サツマイモ
サツマイモ(薩摩芋、学名: Ipomoea batatas)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)、琉球薯(りゅうきゅういも)、とん、はぬす等がある。近縁の植物に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。
英語圏の一部では、サツマイモ「sweet potato」を「Yam」などの別の名前で呼んでいる[3][注釈 1]。ヤム芋を育てていたアフリカ系奴隷が、アメリカで作られた水っぽい「ソフトスイートポテト品種」をヤム芋と似ていたことから「ヤム」と呼ぶようになった。アメリカなどでは本来のヤム芋は輸入食料品店ぐらいにしか置いてないことから、ヤムと表示されていれば「ラベルに注意書き」が無い限り「ソフト」スイートポテトのことである[4][5]。
Contents
概要
花はピンク色でアサガオに似るが、鈍感な短日性であるため本州などの温帯地域では開花しにくく、品種や栽培条件によってまれに開花する程度である。また、花の数が少なく受粉しにくい上に、受粉後の寒さで枯れてしまうことが多いため、品種改良では種子を効率よく採るためにアサガオなど数種類の近縁植物に接木して、台木から送られる養分や植物ホルモン等の働きによって開花を促進する技術が使われる。
1955年(昭和30年)に西山市三がメキシコで祖先に当たる二倍体の野生種を見つけ、イポメア・トリフィーダ (Ipomoea trifida) と名付けたが、後に他の学者達によって中南米が原産地とされた。若い葉と茎を利用する専用の品種もあり、主食や野菜として食用にされる。原産地は南アメリカ大陸、ペルー熱帯地方とされる。大航海時代にイタリアのクリストファー・コロンブスが1498年にベネズエラを訪れて以降、1519年にはポルトガルのフェルディナンド・マゼランがスペイン船隊を率いて南端のマゼラン海峡を発見し、16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人あるいはポルトガル人により東南アジアに導入され、ルソン島(フィリピン)から中国を経て1597年に宮古島へ伝わり、17世紀の初め頃に琉球、九州、その後八丈島、本州と伝わった。アジアにおいては外来植物である。中国(唐)から伝来した由来により、特に九州では唐芋とも呼ばれる場合が多い。
ニュージーランドへは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara) の名称で広く消費されている。西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広く栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。
イギリスではエリザベス朝の頃に、その甘さから好意的に受け入れられた。イギリス人はこの芋をペルーでの塊茎を意味する言葉 batata から patate と呼んだ。18世紀末に甘くないジャガイモ (potato) が一般化するにつれ、サツマイモはsweet potatoと呼ばれるようになった[6]。
栽培
栽培法
サツマイモは繁殖能力が高く窒素固定細菌(クレブシエラ・オキシトーカ (Klebsiella oxytoca)、パントエア・アグロメランス (Pantoea agglomerans))など[7][8]との共生により窒素固定が行えるため痩せた土地でも育つ。従って、初心者でも比較的育てやすく、江戸時代以降飢饉対策として広く栽培されている。数枚の葉が付いたツル(茎)を土に挿すという形で定植し[注釈 2]、不定根を発生させる。その後、不定根が十分に肥大したところで収穫する方法が一般的である(種から発芽させる方法もあるが、アサガオのようにつるを伸ばして生長するためイモはあまり取れない)。農家では前年に収穫した種芋を加温して、その種芋から伸びたツルを切り取って苗とする。家庭菜園程度であれば春に園芸店やホームセンターなどでツルを購入して栽培するのが簡単である。
