福山市
Contents
- 1 概要
- 2 地理
- 3 地域
- 4 特色
- 5 方言
- 6 政治
- 7 市章
- 8 歴史
- 9 姉妹都市・提携都市
- 10 交通
- 11 行政・出先機関
- 12 インフラ整備環境
- 13 警察
- 14 消防・救急
- 15 マスメディア
- 16 経済
- 17 市内の主な病院
- 18 教育
- 19 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 20 福山市出身・ゆかりの主な著名人
- 21 福山市名誉市民
- 22 大使など
- 23 福山市が登場する作品
- 24 その他
- 25 脚注
- 26 参考文献
- 27 関連項目
- 28 外部リンク
概要
芦田川のデルタ地帯に誕生した福山藩の城下町を起源とする[1]。臨海工業都市化を進め、瀬戸内海の経済・文化・交通の要衝の都市として発展している。2015年時点で広島県内では広島市に次ぎ2番目となる人口約47万を擁する中核市[2]。
隣接し地理的歴史的にも関係の深い岡山県井笠地方を含む備後都市圏の中心都市でもある。
市域は中国山地(神石高原)・福山平野・芸予諸島(備後群島)などから成る。山陽自動車道・山陽新幹線・山陽本線・福塩線・井原線などが通っており、福山港を擁するなど交通の要衝でもある[2]。
古くから環境の変化に応じて様々な業を起こしてきた歴史があり、起業精神の高い地域とされている。そのため、複数の大手企業を擁しており、中小企業や大企業の研究開発拠点も集積している[3]。
鞆の浦や福山城などの歴史・文化的な資源が多く[1]、広島市や岡山県とも異なる独自の気質を持つとされる[3]。
地理
福山市は、瀬戸内海の中央部で広島県の南東端に位置する。
三原市北部の大和町を源とする芦田川の河口に広がる江戸時代以降、福山藩の干拓事業でできた福山平野に市の中心地がある。市の南端は瀬戸内海に面し、北部山岳地帯は概ね標高400 - 500メートルの吉備高原西南端部にある通称「神石高原」南端から形成される。ここは岡山県倉敷市へ注ぐ高梁川支流小田川流域である。
市街地は概ね、旧福山市街・東部(蔵王・春日)地区・松永(旧松永市)地区・北部(神辺・駅家・加茂)地区に大別されるが各地域とのアクセスも決して良好とは言えず、市民性も地域により若干異なる傾向がある。福山都市圏は岡山県の南西部の笠岡市や井原市にも及び、県境を越えた連携が政経民間で見られる。福山市を中心とする都市群は備後都市圏とも呼ばれる。
自然環境
- 福山市は瀬戸内海式気候に属し、広島県内でも降水量が少なく(年間約1200mm)河川の流量が少ないのが特徴である。そのため市街化の進んだ地域を中心に河川の汚濁が顕著で、下水道事業などによって改善された地域もあるものの、多くの場所で水質汚濁が問題となっている。流水量の少なさや河口堰による汽水の消滅等の影響で、市内を南北に流れる芦田川は中下流の汚濁が激しく、中国地方の一級河川での水質は38年間ワースト1を記録してきたが、平成24年にその汚名を返上する[4]。
- 市域の北半分および芦田川より西部は、中国山地に連なる山地となっている。植生は平野部に近いほどアカマツが多く、単調な傾向にある。山並みは風化・侵食を受けやすい花崗岩が多いため起伏が激しく、川沿いを中心に多くの谷が形成されている。市内最高峰は吉備高原南端の京ノ上山で海抜611m、2位は駅家町北部の蛇円山で546m、3位は加茂町北部の笠木山で513mとなっている。北部の山野町付近には部分的に石灰岩質の地質もあり、特に高梁川支流の小田川渓谷を作り上げている猿鳴峡があり、近くには県天然記念物の“矢川のクリッペ”や“上原谷石灰岩巨大礫”という石灰岩に纏わる名勝も存在する。また隣接する井原市には石灰岩の採石場(芳井鉱業所)もある。
- 南側は瀬戸内海(備後灘)が広がり多くの島が点在しているが、福山市に属する島はあまり多くない。福山市沖は瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は非常に大きく平均で2mを超え、海流の速度は部分的に非常に速い。波は穏やかで湖のように無いときもあり、波高は通常で50cm未満、荒れても2m程度である。津波の被害を受けた記録は存在しない。ただし、明治17年(1884年)の台風による高波では大きな被害が発生している。市で最大の島は田島で本土(沼隈半島)とは橋が架けられている。海底面は起伏があまりなく水深は深くとも30m程度である。かつての福山市沖は干潟が多く存在し豊かな自然に恵まれていたが、その大半は江戸時代からの干拓や日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)建設の埋め立てなどにより消滅している。現在は家庭・工業廃水などの影響により福山港周辺の汚濁が深刻で特に夏期には海水が茶色あるいは乳白色に染まることもしばしばである。しかし、鞆の浦など湾岸沿いの大部分も透明度は高くないが陸から5km程度沖合に出れば(瀬戸内海としては)非常に綺麗である。
- 地震は少なく、歴史上では地震により大きな被害を受けた記録は見つかっていない。このため、近年までは地震空白域とされていたが、2000年の鳥取県西部地震で震度5弱、2001年の芸予地震でも震度5弱を記録した。ただし、いずれも人的被害はない。活断層も近年まで確認されていなかったが、2002年に北部の加茂・御幸地区から西部の松永地区にかけて活動度B級の「長者原断層」の存在が明らかになり[5]、少なくとも3世紀以降に活動した痕跡が見つかっている。
気候
福山市は地形と立地場所による影響により、典型的な瀬戸内海式気候[6]である。
冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂が観測されることも多い。また、冬には氷点下まで下がる日もある。太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が発生し、日中の気温は35℃を超える猛暑・酷暑となる日もある[7]。降雪は少なく、積雪は稀である。
福山 (福山市松永町)の気候資料 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.4(63.3) | 23.6(74.5) | 24.0(75.2) | 28.6(83.5) | 32.4(90.3) | 34.3(93.7) | 38.2(100.8) | 38.3(100.9) | 36.7(98.1) | 31.6(88.9) | 26.2(79.2) | 21.4(70.5) | 38.3(100.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.3(48.7) | 10.0(50) | 13.2(55.8) | 18.9(66) | 23.4(74.1) | 26.8(80.2) | 30.5(86.9) | 32.4(90.3) | 28.3(82.9) | 22.8(73) | 17.1(62.8) | 12.0(53.6) | 20.4(68.7) |
日平均気温 °C (°F) | 4.3(39.7) | 4.8(40.6) | 8(46) | 13.5(56.3) | 18.2(64.8) | 22.3(72.1) | 26.2(79.2) | 27.6(81.7) | 23.6(74.5) | 17.4(63.3) | 11.7(53.1) | 6.6(43.9) | 15.4(59.7) |
平均最低気温 °C (°F) | -0.2(31.6) | 0.1(32.2) | 2.9(37.2) | 8.0(46.4) | 13.0(55.4) | 18.2(64.8) | 22.6(72.7) | 23.6(74.5) | 19.6(67.3) | 12.7(54.9) | 6.8(44.2) | 1.9(35.4) | 10.8(51.4) |
最低気温記録 °C (°F) | -8.1(17.4) | -9.2(15.4) | -5.9(21.4) | -1.8(28.8) | 2.8(37) | 8.0(46.4) | 13.2(55.8) | 15.8(60.4) | 8.0(46.4) | 1.5(34.7) | -2.4(27.7) | -6.7(19.9) | -9.2(15.4) |
降水量 mm (inches) | 35.1(1.382) | 50.5(1.988) | 84.5(3.327) | 93.2(3.669) | 123.8(4.874) | 175.3(6.902) | 176.7(6.957) | 83.0(3.268) | 131.0(5.157) | 78.8(3.102) | 54.4(2.142) | 31.0(1.22) | 1,117.2(43.984) |
日照時間 | 142.1 | 139.2 | 167.7 | 192.7 | 208.6 | 172.3 | 197.7 | 226.4 | 165.8 | 179.0 | 151.7 | 152.8 | 2,096.1 |
出典#1: 気象庁[8] | |||||||||||||
出典#2: 気象庁[9] |
隣接する自治体
人口
以前より中国・四国地方では広島市・岡山市・松山市・倉敷市に次ぐ5番目の人口規模である。平成の大合併で隣接のベッドタウン4町を編入した結果、人口は約46万人(推計人口)となった。
福山市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域
町名一覧
|
|
|
主要な山岳・河川・島嶼部
- 主な山岳 : 京ノ上山(611 m・市内最高峰・福山市新市町藤尾)、蛇円山(546 m・福山市駅家町)、熊ヶ峰(438 m・福山市熊野町)
- 主な河川 : 一級河川芦田川、芦田川支流瀬戸川、神谷川、加茂川、高屋川、一級河川高梁川支流小田川
- 主な島嶼 : 走島、宇治島、田島、横島、仙酔島、弁天島、皇后島(※箕島は戦前までは島であった)
- 主な池 : 春日池、服部大池、権現池、枠田池、千塚池、本谷池、他多数
特色
