偕楽園
偕楽園(かいらくえん)は、日本の茨城県水戸市にある日本庭園である。国の史跡及び名勝に指定されており(指定名称は「常磐公園」)、隣接する千波湖周辺の拡張部を含めた「偕楽園公園」は、都市公園としてニューヨークのセントラルパークに次ぎ世界第2位の面積を持つ[1][2][3][4][5]。また伝統的に、岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで日本三名園の一つに数えられてきた。現在、茨城県営の都市公園(広域公園)水戸県立自然公園(弘道館公園、偕楽園、千波湖を含む)として管理・運営されている[6]。
文化庁認定日本遺産"近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―"のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つでもある。[7][8]。
Contents
概説
偕楽園には、拡張部を含めない本園部分だけで100種3000本のウメ(梅)が植えられている[9]。園内には梅の異名「好文木」に由来する別荘好文亭[10]があるが、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に基づいている。弘道館は偕楽園と一対の施設であり、同じく梅の名所である。
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は、1833年(天保4年)藩内一巡後、水戸の千波湖に臨む七面山を切り開き、回遊式庭園とする構想を持った。同じく彼の設立した藩校弘道館で文武を学ぶ藩士の余暇休養の場へ供すると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、この巨大な大名庭園は斉昭自らにより「偕楽園」と名づけられた。偕楽とは中国古典である『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節から援用したもので、斉昭の揮毫『偕楽園記』では「是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり」と述べられている[11]。水戸学へ帰着する斉昭の愛民精神によりこの庭園は、江戸時代当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた[12]。伝統を受け継ぎ、いまなお偕楽園は日本三名園のうちで唯一、入園無料である(ただし、前述の好文亭を利用する場合は有料)。
偕楽園では毎年2月下旬から3月下旬に、水戸の梅まつりが開催される。水戸の梅まつりは、2016年時点で120回開催された。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする夜梅祭や茶会など、種々様々な催し物が行われる。また園内で4月には水戸の桜まつり、5月には水戸のつつじまつり、9月には水戸の萩まつりが行われる。偕楽園公園を含め8月には水戸黄門まつりが行われる。関連の観光大使として茨城県水戸市により水戸の梅大使が毎年選出されている。
また、毎年6月第2土・日に梅の実を偕楽園公園センターで頒布する。[13][14][15] ただし、平成28年は不作だったため、6月11日土曜日のみの頒布となる予定。[16] なお、頒布価格は平成26年は300円/1.5kg・袋(1人2袋まで)、平成27年は300円/1.5kg・袋(1人3袋まで)、平成28年は200円/1kg・袋(1人1袋のみ)
広さは偕楽園部単体で約58haうち本園が約13haあったが、茨城県は平成11年(1999年)7月、隣接する千波湖を含む千波公園及び緑地帯とあわせて園の名称を「偕楽園公園」とする構想を発表、面積の合計を300haに拡張した[17]。
略史
- 1829年(文政12年):10月17日、徳川斉昭、第9代藩主となる。
- 1833年(天保4)4月~5月:斉昭は藩内を一巡後、常磐町 (水戸市)の高台、七面山と称した地に回遊式庭園を設けることを決定。
- 1839年(天保10年)5月:『偕楽園記』(園創設の趣旨と経過)成る。
- 1841年(天保12年)4月:建設着手。
- 1842年(天保13年)7月1日:偕楽園開園[18]。
- 1873年(明治6年)7月30日:太政官布達第16号で公園地の指定を受け、「常磐公園」と命名(現・茨城県の管理)。
- 1874年(明治7年)5月12日:園の一部(1.1ha)に常磐神社を創建。
