北島三郎
北島三郎 | |
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基本情報 | |
出生名 | 大野 穣(おおの みのる) |
別名 | サブちゃん、親父、原譲二(作詞・作曲時のペンネーム) |
生誕 | 1936年10月4日(88歳) |
出身地 | 日本 北海道上磯郡知内村(現・知内町) |
学歴 | 東京声専音楽学校卒業 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 演歌歌手、シンガーソングライター、俳優、馬主 |
担当楽器 | 歌、ギター |
活動期間 | 1962年 - |
レーベル | 日本クラウン |
事務所 |
新栄プロダクション (1962年 - 1972年) 北島音楽事務所 (1972年 - ) |
共同作業者 | 山本譲二、松原のぶえ、小金沢昇司ほか |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年(昭和11年)10月4日 - )は、日本の演歌歌手、俳優、作詞家、作曲家、馬主。
『函館の女』に始まる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズなど、数多くのヒット曲がある。
一般にはサブちゃんという愛称で呼ばれているが、原 譲二(はら じょうじ)のペンネームでも知られ、自身の楽曲の作詞・作曲ばかりでなく自身の舞台のシナリオ・演出や、北島ファミリーはじめ、他の演歌歌手への楽曲提供等、マルチな活動を精力的に行っている。
作曲家・船村徹門下出身で、門下生で作る「船村徹同門会」(会長・鳥羽一郎)では名誉相談役を務める[1]。
Contents
来歴
デビューまで
北海道上磯郡知内村(現:知内町)出身。北海道函館西高等学校に進学した。高校時代、海で溺れた小学生を救助したという逸話がある(この人命救助の件は当時の函館新聞にも掲載され、その記事が函館市の北島三郎記念館に飾られている)。高校在学中に函館で開催された『NHKのど自慢』に出場する。この時、鐘は2つだったが、司会の宮田輝から「良い声して学生さんですか?お上手でしたのにねえ…」と優しく声をかけられた事で、「歌やれば歌手の道あるかな?」と思う様になり、結局それが歌手への目覚めの第一歩になったという[2][3]。
1954年、17歳で高校を中退後、東京の親族を頼って上京し、当初は東京声専音楽学校(1989年、昭和音楽芸術学院に改称。2007年閉校)に入学。しかし歌謡曲志向であった為、渋谷を拠点に流しの仕事をしながらデビューを目指す。この頃に北島が当時都内で下宿していたアパートの大家の娘であった雅子(後の北島音楽事務所社長→副会長)と結婚。1959年11月30日、挙式。北島がレコードデビューする約3年前の挙式だった。式に出席したのは両家合わせて21人だけだった。北島は定収がなく、夫人の両親から結婚を反対されたと後に語っている。
1960年、流しの収入は3曲100円だったが、ある日羽振りの良い客が1000円を出してくれた。礼を言い1曲歌うと翌日に新橋の喫茶店に呼び出された。その相手は北島の評判を聞きつけた日本コロムビアの芸能部長で、この時、喫茶店で引き合わされたのが作曲家、船村徹だった。この時の事を振り返り北島は「こういうちょっとした出会いなんだけど、僅かな出会いが人生で物凄い出会いになってくる」と語っている[2]。これを契機に船村門下となり、レッスンの日々となる。
1961年、ある日のレッスン前、船村から「今日から他の歌はいいからこの歌を歌え、この歌を勉強しろ。」と譜面を渡される。これが後に最初のヒット曲となった『なみだ船』だった。この年には既にレコーディングも行われ、その場で船村から紹介されたのが新栄プロダクションの社長、西川幸男だった[4]。また、この年にはギター漫才『ゲルピンちん太ぽん太』の“ぽん太”として漫才コンビでのステージも経験している。これは歌の師匠である船村が中々デビューのチャンスを得られない北島にステージ度胸を付けさせる為、自ら台本を書き、もう1人の弟子とコンビを組ませ、知り合いの興行師に頼み込んで仕込んだ事で、東北地方の1か月興行の前座芸人として機会を与えられた。が、3日ほどで「使い物にならない」と帰され、ギャラは一切貰え無かったという[5]。ロカビリー全盛のこの頃、正統派の演歌・歌謡曲の新人は中々需要が無く、船村自身「あんなに(売り込みに)苦労した弟子は他には居なかった。」と述べている[6]。
デビュー
1962年、新栄プロの先輩歌手、村田英雄の「王将」のヒット記念パーティーで歌手としての初舞台を踏む[7]。この年の3月には"呼びやすさ・親しみやすさ先行"で「北海道(北の島)生まれの三郎」という由来のもとに北島三郎と命名、デビューが決定する。ただ、当時の芸能界で、「既婚の新人歌手」は有り得なかった為、プロフィール上は独身とした。
同年6月5日、日本コロムビアから「ブンガチャ節」(作詞・星野哲郎、作曲・船村徹)でデビューしたがこの第一弾は不発に終わった。北島はレコーディングを済ませていた『なみだ船』を予想していたが、その予想は完全に覆された。「ブンガチャ節」は渋谷等の繁華街で流しが歌っていた春歌(猥歌)の歌詞を変えて売り出したもので、発売から1週間で放送禁止となった[8](歌詞の中の"キュッキュキュ〜"との合いの手が「ベッドが軋む音」を連想させ卑猥だからという俗説もある)。北島自身は「テレビに3回出たら、放送禁止になっちゃった。」と語っている[2]。しかし1963年の千葉真一主演映画『やくざの歌』に出演した際に、ギターの弾き語りで「ブンガチャ節」を披露している。8月20日に急遽発売となったセカンド・シングル「なみだ船」がヒット(公称でミリオンセラー[9])し、出世作となる。
1963年の秋、日本クラウンの設立と同時に同社へ移籍。クラウンレコード第一回新譜に、美空ひばり[10]らと共に名を連ねる。また、この年紅白歌合戦に初出場。この年、長男が誕生。これを週刊誌にスクープされた事と、事務所社長・西川の勧めもあり、妻子の存在を公表する[11]。
人気確立
1965年、この年の4月に「兄弟仁義」と「帰ろかな」、そして11月に「函館の女」と、この年リリースしたうちの3曲が大ヒットし、演歌歌手としての人気を確立。『兄弟仁義』は東映で映画化され自らも出演。これも大ヒットし、シリーズ化され、主演映画スターとしても活躍するようになる。
1972年10月9日、デビューから10年間所属した新栄プロダクションから独立し、北島音楽事務所を設立。
1978年、「与作」(NHK『あなたのメロディー』で公募)は千昌夫(ミノルフォンレコード)との競作[12]となったが、親しみやすい歌詞とゆったりした曲調でヒットし、ファン層を拡大する事に成功。
1980年代以降、『腹が丈夫』であった事をシャレにして自ら名づけたペンネーム・原譲二[13]を用いて自ら作詞や作曲、演出を手がけた事が多くなってゆく。
1985年8月、飛行機に特設ステージを設け、機内コンサートを開催。尚、飛行機内での本格的コンサートは世界初。
1986年12月、広域暴力団稲川会の新年会に出席していたことが静岡県警の捜査で明らかになり、決定していた第37回NHK紅白歌合戦への出場を辞退する[14][15]。初出場から勇退までの半世紀で、不出場となったのはこの年のみ。
演歌の大御所として
1989年4月21日、1月8日の改元により制定された元号「平成」にちなんだ楽曲「平成音頭」を発表。約16万枚を売り上げた[16]。
1997年7月、北海道寿都町のイメージソング「風のロマン/弁慶岬」を発売、9月には演歌初のCDエクストラとなる「出逢い」を発売する。
1998年、テレビアニメの主題歌(NHK『おじゃる丸』主題歌「詠人(うたびと)」を歌う等、新しいジャンルへも挑戦。
2006年10月4日、古希と『芸道45周年』を祝うパーティーの席上、一番弟子で北島ファミリーの「長男」ともいうべき山本譲二を2007年に「暖簾分け」の形で独立させることと、音楽事務所の社長を妻・雅子から長男・龍に交代させる事を発表し、周囲を驚かせた。尚、北島は「今後も山本を支援し続ける事に変わりは無い」と明言している[17]。そうした動きの一方で、同月15日に発売した「あの日時代」がオリコン演歌・歌謡チャート(注・シングルチャートではない)で、最高位1位を記録(同チャート1位の史上最高齢記録を更新)[18]。
2009年、デジタル放送推進協会の「日本全国"地デジで元気!"」キャンペーンのキャンペーンソングとして「地デジで元気!音頭」を作曲し(原譲二名義)自ら歌った[19]。翌年6月、総務省から地上デジタルテレビ放送への対応を呼びかける「地デジ化応援隊」のメンバー6人の内の一人に選ばれた[20]。
2010年3月4日、放送文化の向上に功績のあった人物を表彰する「第61回日本放送協会 放送文化賞」受賞が決定[21][22]。3月29日には「北島三郎 特別公演」の名古屋・御園座公演千秋楽で「座長公演4000回」の大記録を樹立した。又、結婚50周年を迎えるこの年の1月、シングル『夫婦一生』をリリースしオリコンチャート10位を獲得、10万枚を売上げた。ソロでは73歳3ヶ月でのシングル・アルバムチャート共に10位以内の獲得は史上最年長での記録である。2010年10月には同曲が日本レコード協会のゴールドディスク認定を受け、日本におけるゴールドディスクの史上最年長記録を更新した[23]。
2011年2月22日、第32回松尾芸能賞・大賞を受賞[24]。3月29日、授賞式が行われた[25]。同年“芸道50周年”を記念する「北島三郎 特別公演」が東京(日生劇場)、福岡(博多座)、名古屋(御園座)、大阪(新歌舞伎座)の4大劇場で上演され、芝居では人気の高かった演目『清水の暴れん坊』を10年振りに再演。75歳にして清水次郎長と森の石松の2役に挑んだ[23]。
2013年、第64回NHK紅白歌合戦で史上初の50回出場を達成するが、この回限りでの勇退を宣言[26]。渋谷の日本クラウン本社で異例の記者会見が行われた[27]。当日のステージは、史上初めて、紅白両軍の正規のトリの後にステージを設けられ、史上最多の13回目のトリで『まつり』を披露、半世紀の紅白出演を締めた[28]。