福山市は備後都市圏の中心都市として、都市銀行、証券会社、保険会社などの大手企業の営業拠点や国・県の出先機関が多く存在し、なおかつ自動車のナンバープレートの“福山”、市外局番“084”、郵便番号“72X”が付与されている。このように、県庁所在地並みあるいは県単位の扱いを受けているのは中四国地方では福山市のみで中四国地方では第3位の都市雇用圏を有する都市。
同規模の都市に比べて全国的な知名度が浸透していないと思われる。原因としては、「広島(県)」といえば県名と同じで原爆投下地としても知名度の高い広島市のイメージが先行してしまうことや、近隣に似たような地名(岡山市、旧徳山市(現周南市)など)などがあることが考えられる。
文化的には県庁所在地の広島市を始めとする県西部に比べ地場産業的に繋がりの深い関西の影響も受けており、お好み焼は広島風も存在するものの関西風の店も多い。このような広島市との文化的な違いは、広島県編入時の確執に要因があったと言われている。福山地方が岡山県から広島県に編入された1870年代には、ちょうど地租改正が行われていた。福山地方の窪田次郎(医師・思想家)らは小田県、岡山県時代から各田畑への「目的額」強要に抵抗していたが、広島県編入により広島県令藤井勉三へと嘆願書を提出することになった。しかし、この時の県令の対応が極めて強圧的で岡山県時代の事情には一切関知しない姿勢であったとされる。以後も県内における行政やマスメディアは広島市およびその周辺を偏重する傾向にあったが、近年は以前に比べると是正されてきているが、元々は備の中心は福山であり、その後、県令と同時に岡山へ移って行ったとされる(これより福山弁、岡山(備中)弁共に三河弁が入っている)。その後広島県となるが、広島(安芸)とも交流は深いものの独自の文化を持つ地域である。
都市形成の傾向として駅周辺から商業地域が発展していることがあげられる。これは都市の中心であった福山城内を貫いて福山駅が作られたため、近世の商業的中心地がそのまま近代の商業的中心地へと移行したからである。このため福山城は本丸や二の丸を除いた大部分が開発され、全ての堀と三の丸の石垣のほとんどが市街化により消滅するか地下に埋もれている。
- 市内に世界有数の規模を持つ製鉄所(JFE西日本)がある。
- 全国的に見ても出生率の高い市である。
方言
- 福山弁と呼ばれ、この地域にあった備後弁を基礎に成り立った方言。岡山弁などと同様に連母音の融合の傾向が強く、例えば赤い(akai)が名古屋弁や丹後弁と同様に、[akæː](アケァー)等に発音される。また、三河弁の表現が混じっていることも特徴で、岡山弁と明確な線引きをすることができる。安芸地方(広島市周辺)の方言と混同されることも多い。似ている部分もあるが岡山弁と同様違いも残っており、現在ではこれらの方言の相違を地元の人間以外で判別することは難しくなっている。
- 市内でも古くから海運で栄えた鞆の浦など特定の地域では上方方言の影響が今なお残っている。
政治
通算代数 | 氏名 | 就任年月 | 退任年月 |
---|---|---|---|
初代 | 阿武信一 | 1916年10月 | 1926年12月 |
二代 | 中野有光 | 1927年9月 | 1938年12月 |
三代 | 小林壽夫 | 1938年12月 | 1944年8月 |
四代 | 三谷一二 | 1944年9月 | 1946年3月 |
五代 | 小林和一 | 1946年3月29日 | 1947年3月19日 |
六代 | 藤井正男 | 1947年4月 | 1955年4月 |
七代 | 徳永豊 | 1955年5月1日 | 1970年5月11日 |
八代 | 立石定夫 | 1970年5月12日 | 1979年7月28日 |
九代 | 中川弘 | 1979年8月26日 | 1983年8月25日 |
十代 | 牧本幹男 | 1983年8月26日 | 1991年8月25日 |
十一代 | 三好章 | 1991年8月26日 | 2004年8月9日 |
十二代 | 羽田皓 | 2004年9月5日 | 2016年9月4日 |
十三代 | 枝廣直幹 | 2016年9月5日 | 現職 |
市長・副市長・市議会議長、副議長・議員定数
- 市長 枝廣直幹(第十三代)1期目・2016年9月5日 〜
- 副市長 堀径扇
- 副市長 廣田要
- 議長 小川眞和
- 副議長 宮地徹三
- 会派(2013年5月15日現在)
- 水曜会 14人
- 公明党 7人
- 誠勇会 6人
- 市民連合 4人
- 日本共産党福山市議会議員団 4人
- 新政クラブ 3人
- 無所属 2人
- 市議会議員定数 40人
広島県議会(福山市選挙区)
- 定数:10名
- 任期:2015年(平成27年)5月13日〜2019年(平成31年)5月12日
議員名 | 会派名 | 備考 |
---|---|---|
宇田伸 | 自由民主党広島県議会議議員連盟 | |
三好良治 | 自由民主党広島県議会議議員連盟 | |
石津正啓 | 公明党広島県議会議員団 | |
尾熊良一 | 公明党広島県議会議員団 | |
出原昌直 | 自由民主党広島県議会議議員連盟 | |
辻恒雄 | 日本共産党 | |
松岡宏道 | 自由民主党広島県議会議議員連盟 | |
的場豊 | 広島県議会民主県政会 | |
内田務 | 広島県議会民主県政会 | 社会民主党推薦 |
衆議院
- 任期 : 2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(平成33年)10月21日(「第48回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
広島県第7区(福山市) | 小林史明 | 自由民主党 | 3 | 選挙区 |
市章
市章は、こうもりを「山」の字にデザイン化したもの。また市章旗は黄地に黒で描かれている。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、こうもりは本来、中国思想の影響から縁起の良い動物とされ、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけたとする地名由来説があることからモチーフに選ばれた。事実、明治時代初期の箱館戦争時に新政府軍側として参戦した福山藩の部隊はこのこうもりの旗印を掲げて参戦している。
「市の花」としてバラ(1985年制定)とキク(2003年制定)があり、2000年代の一時期はバラを模したマークが市の出版物に描かれていたり市の施設などバラに因んだ名称が使用されたりと、バラが「市章」に準じた扱いを受けていた事もあったが、2013年以降は正式なこうもり山の市章を中心に、用途によりバラのシンボルマークを使い分ける形となっている。
歴史
古代
古代における現在の福山市街の中心地はほぼ全域が干潟や海であった。近年までは現在の神辺平野も海となっていて「穴の海」と呼ばれたといわれていたが、これは遺跡の分布や地層の調査から現在では否定されており、この呼称があったとすれば江戸時代に干拓され陸地化された現在の福山市街を示していた可能性が高いようである。古代における備後地方の中心地は備後国国府のあった現在の府中市一帯でこれに至る旧山陽道が中国地方の重要な幹線道となっていた。その名残が市北部地区の駅家町の地名で文字通り山陽道の駅家(宿駅)であったことを示している。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するように通され、外港として設けられた深津市は賑わいこの周辺は瀬戸内で最も栄えた地域となっていた。(現在の福山東IC付近)また、この地方はヤマト王権と吉備との勢力争いの最前線であったため古くからヤマト王権の重要拠点ともなっており、“二子塚古墳”のような大規模な前方後円墳や畿内以外では珍しい横口式石槨を持つ古墳が残り全国でも有数の古墳集積地となっている。瀬戸内の中央部に位置する備後南部に港が多く点在し、深津、津之郷、吉津、奈良津、今津など港を意味する地名が今日も残されている。また中でも、鞆の浦は万葉集にも詠まれるように風待ち、潮待ちの港として古代より独自の地位を築いていた。
中世
中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木之庄といった荘園が形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市が栄えるようになった。しかし、この町は芦田川の堆積作用により港湾施設の使用が難くなり衰退したと考えられている(遺跡は芦田川の浚渫により消滅)。一方、現在の深津高地と呼ばれる深津島一帯は瀬戸内における金融拠点として発展し、その後の福山藩成立にも多大な貢献をしている。平安時代には鞆に最澄により静観寺、空海により医王寺が創建されるなどそれぞれの西日本の布教拠点となったが、南北朝時代には北朝と南朝の間で幾度も戦闘があり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。戦国時代になると備後地方は毛利氏勢と尼子氏勢との拠点争いの地となり多くの城が築かれた。
近世
安土桃山時代になると備後国は概ね毛利氏の所領となり、鞆には毛利氏の庇護の元、室町幕府15代将軍足利義昭が滞在した(備後国を参照のこと)。関ヶ原の戦い以後は福島氏の所領となり、神辺と鞆に支城が置かれた。1619年、福島氏の改易により徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力外様大名への幕府方の楔として備後国東南部・備中国西南部の10万石を与えられ、福山藩が成立する。勝成は当時干潟であった臨海部の深津郡深津村と野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけた。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国の深津郡、安那郡、沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡、備中国の小田郡、後月郡のそれぞれ大半であった。その後、1698年に5代藩主水野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域が天領(幕府直轄領)とされるが、1699年に松平忠雅が転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年に伊勢国桑名藩に移封して、替わりに1710年に阿部正邦が福山に転封した。以後、阿部氏が明治維新まで続くことになった(詳しくは備後福山藩を参照のこと)。
