金沢市
金沢市(かなざわし)は、石川県のほぼ中央に位置する、石川県の県庁所在地。旧石川郡および河北郡。1996年4月1日、中核市に指定された。
Contents
概要
江戸時代には、江戸幕府(約800万石と言われる)を除いて、大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として栄え、人口規模では江戸・大坂・京の三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市であった。第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている。空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から、終戦間もない頃には国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり、さらに庶民文化(加賀宝生や郷土料理の治部煮等)などにより、観光都市として知られる。2009年にはユネスコの創造都市に認定された(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門ではアジア初)。また、北陸地方を管轄する国の出先機関や大企業の「北陸支社」「北陸支店」が置かれる場合が多く、政治・金融において北陸地方の中心的な都市としての機能も担っている。
地理
地理区分
地理区分は中部地方、北陸地方、北信越地方に属する。石川県内の地理区分では、加賀地方に属する。
地形
南東部は山地で、奈良岳(1,644m、金沢市の最高峰、犀川の水源)をはじめ、見越山 (1,621m)、大門山 (1,572m)、医王山(いおうぜん、939m)などがある。平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山 (548m)、キゴ山 (546m)、野田山 (180m)、満願寺山 (177m)、卯辰山 (141m) などがある。戸室山・キゴ山は数十万年に形成された第四紀火山である。山地と平野の境界付近に森本・富樫断層帯が分布する。北西部は金沢平野で、犀川(別名おとこ川)、浅野川(別名おんな川)、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)、伏見川、高橋川、内川などが流れる。犀川とこれに合流する伏見川は日本海へ直接注ぐが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経て日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり、上水道や灌漑などに利用されている。犀川と浅野川は市内を並行して流れ、犀川北岸と浅野川南岸それぞれの河岸段丘に挟まれた台地が小立野台地である。小立野台地の西端に金沢城や兼六園がある。また、犀川南岸の河岸段丘は寺町台地と呼ばれる。
気候
日本海側気候で、年中湿度が高く、雲が発生しやすい。特に冬には雨・雪が降る日が多い[注釈 1]。平年の雷日数が全国の県庁所在地の中で最も多く、そのほとんどは晩秋から冬に起こる。比較的好天が多いのは4-5月と10月、夏にはフェーン現象が起きて最高気温が35℃を超えることもある。梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない。台風が直撃することもあまりない。12月から2月にかけては雪や雨が多い。雷を伴ってあられや雹が降ることもある。1987年以降の暖冬に加え、1991年10月23日に気象台が中心部にほど近い弥生町から、海風の影響で気温が高めで雪が積もりにくい沿岸寄りの西念町へ移転して以降、観測される降雪量は急激に減っており、北陸の他都市はおろか鳥取市よりも積雪量が少なくなることが増えた。しかしながら、市の公表している積雪量[1] によると、気象台よりも兼六園のある市内中心部の方が積雪が多く、特に、金沢大学のある角間町などの内陸地域などは豪雪となりやすい。このように同じ市内であっても海側と内陸では積雪量が大きく異なっている。
降雪の深さ合計は平年で278cmと前平年値(1971〜2000年平均)の360cmと比べて大きく減少した。気象台移転後の最深積雪記録は2001年1月16日の88cm、なお金沢地方気象台が現在の場所に移転する前の最深積雪極値は三八豪雪の1963年1月27日に記録した181cm。最後に積雪が1mを超えたのは1986年1月28日の113cmまで遡る。ただし、冬季の気温は曇りや雪の日が多く放射冷却が少ないため、最低気温は高め(1月平均最低気温0.9℃)であり、2000年代以降は暖冬傾向であること、また、除雪・融雪の体制が発達していることなどから、冬季の都市生活に支障は少ない。
湿度が高いため、伝統工芸の漆塗りや金箔製造に適している。
金沢地方気象台(西念町)1981–2010年平均の気候資料 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.2(70.2) | 23.6(74.5) | 27.0(80.6) | 31.6(88.9) | 33.7(92.7) | 36.1(97) | 37.3(99.1) | 38.0(100.4) | 38.5(101.3) | 33.1(91.6) | 28.4(83.1) | 23.6(74.5) | 38.5(101.3) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.8(44.2) | 7.3(45.1) | 11.0(51.8) | 16.9(62.4) | 21.6(70.9) | 25.0(77) | 28.8(83.8) | 30.9(87.6) | 26.6(79.9) | 21.3(70.3) | 15.5(59.9) | 10.2(50.4) | 18.5(65.3) |
日平均気温 °C (°F) | 3.8(38.8) | 3.9(39) | 6.9(44.4) | 12.5(54.5) | 17.1(62.8) | 21.2(70.2) | 25.3(77.5) | 27.0(80.6) | 22.7(72.9) | 17.1(62.8) | 11.5(52.7) | 6.7(44.1) | 14.6(58.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.9(33.6) | 0.7(33.3) | 3.0(37.4) | 8.2(46.8) | 13.1(55.6) | 18.0(64.4) | 22.3(72.1) | 23.7(74.7) | 19.5(67.1) | 13.3(55.9) | 7.7(45.9) | 3.4(38.1) | 11.2(52.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.7(14.5) | −9.4(15.1) | −8.3(17.1) | −1.6(29.1) | 1.5(34.7) | 6.8(44.2) | 11.0(51.8) | 13.1(55.6) | 7.6(45.7) | 2.2(36) | −0.7(30.7) | −6.7(19.9) | −9.7(14.5) |
降水量 mm (inches) | 269.6(10.614) | 171.9(6.768) | 159.2(6.268) | 136.9(5.39) | 155.2(6.11) | 185.1(7.287) | 231.9(9.13) | 139.2(5.48) | 225.5(8.878) | 177.4(6.984) | 264.9(10.429) | 282.1(11.106) | 2,398.9(94.445) |
降雪量 cm (inches) | 119(46.9) | 93(36.6) | 27(10.6) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 2(0.8) | 37(14.6) | 281(110.6) |
% 湿度 | 75 | 72 | 67 | 69 | 75 | 77 | 73 | 74 | 71 | 71 | 72 | 72 | 72.3 |
平均降水日数 (≥ 0.5 mm) | 24.7 | 20.7 | 18.4 | 13.0 | 11.7 | 11.9 | 14.3 | 9.8 | 13.0 | 14.8 | 18.1 | 23.3 | 193.7 |
平均降雪日数 | 19.1 | 16.0 | 8.1 | 0.6 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 1.0 | 9.8 | 54.6 |
日照時間 | 63.5 | 84.1 | 141.3 | 185.5 | 202.3 | 152.6 | 158.9 | 221.5 | 144.1 | 150.4 | 104.1 | 72.5 | 1,680.8 |
出典: 気象庁 |
旧金沢地方気象台(弥生町)・1961 - 1990年平均の気候資料 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 6.1(43) | 6.5(43.7) | 10.5(50.9) | 17.4(63.3) | 22.2(72) | 25.2(77.4) | 29.4(84.9) | 31.2(88.2) | 26.7(80.1) | 20.9(69.6) | 15.3(59.5) | 9.8(49.6) | 18.4(65.1) |