2014年7月20日、実弟で北島音楽事務所常務取締役だった大野拓克が肝臓がんの為67歳で死去。この2か月前から体調を崩して入院加療を続けており、臨終の際には北島も立ち会った。24日の通夜、25日の告別式では施主を務めた[29]。
同年9月23日、明治座で行われた『北島三郎最終公演』夜の部で、通算公演回数4500回を達成。明治座での歌手の座長公演としては国内最多となる[30]。因みに最終公演の演出担当には7月に死去した弟・大野拓克も名を連ねていた[31]。
2015年1月の福岡・博多座公演をもって、座長公演からも退いた。通算公演数は4578回に達した。[32][33]。
8月8日、NHK『思い出のメロディー』で司会を担当。当時の年齢が78歳であり、これは番組最年長司会となっている。
同年9月14日、頸椎症性脊髄症の為22日に予定されていたコンサートの延期を発表[35]。8月下旬に自宅の風呂場で転倒して持病の頸椎の痛みを悪化させ、9月12日に手術を受けていた事を、11月14日に明らかにした[36]。
シングル
タイトル | 発売日 | 収録曲 | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 備考 | |
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1 | ブンガチャ節 | 1962年 | ブンガチャ節 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | 発売から1週間で放送禁止となった曲。 |
泣き虫横丁 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
2 | なみだ船 | 1962年6月5日 | なみだ船 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | 第4回日本レコード大賞新人賞受賞。 |
バイバイ波止場 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
3 | 東京は船着場 | 1962年 | なみだ船 | 高野公男 | 船村徹 | 船村徹 | |
ギター船 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
4 | さよなら船 | 1962年 | さよなら船 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | |
雨だれぼったん | 野村俊夫 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
5 | 演歌師 | 1963年 | 演歌師 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | 映画『やくざの歌』主題歌 |
あの頃の唄 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
6 | 亜矢子の唄 | 1963年 | 亜矢子の唄 | 西沢爽 | 船村徹 | 船村徹 | c/wは「愛のうず潮」(歌:島倉千代子) |
7 | 男の灯り | 1963年 | 男の灯り | 石本美由起 | 上原げんと | 上原げんと | このシングルよりステレオ盤 |
そうだろ節 | 星野哲郎 | 上原げんと | 上原げんと | ||||
8 | 男の友情 | 1963年 | 男の灯り | 高野公男 | 船村徹 | 船村徹 | 青木光一のカバー |
なくな夜からす | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
9 | ギター仁義 | 1963年 | ギター仁義 | 嵯峨哲平 | 遠藤実 | 遠藤実 | |
ジャンスカ節 | 遠藤実 | 遠藤実 | 遠藤実 | ||||
10 | 東京五輪音頭 | 1963年 | 東京五輪音頭 | 宮田隆 | 古賀政男 | 古賀政男 | 畠山みどりとのデュエット、8社競作。 c/wは「海をこえて友よきたれ」 (歌:藤原良・高石かつ枝・コロムビア合唱団) |
11 | 銀座の庄助さん | 1963年 | 銀座の庄助さん | 三宅辰美 | いづみゆたか[37] | いづみゆたか | クラウンレコード移籍第1弾。レコード番号CW-2[10] |
遠き灯り | 結城隆磨 | いづみゆたか | いづみゆたか | ||||
12 | ソーラン仁義 | 1964年 | ソーラン仁義 | 畔田耕吉 | 成田武夫 | 福田正 | |
ギター泣け泣け | 稲葉爽秋 | 木村孤童 | 福田正 | ||||
13 | 喧嘩辰 | 1964年 | 喧嘩辰 | 有近朱実 | 関野幾生 | 福田正 | |
がんす横丁 | 英玲二 | 関野幾生 | 萩敏郎 | ||||
14 | 三郎太鼓 | 1964年 | 三郎太鼓 | 有近朱実 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
田舎へ帰れよ | 有田めぐむ | 中村貞夫 | 福田正 | ||||
15 | 男の情炎 | 1964年 | 男の情炎 | 英玲二 | 関野幾生 | 福田正 | |
残侠の唄 | 八反ふじを | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
16 | あばよ東京 | 1964年 | あばよ東京 | 太刀戸要 | 継正信 | 継正信 | |
艶歌船 | 松坂直美 | 継正信 | 継正信 | ||||
17 | スポーツ音頭 | 1965年 | スポーツ音頭 | 乗田正美 | 米山正夫 | 米山正夫 | c/wは「スパット リンリン」(歌:守屋浩、高石かつ枝) |
18 | 兄弟仁義 | 1965年3月10日 | 兄弟仁義 | 星野哲郎 | 北原じゅん | 福田正 | 東映映画「兄弟仁義」主題歌 |
つらい恋だよ | 八反ふじを | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
19 | 帰ろかな | 1965年4月20日 | 帰ろかな | 永六輔 | 中村八大 | 中村八大 | NHK「夢であいましょう」昭和39年12月の歌 |
誰も | 永六輔 | 中村八大 | 中村二大[38] | NHK「夢であいましょう」昭和38年12月の歌 | |||
20 | 度胸船 | 1965年 | 度胸船 | 星野哲郎 | 関野幾生 | 福田正 | |
男の涙 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
21 | 喧嘩花火 | 1965年 | 喧嘩花火 | 南沢純三 | 関野幾生 | 福田正 | |
男の涙 | |||||||
22 | 浪人独り旅 | 1965年 | 浪人独り旅 | 結束信二 | 阿部皓哉 | 阿部皓哉 | NET系『素浪人 月影兵庫』主題歌 c/wは「あと追い笠」(歌:大川ひろみ) |
23 | 函館の女 | 1965年11月10日 | 函館の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
北海道恋物語 | 南沢純三 | 関野幾生 | 中村貞夫 | ||||
24 | 男の歌 | 1966年 | 男の歌 | 永六輔 | 中村八大 | 中村八大 | |
恋のカクテル | |||||||
25 | 勝負師 | 1966年 | 勝負師 | 星野哲郎 | 中村貞夫 | 萩敏郎 | |
風雪月花 | |||||||
26 | 青雲五人男 | 1966年 | 青雲五人男 | 良池まもる | 島津伸男 | 島津伸男 | NTV系『青雲五人の男』主題歌 |
男子有情 | 南沢純三 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
27 | ド根性大将 | 1966年 | ド根性大将 | 良池まもる | 池田耕造 | 池田耕造 | 松竹映画『ド根性大将』主題歌 |
やあ しばらく | 星野哲郎 | 中村順範 | 福田正 | ||||
28 | 裸一貫 | 1966年 | 裸一貫 | 八反ふじを | 島津伸男 | 島津伸男 | |
次郎柿ヤイ | 佐々木貢 | 中村貞夫 | 中村貞夫 | ||||
29 | 尾道の女 | 1966年 | 尾道の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
泣くな男だ | |||||||
30 | 野良の大将 | 1966年 | 野良の大将 | 馬杉実 | 中村八大 | 中村八大 | |
男だろ | 比良九郎 | 北原じゅん | 福田正 | ||||
31 | さよならだって明日がある | 1967年 | さよならだって明日がある | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
さよなら妹よ | |||||||
32 | 博多の女 | 1967年 | 博多の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | 北島にとって初のオリコンランクイン作品となった。 |
からすとゆりの花 | |||||||
33 | 関東流れ唄 | 1967年 | 関東流れ唄 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | 東映映画『関東命知らず』主題歌 |
男人情花 | 星野哲郎 | 関野幾生 | 萩敏郎 | ||||
34 | 男の一本道 | 1967年 | 男の一本道 | 星野哲郎 | 安藤実親 | 安藤実親 | |
風雪の唄 | |||||||
35 | 薩摩の女 | 1968年 | 薩摩の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
霧島エレジー | 水沢圭吾 | 関野幾生 | 小杉仁三 | ||||