福山市神辺町に備後国分寺が発見されている[10]。国府は国分寺の近くに置かれる事から、備後国府が当地にあった可能性があり、発掘が続いているが確定に至っていない[11]。
近代
1871年、明治維新の廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡、甲奴郡の半分、備中国小田郡、後月郡の大半を持って福山県が設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年に福山県は深津県へ名称が変更され、翌年(1872年)には深津県と倉敷県が統合され小田県が設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。そして、1875年には小田県が岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県から旧備後国である沼隈、深津、安那、品治、芦田、神石の6郡が広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年、9月11日に山陽鉄道笠岡-福山間が開業し、同年11月3日には福山-尾道までが開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそれぞれ統合され、芦品郡、深安郡が成立する。その後、1908年に陸軍第41連隊が福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町が野上・三吉両村を編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山-鞆)が開業して、翌年(1914年)7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)-府中町)が開業するなど交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市が誕生することになった。
市制施行後
福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市として誕生した。市制施行当時は旧城下町を中心とする地域で人口は32,356人であったとされる。 しかし、発足後の道程は平坦ではなく、市制施行間もなくの大正7年(1918年)には米騒動、その翌年の大正8年(1919年)には大水害に見舞われ、大正末期には陸軍41連隊が廃止の計画が持ち上がった。41連隊の廃止は市の財政破綻にも繋がりかねなかったが、これは市の陳情により回避されることになった。
その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併して市域を広げたことなどから、平野部が少なく開発の余地がない尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていった。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。それでも戦後の高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、地場産業の隆盛と中でも日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進んで人口が増加していった。昭和後期になると高度経済成長時代の終焉や鉄鋼不況などにより人口は約37万人程度で頭打ちとなったが、この頃には製鉄所の町から県東部の中心地へと脱却していった。そして、平成の大合併により市域は更に拡大し、ほぼ旧福山藩領であった地区になり人口は約45万人に達するが、近年の実質的な人口増加率は微増にとどまっている。
年表
- 1916年7月1日 - 深安郡福山町が市制施行し福山市(初代)が発足。人口32,356人。
- 1933年1月1日 - 深安郡川口村・手城村・深津村・奈良津村・吉津村・木之庄村・本庄村、沼隈郡神島村・佐波村・草戸村の10箇村を編入。
- 1942年7月1日 - 沼隈郡山手村、郷分村を編入。
- 1943年3月1日 - 深安郡大津野村(現福山市大門町)に福山海軍航空隊開隊。
- 1945年8月8日 - 福山大空襲により国宝福山城天守閣、国宝伏見御殿御湯殿、市街地の大半が焼失。
- 1954年3月31日 - 沼隈郡松永町および柳津村・金江村・藤江村・東村・本郷村・神村が合併し松永市市制施行。
- 1956年9月30日 - 深安郡引野村・市村・千田村・御幸村、沼隈郡鞆町・水呑町および津之郷村・赤坂村・瀬戸村・熊野村を編入。
- 1962年1月1日 - 深安郡深安町を編入。
- 1966年5月1日 - 福山市(初代)・松永市の2市が対等合併し、福山市(2代)となる(中国地方初の市同士の合併)。
- 1966年11月15日 - 福山城天守閣・伏見御殿御湯殿・月見櫓の再建が完成する。
- 1967年6月1日 - 自動車のナンバープレートに福山ナンバー登場。
- 1974年4月1日 - 芦品郡芦田町を編入。
- 1975年2月1日 - 深安郡加茂町・芦品郡駅家町を編入。
- 1975年3月10日 - JR山陽新幹線開業。JR福山駅は新幹線が3階、在来線が2階となり、付近は新幹線と在来線が世界初の二重構造高架となる。
- 1988年3月1日 - 山陽自動車道早島IC-福山東IC間開通。
- 1997年12月10日 - 山陽自動車道本線全線開通。
- 1998年4月1日 - 中核市となる。
- 2002年2月2日 - 一部地区(新市町全域および芦田町福田・高西町南・山野町山野の各一部)を除き市内局番が3ケタ化される。
- 2003年2月3日 - 沼隈郡内海町・芦品郡新市町を編入。芦品郡消滅。
- 2005年2月1日 - 沼隈郡沼隈町を編入。沼隈郡消滅。
- 2006年3月1日 - 深安郡神辺町を編入。深安郡消滅。
越県合併の模索
1963年(昭和38年)岡山県笠岡市に編入されていた城見村の旧茂平村(1889年他2村と共に城見村設立)が同市より分離、福山市への編入(越県合併)を模索した騒動。
騒動の経緯
旧茂平村地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)等により福山市との結びつきが強い地域であった。1963年岡山県の日生町福浦が強い住民運動により兵庫県赤穂市に合併されたことに刺激をうけた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)賛同のもと、福山市議会議員数人の賛同も得る。また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧茂平村地区は旧用之江村地区と共同で福山市に合併嘆願書を提出した。
騒動の終結
福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こる。また、翌年(1964年)岡山県知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し、騒動は終結。
姉妹都市・提携都市
海外
- ハミルトン市(カナダ オンタリオ州)
- 1976年友好都市提携締結。伴に巨大製鉄所を抱える縁。
- 浦項市(大韓民国 慶尚北道)
- 1979年友好都市提携締結。伴に巨大製鉄所を抱える縁。
- タクロバン市(フィリピン共和国 レイテ州)
- 1980年友好都市提携締結。旧帝国陸軍第5師団歩兵第四十一連隊(司令部が福山市)が玉砕全滅した地とされる縁が元。
- マウイ島(アメリカ合衆国 ハワイ州 マウイ郡)
- 2008年5月17日友好都市提携締結。戦前に当地域より多くの移民がマウイへ渡った縁。
国内
- 提携都市
- その他
その他
- 正式な友好都市提携は結んでいないものの深い交流のある地域
- 行政主体の友好都市提携などは結んでいないものの民間レベルでの深い交流のある国など
交通
空港
空路は広島県三原市にある広島空港まで福山駅前より空港リムジンバスで約1時間、岡山空港へは車で1時間半弱である。かつては岡山空港への福山駅からリムジンバスが就航していたが、利用者が少なかったため廃止されている。
鉄道
山陽新幹線は東京、新大阪方面には日中毎時4-5本、博多方面は4-6本停車する。さくらやのぞみでは岡山駅までも最短16分、広島駅まで最短24分、新大阪駅へは58分、博多駅へも1時間30分で到着する事から山陽地方主要都市や関西圏、九州北部へのアクセスも良く、また東京駅へも、のぞみ利用で最速3時間28分で到着する。
JR西日本については、中心駅の福山駅からは山陽本線の岡山方面へは日中、在来線各駅停車が毎時4本に加え、快速(サンライナー)が午前中3本と夕方以降のみ運行されており、快速での所要時間は笠岡駅まで13分、新倉敷駅まで25分、倉敷駅まで約33分、岡山駅まで45分である。一方、広島方面へは在来線の優等列車の設定はないため(当駅を経由する快速列車は当駅以西は八本松駅まで全て各駅停車である。また1975年3月改正以前は存在した)、普通列車(各駅停車)のみの運行で日中、毎時3 - 4本程度運行されていて尾道駅まで18分、三原駅までは33分、西条駅までは69分、広島駅までは100分の所要時間。また福山駅を起点とし、内陸の府中市や三次市を結ぶ福塩線や、井原市や総社市とを結ぶ井原鉄道井原線も一日の3本のみ神辺駅を経由し福山駅に直通乗り入れしている。 なお、かつては現在バス会社となっている鞆鉄道の運営する鞆鉄道線も1913年から1954年まで存在していた。またJR福塩線の福山 - 府中間は両備鉄道が前身であるが、両備鉄道時代は現在の福塩線と一部異なるルートを通っていた。
