中央大学
中央大学 | |
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大学設置 | 1920年 |
創立 | 1885年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人中央大学 |
本部所在地 |
東京都八王子市東中野742-1 東経139度24分20.6秒北緯35.641361度 東経139.405722度 |
キャンパス |
多摩(東京都八王子市) 後楽園(東京都文京区) 市ヶ谷(東京都新宿区) 市ヶ谷田町(東京都新宿区) |
学部 |
法学部 経済学部 商学部 理工学部 文学部 総合政策学部 国際経営学部(2019年4月開設) 国際情報学部(2019年4月開設予定) |
研究科 |
法学研究科 経済学研究科 商学研究科 理工学研究科 文学研究科 総合政策研究科 公共政策研究科 国際会計研究科(アカウンティングスクール) 法務研究科(ロースクール) 戦略経営研究科(ビジネススクール) |
ウェブサイト | 中央大学公式サイト |
中央大学(ちゅうおう だいがく、英語: Chuo University)
Contents
概観
大学全体
1885年(明治18年)7月に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら18人の法律家により英吉利法律学校として設立された。当初は英国法に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。1905年(明治38年)8月に経済学科の設置によって中央大学と改称、1920年(大正9年)に大学令により正式に大学に昇格した、国内で最も古い歴史を持つ私立大学の一つである。
法曹界や官界、財界、政界、ジャーナリズム界に多くの卒業生を送り出している。大学付設の経理研究所は、学部の枠を越え広く会計学教育(経理研究所も参照)を提供している。現在、6学部・大学院7研究科・専門職大学院3研究科を擁し、卒業生数50万を超える総合大学であり、6学部10研究科がそれぞれ教育に力を入れている。2019年4月には、国際経営学部と国際情報学部が開設予定である。[1]
建学の精神(校訓・校是)
英吉利法律学校設立時の建学の精神は實地應用ノ素ヲ養フであり、これをもとに建学の精神と学風をまとめて現在では個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風という表現にしている。また質実剛健を校是としている。また、2010年の創立125周年に際して行動する知性。-Knowledge into Action-というユニバーシティ・メッセージを定めている。
教育および研究
創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でもインターンシップなどの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に約180校の派遣留学協定大学がある。
通信教育課程
戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)により、イギリスの University of London International Programmes(ロンドン大学通信教育課程)にならって、日本においても通信教育の制度を行うことが推奨され設置された。財団法人私立大学通信教育協会に加盟し、大学本部のある多摩キャンパスに事務局がある。通信教育部は、法学部の通信教育課程の実施に当たる組織であり、通信教育課程そのものは法学部に属する。大学通信教育の嚆矢と見なされているのは、英吉利法律学校が1885年(明治18年)の創設時に、通学できない人々のために講義録を郵送する校外生制度であるとされる。現在では、通年スクーリングや地方スクーリングなども行われている。なお、卒業までの平均学習年数は、1年生から入学した場合6~8年、3年生からの編入学は4~6年で、卒業率は7%程度(4年次以上の在籍者数のうち、卒業者数の占める割合)となっている。名古屋にある中京法律専門学校が提携校となっており、専門学校に在籍しながらダブルスクールで中央大学法学部通信教育課程も卒業をすることが可能な提携関係を行っている。
沿革
略歴
1885年(明治18年)に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら当時の青年法律家有志18名によって英吉利法律学校として創立された。
年表
- 1885年(明治18年)7月 - 英吉利法律学校設置認可。
- 1885年(明治18年)9月 - 英吉利法律学校が東京府神田区神田錦町に開校し、初代校長増島六一郎、初代幹事渋谷慥爾が就任。
- 1889年(明治22年)10月 - 東京法学院と改称。
- 1903年(明治36年)8月 - 東京法学院大学と改称。学長制を新設し、菊池武夫が就任。
- 1905年(明治38年)8月 - 中央大学と改称。経済学科を開設。
- 1909年(明治42年)9月 - 商業学科開講。
- 1920年(大正9年)4月 - 中央大学、大学令により設立認可。法学部・経済学部・商学部、大学院、大学予科を設け、予科を第1部(法・経済)・第2部(商)に分ける。
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災により図書館と増築校舎を除き焼失。
- 1924年(大正13年)6月 - 駿河台南甲賀町の戸田氏共伯爵邸地を大学移転用地として購入。
- 1926年(大正15年)8月 - 駿河台校舎完成(錦町校舎は電機学校に売却)。
- 1931年(昭和6年)4月 - 夜間学部開設。
- 1933年(昭和8年)6月 - 秋元春朝子爵邸地を購入。
- 1935年(昭和10年)8月 - 創立50周年記念講堂(3号館)完成。
- 1940年(昭和15年)7月 - 西園寺公望公爵邸地を購入。