36 | 男の潮路 | 1968年 | 男の潮路 | 相川のぼる | 桜井稔 | 福田正 | |
越路の町に赤い灯がともる | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
37 | 伊予の女 | 1968年 | 伊予の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
西海旅情 | |||||||
38 | 伊勢の女 | 1968年 | 伊勢の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
さすらい花 | |||||||
39 | 浪人まかり通る | 1969年 | 浪人まかり通る | 結束信二 | 阿部皓哉 | 阿部皓哉 | NET系『素浪人 花山大吉』主題歌 c/wは「風来坊笠」(歌:品川隆二) |
40 | 仁義 | 1969年 | 仁義 | 星野哲郎 | 中村千里 | 重松岩雄 | 売上42.6万枚・週間8位はともにオリコンの自己記録である。 |
さいはての宿 | 八反ふじを | 中村千里 | 植原道雄 | ||||
41 | 加賀の女 | 1969年 | 加賀の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
加賀かっちり | |||||||
42 | 花と狼 | 1969年 | 加賀の女 | 奥野椰子夫 | 関野幾生 | 重松岩雄 | フジテレビ系『花と狼』主題歌 |
おれの夜明け | 水沢圭吾 | 関野幾生 | 清水路雄 | ||||
43 | 盃 | 1970年 | 盃 | 星野哲郎 | 中村千里 | 重松岩雄 | |
夢恋酒 | |||||||
44 | 俺がやらなきゃ誰がやる | 1970年5月1日 | 俺がやらなきゃ誰がやる | 八反ふじを | 島津伸男 | 島津伸男 | 朝日放送『てなもんや二刀流』主題歌 |
さすらい者 | 中山大三郎 | 前田利明 | 重松岩雄 | ||||
45 | 伊豆の女 | 1970年 | 伊豆の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
城ケ崎ブルース | 星野哲郎 | 関野幾生 | 関野幾生 | ||||
46 | 誠 | 1970年 | 誠 | 星野哲郎 | 中村千里 | 清水路雄 | 歌手生活10周年記念曲 |
やってこな | |||||||
47 | なごやの女 | 1971年 | なごやの女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 重松岩雄 | |
親父の拳 | 南沢純三 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
48 | 任侠 | 1971年 | 任侠 | 水城一狼 | 水城一狼 | 牧一雄 | |
男の道 | 原譲二 | 原譲二 | 牧一雄 | ||||
49 | 男の未練 | 1971年 | 男の未練 | 八反ふじを | 中村千里 | 岩代浩一 | |
花と命 | 星野哲郎 | 中村千里 | 岩代浩一 | ||||
50 | 渡り鳥いつ帰る | 1971年 | 渡り鳥いつ帰る | 阿久悠 | 猪俣公章 | 小杉仁三 | |
肩に二月の雪が舞う | 阿久悠 | 猪俣公章 | 猪俣公章 | ||||
51 | 波止場 | 1972年 | 波止場 | 星野哲郎 | 市川昭介 | 成田征英 | |
あばよ | 星野哲郎 | 市川昭介 | 市川昭介 | ||||
52 | 沖縄の女 | 1972年 | 沖縄の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 清水路雄 | |
島の乙女(みやらび) | 南沢純三 | 前田利明 | 清水路雄 | ||||
53 | 冬の宿 | 1972年 | 冬の宿 | 星野哲郎 | 紫しずか | 栗田俊夫 | |
別れの子守唄 | 梶野三郎 | 野々卓也 | 池田孝 | ||||
54 | 宿なしの唄 | 1973年 | 宿なしの唄 | 原譲二 | 原譲二 | 福田正 | |
君にあげようふるさとを | 中山大三郎 | 山路進一 | 清水路雄 | ||||
55 | 木曽の女 | 1973年 | 木曽の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
男泣き | 星野哲郎 | 一の木優 | 湯野カオル | ||||
56 | 夕焼け三度笠 | 1973年 | 夕焼け三度笠 | 原譲二 | 原譲二 | 池多孝春 | |
居酒屋 | 石坂まさを | 高木勇次 | 池多孝春 | ||||
57 | 寒流 | 1974年 | 寒流 | 星野哲郎 | 福田マチ | 栗田俊夫 | |
道 | 山田孝雄 | 原譲二 | 中村八大 | ||||
58 | ふたり旅 | 1974年 | ふたり旅 | 花田典子 星野哲郎 (補作詞) |
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かっぱ音頭 | 星野哲郎 | 市川昭介 | あかのたちお | ||||
59 | みちのくの女 | 1974年 | みちのくの女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
乗換駅 | 南沢純三 | 関野幾夫 | 清水路雄 | ||||
60 | 祝 | 1974年 | 祝 | 関沢新一 | 関野幾夫 | 重松岩雄 | |
一騎打 | |||||||
61 | いのち | 1975年 | いのち | 星野哲郎 | 島津伸男 | 清水路雄 | |
男で死ぬ | 田畑しげき | 大門勝 | 清水路雄 | ||||
62 | さよなら | 1975年 | さよなら | 原譲二 | 原譲二 | 青木望 | |
長崎は呼んでいる | 星野哲郎 | 中村千里 | 小山恭弘 | ||||
63 | 残雪 | 1975年 | 残雪 | 西郷たけし | 大野一二三 | 安藤実親 | |
わかれ話 | 原譲二 | 一の木優 | 池多孝春 | ||||
64 | お嫁に行っていいんだよ | 1976年 | お嫁に行っていいんだよ | 野本高平 | 四方章人 | 青木望 | |
離愁 | 星野哲郎 | 新井利昌 | 原田良一 | ||||
65 | 歩 | 1976年 | 歩 | 関沢新一 | 安藤実親 | 安藤実親 | |
一騎打 | 関沢新一 | 関野幾夫 | 重松岩雄 | 「祝」B面の再カップリング | |||
66 | 丼池人生 | 1976年 | 丼池人生 | 梅林貴久生 | 島津伸男 | 島津伸男 | NHK『丼池太閤記』主題歌 |
ジャンパー酒場 | 松井由利夫 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
67 | 海峡ブルース | 1977年 | 海峡ブルース | 星野哲郎 | 新井利昌 | 小杉仁三 | |
霧 | |||||||
68 | 終着駅は始発駅 | 1977年 | 終着駅は始発駅 | 佐東たどる 星野哲郎 (補作詞) |
中村千里 | 池多千春 | 月刊平凡「北島三郎のうたう歌」歌詩募集 入選作 |
ふるさと | 星野哲郎 | 中村千里 | 安形和巳 | ||||
69 | 与作 | 1978年3月25日 | 与作 | 七沢公典 | 七沢公典 | 池多孝春 | NHK総合テレビ『あなたのメロディー』の入賞曲。 千昌夫との競作 [12]。 |
風の峠 | 南沢純三 | 関野幾夫 | 福田正 | ||||
70 | 横浜の女 | 1979年 | 横浜の女 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | |
きままな男とはぐれた女 | 松井由利夫 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
71 | 旅飛脚の詩 | 1980年 | 旅飛脚の詩 | 藤田まさと | 山本丈晴 | 馬場良 | |
さかずき仲間 | |||||||
72 | 風雪ながれ旅 | 1980年9月15日 | 風雪ながれ旅 | 星野哲郎 | 船村徹 | 丸山雅仁 | 第1回古賀政男記念音楽大賞 大賞受賞 |
雀のお宿 | 上尾美代志 | 船村徹 | 丸山雅仁 | ||||
73 | 斧 | 1981年 | 斧 | 竹内良子絵 星野哲郎 (補作詞) |
中村千里 | 池多孝治 | |
東京ぐらし | 星野哲郎 | 島津伸男 | 島津伸男 | ||||
74 | 愛の道 | 1981年 | 愛の道 | 八代富子 芳野薫 (補作詞) |
原譲二 | 斉藤恒夫 | |
冬の宿 | 星野哲郎 | 紫しずか | 栗田俊夫 | ||||
75 | 炎の男 | 1982年 | 炎の男 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | テレビ朝日系『吉宗評判記 暴れん坊将軍、暴れん坊将軍II』エンディングテーマ |
雪・哀歌 | |||||||
76 | 運 | 1982年 | 運 | 関沢新一 | 中村典正 | 安形和巳 | |
ふるさと | 「終着駅は始発駅」B面の再カップリング | ||||||
77 | 日本海 | 1982年 | 日本海 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | |
夕陽岬 | 新本創子 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
78 | 漁歌 | 1983年 | 漁歌 | 山田孝雄 | 浜圭介 | 清水靖晃 | 北原ミレイとの競作[39]。 |
漁歌 (インストゥルメンタル) | 原譲二 | 鈴木操 | |||||
79 | 夫婦絶唱 | 1984年 | 夫婦絶唱 | 関沢新一 | 中村典正 | 丸山雅仁 | |
つくつく法師 | 那須野巌 | 船村徹 | 南郷達也 | ||||