春に苗を植え付け、晩夏から秋にかけて収穫する(暖地の場合)。また、肥料(特に窒素肥料)を多く与えて葉や茎が育ちすぎると、過剰成長して根の品質(外見・味)が下がる。また、極端な場合では光合成で作られた栄養が茎や葉の成長に浪費されるため、芋の収穫量が減る。サツマイモは痩せた土地でも育つので、前作で野菜が良く採れた場合、初心者は全く肥料を与えないで栽培する方が安全である。苗が植物ウイルスに感染すると収量低下を起こすため、ウイルスフリー苗が利用されることもある[9][10]。
以下は特殊な栽培法についての説明である。
- 乾燥地ではツル苗の活着率が悪いため、種芋を直接または種芋を適当な大きさに分割して、ジャガイモのように圃場に直接植えつける(直播)こともある。栽培の省力化を目論んで種芋直播用農機具の技術開発が行われている[11]。
- 希少品種などの極少量の種芋から多くの苗を得ることを目的に種芋を輪切りにして、その切断面から不定芽を出させる方法もある。
- 開花しやすい系統では種子(真性種子)から栽培されるものもある。遺伝的なバラツキが大きいが、種芋と比べて種苗の維持管理が簡単なため、劣悪な環境での栽培や救荒作物として期待されている。
病害虫
- 病気
- 害虫
沖縄県全域、奄美群島、トカラ列島、小笠原諸島ではイモゾウムシ[12]、サツマイモノメイガ[13]による被害が問題となっているが、根絶に向け不妊虫放飼法による対策も行われている[14]。
品種
- ベニアズマ、ベニコマチ、紅赤(べにあか)、金時などの品種がある。でんぷん原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)など。
- シモンイモ - 南アメリカ原産の白甘藷(英語:Ipomoea batatas)は日本では「シモン芋」とも呼ばれる。
- 天然着色料の原料としても使用される品種[15]
産地
世界
国際連合食糧農業機関 (FAO) が発表した統計資料によると、2008年(平成20年)の全世界における生産量は1億605万トンであり、主食にするイモ類ではジャガイモ(同3億2556万トン)、キャッサバ(同2億3246万トン)に次ぐ。生産地域は中国に極端に集中しており、その大部分は酒類等への加工用である。日本の生産量は101.1万トン。
- 中国 80,522,926トン (75.9%)
- ナイジェリア 3,318,000トン (3.1%)
- ウガンダ 2,707,000トン (2.6%)
- インドネシア 1,876,944トン (1.8%)
- ベトナム 1,323,900トン (1.2%)
- タンザニア 1,322,000トン (1.2%)
- インド 1,094,000トン (1.0%)
- 日本 1,011,000トン (0.95%)
- ケニア 894,781トン (0.84%)
- マダガスカル 890,000トン (0.84%)
日本
- 日本における主産地
鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国のトップ5県。この内、上位4県で全国の8割を占め、とりわけ鹿児島県は全国の生産量約81万トンの4割弱を産する[16]。同県ではデンプン原料用としての作付けも多い。産地の偏在にはいくつか理由がある。まず、サツマイモの栽培に適した水はけの良い火山灰を含んだ土地が鹿児島に広がっていること。また、サツマイモは地上に実を付けないため、比較的風害にも強く、台風がしばしばやってくる鹿児島では、風害に強い点が他の作物よりも有利だったこともある。
- ブランド産地
日本国内間の検疫
植物防疫法の定めにより、イモゾウムシやサツマイモノメイガなどの害虫の拡散を防ぐため国内間でも検疫が行われ[17]、沖縄県全域、奄美群島、トカラ列島、小笠原諸島からは、サツマイモやグンバイヒルガオ等のヒルガオ科植物の生茎葉および生塊根等の持ち出しは規制されている[18]。個人の手荷物程度の量であれば、所定の方法で事前に申請すれば移動規制地域から持ち出すことができる。ただし、蒸気で消毒を行う蒸熱処理を行うため、その施設がない地域からの持ち出しはできない[19]。加工品にはこのような制限はない。
