下駄
下駄(げた)は、鼻緒があり、底部に歯を有する日本の伝統的な履物[1]。足を乗せる木板に「歯」と呼ばれる接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、「眼」と呼ぶ孔を3つ穿って鼻緒を通す。足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。
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歴史と呼称
足の保護や水田・湿地での沈み込みを防ぐため使われたとみられる木版が、弥生時代の登呂遺跡(静岡県)からも出土している。同様な履物は20世紀まで使われ続けた地域があり、「田下駄」と呼ばれた[2]。近代に洋靴が普及するまで、貴人が履いた沓(くつ)よりも、庶民は草履と下駄を多く用いた。通常は二本である歯の隙間が土や石による凹凸の抵抗を和らげ、ぬかるみの泥や人・獣の排泄物による着物の汚れを防ぐ機能があった。江戸時代前期の1684年頃から、歯が低い「駒下駄」が普及した。太平洋戦争後も1960年代くらいまでは、洋服に下駄履きで遊ぶ男児は珍しくなく[3]、現代でも下駄を好む人はいる。
呼び名の成立は戦国時代と推測される。それ以前は「足下(あしした)」を意味する「アシダ」と呼称され[4]、漢字は「足駄」など様々な字があてられていた。「アシダ」は上履き・下履きを問わなかったが、これを下履きに限定した語が「下駄」である(「駄」はアシダの略)。
構造
日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。下駄は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。
人の足を載せる部分を台という。現代では、材は主に桐、杉が使われる。暖かい地方より寒い地方のほうが年輪が細かくなり、見た目に美しいため、東北地方の桐材は高級とされる(糸柾目と称す)。特に会津の桐材は下駄の台としての評価が高い。杉では神代杉と大分県日田市の日田杉が有名。
台の下に付けるのが歯で、通常は前後2個だが、1個のもの、3個のものもある。一つの木から台と歯を作るものを、連歯下駄(俗称くりぬき)、別に作った歯を台に取り付けるのを差し歯下駄という。歯が一本の「一本歯下駄(高下駄)」は、天狗や修験者が履くイメージが強い。そのため、山での修行に使うとも言われる。「舟形」あるいは「右近」と呼ばれる、歯が無いものもある。
歯の材は樫、欅、朴(ほお)など。特に朴は樹種の中では高硬度で歩行時の摩耗が比較的少なく、下駄の寿命が長く、重宝された。『朴歯の下駄』という題名の小説や、バンカラ学生が履くのは朴歯の下駄、という時代もあった。また、磨耗した歯を入れ替える商売も存在した。
台には3つの穴を穿つ。前に1つ、後ろに左右並んで2つ。これを眼という。後ろの眼の位置は地域によって異なり、関東では歯の前、関西では歯の後ろが一般的である。
眼に通す紐を、緒または鼻緒という。鼻緒はもと、緒の先端部の足指がかかるところを意味したが、今では緒の全体を指すようになった。緒の材質は様々で、古くは麻、棕櫚、稲藁、竹の皮、蔓、革などを用い、多くの場合これを布で覆って仕上げた。色とりどりの鼻緒があることから「花緒」とも書く。
特徴
下駄の音
木製であるため、歩くと特徴的な音がする。「カラコロ」あるいは「カランコロン」と表現されることが多い。そのため、祭りや花火の日に浴衣姿で歩く場合や、温泉街の街歩きなどでは雰囲気を出す音であっても、現代の町中では騒音と受け取られることも多く、(床が傷むことも含め)「下駄お断り」の場所も少なからずある。この対策として、歯にゴムを貼った下駄も販売されている。歯にゴムを貼る目的は音だけではなく、今日の舗装道路では歯が異常に早く摩耗するため、それを防ぐためにゴムを貼ることも少なくない。これは硬い朴歯でも同じである。
下駄の足跡
歯を持っているため、下駄の足跡には独特の痕跡が残る。