80 | 神奈川水滸伝 | 1984年 | 神奈川水滸伝 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | 東映映画『修羅の群れ』主題歌 |
修羅の橋 | |||||||
81 | まつり | 1984年11月21日 | まつり | なかにし礼 | 原譲二 | 鈴木操 | |
木津川 | 佐治裕子 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
82 | 男の劇場 | 1985年 | 男の劇場 | 星野哲郎 | 北原じゅん | 池多孝治 | |
栃木歳月 | 荒川利夫 | 船村徹 | 丸山雅仁 | ||||
83 | 激唱 〜 青函トンネル 〜 | 1985年 | 激唱 〜 青函トンネル 〜 | 星野哲郎 | 船村徹 | 南郷達也 | |
石 | 星野哲郎 | 船村徹 | 丸山雅仁 | ||||
84 | 湯本ブルース | 1985年 | 湯本ブルース | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 | |
箱根のおんな | |||||||
85 | 十九のまつり | 1985年 | 十九のまつり | なかにし礼 | 原譲二 | 鈴木操 | |
女がひとり | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
86 | 浪曲太鼓 | 1986年 | 浪曲太鼓 | 原譲二 星野哲郎 (補作詞) |
原譲二 | 斉藤恒夫 | |
海の子守唄 | 新條カオル | 桜田誠一 | 斉藤恒夫 | ||||
87 | 北の漁場 | 1986年6月5日 | 北の漁場 | 新條カオル | 桜田誠一 | 斉藤恒夫 | 第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲。 芸道25周年記念曲。 |
風の追分 | |||||||
88 | 花の生涯 | 1987年8月22日 | 花の生涯 | 星野哲郎 | 船村徹 | 丸山雅仁 | |
忍 | 星野哲郎 | 中村千里 | 安形和巳 | ||||
89 | だまって歩けば | 1987年8月22日 | だまって歩けば | 石野美由紀 | 吉田正 | 小杉仁三 | |
俺のとなりに | |||||||
90 | 川 | 1987年8月22日 | 川 | 野村耕三 | 池山錠 | 斉藤恒夫 | |
旅路 | 野村耕三 | 桜田誠一 | 斉藤恒夫 | ||||
91 | 息子 | 1987年8月22日 | 息子 | 星野哲郎 | 船村徹 | 斉藤恒夫 | 日中国交回復十五周年記念曲 |
夫婦山脈 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
92 | がまん坂 | 1988年 | がまん坂 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | テレビ朝日『暴れん坊将軍III、暴れん坊将軍IV』エンディングテーマ |
流転笠 | |||||||
93 | 年輪 | 1988年 | 年輪 | 関根一 石本美由紀 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | 「山の歌」作詩募集入選作 |
三郎杉 | 内田善士 石本美由紀 (補作詞) |
原譲二 | |||||
94 | 年輪 | 1988年 | 年輪 | 関根一 石本美由紀 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | 「山の歌」作詩募集入選作 |
三郎杉 | 内田善士 石本美由紀 (補作詞) |
原譲二 | |||||
95 | あじさい情話 | 1988年 | あじさい情話 | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 | |
箱根ヨッシャ踊り | |||||||
96 | 平成音頭 | 1989年 | 平成音頭 | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 | |
魂(こころ) | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹 | ||||
97 | 夜汽車 | 1989年 | 夜汽車 | 木下龍太郎 | 原譲二 | 斉藤恒夫 | |
越後情話 | 星野哲郎 | 原譲二 | 斉藤恒夫 | ||||
98 | 山 | 1990年3月31日 | 山 | 星野哲郎 | 原譲二 | 斉藤恒夫 | 本作品からCDに移行。 |
さがさないで下さい | 星野哲郎 | 原譲二 | 小杉仁三 | ||||
99 | 北の大地 | 1991年1月1日 | 北の大地 | 星野哲郎 | 船村徹 | 南郷達也 | 第33回日本レコード大賞(演歌・歌謡曲部門)受賞曲 |
若かりし母の歌 | 星野哲郎 | 船村徹 | 蔦将包 | ||||
100 | 舵 | 1992年 | 舵 | 石本美由紀 | 原譲二 | 前田俊明 | |
小春日和 | 志賀大介 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
101 | 城 | 1993年 | 城 | 志賀大介 | 原譲二 | 鈴木操 | |
風の城下町 | |||||||
102 | 男道 | 1993年 | 男道 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | テレビ朝日『暴れん坊将軍V、暴れん坊将軍VI』、『暴れん坊将軍VII』エンディングテーマ |
啼くな夜鴉 | |||||||
103 | 宴 | 1993年 | 宴(うたげ) | 志賀大介 | 船村徹 | 蔦将包 | |
元気を出せよ | |||||||
104 | 拳 | 1993年 | 拳(こぶし) | 野村耕三 | 原譲二 | 鈴木英明 | |
一(いち) | 南沢純三 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
105 | おやじの背中 | 1994年 | おやじの背中 | 中谷純平 | 原譲二 | 蔦将包 | |
こころの母は北斗星 | |||||||
106 | 谷 | 1995年 | 谷 | 星野哲郎 | 原譲二 | 南郷哲也 | |
故郷は北の町 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
107 | 花虎 | 1995年 | 花虎 | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 | |
花虎の道 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
108 | 石狩川よ | 1996年 | 石狩川よ | 星野哲郎 | 船村徹 | 丸山雅仁 | 芸道35周年記念曲 |
夕日に偲ぶ | |||||||
109 | 男一代 | 1996年 | 男一代 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | |
三年三月 | |||||||
110 | 海はいま | 1996年 | 海はいま | 伝井かほる | 大地土子 | 川村栄二 | 「海の日」記念歌 |
海へ帰ろう | 伝井かほる | 大地土子 | 川村栄二 | ||||
111 | 清き流れ | 1996年 | 清き流れ | 星野哲郎 | 原譲二 | 南郷達也 | お伊勢さん2000年 記念歌 |
足跡は明日へ続く | 星野哲郎 | 原譲二 | 松井忠重 | ||||
112 | 狼 | 1997年 | 狼 | 久仁京介 | 原譲二 | 南郷達也 | |
裏通り | 沢村友美也 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
113 | 竹 | 1997年 | 竹 | 野村耕三 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
女房 | 木村龍太郎 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
114 | 陽だまり人情 | 1997年 | 陽だまり人情 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | テレビ朝日系『暴れん坊将軍VIII』エンディングテーマ |
和 | 沢村友美也 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
115 | 男の虹 | 1997年 | 男の虹 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹作曲家生活45周年記念曲 | |
風 | 原譲二 | 船村徹 | 丸山雅仁 | ||||
116 | 轍 | 1997年 | 轍(わだち) | 星野哲郎 | 原譲二 | 川村栄二 | TBS月曜ドラマスペシャル「秋の旅情サスペンス 丹下晋蔵熱血記 函館望郷編」エンディングテーマ |
塒(ねぐら) | |||||||
117 | 根っこ | 1998年 | 根っこ | 鈴木紀代 | 原譲二 | ||
一路 | 鈴木紀代 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
118 | 詠人 | 1998年 | 詠人 | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | NHK教育『おじゃる丸』主題歌 c/wはプリン賛歌(歌:SUS 4、『おじゃる丸』エンディングテーマ) |
119 | 未来 | 1998年 | 未来 | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | テレビ朝日系『暴れん坊将軍IX』主題歌、『暴れん坊将軍X』エンディングテーマ |
素顔に咲く花 | |||||||