日平均気温 °C (°F) | 2.9(37.2) | 2.9(37.2) | 6.0(42.8) | 12.1(53.8) | 17.0(62.6) | 20.8(69.4) | 25.2(77.4) | 26.6(79.9) | 22.1(71.8) | 16.1(61) | 10.8(51.4) | 6.0(42.8) | 14.1(57.4) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.1(32.2) | 0.0(32) | 2.0(35.6) | 7.3(45.1) | 12.2(54) | 17.0(62.6) | 21.6(70.9) | 22.7(72.9) | 18.5(65.3) | 12.2(54) | 7.0(44.6) | 2.8(37) | 10.3(50.5) |
降雪量 cm (inches) | 145(57.1) | 102(40.2) | 24(9.4) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 0(0) | 1(0.4) | 45(17.7) | 318(125.2) |
出典: NOAA (1961-1990) [2] |
金沢市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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隣接自治体
北側に内灘町、津幡町、東側に倶利伽羅峠、医王山などの山地を挟んで富山県小矢部市、南砺市、南側に白山市(旧松任市、旧鶴来町)、野々市市と接する。
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歴史
第二次世界大戦以前
「金沢」という都市名は「昔、山科の地(現:金沢市郊外)に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金が出たため、金洗いの沢と呼ばれた」という伝説による。
「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
古文書における「金沢」の初見は、『高野山正智院聖教目録』に文明13年10月8日(1481年10月30日)付で記載された「加州金沢惣持寺」が知られている[3]。
天文15年(1546年)。戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。天正8年(1580年)、織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に金沢城を築城した。
賤ヶ岳の戦い以降、前田利家が金沢城に入り、加賀藩の原型が形成された。利家は金沢城を人心の一新(羽柴秀吉に敵対した佐久間盛政色の一掃および一向一揆に加わっていた真宗門徒との融和)を意図して自身の出身地である尾張国にも通じる「尾山城」と改名するが定着せず、利家の晩年もしくは次代の前田利長の時代には再び「金沢城」の名前に戻した[4][5]。城下町には二重の惣構が掘られ、環濠都市となり、現在でもその遺構を確認することができる。それまで点在していた寺院は一向一揆を防ぐために、金沢城から南西の犀川流域、東側の卯辰山、南東の小立野台地の三ヶ所に集められ、それぞれが寺町寺院群、卯辰山山麓寺院群、小立野寺院群となった。
慶長5年(1599年)に利家が死去すると、翌年には関ヶ原の戦いが起こる。利家の遺領を相続した長男の前田利長は、東軍の徳川家康につき、西軍に属した弟の前田利政の所領を戦後に与えられ、加賀国、能登国、越中国を有する大大名となる。第三代藩主前田利常の時代には、十村制や改作法といった農政改革を進め、支配機構の整備が行われ藩体制が確立した。第五代藩主前田綱紀は名君として名高く、兼六園の前身にあたる蓮池庭(れんちてい)を作庭し、木下順庵や室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめ学問を振興した。また綱紀は和書や漢書、洋書などの多様な書物の収集にも努め、その書物の豊富さから新井白石は「加賀は天下の書府」と言ったと伝えられている[6]。集められた書物や美術工芸品の収蔵品は尊経閣文庫と呼ばれ、現在では前田育徳会により保存管理されている。その後金沢は150余年に渡り、加賀百万石の城下町として繁栄することとなる。参勤交代の時、前田氏は約2,000人の家来を従え、現在の価値で片道約7億円をかけて江戸との間を往来した。
以下江戸時代の藩政史料や地図、明治初期の統計書に記録されている金沢町の人口をまとめる。但しその多くが町奉行支配場(本町、地子町、旧門前地、大工地)の町方人口に関するものであり、主に寺社奉行支配地(門前地)に居住した僧侶・神職ほか、武家屋敷や一部町方・寺社方に居住した士分・武家奉公人については人口に関する資料がほとんど残っていない。
元号 | 西暦 | 家数 | 人口 | 備考 | 典拠 |
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寛文4年 | 1664年 | 9,868 | 55,106 | 本町2532戸1万9845人、地子町7336戸3万5261人 | 『越登賀三州志』 |
寛文5年 | 1665年 | 7,350 | 地子町のみ | 『改作所旧記』 | |
寛文7年6月 | 1667年 | 8,667 | 59,101 | 本町1332軒1万9840人、地子町7335軒3万9261人 | 『稿本金沢市史』 |
延宝年中 | 1675年頃 | 9,927 | 本町2186軒、地子町7081軒 | 『金沢古蹟志』 | |
3,959 | 武家屋敷分。士分1677軒、足軽1953軒、小者305軒 | 『延宝金沢図』 | |||
貞享2年 | 1685年 | 8,448 | 地子町のみ | 『国事雑抄』 | |
貞享3年 | 1686年 | 8,326 | 地子町のみ | 『国事雑抄』 | |
元禄3年 | 1690年 | 13,601 | 寺社奉行支配地を含む。寺社243戸、山伏65戸、 百姓85戸、非人4戸、穢多4戸、町其外遊民1万3209戸 |
『加賀藩史料』 | |
17,601 | 金府家数凡1万3601戸、外に士家奉公人分家4000戸の合計 | ||||
元禄9年 | 1696年 | 11,927 | 本町2536戸、地子町9391戸 | 『金沢古蹟志』 | |
元禄10年春 | 1697年 | 12,085 | 68,636 | 本町2285戸1万8949人、旧門前地大工地354戸2630人、 地子町9446戸4万7057人 |
『加賀藩史料』 |
宝永7年6月21日 | 1710年 | 12,558 | 64,987 | 『国事雑抄』 | |
宝暦5年 | 1755年 | 13,443 | 外に侍屋敷1365軒(但し知行持のみ) | 『稿本金沢市史』 | |
文化7年8月 | 1810年 | 13,792 | 56,355 | 本町2540戸、旧門前地384戸、地子町1万0754戸、大工胆煎等114戸 | 『越登賀三州志』 |
14,909 | 町奉行支配地1万3792戸、寺社奉行支配地1117戸の合計 | ||||
文化8年 | 1811年 | 11,070 | 本町2112戸、地子町8958戸。 但し本町4胆煎、地子町3胆煎分戸数不足 |
『城下町金沢』 | |
天保9年閏4月 | 1838年 | 15,273 | 35,841 | 町方・寺社方合計、人口は15歳以上のみ | 『金沢町数人口調』 |
安政4年2月 | 1857年 | 13,485 | 58,506 | 町方・寺社方合計、他支配2186軒を除く。 本町2650軒1万2019人、地子町9478軒4万0803人、門前地1351軒5684人 |
『金沢町家数人数高』 |
15,671 | 町方・寺社方合計、他支配2186軒を含む。 本町2784軒、地子町1万1281軒、門前地大工地1600軒 | ||||
文久3年5月以降 | 1863年 | 15,720 | 町方・寺社方合計、他支配を含む。 本町3049軒、地子町1万1342軒、大工胆煎等127軒、門前地1202軒 |
『町役人名帳』 | |
明治2年8月 | 1869年 | 15,715 | 1胆煎分戸数不足 | 『町役人名帳』 | |
13,562 | 60,789 | 町方・寺社方合計、支配違2634軒を除く | 『金沢町家教調』 | ||
16,196 | 町方・寺社方合計、支配違2634軒を含む | ||||
明治3年閏10月10日 | 1870年 | 17,222 | 56,295 | 居住制限撤廃後、家数は集計不完全、人口は町方人別之者のみ。 東郷3253軒1万2093人、西郷2263軒7943人、 南郷6600軒1万8960人、北郷5106軒1万7294人 |
『稿本金沢市史』 |
明治4年2月 | 1871年 | 24,744 | 123,363 | 全身分合計。士族4932戸2万6028人、 卒4607戸2万6888人、平民1万4907戸6万8810人、 元神官39戸139人、寺院259戸1032人、御預人466人 |
『金沢名数』 |
明治4年8月 | 24,146 | 123,453 | 第1区3253戸、第2区3635戸、 第3区882戸、第4区1836戸、第5区4068戸、第6区3369戸、第7区4103戸 |
『石川県史料』 | |
明治5年1月29日 | 1872年 | 37,880 | 壬申戸籍による本籍戸数・人口。第1区5610戸、第2区5411戸、 第3区6026戸、第4区2717戸、第5区6272戸、第6区5080戸、第7区6763戸 |
『石川県史料』 | |
明治6年1月1日 | 1873年 | 35,788 | 109,685 | 本籍戸数・人口[注釈 2] | 『金沢市統計書』 |
34,580 | 『日本地誌提要』 | ||||
34,883 | 『明治八年共武政表』 | ||||
明治9年11月1日 | 1876年 | 23,995 | 108,758 | 本籍家数・人口 | 『石川県史料』 |