歌人の田捨女(今の丹波市、江戸時代の女六歌仙の一人)は6歳のとき「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」と詠んでいる。
用途
かつて道路が舗装されていなかった時代には、雨などが降って道がぬかるむと、草履等では、ぬかるみに足が埋まってしまったが、高さのある下駄は、ぬかるみに埋まりにくかったため重宝された。
下駄は普段着と組み合わせることが多い。浴衣の際は素足に下駄が基本である。今では和装に組み合わせる事がほとんどだが、かつては普段着の洋装に下駄を履く場合もよくあった。男子学生がファッションとして崩れた洋服(学生服)などに下駄を履いていることをバンカラと呼ぶ。
現代の日本では、ビニール素材の軽装履(サンダル構造の草履)やスニーカーにとって代わられ、一般的には履かれることは少なくなった。
温泉の旅館では浴衣と下駄が備え付けてあり、外湯に行く場合は旅館は下駄を貸し、それを履いて出かける。城崎温泉、鳴子温泉など、下駄履きを前提としたまちづくりをした温泉街もあり、下駄のレンタルがある地域もある。
下駄の生産は広島県福山市松永地域や大分県日田市を中心に、福島県、長野県、新潟県、秋田県、静岡県などに産地がある。
下駄の種類
- 足駄
- 歯を台に差込む構造のもの(初期には一木から繰りぬいた)。歯が通常のものよりやや高い。平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物であった。日和下駄を参照。また、旧制高等学校生徒が履いていたのもこの種の下駄である(=朴歯の高下駄)。マント、弊衣破帽、高下駄が高校生のシンボルとされた。
- 山下駄
- 歯、台ともに一ツ木を刳りぬいてつくったもの。江戸初期に樵夫がつくって江戸に売りに出たのでこの名がある。台が四角で、桐製が多かった。
- 吉原下駄
- ほぼ山下駄に同じだが、杉製。鼻緒は竹皮。江戸初期から中期ごろ、吉原の遊び客が雨に降られたときに待合茶屋が貸した。
- ぽっくり下駄
- 吉原の花魁、嶋原の太夫に付く禿の履き物。舞妓、半玉、といった年少芸妓もこれを履く。または一般の幼い女子や少女の履き物。逆台形の黒塗り、もしくは白木のやや高めの下駄。畳表であることも。台の部分には豪華な金蒔絵などが施されることも。中に鈴を入れることもあり、歩くと音がする。別の呼び方として、「おこぼ」、「こっぽり」、「こぼこぼ」など。
- 露卯(ろぼう)
- 差歯の下駄で、台に歯のホゾが見えるもの。江戸初期ごろ。
- 柳下駄
- 柳の台に朴歯。差歯が抜けにくいのが特徴で、上方からの下りもの。17世紀後半に花柳界ではやった。
- 馬下駄
- 今の下駄の直接の祖先にあたる。杉製で差歯、角型。台の下をひし形に刳りぬいてあるために歩くと馬の蹄のような音がしたという。
- 駒下駄
- 馬下駄をさらに進化させたもので、雨天だけではなく晴天にも履ける日和下駄である。17世紀末期に登場し、広く男女の平装として用いられた。明治以前におけるもっとも一般的な下駄である。
- 桐下駄
- 駒下駄登場の少し後から高級品、嗜好品として用いられるようになった。初期は黒塗りであったが、後に木地のものがふつうになった。
- 小田原下駄
- 18世紀初頭、江戸の魚河岸で生れた。後の日和下駄、利久の原型。蟻さし歯を用いて歯の根が台にあらわれず、歯がすり減れば入れなおすことができるという点が利点。また鼻緒に革を用いたところに特色があり、全体的に上品な仕上げであった。高級品であったが、河岸の魚屋が好んで履いた。
- 外方(げほう、下方とも書く)下駄
- 台は桐の柾目、歯は樫の木丸歯。下り坂で履き心地がよいとされて、18世紀初期に流行した。菱や瓢箪の刻印を打って他のものと弁別したという。
- 助六下駄
- 歌舞伎十八番『助六』で主人公がはいている下駄。初演時(1713年)に流行した。台は桐の糸柾目で、小判形、朴の差し歯。
- 右近下駄