- 1890年(明治23年)10月:昭憲皇太后行啓の際御成門を造り、園路を開き記念植樹(御幸の松)をする。
- 1892年(明治25年):水戸市の管理に移る。
- 1902年(明治35年):大正天皇が皇太子の時、好文亭梅の間へ宿泊する。
- 1912年(大正元年)10月25日:昭和天皇が皇太子の時、学習院生徒として来園、好文亭前に松を手植えする。
- 1920年(大正9年)4月1日:再び県の管理となる。
- 1922年(大正11年)3月8日:常磐公園の名で国の史跡及び名勝に指定される(史跡名勝天然記念物保存法)。管理団体は茨城県。
- 1932年(昭和7年)2月11日:偕楽園と旧称に復す。
- 1945年(昭和20年):好文亭が水戸空襲で焼失(1958年復元)。
- 1948年(昭和23年)4月19日:都市公園となり、偕楽園公園と称す。
- 1957年(昭和32年)6月6日:園名を偕楽園、と再度改称(都市公園の設置及び管理条例により創園時の名称に復す)。
- 1963年(昭和38年)3月:見晴らし広場に左近の桜植樹(左近の桜については水戸弘道館を参照)。
- 1968年(昭和43年)10月20日:テーマパーク施設『偕楽園レイクランド』がオープン。
- 1969年(昭和44年):好文亭が落雷で再度焼失(1972年に復元)。前年(1968年)に避雷針の予算要求が認められなかった直後であった。
- 1974年(昭和49年)10月20日:第29回国民体育大会に際し、昭和天皇・香淳皇后行幸。
- 1982年(昭和57年)1月10日:『偕楽園レイクランド』が閉園。
- 1988年(昭和63年)3月31日:公園区域が拡張され、15.7haから22.3haへ拡大される[19]。
- 1993年(平成5年)4月22日:秋篠宮文仁親王・同妃好文亭に来亭。
- 1999年(平成11年)7月1日:園辺の緑地を合わせた呼び名を偕楽園公園と称し、300haの公園構想を発表。
- 2001年(平成13年)11月12日:かおり風景100選(環境省)に認定される。
- 2006年(平成18年):第1回夜梅祭開催。
- 2007年(平成19年)9月28日:水戸藩の学問・教育遺産群の一部として世界遺産の暫定リストに入るべく、文化庁に提案。
- 2011年(平成23年)
- 3月12日:前日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で園内が崩落の恐れ・液状化現象・地盤沈下、好文亭の土壁破損等の被害が発生。そのため、3月12日以降の当面の閉園、梅まつり・夜梅祭後夜祭の中止を発表。
- 4月29日:梅園・吐玉泉等に限り部分開園(被害が発生した好文亭等は立入禁止)。
- 8月29日:見晴らし広場の開園区域拡張。
- 12月1日:震災で被害を受けた箇所の復旧工事が進められ、本園拡張部が完了。好文亭は梅まつりまでに開館と発表。
- 2012年(平成24年)
- 1月1日:震災で被害を受けた箇所の復旧工事が進められ、南崖部分の開園を開始。
- 2月7日:好文亭が復旧し、震災からおよそ11か月で全面復旧。
- 2015年(平成27年)
- 4月24日:文化庁が日本遺産"近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―"のストーリーを構成する水戸市内の文化財の一つとして認定したことを発表。
陰陽の世界
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗りであることから黒門とも呼ばれている[20]。表門から園内に入り、一の木戸と呼ばれる門を潜ると、偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)やスギ(杉)の鬱蒼した林の中を進む道が続いている[20][21]。この道に沿って東へと進み、幾つかの門を経由して好文亭へと至ると風景が一転し、千波湖を一望する高台に位置する、明るく華やかな一面の梅林へと到着する[21]。
好文亭付近には、偕楽園創設の趣旨を記した石碑『偕楽園記の碑』があり、自然界の陰と陽の調和についての説明がある。偕楽園は西半分に位置する杉や竹の林が陰の世界を、北東の梅林が陽の世界を表すことで、園全体で陰陽の世界を体現しているともいわれ、表門から入ってこそ園の設計に沿った、偕楽園本来の魅力を堪能することができるのだと解釈する説もある[21]。
