神石郡
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人口8,672人、面積381.98km²、人口密度22.7人/km²。(2018年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 神石高原町(じんせきこうげんちょう)
Contents
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 庄原市の一部(東城町新免・東城町三坂)
- 神石高原町の大部分(桑木・階見および父木野・坂瀬川の各一部を除く)
歴史
郡名の由来としては神事が行われた土地を意味するというものや、古代日本語で「石の多い谷」の意とするものがありはっきりしていない。古代には「かめし」と発音された。
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 1村 | 古川村 |
藩領 | 備後福山藩 | 15村 | 時安村、坂瀬川村、亀石村、大矢村、井関村、近田村、花済村、上野村、李村、上豊松村、中平村、東有木村、西有木村、小野村、笹尾村 |
豊前中津藩 | 22村 | 安田村、西油木村、東油木村、下豊松村、新免村、三坂村、永野村、草木村、阿下村、光信村、小畠村[1]、常光村、光末村、父木野村、上村、高蓋村、木津和村、田頭村、福永村、牧村、高光村、相渡村 |
- 慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年6月5日(1872年7月10日) - 深津県が改称して小田県となる。
- 明治8年(1875年)(36村)
- 明治9年(1876年)4月18日 - 広島県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての神石郡が発足。郡役所が小畠村に設置。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。[ ]は合併した村。(30村)
- 明治30年(1897年)7月2日(23村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。「芦品神石甲奴郡役所」が芦品郡府中町に設置され、同郡・甲奴郡とともに管轄。
- 大正6年(1917年)8月1日 - 油木村が町制施行して油木町となる。(1町22村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和15年(1940年)11月10日 - 牧村・草木村・福永村・田頭村が合併し、改めて牧村が発足。(1町19村)
- 昭和17年(1942年)4月1日 - 小畠村・上村・阿下村・常光村・亀石村が合併し、改めて小畠村が発足。(1町15村)
- 昭和18年(1943年)4月1日 - 高光村・古川村が合併し、改めて高光村が発足。(1町20村)
- 昭和19年(1944年)1月1日 - 高蓋村・木津和村・父木野村・光末村・光信村が合併し、改めて高蓋村が発足。(1町10村)
- 昭和24年(1949年)7月1日 - 高蓋村が芦品郡大正村の一部(桑木)を編入。
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)3月31日 - 油木町・仙養村が合併し、改めて油木町が発足。(3町1村)
- 昭和34年(1959年)7月1日 - 三和町が芦品郡藤尾村の一部[2]を編入。
- 平成16年(2004年)11月5日 - 油木町・神石町・豊松村・三和町が合併して神石高原町が発足。(1町)
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 旧高旧領取調帳データベース