ミス・ユニバース
ミス・ユニバース | |
---|---|
受賞対象 | 未婚の女性 |
主催 | ミス・ユニバース機構 |
国 | アメリカ合衆国 |
初回 | 1952年 |
最新回 | 2017年 |
最新受賞者 | デミリー・ネルピーターズ |
公式サイト | www.missuniverse.com |
テレビ放送 | |
放送局 | フォックス放送 |
設立年 | 1952年 |
---|---|
種類 | ミス・コンテスト |
本部 | アメリカ合衆国 ニューヨーク |
公用語 | 英語 |
代表 | Paula Shugart |
重要人物 | ドナルド・トランプ |
ウェブサイト | www.missuniverse.com |
ミス・ユニバース(英語: Miss Universe)とは、世界を代表するミス・コンテストである。
大会は世界各国の都市で開催され、世界の各国代表が参加して世界一の栄冠を競い合う美の祭典となっている。また、ミス・ワールド、ミス・インターナショナル、ミス・アースと合わせて世界4大ミスコンテストとも呼ばれ[1]、世界的に知名度の高いミス・コンテストの1つである。
Contents
歴史
もともとは、1926年から1935年までガルベストンで開催されていた『International Pageant of Pulchritude』、別名『ミス・ユニバース』として開催されていた。しかし世界大恐慌と第二次世界大戦の影響で消滅した。
1950年に開催された「ミス・アメリカ1951」の優勝者、Yolande Betbeze が、大会スポンサーの水着ブランド「カタリナ」(Catalina)から提供された水着でポーズをとることを拒んだことが「ミス・ユニバース」開催のきっかけとなった。
この一件で「カタリナ」を製造しているパシフィック・ミルズ社(Pacific Mills)はミス・アメリカのスポンサーから撤退し、独自のミスコンテスト「ミスUSA」とその世界版「ミス・ユニバース」を1952年から開催した。最初のミス・ユニバースはカリフォルニア州ロングビーチで行われ、ミス・フィンランドの Armi Kuusela heffiner が優勝した。
決勝は1952年の第1回から1971年までは毎回アメリカ合衆国国内で開催されたが、1972年以降は毎年違う国で開催されるようになった。
1955年には最初のテレビ中継が始まった。1960年からCBSがミスUSAとミス・ユニバースの全国中継を行った。所有はミス・ユニバース社(パラマウント映画の関連会社)が保有していたが、1996年にドナルド・トランプがITT社の事業から買収され[2]、本部もロサンゼルスからニューヨークに移転。1998年にはミス・ユニバース機構に変更[3]。2002年以降はNBCとの合弁事業となるが、トランプの大統領選挙による不適切発言でNBCは2015年1月に開催された第63回大会を最後に撤退。トランプはNBCが保有していた50%のミス・ユニバース機構の所有権を買い取り、100%の所有者となったが、3日後にWME/IMGに売却した[4]。トランプの関与が無くなったのを受けて、2015年12月の第64回大会はFOXで放送された[5]。決勝は原則プライムタイムで生中継されている。また、ミス・ユニバース機構は決勝の放送権を世界各国のテレビ局に販売している。
日本からは1952年(昭和27年)以来、『ミス・ユニバース・ジャパン』の優勝者が日本代表となって大会に出場し、1953年には伊東絹子が3位で初入賞したほか、これまでに児島明子(1959年)と森理世(2007年)の二人が優勝してミス・ユニバースとなっている。また、アメリカ合衆国占領下の沖縄からは、1963年(昭和38年)から1968年(昭和43年)までの6年間、独自の「沖縄代表」が世界大会に出場していた。
日本の朝日放送は、世界大会を1967年大会から[6]1974年大会までJNN系列で、1975年大会から1995年大会までANN系列で地上波全国ネットで録画放映していた(進行は英語のため、日本語吹き替え。日本語版の進行役ナレーターは同局アナウンサー)。しかし翌1996年からは撤退し、以降は放映していないが、1998年以降は、CS放送・ケーブルテレビなどのFOXチャンネル(日本語字幕入り。)にて、世界大会の日本放映が復活している。
2002年大会から2007年までと2017年以降、優勝者の王冠はミキモト製を使用していたが、2008年大会はベトナムのPNJ社製のクラウンを使用した。2009年から2013年までは人工宝石会社Diamond Nexus Labs製のクラウンを使用していた。2014年から17年1月(16年)大会まではチェコのダイヤモンド・インターナショナル・コーポレーションのクラウンを使用していた[7][8]。
2012年4月10日、ミス・ユニバース機構は規約を改正し、翌2013年大会から性転換者にも門戸を開放することを発表した。カナダ大会に出場したジェナ・タラコバ(Jenna Talackova)が、男性として生まれたため「生まれつき女性であること」とする条件に反していたことと、その後性別適合手術を受けたのを理由に失格となった。その後、同機構の代表を務めていたドナルド・トランプの意向で失格を撤回させたことが背景にある[9][10]。
選考方法
選考基準として、単なる外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視される。加えて、社会に積極的に貢献したいという社会性やスピーチ力を兼ね備え、世界の各国代表と対等に交流できる国際的な女性像が求められる[11]。