高速道路・国道
- 山陽自動車道 福山東I.C 福山西I.C 福山S.A、福山SAスマートインターチェンジ
- 国道2号(大阪市 - 北九州市)
- 国道182号(岡山県新見市 - 福山市)
- 国道313号(福山市 - 鳥取県北栄町・愛称 ロマンチック街道313)
- 国道314号(福山市 - 島根県雲南市)
- 国道486号(岡山県総社市 - 広島県東広島市・愛称 山陽ふるさと街道)
山陽自動車道や国道2号線といった基幹交通網もほぼJR山陽本線沿いに走っており、福山市を中心とする備後都市圏と岡山市・倉敷市を中心とする岡山・倉敷都市圏は交通、地理面からほぼ連続している。また四国とを結ぶ2つの本州四国連絡橋(瀬戸中央自動車道・瀬戸内しまなみ海道)の本州側起点の中間に位置している為、香川県・愛媛県といった四国北部方面へのアクセスも良好。また一日16往復運行されている愛媛県今治市行きの高速バスしまなみライナーは西瀬戸自動車道(しまなみ海道)経由で所要時間約1時間強。
路線バス
市内・近郊路線
- 中国バス(おもに山陽本線より北側と福山港周辺)
- トモテツバス(おもに山陽本線より南側)
- 井笠バス.C(2012年10月31日まで井笠鉄道)(おもに福山市中心部と神辺町などの高屋川流域)
- 北振バス(北部方面のみ)
- おのみちバス(松永方面のみ)
都市間高速路線
- 福山市街地発着の県外行きバス
-
- 東京線:エトワールセト号(小田急シティバス・中国バス)(夜行便)
- 横浜線:メイプルハーバー(中国バス)(夜行便)
- 京都線:みやこライナー(京阪京都交通・中国バス)
- 大阪線:びんごライナー(近鉄バス・中国バス)(府中・尾道始発)
- 神戸線:神戸ライナー(中国バス)(府中・甲山始発)
- 松江・米子線(松江道経由):クロスウェイエクスプレス(中国バス)
- 高知線:オーシャンライナー(中国バス)
- 松山線:キララエクスプレス(中国バス・本四バス開発・瀬戸内しまなみリーディング・伊予鉄バス)
- 今治線:しまなみライナー(中国バス・トモテツバス・瀬戸内運輸・瀬戸内しまなみリーディング)
- 福岡線:広福ライナー(中国バス・JR九州バス)(夜行便のみ福山へ乗り入れ)
- 県内路線
- 福山市北部発着の路線
港湾
- 福山港(重要港湾)
- 尾道糸崎港 松永港区(重要港湾)
福山市を発着する航路
以下の4航路が存在する。かつては福山港 - 香川県多度津町間に福山・多度津フェリーが就航していたが、2008年8月31日をもって廃止された。
- 鞆港 - 走島間航路(走島汽船)
- 鞆港 - 仙酔島渡船(市営)
- 鞆港 - 尾道間観光船(瀬戸内クルージング)
- 春季から秋季まで 土曜日、日曜日、祝日のみの限定運航
- 尾道港 - 戸崎港 - 歌港 - 満越港 - 福田港(百島) - 常石港(備後商船)
行政・出先機関
国の機関
- 裁判所
- 法務省
- 防衛省
- 自衛隊広島地方協力本部福山地域事務所
- 財務省
- 神戸税関福山税関支署
- 国税庁
- 広島国税局福山税務署
- 府中税務署(所在地は府中市・福山市北西部を管轄)
- 国土交通省
- 海上保安庁
- 第六管区海上保安本部尾道海上保安部 福山海上保安署
- 厚生労働省
独立行政法人および特殊法人
広島県の機関
- 広島県福山庁舎(三吉町)
- 広島県福山旅券センター(東桜町)
- 広島県福山児童相談所(瀬戸町)
- 広島県福山教育事務所(三吉町)
- 広島県東部運転免許センター(津之郷町)
- 広島県東部県民文化センター(東桜町、愛称:エストパルク)
- 広島県立東部工業技術センター(東深津町)
- 広島県立福山高等技術専門校(山手町)
- 広島県立福山少年自然の家(金江町)
- 広島県立歴史博物館(丸之内)
- 広島県立ふくやま産業交流館(御幸町、愛称:ビッグ・ローズ)
福山市の機関
主な組織 - 2012年(平成24年)4月1日時点
- 市長公室
- 企画総務局
- 財政局
- 経済環境局
- 保健福祉局
- 市民局
- 福山市民病院
- 建設局
- 会計管理者
- 上下水道局
- 議会事務局
- 選挙管理委員会事務局
- 監査事務局
- 農業委員会事務局
- 教育委員会
市の環境に対する取組
- 第6回持続可能な地域社会をつくる日本の環境首都コンテストに参加。
- 2012年(平成24年)1月24日付けで、経済産業省資源エネルギー庁から「福山市次世代エネルギーパーク」の認定を受ける。
インフラ整備環境
- 上水道は市内ほぼ全域を福山市上下道局が供給。古くは、江戸時代に水野勝成が整備した福山旧水道が用いられており戦中まで利用、近代上水道は大正時代に整備され現在に至る。これら旧水道の一部や最初に建設された近代浄水場である佐波は佐波城山公園として文化財保存されている。現在の主要な浄水場は千田、中津原、箕島にある。また特に神辺地域では地下水が豊富。
- 下水道は普及率65.5パーセント(神辺町域を合併以前の普及率)市街地ではほとんどが公共下水道へ放流可能。主要な下水処理場は芦田川浄化センター(箕沖町)、新浜処理場、松永処理場がある。
- 電力は中国電力において供給。供給源としては市内に瀬戸内共同火力 福山共同発電所と福山RDF火力発電所がある。また2011年12月に中国地方初となるメガソーラー、福山太陽光発電所が箕沖で運転開始。
- 都市ガスは福山ガスによって旧市内ほとんどで利用可能。
警察
- 福山東警察署(所在地は三吉町南二丁目、芦田川以東の地域 市中心部・東部を管轄)
- 福山西警察署(所在地は神村町、芦田川以西の地域 旧松永市地域や鞆町・沼隈町・内海町・尾道市浦崎町などを管轄)
- 福山北警察署(所在地は神辺町新道上三丁目、新市町・御幸町・神辺町・加茂町・山野町と神石郡神石高原町を管轄)
- 広島県東部運転免許センター(津之郷町)
- 交通機動隊・自動車警ら隊東部分駐所(大門町1丁目)
- 高速道路交通警察隊福山分駐隊(蔵王町5丁目)
- 市内に交番は25箇所 駐在所は14箇所ある。
消防・救急
福山地区消防組合消防局(福山市・府中市・神石高原町の2市1町で組織され、消防・救急業務を運用中。) 1消防局、8署、1分署、6出張所
- 消防局(福山市沖野上町5丁目)
- 南消防署(福山市沖野上町5丁目)、鞆出張所(福山市鞆町鞆字関町)、瀬戸出張所(福山市瀬戸町)
- 北消防署(福山市奈良津町2丁目)、駅家分署(福山市駅家町万能倉)
- 東消防署(福山市引野町北4丁目)
- 西消防署(福山市松永町3丁目)、今津出張所(福山市今津町字安毛の下)、沼隈内海出張所(福山市沼隈町常石)
- 水上消防署(福山市箕沖町)
- 芦品消防署(福山市新市町戸手)
- 深安消防署(福山市神辺町川北)、安田出張所(神石高原町安田)
- 府中消防署(府中市府中町)、小塚出張所(府中市上下町小塚)
マスメディア
テレビ
- 以前、NHK福山放送局が市内に存在した(現・NHK福山支局)。
ラジオ
以前は広島エフエム放送も支社を設置していたが、合理化により廃止された。
新聞
- 中国新聞社 備後本社・北福山支局
- 山陽新聞社 福山支社
- 太陽新聞 本社(地域日刊紙)
- 朝日新聞社 福山支局
- 産業経済新聞社 福山支局
- 毎日新聞社 福山支局
- 読売新聞大阪本社 福山支局
- 日本経済新聞社 福山支局
地域紙
- 経済リポート(当地域一の経済誌で購読者数も一位)
- 中国ビジネス情報
- びんご経済レポート(本社は尾道市)
- ウィンク(タウン情報誌)
- 福山リビング新聞(無料誌)
- プレスシード(無料誌)
- タウン情報ふくやま(タウン情報誌)※2006年10月号をもって休刊。
経済
物流・基幹産業・地域産業
重要港湾福山港は港湾設備整備が進むにつれ、、中四国地方では倉敷市の水島港に次ぐ規模となっている。2005年3月には福山国際コンテナ港もオープンし、さらなる需要の増加が期待されている。
また、瀬戸中央自動車道と西瀬戸自動車道という2つの四国への連絡橋の中間に位置し、更に中国横断自動車道尾道松江線(尾道道・松江道)の全通により、いっそう備後都市圏が中四国地方内の各主要都市への所要時間、輸送コストの面で最も優位となることから、。
工業
福山市の製造品出荷額は約1兆5000億円で広島市と同規模で中四国地方でも倉敷市に次ぐ2番目の規模。特に1961年(昭和36年)に立地したJFEスチール西日本製鉄所福山地区(旧日本鋼管福山製鉄所)は、同社最大の製造拠点であるのみならず世界最大規模の製鉄所でもあり、鉄鋼業の活況と伴にフル操業中で福山市の製造品出荷額の大半を占める。
シャープ電子デバイス事業本部福山工場はCCDイメージセンサ、液晶ドライバーなどの生産拠点。
三菱電機福山製作所は分電盤、ブレーカーの製造拠点。
地場産業では繊維・電子機器・ポンプ・クレーン・機械検査機器・食品トレー・ゴム製造業などの一大製造拠点になっている。
また上場企業やその業種のオンリーワン企業が都市規模の割合に比較しても非常に多く、国内地方都市では静岡県浜松地区に次ぐ上場・トップシェア企業の多い地域である。
基幹産業・上場企業
- 輸送用機器
-
- ツネイシホールディングス(造船・海運持株会社・本社所在地)
- 常石造船(造船業大手・本社所在地)
- 本瓦造船(造船業中手・本社所在地)
- ツネイシホールディングス(造船・海運持株会社・本社所在地)
- サービス業・不動産
-
- ベッセル(ホテル・マンション経営、ビルメンテナンス・印刷業・飲食業)、元「福山地所(株)」。本社所在地
- ロイヤルコーポレーション(自動車学校、クレーン学校、小型船舶教習所、本部所在地)
- 衣服・繊維
- 運輸・運送業
-
- 福山通運(運送業大手・本社所在地)
- その他製造業
-
- エフピコ(食品トレー製造大手・本社所在地)
- ホーコス(機械製造・本社所在地)
- シギヤ精機製作所(機械製造・本社所在地)
- テラル(機械製造・本社所在地)
- マナック(化学品製造大手・本社所在地)
- 日本ホイスト(ホイストクレーン・立体駐車場 本社所在地)
- オー・エイチ・ティー(電子基板検査機器製造・本社所在地)
- 日東製網(本社は東京都 創業地や現在の実質的な本社は福山市)
- 福山ガス(都市ガス供給会社・現在はJFEの高炉ガスを使用・本社所在地)
