広島駅
広島駅(ひろしまえき)は、広島県広島市南区松原町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)・広島電鉄の駅。
広島電鉄は「駅」も正式電停名に入り、広島駅電停(ひろしまえきでんてい)となる。
概要
中国・四国地方最大の都市で広島県の県庁所在地でもある広島市の中心駅。東海道・山陽新幹線の全営業列車が停車し、また在来線についても広島シティネットワークの中枢となるターミナル駅で中国・四国地方では大きさが二番目の駅でもある。乗車人員数は中国・四国地方で第1位、JR西日本管内では大阪環状線の鶴橋駅に次いで第7位[統計 1]、また運輸取扱収入では大阪駅に次いで第2位である[統計 1]。事務管コードは▲800613を使用している[1]。
紙屋町・八丁堀といった広島市中心部からは少し離れた位置にあるため、路面電車・バスに乗り換える必要があるが、近年は駅前再開発事業が進展し2009年にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が徒歩圏内に開場するなど新都心機能が拡充している[広報 1]。
駅ビルとして、地上7階・地下1階建ての商業施設ASSEがある。
乗り入れ路線
JR西日本の広島駅は、山陽新幹線と以下に挙げる在来線各線の接続駅となっている。
正式な線路名称上の乗り入れ路線は以上の2路線であるが、山陽本線の駅から分岐する以下の2路線の列車も当駅に乗り入れている。
- 呉線 -- 海田市駅が線路名称上の終点であり、瀬戸内海沿いの呉駅・広駅方面へ通じている。海田市駅に発着する全列車が当駅まで直通する。当駅より西の山陽本線宮島口・岩国方面および可部線に乗り入れる列車も存在する。
- 可部線 -- 横川駅を線路名称上の起点とし、広島市内のあき亀山駅まで通じている。全列車が当駅まで直通する。当駅より東の山陽本線西条方面および呉線に乗り入れる列車も存在する。
すなわち当駅からは合計5方面の在来線列車が発着している。また、特定都区市内制度における「広島市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。在来線はICOCAの岡山・広島エリアに含まれている。
広島電鉄の広島駅電停は広島電鉄本線の起点となっており、「M1」の駅番号が付されている[広報 2]。運転系統上は1号線・2号線・5号線・6号線が乗り入れる。
駅の立地と歴史
駅の立地
広島駅は南区松原町にある。新幹線口(北口)側は隣接する二葉通りを境に東区になる。
北側には側近に二葉山が有り、南側には側近に猿猴川(太田川水系)が流れ、比較的駅周辺の平地部分が長細い形になっている。また、開業時点では牛田村・矢賀村などが独立した村だったので、広島市の北側に位置していた。開業当時の地図を参照すると、府中村(現在の府中町)を通過後は、その当時の広島市内を抜ける線路のルートを取っている。また太田川水系手前に位置し、開業当時広島市の中心だった中区中島町から離れ、現在の中心部である中区紙屋町・八丁堀からも離れた位置にある。市中心部とのアクセスは、1912年(大正元年)に広島電気軌道(現在の広島電鉄)駅前と御幸橋間の路線が出来たことで結ばれた。
2015年(平成27年)3月14日に新白島駅が開業するまで[3]、中区には山陽鉄道・国鉄時代を含めJRの駅が存在しなかった[4]。広島駅を通過した後は当時の広島城の外堀(現在の城北通りあたり)を回避した白島地区を通っている。
江戸時代は西国街道(山陽道)が近くを通り、街道沿いの愛宕(現在の「東区愛宕町」)には宿場町があり、他の国の人は広島城下に宿泊することが出来なかったので、宿泊することが出来る一番近い宿場町だった。現在でも地名として残り、愛宕踏切で街道と山陽線が交差している。駅の北側には、1890年(明治23年)に開設された東練兵場が広がり第二次世界大戦終戦まで存在した。東練兵場が出来る前までは田畑が広がっていた[補足 1]。
また、江戸時代からある猿猴橋から広島東照宮まで、桜並木(現在の松原町あたりは松並木で途中から桜並木に変わる)があり天明年間(1795年頃)の地図にも記載があり[5]、第二次世界大戦終戦まで存在していた。
その他、現在も残る広島城主と縁のある広島東照宮・尾長天満宮・国前寺などが近くにある。
駅の開業は1894年(明治27年)6月で、開業時点では山陽鉄道の終点だった。その当時の地図では広島駅通過後、京橋川の近くまで線路が延びていた[補足 2]。翌月には日清戦争が開戦し、国家的な要望で開業が急がれた。前記したとおり、市の中心部から離れた位置にあり、その理由について街道沿いの住民が鉄道を敬遠したのか、用地の買収が困難だったかどうかは不明である[7]。ただ、軍部の意向によりルート変更してはいけないとする強い意向があったのは事実である[8]。同様の理由で山陽鉄道では例外的な急勾配区間瀬野八も誕生している[補足 3][補足 4]。開業時には、前年に宇品港(現在の広島港)が開業し、兵隊が集合することが出来る広い土地(練兵場)が近くにあった事より、兵士出兵の最前線として重要な駅だった。さらに広島駅と宇品港を結ぶ宇品線が同年8月に開業している(詳細は該当記事参照)。
広島駅の南口側は、第二次世界大戦後には闇市が広がっていた。その闇市は、愛友市場(荒神市場)や、現在はエールエールA館がある地にあった1952年(昭和27年)に開業した「廣島百貨店」などに吸収された。またスーパーマーケットのイズミや、ヨンドシーホールディングス(アスティ・フジ)も、その闇市での屋台をルーツに持っている。1969年(昭和44年)には、これまで貨物駅を兼ねていた広島駅を分離する形で、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)が開業した。山陽新幹線開業直前には「ホテルニューヒロデン」が開業した。「廣島百貨店」は1990年代まで営業していたが、広島商圏での市場占有率は低下。エールエールA館の建設で消滅したが、現在も引き続き営業している店舗も存在する。1999年 (平成11年) には、エールエールA館に福屋広島駅前店が開業。広島駅の民衆駅化で設置された広島ステーションホテルが1999年に閉鎖されたが、2004年(平成16年)にJR系のホテルHOTELヴィアイン広島が開業した。2013年 (平成25年) からはB・Cブロックの再開発も着手され、愛友市場もその歴史に幕を下ろした。その後2016年 (平成28年) 8月にBブロックにシティタワー広島・BIG FRONTひろしまが完成し、同年12月にCブロックにグランクロスタワー広島・EKI CITY広島が完成した。