一方、現代においては、表門は偕楽園駅や主要な駐車場から遠く離れており、この門から入園する観光客は少ない。現在は梅林へと直接通じる東門が主要な出入り口として利用されている[20]。
交通アクセス
- 水戸駅(JR常磐線、水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)より路線バス。バスの運行会社によりバス停の位置が異なる。
- JR常磐線土浦駅、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX線)つくば駅より高速バス
- 東京駅八重洲南口4番乗り場より高速バス
- 大阪駅・京都駅より夜行高速バス
- 名古屋駅より夜行高速バス
- 名古屋 - つくば・水戸・勝田・日立線(茨城交通) - 日立駅中央口行きで「大工町」バス停下車。徒歩10分。
- JR常磐線偕楽園駅(臨時駅[22]。梅まつり期間中の土日祝のみ開設され、下りホームのみ設置され、水戸方面行きの列車のみ停車する。東京・小山方面行きの列車は全列車通過する。)から徒歩5分。
- 茨城空港より路線バス
- 関鉄グリーンバス - 水戸駅行きで「偕楽園入口」又は「常磐神社入口・神崎寺前」バス停下車。徒歩5分
園内施設と画像
好文亭
好文亭 | |
---|---|
情報 | |
用途 | 多目的施設 |
設計者 | 徳川斉昭 |
延床面積 | 381.05 m² |
階数 | 3 |
高さ | 8.01m |
エレベーター数 | 1 |
着工 | 1841年3月11日 |
竣工 | 1842年7月1日 |
開館開所 | 1842年7月 |
所在地 |
〒〒310-0033 茨城県水戸市常磐町1丁目3−3 |
座標 | 東経140度27分9秒北緯36.37417度 東経140.4525度 |
好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された水戸偕楽園内の施設。設計は二度の改定をうけ、当初平屋建ての構造だったものから木造二層三階建てに拡張されている。完成後、偕楽園内での居所、休憩所・敬老会・宴会など各種催しに利用された。偕楽園開園後も少しずつ手が加えられ、水戸城下柵町の中御殿の建物を移築増築し規模を拡大した他、1869年(明治2年)には奥御殿の一部を増築している。1873年(明治6年)12月に太政官布告により、庭園及び建物は常磐公園とされたが、その際には管理上の都合で一部縮小された。その後、大正元年に東宮行啓の際に、当初はなかった玄関が設置された。
藩主の居所としてではなく庶民とともに利用することを目的とした広い濡縁の間、飲食の類を三階まで運搬するために木製滑車を利用した昇降機の設置、物見引き手と称する建具連動式障子、色紙・短冊・懐紙を用いた板戸、漢詩作詞用に辞書としての韻字を書いた板戸など工夫をこらした建物であり、玄関がないことなどを含め徳川斉昭の進取の気質が見てとれる。
1945年(昭和20年)の水戸空襲で大部分が焼失[23]。1955年(昭和30年)から創建時の状態を出来るだけ復元する方向で再建工事が開始され1958年(昭和33年)に完成した[24]。ふすま絵の大部分は須田珙中と教え子の田中青坪によって復元されたものである[23]。1969年には落雷によって奥御殿が全焼したものの、ふすま絵は運び出され焼失を免れた[23]。2016年から3年をかけ、ふすま絵全96面の大規模修復工事が行われている[23]。
- Kairaku-en Kobuntei view form extension ground.jpg
偕楽園公園(拡張部)から見た好文亭
- 好文亭扁額.JPG
「好文亭」の扁額
- 好文亭配膳用昇降機滑車.JPG
配膳用昇降機の木製滑車
- 好文亭待合.JPG
待合の外観
- 待合.JPG
待合の内部
偕楽園本園
- 偕楽園記碑
- 1839年(天保10年)、偕楽園の本格的な造園工事に先立って建てられた石碑で、好文亭の東側に位置する。偕楽園の創設者である徳川斉昭自身の作った漢文が刻まれている。表側には偕楽園創設の趣旨が、裏側には園内での当時の禁止事項、『禁條』(裏側)が記されている[25]。
- 仙奕台(せんえきだい)
- 好文亭の近くにある見晴らしの良い高台であり、偕楽園が整備される際に人々が囲碁や将棋をする憩いの場として設けられた。現在も石に碁盤の目を刻んだ将棋盤、碁盤が残されている。
- 「奕」とは囲碁を打つことを意味する。
- 平時は憩いの場として利用していたが、南を中心に広い展望を有していたため、有事の際には砲台として水戸城を守る要害の一部として利用することも考慮されていた[26]。
