能登国
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能登国(のとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。
Contents
沿革
養老2年(718年)5月2日に越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して成立した。天平13年(741年)12月10日に越中国に併合された[1]が、天平宝字元年(757年)に再び分立した。
また、天元3年(980年)、『和名抄』の編纂で有名な源順が能登国守として赴任している。
能登郡の名称は後に鹿島郡へと改められた。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り[2](275,361石余)。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。
- 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
- 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[3]。
- 明治4年
- 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
領域
明治維新の直前の領域は現在以下のようになっている。太字の自治体及び郡は全域が、通常体は一部が国土にあたる。
国内の施設
国府
源順の『和名抄』には「能登国国府在能登郡」とあり、現在の七尾市古府の総社の付近か府中町にあったと推定されている。発掘調査はまだなされていない。
国分寺・国分尼寺
- 能登国分寺跡 (七尾市国分町) - 国の史跡。
- 国分僧寺は、新たに創建されたものではなく、飛鳥時代後期(700年頃)に創建された大興寺を承和10年(843年)に国分寺としたものである。国分寺跡には建物の基壇や柱跡が表示され、南門と塀が復元されている。
神社
- 総社 能登国総社 (能登国魂神社とも、七尾市古府) - 源順が能登守の時代、大穴持命を祀っていた神社に国内の有力神社43社の神を勧請・合祀し、現存する。
- 一宮 気多大社
- 二宮 伊須流岐比古神社または天日陰比咩神社
地域
郡
国司
能登守
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- ?~1336年 - 吉見頼為?
- 1336年 - 吉見頼顕
- 1337年~1346年 - 吉見頼隆
- 1348年~? - 吉見氏頼
- 1349年~1351年 - 桃井盛義?
- 1352年~1379年 - 吉見氏頼
- 1379年~1391年 - 本庄宗成
- 1391年~1406年 - 畠山基国
- 1406年~1432年 - 畠山満則
- 1432年~? - 畠山義忠
- 1478年~1497年 - 畠山義統
- 1497年~1500年 - 畠山義元
- 1500年~1506年 - 畠山慶致
- 1506年~1515年 - 畠山義元
- 1515年~1542年 - 畠山義総
- 1543年~1551年 - 畠山義続
- 1551年~1565年 - 畠山義綱
- 1565年~1574年 - 畠山義隆
武家官位としての能登守
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 17 石川県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
典拠レコード: