎光平、千代反田充が引退した。一方で、水戸からDF冨田大介および広瀬陸斗、大宮からFW長谷川悠、G大阪から4年振りの復帰となる佐藤晃大、山形からDF石井秀典、清水からGK相澤貴志などを完全移籍で獲得。また、G大阪から内田裕斗を期限付きで移籍獲得。神戸から期限付き移籍の元コロンビア代表エステバン、山形から期限付き移籍の廣瀬智靖が完全移籍に移行した。
- リーグ戦は前半21節はわずか3勝で一時はJ2・J3入れ替え戦圏内の21位まで転落。後半戦はやや持ち直したものの、昇格プレーオフ争いには絡むことは出来ず最終順位は14位、勝ち点は53。Jリーグアウォーズで2年連続フェアプレー賞を受賞。シーズン終了後に小林が監督を退任した。天皇杯は4回戦で広島に敗れた。
- 2016年
-
- クラブスローガン : 「勇往邁進〜Keep Going Forward 2016〜」
- ヘッドコーチの長島裕明が監督に就任。
- 衛藤裕、斉藤大介などが退団、エステバンが引退した一方、大宮からカルリーニョス、北九州から渡大生などを完全移籍で、鳥栖から山崎凌吾などを期限付き移籍で獲得した。
- リーグ戦は昇格プレーオフ争いに絡むことはなく勝点57で9位。Jリーグアウォーズで3年連続フェアプレー賞を受賞。シーズン終了後に長島が監督を退任した。
- 天皇杯は3回戦で湘南に敗れた。
- 2017年
-
- クラブスローガン : 「意気衝天」
- スペイン人で元スパンブリーFC監督のリカルド・ロドリゲスが監督に就任。
- キム・キョンジュン(Kリーグ・江原FC)、福元洋平(山口)、窪田良(期限付き移籍先の富山へ完全移籍)、杉本大地(期限付き移籍期間満了)などが退団。一方で横浜FCから大崎玲央、金沢から馬渡和彰、山口から島屋八徳、湘南から金鐘必、神戸から松澤香輝を完全移籍で、神戸から松村亮、鹿島から杉本太郎、湘南から梶川裕嗣を期限付き移籍で獲得、山崎凌吾が完全移籍に移行、新外国人選手としてアシチェリッチ、ヴァシリェヴィッチを補強した。
- シーズン中には、C大阪から清原翔平を期限付き移籍で、仙台から佐々木匠を育成型期限付き移籍で獲得。一方でアシチェリッチが退団、SVホルンへ期限付き移籍していたニコラス・オルシーニが岡山へ期限付き移籍した。
- 攻撃陣が躍動し、特に渡は日本人最多となる23得点をマークする。最終節直前に5位になったが、最終節で東京ヴェルディに敗れ、更に勝ち点2差で7位だった千葉が勝利した為にこの2チームに抜かれてしまい、最終順位は7位。最終節の翌日にロドリゲス監督の続投が発表された。
- 2018年
- クラブスローガン : 「巻土重来」
- ロドリゲス体制2年目。
- コスタリカ代表GKカルバハル、岐阜からシシーニョと大本祐槻、水戸から内田航平、名古屋から杉本竜士、沼津から薗田卓馬などを獲得。レンタルで鹿島からブエノ、G大阪より呉屋大翔を獲得、また新卒で静岡学園より渡井理己、富山第一高校より坪井清志郎を獲得。
成績
タイトル・表彰
- J2リーグ フェアプレー賞:2回
スタジアム・練習場
ホームスタジアム
ホームスタジアムは鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムである[1]。過去のホームゲーム開催スタジアムは徳島ヴォルティスの年度別成績一覧#年度別入場者数を参照のこと。
2012年1月1日、経済団体の徳島ニュービジネス協議会は、徳島駅北の公有地に商業施設を備えた複合施設「街中スタジアム」を建設する構想を打ち出した。ヴォルティスのホームスタジアムとして利用することを想定している[15]。
練習場
ユニフォーム
チームカラー
- 青[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 大塚製薬 | POCARI SWEAT |
2005年 - | |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 無し | |||
背中上部 | 大塚製薬 | 大塚製薬 | 2005年 - | |
背中下部 | 無し | |||
袖 | アース製薬 | EARTH | 2005年 - | 2017年まではアース表記 |
パンツ | 阿波銀行 | 阿波銀行 | 2014年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
- 2005年 - 現在:ミズノ
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
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2005-2006 |
2007-2008 |
2009-2010 |
2011-2012 |
2013 |
2014 |
2015 |
2016 |
2017 |
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2005-2006 |
2007-2008 |
2009-2010 |
2011-2012 |
2013 |
2014 |
2015 |
2016 |
2017 |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2005 | POCARI SWEAT |
解禁前 | 大塚製薬 | 解禁前 | アース | - | Mizuno |
2006 | |||||||
2007 | |||||||
2008 | AXAS Co. | ||||||
2009 | |||||||
2010 | |||||||
2011 | |||||||
2012 | |||||||
2013 | |||||||
2014 | 阿波銀行 | ||||||
2015 | |||||||
2016 | - | ||||||
2017 | |||||||
2018 | - | EARTH |
アカデミー
- 徳島ヴォルティスユース
- 徳島ヴォルティスジュニアユース
タイトル
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 1.23 “プロフィール:徳島ヴォルティス”. 日本プロサッカーリーグ. . 2017-9-23閲覧.
- ↑ “出資企業”. 徳島ヴォルティス. . 2017-9-24閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 “徳島ヴォルティス 会社概要”. 徳島ヴォルティス. . 2017-9-24閲覧.
- ↑ “「ポンポコ倶楽部」誕生!!”. ヴォルティス日記 (2010年4月15日). . 2013閲覧.
- ↑ “徳島:新加入選手・スタッフ記者会見”. J's GOAL (2013年1月17日). . 2014閲覧.
- ↑ “ヴォルティス、ガンバに零敗”. 徳島新聞. (2013年6月30日) . 2013閲覧.
- ↑ “ヴォルティス、3発6連勝”. 徳島新聞. (2013年8月5日) . 2013閲覧.
- ↑ “【J1昇格への道・J2第42節】カオスの最終節。プレーオフ出場の残り3枠を目指し、勝点3で5クラブがひしめく大混戦。”. J's GOAL (2013年11月24日). . 2014閲覧.
- ↑ 2014シーズン クラブスローガン決定のお知らせ 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト 2014年1月20日閲覧
- ↑ 10.0 10.1 “J1:1年で陥落の徳島 フロント側に戦略や見通しに甘さ”. 毎日新聞. (2014年10月23日) . 2014閲覧.
- ↑ “徳島ヴォルティスがJ1初勝利”. NHK NEWS WEB. (2014年4月29日) . 2014閲覧.
- ↑ “ヴォルティス、J1初勝利 連敗9で止める”. 徳島新聞. (2014年4月30日) . 2014閲覧.
- ↑ 村松 大輔 選手 期限付き移籍にて加入内定のお知らせ 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト 2014年6月30日
- ↑ エステバン選手 期限付き移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティスオフィシャルサイト 2014年7月23日
- ↑ “徳島駅北にスタジアム 徳島ニュービジネス協、活性化へ構想”. 徳島新聞 (2012年1月1日). 2013年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
関連項目
外部リンク
徳島ヴォルティス 関連テンプレート |
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テンプレート:徳島ヴォルティスのメンバー テンプレート:徳島ヴォルティス歴代主将 |