大会では、各国代表が事前審査・水着審査・イブニングドレス審査・スピーチや質疑応答といった何次かの選考(勝ち抜き方式)に臨みながら徐々に進出者数が絞られていき、最終的にミス・ユニバース世界大会優勝者が決定される。また全参加者を対象に、フォトジェニック賞やナショナル・コスチューム賞といった部門賞も決定される。
かつては地域に関係なく選考が進められていたが、2017年大会から第一次選考方法が大きく変更された。参加国を「アフリカ・アジア太平洋」「ヨーロッパ」「アメリカ(北中南米)」の3つのグループに分け、各々からまず4名ずつ通過者を選出し、更に地域を問わず4名を追加選出するシステムが採用された[12]。
国の代表に選ばれると、副賞として多額の賞金、高級車を贈呈される。なお、ミス・ユニバース2006年世界大会で第2位となった知花くららによると、ミス・ユニバースの活動内容について「ニューヨーク市を拠点に、1年間世界各地をまわって、開発途上国などでチャリティー活動を行います。HIV撲滅のチャリティー活動がメインですね。」と述べており[13]、社会貢献活動が中心となる。
ミス・ユニバース機構
WME/IMGが出資しているミス・ユニバース機構はニューヨークに本部を置く組織で、ミス・ユニバース、ミスUSA、ミス・ティーンUSAの三つのミスコンテストを主催している。ミスUSAはミス・ユニバースのアメリカ代表となる(ミスUSAがミスユニバースに選出された場合は規定によりミスユニバースを優先し、準ミスUSAの第2位受賞者がミスUSAに繰り上げ当選する仕組みとなっている)。
また、以上に挙げたミスユニバース機構主催の3つのコンテスト優勝者には、同本部があるニューヨークのトランプタワーを拠点に1年間生活し、慈善奉仕活動や、各種公式行事などのプロモーション活動に出席し、世界中の慈善活動の資金提供を受ける特典及び義務を与えられる。
歴代のミス・ユニバース
年 | Miss Universe | National title | 国・地域 | 開催地 | 会場 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1952 | アルミ・クーセラ | Suomen Neito | フィンランド | アメリカ・ロングビーチ | Long Beach Municipal Auditorium | |
1953 | クリスティアン・マーテル | ミス・フランス | フランス | |||
1954 | ミリアム・スティーブンソン | ミスUSA | アメリカ | |||
1955 | ヒレヴィ・ロンビン | Fröken Sverige | スウェーデン | |||
1956 | キャロル・モリス | ミスUSA | アメリカ | |||
1957 | グラディス・ツェンダー | ミス・ペルー | ペルー | |||
1958 | ルース・マリーナ・ズルアガ | Señorita Colombia | コロンビア | |||
1959 | 児島明子 | ミス・ユニバース・ジャパン | 日本 | |||
1960 | リンダ・ビメント | ミスUSA | アメリカ | アメリカ・マイアミビーチ | Miami Beach Auditorium | |
1961 | マレーネ・シュミット | Miss Germany | ドイツ | |||
1962 | ノーマ・ノーラン | Belleza Argentina | アルゼンチン | |||
1963 | イェダ・マリア・バルガス | ミス・ブラジル | ブラジル | |||
1964 | コリンナ・ツォペイ | Star Hellas | ギリシャ | |||
1965 | アパサラー・ホンサクン | ミス・タイランド | タイ | |||
1966 | マルガリータ・アルヴィットソン | Fröken Sverige | スウェーデン | |||
1967 | シルビア・ヒッチコック | ミスUSA | アメリカ | |||
1968 | マーサ・ヴァスコンセス | ミス・ブラジル | ブラジル | |||
1969 | グロリア・マリア・ディアス | Binibining Pilipinas | フィリピン | |||
1970 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Puerto Rico|border|25x20px|テンプレート:Country alias Puerto Ricoの旗]] | マリソル・マラレ | ミス・プエルトリコ | プエルトリコ | ||
1971 | ジョルジーナ・リザーク | ミス・レバノン | レバノン | |||
1972 | ケリー・アン・ウェルズ | ミス・オーストラリア | オーストラリア | プエルトリコ・ドラド | Cerromar Beach Hotel | |
1973 | マリア・マルガリータ・モラン | Binibining Pilipinas | フィリピン | ギリシャ・アテネ | ヘロデス・アッティコス奏楽堂 | |
1974 | アンパロ・ムニョス | ミス・エスパーニャ | スペイン | フィリピン・マニラ | Folk Arts Theater | |
1975 | アン・マリー・ポータモ | ミス・フィンランド | フィンランド | エルサルバドル・サンサルバドル | National Gymnasium | |