- 僊湖暮雪碑
- 水戸八景のひとつ僊湖暮雪(せんこのぼせつ)を記念して建てられた石碑。僊湖とは千波湖のことで、千波湖の夕暮れ時の雪景色を表している。水戸八景は徳川斉昭が領内の景勝地8箇所を選定したもの[27][28]。
- 暁鐘
- 水戸高等学校 (旧制)の寮の名称が「暁鐘寮」と命名されたことにより、その象徴として1935年(昭和10年)5月に建設された[29]。1943年(昭和18年)6月には、戦時中の金属供出により献納することとなり、「暁鐘歓送式」が執り行われた[30]。現在のものは、開校50年祭に鋳造され茨城県立歴史館に保存されていたものを、開校60年祭記念事業として偕楽園に復元したものである[31]。
- 南崖の洞くつ
- 第2代藩主光圀から第9代藩主斉昭にかけて、笠原水道の岩樋などに使用された神崎岩という岩を採掘した跡の一つ[32]。周囲にも類似の洞くつが複数見られ、洞くつの奥行は約50m、幅が約5~6mで総延長150mにも及び左右の枝洞も複雑になっている[33]。明治末期頃には住民が涼をとるために利用したり、太平洋戦争の末期には軍用ドラム缶の貯蔵庫としても利用されていた[34]。
- 吐玉泉
- 偕楽園の表門から大杉森、孟宗竹林を抜けた南西の崖下にある。約50㎡の空間に寒水石(大理石)で作られた湧水施設である。この場所は、造園以前から杉の巨木の下に湧水があり、大田敬恵が寒水石の井筒を設計したと言われている[35]。
- 御幸の松
- 1890年(明治23年)10月、明治天皇・皇后の行幸を記念して植樹されたもの。[36]
- 左近の桜
- 見晴広場の中央に植えてあるヤマザクラ。1831年(天保2年)に有栖川宮熾仁親王の王女登美宮吉子女王が徳川斉昭に嫁ぐ際、仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜わった。江戸小石川の上屋敷に植えられたが、1841年(天保12年)に弘道館が落成するにあたり弘道館正庁前に移植された。この桜は1957年(昭和32年)に枯れてしまったが、1962年(昭和37年)弘道館の改修工事が完了したのを記念して、茨城県が宮内庁より京都御所の育樹していた樹齢7年、高さ数メートルの樹を弘道館及び偕楽園にそれぞれ植えられた[37]。
- 孟宗竹林
- 表門付近の坂道沿いにある数千本におよぶ竹林である。孟宗竹は弓の材料に適していることから、徳川斉昭が1843年(天保14年)に京都の在京役に命じて男山八幡から輸送させて植えた[38]。その際には、竹を京都の土のついたまま運び、似た土の土地に植えるよう指示した[39]。
- 太郎杉
- 幹周囲約4.5m、推定樹齢250年の杉である[40]。
- 水戸の六名木
- 1930年(昭和9年)5月、園内の品種から特に優れているものを6品種選定[41]。
- 烈公梅(れっこうばい) - 徳川斉昭を記念して命名。薄紅色で花弁は卵型に近い。花期2月下旬~3月上旬。
- 柳川技垂(やながわしだれ) - 一層淡紅で花はやや小さめ。花期3月上旬。
- 虎の尾(とらのお) - 白色八重咲。蕾は淡紅色で開花すると白色になる。花期2月下旬。
- 浪速(しろなにわ) - 白色八重咲で花は中型。花期3月上旬。
- 月影(つきかげ) - 白色一重咲で花は大型。花期2月中旬。
- 江南所無(こうなんしょむ) - 深紅の八重咲で花は大型。花期3月中旬。
- 宮城野萩
- 見晴らし広場の周囲に植えられている。仙台から取り寄せ植えたと伝えられている[38]。
- 藤棚
- 約40平方mに枝が広がる藤棚である。樹齢200年以上と見られている[38]。
- 観梅碑
- 向学立志の像
- 子規の句碑
- 崖急に梅ことごとく斜めなり
- 笹の叢
- 二名匠の碑
- 菁莪遺徳の碑
- 茨城百景の碑
- Kairaku-en plum tree forest.jpg
本園内の北東側に広がる梅林
- Kairaku-en south garden.jpg
本園南面の崖下側にある庭園
- Togyakusen (a natural spring in Kairakuen).JPG
吐玉泉
- Taro-Sugi (the tallest cedar in Kairakuen).JPG
太郎杉
- Senekidai (Kairakuen).JPG
仙奕台
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水戸八景のひとつ僊湖暮雪碑
- 偕楽園記碑.JPG
偕楽園記碑