2009年(平成21年)には、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)貨物ヤード跡地にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が開設。現在、商業施設の建設計画が進められている。
現在の新幹線口側は、開業当初は駅舎はなかった。代わりに東練兵場の正面に凱旋門が存在していた[10]。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に初めての駅舎が作られた。当時の駅舎は、木造平屋の小規模な物で北口と呼ばれた。1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業で現在の駅舎に建て替えられ、北口または新幹線口と呼ばれる様になった。
駅舎の歴史
画像外部リンク | |
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アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。 | |
Hiroshima aerial A3414 比治山方面から撮影。左上に駅舎が見える。 |
開業当時の広島駅は南口のみの木造の簡易的な駅で、利用者の増加に伴い後年に木造の本格的な駅舎で建て替えられた。1922年(大正11年)に先代の鉄筋コンクリートの駅になった。先代駅舎の当初の設計者は渡辺節で、当時の京都駅を模した形状だった。後に久能にかわった。駅舎の建て面積は9,800m2、延べ床面積は26,400m2だったが、構造が頑強だったために拡張は困難だった。また、広島駅を模した形で、後年岡山駅の建て替えも行われた。原爆投下前の1941年(昭和16年)に正面玄関寄せ前に2階を張り出させる形で駅舎の拡張が行われた[11]。
広島市への原子爆弾投下での直接の爆風、さらには延焼による火災で駅舎は大破した[12]。戦後は、貨車を駅長室代わりに業務を再開[13]。1945年(昭和20年)末までには、雨をしのげるレベルでの仮復旧を行った[14]。1948年(昭和23年)の昭和天皇の行幸時には、通路の化粧直しが計画されたが間に合わず、紅白の幕で対応[15]。1949年(昭和24年)より本格的な復旧が行われた。同年7月までに駅舎正面に張出の出札室を整備された[16]。駅舎正面の駅名の表記は「廣島驛」(1946年2月設置)、「廣島駅」(1949年出札室増築)、「広島駅」(1952年頃)と変化した。「廣」の字体は活字とは一部異なる。「廣島駅」「広島駅」が混在していた時期もある[17]。
現在の民衆駅は、1964年(昭和39年)5月22日に起工式を行い[18]、1965年(昭和40年)12月に完成した。建築時点で、全国で39番目に設置される民衆駅でかつ、東京駅八重洲口・博多駅・新宿駅・天王寺駅・池袋駅に次ぐ規模の駅舎になった[19]。
- Hiroshima Station in Taisho and Pre-war Showa eras.JPG
大正時代の先代駅舎
- HiroshimaStationOct1945.jpg
原爆被災後(1945年10月)の駅舎内(撮影:菊池俊吉)
- 131780 RAILWAY STATION COMPLETELY REBUILT ONE YEAR AFTER THE ATOM BOMB WAS DROPPED.JPG
1946年
- Hiroshima Station 1955.jpg
1950年代
年表
JR西日本
- 1894年(明治27年)
- 1897年(明治30年)
- 1901年(明治34年)9月1日 - 山陽鉄道線の広島駅 - 宇品駅間が営業休止。
- 1902年(明治35年)12月29日 - 山陽鉄道線の広島駅 - 宇品駅間が営業再開。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。ただし、広島駅 - 宇品駅間は宇品線となる。
- 1920年(大正9年)7月15日 - 芸備鉄道線(現在の芸備線)が貨物線として乗り入れ。
- 1926年(大正15年)1月21日 - 芸備鉄道広島駅が旅客営業開始。
- 1937年(昭和12年)7月1日 - 芸備鉄道国有化され、国有鉄道芸備線となる。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により鉄骨鉄筋構造の本屋駅舎が大破。
- 1947年(昭和22年) - 北口(現新幹線口)開設。
- 1965年(昭和40年)
- 1969年(昭和44年)3月1日 - 貨物の取り扱い業務を新設の東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)に移管し廃止(旅客駅となる)。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 宇品線が廃止。
- 1974年(昭和49年) - 旧跨線橋(2014年まで使用)および旅客地下道が延伸し同日開通[20]。
- 1975年(昭和50年)3月10日 - 山陽新幹線が岡山駅 - 博多駅間開業により乗り入れ。駅北口を新幹線口に名称変更。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1999年(平成11年)4月8日 - 南口を全面改装。駅ビルテナントが「ASSE」に名称変更。
- 2005年(平成17年)2月27日 - 広島駅新幹線改札口に自動改札機を導入。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)
- 2012年(平成24年)
- 2014年(平成26年)
- 3月 - 広島駅改良工事(新幹線口ペデストリアンデッキ新設)起工[広報 4]。同時に新幹線口広場内の配置も変更される。
- 6月12日 - 広島駅改良工事(新幹線口ペデストリアンデッキ新設)に伴う新幹線口バス乗降場配置変更[広報 5]。
- 9月2日 - 広島市が「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」を決定し公表[広報 6](詳細後述)。
- 10月20日 - 「JR広島駅の跨線橋の切り替えにあわせた記念企画」[広報 7]による「広島駅の歴史展(写真展)」を跨線橋で開始した。使用最終日まで展示。
