沖縄県
おきなわけん 沖縄県 | |
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地方 | 九州地方、沖縄地方 |
団体コード | 47000-7 |
ISO 3166-2:JP | JP-47 |
面積 |
2,280.98km2 |
総人口 |
1,445,136人 (推計人口、2018年6月1日) |
人口密度 | 634人/km2 |
隣接都道府県 | 鹿児島県 |
県の木 | リュウキュウマツ |
県の花 | デイゴ |
県の鳥 | ノグチゲラ |
他のシンボル |
県の魚 : タカサゴ(グルクン) 県の歌 : 沖縄県民の歌 本土復帰記念日 : 5月15日 慰霊の日 : 6月23日 |
沖縄県庁 | |
所在地 |
〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号 北緯26度12分44.8秒東経127度40分51.3秒 |
外部リンク | 沖縄県 |
沖縄県(おきなわけん)
南西諸島中ほぼ南半分の沖縄諸島,宮古諸島,八重山諸島などの約 160島からなる県。北端は鳥島(硫黄鳥島),南端は波照間島,西端は与那国島でタイワン(台湾)島と相対し,全体として弧を描いて散在する。東端は琉球海溝を隔てて約 360km離れた太平洋上の大東諸島。島々の地形は「高島」と「低島」に分けられる。石垣島,西表島,久米島のように山地をもつ島が高島で,宮古諸島,黒島,竹富島など低平な台地状の島が低島である。沖縄島は北部に山地があり,うるま市以南は低島型。海岸にはサンゴ礁が発達し,紺青の海と白浜が特徴。全体に亜熱帯気候で冬でも東京,大阪の 4~5月の気温。年間降水量は約 2300mmと多い。7月からの台風シーズンに備えて建物などの周囲には石垣,ブロック塀,屋敷林などがめぐらされ,家屋も堅固な造りでブロック建築が目立つ。15世紀頃中国との朝貢貿易で活気づき,那覇泊港には大和船の往来も盛んであった。南蛮貿易,中国貿易で富裕になったが,ポルトガル,スペインの東洋進出などの影響を受けて衰退。慶長14(1609)年薩摩藩に征服されてからは多額の税を課せられ,中国貿易の利潤を吸い上げられて苦しんだ。明治5(1872)年琉球王国(琉球)から琉球藩となり,1879年琉球藩から沖縄県となる。第2次世界大戦末期にアメリカ軍が上陸,激しい戦闘により県民に多くの犠牲者を出したうえ占領(沖縄の戦い)。1951年サンフランシスコ条約(対日講和条約)によってアメリカ合衆国の統治下に置かれた。アメリカの軍事的戦略拠点とされ(在日アメリカ軍),経済は基地に依存し,第3次産業が肥大化した。巨大な基地存在の矛盾は本土復帰運動を高揚させ,1972年日本への復帰を果たした(沖縄返還)。3次にわたる沖縄振興開発計画にもかかわらず,産業開発の立ち遅れが課題。西表石垣国立公園,慶良間諸島国立公園,やんばる国立公園,沖縄海岸国定公園および沖縄戦跡国定公園,久米島県立自然公園,伊良部県立自然公園があり,亜熱帯という気候条件や独特の伝統文化と相まって,観光産業の伸びが著しい。戦跡にひめゆりの塔(ひめゆり部隊),健児の塔などがあるほか,摩文仁丘(まぶにがおか)に各都道府県の慰霊塔が立ち並び,1995年記念碑「平和の礎(いしじ)」が除幕された。1996年にいたってようやく基地の整理縮小の動きが緒についた。2003年那覇空港ターミナルと首里汀良町を結ぶ沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通したが,県内交通は自動車に大きく依存する。県外および県内主要島とは航空機と船舶で結ばれている。
外部リンク
- オープンストリートマップには、沖縄県に関連する地理データがあります。
- 沖縄県(公式サイト)
- 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 - 沖縄観光コンベンションビューロー
先代: 琉球藩 |
行政区の変遷 1879年 - 1945年 (第1次沖縄県) |
次代: 琉球列島米国軍政府 |
先代: 琉球列島米国民政府 琉球政府 |
行政区の変遷 1972年 - (第2次沖縄県) |
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