1976 | リーナ・メッシンガー | Malket Hayofi | イスラエル | 香港 | Lee Theatre | |
1977 | ジャネル・コミッション | Miss Trinidad & Tobago | トリニダード・トバゴ | ドミニカ共和国・サントドミンゴ | Teatro Nacional | |
1978 | マーガレット・ガードナー | Miss South Africa | 南アフリカ | メキシコ・アカプルコ | Centro de Convenciones de Acapulco | |
1979 | ベネズエラの旗 | マリトザ・サヤレロ | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | オーストラリア・パース | パース・エンターテイメント・センター |
1980 | ショーン・ウェザリー | ミスUSA | アメリカ | 韓国・ソウル | 世宗文化会館 | |
1981 | ベネズエラの旗 | イレネ・サエス | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | アメリカ・ニューヨーク | ミンスコフ劇場 |
1982 | カレン・ダイアン・ボールドウィン | ミス・カナダ | カナダ | ペルー・リマ | コリセオ・アマウタ | |
1983 | ローレイン・ダウンズ | Miss New Zealand | ニュージーランド | アメリカ・セントルイス | キール・オーディトリアム | |
1984 | イボン・リデイング | Fröken Sverige | スウェーデン | アメリカ・マイアミ | James L. Knight Center of Miami | |
1985 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Puerto Rico|border|25x20px|テンプレート:Country alias Puerto Ricoの旗]] | デボラ・キャシーデュー | ミス・プエルトリコ | プエルトリコ | ||
1986 | ベネズエラの旗 | バーバラ・パラシオス | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | パナマ・パナマシティ | Centro de Convenciones Atlapa |
1987 | Cecilia Carolina Bolocco Fonck | Miss Chile Universo | チリ | シンガポール | World Trade Centre, Singapore | |
1988 | ポーンティップ・ナキランカノーク | ミス・タイランド | タイ | 台湾・台北 | 林口体育場 | |
1989 | アンジェラ・ビサー | Miss Nederland | オランダ | メキシコ・カンクン | Fiesta Americana Condessa Resort | |
1990 | モナ・グラッド | Frøken Norge | ノルウェー | アメリカ・ロサンゼルス | シューバート・シアター | |
1991 | ルピタ・ジョーンズ | Señorita México | メキシコ | アメリカ・ラスベガス | アラジン | |
1992 | ナミビアの旗 | ミシェル・マクレーン | Miss Namibia | ナミビア | タイ・バンコク | クイーン・シリキット・ナショナル・コンベンション・センター |
1993 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Puerto Rico|border|25x20px|テンプレート:Country alias Puerto Ricoの旗]] | ダヤナラ・トレス | ミス・プエルトリコ | プエルトリコ | メキシコ・メキシコシティ | ナショナル・オーディトリアム |
1994 | スシュミタ・セーン | Femina Miss India | インド | フィリピン・マニラ | フィリピン国際コンベンションセンター | |
1995 | チェルシー・スミス | ミスUSA | アメリカ | ナミビア・ウィントフック | ウィントフック・カントリー・クラブ | |
1996 | ベネズエラの旗 | アリシア・マチャド | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | アメリカ・ラスベガス | アラジン |
1997 | ブルック・マヘアラニ・リー | ミスUSA | アメリカ | アメリカ・マイアミビーチ | マイアミビーチ・コンベンションセンター | |
1998 | ウェンディ・フィッツウィリアム | Miss Trinidad & Tobago-Universe | トリニダード・トバゴ | アメリカ・ホノルル | スタン・シェリフ・センター | |
1999 | ムプル・クェラゴベ | Miss Universe Botswana | ボツワナ | トリニダード・トバゴ・チャグアラマス | Universe Center | |
2000 | ララ・ダッタ | Femina Miss India | インド | キプロス・ニコシア | Eleftheria Stadium | |