- 10月29日 - 4日後の広島駅の新跨線橋の使用開始に伴い、南口のみどりの窓口と総合案内所、新幹線口の案内所が移設。
- 11月1日 - 「JR広島駅の跨線橋の切り替えにあわせた記念企画」[広報 7]による記念台紙付き入場券を当日1000枚限定販売。跨線橋使用最終日。南口出口改札を入口改札の隣に移設。1番ホーム地下階段の西側を先行使用再開。
- 11月2日 - 広島駅の新しい跨線橋(南北の改札口をつなぐ連絡コンコース)の使用を開始[21]。新しい跨線橋内にはコンビニ、飲食店が開業[22]。旧跨線橋の解体後、中央改札口・自由通路などを整備する[22][広報 8]。在来線ホームの列車停止位置などが岩国寄りに変更された。西条寄りのホームなどが工事の為、利用客は立ち入り禁止となる。同様に地下通路の西側を使用開始と同時に東側を工事用に封鎖し、ASSEの3階改札口も西側に移設する予定。
- 2015年(平成27年)5月22日 - JR広島駅ビル内の「新幹線名店街」が新装開業[23]。
- 2016年(平成28年)3月9日 - 新幹線ホームに発車メロディを導入。曲はゴダイゴの「銀河鉄道999」[広報 9]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 3月29日 - 「ekie(エキエ)第2期」が開業。
広島電鉄
- 1912年(大正元年)11月23日 - 広島駅前電停として開業。
- 1920年(大正9年)ごろ - 本駅前電停に改称。
- 1945年(昭和20年)
- 1960年(昭和35年)3月30日 - 広島駅前電停に改称。
- 1971年(昭和46年)5月6日 - 旧7号線「広島駅 - (八丁堀) - (十日市町) - 横川」を廃止。
- 1987年(昭和62年) - 皆実線経由宇品行(5号線)の乗り場を新設、着発線が2線から3線となる。(翌年に上屋完成)
- 2001年(平成13年)11月1日 - 広島駅電停に改称。
- 2008年(平成20年)11月25日 - 発車メロディを導入。
駅構造
JR西日本
単式・島式4面8線の地上ホームを持つ在来線の北側に島式2面4線の高架ホームを有する山陽新幹線が並ぶ。
駅の南側に「南口」、北側に「新幹線口」がある。また1975年の山陽新幹線開業までは北側出入口がそのまま「北口」と呼ばれていたため、今日でも地元住民の会話や新聞の見出し、不動産広告で「北口」の名称が使われることもあり、新幹線口近くの広島銀行の支店名も「広島駅北口支店」のままである。新幹線専用の改札は新幹線口(北側)にのみ設置されているため、駅南側から新幹線を利用する場合には2階もしくは地下にある自由通路を利用して新幹線口に抜けることとなる。
南口・新幹線口ともにJR西日本系列のホテルが整備され、南口はHOTELヴィアイン広島が、新幹線口はホテルグランヴィア広島がある。
また、駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陽本線の天神川駅、芸備線の西三次駅 - 矢賀駅間各駅を管轄している。駅スタンプは「原爆ドームと平和記念公園への玄関駅」。
ホーム
在来線は1番のりばが単式、それ以外が島式である。8番のりばは9番のりばの東端を切り欠いた切欠きホームとなっており、7・8・9番ホームは同じ面にある。6番線はホームのない中線で、機関車の付替や列車の入換などのために使われることがある。9番線は当駅ホーム西端から先に、途中7番線や山陽本線上り線からの渡り線を計3箇所合流しつつ西側(横川方面)に伸び、山陽新幹線の高架と交差する手前あたりで第3種車止めが設置され行き止まりとなっている。かつてこの線路からは、後述する旧10番線の荷物の取り扱いホームなど在来線ホーム北側に位置していた線路群が分岐しており、9番線に到着する客車列車の機関車入れ替えの他に、それらの線路群の引き上げ線としての役割も持っていた。
構造上は、山陽本線上り(呉線直通を含む)は3・4・5・7番線、山陽本線下り(可部線直通を含む)は1・2・3・4番線から出発可能であり、芸備線は7・8・9番線から出発可能である。現在では山陽本線下りが1番のりば、山陽本線上りが5番のりば、呉線が3・7番のりば、可部線は4番のりば、芸備線は9番のりばから発車する場合が多く、これらのホームの一部の駅名標は2015年3月から本格導入されたラインカラーを用いたものに置き換えられている。8番のりばから出発する列車はごくわずか(朝夕を問わず回送列車が到着する際に使用されることが多い)で、2番のりばも早朝や夕方の一部の山陽本線下りや可部線、及び快速電車が発着するほかは貨物列車が通過する程度。大半は当駅終着後、広島運転所に回送する列車の降車用として使用される。貨物列車などの通過列車は基本的に、上りが4・5番のりば、下りが2番のりばを使用する。芸備線の列車は現在は8・9番のりばのみを使用しているが、かつては急行列車や客車列車を中心に7番のりばも使用していた。
折り返し専用の発着信号機は山陽本線(岩国方面)と可部線は4番のりば、山陽本線(西条方面)と呉線は3番のりばのみに設置されており、到着後に回送せず同方面に折り返す列車は、すべて上述ののりばに停車する。
新幹線ホームは、16両編成対応(ホーム長410m)の島式ホーム2面4線を有する高架ホームである[29]。なお、現在の11・14番のりばのそれぞれ外側に1面1線ずつホーム・線路を増設して4面6線まで拡張可能な構造としている[30]。JR化当初まで、上り新大阪・東京方面の一部の列車が12番のりばを使用して折り返していた。その名残で、JR時刻表巻頭の当駅構内図には、現在も「12番:東海道・山陽新幹線 下り・上り」と記載されている(2010年2月号より)。新幹線ホームには転落防止用の柵が取り付けられている。新幹線列車発車時には銀河鉄道999のメロディーが流れる。
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | R 山陽本線 | 下り | 宮島口・岩国方面 | 1番乗り場は普通列車のみ発着 2番乗り場は原則シティライナーが発着 |
B 可部線 | - | 緑井・あき亀山方面 | 日中時間帯以外 | |
3・4 | Y 呉線 | 呉・広方面 | 原則3番乗り場 日中時間帯は主に安芸路ライナーが使用 | |
B 可部線 | 緑井・あき亀山方面 | 原則4番乗り場 | ||
R 山陽本線 | 下り | 宮島口・岩国方面 | 平日朝とシティライナーのみ | |
G 山陽本線 | 上り | 西条・三原方面 | 夜間のみ | |