- ローツェ(搬送装置・本社所在地)
- JFEスチール西日本製鉄所福山地区(鉄鋼業・世界有数規模の製鉄所)
- 三菱電機福山製作所(電気部品)
- シャープ電子デバイス事業本部(CCDイメージセンサ、液晶ドライバー)
- 石井表記(プリント基板製造装置メーカー・本社所在地)
- ヒルタ工業(自動車部品製造・本社は岡山県笠岡市 創業地は福山市)
- 東洋額装(掛軸表装・本社所在地)
- 鈴木工務店(建設業・広島県下最古の設計事務所・本社所在地)
鉱業
かつて以下のような鉱山が存在したが、すべて閉山している。
- 大谷鉱山 - 本郷村大谷。江戸時代に銅を中心に算出した。永鉱山鉱山とも。大正6年には14万1452貫を生産したが、その後閉鎖[14]。
- 山南銅山 - 沼隈郡山南村。明治44年には銅2180貫を生産したが大正時代に操業停止[14]。
- 大豊銅山 - 沼隈郡千年村常石大越。大正7年に8万7619貫を生産したが、大正23年までに操業停止[14]。
- 赤坂銅山 - 赤坂村勝負にあった。大同年間より採掘が開始された。大正23年までに操業停止。断続的に昭和28年まで操業した[14]。
- 田壕銅山(だぼ) - 沼隈町の熊ヶ峰中腹にあった銅山。大正11年5月より試掘開始[14]。
- 本郷町の炭田 - 松永本郷町の納屋地区にあった炭田[15]。亜炭を産出したが、操業期間は短かった。
商業
福山駅前(中心街)
市内随一の商業集積を持つ地域で、福山駅南口周辺を中心として形成される。
昭和30年代ごろまでは駅から少し離れた本通りや霞銀座、大黒町といった古くからの商店街が小売の中心であったが、戦後間もなくの1948年(昭和23年)に天満屋が福山駅前に出店し、昭和40年代にダイエーやニチイ(後に福山ビブレとなる)、イズミ(後に複合専門店ビルCASPAとなる)などが相次いで出店すると小売の主軸は駅前へと移っていった。
1984年(昭和59年)に元町市街地再開発事業で建替えられた天満屋福山店が大幅増床オープンし駅前地区の商業は全盛期を迎える。しかし、1990年代までに商業の中心は蔵王・春日(東部)を始めとする郊外型の店舗へと移行していき、1992年(平成4年)に当時中国地方最大級の規模を持つ百貨店「福山そごう」が駅南西の工場跡地に開店するも、バブル経済崩壊や駅から若干離れる立地などから売り上げは伸び悩み、経営母体の破綻による煽りを受け、わずか8年後の2000年(平成12年)に閉鎖されることになった。また、その前年には福山ビブレが営業不振により閉店、2005年(平成17年)にはダイエー福山店が閉店した。
福山そごう跡は福山市が買い取り2003年(平成15年)に天満屋系列の複合専門店ビルが入居して“福山ロッツ”としてオープンする。福山ビブレ跡地にはホテルや貸しオフィスや飲食店、岩盤浴施設などの複合多目的ビルRiM-fが開店し、ダイエー東館跡には2002年(平成14年)からフタバ図書GIGAが入居したが2009年(平成21年)に閉店し、これをトモテツセブンが取得して専門店ビルとして再生させた。ダイエー西館跡は解体され高層分譲マンションが建設された。
駅前地区の衰退に歯止めをかけるため、福山市は福山そごう跡買い取りに続いて2009年(平成21年)に循環バス路線「まわローズ」の運行を開始、更に駅前周辺の整備事業として2011年には駅南口に地下送迎場を設置、同時に駐輪場設置や道路整備を行なうなど、様々な振興策を打ち出した。同年、民間主導による再開発事業により商業・住居複合ビルアイネスフクヤマが完成したものの、テナントがアイネスフクヤマに移動してしまったキャスパが2012年閉店となる。駅南東側の伏見町にも複合ビルを中心とした再開発計画があったが頓挫、再開発準備組合は2016年に解散した[16]。
一方、駅ナカでは「福山サントーク」が、中国四国地方初の7店を含む91店集積の下、2007年(平成19年)11月1日に「さんすて福山(サンステーションテラス福山)」としてリニューアルオープン。2008年7月1日に今まで駅北東側の三吉町にあった市立図書館が福山市生涯学習プラザ(愛称:まなびの館ローズコム)として中心部から南に進んだ霞町、中央公園内(福山市民会館跡地)に移転した。
なお、居住環境としての福山駅前は2000年代後半ごろから都市部への回帰や新幹線が停車する利便性の高さなどにより、分譲マンションの建設が進んだ。また、福山駅北口は分譲・賃貸マンションやビジネスホテル、飲食店・小売店などが点在するほかは空地や駐車場が目立つなど比較的開発が進んでいなかったが、ここにも2000年代後半ごろから新たなビジネスホテルや高層マンションが相次いで建設され、2008年(平成20年)には福山大学のサテライトスクールが設置された。
松浜町・入船町・港町・王子町 (中心街)
福山駅前から南東へ約1.5キロ辺りに広がる地区である。実質、福山市中心部を管轄する福山東警察署があり松浜町や入船町は歓楽街が主体であるが市中心部の国道2号線と県道との交差点にあった日本化薬福山工場(市内箕沖町に移転)跡地を中心に大規模な再開発がなされ、日本化薬がイトーヨーカドー福山店と天満屋、天満屋ハピータウンを中核とする大規模駐車場を備えたポートプラザ日化を建設されている。市も周辺を大規模な区画整理を行ったり、隣接の松浜町の工場跡地に福山芸術文化ホール(リーデンローズ)がオープン。入船町と隣接した港町の入江を埋め立てた場所には福山市立大学、また入船町にはエディオン福山本店や松浜町にケーズデンキ福山店などの大規模な小売業の集積も増えている。当該地区を取り囲むように分譲・賃貸マンションが多く立地している。王子町は主に国道2号沿いに当地に本社を構える洋服の青山本店を中心に郊外型店が密集している。
沖野上町
福山駅前から南へ約2キロ辺りに広がる地区で旧国立病院(現在の国立福山医療センター)付近を中心に大・中規模の医療施設の集積が多く、分譲・賃貸マンションも多い。ある程度の商業集積があるが駅前地区との連続性は乏しい。近隣の緑町には大規模な都市公園である緑町公園とかつて天満屋ハピータウン緑町店やサンピアがあった場所に郊外型の商業施設のココローズやみどり町モールがオープン。また沖野上地区にはルートイン Spa Resortホテルグランティア福山、複合宴会場のアルセがある。また、ロージーロードに毎年冬には、イルミネーションが施される。
昭和町・南町・住吉町・松浜町・入船町・寺町・旭町
福山駅前から南東へ約700メートル辺りに広がる地区で主に夜間営業のスナック、居酒屋、飲食店などが大規模に集積。中国地方でも有数の規模を持つ。それを取り囲むように分譲・賃貸マンションも多数存在する。当地域は古くは赤線地帯であった。寺町から旭町にかけては、水野勝成公の城下町建設に従って集められた寺院が集積している。
東深津・南蔵王・引野・明神・手城・春日(東部)
福山駅前から東へ約3-5キロ辺りに広がる福山駅前に次ぐ集積を持つ地区である。かつては広大な干拓農地が一面に広がるエリアであったが、平野部は国道182号線バイパスの設置や昭和40年代の大規模区画整理により整備され、山間部も昭和50年代に日本鋼管(現JFE)の住宅団地として伊勢ヶ丘・春日台が開発された。こうした中、市は東部副都心構想を策定してJR東福山駅や福山市民病院(蔵王町)東深津町には当時の日本鋼管が寄贈したプールや小規模な遊園地を併設したメモリアルパークを設置するなどインフラを整備する。そして、蔵王・春日地区の平野部を東西に貫く県道沿いに「イズミ蔵王店(現在のゆめタウン蔵王)」がオープンしたことを皮切りに昭和60年頃から周辺に数多くの郊外型店舗が立地していき、後背地に幕山・伊勢ケ丘・大谷台といった大規模住宅地を抱える地理的条件もあいまり大発展を遂げた。また、昭和63年には山陽自動車道の福山東ICが蔵王町に開通するなど交通の利便性も更に高まり、現在では高層の分譲・賃貸マンション、戸建住宅・オフィスなどの立地も盛んで単なる郊外型商業地ではない高度な集積が形成されている。この他、JR山陽新幹線を隔てた明神町の国道2号線沿いにはヤマダ電機福山店やニトリ・ラウンドワン・フタバ図書・ドン・キホーテなど新たな商業集積ができつつあり、伊勢ケ丘地域ではJFE西日本製鉄所社宅跡地を利用した食品スーパーのハローズやホームセンターのユーホー、TSUTAYA・マクドナルドなどを中核とするショッピングモールがある。
松永(西部)
福山駅前から西へ約10キロ辺りにあり、かつては松永市だったが昭和41年に福山市に合併された。江戸時代に水野家家臣の本庄重政の指揮の下、遠浅の海岸地形を干拓して以来製塩業が盛んで、その薪燃料を別利用した下駄製造が二次的に栄えたが、今ではほとんど見られない。昭和35年の国策での塩田廃止後は駅南部の塩田跡地は徐々に埋め立てられ、住宅地や商業地へと変貌している。(ロイヤルドライビングスクールは塩田跡地をそのまま利用したもので地表面が周りから比べると明らかに低い。)旧松永市時代には中世より宿場町として栄え江戸時代には本陣も置かれた今津地区とを結ぶJR松永駅北部が中心地であったが、駅南側もゆめタウン松永店のオープンを皮切りに郊外型店舗を中心とする集積が進んでいった。また、小規模ではあるが駅南口には歓楽街もある。駅周辺は福山大学の開設の契機に中高層の主に学生向け賃貸マンションが多く立ち並ぶようになった。西側の尾道市との境である高西町は南松永と高西町を繋ぐ架橋が完成したり土地区画整理やヤマダ電機福山西店の出店などにより市町村合併前は同じ旧高須村地域であった過去を物語る様に連続的な集積が出来ている。東側の福山市中心部と松永地区の中間点である津之郷、赤坂、瀬戸地区にも郊外型パワーセンターのサファ福山やライフステージ太陽福山店などが立地している。
駅家・御幸・神辺(北部)
福山駅前から北へ約6-7キロ辺りに広がる地区で駅家地区は昭和50年代に福山市に編入された地域である。長らくJR福塩線の北側の県道沿いにのみ小規模な商店街が形成されるのみであったが、昭和50年代にニチイ駅家店(後にサティになるが現在は撤退し食品スーパーのハローズ主体の駅家モールとなっている)がオープンし、この地区の郊外型店舗のさきがけとなった。そして、これを軸に商業集積が出来ていったが、幾分道路事情が悪かったことなどから商業的中心は国道486号線沿いへと移っていった。