- 1944年(昭和19年)4月 - 中央工業専門学校(機械科・航空機科)設立。
- 1948年(昭和23年)4月 - 通信教育部開設。12月 - 経理研究所開設。
- 1949年(昭和24年)4月 - 新制大学1部法・経済・商・工学部(土木工学・精密工学・電気工学・工業化学科)開設、2部法、経済学部開設。中央工業専門学校廃止。
- 1949年(昭和24年)6月 - 日本比較法研究所開設。
- 1951年(昭和26年)3月 - 工学部用地として文京区小石川町の8,043坪(現後楽園キャンパス)を購入。
- 1951年(昭和26年)4月 - 文学部開設(1部文学科・史学科・2部文学科)。
- 1951年(昭和26年)4月 - 新制大学院修士課程に法学研究科民事法・刑事法・政治学・英米法専攻、経済学研究科に経済学専攻・商学研究科に商学専攻を開設。
- 1953年(昭和28年)4月 - 文学部、工学部教養課程、後楽園キャンパスで授業開始。
- 1958年(昭和33年)8月 - 駿河台1号館完成。
- 1960年(昭和35年)3月 - 由木村校地(現在の多摩校地)購入開始(~67年)。
- 1962年(昭和37年)4月 - 工学部を理工学部に改組。
- 1963年(昭和38年)5月 - 創立80周年記念事業の一環として、理工学部校舎竣工。
- 1964年(昭和39年)4月 - 駿河台4号館完成。
- 1964年(昭和39年)6月 - 経済研究所開設。
- 1964年(昭和39年)8月 - 駿河台5号館完成。
- 1967年(昭和42年)5月 - 駿河台中央図書館完成。
- 1969年(昭和44年) - 学費値上げ反対運動で自治会の要求が通る。全共闘運動で全国でも珍しく学生が勝利。
- 1976年(昭和51年)8月 - 駿河台校舎の大正海上火災保険への売却決定。
- 1977年(昭和52年)11月 - 多摩キャンパス完成。
- 1978年(昭和53年)4月 - 文系4学部、多摩キャンパスで授業開始。
- 1979年(昭和54年)4月 - 社会科学研究所、企業研究所、人文科学研究所、保健体育研究所開設。
- 1980年(昭和55年)3月 - 駿河台校舎完全閉鎖、後楽園キャンパスに8号館竣工。
- 1985年(昭和60年)11月 - 創立100周年記念式典。
- 1988年(昭和63年)11月 - 駿河台記念館落成式典。
- 1992年(平成4年)7月 - 理工学研究所開設。
- 1993年(平成5年)4月 - 総合政策学部 (政策科学科、国際政策学科) 開設。
- 1996年(平成8年)4月 - 政策文化総合研究所開設。
- 1999年(平成11年)12月 - アジア経済研究所の旧庁舎を購入。翌年4月から市ヶ谷キャンパスとして大学院の授業を開始。
- 2000年 (平成12年) - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部募集停止。法学部・商学部・総合政策学部でフレックス制開設。
- 2001年 (平成13年) - 文学部2部募集停止。
- 2002年(平成14年)4月 - 文学部に中国言語文化学科を設置。国際会計研究科(会計大学院;アカウンティングスクール)開設。
- 2003年(平成15年)4月 - Faculty-Linkage Program(FLP)プログラム開設、創立125周年記念事業として後楽園キャンパスに新3号館竣工。
- 2004年(平成16年)4月 - 法務研究科(法科大学院;ロースクール)開設。
- 2005年(平成17年)4月 - 公共政策研究科(公共政策大学院)開設。総合政策学部フレックス制廃止。
- 2007年(平成19年)3月 - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部廃止。商学部フレックス制廃止。
- 2008年(平成20年)3月 - 文学部2部廃止。
- 2008年(平成20年)4月 - 理工学部に生命科学科を設置、戦略経営研究科戦略経営専攻(経営大学院;ビジネススクール)を開設、FLPに地域・公共マネジメントプログラムを開設。
- 2009年(平成21年)4月 - 理工学部の土木工学科を都市環境学科に改称。法学部フレックス制廃止。
- 2009年(平成21年)8月 - 学生援護会の旧本社を購入。翌年4月から市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)として大学院の授業を開始。
- 2010年(平成22年)4月 - 公共政策研究科、国際会計研究科を市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)に移設。戦略経営研究科にビジネス科学専攻(博士後期課程)を開設。
- 2015年(平成27年)11月 - 中長期事業計画 "Chuo Vision 2025" において、都心拠点の後楽園キャンパス集約と法学部を第一候補とする後楽園移転、多摩キャンパスでの新学部学科開設の計画を発表[PR 1]。
- 2019年(平成31年)4月 - 国際経営学部(多摩)・国際情報学部(市ヶ谷田町)に開設予定。
歴代校長・学長
- 英吉利法律学校校長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1885年9月 - 1889年10月 |
- 東京法学院院長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 増島六一郎 | 1889年10月 - 1891年4月 |
第二代 | 菊池武夫 | 1891年4月 - 1903年8月 |
- 東京法学院大学学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1903年8月 - 1905年8月 |
- 1903年(明治36年)より「専門学校令」による大学。
- 学長
代 | 氏名 | 就任時期 |