5・7 | 原則5番乗り場 | |||
Y 呉線 | - | 呉・広方面 | 原則7番乗り場 | |
8・9 | P 芸備線 | 下深川・三次方面 | 8番乗り場から発車は朝1便のみ、8番のりばは到着が主 | |
11・12 | 山陽新幹線 | 下り | 博多・鹿児島中央方面 | |
13・14 | 上り | 新大阪・東京方面 | 13番のりばは当駅始発ののぞみが使用 |
当駅では東海道型に似た詳細放送が採用されている。2017年9月10日にシステム更新が行われた。CTC連動型で接近時と到着時・発車時に行われるほか停車中にも案内放送が流れる。接近時には放送の後に後述の4つのメロディが各ホームで流れる。
- 2017年9月のシステム更新までは島式ホームである2番~9番乗り場では2つのホームで同じスピーカーでの放送となっているため重複する場合は接近放送や発車放送が優先的に行われていたが、システム更新後は各乗り場の案内が被っても並行して行われるようになる。
- 到着時には駅名連呼(2回)と新幹線口案内と乗換案内が行われる。快速列車の場合は停車駅も案内される。システム更新後は乗換案内には乗換列車の発車時刻も放送するようになる。
- 英語による案内放送は行われていない。この放送よりも後の2003年に広島支社管内主要駅(三原駅・西条駅・海田市駅・天神川駅・新白島駅・横川駅・五日市駅・宮島口駅・岩国駅・新山口駅・厚狭駅・新下関駅)で導入された新詳細型放送では英語放送を導入している。
- 2015年3月上旬に山陽本線の案内が「山陽本線〇〇方面」から「山陽線〇〇方面」に言い回しが変更された。
- 接近放送の基本は「まもなく、(のりば番号)番のりばに、(路線名)線、(経由駅)方面、(行先)ゆき、(列車名、ない場合は省略)、(種別)電車が、(両数)両で、到着します。足元の黄色い点字ブロックの内側までお下がりください。」である。気動車や客車列車が到着する場合は「電車」ではなく「列車」と案内される。これはシステム更新後も基本的な内容変更は行われないが接近2~5分前に乗車位置の案内と遅延発生時は遅延時分の案内を行うようになる。
- かつて、芸備線急行や山陽線寝台特急があった時期は、「芸備線、備後落合ゆき、ちどり、急行列車が」「山陽本線、西条方面、東京ゆき、あさかぜ、特急列車が」などと案内されていた。
- 2004年(平成16年)3月13日に天神川駅が、2015年(平成27年)3月14日に新白島駅が開業したため、山陽本線の駅は両隣駅がJR発足後に開業した駅となった。
- 広島駅では次の接近メロディが使用されている。
- 1番・5番乗り場メロディ「砂の鏡」…現在では広島駅のみだが2012年のJR西日本新標準接近放送導入前までは呉線下りや大町駅下り、新広駅上り、前空駅(アレンジ)などでも採用。
- 2・7番乗り場メロディ(曲名不明)…当駅のほか広島支社管内山陽本線本郷以西各駅下り(下関方)や呉線各駅下り(海田市方)、可部線各駅下り(可部方)でも採用。山口県内ではアレンジ版を使用。広島地区新詳細型放送採用駅(西条・五日市・宮島口・岩国など)では改良版が採用。
- 3・8番乗り場メロディ(曲名不明)…当駅のみ使用。新標準接近放送導入前までは大町駅上りや呉線上り(広・三原方)で採用。
- 4・9番乗り場メロディ(曲名不明)…当駅のほか広島支社管内山陽本線本郷以西各駅上り(三原方)と呉線上り(広・三原方)、可部線各駅上り(横川方)でも採用。山口県内(2012年以前は前空駅でも)ではアレンジ版を使用。2・7番乗り場メロディ同様広島地区新詳細型放送採用駅では改良版が採用。
かつては、1番線ホーム東寄りの向かい側を切り欠いた頭端式ホームがあり、「0番ホーム」として宇品線専用ホームとして使用されていたが、同線廃止に伴い廃止となった。現在は埋め立てられ、駐車場になっていたが後に駐車場は廃止になり、立ち入りできなくなっているが、ホームのコンクリート面と白線が残されている。
また、2番ホームの西側先端にも切欠ホームが存在するが、現在はフェンスで囲われており使用されていない。
9番線ホームの北西側には、荷物取扱専用の「10番ホーム」が存在し、カートレインの自動車積み降ろしなどが行われていたが、荷物列車の廃止と新幹線口駅舎の周辺整備に伴い撤去された。小規模の待避線や引き込み線を有する扇型のホームで、当初より跨線橋や地下通路は接続されず、各種案内表示も取り付けられていなかった。このため駅改札口から入ることはできず、利用する場合は、広島駅西側高架道路下、新幹線駅舎と在来線線路の間にあった専用出入口を使用していた。
なお、新幹線開業前の優等列車の号車案内が在来線ホームにいくつか残っている。
- 広島駅3号ホーム 東側.jpg
4・5番乗り場。コンコース階段東側
(2017年9月) - 広島駅駅名標 山陽Rライン新白島駅開業反映版.jpg
1番乗り場の駅名標は宮島口方面のラインカラーの赤(R)。
- 広島駅駅名標 山陽Gライン新白島駅開業反映版.jpg
5番乗り場の駅名標は西条方面のラインカラーの緑(G)。
- 広島駅新幹線ホーム 12番乗り場から.JPG
新幹線ホーム
(2012年10月)
南口駅舎
南口駅舎は地下1階・地上7階建てコンクリート造で、1階の東側の区画と1階以外のフロアをASSEが占める。建物そのものは1965年12月に落成し、「ひろしま駅ビル」と称していたが、1999年4月にASSEとしてリニューアルした。ただしこのときの改装範囲は駅正面の外観と駅ビルの商業施設ブロックおよびコンコース内の改装のみで、駅舎裏側は完成当初の姿を残している。2006年12月にはASSEが再び改装された。
改札口は、地下1階の「地下道南改札」、跨線橋正面でASSEの3階に直結する「ASSE改札」の2箇所。いずれもICOCA対応の自動改札である。2009年3月にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の開業に合わせ、かつて存在した「南口改札」で自動改札機の増設も行われた。 みどりの窓口は駅舎内にはなく、2階の自由通路上に設置されている。 Tis(日本旅行)は1階コンコースにあり、東西にATMコーナー(広島銀行・もみじ銀行・広島信用金庫・イオン銀行)を置く。駅舎内テナントはICOCA電子マネー対応。
新幹線口駅舎
地上3階建てコンクリート造高架駅舎で1975年3月に落成した。駅舎内には中国SC開発の運営する商業施設「広島新幹線名店街」が併設されている。