御幸地区は南部の県道沿いに小規模な集積があったのみであったが、北部に国道486号線が開通したことや、福山平成大学や中国中央病院、広島県立ふくやま産業交流館(ビッグローズ)が完成すると神辺平野の中核的な地域となり、現在では国道沿いに駅家地区、神辺地区と連続した商業集積を持っている。
神辺地区は国道313号線沿いや国道182号線沿いの川南・道上地区、旧山陽道(西国街道)沿いに古くからの小規模な商業集積があるのみであったが、JR神辺駅周辺に昭和50年代に郊外型商業施設である天満屋ハピータウン神辺店(現在は撤退して食品スーパーのハートが入店)やニチイ神辺店(サティに衣替えするが撤退しユーホーが出店するが隣接地に移転する)がオープンする。しかし、神辺駅周辺は区画整理に反対する勢力の影響で道路事情が悪いことや御幸地区の発展などから現在は衰退気味である。一方、国道486号線沿いは国道313号線との交差点付近(湯野区画整理事業地内)にパワーセンターであるMrMax(現在はフレスポ神辺モールへ移転)やアクト神辺がオープンし、平成に入り国道486号線が全通して国道182号線と結ばれたことを契機に駅家・御幸地区との連続的集積が形成されていった。そして、平成17年(2005年)に486号線と182号線の交差点付近(道上土地区画整理事業地内)にフジグラン神辺を中心とする大規模商業エリアが完成した。
川口・多冶米・新涯・曙・一文字・水呑(南部)
福山駅前から南へ約4-5キロ辺りに広がる地区であり、川口と多治米は江戸時代初期、新涯(曙、一文字を含む)は幕末に干拓された地域。 1970年代の大規模土地区画整理事業以前はバス通り沿いに小規模な商業集積があるのみの田園地帯であったが、昭和47年(1972年)に手城町とを隔てる運河に入江大橋が架けられ国道182号線とを結ぶ県道380号線が開通したことを契機にこの通り沿いを中心に郊外型商業施設が建ち始めた。しかし、周辺人口の少なさや海に囲まれた閉鎖的な地理環境などから現在も大規模な集積は生まれていなかった。ただし、交通環境に関しては平成6年(1994年)に駅前大通りから続く道路(福山駅箕島線)が開通したことや平成15年(2003年)の芦田川大橋開通により芦田川対岸の水呑町と結ばれたことなどから大きく改善しているが、逆に商業的中心は川口地区から新涯地区へと移っていった。また、芦田川大橋を渡った水呑町も区画整理事業が完了するに伴い商業集積が高まってきている。
ビックボール有する、ボウリング、ビリヤード、漫画店等に隣接するイオン系列のショップモールの撤退から後(2007年)以降からは大規模な総合アミューズメント施設(コロナワールド)が建つ他、観覧車の設置、福山夏祭りの恒例イベントである花火大会を芦田川大橋付近で行うなど近年、賑わいを集めている。 人口の増加では駅前周辺に次ぐ増加率である。
各場所にはじじんさんと呼ばれる石造の神様が江戸期に行われた大新涯干拓事業により設置されている。
この区域ではクワイ(芋類の一種)の生産が盛んであり、福山は生産高日本1位(また2010年現在)も記録されている。
- 期間限定品である、くわい焼酎「福山そだち」に用いられるクワイが生産されている。
箕島・箕沖(南部)
箕島は元々は福山湾内に浮かぶ離島であったが、江戸時代から明治初年に行われた大新涯の干拓により陸続きになった。作物に恵まれた地域である。また近くの茶山には古墳が存在する。
新涯・箕島から2 - 3キロに続く埋立地を箕沖と言い、中国電力の太陽光発電所やエフピコ・日本化薬、各種製造会社、港湾施設などが立ち並ぶ。
新市(北部)
福山駅前から北西へ約15キロ辺りに広がる地区で古代から繁栄した地域で備後一宮も鎮座する。県道沿いのJR新市駅付近に小規模な商業集積があったが国道486号沿いの駅家町や府中市との境界付近に一定規模の連続的な商業集積がある。繊維業が盛んで日本三大絣の備後絣発祥の地としても有名。自重堂、コーコスなどのワーキング大手やブルーウェイやカイハラなどジーンズ系大手が本社を構える繊維の街である。
主な大規模小売店
- 天満屋福山店・ポートプラザ店
- サンステーションテラス福山 略称: サンステ福山(旧:福山サントーク、福山駅ビル)
- ウエスギ本店(地元資本の繊維関係量販店)
- エフピコRiM
- ポートプラザ日化
- ゆめタウン蔵王・ゆめタウン松永
- フジグラン神辺(スーパーフジやエーガル8シネマズと名付けられたシネマコンプレックスなど)
- ヤマダ電機福山店・福山西店・福山北店
- エディオン福山本店・福山北店・東福山店・松永店
- ダイキ北吉津店
- アクト神辺
- ニトリ福山店
- コロナワールド福山店
- フレスポ神辺モール(MrMaxや啓文社などがメインテナント)
宿泊施設
- ホテル1-2-3 福山
- リッチモンドホテル福山駅前
- 福山とーぶホテル
- 福山ニューキャッスルホテル
- ホテルエリアワン福山
- 福山ターミナルホテル
- キャッスルイン福山
- サンホテル福山
- 福山オリエンタルホテル
- 丸之内ホテル
- 福山プラザホテル
- 福山ローズガーデンホテル
- カンデオホテルズ福山
- ベッセルホテル福山
- ホテルグランティア福山SPA RESORT
- 景勝館漣亭
- 鞆シーサイドホテル
- 汀邸遠音近音
- ホテル鴎風亭
- 人生感が変わる宿ここから
- 東横イン福山新幹線駅前
- 常石ハーバーホテル
- ドーミーイン福山松浜町(建設中)
- リブマックス福山駅前(建設中)
主な大手企業支店一覧
|
|
市内に本・支店をおく地方金融機関支店一覧
- 地方銀行
- 第二地方銀行
- 信用金庫・信用組合等
- 地方証券会社
-
- ひろぎん証券福山支店
市内の主な病院
|
|
教育
1970年代より、同和団体による教育への過剰な干渉が広島県で問題となった。福山市は府中市や芦品郡、世羅郡などとともに、それらの問題が激かった地区である。国会で問題視され文部省による是正措置が行われた後は解消しつつある。
以下は福山市内の教育機関のリストである(休校中の学校を除く)。
小学校
- 公立
- 私立
中学校
- 国立
- 市立
- 私立
高等学校
- 国立
- 県立
- 市立
- 私立
|
大学
- 公立
- 私立
専門学校
- 私立
その他の教育機関
- 県立
学校教育以外の施設
- 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構立
-
- 中国職業能力開発大学校付属福山職業能力開発短期大学校(公共職業能力開発施設)
- 県立
-
- 福山高等技術専門校(公共職業能力開発施設)
統廃合および廃止された教育機関
幼稚園
小学校
中学校
高等学校
専門学校
その他の教育機関
学校教育以外の施設
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
国宝
- 明王院五重塔(草戸町)
- 明王院本堂(草戸町)
- 太刀 銘 正恒
- 太刀 銘 国宗
- 太刀 銘 吉房
- 太刀 銘 則房
- 太刀 銘 筑州住左(江雪左文字)
- 短刀 銘 左/筑州住(太閤左文字)
- 短刀 銘 国光(名物会津新藤五)
重要文化財(国指定)
- 福山城伏見櫓(京都伏見城より後述の筋鉄御門と伴に江戸時代初期に移築・丸之内一丁目)
- 福山城筋鉄御門(丸之内一丁目)
- 沼名前神社能舞台(鞆町・沼名前神社境内・京都伏見城にあったもの)
- 鞆の浦太田家住宅・太田家住宅朝宗亭(鞆町)
- 鞆の浦備後安国寺釈迦堂(鞆町)
- 木造十一面観音立像(草戸町・明王院蔵)
- 木造阿弥陀如来及両脇侍立像(鞆町・安国寺蔵)
- 木造法燈国師坐像(鞆町・安国寺蔵)
- 磐台寺観音堂(沼隈町)
- 備後吉備津神社本殿(新市町)
- 木造狛犬(新市町・吉備津神社蔵)
- 毛抜形太刀 五阿弥長行作(新市町・吉備津神社蔵)
- 毛抜形太刀 五阿弥長行作(新市町・吉備津神社蔵)
- 毛抜形太刀 正光作(新市町・吉備津神社蔵)
- 毛抜形太刀 正光作(新市町・吉備津神社蔵)
- 太刀 銘 備前長船盛景
- 太刀 銘 備前長船兼光/延文三年二月日
- 短刀 銘 光包
- 草戸千軒町遺跡出土品(西町・県立歴史博物館蔵)
特別史跡
史跡(国指定)
名勝(国指定)
天然記念物(国指定)
- 法宣寺天蓋マツ(鞆町)
重要有形民俗文化財(国指定)
国登録有形文化財建造物
その他
- 山中鹿之助首塚(鞆町)
- 草戸稲荷神社(草戸町・例年正月には40万人以上の参拝者が訪れる)
- 三蔵稲荷神社(丸之内一丁目・水野氏ゆかり)
- 備後護国神社(旧阿部神社・宮本武蔵腰掛石・丸之内二丁目)
- 福山八幡宮(福山城下総鎮守・北吉津町)
- 備後国分寺(神辺町)
- 相方城跡(新市町)
- 素戔嗚神社(新市町)
- 大滝神社(新市町)
- 金名の郷頭(新市町)
- 厚山宝篋印塔(新市町)
- 宮脇遺跡(新市町)
- 堂々川砂留群(神辺町・福山藩によって築造された砂防ダム)
- 別所砂留
- 大谷砂留
- 二子塚古墳(駅家町・備後地区最大の前方後円墳・国史跡指定申請中)
- 賢忠寺
- 福山グリーンライン(沼隈半島の尾根を鞆の浦まで走る観光道路 福山市街地や倉敷市の瀬戸大橋、香川、愛媛県などの四国方面が一望できる。)
- ロマンチック街道313
- 四川ダム
- 道の駅アリストぬまくま
スポーツ施設
- 福山市民球場(プロ野球公式戦も開催される)
- 福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場
- 福山市体育館
- ローズアリーナ
- 福山市武道館
- みろくの里神勝寺球場
レジャー
- 福山競馬場(中国地方唯一の地方競馬場だったが2013年に廃止された)
- 福山市立動物園
- みろくの里(複合テーマパーク・温泉)
- 福山メモリアルパーク(遊園地)
- 鞆の浦温泉
- 本郷温泉
- 俄山弘法大師堂 - 名水、ラジウム温泉
スポーツ
- 社会人野球
- JFE西日本硬式野球部 - 都市対抗野球大会の常連出場チーム。福山市と岡山県倉敷市の両市を本拠地としている。
- ツネイシブルーパイレーツ
- NKK硬式野球部(旧:日本鋼管福山野球部) - 2002年に解散。