---|---|---|
初代 | 菊池武夫 | 1905年8月 - 1912年7月 |
第二代 | 奥田義人 | 1912年7月 - 1913年3月 |
第三代 | 岡村輝彦 | 1913年3月 - 1914年6月 |
第四代 | 奥田義人 | 1914年6月 - 1917年8月 |
第五代 | 岡野敬次郎 | 1917年8月 - 1923年9月 |
第六代 | 馬場愿治 | 1923年9月 - 1924年2月 |
第七代 | 岡野敬次郎 | 1924年3月 - 1925年12月 |
第八代 | 馬場愿治 | 1925年12月 - 1930年5月 |
第九代 | 原嘉道 | 1930年5月 - 1939年3月 |
第十代 | 林頼三郎 | 1939年3月 - 1947年3月 |
第十一代 | 加藤正治 | 1948年7月 - 1949年3月 |
第十二代 | 片山金章 | 1958年9月 - 1961年10月 |
第十三代 | 升本喜兵衛 | 1961年10月 - 1967年3月 |
第十四代 | 井上達雄 | 1967年4月 - 1968年4月 |
第十五代 | 戸田修三 | 1968年12月 - 1969年3月 |
第十六代 | 原田鋼 | 1969年5月 - 1969年8月 |
第十七代 | 嶋崎昌 | 1969年11月 - 1972年11月 |
第十八代 | 戸田修三 | 1972年11月 - 1981年11月 |
第十九代 | 川口弘 | 1981年11月 - 1984年11月 |
第二十代 | 川添利幸 | 1984年11月 - 1990年11月 |
第二十一代 | 髙木友之助 | 1990年11月 - 1993年11月 |
第二十二代 | 外間寛 | 1993年11月 - 1999年11月 |
第二十三代 | 鈴木康司 | 1999年11月 - 2002年11月 |
第二十四代 | 角田邦重 | 2002年11月 - 2005年11月 |
第二十五代 | 永井和之 | 2005年11月 - 2011年11月 |
第二十六代 | 福原紀彦 | 2011年11月 - 2014年11月 |
第二十七代 | 酒井正三郎 | 2014年11月 - 2018年5月 |
第二十八代 | 福原紀彦 | 2018年5月 - |
基礎データ
所在地
- 多摩キャンパス(東京都八王子市東中野742-1)
- 後楽園キャンパス(東京都文京区春日1-13-27)
- 市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区市谷本村町42-8)
- 市ヶ谷田町キャンパス(東京都新宿区市谷田町1-18)
- 駿河台記念館(東京都千代田区神田駿河台3-11-5)
象徴
- 校歌・応援歌・学生歌
- スクールカラー
- 校章とシンボルマーク
-
- 白門を表す白色で大学と中央の文字をあしらった校章のほか、「C」のシンボルマークもよく知られている。
教育および研究
組織
学部
- 法学部
- 法律学科
- 法曹コース
- 公共法務コース
- 企業コース
- 国際企業関係法学科
- 政治学科
- 公共政策コース
- 地域創造コース
- 国際政治コース
- メディア政治コース
- 通信教育課程(法律学科に相当)
- 法律学科
- 経済学部
- 経済学科
- 経済総合クラスター
- ヒューマンエコノミークラスター
- 経済情報システム学科
- 企業経済クラスター
- 経済情報クラスター
- 国際経済学科
- 貿易・国際金融クラスター
- 経済開発クラスター
- 公共・環境経済学科
- 公共クラスター
- 環境クラスター
- 経済学科
- 商学部
- 文学部
- 人文社会学科
- 国文学専攻
- 英語文学文化専攻
- ドイツ語文学文化専攻
- フランス語文学文化専攻
- 中国言語文化専攻
- 日本史学専攻
- 東洋史学専攻
- 西洋史学専攻
- 哲学専攻
- 社会学専攻
- 社会情報学専攻
- 情報コミュニケーションコース
- 図書館情報学(記録情報学)コース
- 教育学専攻
- 心理学専攻
- 人文社会学科
- 理工学部
- 総合政策学部
- 政策科学科
- 国際政策文化学科
- 国際経営学部(2019年4月に開設)[1]
- 国際経営学科
- 国際情報学部(2019年4月に開設予定)[1]
- 国際情報学科
- 教職課程
- 学部を問わず1年後期次から履修できる
- Faculty-linkage Program(FLP)
- 国際協力プログラム
- 環境プログラム
- ジャーナリズムプログラム
- スポーツ・健康科学プログラム
- 地域・公共マネジメントプログラム
大学院
- 法学研究科 - 博士課程(前期・後期)
- 経済学研究科 - 博士課程(前期・後期)
- 経済学専攻
- 前期課程の履修モデル(コース)
- 経済学コース
- 国際経済コース
- 前期課程の履修モデル(コース)
- 経済学専攻
- 商学研究科 - 博士課程(前期・後期)
- 商学専攻
- 前期課程のコース
- 研究コース
- ビジネスコース
- 前期課程のコース
- 商学専攻
- 文学研究科 - 博士課程(前期・後期)
- 理工学研究科
- 数学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 物理学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 都市環境学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 前期課程のコース
- 土木学コース
- 環境マネジメントコース
- 国際水環境学コース
- 前期課程のコース
- 精密工学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 電気電子情報通信工学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 応用化学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 経営システム工学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 情報工学専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 情報セキュリティ科学専攻 - 博士課程(後期)
- 副専攻
- 環境・生命副専攻 - 博士課程(前期・後期)
- データ科学副専攻 - 博士課程(前期・後期)
- ナノテクノロジー副専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 電子社会・情報セキュリティ副専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 感性ロボティクス副専攻 - 博士課程(前期・後期)
- 総合政策研究科 - 博士課程(前期・後期)
- 総合政策専攻
- 公共政策研究科 - 修士課程
- 公共政策専攻
- 戦略経営研究科 - 博士課程(後期)
- ビジネス科学専攻
専門職大学院
専門職大学院は以下のものが存在する。
- アカウンティングスクール(国際会計研究科)
- 国際会計専攻
- ロースクール(法務研究科)
- 法務専攻
- ビジネススクール(戦略経営研究科)中央大学ビジネススクール
- 戦略経営専攻
主な附属機関・施設
- 研究所
- 日本比較法研究所
- 経理研究所
- 経済研究所
- 社会科学研究所
- 企業研究所
- 人文科学研究所
- 保健体育研究所
- 理工学研究所
- 政策文化総合研究所
- 研究開発機構
- 産学官連携・知的財産戦略本部 (CLIP)
- 図書館
- 多摩キャンパス
- 中央図書館
- 法学部学生図書室
- 経済学部学生図書室
- 商学部学生図書室
- 文学部専攻別図書室
- 総合政策学部図書室
- 大学院図書室
- 後楽園キャンパス
- 理工学部分館
- ビジネススクール図書室
- 市ヶ谷キャンパス
- ローライブラリー
- 市ヶ谷田町キャンパス
- アカウンティングスクール図書室・文系大学院図書室
- 多摩キャンパス
- 映像言語メディアラボ
- 情報環境整備センター
- 多摩ITセンター
- 後楽園ITセンター
- 市ヶ谷ITセンター
- キャリアセンター
- 国際センター
- 入学センター
- 体育施設運営センター
- 保健センター
- 駿河台記念館
- 寮(セミナーハウス)
- 野尻湖セミナーハウス
- 富浦臨海寮
中央大学経理研究所
中央大学経理研究所の記事を参照。
附属図書館
多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館、市ヶ谷キャンパスに市ヶ谷キャンパス図書館が置かれている。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部(文学部は各専攻・理工学部は各学科)にも図書館が設置されている。また1979年(昭和54年)にはEC資料センター(現在はEU情報センター)、1994年(平成6年)には国連寄託図書館にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。
駿河台記念館
1926年から1978年(昭和53年)の多摩移転まで使用されていた中央大学駿河台校舎を記念して、1985年(昭和60年)の創立100周年記念事業の一環としてその跡地に造られた中央大学の施設である。所在地は東京都千代田区神田駿河台3-11-5であり、付近には明治大学や日本大学のキャンパスがある。現在は、卒業生組織である学員会が主に使用するほか、会議利用などの目的で外部貸し出しも積極的に行なわれている。施設として、レストラン・喫茶店・キャリアセンター支部などが入る。
アクセス方法は、JR中央・総武線 御茶ノ水駅下車、徒歩3分・東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅下車、徒歩6分・東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅下車(B1出口)、徒歩3分・都営地下鉄新宿線 小川町駅下車(B5出口)、徒歩5分。
研究
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。
教育
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
- 「中大・八王子方式」による地域活性化支援(2004年採択)
- 産学連携教育による女性研究者・技術者育成(2006年採択)
- 特色ある大学教育支援プログラム
- アカデミックインターンシップの全学的展開(2003年採択)
- 実学理念に基づく高大接続教育の展開(2004年採択)
- 大学教育の国際化推進プログラム
- 中央大学長期海外留学支援プログラム(2006年採択)
- 法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
- 法曹養成のための国際教育プログラムの形成(2004年採択)
- 知的財産に関する先端的映像教材の開発(2004年採択)
- 実務基礎教育の在り方に関する調査研究(2004年採択)
- 国際的に活躍できる会計専門家の育成(2004年採択)
- 会計大学院教育課程の国際水準への向上(2005年採択)
- 先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム
- 先導的ITスペシャリスト育成プログラム(2006年採択)
- 専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム
- グローバル化に対応した法曹養成プログラム(2008年採択)
- グローバル人材育成推進事業
- グローバル人材育成推進事業(タイプA・全学型)(2012年採択)
学生生活
学友会
中央大学では、公認部会(サークル)及び公認を目指す未公認部会(サークル)は、すべて中央大学学友会に所属している。学友会は、大学側と学生側の双方から選出された委員により構成される中央委員会によって運営されている。会長は学長が就任している。学友会には以下の組織・機関が存在する。また、公認を目指さず、学友会に所属しないサークルも多数存在する。たとえば、学生赤十字奉仕団 は日本赤十字社から公認されているものの学友会には所属していない。
なお、大学スポーツに関しては、原則として学友会の中でも更に体育連盟に所属する部会が、正式な代表権を有している。体育同好会連盟の部会や学友会に所属していないサークルは大学の公的な代表としてはみなされていないため、何らかの事情で体育連盟に加盟していないスポーツ競技の部会・サークルでは、対外試合を実施していないケースもある。ただし過去には、体育連盟に当該種目の部会が存在しなかったアメリカンフットボール同好会が、体育連盟の同意を得て、未公認団体(正確には設立申請団体 - その後体育連盟に昇格)のまま、関東のリーグ戦に参加していた例もある。また、空手道のように流派が分かれている競技では、例外も存在する。なお、体育連盟所属部会には公欠制度があり、学長名による「課外活動にともなう授業配慮願(公欠届)」も存在するが、これは、公式試合等で授業を欠席し、通常単位取得に必要とされる出席日数に満たなかった場合に、一定の補完措置(補講受講やレポート提出等)をとった上で単位取得を認める配慮を求めるという趣旨のものであり、単に出席面で優遇するという性格のものではない。
- 中央委員会
- 部会長会
- 連絡協議会
- 連盟会議
- 公認申請等に関する審議会
- インターネット運営委員会
- 総務部
- 監査部
- 学術連盟
- 文化連盟
- 学芸連盟
- 体育連盟(代表権を有するスポーツ部会)
- 体育同好会連盟(体育連盟に当該種目の既存部会が存在するため、代表権を有さないスポーツ部会)
- 理工連盟(後楽園キャンパスに本部を置く部会)ここにはアマチュア無線のコンテストで毎年好成績を収めている電気工学研究部などが含まれる。
- 学友連盟(主に二部学生を会員とする部会)
- 未公認部会
(参考)1988年(昭和63年)1月30日に開催された「対学友会会長(=学長)大衆会見」の共同宣言によって解消されることとなった「仮執行体制」下では、未公認部会の連盟である「白門連盟(白連)」と、「設立申請団体(設申)」が存在した。「仮執行体制」下では、部会公認に関するすべての手続きが凍結されていたため、「仮執行体制」開始時点での未公認部会が公認されないままで固定化していた。またこれ以降に新たに発足した部会も「設立申請書」が学友会事務室の窓口預かりのままとなっていた。前者が「白門連盟」を構成し、後者が「設立申請団体」)と呼ばれた。「仮執行体制」終焉に伴い、「白門連盟」所属部会及び「設立申請団体」の中で、既存公認連盟の公認基準を満たし、且つ当該部会が公認化を希望する部会については、既存公認連盟に移行し、それ以外の部会で、公認基準を満たし(「部会活動報告書」を基準年数以上提出し続けている部会又は、「部会活動報告書」は提出されていないものの、「白門連盟」執行部が基準年数以上の活動継続を認める証明書を発行した部会。)、且つ当該部会が公認化を希望する部会については、新設の学芸連盟又は体育同好会連盟に移行した。
学園祭
学園祭は「白門祭」と呼ばれ、以下の3種類が存在し、多摩キャンパスにおいては白門祭実行委員会が、後楽園キャンパスにおいては理工白門祭実行委員会が、それぞれ運営する。
- 新入生歓迎白門祭(5月中旬、多摩キャンパス)
- 新入生歓迎文化祭・スポーツ大会(4月初旬、後楽園キャンパス)
- 白門祭(11月初旬、多摩キャンパス・後楽園キャンパス共通)
スポーツ
- 陸上競技部(男子部)は箱根駅伝で最多出場を誇るとともに、最多連続出場(86回連続)、歴代最多である14回(6連覇含む)の優勝をしている。
- 硬式野球部(男子部)は東都大学野球連盟の設立時より加盟。東都リーグ24回、大学選手権3回、神宮大会1回の優勝をしている。OBにはプロ野球選手も多い。早慶対抗戦に端を発する現在の東京六大学野球連盟から、。尚、東都大学野球連盟の設立経緯に関しては該当記事を参照。
- サッカー部(男子部)は、関東大学1部リーグ優勝5回、全日本大学サッカー選手権優勝8回、天皇杯優勝1回を誇る。また、関連チームの中大クラブにも天皇杯優勝1回がある。
- ラグビー部(男子部)は関東大学ラグビーリーグ戦グループで1回の優勝経験がある。
- バスケットボール部(男子部)は全日本学生バスケットボール選手権大会で3度優勝を果たしている。
- ボート部も強豪で毎年グリーンレガッタ等に参戦している。グリーンレガッタとは、中央大学・法政大学・日本体育大学・東京経済大学の4大学の定期戦で早慶レガッタ同様、現代の伝統の対抗戦で、毎年みどりの日(現昭和の日)に戸田漕艇場で行われている。2012年全日本ボート選手権大会団体戦種目エイト-準優勝。
- バレーボール部(男子部)は、全国タイトルを全国大学最多の計23回(全日本総合(6人制)6回・NHK杯1回・インカレ15回・東西インカレ1回)獲得している。また、東日本インカレも5回制している。
大学関係者と組織
大学関係者組織
中央大学のOB会・親睦会に「○○白門会」または「白門○○会」という名前が付いた組織がある。OB組織は一般的に「白門会」と呼ばれるが、白門会はあくまでも任意の団体である。中央大学の正式な同窓会は中央大学学員会である[PR 3]。学員会費を支払っている学員(会員)が100名以上在籍する白門会が、学員会の正式な支部として認定される資格を持つ。支部には、地域支部、年次支部、職域等支部の3種類がある。白門会という名称は付いていないが、法曹の親睦団体である中央大学法曹会や中央大学出身の財界人による南甲倶楽部も白門会である。なお、同窓会館は、かつて中央大学が所在した神田駿河台(旧経理研究所跡)に駿河台記念館の名で置かれている。
大学関係者一覧
施設
多摩キャンパス
中央大学の本部があるメインキャンパスである。
後楽園キャンパス
理工学部が設置されているキャンパスで中央大学発祥の地である神田に近い。所在地は、東京都文京区春日である。キャンパス内には中央大学高等学校,中央大学ビジネススクールなども併設されており、3号館などの一部の施設は共用となっている。2010年(平成22年)3月までは文系大学院教室も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。敷地面積は27,141m2である。東京ドームや文京区役所に非常に近いほか、都心にありながら、礫川公園に隣接し、後楽園に近いこともあり、キャンパス周囲は緑が多い。
- 施設
- 1号館:学生生活課や保健センター、研究室や実験室がある。
- 2号館:研究室、実験室がある。2011年(平成23年)2月に中央大学創立125周年事業の一環として7号館、屋外体育施設の位置に新2号館が竣工予定で、現2号館は2011年(平成23年)8月に解体予定である。
- 3号館:もとは低層の建物であったが、2003年(平成15年)に中央大学創立125周年事業の一環として新たに建設された高層ビル。内部に実験施設、学生食堂、中央大学高等学校用の施設など様々な設備を備えた後楽園キャンパスのシンボル的存在である。また、中大の都心拠点としても機能している。
- 4号館:研究室、実験施設がある低層棟である。
- 5号館:アリーナ、学生食堂がある。
- 6号館:理工学部事務室、図書館などがある。
- 7号館:生協、サークル棟として使用されてきたが、新2号館の着工に伴って取り壊された。
- 8号館:中央大学高等学校校舎として使用されている。
- 屋外体育施設:新2号館の建設用地の一部となり廃止された。現2号館解体後にその跡地に再設置される予定である。
- 正門(白門):中央大学の異称である白門を模した物である。記念撮影スポットとなっている。
- アクセス
市ヶ谷キャンパス
大学院教育の充実と都心拠点整備のため2000年(平成12年)4月に設置され、法務研究科が使用するキャンパス。所在地は東京都新宿区市谷本村町42-8、防衛省の隣に位置する。近傍の市谷田町1-18に市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)がある。2010年(平成22年)3月までは国際会計研究科も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。
1999年(平成11年)7月のキャンパス購入から法務研究科の設置までの期間は、法職講座市ヶ谷研究室が設置され、司法試験受験者の講座や自習室が置かれていたが、法務研究科の際に駿河台記念館へ移転した。なお法務研究科1期生の修了に合わせて2006年(平成18年)4月から2010年(平成22年)3月まで市ヶ谷駅前に法職講座市ヶ谷別館(千代田区五番町4-7)を設置し、修了から司法試験合格までの学習拠点となる法務研修施設が使用してきたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。
当初は施設の狭隘さを指摘されたが、2006年(平成18年)4月に市ヶ谷別館を、2009年(平成21年)2月に法科大学院研究室別棟(新宿区四谷本塩町19)を設置することで順次対応がなされてきた。これらについては2010年(平成22年)4月の市ヶ谷田町キャンパス開校によって抜本的な改善が図られた。
- 食堂や生協施設のほか、学員の支援により設置され、室内後方には見学用座席も設けられている「模擬法廷」や、主に法科大学院学生用の書籍を中心に収蔵している図書館がある。
- 正面入り口には中央大学創立者の増島六一郎、菊池武夫の胸像が設置されている。
- アクセス
市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)
大学院教育の充実と都心拠点整備のために設置された国際会計研究科と公共政策研究科が使用するキャンパス。所在地は市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区市谷本村町42-8)から徒歩10分ほどの市谷田町1-18。市ヶ谷駅6番出口前であり市ヶ谷キャンパスよりも利便性が高い。旧学生援護会本社ビルを2009年(平成21年)8月に取得し、2010年(平成22年)4月に開校した。市ヶ谷キャンパスから国際会計研究科、後楽園キャンパスから公共政策研究科、文系大学院教室が移転した。また2011年(平成23年)4月には公共政策研究科の多摩キャンパス開講科目も市ヶ谷田町キャンパスで行われることとなり、完全移転が実現した。2019年(平成31年)4月より国際情報学部が開設予定である[1]。ミドルブリッジとは中大創設者達が学んだイギリスの法曹院の一つミドル・テンプルへの橋渡しと学生・教職員・学員(中大卒業生)相互の架け橋の2つの意味が込められた命名である。
- アクセス
- 東京メトロ有楽町線・南北線/市ヶ谷駅(6番出口)下車 徒歩1分
- JR総武線・都営地下鉄新宿線/市ヶ谷駅(A1出口)下車 徒歩5分
駿河台記念館(旧:駿河台キャンパス)
1926年8月から1980年(昭和55年)3月まで使用されたキャンパス。東京都心の神田駿河台地区(現:三井住友海上駿河台ビル一円)に所在していた。
- 1号館 - 1958年8月完成、地下1階・地上7階建て(のちに10階建てに増築、大学院および教職員室として使用)
- 2号館 - 1926年8月完成、地下1階・地上3階建て(のちに4階建てに増築、法・経・商3学部校舎)
- 3号館 - 1935年8月完成、地下1階・地上4階建て(創立50周年記念講堂)
- 4号館 - 1964年4月完成、地下1階・地上6階建て(法・経・商3学部校舎)
- 5号館 - 1964年8月完成、地下2階・地上10階建て(文学部校舎)
- 大学院分室図書館 - 1930年11月完成、地上4階建て
- 中央図書館 - 1967年5月完成、地下2階・地上10階建て
- 大学会館 - 1956年8月完成、地下1階・地上5階建て(現在の駿河台記念館の場所)
- 聖橋校舎 - 1965年4月購入(経理研究所、中央大学高等学校、サークル施設として使用)
- 小川町校舎 - 1966年6月完成(学生会館として使用)
高度経済成長期に入学者が増加して校舎が手狭となり、当時都心部にあった大学の郊外への移転が推進されていたこともあり、1978年(昭和53年)4月に多摩キャンパスに移転した。ただし新入生と在学生のうち2年生、3年生が多摩に移り、4年生は引き続き駿河台キャンパスでの就学が継続されたため、1980年(昭和55年)まで授業が行われた。現在、駿河台キャンパスの一部敷地(旧:経理研究所跡)には駿河台記念館が建てられており、OB、OGの懇親会や大学入試などに利用されている。経理研究所の本部も引き続き駿河台記念館に設置されており、公認会計士試験受験対策や社会人講座を開講している。
海外拠点
特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照[3]。
- 中央大学パシフィック・オフィス (アメリカ合衆国・ハワイ)
- 2013年12月にハワイ大学マノア校に設立。海外拠点第一号となる。
- 中央大学・タマサート大学コラボレーションセンター 「中央大学タイ・オフィス」(タイ・バンコク市)
- 2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。
- 中央大学上海オフィス(中国・上海)
- 2016年10月に上海理工大学日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。
学生寮
一般学生および留学生を対象とする寮として2011年に国際寮を、2012年に国際交流寮を設置している。
国際寮はJR豊田駅から北へ徒歩約8分に設置されている。UR都市機構の旧多摩平団地一棟(64戸)を借り上げ、1戸(3DK)に3人(留学生、交換留学生、日本人学生)で入居している。
国際交流寮は京王線聖蹟桜ケ丘駅から徒歩8分に設置されている。国際寮とは異なり、個室タイプで一室に1名の学生が入居している。
対抗運動会を秋に開催し、両寮間の交流が図られている。
- 国際寮
- 国際交流寮
学友会体育連盟に所属部員のために下記の寮が設置されている。
一部専用の寮・合宿所を設置している部もあるが、スポーツ推薦入試制度を導入している部のほとんどの部員が南平寮で生活をしている。体育連盟として共同寮を設置されることも、これほどの規模で運営されることも極めて稀である。
- 南平寮
- 東豊田寮
- 堀之内硬式野球部合宿所
- 戸田ボート部合宿所
- 葉山ヨット部合宿所
かつての施設
旧:錦町キャンパス
1885年(明治18年)7月の英吉利法律学校創設時より使用されたキャンパス。東京府神田区神田錦町2丁目2番地に所在していた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で大打撃を受け、応急復旧は施したものの、震災後の大学再建計画のためには校地移転が不可欠と判断されたため、1926年(大正15年)8月に駿河台キャンパスを完成させ、移転した。同地は電機学校(現:東京電機大学)に売却され、同大学が北千住に移転する2012年3月まで神田キャンパスとなっていた。2012年4月以降は住友商事による再開発が行われる。
中央大学講堂(3号館)
1935年(昭和10年)完成。建設費39万5000円、収容人員5324人[4]。自由民主党の結党大会は1955年(昭和30年)11月15日に中央大学講堂で実施された。日本社会党も党大会を中央大学講堂で実施することが多かった。中央大学講堂は多摩への移転時に取り壊されており、現在は存在しない。
旧グラウンド
- 中野運動場 - 1911年に東京府豊多摩郡中野町の2375坪余の土地を借地。しかし、運動会以外で使用されることはほとんどなく、陸上競技部、庭球部、蹴球部は学外施設を借用して練習に励んだという[PR 4]。大正末期には運動場周辺の宅地化が進み、土地の返還期も迫ったため、新たな運動場を取得することになった[5]。
- 所沢運動場 - 1926年に埼玉県入間郡吾妻村の9912坪の土地を購入[PR 5]。
- 吉祥寺運動場 - 1935年に練馬区石神井立野町の約5424坪の土地を購入し、硬式野球場とした[PR 6]。
- 練馬運動場 - 1937年に板橋区練馬南町4丁目の約1万5000坪の土地を購入[PR 7]。400mトラックと蹴球場1面、テニスコート3面、クラブハウスを有する本格的な総合グラウンドだった[6]。
対外関係
他大学との協定
- 東京12大学広報連絡協議会(神田五大学広報会議)
- 学術・文化・産業ネットワーク多摩
- 首都大学院コンソーシアム
- 大学情報サミット
- 全国私立大学FD連携フォーラム
- スーパー連携大学院
- 個別に単位互換協定、図書館相互利用協定などを結んでいる大学
海外協定校
- 中国
- 台湾
- アメリカ合衆国
- カールトン大学
- チュレーン大学ロースクール
- ベネディクティン大学
- メアリヴィル大学
- アメリカン大学
- イリノイ州立大学
- アリゾナ大学
- レークフォレスト大学
- ミシシッピ州立大学
- ボストン大学
- インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス
- セント・トーマス大学
- カリフォルニア州立大学モントレーベイ校
- 東テネシー州立大学
- パデュー大学ウエスト・ラファイエット校
- カリフォルニア大学バークレー校
- サンディエゴ州立大学
- カリフォルニア大学デイヴィス校
- ハワイ大学マノア校
- ワシントン・センター
- テネシー大学ノックスヴィル校
- ハワイ大学ヒロ校
- ミシシッピ大学