2001 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Puerto Rico|border|25x20px|テンプレート:Country alias Puerto Ricoの旗]] | デニス・キニョーネス | Miss Puerto Rico Universe | プエルトリコ | プエルトリコ・バヤモン | ルーベン・ロドリゲス・コロシアム |
2002 | オクサーナ・フョードロワ (剥奪) | Miss Russia | ロシア | プエルトリコ・サンフアン | ロベルト・クレメンテ・コロシアム | |
ジャスティーン・パセク | Señorita Panama-Universo | パナマ | ||||
2003 | アメリア・ベガ | Miss República Dominicana Universo | ドミニカ共和国 | パナマ・パナマシティ | Figali Convention Center | |
2004 | ジェニファー・ホーキンス | Miss Universe Australia | オーストラリア | エクアドル・キト | Centro de Exposiciones y Convenciones Mitad del Mundo | |
2005 | ナタリー・グレボヴァ | ミス・ユニバース・カナダ | カナダ | タイ・バンコク | インパクト・アリーナ | |
2006 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Puerto Rico|border|25x20px|テンプレート:Country alias Puerto Ricoの旗]] | スレイカ・リベラ | ミス・プエルトリコ・ユニバース | プエルトリコ | アメリカ・ロサンゼルス | シュライン・オーディトリアム |
2007 | 森理世 | ミス・ユニバース・ジャパン | 日本 | メキシコ・メキシコシティ | ナショナル・オーディトリアム | |
2008 | ベネズエラの旗 | ダイアナ・メンドーサ | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | ベトナム・ニャチャン | クラウン・コンベンション・センター |
2009 | ベネズエラの旗 | ステファニア・フェルナンデス | ミス・ベネズエラ | ベネズエラ | バハマ・ナッソー | アトランティス・パラダイス・アイランド |
2010 | ヒメナ・ナバレッテ | Nuestra Belleza | メキシコ | アメリカ・ラスベガス | マンダレイ・ベイ・イベント・センター | |
2011 | レイラ・ロペス | ミス・アンゴラ | アンゴラ | ブラジル・サンパウロ | クレディカード・ホール | |
2012 | オリビア・カルポ | ミスUSA | アメリカ | アメリカ・ラスベガス | プラネット・ハリウッド | |
2013 | ベネズエラの旗 | マリア・ガブリエラ・イスレル | ミス・ベネズエラ | ベネスエラ | ロシア・モスクワ | クローカス・シティ・ホール |
2014(2015年1月) | パウリナ・ベガ | Señorita Colombia | コロンビア | アメリカ・ドラール | フロリダ国際大学 | |
2015 | ピア・アロンゾ・ウォルツバック | ミス・フィリピン | フィリピン | アメリカ・ラスベガス | プラネット・ハリウッド | |
2016(2017年1月) | イリス・ミトゥネール | ミス・フランス | フランス | フィリピン・マニラ | モール・オブ・アジア・アリーナ | |
2017 | デミリー・ネルピーターズ | Miss South Africa | 南アフリカ | アメリカ・ラスベガス | プラネット・ハリウッド | |
2018 | タイ・バンコク | インパクト・アリーナ |
近年のミス・ユニバース
- Iris Mittenaere 2016.05.07 (cropped).jpg
イリス・ミトゥネール(ミス・ユニバース 2016)
- Miss Universe 2015 Pia Wurtzbach 071816 (cropped).jpg
ピア・アロンゾ・ウォルツバック(ミス・ユニバース 2015)
- Paulina Vega en la XXXVI versión de la Caminata de la Solidaridad por Colombia .jpg
パウリナ・ベガ(ミス・ユニバース 2014)
- María Gabriela Isler cropped.jpg
マリア・ガブリエラ・イスレル(ミス・ユニバース 2013)
- Olivia Culpo 2012.jpg
オリビア・カルポ(ミス・ユニバース 2012)
- Miss-universe-2011-leila-lopes.jpg
レイラ・ロペス(ミス・ユニバース 2011)
- Ximena Navarrete - Miss Universe 2010.jpg
ヒメナ・ナバレッテ(ミス・ユニバース 2010)
- STEFANIA2.JPG
ステファニア・フェルナンデス(ミス・ユニバース 2009)
- Miss Universe 2008, Dayana Mendoza2.jpg
ダイアナ・メンドーサ(ミス・ユニバース 2008)
- Riyo Mori headshot.png
森理世(ミス・ユニバース 2007)
優勝者出身国一覧
2017年現在
国 | 優勝回数 | 優勝年 |
---|---|---|