明治11年12月9日 | 1878年 | 23,937 | 108,263 | 本籍家数・人口 | 『石川県史料』 |
明治12年1月1日 | 1879年 | 23,915 | 107,878 | 本籍家数・人口 | 『明治十一年共武政表』 |
107,876 | 本籍人口 | 『日本全国郡区分人口表』 |
「今津甚四郎書出候人数一巻」[11] によると、享保6年(1721年)の金沢藩の15歳以上の御家中人口は6万7302人(おそらく武家奉公人を含む)。また『金沢市史』や『藩制一覧』によると、明治3年閏10月10日の旧家中人口は、華族1戸11人、士7797戸2万8683人、卒9703戸2万7038人、仲間・小者(平民扱い)2699戸5938人の合計20,200戸61,670人(但し戸数は成人男性数(名数))。江戸時代中期以降、金沢城下町に居住する武家・武家奉公人人口は4万〜5万人で推移したと推測される。以下に2人の研究者による江戸時代〜明治初期の金沢の推定総人口を列挙する。なお土屋敦夫の推計人口には神社仏閣数と僧侶・神官人口(明治4年2月の時点で298箇所1171人)が加算されていない[7]。また斎藤誠治が明治11年調として『明治十一年共武政表』より引用している人口は、正確には明治12年1月1日調のものである[12]。
年号 | 西暦 | 土屋敦夫 (1980)[7][8] | 斎藤誠治 (1984) | ||
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城下町 合計 |
武士町 居住 |
町人町 居住 | |||
慶安3年 | 1650年 | 114,000 | |||
寛文4年 | 1664年 | 86,300 | 31,200 | 55,100 | |
貞享2年 | 1685年 | 62,200 | |||
元禄10年 | 1697年 | 111,200 | 42,600 | 68,600 | |
宝永7年 | 1710年 | 70,600 | |||
寛延3年 | 1750年 | 128,000 | |||
宝暦5年 | 1755年 | 116,600 | 44,900 | 71,700 | |
文化7年 | 1810年 | 68,900 | |||
文政4年 | 1821年 | 114,600 | 46,500 | 68,100 | |
天保9年 | 1838年 | 73,500 | |||
嘉永3年 | 1850年 | 118,000 | |||
文久3年 | 1863年 | 73,600 | |||
明治4年 | 1871年 | 122,900 | 48,100 | 74,800 | |
明治11年 | 1878年 | 107,878 |
江戸時代の金沢の人口は17世紀後半には10万人を超え、江戸、大坂、京の三都には及ばないものの、名古屋と並ぶ日本第4位〜第5位の都市として発達し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。幕末から明治維新の頃の金沢は人口において東京、大阪、京都、名古屋に次ぐ日本第5位の都市であったが、明治時代に入ると産業・交通発達の基軸が太平洋側へと移り、明治20年頃には六大都市を形成することになる神戸や横浜にも人口で抜かれる。しかしながら金沢には旧制第四高等学校(金沢大学の前身)や日露戦争の旅順攻囲戦で知られる陸軍第九師団が置かれ、学都・軍都として栄えた。
第二次世界大戦中は機銃掃射等(金沢空襲)があったものの大規模空襲を免れ、古い町並みが残った。(石川県内では、空襲で60人以上が死傷した。)
地名の移り変わり
現在の金沢市中心部は、古くは石浦村と呼ばれていた。尾山御坊が置かれたことで寺内町として発展し、南町、西町、松原町、安江町、近江町、堤町、金屋町、材木町といった町が成立した。これを総じて尾山八町、或いは単に「尾山」と呼んだ。なお、尾山という地名は、「二つの川に挟まれた台地の先端」という意味を持つ。後に、前述の芋掘り藤五郎の伝説から「金沢」と称するようになるが、こちらの地名も室町時代まで遡ることが確認されており2つの地名が併用されていた。前田利家が城主になると一度「尾山」に戻され、家督を長男の前田利長が継いだ後に再び「金沢」となった。
旧町名の復活運動
金沢市は、1962年(昭和37年)に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され、500余りの町名が消滅してしまった。しかし、長年慣れ親しんだ旧町名の復活を望む声が多く、主計町を皮切りに次々と旧町名が復活した。これを受けて長崎市など全国へ旧町名復活運動が広がっていった。
沿革
- 1878年(明治11年)12月17日 - 郡区町村編制法が施行され金沢城下534町に金沢区成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 金沢区に市制施行され金沢市成立。10.40 km2。
- 1924年(大正13年)1月1日 - 石川郡野村字泉野の一部との境界変更。10.61 km2。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 石川郡野村を編入。16.82 km2。
- 1925年(大正14年)4月10日 - 石川郡弓取村を編入。20.05 km2。
- 1935年(昭和10年)12月16日 - 石川郡富樫村・潟津村・米丸村・鞍月村・粟崎村・大野町を編入。51.55 km2。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 石川郡崎浦村・三馬村、河北郡小坂村を編入。90.71 km2。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 石川郡戸板村を編入。96.21 km2。
- 1943年(昭和18年)12月1日 - 石川郡金石町・大野村・二塚村を編入。111.09 km2。
- 1947年(昭和22年)5月3日 - 河北郡三谷村字釣部を編入(境界変更)。114.16 km2。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 河北郡川北村を編入。122.10 km2。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 石川郡安原村・額村・内川村・犀川村・湯涌谷村を編入。303.76 km2。
- 1956年(昭和31年)1月1日 - 石川郡押野村を編入。309.79 km2。
- 1957年(昭和32年)4月5日 - 河北郡浅川村を編入。393.40 km2。
- 1957年(昭和32年)4月10日 - 押野地区の一部を石川郡野々市町へ編出(境界変更)。391.34 km2。
- 1962年(昭和37年)6月1日 - 河北郡森本町を編入。458.78 km2。
- 1965年(昭和40年)7月30日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。458.90 km2。
- 1967年(昭和42年)10月27日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.18 km2。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.19 km2。
- 1969年(昭和44年)3月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.21 km2。
- 1971年(昭和46年)3月2日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.31 km2。
- 1980年(昭和55年)2月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.31 km2。
- 1980年(昭和55年)5月13日 - 大野町4丁目および粟崎町4丁目に隣接する公有水面埋立による面積増加。460.20 km2。
- 1980年(昭和55年)9月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。460.20 km2。
- 1981年(昭和56年)10月1日 - 河北潟干拓地境界決定。468.09 km2。
- 1988年(昭和63年)10月1日 - 国土地理院における新しい測定方法による修正。467.77 km2。
- 1992年(平成4年)3月1日 - 松任市との境界変更。467.77 km2。
- 1996年(平成8年)6月1日 - 河北郡津幡町との境界変更。467.77 km2。
- 1999年(平成11年)5月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。467.77 km2。
人口
金沢市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
市政
市長
- 山野 之義(やまの・ゆきよし)
副市長
- 丸口 邦雄
- 細田 大造
歴代市長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
大野木克正 | 1878年(明治11年)12月17日 | 1879年(明治12年)4月10日 | 区長代理 | ||
1879年(明治12年)4月10日 | 1879年(明治12年)7月7日 | 区長心得 | |||
石川昌三郎 | 1879年(明治12年)7月7日 | 1879年(明治12年)11月11日 | 区長心得 | ||
1 | 1 | 相馬朔郎 | 1879年(明治12年)11月11日 | 1881年(明治14年)6月20日 | |
2 | 2 | 加藤恒 | 1881年(明治14年)6月20日 | 1881年(明治14年)10月8日 | |
