鞆鉄道線
停車場・施設・接続路線[1](廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鞆鉄道線(ともてつどうせん)は、鞆鉄道が福山駅 - 鞆駅間で1913年(大正2年)から1954年(昭和29年)まで運行していた鉄道路線。
元々軽便鉄道として開通したため、軌間762mmのナローゲージを用いていた。また、同線で使用されていた蒸気機関車の煙突がラッキョウの形に似ていたため、「ラッキョ汽車」とも呼ばれていた。
路線データ
1954年2月時点
運行状況
1925年3月11日改正時
- 運行本数:全区間8往復
- 所要時間:全区間48分
1950年5月12日改正時
- 運行本数:全区間13往復
- 所要時間:全区間39-41分
歴史
1909年(明治42年)10月に福山町より鞆町への交通機関として鞆町、福山町の有志と福山出身の代議士井上角五郎、大日本軌道の雨宮亘の発起により軌道条例による鞆軌道の出願がされた[2]。1910年(明治43年)には軽便鉄道法が公布されることになったので計画を改め[3]鞆軽便鉄道として免許状が下付された。11月に鞆軽便鉄道株式会社[4]が設立され林半助[5]が社長に就任した。林と役員となった太田操、酒井作治郎は鞆銀行役員[6]であり桑田貞治郎は桑田銀行関係者[7]でありいずれも鞆町の代表的な資産家であった[8]。
- 1910年(明治43年)
- 1913年(大正2年)11月17日 野上 - 鞆間が開業[11]。軽便鉄道法に基づく軽便鉄道線であった。
- 1914年(大正3年)4月12日 福山町 - 野上間が開業[12]。
- 1919年(大正8年)
- 1925年(大正14年)7月 置き石により機関車が転覆。機関士が死亡[15]。
- 1926年(大正15年)12月19日 軽便鉄道線を地方鉄道法に基づく鉄道路線へ変更し、社名を鞆鉄道とする。
- 1928年(昭和3年)12月23日妙見-野上間線路新設付け替え(芦田川改修工事に伴い在来線路が新川敷となるため)[16]
- 1931年(昭和6年)9月10日 福山 - 三ノ丸間が開業。鞆鉄福山を三ノ丸に改称[17]。
- 1954年(昭和29年)3月1日 全線廃止。並行するバスが多く走っていたため、それに代替。
駅一覧
1954年2月廃止時点のもの
接続路線
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1913 | 12,211 | 53 | 1,631 | 2,317 | ▲ 686 | 1,913 | |||
1914 | 191,195 | 3,484 | 24,968 | 24,300 | 668 | 改算繰入9,470 | 償却金2,192 | 16,139 | 9,470 |
1915 | 150,510 | 4,297 | 20,918 | 19,809 | 1,109 | 雑損40 | 18,673 | 17,570 | |
1916 | 157,601 | 5,491 | 22,744 | 18,967 | 3,777 | 15,977 | 16,278 | ||
1917 | 228,807 | 7,714 | 30,057 | 29,536 | 521 | 14,300 | 10,795 | ||
1918 | 265,197 | 7,954 | 43,926 | 28,590 | 15,336 | 寄付金460 | 貯蔵物売却差損金 及側線撤去493 |
13,374 | 10,160 |
1919 | 287,617 | 8,184 | 37,748 | 35,271 | 2,477 | 郵便過怠金1 | 12,194 | 15,224 | |
1920 | 285,198 | 6,821 | 56,753 | 49,403 | 7,350 | 雑損金914 | 15,593 | 7,812 | |
1921 | 309,900 | 10,054 | 78,555 | 47,042 | 31,513 | ||||
1922 | 311,502 | 10,818 | 88,620 | 51,232 | 37,388 | ||||
1923 | 277,545 | 8,845 | 81,383 | 63,022 | 18,361 | 雑損49 | 6,665 | 8,573 | |
1924 | 284,332 | 8,095 | 83,241 | 47,709 | 35,532 | 1,349 | |||
1925 | 255,347 | 7,435 | 77,003 | 39,548 | 37,455 | ||||
1926 | 271,400 | 8,092 | 78,795 | 38,631 | 40,164 | 雑損1,240 | |||
1927 | 294,791 | 8,372 | 82,289 | 41,599 | 40,690 | ||||
1928 | 310,218 | 12,045 | 76,417 | 47,629 | 28,788 | 692 | 180 | ||
1929 | 319,635 | 10,827 | 80,304 | 46,898 | 33,406 | 自動車3,365 | 708 | ||
1930 | 306,017 | 8,062 | 73,814 | 47,989 | 25,825 | 内務省補助金90,847 | 雑損償却金90,847 自動車1,765 |
833 | |
1931 | 255,516 | 6,944 | 58,341 | 34,354 | 23,987 | 自動車222 | 2,602 | ||
1932 | 182,898 | 5,139 | 41,339 | 27,273 | 14,066 | 自動車1,141 | 6,133 | ||
1933 | 210,012 | 6,524 | 49,667 | 30,388 | 19,279 | 自動車1,460 | 7,422 | ||
1934 | 292,796 | 6,746 | 52,136 | 30,986 | 21,150 | 自動車5,006 | 6,882 | ||
1935 | 468,134 | 6,349 | 66,423 | 41,752 | 24,671 | 雑損1,962 自動車11,282 |
6,227 | ||
1936 | 453,238 | 7,969 | 74,862 | 50,779 | 24,083 | 自動車2,419 | 6,309 | ||
1937 | 501,267 | 6,726 | 79,260 | 55,026 | 24,234 | 自動車10,206 | 5,259 | ||