現地の港および空港に、これらの注意を促す掲示やポスターがあるので、当地を訪問の際には参照されたい。
日本列島における栽培史
- サツマイモがフィリピンから中国に伝来したのが1594年である。同年、宮古島の村役人、長真氏旨屋(砂川親雲上旨屋)が首里王府への帰途に逆風で中国に漂着し、1597年に中国を出発したが今度は九州に流れ着き、それからようやく帰島した。この時に宮古島へ苗を持ち帰ったのが日本最初の伝来となる。旨屋は栽培の普及に努め、島では主食となるほどに広まった。死後はンーヌ主(芋の神様)として御獄に祀られている。ただし伝承の考察から、実際には1618年ではないかという推測もある。宮古島から沖縄本島へは伝播しなかった。沖縄では1612年の与那国島、1694年の石垣島など、それぞれの島ごとに中国から、本島とは関係なくばらばらに伝来し、その島内では急速に普及が図られるものの、他の島へ伝えるのは消極的だった。2013年現在、宮古島の大座御嶽にて甘藷(イモ)の神が祭られている[20]。
- 1604年、当時の琉球王国(現在の沖縄県)沖縄本島に伝わる。明への進貢船の事務職長(総管)であった野國総管(与那覇 松)という人物が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。種子島や本土に伝来したのはこちらの系統である。
- 1698年(元禄11年)3月、種子島に伝わる。領主種子島久基(種子島氏第19代当主、栖林公)は救荒作物として甘藷に関心を寄せ、琉球の尚貞王より甘藷一籠の寄贈を受けて家臣西村時乗に栽培法の研修を命じた。これを大瀬休左衛門が下石寺において試作し、栽培に成功したという。西之表市下石寺神社下に「日本甘藷栽培初地之碑」が建つ[21]。
- 1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川郷岡児ケ水村の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩で栽培されるようになった。前田利右衛門を祀る徳光神社には「さつまいも発祥の地」とする碑が建てられている。
- 1711年、薩摩を訪れた下見吉十郎が薩摩藩領内からの持ち出し禁止とされていたサツマイモを持ち出し、故郷の伊予国瀬戸内海の大三島での栽培を開始した。
- 1715年(正徳5年)、対馬の郷士の原田三郎右衛門が、薩摩国からサツマイモの種イモを持ち帰った。対馬国の地は全島の9割近くが山地であり、耕作面積が非常に狭いため、武士階級でも山野の食物を採集して食べていたほど食糧生産事情が悪かったが、サツマイモの普及によりこれが解消した。現地では「孝行イモ」とも呼ばれる。また、サツマイモを非常に手間をかけて加工し、「せん」と呼ばれる保存食を製造していた。この「せん」から対馬独特の団子やちまき、さらに「ろくべえ」と呼ばれる麺を作る。
- 1732年、享保の大飢饉により瀬戸内海を中心に西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥った。伊予国大三島の周辺では餓死者が全く出ず、これによりサツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。
- また、石見銀山では代官であった井戸正明が年貢の減免、年貢米の放出、官金や私財の投入などを行う一方、大森地区(島根県大田市)の栄泉寺で、薩摩国の僧である泰永から甘藷が救荒作物として適しているという話を聞き、種芋を移入。その年に種付けを試みたが、種付けの時期が遅かったことなどもあって期待通りの成果は得られなかった。しかしながら、邇摩郡福光村(現・大田市温泉津町福光)の老農であった松浦屋与兵衛が収穫に成功。その後、サツマイモは石見地方を中心に救荒作物として栽培されるようになり、多くの領民を救った。この功績により、井戸正明は領民たちから「芋代官」あるいは「芋殿様」と称えられ、今日まで顕彰されるに至っている。
- 八代将軍・徳川吉宗の当時、儒学者として知られていた青木昆陽が、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直により町奉行・大岡忠相に推挙され、幕府の書物を自由に閲覧できるようになった。昆陽は同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。