- 表面がカーブした歯のない下駄。土踏まずの辺りをくりぬいている。現代では、底にスポンジ張りが一般的。台表面に鎌倉彫などの装飾を施したものが多い。
- 日和下駄
- 足駄(雨天用)に対する意味でこの名がある。時期によって定義はいろいろとあるが、男物の場合は角形で台は桐(糸柾目が高級品)、長さ七寸二~三分(女物は五分ほど短い)。歯は二寸二分程度がふつうで(大差という)、これを三寸三~四分にすると(京差という)、足駄(高足駄)というようになる。
- 利久下駄
- 差歯の日和下駄。主に上方のみでこの名がある。千利休が考案したといわれる。
- 吾妻下駄
- 日和下駄の表に畳を打ちつけたもの。江戸末期に流行した。桐の台、赤樫の歯。鼻緒はビロウドが多く、低いものが主流だった。
- 鉄下駄
- 木ではなく鉄で作られた下駄。
- 高下駄
- 歯が上下方向に長いもの。普通の下駄より高さがあり、履くと身長が高く見え、高下駄と呼ばれる。歯が厚いものを書生下駄と呼んだり、歯が薄いものを板前下駄と称する。
- 厚歯
- 下駄の歯が前後の方向に厚い寸法のもの。高下駄で厚歯のものがあり、特にバンカラと呼ばれた学生に愛用された。
- 田下駄
- 弥生時代の遺跡からも発掘されている、日本で最も古い履き物。田んぼでの農作業に使ったり湿地を歩くために使ったと思われる下駄。
- 一本歯
- 下駄の歯は2本だが「一本歯下駄」も存在する。山道を歩くための下駄であり、山の中で修行する僧侶や山伏などの修験者が主に用いた。このことが由来となって天狗が履いていたとされ、「天狗下駄」とも呼ばれる。昔は越後獅子など芸能や曲芸をする者がバランス能力を見せるために履いた。
- 玉下駄、蓬莱下駄
- 下駄の歯を半球ひとつにしたもの。「一本歯下駄」は前後に不安定であるが、玉下駄は左右を含め水平の全方向に不安定である。西式健康法の健康法のひとつであり、全身の骨格・筋肉が矯正され健康になるとされる。
- 下駄スケート
- 下駄の歯に鉄製の刃を取りつけた日本独特のスケート靴。明治から昭和30年代中頃まで日本各地で用いられた。
- 八ツ割(ヤツワリ)
- 台表面にイグサや裂いた竹を編んだ表(おもて)を貼り、台自体に七つの切れ目を入れて歩行時に足の裏に台が追随するようにした下駄。歯はない。地域により呼び名が異なり、八ツ割は関西圏での呼び名。その形状から、雪駄に準ずる扱いをする場合もあるようであるが、明確ではない。現代では裏にゴム張りをされていることが多い。
- 神職用下駄
- 神職は白鼻緒の下駄を用いる。「会津桐白合皮丸下駄」などが一般的。男性神職用、女性神職用等がある[5]。
- 日光下駄
- 筍の皮を裂いて編んだ草履を、桐の台木の上に縫い付けた栃木県日光市の伝統工芸。江戸時代、日光山の社寺に入る際に求められた清めの草履だけでは歩きにくいため、作られるようになった[6]。
下駄と文化
呪術・占術
- 『古事記』において、天の岩戸に籠もったアマテラス神の気をひくためにアメノウズメ神が「桶を踏み鳴らし」踊った記述があるが、裸足で伏せた桶を踏み鳴らしてもさしたる音にはならないだろうこと、木材や金属同士を打ち合わせ音を鳴らす行為は呪的意味をもつことから、アメノウズメ神は下駄を履いて桶を踏み鳴らしたのだという説がある。これは、下駄は本来、呪的行為に使われる呪具であったという説の流れを汲む主張だが、遅くとも中世にはそのような意味合いは失われていた、とする説が主流である。それでも、甲高い音を立てて地を踏み鳴らす行為が呪術的意味で行われていた事例は、明治時代まで確認できる。
- 天気の占い - 下駄を蹴り上げて落ちた形で占う。上下が正しければ晴れ、逆さまなら雨。
- 下駄飛ばし - 福山市にある日本ゲタ飛ばし協会が、上記の占いを発展させて競技化している。公式ルールが存在し、協会の認定大会もいくつも存在する。
下駄踊り
- 弁慶まつりの弁慶下駄踊り - 武蔵坊弁慶の出生地とする和歌山県田辺市の祭りで、下駄に鈴を付け踊り競うイベント。