120 | 十和田湖 | 1998年 | 十和田湖 | 北川文化 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
こなゆきの里 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
121 | 港春秋 | 1999年 | 港春秋 | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 | |
海よおまえは | |||||||
122 | のぼり坂 | 2000年 | のぼり坂 | 北川文化 原譲二 (補作詞) |
原譲二 | 丸山雅仁 | |
北のふるさと | |||||||
123 | 2000年音頭 | 2000年 | 2000年音頭 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | |
一本道 | 沢村友美也 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
124 | 約束の夏 | 2000年 | 約束の夏 | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | 映画『おじゃる丸 約束の夏 おじゃるとせみら』主題歌 |
詠人 | |||||||
125 | 橋 | 2000年 | 橋 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 鈴木操 | |
北国の街 | 沢村友美也 原譲二 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | ||||
126 | 人生道 | 2001年 | 人生道 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
知床漁港 | |||||||
127 | 男 | 2001年 | 男 | 星野哲郎 | 船村徹 | 船村徹作曲生活50周年記念曲 | |
四季 | 星野哲郎 | 船村徹 | 若草恵 | ||||
128 | 妻よ | 2001年 | 妻よ | 秋浩二 | 原譲二 | 南郷達也 | |
故郷(ふるさと)はいま | |||||||
129 | 輝 | 2001年 | 輝(かがやき) | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | テレビ朝日系『暴れん坊将軍XI』、『暴れん坊将軍XII』主題歌 |
あばれ馬 | 山田孝雄 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
130 | 男の精神 | 2001年 | 男の精神(こころ) | 志賀大介 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
やる気で音頭 | |||||||
131 | あづま男と浪花のおんな | 2001年 | あづま男と浪花のおんな | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | |
醍醐桜 | 大和路はるか | 原譲二 | 丸山雅仁 | 中村美律子とのデュエット | |||
132 | 感謝 | 2001年 | 感謝 | 星野哲郎 | 船村徹 | 蔦将包 | |
空 | 新條カオル | 船村徹 | 南郷達也 | ||||
133 | 演歌兄弟 | 2002年 | 演歌兄弟 | 原譲二 | 原譲二 | 南郷達也 | |
東京しぐれ | 鳥羽一郎とのデュエット。日本クラウン創立40周年記念曲 | ||||||
134 | 次郎長富士 | 2002年 | 次郎長富士 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | |
次郎長笠 | 関沢新一 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
135 | 父親 | 2002年 | 父親(おやじ) | 遠藤実 | 遠藤実 | 丸山雅仁 | |
父は待つ | |||||||
136 | 情 | 2002年 | 情(なさけ) | 宮原哲夫 原譲二 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | |
修羅の川 | |||||||
137 | 命 | 2002年 | 情(なさけ) | 宮原哲夫 原譲二 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | |
俺の道 | 下地亜記子 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
138 | 北の男船 | 2003年 | 北の男船 | 大屋詩起 | 原譲二 | 蔦将包 | |
北の兄弟 | 中村要子 | 原譲二 | 蔦将包 | ||||
139 | 北のわかれ雪 | 2003年 | 北のわかれ雪 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | c/wは「ふるさとの風はやさしかった」(歌:みち乃く兄弟) |
140 | 恩返し | 2003年 | 恩返し | 数丘夕彦 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
ふたつ星 | 岡部美登里 | 原譲二 | 蔦将包 | ||||
141 | 大河 | 2003年 | 大河 | 星野哲郎 | 原譲二 | 南郷達也 | 星野哲郎作詞家生活50周年記念曲 |
天命 | 本作品から12cmCDシングルに移行。 | ||||||
142 | 花の兄弟 | 2003年 | 花の兄弟 | 水木れいじ 原譲二 |
原譲二 | 丸山雅仁 | |
兄貴のふるさと | 水木れいじ | 原譲二 | 丸山雅仁 | 鳥羽一郎とのデュエット | |||
143 | 夢 | 2004年 | 夢 | 沢村友美也 原譲二 |
原譲二 | 蔦将包 | |
男 幡随院 | 久仁京介 原譲二 (補作詞) |
原譲二 | 鈴木操 | ||||
144 | 月夜酒 | 2004年 | 月夜酒 | 下地亜紀子 | 原譲二 | 蔦将包 | |
のぞみ酒 | 水木れいじ | 原譲二 | 蔦将包 | ||||
145 | 峠 | 2004年 | 峠 | 沢村友美也 原譲二 |
原譲二 | 蔦将包 | |
門出酒 | 原譲二 | 南郷達也 | |||||
146 | 友情よ | 2005年 | 友情よ(ともよ) | 大地土子 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
しぐれ道 | 原譲二 | 蔦将包 | |||||
147 | 纏 | 2005年 | 纏 | 志賀大介 | 原譲二 | 南郷達也 | |
男伊達 | |||||||
148 | 還暦 | 2005年 | 還暦 | 木津夢人 | 木津夢人 | 大野弘也 | |
剛気 | |||||||
149 | とよた夢音頭 | 2005年 | とよた夢音頭 | 中谷純平 | 原譲二 | 丸山雅仁 | 祭座ニッポン イメージソング |
祭りだ!日本 | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | 愛・地球博 パートナーシップ事業 | |||
150 | 風の坂道 | 2005年 | 風の坂道 | 倉持明生 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
ソーラン鴎 | 原譲二 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
151 | 男の明日に | 2006年 | 風の坂道 | 中島光 原譲二 |
原譲二 | 蔦将包 | |
花は黙って咲いている | 中村要子 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
152 | 路地の雨 | 2006年 | 路地の雨 | たかたかし | 原譲二 | 蔦将包 | |
望郷ワルツ | 中村要子 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
153 | はぐれ笠 | 2006年 | はぐれ笠 | たかたかし | 原譲二 | 蔦将包 | |
勘太郎しぐれ | 中村要子 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
154 | 標 | 2006年 | 標(しるべ) | 鈴木紀代 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
願(ねがい) | |||||||
155 | あの日時代 | 2006年 | あの日時代 | 倉内康平 | 陣内常代 | 夏木淳司 | |
暦 | |||||||
156 | あばれ松 | 2007年 | あばれ松 | 原譲二 | 原譲二 | 鈴木操 | 2007年「北島三郎特別公演/あばれ無法松」主題歌。 1999年3月リリースシングルの再録音。 |
無法一代・恋しぐれ | 久仁京介 | 原譲二 | 鈴木操 | ||||
157 | 風よ | 2007年 | 風よ | 野村耕三 | 原譲二 | 蔦将包 | |
男の忘文 | 中谷純平 | 原譲二 | 蔦将包 | ||||
158 | 灯台あかり | 2007年 | 灯台あかり | 奥田龍司 原譲二 |
原譲二 | 南郷達也 | |
国東半島 | |||||||
159 | ジャンゴ 〜さすらい〜 | 2007年 | ジャンゴ 〜さすらい〜 | Luis Bacalov Robert Melin Franco Migliacci MAKOTO° (日本語詞) |
Luis Bacalov Robert Melin Franco Migliacci |
川村栄二 | 映画『スキヤキ・ウエスタン「ジャンゴ』主題歌 |
鼓動 | MAKOTO° | MAKOTO° | MAKOTO° | ||||