改札口は在来線用として1階の「地下道北改札」、新幹線用として2階の「新幹線改札」があり、新幹線と在来線間の乗換用に「のりかえ改札」も別の箇所に有する。 みどりの窓口は駅舎内(新幹線乗り換え改札を除く)にはなく、2階の自由通路上に設置されたものを利用することとなる。
ペデストリアンデッキ設置に向けて駅舎が増築中である。詳細は改良工事項目を参照。
橋上駅舎
南口と新幹線口の間の線路上空に橋上駅舎(後述)が建設され、2014年11月2日に、改札内の連絡跨線橋部分までが完成。連絡跨線橋内にはコンビニ、飲食店が有る。通路幅は従来通りの10メートルだが、天井までは6.7メートルあり天井近くの窓からの採光で日中は照明不要になっている[31]。2017年5月28日、自由通路が暫定開業し、南口1階の「南口改札」、北口2階の「北口改札」を閉鎖。新たに「中央改札」を設け、分散していた、券売機、みどりの窓口も集約された。詳細は改良工事項目を参照。
新跨線橋完成時には中央改札になる2・3番ホーム階段と4・5番ホーム階段間の広場にはマツダが新型車を展示していた。以前は新幹線口駅舎で展示してあったものである。この車両は入れ替えの度に新幹線口階段に板を置いてスロープを設置し、手動式ウインチで階段上のスロープを引き上げて移動させているという[広報 10]。
- 広島駅南口エントランス 2017年南北自由通路開通後.jpg
広島駅南口エントランス
(2017年5月) - 広島駅南北自由通路 2018年1月.jpg
広島駅南北自由通路
(2018年1月) - 広島駅中央口.jpg
中央改札口
(2017年5月) - 広島駅新跨線橋供用時地下道南改札.jpg
南口地下1F 地下道南改札
(2014年11月) - ASSE新改札口.JPG
ASSE改札
(2014年11月) - 広島駅跨線橋 2017年6月 跨線橋内商業スペース全面開業後.jpg
跨線橋とその発車標(中央改札口供用後)
(2017年6月) - 広島駅新幹線改札 自由通路開通後.jpg
自由通路開通後に改装された新幹線改札口(2017年9月)
- 広島駅乗換改札 2018年1月.jpg
跨線橋と直結するJR線と新幹線との乗り換え改札
(2018年1月) - Electric Signage of Hiroshima Station 3.jpg
乗り換え改札前には発車標を模した案内表示がある
(2017年10月) - 広島駅南口改札口 2016年2月.jpg
2017年5月で閉鎖された南口改札
(2016年2月)
広島電鉄
広島電鉄本線の広島駅電停はJR広島駅南口の東側、城北通り・大洲通り(県道広島三次線)に並行した場所にあり、変則頭端式4面3線のホームを持つ。旅客への案内ではホーム番号は用いられていない。
乗車ホームは南口駅舎に近い最も北側の1面を使う。東寄りを0・1・2・6号線(八丁堀・紙屋町方面)のりばとし、西寄りを5号線(比治山線)専用のりばとしている[広報 11]。0・1・2・6号線のりば前には、案内所(広島電鉄広島駅定期券窓口)や、自動両替機、PASPYチャージ機が設置されており、多客時には係員が乗車ホームに出て案内をする。降車ホーム3面は、折り返し5号線となる便がもっともJR広島駅寄りを使うほかは到着順で使い分ける。
6時から21時までの間、「入口」ドアから降りるときは降車ホームで電停整理員が可搬式のカードリーダー付き運賃箱を使い、運賃収受・集札業務を行う。(その他の時間帯では出口ドアからのみの降車で、他の電停と同様に車内の運賃箱で支払う。)また、係員による乗車方法等のマイク案内や、自動放送、発車メロディを流している。
1号線2号線6号線のりば | 0号線 | (紙屋町東経由)日赤病院前ゆき・広電前ゆき |
---|---|---|
1号線 | (紙屋町東経由)広島港(宇品)ゆき | |
2号線 | 広電宮島口ゆき・広電西広島(己斐)ゆき | |
6号線 | 江波ゆき | |
5号線のりば | 5号線 | 比治山下経由広島港(宇品)ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき |
- 広島駅電停乗車ホーム.JPG
乗車ホーム(1・2・6号線のりば)
(2012年10月) - 広島駅電停降車ホーム.JPG
降車ホーム
(2012年10月)
改良工事
JR駅橋上駅化
今までは、通路のみの古い地下道しか無かったJR駅の南北自由通路の整備が計画されており、それに合わせ改札口などの駅機能を在来線線路をまたぐ人工地盤上に移し、駅と自由通路と店舗を一体で橋上駅舎として整備する広島駅の橋上駅化工事が進行中である。自由通路東側に隣接する店舗エリアには約4千平方メートルの商業スペースを新設する。線路上のフロア面積は、JR西日本最大となる。商業スペースの拡大は、新幹線口駅舎の増築も合わせて最大で約1万平方メートルとなる見通しで衣料品や飲食などの専門店を誘致する予定。運営はJR西日本の子会社、中国SC開発が行う。
橋上駅舎の南口と新幹線口との連絡跨線橋の部分が先行完成し、2014年11月2日に使用が開始された[広報 8]。この新しい跨線橋の東側で引き続き工事を行う。2017年5月28日、南北自由通路が完成時より、半分程度の幅で暫定開業。先行開業した跨線橋と接続され、2・3番のりばと4・5番のりばの間に当たる場所に、改札「中央口」を新設し、北口寄りに「みどりの窓口」「きっぷうりば」を設置した。これにより、南口1階にあった「南口改札」「みどりの窓口」と北口2階の「北口2F改札」同1階の「みどりの窓口」と改札口ごとにそれぞれ設置されていた「きっぷうりば」が集約される形で廃止された。「中央口」の正面には、タッチパネル式の案内板が4面設置されており、時刻表や構内図、運行情報、観光情報などを調べられる。2017年10月29日に橋上駅舎と自由通路並びに橋上部分の商業エリアに「ekie(エキエ)」が開業[広報 6]。
新幹線口ペデストリアンデッキ
新幹線口も自由通路整備に合わせてペデストリアンデッキを新設し、既存の「アクティブインターシティ広島」ペデストリアンデッキとも接続する。2016年10月14日に完成した[広報 12]。また同時に新幹線口広場はバス・タクシー乗降場やマイカー乗降場など全体のレイアウトが変更され、2017年10月1日に供用を開始した。
新幹線口駅舎リニューアル
新幹線口の3階建て駅舎の1階と2階を広場側に増築して商業スペース拡大を行う。それに伴い、従来の駅舎内も壁面や天井の美装化が行われ、柱にはデジタルサイネージが設置された。また、自由通路建設と平行する形で階段・エスカレーターも新しく設置され、これまで使用されていた階段・エスカレーターが撤去された。1階部分の大半と2階の東側部分は商業スペースとなり、商業施設「ekie」として開業する。駅舎の大規模改修は1975年の山陽新幹線の開通以来初めてである。2018年上期完成予定。