- 1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の馬加村(現千葉市花見川区幕張町)、上総の九十九里浜の不動堂村(現:九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、東日本にも広く普及するようになる。
- ただしサツマイモの普及イコール甘藷先生(青木昆陽)の手柄、とするには異説もあるが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実である。
- 近世後期において、九州、四国を中心とした日本の西南地域ではサツマイモの日常食材化が進み、人口増加率も全国平均を大きく上回っている。風害や干害に強く人口支持力の高いサツマイモは、コメの売却で利益を得る藩にとっても都合の良い作物だった[22]。
- 幕末から明治期には現在もサツマイモで名高い川越の赤沢仁兵衛が実験・研究し、まとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が増加した。
食
主に塊茎(芋)の部位が利用される。また、葉や茎も食用にでき、これらは主に炒めものや、佃煮、かき揚げなどの天ぷら素材などにして利用される。
栄養価
デンプンが豊富で、エネルギー源として適している。また、ビタミンCや食物繊維を多く含み、加熱してもビタミンCが壊れにくいという特長がある。しかし、タンパク質の割合が低いなどの理由で、サツマイモばかり食べていると、カロリーベースでは身体を支えることができても、栄養失調(特にタンパク質の欠乏)に陥るという欠点も併せ持っている。
単位面積当たりのカロリーベース収量は、コメを上回る[23]が、この地方テンプレート:どこにおいてサツマイモがコメに取って代わって主食の座につけなかったのは、コメと比べて保存性に劣るために長距離の運搬にも向かないことなどの理由の他に、栄養面(特にタンパク質)でコメに比べて不利であったことも理由となっている[23]。ただし薩摩藩ではサツマイモの栽培を通じて、当時は不毛の地であったシラス台地の開発を進め、タンパク質の含有量に優れるダイズや食用油の原料であるアブラナなど栽培の多角化に成功した。また、琉球王国や薩摩藩は日本の他地域と異なり、18世紀頃から豚肉食が盛んであったため、上記のようなサツマイモの欠点を補うことができたと考えられる。
調理法
60℃程度で長時間加熱すると、デンプンを糖化する酵素が働いて甘味が増す。石焼き芋やふかし芋はこの性質により甘味を最大限引き出す調理法である。また天ぷら、スイートポテトや大学芋、栗金団、スナック菓子、干し芋などに加工されることが多い。生のまま日光に晒しておくことにより、より甘味度が増す。灰汁(ポリフェノール)が多いので、切ったらすぐに水に晒す。
葉や茎(硬い紫色の蔓の部分ではなく、葉に直接つながっている柔らかい緑色の葉柄の部分=いわゆる芋ツル)は、若くても、育っていても、食べられる。中国や台湾では、普通に食べられている葉野菜である。
ポピュラーな調理法は、ニンニクを炒めた油で葉や茎をよく炒め(サツマイモの葉や茎は少し苦味(アク)があるので炒め物に向いている)、塩(+出汁)で味付けする。
茎は(筋がある場合は)皮を剥いて、フキのように用いることができる。下茹でしてアクを抜いて、煮物や佃煮や混ぜご飯にするなど。きんぴら炒めや天ぷらにしてもよい。
食中毒
害虫の食害やフザリウム(Fusarium)属のカビからの防御物質(ファイトアレキシン)として苦味のあるフラノテルペン類のイポメアマロン (iopmeamarone)、イポメアニン (ipomeanine) やイポメアノール (ipomeanol) 類を生合成する。この病変は、甘藷黒斑病と呼ばれイモは黒緑色から黒色に変色する[24]。イポメアマロンなどの生成物には哺乳類の肝臓および肺への毒性があり、肺の重度出血、間質性肺気腫、肺水腫等の症状を引き起こし家畜での中毒死事例が報告されることがある。したがって、人の食用及び家畜の飼料としては使用できない。また、この苦味物質は焼酎に加工した場合でも、蒸発して焼酎に移行する。