3 | 3 | 梅原可也 | 1881年(明治14年)10月8日 | 1884年(明治17年)2月18日 | |
4 | 4 | 稲垣義方 | 1884年(明治17年)2月18日 | 1889年(明治22年)3月31日 |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 稲垣義方 | 1889年(明治22年)5月27日 | 1893年(明治26年)4月11日 | |
2 | 2 | 長谷川準也 | 1893年(明治26年)6月23日 | 1897年(明治30年)12月2日 | |
3 | 3 | 奥村栄滋 | 1898年(明治31年)1月12日 | 1902年(明治35年)5月10日 | |
4 | 4 | 渡瀬政礼 | 1902年(明治35年)6月16日 | 1908年(明治41年)6月15日 | |
5 | 1908年(明治41年)7月24日 | 1909年(明治42年)11月6日 | |||
6 | 5 | 山森隆 | 1909年(明治42年)12月15日 | 1915年(大正4年)12月14日 | |
7 | 1915年(大正4年)12月15日 | 1919年(大正8年)5月14日 | |||
8 | 6 | 飯尾次郎三郎 | 1919年(大正8年)5月28日 | 1922年(大正11年)4月24日 | |
9 | 7 | 相良歩 | 1922年(大正11年)5月23日 | 1926年(大正15年)5月22日 | |
10 | 1926年(大正15年)5月23日 | 1930年(昭和5年)5月22日 | |||
11 | 8 | 吉川一太郎 | 1930年(昭和5年)6月9日 | 1934年(昭和9年)6月8日 | |
12 | 9 | 片岡安 | 1934年(昭和9年)7月13日 | 1936年(昭和11年)4月20日 | |
13 | 10 | 澤野外茂次 | 1936年(昭和11年)7月30日 | 1940年(昭和15年)7月29日 | |
14 | 1940年(昭和15年)7月30日 | 1944年(昭和19年)7月29日 | |||
15 | 1944年(昭和19年)7月30日 | 1945年(昭和20年)9月22日 | |||
16 | 11 | 武谷甚太郎 | 1945年(昭和20年)10月18日 | 1947年(昭和22年)2月28日 | |
17 | 12 | 井村重雄 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
18 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)4月22日 | |||
19 | 13 | 土井登 | 1955年(昭和30年)5月2日 | 1959年(昭和34年)5月1日 | |
20 | 1959年(昭和34年)5月2日 | 1963年(昭和38年)1月16日 | |||
21 | 14 | 徳田與吉郎 | 1963年(昭和38年)2月10日 | 1967年(昭和42年)2月9日 | |
22 | 1967年(昭和42年)2月10日 | 1971年(昭和46年)2月9日 | |||
23 | 1971年(昭和46年)2月10日 | 1972年(昭和47年)7月8日 | |||
24 | 15 | 岡良一 | 1972年(昭和47年)8月6日 | 1976年(昭和51年)8月5日 | |
25 | 1976年(昭和51年)8月6日 | 1978年(昭和53年)11月23日 | |||
26 | 16 | 江川昇 | 1978年(昭和53年)12月10日 | 1982年(昭和57年)12月9日 | |
27 | 1982年(昭和57年)12月10日 | 1986年(昭和61年)12月9日 | |||
28 | 1986年(昭和61年)12月10日 | 1990年(平成2年)12月9日 | |||
29 | 17 | 山出保 | 1990年(平成2年)12月10日 | 1994年(平成6年)12月9日 | |
30 | 1994年(平成6年)12月10日 | 1998年(平成10年)12月9日 | |||
31 | 1998年(平成10年)12月10日 | 2002年(平成14年)12月9日 | |||
32 | 2002年(平成14年)12月10日 | 2006年(平成18年)12月9日 | |||
33 | 2006年(平成18年)12月10日 | 2010年(平成22年)12月9日 | |||
34 | 18 | 山野之義 | 2010年(平成22年)12月10日 | 2014年(平成26年)12月9日 | [注釈 3][14] |
35 | 2014年(平成26年)12月10日 | 現職 |
議会
市議会
役員
- 議長 - 黒沢和規(自民)
- 副議長 - 角野恵美子(公明)
定数・会派
(2017年3月13日現在)
会派 | 議員数 | 所属議員 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
自由民主党金沢市議員会 | 18 | 高村佳伸 | 田中展郎 | 横越徹 | 福田太郎 | 黒沢和規 | |||||
清水邦彦 | 松村理治 | 久保洋子 | 野本正人 | 高岩勝人 | |||||||
下沢広伸 | 喜多浩一 | 高誠 | 坂本泰広 | 小間井大祐 | |||||||
上田雅大 | 小阪栄進 | 中川俊一 | |||||||||
みらい金沢 | 5 | 中西利雄 | 森一敏 | 山本由起子 | 麦田徹 | 松井 隆 | |||||
公明党金沢市議員会 | 4 | 松井純一 | 秋島太 | 角野恵美子 | 源野和清 | ||||||
市政刷新金沢 | 2 | 前誠一 | 澤飯英樹 | ||||||||
日本共産党金沢市議員団 | 3 | 森尾嘉昭 | 広田美代 | 大桑初枝 | |||||||
金沢保守議員会 | 2 | 安達前 | 小林誠 | ||||||||
創生かなざわ | 2 | 玉野道 | 熊野盛夫 | ||||||||
会派みやび | 1 | 宮崎雅人 | |||||||||
欠員 | 1 | 計 | 38 |
委員会
- 議会運営委員会(定数12)
- 常任委員会
- 総務常任委員会(定数8)
- 経済環境常任委員会(定数7)
- 市民福祉常任委員会(定数8)
- 建設企業常任委員会(定数7)
- 文教消防常任委員会(定数8)
- 特別委員会
- 第二庁舎等建設特別委員会
- 文化振興・スポーツ振興特別委員会
- 連携中枢都市圏・都市交通特別委員会
石川県議会(金沢市選出)
- 定数:16名
- 任期:2015年(平成27年)6月9日〜2019年(平成31年)6月8日
議員名 | 会派名 | 備考 | |
---|---|---|---|
下沢佳充 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
川裕一郎 | WILL石川 | ||
石坂修一 | 未来石川議員会 | 党籍は無所属 | |
佐藤正幸 | 日本共産党 | ||
紐野義昭 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
田中敬人 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
金原博 | 未来石川議員会 | 党籍は無所属 | |
米沢賢司 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
中村勲 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
盛本芳久 | 未来石川議員会 | 党籍は社会民主党 | |
増江啓 | 公明党 | ||
谷内律夫 | 公明党 | ||
不破大仁 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
安居知世 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | ||
冨瀬永 | 未来石川議員会 | ||
太郎田真理 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | 2018年3月11日の補欠選挙で当選 |
衆議院
- 任期 : 2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(平成33年)10月21日(「第48回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
石川県第1区(金沢市) | 馳浩 | 自由民主党 | 7 | 選挙区 |
金沢市の行政組織
石川県の機関
主な国の機関
特別の機関
司法機関
独立行政法人
- 中小企業基盤整備機構北陸支部
- 国際協力機構北陸支部
- 日本貿易振興機構金沢事務所
姉妹都市・提携都市
姉妹都市の多くは、その地方の中心的都市であったり、歴史的遺産を持つ古都であるのが特徴的である。
日本国外
- 姉妹都市
- バッファロー市(アメリカ合衆国ニューヨーク州)
- イルクーツク市(ロシア連邦イルクーツク州)
- ポルトアレグレ市(ブラジル連邦共和国リオグランデ・ド・スル州)
- 1967年(昭和42年)3月20日 姉妹都市提携
- ゲント市(ベルギー王国オースト・フランデレン州)
- ナンシー市(フランス共和国ロレーヌ州)
- 友好都市
- 提携都市
- その他
- 世界歴史都市連盟
- 歴史都市の保存と開発をテーマにした世界都市の集まりに加盟している。
日本国内
- 提携都市
- 長野市(長野県)
- 板橋区(東京都)
- 2007年(平成19日)7月9日 友好交流都市提携
- 岡崎市(愛知県)
- 豊田市(愛知県)
- 2007年(平成19年)10月18日 観光交流都市締結
- 高崎市(群馬県)