アメリカ合衆国 | 8 | 1954, 1956, 1960, 1967, 1980, 1995, 1997, 2012 |
ベネズエラ | 7 | 1979, 1981, 1986, 1996, 2008, 2009, 2013 |
プエルトリコ | 5 | 1970, 1985, 1993, 2001, 2006 |
スウェーデン | 3 | 1955, 1966, 1984 |
フィリピン | 3 | 1969, 1973, 2015 |
南アフリカ共和国 | 2 | 1978, 2017 |
コロンビア | 2 | 1958, 2014 |
メキシコ | 2 | 1991, 2010 |
日本 | 2 | 1959, 2007 |
カナダ | 2 | 1982, 2005 |
オーストラリア | 2 | 1972, 2004 |
インド | 2 | 1994, 2000 |
トリニダード・トバゴ | 2 | 1977, 1998 |
タイ | 2 | 1965, 1988 |
フィンランド | 2 | 1952, 1975 |
ブラジル | 2 | 1963, 1968 |
フランス | 2 | 1953, 2016 |
ドミニカ共和国 | 1 | 2003 |
パナマ | 1 | 2002 |
テンプレート:BOT | 1 | 1999 |
ナミビアの旗 ナミビア | 1 | 1992 |
ノルウェー | 1 | 1990 |
オランダ | 1 | 1989 |
チリ | 1 | 1987 |
ニュージーランド | 1 | 1983 |
イスラエル | 1 | 1976 |
スペイン | 1 | 1974 |
レバノン | 1 | 1971 |
ギリシャ | 1 | 1964 |
アルゼンチン | 1 | 1962 |
ドイツ | 1 | 1961 |
ペルー | 1 | 1957 |
テンプレート:ANG | 1 | 2011 |
- ミス・ユニバース機構は上記のロシア国籍女性をミス・ユニバースと認めるのを拒否するが、一般的にはこの女性は元ミス・ユニバースとして見なされることが多く、母国ロシアでも「ミス・ユニバース2002」として扱われている。
- ミス・ユニバース2006のスレイカ・リベラは、優勝後約1年間、イベントを欠席するなどミス・ユニバースとしての仕事への態度があまり熱心でなかったことから、2008年彼女への批判があったことが判明した。だが、タイトル剥奪されることはなく、同年総合2位の日本代表・知花くらら(ナショナル・コスチューム部門最優秀賞)が、繰り上げ優勝となることはなかった。
歴代の日本代表
脚注
- ↑ 意外に知られていない!? 世界三大ミスコンの歴史と違いを探ってみたnikkei TRENDYnet(日経トレンディネット)、2008年12月27日、2010年8月25日閲覧。
- ↑ Prestigious Beauty Pageant (2013年11月18日). “Four Big Ships Dominate International Beauty Pageants”. Prestigious Beauty Pageants. 2013年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。. June 15, 2014閲覧.
- ↑ Foreman, Jonathan (1999年1月18日). “Mistress of the Universe”. New York Post . 24 February 2011閲覧.
- ↑ Donald Trump just sold off the entire Miss Universe Organization after buying it 3 days ago Business Insider、Sep. 14, 2015
- ↑ “Donald Trump’s former Miss Universe pageant finds a new home — Fox”. The Washington Post. (2015年10月28日) . 28 October 2015閲覧.
- ↑ 朝日放送の50年(2000年3月)I本史 P146, P150
- ↑ Pia Wurzbach with the Czech Crown
- ↑ 4every1 s.r.o.. “New Miss Universe to be decorated by crown made by Czech company DIC, for the first time in the pageant’s history”. 2015年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 9 January 2016閲覧.
- ↑ Jill Serjeant (2012年4月10日). “Miss Universe changes rules to include transgender women” (英語). Reuter . 2012閲覧.
- ↑ ミス・カナダ失格の性転換女性、一転参加認められるも不服
- ↑ イネス・リグロン『世界一の美女の作り方』(マガジンハウス)
- ↑ “世界92ヵ国から美女が集結!ミス・ユニバース世界大会”. JALEE(FOXネットワークス). (2018年2月1日) . 2018閲覧.
- ↑ 知花くららが語る「ミス・ユニバースと社会貢献」サーチナニュース2009年4月24日、2011年09月14日閲覧