原料・飼料としての利用
デンプン
サツマイモからはデンプンを取ることができる。このデンプンは、春雨や水飴などの原料となる。また、沖縄県ではサツマイモから取ったデンプンがイムクジ(芋くず)という名前で市販されており、生産量が少なく高価な葛粉の代用品として使われている。家庭でもくず餅やジーマーミ豆腐など料理の凝固、とろみ付けに使用される。
焼酎
サツマイモは焼酎の原料としても利用され、サツマイモを主原料とした焼酎を芋焼酎といい[注釈 3]、主に鹿児島県及び宮崎県を中心に製造されている。デンプンを糖化するための麹原料としても、米と共に芋が使用される。
鹿児島では江戸時代から芋焼酎が作られており、法律によって自家醸造が禁止されるまでは、広く家庭で作られていた[25]。よって、鹿児島では「味のよい焼酎を煮れる女が立派な主婦」などといわれていた[26]。当時の作り方は、サツマイモを蒸してから臼で潰し、それに加水して2〜5日放置し、そこに黄麹を加えて攪拌して放置して作った醪を、ツブロ式蒸留器で蒸留するというものだった[25]。
なお、2000年代には焼酎ブームによりサツマイモ不足に陥った。また、中小建設業者が多角化の一環としてコガネセンガン(黄金千貫)の栽培に取り組む例もみられる。
原料イモの品種
食用としても広く消費されるベニアズマや紫芋の1種でアヤムラサキ、焼酎専用品種のジョイホワイトなど様々な品種が使用されており、耐病性、単位面積あたりの収穫量、デンプンの含有率、貯蔵性を良くすることに主眼が置かれた品種改良が行われている。
- 農林2号 1970年(昭和45年)頃まで中心品種として栽培されていた。
- コガネセンガン 1966年(昭和41年)に命名登録され1967年(昭和42年)より用いられ1980年(昭和55年)過ぎまでは中心品種として栽培された。これは、農林2号よりデンプンの含有率が高く1株当たりの収量が1.5倍であったことによる。
- シロサツマ - 1985年(昭和60年)頃から。収穫後も傷みにくい。
- シロユタカ - 1985年(昭和60年)頃から。耐病性があり高デンプン含有率。
このほかにも多種の品種が使用される。
飼料
サツマイモは、飼料として家畜に与えられることもある。ブタにサツマイモを与えることを義務付けているブランド豚肉もある。そうして育てる千葉県産「いも豚」は、獣臭さが少なく、脂が甘く食べると口溶けが良いことが特徴である[27]。かごしま黒豚の定義では、肥育後期に飼料含量あたり20%のサツマイモを与えるよう定めている。
燃料
痩せ地での栽培に適し、デンプンを多く含むサツマイモは、しばしバイオエタノールの原料として注目されることがある。第二次世界大戦中の日本では、不足する航空機用燃料のためにバイオエタノールの製造が研究された[28]。現代においても、環境志向の高まりと将来起こるであろう化石燃料の不足に備えて、研究が進められている[29]。
文化
- 石焼き芋
- 石焼き芋の屋台は秋から冬にかけての風物詩。「いしやあーきぃいも〜」という特徴のある呼び声や、地域によってはピョーという独特の笛の音を響かせて街を巡る。この笛は芋を焼く窯に取り付けられており、排ガスの圧力で鳴る仕組みになっている。
- 八里半(はちりはん)
- 焼き芋(または蒸し芋)の異称。味が栗(くり=九里)に近く美味しいという意味で八里半[30]。石焼き芋などサツマイモ食品を売る店が看板に用いた[30]。
- 九里四里(くりより)うまい十三里(または十三里半)、十三里
- 栗(九里)より(四里)うまいと、サツマイモ(特に川越いも)の美味しさを称えた言葉[31]。
- 十三里は江戸時代、サツマイモの名産地で知られた川越市(埼玉県)が江戸から川越街道を通り、約十三里 (52km) の距離であったことに因み[31][32]、距離的概念の十三里と九里+四里を足して十三里 (9+4=13) を引っかけ、洒落を利かせている[33]。