160 | ひとすじ | 2007年 | ひとすじ | 久仁京介 | 原譲二 | 南郷達也 | |
その名はこゆき | 数丘夕彦 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
161 | 忠治流れ旅 | 2008年 | 忠治流れ旅 | 久仁京介 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
こぼれ紅 | |||||||
162 | 夢人 | 2008年 | 夢人 | 大地土子 | 大地土子 | 宮崎慎二 | NHK教育『おじゃる丸』オープニングテーマ第2弾 c/wはぼくらの世界 (歌:水町レイコ、『おじゃる丸』エンディングテーマ) |
163 | 俺らしく | 2008年 | 俺らしく | 麻こよみ | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
ああ・おふくろょ | |||||||
164 | コスモス日和 | 2008年 | コスモス日和 | 荒木とよひさ | 原譲二 | 前田俊明 | |
ふたり道 | 鈴木紀代 | 原譲二 | 前田俊明 | ||||
165 | 波乱万丈 | 2009年 | 波乱万丈 | 倉内康平 | 原譲二 | 夏木淳司 | |
恩 | 倉内康平 | 陣内常代 | 夏木淳司 | ||||
166 | 比叡の風 | 2009年6月5日 | 比叡の風 | いではく | 遠藤実 | 庄司龍 | 第51回日本レコード大賞作詩賞受賞曲。 |
大器堂々 | いではく | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
167 | 木曽恋しぐれ | 2009年 | 木曽恋しぐれ | 原譲二 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
しのび笠 | |||||||
168 | 夫婦一生 | 2010年1月1日 | 夫婦一生 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 前田俊明 | |
桜月夜 | 麻こよみ | 原譲二 | 前田俊明 | ||||
169 | 幡随院 | 2010年 | 幡随院 | 久仁京介 原譲二 |
原譲二 | 丸山雅仁 | |
ほつれ髪 | 久仁京介 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
170 | 海の兄弟 | 2010年 | 海の兄弟 | 原譲二 | 原譲二 | 前田俊明 | |
港町 | 久仁京介 | 原譲二 | 前田俊明 | 鳥羽一郎とのデュエット | |||
171 | 母 | 2010年 | 母 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 前田俊明 | |
人在りて | 志賀大介 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
172 | 男の人生 | 2011年 | 男の人生 | いではく | 原譲二 | 前田俊明 | |
夢恋あかり | 原譲二 | 原譲二 | 前田俊明 | ||||
173 | おとこの潮路 | 2011年 | おとこの潮路 | 星野哲郎 | 原譲二 | 前田俊明 | 1968年の曲とは同名異曲。 |
男の一念 | 星野哲郎 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
174 | さだめ道 | 2011年 | さだめ道 | いではく | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
兄弟達よ | |||||||
175 | 港雪 | 2012年 | 港雪 | 中谷純平 原譲二 |
原譲二 | 南郷達也 | |
男の母港(みなと) | やしろよう | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
176 | 職人 | 2012年 | 職人 | 原文彦 | 船村徹 | 蔦将包 | |
おまえのことが・・・ | 喜多條忠 | 船村徹 | 蔦将包 | ||||
177 | 男橋 | 2012年 | 男橋 | 倉内康 | 陣内常代 | 夏木淳司 | |
東京湾 | |||||||
178 | 男どうし | 2013年 | 男どうし | 仁井谷俊 | 原譲二 | 前田俊明 | |
兄弟酒場 | 鳥羽一郎とのデュエット | ||||||
179 | ふたり咲き | 2013年 | ふたり咲き | 下地亜記子 | 原譲二 | 南郷達也 | |
旅なかば | |||||||
180 | 勘太郎笠 | 2013年 | 勘太郎笠 | 久仁京介 | 原譲二 | 南郷達也 | 2013年北島三郎特別公演「伊那の勘太郎 信州ひとり旅」主題歌 |
里恋からす | |||||||
181 | 百年の蝉 | 2013年 | 百年の蝉 | 田久保真見 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
おとこ節 | |||||||
182 | 人道 | 2014年 | 人道 | いではく | 原譲二 | 丸山雅仁 | 北島にとって初となる「違うテーマのカップリング曲」を収録した2タイプを同時発売。 |
会津の女 | タイプA | ||||||
ふるさとへ帰りたいな | タイプB | ||||||
183 | 高尾山 | 2014年 | 高尾山 | いではく | 原譲二 | 南郷達也 | |
笑顔の花 | |||||||
184 | 路遥か | 2014年 | 路遥か | 大地土子 | 大地土子 | 丸山雅仁 | 北山たけしとのデュエット |
無事でよかった | 原譲二 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
185 | 大漁船 | 2015年2月4日 | 大漁船 | 大屋詩起 | 原譲二 | 南郷達也 | |
男の季節 | 大屋詩起 | 原譲二 | 丸山雅仁 | タイプA | |||
泪の坂道 | 大屋詩起 | 原譲二 | 丸山雅仁 | タイプB | |||
186 | 涙の花舞台 | 2015年6月5日 | 涙の花舞台 | 原譲二 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
おしどり峠… | 鈴木紀代 | 原譲二 | 丸山雅仁 | タイプA | |||
御陣乗太鼓 | 原譲二 | 原譲二 | 丸山雅仁 | タイプB | |||
187 | 今日より明日へ…おれの道 | 2015年10月7日 | 今日より明日へ…おれの道 | 下地亜記子 | 原譲二 | 鈴木操 南郷達也 |
|
夜半(よわ)の風 | 下地亜記子 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
188 | 人生に乾杯 | 2016年1月27日 | 人生に乾杯 | たかたかし | 原譲二 | 南郷達也 | |
風の小僧 | 原譲二 | 原譲二 | 前田俊明 | ||||
189 | 母を想えば | 2016年5月18日 | 母を想えば | たかたかし | 原譲二 | 児島大樹 | 三山ひろしとのデュエット |
190 | 夫婦綴り | 2016年5月18日 | 夫婦綴り | 伊藤美和 | 原譲二 | 前田俊明 | 藤あや子とのデュエット |
191 | 父と娘 | 2016年5月18日 | 父と娘 | たかたかし | 原譲二 | 南郷達也 | 坂本冬美とのデュエット |
192 | 掌 | 2016年5月18日 | 掌 | 久仁京介 | 原譲二 | 丸山雅仁 | 島津亜矢とのデュエット |
193 | 風は吹く | 2016年5月18日 | 風は吹く | 吉幾三 | 原譲二 | 南郷達也 | 吉幾三とのデュエット |
194 | おとこの酒よ | 2016年5月18日 | おとこの酒よ | 喜多條忠 | 原譲二 | 南郷達也 | 大川栄策とのデュエット |
195 | 合わせ鏡 | 2016年5月18日 | 合わせ鏡 | 志賀大介 | 原譲二 | 丸山雅仁 | 大月みやことのデュエット |
196 | 男の勝負 | 2016年6月5日 | 男の勝負 | 原譲二 | 原譲二 | 伊戸のりお | |
今を行く | 原譲二 | 原譲二 | 伊戸のりお | ||||
197 | 山・美しき | 2016年8月11日 | 山・美しき | 関根和夫 | 叶弦大 | 丸山雅仁 | |
四季の山 | |||||||
198 | 幾多の恩 | 2016年10月5日 | 幾多の恩 | 麻こよみ | 原譲二 | 伊戸のりお | |
二人三脚、ふたり道 | 麻こよみ | 原譲二 | 伊戸のりお | ||||
199 | 夢千里 | 2017年3月22日 | 夢千里 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 南郷達也 | |
男華 | 仁井谷俊也 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
200 | 男の夢 | 2017年6月28日 | 男の夢 | 大屋詩起 | 原譲二 | 南郷達也 | |
希望(のぞみ)坂 | 大屋詩起 | 原譲二 | 南郷達也 | ||||
201 | ありがとう キタサンブラック | 2017年12月24日 | ありがとう キタサンブラック | 山田孝雄 原譲二 |
原譲二 | 綿引康夫 | 2015年に完成していたキタサンブラックの応援歌「夢に向かって」の歌詞を変更したもの。 配信限定リリース。12月24日、全レース終了後の中山競馬場にて初披露された[40]。 |
202 | 幸せ古希祝 | 2018年1月1日 | 幸せ古希祝 | 奥田龍司 | 原譲二 | 丸山雅仁 | |
みちのく旅情 | 奥田龍司 | 原譲二 | 丸山雅仁 | ||||