1939 | 589,189 | 8,613 | 110,191 | 76,929 | 33,262 | 自動車477 | 4,203 | ||
1941 | 856,650 | 14,768 | |||||||
1943 | 1,169,498 | 12,106 | |||||||
1945 | 1,664,560 | 8,139 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
年度 | 営業キロ | 総輸送人員(千人) | 定期外輸送人員(千人) | 定期輸送人員(千人) | 貨物輸送量(トン) |
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1950(昭和25年) | 16.6 | 1,099 | 480 | 618 | 2,026 |
1951(昭和26年) | 12.5 | 803 | 347 | 456 | 1,913 |
1952(昭和27年) | 12.5 | 489 | 158 | 330 | 1,346 |
1953(昭和28年) | 12.5 | 428 | 115 | 313 | 1,453 |
- 広島県統計年鑑、昭和32年、No,121-95地方鉄道及び軌道(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可)
車両
開業時用意された車両は機関車4両(うち雨宮製作所2両、ユンク(ドイツ)2両)。ボギー客車(定員40人)6両、ボギー有蓋貨車3両、ボギー無蓋貨車6両、四輪有蓋貨車4両(雨宮製作所及び大阪加藤工場製[18])[19]
その後1915年(大正4年)にボギー無蓋貨車3両を自社工場で改造して夏期納涼列車(ボト11-13、定員28人)を製作[20]。1918年(大正7年)に機関車2号(雨宮製作所製)を阪神急行電鉄に売却[21]。1921年(大正10年)機関車(コッペル)1両[22]とボギー客車(加藤車輌製作所製)1両を増備した[23]。
昭和になると沿線乗合自動車の進出に対抗するため運転回数増加、運転時刻短縮の必要からガソリンカーを導入することになり[24]1927年(昭和2年)日本車輌製造で軌道自動客車(単端式気動車)を2両製作[25][26]したのをはじめとして、1928年(昭和3年)に松井自動車工作所により四輪ボギー車(定員40人)を1両製作[27][28]。1930年(昭和5年)[29][30]、1933年(昭和8年)[31][32]と片ボギー車を1両ずつ増備した。
機関車はガソリンカーの増備により余剰となったため1935年(昭和10年)に1号(雨宮製作所製)を岡山県庁へ売却した[33]。1936年(昭和11年)国鉄より軽便用2軸ボギー三等客車5両(福塩南線ケコハ225.228.233.235.237)の払下げを受けることになりボハ8-12と付番した[34][35][36]。この客車増備により無蓋貨車より改造した客車は元の貨車に戻すことにした[37]。
戦後まもなく日本製鉄釜石より機関車2両(156・157)購入[38]と機関車1両を新製(立山重工業)[39]。1949年に客車1両(ボハ6)を廃車している[40]。
廃線間近には内燃動車4両、客車12両、貨車6両で蒸気機関車は使用されなくなり戦後購入した3両が車庫に留置。客車も朝のラッシュ時のみ使用されていた[41]。
車両数の変遷
年度 | 機関車 | 内燃動車 | 客車 | 貨車 | |
---|---|---|---|---|---|
有蓋 | 無蓋 | ||||
1913-1915 | 4 | 6 | 7 | 6 | |
1916 | 4 | 6 | 7 | 3 | |
1917 | 4 | 9 | 7 | 3 | |
1918-1920 | 3 | 9 | 7 | 3 | |
1921-1926 | 4 | 10 | 7 | 3 | |
1927 | 4 | 2 | 10 | 7 | 3 |
1928 | 4 | 3 | 10 | 7 | 3 |
1929 | 4 | 2 | 11 | 7 | 3 |
1930-1932 | 4 | 4 | 10 | 7 | 3 |
1933 | 4 | 5 | 10 | 7 | 3 |
1934 | 4 | 5 | 10 | 7 | 3 |
1935 | 4 | 5 | 15 | 7 | 3 |
1936 | 3 | 5 | 15 | 7 | 3 |
1937 | 3 | 5 | 12 | 7 | 6 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注
- ↑ 1.0 1.1 距離は今尾による。鉄道省 (1937) では妙見3.5km
- ↑ No.1「鞆軽便鉄道敷設免許ノ件」109頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
- ↑ No.1「鞆軽便鉄道敷設免許ノ件」70-71頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 多額納税者『人事興信録. 3版(明44.4刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『日本全国諸会社役員録. 明治44年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「近世港町鞆および下津井における鉄道交通の導入とその特質」14頁
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1910年9月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ No.3「会社設立登記届」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年11月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軽便鉄道停車場名改称」『官報』1919年1月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『福山市史』下巻、1978年、760-761頁
- ↑ 線路工夫の私怨とされている(藤井浩三「旧鞆軽便鉄道の蒸気機関車」『鉄道ピクトリアル』No.172)