南口駅ビルASSE建て替え
広島市が2014年9月2日に公表した「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」[広報 6]では、橋上駅化完了後に平成30年代半ばの完成を目指して、広島電鉄本線を稲荷町電停から駅前大橋を通るルートに変更した上でASSE駅ビルに高架で乗り入れる路線変更と同時に、駅ビル内に電停(広島駅電停)を設置する為に建て替えと駅南口広場の再整備を行う計画がされている。
新幹線コンコースリニューアル
1975年の山陽新幹線開通以来から改修が行われず老朽化が進んだとして、約2年かけて、新幹線口駅舎と同様に天井、床、壁面、柱の美装化が行われる。これ以外にも、待合室を1ヶ所から3ヶ所に増設し座席数も1.5倍となる。また、全体の空調化、Wi-Fiが使用できるモバイルコーナーの設置、キッズスペースの設置も行われ、利便性を高めるとしている。2019年度末完成予定。[32]
利用状況
- JR西日本
- 以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
1日平均 降車人員 |
---|---|---|
1947年(昭和22年) | 35,362[統計 2] | - |
1948年(昭和23年) | 36,781[統計 2][統計 3] | - |
1949年(昭和24年) | 31,469[統計 2][統計 3] | - |
1950年(昭和25年) | 29,402[統計 3] | - |
1951年(昭和26年) | 27,631[統計 3] | 24,513[統計 3] |
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 乗客数 |
年度毎 降車数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|
1952年(昭和27年) | 27,379.7 | 9,993,604[統計 4][統計 5] | - | - | - |
1953年(昭和28年) | 23,947.6 | 8,740,872[統計 5] | - | - | - |
1954年(昭和29年) | 24,090.3 | 8,792,949[統計 6] | - | - | - |
1955年(昭和30年) | 25,497.0 | 9,331,895[統計 6] | - | - | - |
1956年(昭和31年) | 25,407.0 | 9,273,561[統計 6] | - | - | - |
1957年(昭和32年) | 25,693.3 | 9,378,065[統計 6] | - | 270,911[統計 6] | 588,313[統計 6] |
1958年(昭和33年) | 25,796.1 | 9,415,575[統計 6] | - | 239,019[統計 6] | 583,364[統計 6] |
1959年(昭和34年) | 25,297.5 | 9,258,888[統計 7] | 9,058,238[統計 7] | 264,985[統計 8] | 631,205[統計 8] |
1960年(昭和35年) | 25,918.2 | 9,460,144[統計 7] | 9,229,792[統計 7] | 274,940[統計 8] | 702,868[統計 8] |
1961年(昭和36年) | 25,563.8 | 9,330,779[統計 7] | 9,228,369[統計 7] | 271,329[統計 8] | 735,128[統計 8] |
1962年(昭和37年) | 27,717.4 | 10,116,852[統計 7] | 10,074,752[統計 7] | 304,680[統計 8] | 737,622[統計 8] |
1952年から1962年の1日平均乗車人員は、年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 総数 |
定期券 総数 |
普通券 総数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|---|
1963年(昭和38年) | 29,893.4 | 21,881,998[統計 9] | 13,737,800[統計 9] | 8,144,198[統計 9] | 303,561[統計 8] | 782,492[統計 8] |
1964年(昭和39年) | 30,569.1 | 22,315,449[統計 9][統計 10] | 13,734,810[統計 9][統計 10] | 6,580,639[統計 9][統計 10] | 369,227[統計 11] | 713,945[統計 11] |
1965年(昭和40年) | 32,397.0 | 23,649,821[統計 9][統計 10] | 14,313,036[統計 9][統計 10] | 9,336,785[統計 9][統計 10] | 281,935[統計 11] | 481,346[統計 11] |
1966年(昭和41年) | 32,921.3 | 24,032,523[統計 9][統計 10] | 14,235,906[統計 9][統計 10] | 9,796,617[統計 9][統計 10] | 309,068[統計 11] | 519,993[統計 11] |
1967年(昭和42年) | 34,495.1 | 25,250,381[統計 9][統計 10] | 14,948,816[統計 9][統計 10] | 10,301,565[統計 9][統計 10] | 374,397[統計 11] | 713,875[統計 11] |
1968年(昭和43年) | 32,088.4 | 23,424,522[統計 10] | 12,245,572[統計 10] | 11,178,950[統計 10] | 廃止 | 廃止 |
1969年(昭和44年) | 31,220.4 | 22,790,862[統計 12] | 11,224,216[統計 12] | 11,566,646[統計 12] | 廃止 | 廃止 |
1970年(昭和45年) | 33,121.3 | 24,178,534[統計 12] | 11,210,494[統計 12] | 12,968,040[統計 12] | 廃止 | 廃止 |