- 現在では各地で販売するサツマイモ食品の宣伝文句や商品名に活用されている[34]。愛媛県の佐田岬半島地域でも、佐田岬半島の長さが約十三里であることから「栗よりうまい十三里」という。同半島は火山灰の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。
- 九里四里うまいを略し、『十三里』でサツマイモ、サツマイモ食品の異称にもなっている[35]。
- いきなり団子(いきなりだんご、いきなりだご)
- 熊本県の郷土料理、郷土菓子。輪切りにしたサツマイモと餡(小豆あん)を餅(ねりもち)、または小麦粉を練って平たく伸ばした生地で包み、蒸した食品。見た目は大福にも似ている。
- ねりくり(ねったぼ、からいも餅)
- 鹿児島県から宮崎県南部で食される、茹でた餅と蒸したサツマイモを合わせて作る芋餅の一種。家庭料理としては、正月に余って硬くなった餅や水餅などを使って作られ、食べる時にはきな粉をまぶして食する。奄美群島では小正月の餅花を利用してひっきゃげ、ひっちゃきとする。
- かんころ餅(甘古呂餅)
- 長崎県特産のサツマイモを薄く輪切りにし、湯がいて天日で干し上げもち米と蒸して搗き合わせ、お餅に仕上げたもの。かつてもち米の貴重だった時代にその量を増やすために作られ、冬の間の貴重な保存食でもあった。長崎県の崎戸島、大島、五島などの島々では今でも各家庭の伝統として伝わっている。
- 芋掘り
- 秋、サツマイモの「芋掘り」を観光農園などで体験することができる。サツマイモは収穫しやすく、探り掘りの楽しみもある上、掘った後の調理も比較的簡単であるので、学校行事等で芋掘りを行うことも多い。幼稚園・保育所などでは、秋の行事として定着している所も少なくない。収穫したイモを園庭で焼き芋にして食べる園もある。
- 芋堀をテーマとする本
-
- 『ねずみのいもほり』 ISBN 4-89325-199-6
- 『さつまのおいも』 ISBN 4-494-00563-0
- 『おおきなおおきなおいも』 ISBN 4-8340-0360-4
- 丸十
- サツマイモは、日本料理の献立に「丸十(まるじゅう)」と書かれることがある。これは、薩摩藩島津氏の家紋が丸に十字であることが由来だとされている。マルジュという地域もある[36]。
- 芋版(いもばん)
- サツマイモなどの芋を輪切りにし、その断面に図や文を彫って印刷する簡易な凸版印刷術。児童教育にも用いられる。
- さつまいもの日 - 10月13日
- サツマイモの旬が10月であることと、川越いも(サツマイモの一種)と埼玉県川越市に由来する言葉「九里四里(くりより)うまい十三里」の13里を合わせて、同市の市民グループ『川越いも友の会』が記念日に制定した[32]。
- いもづる式
- 犯罪捜査で1人の容疑者に捜査が及んだのをきっかけに次々と関連する容疑者に捜査が及ぶこと、科学で1つの事実が明らかになったのをきっかけに次々と関連する事実が明らかになることなど、1つのものを端緒にして関連のものに次々にたやすく手が及ぶことをいう。芋が地下茎によってつながっており、1つの芋を掘り出せば残りの芋もつる(地下茎)を頼りにたやすく見つけることができる様子から来た言葉である。
- ただし、サツマイモの芋は地下茎ではなく塊根である。塊根のもととなる不定根は地表を這っている茎の葉の付け根から出ている。よってサツマイモを探すのに地下茎をたどる必要はなく、正確にはつるは地上か地表近くにある。地下茎が膨らんで食用の芋となる植物としてはジャガイモが代表的。
- 芋を引く
- 芋を収穫するときに後ずさりすることから転じて怯むこと。主として仁侠の世界の人間が使うことが多い。
出典
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注釈
参考文献
- 徳永和喜 『歴史寸描「種子島の史跡」』 和田書店、1983年。
関連項目
- 芋
- 青木昆陽 - 墓所がある目黒不動では毎年命日に「甘藷祭り」が開かれる。
- 昆陽神社 - 青木昆陽が「芋神様」として祀られている。
- シラス - サツマイモは南九州の、他の作物に不向きなシラス台地でよく栽培される。
- 焼酎 - サツマイモは芋焼酎の原料。
- ジャガイモ
- 里芋