- ↑ No.11「変更線路使用開始ノ件」No.12「変更線路使用実施届」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年9月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 別の申請書には雨宮鉄工所製作ボギー客車6両のうち3両を島屋商会(大阪)製作に変更(No1「客車変更使用認可申請ノ件」4頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』)や有蓋貨車島屋商会(大阪)製作(No.3「機関車及有蓋貨車使用認可申請ノ件」20、23頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』)なる記述がある
- ↑ No.18「鞆、野上間運輸営業開始認可申請ノ件」7-8頁『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』
- ↑ No.34「代用客車使用ノ件」」『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』
- ↑ No.6「機関車譲渡ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.22「機関車設計ノ件」、No.24「機関車竣功ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.20「客車設計ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.42「瓦斯倫動力併用ノ件」(No.43「定款中一部変更届」1頁に掲載)『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.44「瓦斯倫自動客車設計ノ件」『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.46「車輌竣功ノ件ニ関スル通牒」(5-6頁に竣功図)『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』
- ↑ No.5「自動客車設計ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.7「瓦斯倫客車竣功ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.18「車輌設計並特殊設計ノ件(再提出)」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.20「瓦斯倫自動客車竣功ノ件(再提出)」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.29「瓦斯倫自動客車設計ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.36「車輌竣功ノ件」『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』
- ↑ No.1「機関車譲渡ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』9頁
- ↑ No.3「鉄道書所属車輌譲受使用ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』11-14頁
- ↑ No.5「鉄道書所属車輌譲受使用開始ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』37-38頁
- ↑ No.12「客車称号及番号変更ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』65-67頁
- ↑ No.11「車輌設計変更ノ件」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』38-41頁
- ↑ 「蒸気機関車設計について」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』216-224頁(竣工図225頁)
- ↑ 「車輌設計について」231-251頁「車両竣功について」259-262頁『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』
- ↑ 「並等客車廃車について」『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』305-308頁
- ↑ 鹿島雅美「鞆鉄道訪問」『鉄道模型趣味』No.57
参考文献
- 青木栄一「近世港町鞆および下津井における鉄道交通の導入とその特質」『東北地理』21-3、東北地理学会、1969年
- 『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便鉄道・鞆鉄道株式会社・明治四十三年~大正元年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・鞆鉄道株式会社・大正二年~大正五年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・鞆鉄道・大正六年~昭和二年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・鞆鉄道・昭和三年~昭和十年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 『鞆鉄道・自昭和十一年至昭和二十六年民営鉄道部』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- 鉄道省 『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』 鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、p. 415。ISBN 4-88540-048-1。
- 今尾恵介(監修) 『中国・四国』 新潮社〈日本鉄道旅行地図帳:全線・全駅・全廃線〉、東京、2009年。ISBN 978-4-10-790029-6。
関連書籍
- 湯口 徹『鞆鉄道』(RM LIBRARY196) ネコ・パブリッシング、2015年
- 宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩くIV』JTB、1997年
- 写真アルバム『福山市の昭和』樹林舎、2016年-車両写真7枚、お別れ列車写真3枚を掲載