1971年(昭和46年) | 35,772.3 | 26,185,291[統計 12] | 11,828,442[統計 12] | 14,356,849[統計 12] | 廃止 | 廃止 |
1972年(昭和47年) | 40,193.7 | 29,341,412[統計 12] | 13,245,748[統計 12] | 16,095,664[統計 12] | 廃止 | 廃止 |
1973年(昭和48年) | 43,755.5 | 31,941,549[統計 12] | 14,126,638[統計 12] | 17,814,911[統計 12] | 廃止 | 廃止 |
1974年(昭和49年) | 46,925.6 | 34,255,337[統計 13] | 14,817,076[統計 13] | 19,438,261[統計 13] | 廃止 | 廃止 |
1975年(昭和50年) | 54,793.1 | 40,108,572[統計 13][統計 14] | 15,076,082[統計 13][統計 14] | 25,032,490[統計 13][統計 14] | 廃止 | 廃止 |
1976年(昭和51年) | 55,843[統計 15] | 40,190,587[統計 13][統計 14] | 16,002,096[統計 13][統計 14] | 24,188,491[統計 13][統計 14] | 廃止 | 廃止 |
1977年(昭和52年) | 53,996[統計 15] | 39,147,101[統計 13][統計 14] | 16,005,384[統計 13][統計 14] | 23,141,717[統計 13][統計 14] | 廃止 | 廃止 |
1978年(昭和53年) | 54,413[統計 15] | 39,065,598[統計 13][統計 14] | 16,146,398[統計 13][統計 14] | 22,919,200[統計 13][統計 14] | 廃止 | 廃止 |
1963年から1975年の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。1981年に発行された広島市統計書から算出方法が変わっているため、1977年以降は1日平均乗車人員の値が発表されている。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1979年(昭和54年) | 54,413[統計 15] |
1980年(昭和55年) | 55,457[統計 15][統計 16] |
1981年(昭和56年) | 55,975[統計 16] |
1982年(昭和57年) | 55,949[統計 16] |
1983年(昭和58年) | 56,782[統計 16] |
1984年(昭和59年) | 58,885[統計 16] |
1985年(昭和60年) | 60,407[統計 17] |
1986年(昭和61年) | 61,262[統計 17] |
1987年(昭和62年) | 56,421[統計 17] |
1988年(昭和63年) | 58,035[統計 17] |
1989年(平成元年) | 67,896[統計 17] |
1990年(平成 2年) | 72,267[統計 18] |
1991年(平成 3年) | 75,013[統計 18] |
1992年(平成 4年) | 76,540[統計 18] |
1993年(平成 5年) | 77,742[統計 18] |
1994年(平成 6年) | 75,564[統計 18] |
1995年(平成 7年) | 75,578[統計 19] |
1996年(平成 8年) | 75,532[統計 19] |
1997年(平成 9年) | 73,208[統計 20] |
1998年(平成10年) | 70,785[統計 20] |
1999年(平成11年) | 72,560[統計 21] |
2000年(平成12年) | 71,444[統計 21] |
2001年(平成13年) | 70,980[統計 22] |
2002年(平成14年) | 69,557[統計 22] |
2003年(平成15年) | 70,072[統計 23] |
2004年(平成16年) | 69,781[統計 23] |
2005年(平成17年) | 69,796[統計 24] |
2006年(平成18年) | 70,162[統計 24] |
2007年(平成19年) | 70,574[統計 25] |
2008年(平成20年) | 70,656[統計 25] |
2009年(平成21年) | 69,840[統計 26] |
2010年(平成22年) | 69,327[統計 26] |
2011年(平成23年) | 70,384[統計 27] |
2012年(平成24年) | 71,510[統計 27] |
2013年(平成25年) | 72,928 |
2014年(平成26年) | 72,040 |
2015年(平成27年) | 73,218[統計 28] |
2016年(平成28年) | 74,592[統計 28] |
乗車数グラフ 500px
- 広島電鉄
- 平成11年度、1日平均のJRとの乗換客数は約35,000人である[33]。
駅周辺
南口側には、再開発ビルのエールエールA館(福屋広島駅前店)、シティタワー広島(BIG FRONTひろしま、ビックカメラ広島駅前店)、グランクロスタワー広島(EKI CITY広島、エディオン)、ウインズ広島(JRA場外馬券売場)、 フタバ図書GIGA広島駅前店(かつては、イズミ広島駅前店が入居していた。)、 広島フルフォーカスビル(かつては、ダイエー広島駅前店が入居していた。)などがある。駅の西側は広島東郵便局を過ぎると河合塾や東進衛星予備校、さらに地元広島に拠点を置く田中学習会、鴎州塾、長井ゼミといった予備校が乱立する一方、再開発が手付かずのまま昔ながらの街並みも残る一角も見られる。この付近には代々木ゼミナールも校舎を構えていたが2014年の大量閉鎖の際に撤退している。
駅の約1km東には広島東洋カープの本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島がある。球場周辺には会員制倉庫型ストアのコストコとスポーツクラブがあり、建設中のゲストハウス型の結婚式場やカープの屋内練習場やマンションと共にボールパークタウンを構成する予定である。