- 2008年(平成20年)2月6日 友好交流都市提携
- 高山市(岐阜県)
- 松本市(長野県)
- 静岡市(静岡県)
- 沖縄県の旗那覇市(沖縄県)
- 目黒区(東京都)
- その他
- 加賀の小京都「金沢」として全国京都会議に過去に加盟していたが当時の市長であった山出保によって脱退した。これは、金沢は京都のように公家文化で栄えた町と違い城下町であるという理由からであった。しかし、観光都市として「加賀の小京都」と称されている。
国際機関
国連機関
領事館
- 在金沢アルバニア名誉領事館
経済
農林水産業
市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。明治時代中期には、他地方に先駆けて近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上した。現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、北陸地方の他地域と並んでコシヒカリの主要な産地の一つである。
稲作だけでは採算が望めない農地については、小規模でも生産でき付加価値の高い作物、さつまいもや蓮根などの加賀野菜、梨などの果実の生産に移行する動きがみられる。
また、北前船の寄港地であった大野港や金石港から金沢港が整備され、ここを拠点とした水産業も盛んである。
製造業
伝統製造業・工芸品
江戸時代に金沢を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないよう内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。また、藩の財政に余裕があったため、京都などから職人を招聘し、加賀友禅などの染織工芸を育成することができた。これらを基盤として、明治時代には繊維工業や染織加工業が発達した。ただし現在では、中国などから安価な製品が輸入されるようになったため、高機能商品の生産に特化する動きがみられる。現在でも金箔の製造は全国シェアの98%、銀箔は100%、市民1人当たりの和菓子購入額全国第1位である。 また、大野地区では醤油の製造が昔から盛んで、現在も直源が製造している「直っぺ」などがある。
近代製造業・工業
繊維製品の生産に必要な織機の製造は現在でも衰退しておらず、ジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)を生産する津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場と言われている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、一風変わった機械の製造に結びついている。
近年では、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗った。また、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。
卸売・小売業
金沢市は北陸地方では二番目に大きな卸、小売業販売額をあげる商業都市であり(北陸3県に限ると最も多い)[17]、百貨店・大型ショッピングセンター・や多数のブランドショップなどの集積がある。
中心部にある市内最大の繁華街、香林坊・片町地区には、百貨店大和本店をキーテナントとした香林坊アトリオや東急ハンズなどが入居する香林坊東急スクエア、アパレルなど多数の路面店が軒を連ねる竪町通りがある。 また、香林坊に隣接する片町地区は、約1500もの飲食店がある北陸最大の歓楽街となっている。 中心部の主な商店街は香林坊商店街、竪町商店街、広坂振興会(商店街)、柿木畠振興会(商店街)、片町商店街(5TOWN'S=ファイブタウンズと称する)である。その他木倉町商店街なども5TOWN'Sに属する。
一方、もう一つの繁華街である武蔵地区には名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザと近江町市場がある。なかでも近江町市場は、市場独特の風情が味わえることから訪れる観光客も多く、金沢市内の観光地のひとつとしても有名。2009年4月16日には市街地再開発事業により、近江町いちば館が開業した。
金沢駅周辺では北陸新幹線開業を控えた時期にさらなる開発が進んだ。駅東口横にイオン系列のファッションビルである金沢フォーラスが開業、金沢百番街では2007年5月26日にくつろぎ館がオープン、2011年3月3日にはトレンド館を大幅に改装したRintoがオープンするなど、駅ビルや駅ナカの商業施設の集積が進んだ。また、北陸新幹線開業を受けて都市型マンションやビジネスホテルの集積も顕著である。そのため、駅周辺の商業地としての地位が向上し、テナントビルの空室率は駅周辺ビルを中心に大幅に改善した。それに伴い、商圏は香林坊・片町地区、武蔵地区、金沢駅前地区と三極化し始めた。 また、金沢大学や石川県庁などの公共施設が市街地から郊外へ移転したことや、イオンタウン金沢示野、アピタタウン金沢ベイ、ラパーク金沢(メガ・ドン・キホーテ)などのショッピングセンターやロードサイドショップが開業し、国道8号線沿いや山側環状道路および海側環状道路周辺などの郊外が著しく発展していることから、中心街の空洞化、購買客の流失が懸念されている。
また、新たにオープンした、富山県小矢部市の三井アウトレットパーク北陸小矢部、小松市にオープンしたイオンモール新小松などの近郊都市圏の大型商業施設も、市内中心部の商業施設の刺客となっている。
郊外では、クスリのアオキやアルビスといった、北陸の地場スーパー・地場ドラッグストアの出店が盛んで、集客競争が激しく行われている。
|
本社を置く企業
- 上場企業
- 主な非上場企業
|
本店を置く企業
- アパグループ本店
支社・支店・事業所を置く企業
- アサヒビール北陸統括本部
- 味の素北陸支店
- 伊藤忠商事金沢支店
- INAX北陸支社
- 江崎グリコ北陸支店
- NEC北陸支社
- NTTドコモ北陸支社
- NTT西日本北陸事業本部
- NTTファイナンス北陸支店
- 沖電気北陸支店
- オムロン北陸支店
- カゴメ北陸支店
- 京セラドキュメントソリューションズ ジャパン北陸営業所
- キリンビール北陸支店
- キリンビバレッジ北陸支社
- 熊谷組北陸支店
- KDDI北陸総支社
- 佐川急便北陸支社
- サッポロビール北陸支店
- サントリー北陸支店
- 清水建設北陸支店
- 住友林業住宅事業本部北陸支店
- 全日空金沢支店
- ゼンリン中部金沢支店
- 大正製薬金沢支店
- ダイダン北陸支店
- 大和ハウス工業金沢支店
- タカラスタンダード北陸支店
- 電通西日本金沢支社
- 東京書籍北陸支社
- 東芝テック北陸支店
- TOTO北陸支社
- トステム北陸支社
- トッパンフォームズ北陸営業所
- 中日本高速道路金沢支社
- JR西日本金沢支社
- 日本オラクル北陸支店
- 日本航空金沢支店
- 日本コムシス北陸支店
- 日本精工北陸支店
- 日本郵便北陸支店
- 日本ユニシス北陸支店
- ゆうちょ銀行北陸エリア本部・金沢支店
- かんぽ生命保険北陸エリア本部・金沢支店
- 協和エクシオ北陸支店
- パナソニック
- パナソニック モバイル開発研究所金沢開発研究所
- 日立ビルシステム金沢支社
- 日立プラントテクノロジー北陸支店
- 富国生命金沢支社
- 富士通北陸支社
- ベネッセコーポレーション北陸事業所
- 北陸電気工事金沢支店
- 北陸電力石川支店
- 三菱電機北陸支社
- 明電舎北陸支店
- 森永製菓北陸支店
- ほか
- 工場
- 日本ケンブリッジフィルター北陸工場
- 横河電機金沢事業所
支店を置く主な金融機関
- 日本銀行金沢支店
- 農林中央金庫金沢推進室
- 信金中央金庫北陸支店
- 金沢支店(富山、石川、福井3県の統括店)
拠点を置く主な生活協同組合
- 全労済石川県本部
教育
大学
- 国立
- 公立
- 私立
短期大学
専修学校
- 金沢医療福祉製菓専門学校
- 金城ファッションカレッジ
- 金沢文化服装学院
- 石川医療技術専門学校
- 北信越柔整専門学校
- 金沢リハビリテーション・アカデミー
- 石川県理容美容専門学校
- 金沢社会保険看護専門学校
- 金沢看護専門学校
- 石川県歯科技工士専門学校
- 石川県歯科衛生士専門学校
- 国際ペットビジネス専門学校金沢
- 東京アカデミー金沢校
- 石川県立総合看護専門学校
- 専修学校KIDI PARSONS
- 学校法人徳野学園北陸ビジネスアカデミーが2004年3月に廃校になったため、現在市内に技能連携向陽台高等学校北陸キャンパスがない。
高等専門学校
高等学校
- 国立
- 金沢大学附属高等学校(※中高併設)
- 県立
- 市立
- 私立
中学校
- 国立
- 金沢大学附属中学校(※中高併設)
- 県立
- 石川県立金沢錦丘中学校(※中高併設)
- 市立
- 私立
小学校
国立
公立
- 金沢市立泉小学校
- 金沢市立中村町小学校
- 金沢市立十一屋小学校
- 金沢市立泉野小学校
- 金沢市立新竪町小学校
- 金沢市立菊川町小学校
- 金沢市立小立野小学校
- 金沢市立兼六小学校
- 金沢市立中央小学校
- 金沢市立中央小学校芳斎分校
- 金沢市立長田町小学校
- 金沢市立明成小学校
- 金沢市立諸江町小学校
- 金沢市立馬場小学校
- 金沢市立森山町小学校
- 金沢市立浅野町小学校
- 金沢市立小坂小学校
- 金沢市立千坂小学校
- 金沢市立夕日寺小学校
- 金沢市立大浦小学校
- 金沢市立浅野川小学校
- 金沢市立鞍月小学校
- 金沢市立粟崎小学校
- 金沢市立大野町小学校
- 金沢市立金石町小学校
- 金沢市立大徳小学校
- 金沢市立戸板小学校
- 金沢市立緑小学校
- 金沢市立押野小学校
- 金沢市立米丸小学校
- 金沢市立三馬小学校
- 金沢市立富樫小学校
- 金沢市立額小学校
- 金沢市立内川小学校
