加賀国
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加賀国(かがのくに)
現在の石川県の南半部。北陸道の一国。上国。もと賀我,江沼の国造が支配。初め越前国に属したが,弘仁 14 (823) 年独立して一国となった。国府,国分寺ともに小松市古府町。『延喜式』には江沼 (えぬま) ,能美 (のみ) ,加賀 (かか) ,石川 (いしかは) の4郡がみえ,『和名抄』には郷 30,田1万 3766町余を記載。白山比咩 (しらやまひめ) 神社は『延喜式』神名帳に登載され,『文徳実録』『三代実録』にも叙位の記事がある古社で,当国の一宮として白山に鎮座する。鎌倉時代には守護として比企氏と北条氏一門が任じられ,室町時代には富樫氏が守護。長享2 (1488) 年には急激に勢力を増強した真宗教団の一向一揆に攻撃され,ついに守護富樫政親は討死にし,以来,一向宗徒は 100年に近い期間,加賀の国を支配した。天正8 (1580) 年,織田信長は一向宗徒の勢力を鎮圧し,その後は前田氏,丹羽氏の領有が続いた。豊臣秀吉は前田利家を当国に封じ,以来,江戸時代を通じて前田氏が領有。なお,加賀藩は表高 102万 5000石であったが,内高は 120万石以上といわれ,これは外様 (とざま) 大名でありながら江戸藩府諸大名のなかで最高の石高であった。明治4 (1871) 年の廃藩置県では,7月に金沢県と大聖寺県とになったが,同年 11月には金沢県と七尾県に変り,さらに同5年に合併して石川県となる。