- 高等学校では誠之館高校のラグビー部、葦陽高校のサッカー部、神辺旭高校のバレー部、近大福山高校の卓球部、柔道部、野球部が特に強豪校。
ボーイスカウト
- ボーイスカウト福山第2団
観光・芸術
博物館・資料館
- 福山市立福山城博物館(丸之内一丁目)
- 広島県立歴史博物館(草戸千軒町遺跡の出土品を展示・丸之内一丁目)
- 日本はきもの博物館(松永町・世界唯一の“はきもの”にテーマをしぼった博物館)
- 日本郷土玩具博物館(松永町)
- 福山自動車時計博物館(クラシックカー時計・木之庄町)
- 福山市しんいち歴史民俗博物館(新市町)
- 福山市立鞆の浦歴史民俗資料館(旧鞆城跡)
- 菅茶山記念館(神辺町)
- 福山市神辺歴史民俗資料館(神辺町)
- 神辺本陣(神辺町・山陽道の宿場町)
- アンクル船長の館(沼隈町)2009年9月閉館
美術館
- 福山市立ふくやま美術館(丸之内一丁目)
- 福山市立ふくやま文学館(井伏鱒二の書を中心に展示・丸之内一丁目)
- 福山市立ふくやま書道美術館(西町1丁目・福山ロッツ8階)
- しぶや美術館(本町・福山通運創業者澁谷昇氏の絵画コレクションを展示)
- 中川美術館(中国古代美術・熊野町)
図書館
- まなびの館ローズコム - 福山市中央図書館、福山市生涯学習プラザなどの複合施設。2008年7月1日開館。霞町一丁目・中央公園の一角にある。
- 松永図書館 (松永町)
- 北部図書館 (駅家町)
- 東部図書館 (伊勢丘)
- 沼隈図書館 (沼隈町)
- 新市図書館 (新市町)
- かんなべ図書館 (神辺町)
- 水呑分室 (水呑町)
その他
- 福山市立動物園
- リーデンローズ(福山市総合文化ホール・コンサートホール等に用いられる)
- 広島県東部県民文化センター(エストパルク・ホール)
- ビッグ・ローズ(広島県立ふくやま産業交流館・各種大規模イベントに用いられる)
- 福山市立神辺文化会館(ホール)
- 福山市中央公民館
- 福山市沼隈サンパル文化センター(ホール)
祭り
- たじり杏まつり(3月・田尻町)
- 福山ばら祭(5月・市内中心部で行われる福山最大の祭り)
- お手火祭り(7月上旬・鞆町・沼名前神社・別名「お手火神事」)
- 祇園祭(けんか御輿)(7月中旬・新市町・素盞嗚神社
- 二上り踊り(8月・福山駅前大通り・久松通り)
- 松永ゲタリンピック(9月・市内松永地区で行われる大規模な祭り)
- 市立大祭(11月下旬・新市町・吉備津神社)
- 東村かかし祭り(12月・東村町)
福山市の名産品
福山市出身・ゆかりの主な著名人
公人
- 宮澤裕(政治家、喜一の父、小川平吉の女婿)
- 宮澤喜一(第78代内閣総理大臣・元衆議院議員)(出生地は東京)
- 宮澤洋一(第19・20代経済産業大臣、自民党参議院議員)
- 頼母木桂吉(元東京市長)
- 丸山鶴吉(警視総監・宮城県知事を歴任)
- 井上角五郎(実業家・元衆議院議員)
- 岡本半次郎
- 石井卓雄(陸軍少佐、クァンガイ軍政学校教官。ベトナム独立戦争で戦死)
- 塩村文夏(東京都議、元タレント・放送作家)
実業家
- 森下博(森下仁丹創業者・鞆町)
- 佐藤勇二(三菱自動車工業初代社長)
- 渋谷昇(福山通運、ベッセルの創業者、初代社長。しぶや美術館、福山通運渋谷長寿健康財団、財団法人渋谷育英会の創設者。元福山市市議会議員)
- 竹鶴威(ニッカウヰスキー元社長、ニッカウヰスキー第2代マスターブレンダー)
- 須野田誠(早稲田アカデミー創業者)
- 寺田和正(サマンサタバサ ジャパン リミテッド創業者・現社長)
- 岡本泰彦(ライク創業者・現社長)
- 守屋寿(メリルリンチ日本証券元会長、広島県立歴史博物館守屋寿コレクション蒐集)
文化人
- 青山圭秀(医学者)
- 池庄司敬信(政治学者)
- 佐野俊二(医学者)
- 清水郁太郎(医学博士)
- 河村博旨(函館大学元学長)、法学者
- 片山金章(中央大学元学長)
- 袴田茂樹(政治学者)
- 占部都美(経営学者)
- 井伏鱒二(小説家)
- 小泉成一(洋画家)
- 小山祐士(劇作家)
- 葛原しげる(童謡作詞家、“夕日”作詩者)
- 島田荘司(推理作家)
- 羽仁礼(ノンフィクション作家)
- 柳井隆雄(脚本家)
- 武田五一(建築家、京都市役所などを手がける)
- 藤井厚二(建築家、聴竹居などを手がける)
- 藤本寿徳(建築家)
- 榮久庵憲司(インダストリアルデザイナー、青年期を福山市で過ごす)
- 坂本万七(写真家)
- 大島衣恵(喜多流能楽師、父は大島政允、祖父は大島久見)
- 友竹正則(声楽家、「くいしん坊!万才」レポーター)
- 藤岡宣男(声楽家)
- 藤家虹二(音楽家・ジャズクラリネット奏者)
- 中野裕之(映画監督、『RED SHADOW 赤影』・SFシリーズ)
- 佐藤雄三(アニメ演出家、アニメ監督)
- 羽原信義(はばらのぶよし、アニメ演出家)
- 石田敦子(漫画家、アニメーター)
- 田中将賀(アニメーター)
- もりたじゅん(漫画家、本宮ひろ志の妻)
- 満田拓也(漫画家)
- とだ勝之(漫画家)
- 箱田真紀(漫画家)
- 松田洋子(漫画家)
- 村岡達子(宗教家)
- 松下知代(筝曲演奏者)
芸能人
- 三谷昇(俳優)
- 小林克也(DJ、ラジオパーソナリティ、俳優)
- 金児憲史(俳優、石原プロモーション所属)
- 毎熊克哉(俳優)
- 緒川たまき(女優、小学校 - 高校在学時まで在住)
- 京野ことみ(女優)
- 西田尚美(女優)
- 國武綾(女優)
- 千葉早智子(女優)
- 星奈優里(女優、元宝塚歌劇団星組トップ娘役)
- 暁千星 (宝塚歌劇団月組男役)
- 町本絵里(女優、2004年度ミス・ユニバース日本代表)
- 横山知枝(女優、元やまだかつてないWink)
- 福山潤(声優)
- 平井誠一(声優)
- 速水けんたろう(タレント、だんご3兄弟)
- 天津・向清太朗(お笑いタレント)
- 白石知世(タレント)
- 杉原杏璃(グラビアアイドル)
- 菜乃花(グラビアアイドル)
- 村上友梨(グラビアアイドル)
- エムラミノル(ミュージシャン)
- 大本彩乃(アイドル歌手、アーティスト、Perfume)
- 岡峰光舟(ミュージシャン、THE BACK HORN)
- 小原春香(タレント、元SDN48、元AKB48)
- ak(ミュージシャン、作曲家)
- 国岡真由美(ミュージシャン、ICE ボーカリスト)
- 五味岡たまき(アイドル歌手、元おニャン子クラブ)
- 崎谷健次郎(ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、福山市民の歌「流れによせる歌」(1979年)の作曲者)
- 森恵(シンガーソングライター)
- 世良公則(ミュージシャン、俳優)
- 樽木栄一郎(ミュージシャン)
- 寺岡呼人(ミュージシャン、元JUN SKY WALKER(S))
- 藤井一彦(ミュージシャン、ザ・グルーヴァーズ)
- 藤井謙二(ミュージシャン、元MY LITTLE LOVERギタリスト)
- sono(ミュージシャン、元Cry&Feel it)
- もんたよしのり(ミュージシャン)
- Mas Sawada(ミュージシャン、元初代ツイストのリーダー、音楽プロデューサー)
- 溝渕ケンイチロウ(ミュージシャン、the castanets)
- 鎌田有紀(歌手、元虎姫一座リーダー)
スポーツ選手
- 株本義久(元大相撲力士)
- 備州山大八郎(1940年代〜1950年代に活躍した大相撲力士、最高位・関脇。幕内優勝1回)
- 小川邦和(元プロ野球選手)
- 藤井康雄(元プロ野球選手)
- 浅野啓司(元プロ野球選手)
- 箱田淳(元プロ野球選手)
- 神崎安隆(元プロ野球選手)
- 江草仁貴(阪神タイガース→埼玉西武ライオンズ→広島東洋カープ選手)
- 上本博紀(阪神タイガース選手)
- 上本崇司(広島東洋カープ選手)
- 橋誠(プロレスラー)
- 藤井軍鶏侍(プロレスラー、総合格闘家)
- 中村和裕(総合格闘家)
- 島田裕二(格闘技レフェリー)
- 石井義信(サッカー元日本代表監督)
- 岡崎建哉(サッカー選手)
- 兼田亜季重(サッカー選手)
- 森脇良太(サッカー選手)
- 森孝慈(元サッカー日本代表)
- 古邊考功(元サッカー選手)
- 上村健一(元サッカー選手:熊本生まれ、福山育ち)
- 桒田慎一朗(元サッカー選手)
- ダ・シルバ・ファビオ・岡(サッカー選手:ブラジル生まれ、福山育ち)
- 家本政明(サッカープロフェッショナルレフェリー)
- 遠藤愛(元プロテニス選手)
- 有馬隼人(アメリカンフットボール選手・元TBSアナウンサー)
- 麻生慎介(競艇選手)
- 市川哲也(競艇選手)
- 黒川知弘(福山競馬騎手)
- 岡田祥嗣(中央競馬騎手)
- 笹田和秀(日本中央競馬会調教師)
放送・新聞
歴史上の人物
- 水野勝成(初代福山藩主で福山の開祖・戦国武将・徳川家康の従弟・生まれは三河国岡崎(現岡崎市)
- 阿部正弘(福山藩主・徳川幕府老中首座)日米和親条約を結ぶ。
- 菅茶山(福山藩儒学者・頼山陽などに影響を与えた)
- 関藤藤陰(福山藩儒学者・生まれは福山藩領笠岡)
福山市名誉市民
- 平櫛田中 (1872年 - 1979年) : 木彫家、文化勲章受章者・福山駅前の釣人像(レプリカ)作成者。
- 井伏鱒二 (1898年 - 1993年) : 小説家・黒い雨などの作者。
- 葛原しげる (1886年 - 1961年) : 童謡詩人・童謡夕日などの作曲者。
- 野島泰治 (1896年 - 1970年) : 医学者・ハンセン病研究の権威。
- 森戸辰男 (1888年 - 1984年) : 文部大臣、広島大学学長、日本ユネスコ国内委員会会長など。
- 福原麟太郎 (1894年 - 1981年) : 小説家。
- 神原秀夫 (1916年 - 1977年) : 旧沼隈町初代町長など地元発展の功績者。
- 金島桂華 (1892年 - 1974年) : 日本画家。
- 猪原大華 (1897年 - 1980年) : 日本画家。
- 櫻田武 (1904年 - 1994年) : 日清紡績社長、会長を歴任。
- 村上銀一 (1904年 - 1983年) : 当地域からのハワイ移民、海外交流に貢献。
- 澁谷昇 (1904年 - 1994年) : 福山通運創業者・名誉会長。