- 金沢市立犀川小学校
- 金沢市立湯涌小学校
- 金沢市立東浅川小学校
- 金沢市立田上小学校
- 金沢市立医王山小学校
- 金沢市立森本小学校
- 金沢市立花園小学校
- 金沢市立不動寺小学校
- 金沢市立三谷小学校
- 金沢市立南小立野小学校
- 金沢市立伏見台小学校
- 金沢市立扇台小学校
- 金沢市立木曳野小学校
- 金沢市立三和小学校
- 金沢市立長坂台小学校
- 金沢市立新神田小学校
- 金沢市立西南部小学校
- 金沢市立米泉小学校
- 金沢市立四十万小学校
- 金沢市立西小学校
- 金沢市立安原小学校
- 金沢市立杜の里小学校
私立
特別支援学校
- 金沢大学附属特別支援学校
- 石川県立明和特別支援学校
- 石川県立医王養護学校
- 石川県立総合養護学校
施設
警察
消防
金沢市消防局が管轄する。
- 中央消防署
- 高尾台出張所
- 泉野出張所
- 味噌蔵出張所
- 小立野出張所
- 駅西消防署
- 玉川出張所
- 鳴和出張所
- 森本出張所
- 金石消防署
- 三和出張所
- 臨港出張所
主な医療機関
※病床数200以上の医療機関のみ記述する。
- 国立病院機構医王病院
- 国立病院機構金沢医療センター
- 城北病院
- 浅ノ川総合病院
図書館
- 市立、県立
美術館・博物館・記念館
- 石川県立美術館
- 金沢21世紀美術館
- 四高記念文化交流館
- 石川県政記念しいのき迎賓館
- 石川県銭屋五兵衛記念館・銭五の館
- 石川県立伝統産業工芸館
- 石川県立歴史博物館
- 石川県立自然史資料館
- 石川県金沢港大野からくり記念館
- 石川県埋蔵文化財センター[18]
- 泉鏡花記念館
- 金沢卯辰山工芸工房
- 金沢くらしの博物館
- 金沢市立中村記念美術館
- 金沢市埋蔵文化財収蔵庫[19]
- 石川県庁舎石引分室
- 辻家庭園
- 彦三緑地ツツジ資料館
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ホール・劇場・その他の文化施設
- 金沢市民芸術村
- 金沢湯涌創作の森
- 金沢卯辰山工芸工房
- 金沢市教育プラザ富樫
- いしかわ子ども交流センター
- 銀河の里キゴ山
- 金沢市キゴ山天体観察センター
- 金沢市キゴ山少年自然の家
- 石川県青少年総合研修センター
- 九谷光仙窯
公園・緑地・運動場・野球場・グラウンド
- 西部緑地公園 - 1974年開設 49.6ha
- 健民海浜公園 - 1971年開設 47.1ha
- 奥卯辰山健民公園 - 1971年開設 41.6ha
- 犀川緑地 1978年開設 32.7ha
- 北部公園 - 1989年開設 20.7ha
- 兼六園 - 1874年公開 国の特別名勝 11.7ha
- 金沢城公園 - 2003年開設 11.0ha(完成部分のみ)
- 本多の森公園 - 1978年開設 5.9ha
- いしかわ四高記念公園 - 1968年開設 3.3ha
- 大野湊緑地公園 - 1997年開設 2.7ha
- 鞍月セントラルパーク - 2003年開設 1.7ha
- 玉川公園 - 1979年開設 1.5ha
- 内川スポーツ広場
- 大豆田簡易グラウンド
- 市営グラウンド
- 陸上競技場
- 市営野球場
- 市民野球場
- 専光寺ソフトボール場
- 戸室スポーツ広場
- 安原スポーツ広場
- 金沢市民サッカー場
体育館・アリーナ
- 城西市民体育館
- 西部市民体育館
- 森本市民体育館
- 浅野川市民体育館
- 額谷ふれあい体育館
- 鳴和台市民体育館
- 医王山スポーツセンター
- いしかわ総合スポーツセンター
プール
- 金沢プール
- 金沢市営西部プール
- 金沢市営鳴和台プール
- 健民海浜プール
テニスコート
- 城北市民テニスコート
- 城東テニスコート
- 東金沢スポーツ広場
- 西金沢テニスコート
- 大徳テニスコート
- 城東テニスコート
ゲレンデ
- 医王山スキー場
交通
鉄道
市の中心となる駅:金沢駅
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 日本貨物鉄道(JR貨物)
- ■金沢貨物ターミナル駅(貨物専門非旅客駅)
- 北陸鉄道(北鉄)
- ■石川線:野町駅 - 西泉駅 - 新西金沢駅 / 馬替駅 - 額住宅前駅 - 乙丸駅 - 四十万駅
- ■浅野川線:北鉄金沢駅 - 七ツ屋駅 - 上諸江駅 - 磯部駅 - 割出駅 - 三口駅 - 三ツ屋駅 - 大河端駅 - 北間駅 - 蚊爪駅
市内交通の問題点
上記のとおり、北陸鉄道の両線は連絡していない。石川線は西金沢駅で、浅野川線は金沢駅で、JR線・IRいしかわ鉄道線に乗り換えできる(両JR駅間の運賃は180円)。なお、北鉄金沢駅は東口地下広場に位置するため、地下に降りると行くことができる。
しかし、北陸鉄道が金沢市中心部を縦貫できていないことは、金沢の鉄道事情の貧弱さを象徴しており、これについての解決策[20]も挙がっているが、実現の見通しは立っておらず、45万人都市にそぐわない交通体制となっているのが現状である。
- 隣接市町村への連絡
- 内灘町へ:北陸鉄道浅野川線
- 津幡町、野々市市、白山市(旧松任市・旧美川町)へ:JR西日本・北陸線
- 野々市市、白山市(旧鶴来町)へ:北陸鉄道石川線
広範囲な連絡
金沢駅には2015年3月14日現在、北陸新幹線のほか、JRの以下の在来線特急が発着している。
航空路線
IATA都市コードはQKWが充てられている。小松空港(空港コードKMQ)から、2013年1月1日現在、国内線は東京(羽田)、成田、札幌(新千歳)、仙台、福岡および那覇へ、国際線はソウル(仁川)、上海(浦東)および台北(桃園)へ就航している。小松空港へは金沢駅から小松空港連絡バスによって約40分(スーパー特急利用)で結ばれている。
路線バス
- 金沢市街地に高頻度の路線網を持つ。周辺他県に比べバリアフリー対応のノンステップ、ワンステップバスが多いことが特徴の他、LED型方向幕の普及も進んでいる。観光用には特製のボンネットバスを配した城下まち金沢周遊バスが12分間隔一律200円で走り、観光客に好評。市内定期観光バスのガイド出身の女性運転手が乗務につくことが多い。さらに、金沢駅 - 兼六園下までの往復バス「兼六園シャトル」が20分間隔で走る。
- 能登方面や加賀温泉方面、小松空港といった、県内各地を結ぶ特急バス・急行バスも多数運行。
- 高速バスは、東京(渋谷・八王子)、横浜(鎌倉・藤沢)、大阪(梅田)、名古屋、仙台(山形)、新潟、富山、高岡(砺波)、高山(白川郷)と、各主要都市との路線がある。
- 近年は人件費圧縮のため、事業所ごとの分社化を進めている。2004年12月にICカード乗車券「ICa」を導入。金沢市内に在籍する営業所および分社に関しては「金沢ナンバー」への切り替えが急速に進んでいる。
- 金沢駅 - 森本駅 - 福光駅間など、市北部から富山県南砺市への系統を持つ。過去には福光以南名古屋駅までの名金線があった。現在は高速バスの東京(池袋・新宿または東京駅・上野)、大阪(京都・福井)、名古屋、富山との路線に参入している。
- 金沢駅 - 森本駅 - 福光駅 - 砺波市役所前間を1日2便運行。このうち、金沢駅 - 福光駅間は西日本JRバスと競合している。また、北鉄金沢バスとの共同運行で高岡・砺波とを結ぶ高速バスも運行。
- 高速バスのみ運行。北鉄グループや西日本JRバスと共同運行をせず、単独で乗り入れている。群馬県および埼玉県内の複数の停留所を経由して東京(秋葉原駅東口)へ向かう「東京・さいたま・群馬〜富山・金沢線」を運行している。[21]
- 金沢ショッピングライナーまちバス
- 青い車体が特徴。金沢駅を起終点に、市内中心部の商店街を20分ないしは30分間隔100円で周回している(土曜日・日曜日および祝日のみ運行)。運営は金沢商業活性化センター(金沢市出資の第3セクター)であるが、西日本JRバスに委託している。
- 金沢市が運営し、民間に委託運行しているコミュニティバス。「此花ルート」、「菊川ルート」、「材木ルート」および「長町ルート」の4ルートがある。いずれのルートも旧市街の裏通りが経路として含まれており、そこへ走り得る小型の車体と100円均一の低運賃が特徴。
その他の交通手段
2010年8月20日土曜日 - 2010年10月20日水曜日に市が社会実験として、自転車のレンタル・シェアリングが行われた。さらに、2012年3月24日より、正式にサービスを開始。金沢市が実施、運営は株式会社日本海コンサルタントが行っている。これにより、市内をさらに自由に行き来できるようになった。使用料は初回利用時1日200円、定期利用で毎月1000円、1年で9000円である。延滞料金として30分超えるたびに200円かかる。30分以内は、初回利用時以外無料である。支払いは現金、もしくはおさいふケータイ、交通系ICカードで支払うことができる。ポートは、市街地を中心に全19か所ある。くわしくはまちのりを参照。
道路
金沢市街地は加賀前田藩の城下町として栄えた歴史があり、初代藩主前田利家は、甲州流兵学に基づいて城下に敵が攻め込まりにくいように、他の城下町以上に道に曲がり角を多数設けた設計がなされた[22]。市内の道路はが道が入り組んでいて、わかりにくいという指摘があるが、これは金沢が戦災に遭わなかったこともあって、藩政時代の区画がそのまま残されて今の道路に引き継がれていった名残である[22]。
- 高速道路
- 自動車専用道路
- 一般国道
- 一般県道
- 石川県道8号松任宇ノ気線
- 石川県道・富山県道10号金沢湯涌福光線
- 石川県道13号金沢停車場線
- 石川県道17号金沢港線
- 石川県道22号金沢小松線
- 石川県道25号金沢美川小松線
- 石川県道・富山県道27号金沢井波線
- 石川県道45号金沢鶴来線
- 石川県道60号金沢田鶴浜線(通称50m道路)
- 石川県道106号野々市西金沢停車場線
- 石川県道123号東金沢停車場線
- 石川県道146号金沢停車場南線
- 石川県道159号金沢停車場北線