- にいがた総おどりで踊られる下駄総踊り - 新潟がまだ、「船江の里」と呼ばれていた約300年昔、三日三晩踊り明かす祭があった。老若男女が思い思いの仮装と小足駄を履いて踊られた下駄の踊りがあった。現存する絵巻物や資料を基に、新潟人が持つ、祭や踊りに傾ける情熱を復活させようと、制作された踊り。
下駄と慣用句
- 下駄を預ける - (自分に関する問題などに関して)決定権を譲り全面的に相手に任せる(自分では動けなくなることから)。
- 下駄を履かせる - たとえば、絶対温度が摂氏に273を足した値であるように、何らかの数量が負の値にならないようにするなどの目的で、一定の数量や物量を足すこと。下駄を履くと背が高くなることから、下から押し上げるイメージの言葉。
- 下駄を履くまでわからない - (勝負などに関して)全て終わる(帰るために下駄を履く)まで結果はわからない。
派生的表現
- 下駄記号(〓) - 印刷に活字を使っていた時代、必要な活字がない場合、活字を逆さまにして代わりに入れる習慣があった。活字の底は四角く平らになっており中央を横切るように太い溝が彫ってあるので、それを印刷すると「〓」となり、これが下駄の歯の跡に見えることから「下駄(ゲタ)」と呼ばれた。伏字とも言われる。
- 多数のプリント基板が組み込まれた装置で故障と疑われる特定の基板を引き出し、その基板と同一サイズのものに接栓(せっせん)を付け、装置との接栓間に一対一の延長線を設け、オシロスコープやテスターなどで回路の動作を観測し故障診断分析を行う時に使用する延長線基板の俗称。回路はICの多用や修理の人件費から故障した回路基板は現場で診断せず丸ごと交換され、この下駄使用の必要性は少なくなっている。エクステンダーカード(Extender card ・Extension Card)とも呼ばれる。
- プリント基板に半導体メモリなどの電子部品を差し込むためのソケット部品を、その形状から「ゲタ」と呼ぶ。使用電圧やソケットの形状などが異なるCPUをマザーボードに装着・使用するためのアダプタもそう呼ばれることがある(ゲタ (CPU)を参照)。
- 寿司を盛る木製の台。寿司下駄。
- 家具の底部に取り付けられた材料。搬入時の床面の保護や、設置時の高さ調節のために取り付けられる。
- ロボットの強化合体(スーパー合体)に用いられる脚部強化合体部となる部品等に対しても使われる。
- 下駄履き
- 下駄電 - 国鉄時代の都市近郊電車(国電)の通称。下駄のように日常の足として使えることからきたといわれる。
- 下駄箱 - 履物を収納する家具。下駄が一般的な履物でなくなっているが、名称だけは現在に至るまで残っている。
- 下駄を脱ぐ - 鉄道業界の隠語で「脱線事故」を意味する。
脚注
- ↑ 意匠分類定義カード(B5) 特許庁
- ↑ Q3 田下駄はどのように使っていたの?教育出版ホームページ(2018年1月24日閲覧)
- ↑ 【モノごころ ヒト語り】下駄/軽くて丈夫な桐 足守る『日本経済新聞』夕刊2018年1月13日(社会面)
- ↑ 例として、『七十一番職人歌合』二十二番の返し歌に「下駄(あしだ)作り」の記述がみられる。なお、幕末期では下駄屋は紐を結ぶ技法を有していたことから甲冑師の手伝いもしており、『甲製録』には「下駄屋まで甲冑製作の手伝いとなった」と記されている。
- ↑ 浅田茂樹『井筒笥』2014年7月1日発行杉浦一蛙堂印刷全159頁中59頁
- ↑ 「日光下駄 素足に草履がさらり」『日本経済新聞』朝刊 NIKKEI The STYLE 2017年9月10日
参考文献
- 宮本馨太郎「履物」、日本常民文化研究所『日本の民具』、角川書店、1958年。
- 秋田裕毅「ものと人間の文化史104 下駄」法政大学出版局、2002年初版 ISBN 978-4-588-21041-9
- 潮田鉄雄「ものと人間の文化史8 はきもの」法政大学出版局、1973年初版 ISBN 978-4-588-20081-6
- 高田倭男「服装の歴史」中公文庫、2005年初版 ISBN 978-4-122-04611-5