- 桑田笹舟 (1900年 - 1989年) : 一楽書学院の設立者。
- 吉川英士 (1909年 - ) : 邦楽研究家。
- 宮地茂 (1914年-2005年) : 福山大学創立者、名誉総長・文部官僚。
- 宮澤喜一 (1919年 - 2007年) : 元衆議院議員、第78代内閣総理大臣、初代財務省大臣など。
- 松本卓臣 (1920年 - ) : 福山ガス社長、福山商工会議所会頭などを歴任。
大使など
- 福山ふるさと大使 第1号:小林克也
- 福山市観光大使 第1号:ヒュー・ジャックマンが演じる「ウルヴァリン」
- 100万本のばらのまち福山応援大使:手嶌葵
- ばらのまち福山PR大使:ニコライ・バーグマン(フラワーアーティスト)
- 福の山・ばらグッズ応援大使:藩飛礼
- 観光アシスタント ローズ福山(旧ミスばら)
- ミス三蔵稲荷
- ふくやま未来づくり100人委員会
- ふくやま未来づくり応援団
福山市が登場する作品
以下にはロケ地も含まれる
- 恋とか愛とか(仮) Episode29「ギャップのある女」 (2017年11月、広島ホームテレビ / 2017年12月、「民視」(台湾) ) 宮通り、鞆の浦などでロケ撮影。
- 星籠の海 (2016年、東映) : 2016年(平成28年)福山市の市制施行100周年を記念した映画で、市内でロケ撮影[17]。
- 花燃ゆ(2015年6月7日、NHK) : エンディングの『花燃ゆ紀行』(第23回)に鞆の浦、太田家住宅が登場。
- 流星ワゴン (2015年、TBS) : 福山市が舞台のドラマ。鞆の浦、及び、福山城など市内でロケ撮影。
- 鞆の浦慕情 (2014年、徳間ジャパンコミュニケーションズ) : 岩佐美咲のシングル曲。鞆の浦が舞台の演歌。ジャケットやPVも鞆の浦で撮影。オリコンCDシングルランキング初登場1位を記録。
- ウルヴァリン: SAMURAI (2013年、20世紀フォックス) : 鞆の浦でロケ撮影。
- 少女たちの羅針盤 (2010年、クロックワークス) : 福山市内全域が映画の舞台。
- 聖家族〜大和路 (2010年、カエルカフェ) : 福山市内でロケが行われた。
- 龍馬伝 (2009年、NHK) : 市内がロケ地となった。
- TAJOMARU (2009年、ワーナー・ブラザース) : 福山市が撮影現場。
- 銭ゲバ(テレビドラマ版)(2009年、日本テレビ) : 造船シーンを常石造船(沼隈町)でロケ撮影。
- ハブテトル ハブテトラン(2008年12月、ポプラ社):中島京子の小説。松永が舞台。
- 崖の上のポニョ (2008年、スタジオジブリ) : 監督の宮崎駿がスタジオジブリの社員旅行で滞在した福山市の鞆の浦を気に入ったことで舞台となった。
- 篤姫 (2008年6月1日、NHK) : エンディングの『篤姫紀行』(第22回)にて福山市が登場。
- 水戸黄門(TBS) : 福山城、周辺の遺跡等が撮影に使われている。
- 坂の上の雲(NHK) : 東京の兵学校に入った秋山真之が久しぶりに松山に帰省して通りで偶然父親と再会するシーンは、みろくの里でロケが行われた。
- 大帝の剣 (2007年、東映) : みろくの里でロケが行われた。
- 火垂るの墓(テレビドラマ版)(2005年11月1日、日本テレビ) : 鞆町(鞆の浦)がロケ地。
- 男たちの大和/YAMATO (2005年、東映) : 鞆町がロケ地。
- あずみ2 Death or Love (2005年、東宝)
- あずみ (2003年、東宝)
- はみだし刑事情熱系クリスマススペシャル「尾道〜しまなみ海道 港から消えた女!悲劇を結ぶ赤い花の謎!? 立ち上がれ兵吾!お前の刑事魂は死んだのか」(2003年12月24日、テレビ朝日)
- ふたり(映画版)(1991年、松竹) - 境ガ浜マリンパークなどでロケを行った。
- ゴリラ・警視庁捜査第8班 (1989年10月15日・11月5日、テレビ朝日) : 24話と27話で舞台となった。また後期OPでは福山ロケの映像が使われていた。
- 大いなる完(1983年-1984年、モーニング連載、講談社) : 主人公の出身地および選挙区(旧広島県第三選挙区)という設定。ただし描写が現実と大きく異なる。
- 転校生 (1982年版)(1982年、松竹) : 隣接する尾道市が舞台であるが、主人公の前の学校の友達と会った場所という設定で福山城が登場。
- 吉宗評判記 暴れん坊将軍 (1981年8月22日、テレビ朝日)第173話、福山城と福山藩主、阿部正福が登場
- 泣きながら笑う日 (1976年、松竹) : 坂本九主演
- ウルトラマンA 第一話 (1972年4月7日、TBS) : 超獣ベロクロンが最初に福山市に出現したことになっている。なお、Aに変身する北斗星司、南夕子両名も福山市出身との設定。
- 家族 (1970年、松竹) : 長崎県から北海道へ移住する一家が、高齢の父親を託す為に次男夫婦が住む福山市に立ち寄る場面に登場。結局、一家は父親とともに福山を去るが、映画には旧福山駅や竣工間もない日本鋼管福山製鉄所、次男一家の住居がある大門団地(現:東陽台)が描写。
- みろくの里セット村
- 。
その他
福山市内の市外局番
市外局番は以下のように区分されている。
- 福山MA[福山特例] 084(910 - 929、931、932、940 - 959、961、968 - 979、981 - 985、990 - 999) 旧市街地区など
- 福山MA 084(960、962 - 967、980、986 - 989) 旧沼隈町、内海町および神辺町地区と尾道市浦崎町の一部
- 尾道MA[松永特例] 084(900 - 909、930、933 - 939) 旧松永市地区
- 府中MA 0847(40 - 69) 旧新市町地区
- 井原MA 0866(60 - 89) 山野町の一部地区(堂谷地区の2軒)
- 上記1と3相互の通話は、特例で市内料金が適用され、市外局番が不要である。
- 上記1と2相互の通話は、同一エリアにつき、市外局番が不要である。
- 上記2と3相互の通話は、隣接地域扱いとなるため、市外局番084が必要である。
- 上記3の地域は尾道市、三原市の「市外局番0848(20 - 89)地域」へは市外局番が必要だが、市内料金が適用される。
- 上記4の地域は府中市などと同じ扱いとなるため、その他の地域相互の通話は市外局番が必要である。
福山市内の郵便物の集配
郵便物の集配は、以下の郵便局が行っている。
- 福山郵便局:720-00xx、720-08xx、720-85xx、720-86xx、720-87xx
- 福山東郵便局:721-0000、721-09xx、721-85xx、721-86xx、721-87xx
- 鞆郵便局:720-02xx
- 千年郵便局:720-03xx
- 山南郵便局:720-04xx
- 駅家郵便局:720-11xx、720-24xx、720-25xx[注 1]
- 神辺郵便局:720-21xx
- 山野郵便局:720-26xx
- 内海郵便局:722-26xx
- 松永郵便局:729-01xx、720-05xx、729-02xx[注 2]
- 新市郵便局:729-31xx、720-12xx[注 3]
自動車のナンバープレートについて
自動車や軽自動車、二輪車などは福山市高西町に中国運輸局広島運輸支局福山自動車検査登録事務所や軽自動車検査協会広島主管事務所福山支所があり、広島県東部をエリアとする福山ナンバーを統括している。福山市と尾道市による激しい誘致合戦の結果、両市役所の中間地点である当地に同支所が置かれることとなったという逸話が残されている。なお、福山ナンバーは中四国9県で唯一の県名以外の地名の入ったナンバープレートである(※2006年10月よりご当地ナンバーとして倉敷ナンバーと下関ナンバーが加わった。ただしこれらの地区には陸運事務所などは設置されない)。
平成の大合併により広島ナンバーのエリアに区域移管される地域が多く、旧豊田郡(安浦・川尻・豊浜・豊・安芸津)旧甲奴郡(甲奴・総領)旧比婆郡(西城・東城・口和・高野・比和)が広島ナンバーへ、逆に広島ナンバーから福山ナンバーに移行されたのは新設合併された新・三原市のうち、旧賀茂郡大和町の区域のみである。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 福山市について
- ↑ 2.0 2.1 福山市総合戦略
- ↑ 3.0 3.1 神尾文彦・松林一裕『地方創生2.0』(東洋経済新報社、2016年)
- ↑ [芦田川の水質について. - 水質ワースト1の更新が 解消されました!!-]
- ↑ 長者ヶ原断層・芳井断層の断層変位地形と 最新活動時期の検討
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ “福山 年・月ごとの平年値”. 気象庁. . 2012閲覧.
- ↑ “福山 観測史上1-10位の値”. 気象庁. . 2012閲覧.
- ↑ “神辺の文化財(その他の文化財)”. 福山市神辺歴史民俗資料館. . 2011閲覧.
“備後国分寺跡”. 広島県観光ホームページ. . 2011閲覧. - ↑ “備後国府跡”. ひろしま文化大百科. . 2011閲覧.
- ↑ 歴史的縁さらに強く文京区、広島・福山市と相互協定『産経新聞』朝刊2018年3月22日(東京面)
- ↑ “都市間交流宣言:龍馬の絆で結ぶ協定 全国8市区、観光・防災で交流へ”. 毎日新聞. (2014年11月16日)
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 沼隈郡誌 1923年 p73-74 ISBN 978-4653012665
- ↑ 本郷郡誌
- ↑ 「素通り」福山駅前 活気を 読売オンライン 2017年10月25日 同日閲覧
- ↑ “映画「星籠の海」福山ロケ公開 市制100年記念 玉木さんら出演”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年5月8日) . 2015閲覧.
参考文献
- 『福山市史 近世資料編(1) 政治・社会』
関連項目
外部リンク
行政
観光