- ノースカロライナ大学アシュビル校
- パデュー大学カルメット校
- ドイツ
- ヴュルツブルク大学(バイエルン・ユリウス・マクシミリアン・ヴュルツブルク大学)
- テュービンゲン大学(テュービンゲン・エーベルハルト・カールス大学)
- ミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学ミュンスター)
- ベルリン自由大学
- オスナブリュック大学
- ベルリン・フンボルト大学
- フランクフルト金融経営大学
- ミュンヘン大学(ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン)法学部
社会との関わり
法曹養成
高等文官試験司法科
行政科・司法科・外交科に分かれていた高等文官試験において、行政科では東京大学、京都大学に次ぐ3番目の合格者数であったが、司法科では東京大学に次ぐ2番目の合格者数であり、当時から特に司法分野での実績でより優れた結果を残していた。
旧司法試験
旧司法試験での出身大学別司法試験合格者数は、1951年(昭和26年)から1970年(昭和45年)まで1位であった。しかし、学生運動の激化や多摩移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになり「中東戦争」とまで言われた[7]。その後は、3位 - 5位まで順位を下げていたものの、トップ5の常連としての地位を確立していた。
新司法試験
第1回目(2006年度)の司法試験では、中央大学法科大学院出身者(受験者数239名、最終合格者数131名)が合格者数1位であった[PR 8]。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している。
職業会計人養成
公認会計士試験合格者数は、試験開始年から1970年頃まで1位であった。しかし1970年代に慶應義塾大学、80年代前半に早稲田大学に抜かれ低迷期が訪れることとなる。1980年代後半から1990年代には東京大学や一橋大学にも抜かれ、5位 - 7位まで順位を下げていたものの、経理研究所の強化(専任講師の増員、WEB授業の導入)や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。
また、税理士に関しては合格者数1位を維持している。
白門
中央大学は前身の英吉利法律学校時代から1926年(大正15年)まで神田錦町にあり、その頃は赤煉瓦の校舎で知られていた[注 1] 「白門(はくもん)」という異称が大学の文献に初めて登場するのが、1928年(昭和3年)に学生サークルである政治学会と辞達学会(弁論部)が共同主催で募集した、学生歌の一節であるという。後に中大職員となる同歌の作者は、朝日新聞の取材に対して、「(正確には記憶していないが)大学の徽章が白かった(から白門では)」と回顧している[8]。
「白門」の考案者は実はその職員で、東大の赤門、早大の稲門、日大の桜門などからヒントを得たとも語っている[PR 9]。
ただし、実際に「白門」が多用されるようになったのは戦後からで、戦前世代にはそれほど浸透していなかったとの証言もある。
実際の建造物としての白門は、1959年(昭和34年)7月に当時の駿河台校舎に幅1.2m、高さ3.6mの白御影つくりの正門が建設されている(現存せず)。また、白門の一部(かつての駿河台校舎の門柱・玄関)をイメージしたものは、多摩キャンパス内に移設され「100周年記念ステージ」として保存されている。また、後楽園キャンパス正門の色も白であり、「白門」と呼ばれている。徽章や門が白い理由は通信教育課程で教授等の話によると「何ものにも染まらないという意思の表れ」であるという[注 2]。
附属学校
学校法人中央大学では、中央大学の附属学校として4校の高等学校と2校の中学校を設置している。
初めて中等教育に進出したのは1928年(昭和3年)の中央大学商業学校設置からである。この中央大学商業学校を前身として1948年(昭和23年)に中央大学高等学校が設置された。また1952年(昭和27年)には学校法人杉並学園と合併して杉並高等学校を中央大学杉並高等学校に改称するとともに杉並中学校は廃止した。この中央大学杉並高等学校は1963年(昭和38年)に小金井市に移転したのを期に中央大学附属高等学校に改称した。なおこの移転と同時に、校名と校地・校舎を引き継いで改めて中央大学杉並高等学校が設置された。2010年(平成22年)にははじめての附属中学校として中央大学附属高等学校に中学校を併設している。更に2010年(平成22年)には学校法人横浜山手女子学園と合併して横浜山手女子中学・高等学校を中央大学横浜山手中学・高等学校に改称した。
附属校
協議中
- 文京区立第三中学校
- 文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での中高一貫教育(教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等)の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。
脚注
注釈
出典
一次資料または記事主題の関係者による情報源
- ↑ 中央大学中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定
- ↑ “中央大学の近況 創刊号 (PDF)”. 中央大学 (2009年2月23日). . 2014閲覧.
- ↑ 中央大学学員会 学員会の目的・沿革
- ↑ 『中央大学百年史』 通史編上巻、324-325頁
- ↑ 『中央大学百年史』 通史編下巻、24頁
- ↑ 『中央大学百年史』 通史編下巻、76-77頁
- ↑ 『中央大学百年史』 通史編下巻、96頁
- ↑ 法務省/平成18年新司法試験の結果
- ↑ 『タイムトラベル中大125:1885→2010』 292ページ
Wiki関係他プロジェクトリンク
関連文献
外部リンク