加藤武徳
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加藤 武徳(かとう たけのり、1915年11月21日 - 2000年2月9日)は、日本の政治家。岡山県知事、自治大臣などを歴任した。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。
岡山県笠岡市出身。弟は元農林水産大臣の加藤六月。次男は自由民主党元参議院議員の加藤紀文。義理の甥は自由民主党衆議院議員の加藤勝信。
来歴・人物
中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選。造船疑獄で逮捕されるが、裁判では受け取った20万円について「儀礼的なあいさつと雑談の中での授受であり、請託がはっきりせずに、賄賂の意識がなかった」として無罪となる[1]。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。1964年岡山県知事選に出馬し初当選。2期8年務めたが、1972年の知事選で長野士郎に敗れ落選。知事在任中の1972年に山陽新幹線が岡山駅まで開業した際に、テープカットを行った。
その後は再び参議院議員となり、1977年11月から1978年12月まで福田内閣の自治大臣兼国家公安委員会委員長兼北海道開発庁長官を務めた。1992年次男・紀文に地盤を譲り政界引退。議員在職中、司法試験合格者の国会議員は在職年数により法曹資格を得られるよう弁護士法の改正を図ったが、果たせなかった。結局、引退後に司法修習(47期、同期に森雅子や西脇亨輔)を受け弁護士に転身した。2000年2月9日死去。享年84。
ちなみに、弁護士法改正は2004年に行われ、国会議員在職5年以上の司法試験合格者は100時間の研修を経て弁護士登録が可能となった(浜田卓二郎・相澤英之・津島雄二・佐藤剛男・原田義昭等が制度を利用している)。
脚注
- ↑ 『戦後政治裁判史録2』324-334頁。
参考文献
- 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録2』第一法規出版、1980年。
名誉職 | ||
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先代: 佐々木良作 |
最年少参議院議員 1950年5月 - 1953年5月 |
次代: 宮沢喜一 |