203 | にっぽんの歌 | 2018年1月1日 | にっぽんの歌 | 青島利幸 原譲二 |
原譲二 | 丸山雅仁 |
アルバム
- サブちゃんの十八番・北島三郎大いに歌う(LW-5019)
- 函館の女ー北島三郎ヒット集ー(LW-5130)
- 明治・大正演歌集(LW-5158)
- 仁義 義理と人情を唄う(GW-6002)(1969年)
- サブちゃんの心の旅路(GW-6020)
- サブちゃんの人生劇場〜北島三郎 古賀メロディーを唄う〜(GW-7013)
ライブ・アルバム
- オン・ステージ 梅田コマ劇場実況録音(GWS-83)
- 風雪ながれ旅 梅田コマ劇場ライブ'80(GGA-5)
楽曲提供曲
- 作詞・作曲
- 北山たけし
- 男の出船
- 片道切符
- 勇気の一歩(作詞は、数丘夕彦と共作)
- 瀬川瑛子
- 愛の川
- ふるさと景色
- 憲三郎&ジョージ山本
- 原田悠里
- おんな坂
- 明日(あす)を信じて
- 女がひとり
- みち乃く兄弟
- みちのく渡り鳥
- 和田青児
- 演歌海道(作詞はいとう彩と共作)
- リンゴのふる里へ
- 別れの海峡
- 大江裕
- 真実この道はるかなり
- ふる里は いま…
- 今しばし
- 男の出発(たび)
- そして明日に(作詞は沢村友美也と共作)
- 御免なすって [41]
- 長井みつる
- 影
- 心のふるさと
- 作曲
- 北山たけし
- 筑後川
- 剣山(つるぎさん)
- 小金沢昇司
- 義経伝説
- まごころの花よ
- 瀬川瑛子
- 恋間川
- 命歌
- あなたが命
- 原田悠里
- 虹
- ビロードの夢
- みち乃く兄弟
- ふるさとに逢いたい
- みちのく桜
- ふるさとの風はやさしかった
- 山口ひろみ
- ひだまり坂
- 春は二度来る、三度来る
- その名はこゆき
- どうするこの恋
- 山本譲二
- えくぼ
- 長州の男
- 生きる
- 島津亜矢
- 北海峡
- 大器晩成
- 温故知新
- 和田青児
- 夢一路
- 望郷歌
- 人生列車
- 青春は終わらない
- 甲州街道の渡り鳥
- さいはての宿
- 上野発
- おやじさん
- 里見☆しのぶ
- めぐり逢い函館
- おんなの桟橋
- 大江裕
- のろま大将
- なんか一丁やったろかい
- 夕焼け大将
- 北風大将
- 青春の翼
- 底ぬけプレジデンツ(浜田雅功・大竹一樹・宮迫博之)
- これが恋だと分からずに
- 男の生き様
- 鳥羽一郎
- 作詞・補作詞
- 山本譲二
- 夢街道(補作詞)
歌碑・記念館
人物
- 東京都八王子市暁町の八王子本線料金所を見下ろせる場所にある、総数36部屋の大豪邸に、家族と内弟子と共に住んでいる(“三郎”からの語呂合わせで、36部屋作られた)。総敷地面積1500坪、総工費20億円のこの豪邸は、しばしばマスメディアに取り上げられている。
- 演歌の振興や後進の育成にも貢献しており、山本譲二、小金沢昇司等、北島音楽事務所所属、又は北島を慕う演歌歌手に因って北島ファミリーが形成されている。ファミリーからは親父若しくは先生と呼ばれている(北島の愛弟子であり、後に娘婿となった北山たけしは先生と呼ぶ)。
- 加山雄三とは親友である。
- 体質的に酒が全く飲めず、奈良漬けを食べただけで酔ってしまう程の下戸。一方で若い頃から大の甘党である。高校時代は白飯に黒砂糖をかけただけの弁当が大好きだった。又コーヒーには大量の砂糖が必需品であり、舞台の前には「飲まないと調子良く歌えない」と漏らす程、炭酸を抜いた三ツ矢サイダーを愛飲している。ある日、北山が舞台前に三ツ矢サイダーをどうしても入手できず、黙って別メーカーのサイダーを北島に差し出したところ、違いを見抜いた北島から怒号が飛んだというエピソードがある。サイダーの炭酸を抜くのも、弟子の仕事の一つである[42][43]。
- 佛所護念会教団の会員としても知られている。
- カーマニアとしての顔もあり、過去にはフォード・ファルコン、ムスタング、キャデラックなど、アメリカ車を中心に乗用車を購入している。自身がお気に入りでよく運転するのはクレネのカスタムカーで、北島が旅行先のラスベガス(アメリカ合衆国・ネバダ州)で展示されているのを見て惚れ込み、日本へ輸入された際に購入したというもので、本人曰く『世界で一台しかない』自慢の愛車である。北島がクレネを運転している際にはよく周囲から「これは何というクルマですか?」と尋ねられる事もあると語っている[44]。
- 口癖は「アメリカにジャズあり、フランスにシャンソンあり、日本に演歌あり」。
- 1988年に結成し、2016年に解散した国民的男性アイドルグループのSMAPの事を「大好き」だと述べている[45]。
- 『NHK紅白歌合戦』に対し、対戦および男女対抗戦を撤廃するべきとの考えを持っている(実際、NHKにこの旨を伝えた事もあるという)[46]。この理由として、「男女混成グループの出場増加」「2010年代に入ってからの紅白が紅白両軍で出場者数が異なる事が多い事」を挙げている[47]。
- 2013年の『第64回NHK紅白歌合戦』のステージ上でAKB48からの卒業を発表した大島優子について、あれにしても、昔なら(私事を紅白で発表することは)考えられなかった。可笑しいといえば可笑しい。でも、それも時代という事なんだ」と語っている[48]。
- 50回に及ぶ紅白出場歴の中で、1番許せなかった共演歌手は2006年の『第57回NHK紅白歌合戦』でのDJ OZMAである[49]。又、「(紅白で)踊りを踊らされたりさ。あれから俺、段々(紅白が)嫌いになってきた」と述べている[50]。
馬主として
デビュー当時に所属した新栄プロダクションの創業者でウエスタンダッシュ(1974年(昭和49年)京成杯、1975年(昭和50年)日刊スポーツ賞金杯などJRA25戦5勝)等を所有し、北海道に北西牧場(ウエスタンファーム)を創設する等オーナーブリーダーとして活躍していた西川幸男や、先輩歌手で馬主でもあった春日八郎に勧められ馬主活動を始める[51]。
日本の競馬界では、1963年(昭和38年)以来[52]、「キタサン」の冠号で多くの競走馬を所有する馬主としても知られる(登録上の名義は法人である「有限会社大野商事」)。
現在の中央競馬における勝負服のデザイン(黒、茶三本輪)は、母校函館西高校ラグビー部(自身もラグビー部に属していた)のジャージを模したものである[53]。
かつては日本中央競馬会(JRA)のマナー啓発のPRに起用され、2009年5月には東京競馬場で行われた第76回東京優駿の発走前に場内で国歌を独唱した[54]。
2015年(平成27年)10月25日の第76回菊花賞にてキタサンブラック(栗東:清水久詞厩舎・鞍上は北村宏司)が優勝し、北島に初めてGI競走勝利の栄誉をもたらした。この時、京都競馬場で、勝利した際の公約である、自ら持ち歌「まつり」の替え歌をアカペラで歌唱した[55]。2016年(平成28年)5月1日の第153回天皇賞(春・京都競馬場)や第36回ジャパンカップでキタサンブラックが勝利した(鞍上は武豊)時も、東京競馬場で「まつり」を披露している[56]。
2017年12月24日の有馬記念にて引退レースとなるキタサンブラックが優勝。全レース終了後引退セレモニーにおいて愛馬を讃える新曲「ありがとう キタサンブラック」が北島本人の歌唱にて初披露された(なお、同曲は引退セレモニー開始と同時に配信限定でリリースされた)。
地方競馬でも楠賞全日本アラブ優駿を制したトライバルセンプーとキタサンオーカン等を所有(トライバルセンプーは夫人名義だが、北島が実質的なオーナーである)。川崎競馬場には北島が寄贈した馬の実物大模型[57]「キタサンカワサキ」が展示されている。
所有馬については「北島音楽事務所#主な所有競走馬」を参照の事。
家族
- 次男の大野誠は、ロックバンド『1st BLOOD』のボーカル“MAKOTO”として、1988年にデビュー。シングル「American Dream」は北島の「年輪」とオリコンシングルチャートに同時チャートインし、オリコン史上初の「親子同時チャートイン」を記録した[58]。当時既に“MAKOTO”の芸名で活躍していた北野誠がいたが、北島側が北野に“MAKOTO”名義を譲って貰えるよう申し入れをし、北野は芸名を本名に改名した。『1st BLOOD』は2枚のアルバムを発売後、解散。誠はその後大地 土子(だいち とこ)のペンネームで、北島の曲の作詞・作曲を手がけている。北島音楽出版の役員も務めていた。[59][60]。2018年3月3日、死去しているところを発見された[59][60]。心不全とみられる。
- 三女は女優・声優・歌手の水町レイコである。
- 愛弟子の一人で北島ファミリーの一員である北山たけしと次女が結婚したため、北山は義息子となった。
- 演歌歌手の松前ひろ子とは従妹にあたる。同じく演歌歌手の三山ひろしは松前の娘婿(松前の次女の夫)[61]。
北島ファミリー
- 山本譲二(2007年元日付で北島音楽事務所から独立したが、暖簾分けの形であり北島ファミリーの一員であり続けている。)
- 原田悠里
- 小金沢昇司(2014年節分明けをもって北島音楽事務所から独立することが発表された。「暖簾分け」の形での独立である。)
- 和田青児(2012年元日付で北島音楽事務所から独立。「暖簾分け」の形で、ファミリーの一角である。)
- 山口ひろみ
- 北山たけし(北島の娘婿)
- 大江裕
- 長井みつる(28年にわたり北島の付き人を務め、2012年8月22日に北島の詞曲による『影』でデビューした。)
脚注
- ↑ “北島三郎 船村徹氏同門会で挨拶”. デイリースポーツ ONLINE. (2013年2月27日). オリジナルの2013年3月2日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 “北島三郎”. 堂々現役 巨匠からのメッセージ/BSフジ (2009年6月20日). 2014年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ “NHKのど自慢|2015/01/03(土)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. . 2015閲覧.