- 石川県道189号額谷三浦線
- 石川県道193号窪野々市線
- 石川県道194号宮永横川町線
- 石川県道195号倉部金沢線
- 石川県道196号上安原昭和町線
- 石川県道197号寺中西金沢線
- 石川県道198号畝田大野線
- 石川県道200号向粟崎安江町線
- 石川県道201号蚊爪森本停車場線
- 石川県道205号八田南森本線
- 石川県道207号倉谷土清水線
- 石川県道209号芝原石引町線
- 石川県道210号清水小坂線
- 石川県道211号二俣古屋谷線
- 石川県道212号中尾津幡線
- 石川県道213号仮生堅田線
- 石川県道215号森本津幡線
- 石川県道299号近岡諸江線
- 国道・県道以外の主要幹線・バイパス
その他、市道を含む、金沢市内の道路には、さまざまな通称名がつけられている。詳しくは金沢市内の通りを参照のこと。
港湾
マスメディア
- Zouss(ザウスマガジン社)
- 金沢情報(カラフルカンパニー)
- FAVO金沢版(ストアインク)
※ 全国紙では、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞の四紙は大阪本社で発行された物が、読売新聞は北陸支社(富山県高岡市、読売新聞東京本社の支社)で発行された物が販売されている。読売新聞については夕刊も発行されている。
※老舗タウン誌「月刊おあしす」(北陸金沢百選会:月刊おあしす編集室)は、昭和44年12月、金沢で直木賞を受賞した五木寛之氏特集号より創刊。北陸金沢百選会に加盟する老舗店のPRにつとめ、昭和56年「第2回全国タウン誌大賞」受賞(NTT主催)。「金沢・能登」「北陸」の観光ガイドブック、「金沢の食べ歩き」本など、観光ガイド本のベースを築いたパイオニアの役割を担っている。英文「KANAZAWA」(ルース・スティーブンス著)の編集製作、泉鏡花文学賞、金沢泉鏡花フェスティバル、映画『大河の一滴』製作などにも携わった。作家・五木寛之と親交が深く、創刊者の金子健樹は、小説『金沢望郷歌』に登場する中沢誠一のモデルとなっている。平成18年12月号(No.445)にて、休刊。
観光・催事・特産・スポーツ・文化
金沢市を含む「金沢地域」の観光入込客数は約761.8万人(2011年(平成23年)[23])で、兼六園への来客が全体の2割を占める。伝統的な建造物や工芸、文化が遺り、「北陸の京都」とも呼ばれるが、江戸期に成立した町であることから江戸の町の典型を遺し、また、京都が伝統文化を対外的な売り物としている「観光都市」であるのに対し、金沢はそれらを生活の中で消費する「文化都市」であるとも一時は言われていたが[24]、2015年の北陸新幹線開通などを受け国際観光都市を目指した街づくりが推進されている。
主な観光地
江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園とされる。名称「兼六」の由来は、宋代の洛陽名園記が指摘する、庭園にとって両立しがたい六つの特性、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備えていることによる。
この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には、当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している。この跡地には城の中の大学として金沢大学のキャンパスがあったが、郊外(角間)へ移転した。その後一部の櫓が当時の技術のままに復元され、一般に公開されている。
市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に野村家庭園があり、加賀友禅の長町友禅館(旧彩筆庵)と並んで内部を見学することができる。中には小さい滝があり、立体的な配置のため街中とは思えない奥行きがある風景を楽しめる。
市内には、犀川と浅野川の二つの川が流れている。浅野川沿いの東山周辺、東の茶屋街(旧東の郭)には江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残る。内部を改装して飲食店などに利用されている家もある。東山ひがし地区と主計町は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。背後にある卯辰山からは市街地から遠く日本海までを見渡すことができる。 一方犀川沿いには、にし茶屋街(旧西の郭)がある。
犀川からほど近い寺町の妙立寺は、内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから「忍者寺」と呼ばれ人気がある。海外のガイドブックにも紹介されている。
この他、2010年10月に東山に移転オープンした安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる。松根城は市の史跡に指定されている。
2004年に開館した金沢21世紀美術館は市街地の中心部に立地し、現代美術をテーマとした展示を行っている。開館1年で地方都市の公立美術館としては驚異的な157万人の入館者を集め、5周年にあたる2009年には累計入館者数700万人を突破し[25]、兼六園と並ぶ新たな観光資源として注目されている。
金沢市の海に面した地域に大野地区は醤油の産地で、今でも醤油蔵が立ち並んでいる。 町並保存地区として独特の風情を楽しむことができる、商業の町である。
近年、台湾を始めとした日本国外からの観光客も増えており、仏ミシュランの2009年3月発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009」では、兼六園が3ツ星、金沢21世紀美術館と長町武家屋敷跡の野村家が2ツ星を獲得している[26]。
行事・イベント
金沢百万石まつりが有名。毎年6月に前田利家の金沢入城を模した行列が街の中を練り歩く。利家役には男性有名人が選ばれている。友禅灯籠流しや百万石踊り流しなどの協賛・関連行事も多く催される。
湯涌地区では、毎年6月30日に氷室開きと呼ばれる藩政期より伝わる伝統行事が行なわれる。
イベントでは、毎年2月初旬に石川県中央公園で行われるフードピア金沢、毎年5月初旬にクラシック音楽祭の楽都いしかわ風と緑の音楽祭(旧ラ・フォル・ジュルネ金沢)、8月には香林坊から武蔵が辻が歩行者天国となる金沢ゆめ街道が開催される。
宗教施設
市内には、神社が330余り、仏教寺院が390余りある。仏教寺院を宗派別に見ると、他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し、寺院全体の半数を超える210寺が立つ。その内の192寺が真宗大谷派である。
神社
- 宇多須神社
- 小坂神社
- 神明宮
- 椿原天満宮
- 安江八幡宮
寺院
教会
その他
名産品
菓子
金沢では加賀藩が茶菓子作りを奨励したため高度な菓子文化が育まれ、京都市や松江市などと並ぶ「日本三大菓子処」として知られてきた。正月に食べる福梅、辻占や、初夏に食べる氷室饅頭、婚姻の際に振舞われる五色生菓子や金花糖などのいわゆる縁起菓子は、菓子文化の成果の一つといえよう。
市内には今でも「森八」、「諸江屋」、「俵屋」、「柴舟小出」、「村上」といった和菓子の老舗が至る所にある。特に森八で作られている長生殿は日本三名菓 の一つである。
日本酒
- 加賀鳶(福光屋)
- 黒帯(福光屋)
- 福正宗(福光屋)
- 日榮(中村酒造)
- 加賀雪梅(中村酒造)
- 加賀鶴(やちや酒造)
海産物
農作物
- せり
- 加賀太きゅうり
- 加賀つるまめ
- ヘタ紫なす
- 加賀れんこん
- 金沢一本太ねぎ
- たけのこ
- 金時草
- 赤ずいき
- くわい
- 金沢春菊
伝統的工芸品
B級グルメ
その他
伝統工芸
金沢市では数多くの伝統産業が継承されている。
- 金沢表具
- 金沢和傘
- 加賀毛針
- 加賀提灯
伝統芸能
- 金沢素囃子(邦楽)
温泉
- 金沢温泉郷
- その他
- 有松温泉
- 石引温泉
- 円光寺温泉
- オータム天然温泉
- 金石温泉
- 金城温泉
- みろく温泉
- 銭がめ温泉
スポーツチーム
- 石川ミリオンスターズ(独立リーグ・BCリーグ) - 本拠地は定めてないが、主たるホーム試合開催野球場として金沢市民野球場を使用している。
- NTT北陸(社会人野球) - 1953年に創部し、1999年に解散。
- ツエーゲン金沢 (Jリーグ)- ホームスタジアムは石川県西部緑地公園陸上競技場。
- 金沢武士団 - バスケットボールクラブ
その他
- 都市景観100選
- 兼六園周辺文化ゾーン地区
- 日本の音風景100選
- 本多の森の蝉時雨
- 寺町寺院群の鐘
- 日本100名城
- 金沢城
- 人と自然が織りなす日本の風景百選
- 金沢の兼六園・雪つり風景
- 若い力(金沢市の市技的な扱いと考えられている)
- カナザワ映画祭(金沢市中心部で開催される映画祭)
金沢市を舞台とした作品
唱歌
- 56.津幡にかえり乗り換えて ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑う町のさま
- 57.名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共に かぞえられたる吾(わが)国の 三公園の其(その)一つ
- 58.柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ
- 59.第九師団も県庁も 皆此(この)町にあつまりて 海の外(ほか)までひびきたる その名物は九谷焼
歌謡曲
テレビドラマ
- 誘惑(TBS・金曜ドラマ、1990年)
- 利家とまつ〜加賀百万石物語〜(NHK・大河ドラマ、2002年)
- 花の恋 〜 花之戀(台湾・民視テレビ、2008年)
- 花嫁のれん(東海テレビ・昼ドラ、2010年・2011年・2014年・2015年)
