野口遵
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野口 遵(のぐち したがう、したごう[1]、通称:じゅん[2]、1873年7月26日 - 1944年1月15日)
実業家。昭和初期に勃興した新興財閥日窒コンツェルンの総帥。 1896年東京帝国大学電気工学科卒業後,1906年藤山常一らとともに曾木電気創立。その余剰電力を用いてカーバイド製造に着手し,日本カーバイド商会設立。 08年ドイツに渡りフランク=カロ式石灰窒素製造法の特許権を買収,前2社を合併して日本窒素肥料を設立,10年日本最初の硫安製造に成功。さらに第1次世界大戦中に再び渡欧し,試作段階にあったカザーレ式アンモニア合成法の特許権を買収,空中窒素固定法に成功し,23年延岡に日本最初のアンモニア合成工場を建設して事業化した。さらにこのアンモニアを利用して人絹工業に進出,31年には延岡アンモニア絹糸を設立,以後日本窒素肥料も工業薬品,火薬,鉱山など関連事業に次々と進出し総合化学会社へ発展させた。また安価な電力を求めて朝鮮に進出し,発電所建設,窒素肥料工場建設などを進め,大化学工業コンビナートづくりに努力,37年頃には日本,朝鮮にまたがる多数の企業集団日窒コンツェルンを形成した。
外部リンク
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- ↑ 日窒コンツェルン創始者の野口遵さんの名前の読み方を知りたい レファレンス協同データベース