- ↑ “新栄プロ西川会長本葬 北島三郎、育ての親に最後のお別れ”. ORICON STYLE. (2013年2月4日). オリジナルの2014年3月16日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ 北島によれば、コンビ名は「ゲルピンぽん太、ちー太」という名で、4日でクビになったという(『読売新聞』1989年2月12日付東京本社朝刊37面)。
- ↑ “番組ダイアログ「船村徹」 - 堂々現役 巨匠からのメッセージ”. BSフジ (2009年12月18日). 2014年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ 後年の映画出演でも『兄弟仁義』等の東映任侠路線で多数共演しており、このような縁から、こののちも村田との親交は続いた。
- ↑ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、86頁。ISBN 4390116010
- ↑ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』83頁
- ↑ 10.0 10.1 移籍を勧められたが、ひばりはコロムビアに留まった。その代わりに「ご祝儀代わり」として『関東春雨傘』が吹き込まれ、記念すべきシングル第1弾(レコードナンバー:CW-1)となった。
- ↑ “番組ダイアログ「北島三郎」- 堂々現役 巨匠からのメッセージ”. BSフジ (2009年6月20日). 2014年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ 12.0 12.1 ミノルフォン、KA-1144 c/w 雪ん娘峠
- ↑ 『我が道 - 北島三郎』第15回 スポーツニッポン 2014年4月16日付22面にて自ら由来を明かしている。
- ↑ 朝日新聞2011年8月24日朝刊
- ↑ “北島三郎と渡哲也の決定的な違い”. 溝口敦の斬り込み時評 (2011年11月7日). 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
- ↑ 『朝日新聞』1990年10月26日付朝刊(東京)。
- ↑ “山本譲二の独立発表「死ぬ気でやります」”. ZAKZAK. (2006年10月5日). オリジナルの2006年10月25日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎、演歌・歌謡最年長1位!!”. ORICON STYLE. (2006年10月24日). オリジナルの2014年4月19日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “総務省とDpaが多様な取り組み デジタル放送完全移行まで2年”. 電通報 朝刊 (電通). (2009年8月3日)
- ↑ 望月麻紀 (2010年6月23日). “地デジ化応援隊に王さん、北島さんら”. 毎日新聞 朝刊 (毎日新聞社)
- ↑ “北島三郎さんらに放送文化賞 NHK”. 47NEWS. (2010年3月4日). オリジナルの2014年4月16日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “日本放送協会 放送文化賞受賞者(第61回 - 第65回)”. NHK. 2014年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ 23.0 23.1 “芸道50周年記念公演を日生劇場など4劇場で上演=北島三郎、75歳にして次郎長と石松の2役に挑戦”. 連合通信.com. (2011年1月19日). オリジナルの2013年3月11日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “第32回松尾芸能賞大賞は北島三郎 優秀賞は中村翫雀、大空祐飛ら”. シアターガイド. (2011年2月23日). オリジナルの2011年2月28日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “第32回松尾芸能賞各賞受賞者一覧”. 財団法人 松尾芸能振興財団. 2013年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2013閲覧.
- ↑ “北島三郎、紅白引退!節目の50回目大トリで幕「今年で身をひく」”. スポーツ報知. (2013年11月25日). オリジナルの2013年11月27日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “北島三郎さん紅白引退へ 心ある歌を”. NHK NEWS WEB. (2013年12月5日). オリジナルの2013年12月5日時点によるアーカイブ。 . 2013閲覧.
- ↑ “「紅白」 あまちゃん続編で視聴率50%”. デイリースポーツONLINE. (2014年1月6日). オリジナルの2014年1月7日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎の弟・大野拓克さん死去 67歳、事務所の常務取締役”. Sponichi Annex. (2014年7月24日) . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎 座長公演4500回を達成し「感無量」”. Sponichi Annex. (2014年9月23日) . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎「末の弟が先に旅立つなんて…」 大野拓克さん葬儀で号泣”. zakzak. (2014年7月26日) . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎「線を引かせてもらいたい」 来年1月で座長公演に区切り”. Sponichi Annex. (2014年4月21日). オリジナルの2014年4月22日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “北島三郎 座長公演引退表明 舞台で“サブザイル”結成?”. Sponichi Annex. (2014年4月22日). オリジナルの2014年4月22日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ 旭日大綬章に自見元郵政相=北島三郎、富司純子さんに小綬章-春の叙勲 時事ドットコム 2016年4月29日
- ↑ “北島三郎、「頸椎症性脊髄症」治療で盛岡公演を延期”. ORICON STYLE. (2016年9月14日) . 2016閲覧.
- ↑ “北島三郎 自宅風呂場で転倒し手術 頸椎症性脊髄症、一時歩行も困難に”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年11月14日) . 2016閲覧.
- ↑ 当時、市川昭介は日本コロムビアの専属作曲家だったため、この変名を使用している。詳細は『涙を抱いた渡り鳥』のページに記述あり。
- ↑ 八大の実兄でクラリネット奏者。
- ↑ ミノルフォン、KA-2089 c/w じゃらくの雨 北原は5月発売、北島は2か月遅れの7月発売だった。
- ↑ なお、本曲の売り上げの一部は公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルに寄付され、引退した競走馬の余生をサポートすることに使われる予定。
- ↑ “大江裕、新曲「御免なすって」で初の股旅 北島三郎が作詞作曲”. スポニチアネックス. (2016年10月25日) . 2016閲覧.
- ↑ “紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!”. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2013年12月13日) . 2015閲覧.
- ↑ “紅白で大トリを務める北島三郎、その歌声の秘けつとは?”. サーチナ. (2009年12月24日). オリジナルの2012年7月18日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ 『我が道 - 北島三郎』スポーツニッポン 2014年4月14日付駅売り特別版 20面
- ↑ 北島三郎.SMAPにエール 紅白で「締めくくるのが格好良い」,毎日新聞,2016年8月15日
- ↑ [1],デイリースポーツ,2014年11月5日
- ↑ [2],リアルライブ,2014年12月12日
- ↑ サブちゃん、優子に理解 「昔なら考えられない」紅白で卒業発表,スポーツニッポン,2014年12月30日
- ↑ 北島三郎がダウンタウンに激白!紅白で最も許せなかった出演者とは?,アサ芸プラス,2016年8月10日
- ↑ 北島三郎 紅白卒業は「踊らされたのが嫌い」,デイリースポーツ,2016年8月5日
- ↑ “【馬主・北島三郎2】父の助言から生まれた「キタサン」”. デイリースポーツ. 神戸新聞社. (2017年12月19日) . 2017閲覧.
- ↑ “キタサンブラックが菊花賞V 北島三郎さん所有”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年10月25日) . 2015閲覧.
- ↑ なお、個人馬主時代からを法人移行後に使用していた従前の勝負服のデザインは「紫、胴白二本輪、白袖」であった。
- ↑ “北島三郎がダービー発走前に君が代独唱”. 日刊スポーツ. (2009年6月1日). オリジナルの2013年4月27日時点によるアーカイブ。 . 2014閲覧.
- ↑ “【菊花賞】サブちゃん悲願のG1制覇!キタサンブラックV”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年10月25日) . 2015閲覧.
- ↑ “サブちゃん 愛馬で天皇賞・春V「まつり」熱唱、武豊にムチャ振りも”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年5月1日) . 2016閲覧.
- ↑ “川崎競馬場に実物大の馬の模型が贈呈される”. KEIBA.GO.JP (2008年1月18日). 2013年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ オリコン・ウィークリー(編)『小池聡行のオリコンデータ私書箱』オリジナルコンフィデンス、1991年、103頁。ISBN 4871310272
- ↑ 59.0 59.1 北島三郎次男・大野誠さん心不全で死去 ミュージシャン、「おじゃる丸」テーマ曲手掛ける、スポニチ Sponichi Annex、2018年3月7日。
- ↑ 60.0 60.1 北島三郎さん次男が自宅で死亡…元歌手、病死か、読売新聞(YOMIURI ONLINE)、2018年3月7日 13時26分。
- ↑ 日刊スポーツ2016年2月2日紙面
関連項目
外部リンク