- 心の糸(NHK名古屋放送局、2010年)
- まれ(NHK・朝ドラ、2015年)
文学
映画・演劇
漫画
アニメ
- センチメンタルジャーニー(第9話 保坂美由紀〜私らしく明日へ〜) (1998年6月10日、テレビ東京)
- .hack//Liminality(Vol.1 .hack//Liminality in case of MINASE,Mai) (2002年6月20日発売、OVA)
- よみがえる空 -RESCUE WINGS- (2006年1月8日 - 3月26日、テレビ東京)
- 電脳コイル (2007年5月12日 - 12月1日、NHK)
- Angel Beats! (2010年4月2日 - 2010年6月26日、TBS)
- 花咲くいろは (2011年4月3日 - 2011年9月25日、P.A.WORKS・花いろ旅館組合)
金沢市出身の有名人
政財界
官界
- 堂道秀明(駐インド大使、駐イラン大使、外務省中東アフリカ局長)
学界
芸術
芸能・マスコミ
- 相川美保(歌手)
- 安宅美春(ミュージシャン)
- 阿部夢梨 (SUPER☆GiRLS)
- 有村美香(TBS元アナウンサー)
- 五十嵐正 (音楽評論家)
- 伊阪達也(俳優)
- 石川雅宗(俳優)
- 井上あずみ(歌手)
- 潮哲也(俳優)
- 大森洋平(シンガーソングライター)
- 鹿賀丈史(俳優)
- 加藤慎一(フジファブリック、ベーシスト)
- 角野達洋(北陸放送アナウンサー)
- 亀井和恵(元NHK金沢放送局キャスター)
- 嘉門洋子(タレント)
- 川田亜子(元TBSアナウンサー)
- 北川和歌子(女優、脚本家)
- こしじまとしこ(capsule、歌手)
- 越村江莉(ローカルタレント)
- 篠井英介(俳優)
- 塩谷瞬(俳優)
- 新谷良子(声優)
- 洲崎綾(声優)
- 高倉美貴(俳優)
- 竹村優香(フリーアナウンサー、元テレビ金沢アナウンサー)
- 渡辺真由子(メディアジャーナリスト)
- 田中美里(俳優)
- 玉津眞砂(元宝塚歌劇団娘役)
- 徳永有美(元テレビ朝日アナウンサー)
- 長田哲也(北陸放送アナウンサー)
- 中田ヤスタカ(capsule、音楽プロデューサー)
- 奈良美也子(元宝塚歌劇団花組男役トップスター、日本舞踊家)
- 西川章久フリーアナウンサー(元北陸放送アナウンサー)
- nishi-ken(作曲家)
- 野崎真助(ドラマー)
- 野崎森男(ベーシスト)
- 能登麻美子(声優)
- 福島彩乃(北陸放送アナウンサー)
- 二木あつ子(ラジオパーソナリティ)
- 保科有里(歌手)
- 前田明日香(ラジオパーソナリティ)
- 松田亜希(フリーアナウンサー、元NHK金沢放送局キャスター、元チューリップテレビアナウンサー)
- 南あずさ(フリーアナウンサー)
- 南佳也(AV男優)
- 森本龍太郎(元Hey! Say! JUMP)
- 矢尾一樹(声優)
- 安田真理(石川テレビ放送アナウンサー)
- 横須賀よしみ(女優)
- 吉田日出子(女優)
- 若林加奈(歌手)
スポーツ
- 井波靖奈(元プロサッカー選手、ジュビロ磐田)
- 炎鵬晃(大相撲力士)
- 大島鎌吉(陸上競技選手、ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト)
- 大ノ川甚太郎(元大相撲力士、元小結)
- 大松尚逸(プロ野球・東京ヤクルトスワローズ内野手)
- 大矢剛功(プロレスラー)
- 笠間雄二(プロ野球・元阪神タイガース捕手)
- 金森栄治(プロ野球・元阪神タイガース他外野手、BCリーグ・元石川ミリオンスターズ監督)
- 北野良栄(プロ野球・元福岡ソフトバンクホークス捕手、競輪選手)
- 北川ひかる(女子サッカー・浦和レッズレディース所属)
- 兼六山鉄太郎(元大相撲力士)
- 越川優(バレーボール選手、パッラヴォーロ・パドヴァ所属)
- 小嶋敬二(競輪選手)
- 小西浩文(登山家)
- 坂井宏朱(オートレース選手)
- 杉林孝法(陸上競技選手)
- 角居勝彦(日本中央競馬会栗東所属調教師)
- 高木貴弘(元プロサッカー選手GK)
- 辻武史(プロ野球・元福岡ソフトバンクホークス外野手)
- 出島武春(元大相撲力士、元大関)
- 高立直哉(大相撲力士)
- 突光力和樹(元大相撲力士)
- 若左倉与吉(元大相撲力士)
- なつみ知香(元女子プロレスラー)
- 中野蘭菜(トランポリン選手、金沢星稜大学在学中)
- 中野紘志(ボート選手、新日鐵住金所属)
- 西川健太郎(プロ野球・元中日ドラゴンズ投手)
- 野村直矢(プロレスラー)
- 橋本晃司(プロサッカー選手、水戸ホーリーホック所属)
- 増田章(空手家)
- 舛田圭太(バドミントン選手)
- 松本薫(女性柔道家)
- 湊川四良兵衞(元大相撲力士)
- 宮國椋丞(プロ野球・読売ジャイアンツ投手、金沢市生まれ、沖縄県糸満市出身)
- 宮地惟友(プロ野球・元国鉄スワローズ投手)
- 村田勝喜(プロ野球・元福岡ダイエーホークス他投手)
- 村松有人(プロ野球・元福岡ソフトバンクホークス外野手)
- 山本省吾(プロ野球・元大阪近鉄バファローズ投手)
- 由田慎太郎(プロ野球・元オリックス・バファローズ外野手)
- 北一真 (プロサッカー選手、元ザスパクサツ群馬GK)
脚注
注釈
出典
- ↑ かなざわ積雪情報
- ↑ “Climate Normals 1961-1990”. アメリカ海洋大気庁. . 2016閲覧.
- ↑ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年、p. 265。「付記」(2008年に記された原論文には記載されていないので注意)
- ↑ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」(初出:『加能史料研究』第20号(2008年)/所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年。ISBN 978-4-86403-207-0。
- ↑ 大西泰正「織豊期前田氏権力の形成と展開」(所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年、pp. 14-16。ISBN 978-4-86403-207-0。
- ↑ 『新井白石全集』(第6巻) p. 673
- ↑ 7.0 7.1 7.2 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その1 藩政期人戸数と人口―」『金沢工業大学研究紀要A』11号、1979年、pp. 125–155。
- ↑ 8.0 8.1 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その2 藩政期武士戸数と人口―」『金沢工業大学研究紀要A』14号、1980年、pp. 145–177。
- ↑ 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その3 戸籍による人口戸籍統計 (明治5年〜大正8年)―」『金沢工業大学研究紀要A』18号、1982年、pp. 99–148
- ↑ 金沢市史編さん委員会『金沢市史 資料編6 近世四 町政と城下』金沢市、2000年。
- ↑ 土屋喬雄, 『封建社会崩壊過程の研究』, 弘文堂, 1927.
- ↑ 12.0 12.1 斎藤誠治「江戸時代の都市人口」『地域開発』9月号、1984年、pp. 48–63
- ↑ 近代デジタルライブラリー 石川県史. 第四編 168-169ページ
- ↑ 2014年8月19日から10月6日までは丸口邦雄副市長が職務代理に就任した。金沢市告示第256号金沢市選挙管理委員会告示第119号
- ↑ “目黒区と友好都市協定を締結”. 金沢市ホームページ. 金沢市. . 2017閲覧.
- ↑ “金沢市と友好交流都市協定に向けての覚書を締結しました”. 目黒区公式ホームページ. 目黒区. . 2017閲覧.
- ↑ 統計局ホームページ/統計でみる市区町村のすがた2011
- ↑ 石川県埋蔵文化財センターの紹介と利用案内. 石川県埋蔵文化財センター
- ↑ 金沢市埋蔵文化財収蔵庫. 金沢市
- ↑ 金沢港-野町駅結ぶ 金沢市、LRTなど4機種検討 /石川
- ↑ 東京・さいたま・群馬〜富山・金沢線. 日本中央バス
- ↑ 22.0 22.1 ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 156–157.
- ↑ “金沢市統計データ集 統計書24年度版”. . 2013閲覧.
- ↑ 『日本の町』丸谷才一、山崎正和、文藝春秋、1987、p12
- ↑ 金沢21世紀美術館、5周年で記念式典-累計入館者数は700万人超に - 金沢経済新聞
- ↑ “日本に関するフランス語の観光ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」2009掲載内容(中部地域抜粋)”. 愛知県. 2009年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
- ↑ “映画「リトル・マエストラ」公式サイト”. 2013年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
参考文献
- ロム・インターナショナル(編) 『道路地図 びっくり!博学知識』 河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005-02-01。ISBN 4-309-49566-4。
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
- その他
- 金沢商工会議所
- 金沢金工の系譜と変容 ジェトロ・アジア経済研究所
- 金沢古蹟志 - 金沢市図書館