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観梅碑
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正岡子規の句碑
- 偕楽園ニ名匠碑.JPG
ニ名匠の碑
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菁莪遺徳の碑
常磐神社(元偕楽園本園の一部)
- 常磐神社
- 常磐神社義烈館
- 東湖神社
- 三木神社
拡張部(偕楽園公園)
- 桜山
- 桜山は常磐線を挟んで好文亭や梅林等を擁する本園の反対側にある山である[42]。桜山は面積25,871m2(7,837坪)の円丘をしており、一面の芝生に山桜の古木が多くある。これは徳川斉昭が偕楽園造成の際、この丘に多種多様の桜を植え、桜山と命名したことにちなむ。なお、斉昭は当初この地に偕楽園を造成しようとしたが、地辺狭小のため現在の地に本園を造成したという。また桜山の中央部には茨城県護国神社が鎮座し、幕末から第二次世界大戦までの茨城県関係の戦没者が合祀されている[43]。
- 丸山
- 丸山は常磐線を挟んで本園の反対側、桜山の東側に、茨城県護国神社の石鳥居の前にある2,092m2(634坪)の小さな丘である。徳川光圀が丸山の上に陶淵明の像を安置し淵明堂という小堂を建立した。現在はその地に丸山淵明堂跡と記された石碑が立っている[44][45]。
- もみじ谷
- 玉龍泉(ぎょくりゅうせん)
- 田鶴鳴(たづなき)梅林
- 猩々(しょうじょう)梅林
- 窈窕(ようちょう)梅林
- 月池
- 桜川
- 風の鼓動
- 四季の原
- 螢谷
- 茨城県立歴史館
- Kairaku-en Park extension ground.jpg
本園から見た偕楽園公園の拡張部
千波公園(広義での偕楽園公園の一部)
- 千波湖
- 徳川斉昭公七郎麻呂(慶喜公)像
- 徳川光圀公像
- さくら広場
- 大噴水、小噴水
姉妹公園
1992年、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡ローランドハイツ市のシャバラム地域公園 (Peter F. Schabarum Regional Park) と姉妹公園になった[18]。シャバラム地域公園には250本の梅の木と115本の桜の木が植えられており[46]、桜祭りなどのイベントも行われている[47]。
脚注
- ↑ 水戸市、2014年3月閲覧。
- ↑ 観光茨城、2014年3月閲覧。
- ↑ 茨城県立歴史観、2014年3月閲覧。
- ↑ 常磐神社社務所、2014年3月閲覧。
- ↑ 水戸観光協会、2014年3月閲覧。
- ↑ 茨城県県営都市公園一覧
- ↑ “文化庁報道資料 2015年4月24日「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果及びロゴマークの発表”. . 2016閲覧.
- ↑ “文化庁ホームページ/日本遺産/近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―”. . 2016閲覧.
- ↑ “本園”. 偕楽園 茨城県営都市公園オフィシャルサイト. 水戸土木事務所 偕楽園公園課. . 2014閲覧.
- ↑ 現在、偕楽園と川を挟んで相対する水戸市白雲岡の地に徳川斉昭は最初に園を造ろうとしたが、狭かったため梅園の代わりに数百本の桜樹を植え、休息所としてもうひとつ一遊亭を建てた。この故事は水戸市の地名桜山の由来となり、2014年現在一遊亭跡が残っている。
- ↑ 偕楽園記、2014年3月閲覧。
- ↑ 武士以外の者の入園について、初め神官、修験、僧侶など宗教関係者に限られていたが、次第に庶民一般にも及んだ。また、他国の者の入園は許可されていなかった。偕楽園、2014年3月閲覧。
- ↑ 2016年6月9日閲覧
- ↑ 2016年6月9日閲覧
- ↑ 2016年6月9日閲覧
- ↑ 2016年6月9日閲覧
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「aimin
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 18.0 18.1 “歴史とあらまし”. 茨城県営都市公園オフィシャルウェブサイト 梅の芳香と歴史の景勝地 偕楽園. 茨城県土木部都市局公園街路課 (2009年). . 2010閲覧.
- ↑ “都市公園の区域の変更(昭和63年3月24日 茨城県公告) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7640号: p.12-14, (1988年3月24日)
- ↑ 20.0 20.1 20.2 “本園”. 茨城県営都市公園オフィシャルウェブサイト 梅の芳香と歴史の景勝地 偕楽園. 茨城県土木部都市局公園街路課 (2009年). . 2010閲覧.
- ↑ 21.0 21.1 21.2 “偕楽園の歩き方”. 水戸・千波湖ホームページ. 水戸市公園緑地課千波湖管理室. . 2014閲覧.
- ↑ “偕楽園 梅まつりで臨時駅開設”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年2月23日). オリジナルの2013年2月24日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ 23.0 23.1 23.2 23.3 “水戸・好文亭のふすま絵 文化財修復、市民が参加”. 茨城新聞. (2017年10月10日) . 2017閲覧.
- ↑ 茨城県 『史跡名勝常磐公園内好文亭及び庭園復元工事報告書』 茨城県、1961年、1-8。
- ↑ 「藝文風土記 身近な名園を楽しむ 水戸・偕楽園の魅力を探る」、『常陽藝文』NO.82、財団法人常陽藝文センター、1990年12月。
- ↑ 近世日本の学問・教育と水戸藩Ⅲ―世界遺産暫定一覧表記載資産候補「近世の教育資産」に係る平成23年度調査・研究報告書―』 水戸市教育委員会 2012年1月
- ↑ 『榎戸庄衛石版画集(解説)』 茨城新聞社、1971年。
- ↑ 但野正弘 『史跡めぐり 水戸八景碑』 錦正社、1997年。
- ↑ 『水戸高等学校史』 水戸高等学校同窓会、1982年、171-172。
- ↑ 『時乾坤に移ろひて水戸高等学校・写真集』 水戸高等学校同窓会、1989年。
- ↑ 『時乾坤に移ろひて水戸高等学校・写真集』 水戸高等学校同窓会、1989年。
- ↑ 『笠原水道 第6次・10次・11次発掘調査報告書』 水戸市教育委員会、2010年。
- ↑ 『博学紀行 茨城県』 市川正巳、福武書店、1984年。
- ↑ 『水府異聞』 網代茂、新いばらきタイムス社、1989年。
- ↑ 関孤円 『弘道館と偕楽園』 茨城県観光協会、1962年。
- ↑ 水戸観光同好会 『史蹟と名所 偕楽園公園』1951年。
- ↑ 『偕楽園歳時記』 暁印書館、1978年。
- ↑ 38.0 38.1 38.2 関 孤圓 『水戸の心』 川又書店刊、1969年、179-192。
- ↑ 松崎 睦生 『偕楽園歳時記』 株式会社暁印書館、1978年。
- ↑ ひたち巨樹の会 『茨城の巨樹』 筑波書林、1991年。
- ↑ 茨城県 『偕楽園の現況調査報告書』1979年、223-225。
- ↑ 永井博「偕楽園の領域 -徳川斉昭の「庭園構想」-」、『茨城県立歴史館報』第41巻、茨城県立歴史館、2014年3月、 61-72頁、 NAID 40020022497。
- ↑ (1962) 弘道館と偕楽園. 茨城県観光協会.
- ↑ “偕楽園公園ガイド”. 水戸市みとの魅力発信課. . 2015閲覧.
- ↑ (1962) 弘道館と偕楽園. 茨城県観光協会.
- ↑ 大山真理 (2008年5月2日). “乗馬レッスンや無料コンサートが楽しめるロサンゼルスの公園”. 海外旅行情報 エイビーロード. . 2014閲覧.
- ↑ “Events”. Schabarum Regional Park Support Foundation. . 2014閲覧.
関連項目
外部リンク
- 偕楽園オフィシャルサイト
- 水戸黄門ホームページ(常磐神社社務所)
- 社団法人水戸観光協会
- 国指定文化財等データベース