新幹線口側は、西にJR系のホテルホテルグランヴィア広島(開業当時は「広島ターミナルホテル」)が1987年(昭和62年)からあり、東には再開発ビルアクティブインターシティ広島の一つとして、シェラトンホテル広島が2011年(平成23年)に開業した。道路を挟んだ北側にもアクティブインターシティ広島のマンション・商業棟が2010年(平成22年)に開業している。
かつてあったJR関連の施設は後述の施設を除いて多くが解体された。2015年現在、再開発計画が進められ、整地された土地が広がっている。その跡地に広島高速5号線広島駅北口出入口(仮称)、がんセンター、マンションなどの建設予定があり、多くが売却済となっている。地区内には南区京橋町から移転してきたスーパーマーケットイズミの本社ビルがあり、1階には「ゆめマート」二葉の里店が入居している。
その他、新幹線口側には、広島市東区役所、 にしき堂光町本店、駿台予備学校、ハローワーク広島東、広島県瀬戸内高等学校、広島桜が丘高等学校、広島朝鮮初中高級学校などがある。
宿泊施設は前述したJR系(「ホテルグランヴィア広島」・「HOTELヴィアイン広島」)や「ホテルニューヒロデン」・「シェラトンホテル広島」以外に、「アークホテル広島」・「ホテルJALシティ広島」・「ホテルセンチュリー21広島」・「広島グランドインテリジェントホテル」などのシティホテル。またビジネスホテルや旅館などが多く立地している。
商業施設
- 福屋広島駅前店01.jpg
エールエールA館
(広島駅南口再開発事業Aブロック) - BIG FRONT HIROSHIMA 20160911.JPG
シティタワー広島・BIG FRONTひろしま
(広島駅南口再開発事業Bブロック) - EKICITY HIROSHIMA 20160911.JPG
グランクロスタワー広島・EKI CITY広島
(広島駅南口再開発事業Cブロック) - ACTIVE-INTER CITY HIROSHIMA-02.JPG
アクティブインターシティ広島 マンション・商業棟
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フタバ図書GIGA広島駅前店
- IZUMI headquarters 20140127.JPG
イズミ本社・ゆめマート二葉の里
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にしき堂光町本店
娯楽施設
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MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島
- ウインズ広島01.JPG
ウインズ広島
- 広島フルフォーカスビル01.JPG
広島フルフォーカスビル
公共・教育施設
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広島市東区役所
- 広島東公共職業安定所01.JPG
広島東公共職業安定所
- Setouchi High School.JPG
広島県瀬戸内高等学校
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広島桜が丘高等学校
- Hiroshima corean school.JPG
広島朝鮮初中高級学校
宿泊施設
- ホテルグランヴィア広島01.jpg
ホテルグランヴィア広島
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HOTELヴィアイン広島
- ACTIVE-INTER CITY HIROSHIMA-01.JPG
シェラトンホテル広島
- Hotel New hiroden.JPG
ホテルニューヒロデン
- Hotel Century 21 Hiroshima.JPG
ホテルセンチュリー21広島
- Hiroshima Grand intelligent Hotel.JPG
広島グランドインテリジェントホテル
- Hotel JAL CITY Hiroshima.JPG
ホテルJALシティ広島
- Hiroshima Ark Hotel.JPG
アークホテル広島
再開発事業
- 広島駅南口
- "「広島駅南口再開発計画」"
- 近年、周辺の再開発事業が活発化しており、駅前通り西側のAブロック(松原町)、駅前通り東側のBブロック(松原町・猿猴橋町)、広電北側(東側)のCブロック(猿猴橋町・荒神町)に分けて事業が検討されてきた。
- Aブロック
- 1999年にはその先陣を切る形で、Aブロックに再開発ビル(エールエールA館)が完成。地元百貨店の福屋が入店している。
- Bブロック
- 過去に西武百貨店の出店やJALホテルズを中心とした再開発ビルが計画されていたが断念。
- その後住友不動産を事業再構築パートナーとして計画を練り直し地上54階建ての住宅棟と12階建ての商業棟を2012年度に着工すると発表。
- 2011年3月にビックカメラと保留床(店舗部分の一部)の取得に関する覚書を締結したことにより、計画は大きく前進。
- 2012年10月に権利変換計画が認可、11月から既存建物の解体工事が始まった。2013年3月からは建築工事に着手し、2016年8月に完成。
- 中四国で最も高い52階建てタワーマンションとホテルや商業施設が入居するビルである。
- Cブロック
- 広島駅前Cブロック市街地再開発準備組合が開発業者を森ビルの子会社で再開発事業などを手掛ける森ビル都市企画に選んだと発表。
- 46階建て高層マンションと11階建ての商業棟を建設し、総事業費は約270億円。当初は2012年度着工予定であったが、Bブロック同様に計画の進展が見られなかった。
- しかし2012年3月に再開発準備組合が組合設立を市へ認可申請、8月に認可され組合が発足した。商業棟にはエディオン蔦屋家電とゼクシスが出店。2016年12月に完成。
- 広島東郵便局建て替え
- 20階くらいのオフィスビルに建て替える構想を発表。
- 広島駅新幹線口
- 2008年3月に駅東側の若草町地区の再開発に着手、大和システムが設立した特別目的会社「広島若草都市開発合同会社」が2010年4月に完成。
- 名称は「アクティブインターシティ広島」で地上21階建てのシェラトンホテル広島、オフィス棟、地上9階建てのテラス住宅棟、地上33階建てのタワー住宅棟が建設された。
- テラス住宅棟にはマックスバリュエクスプレス広島駅北口店・広島銀行広島駅北口支店をはじめ、飲食店や医療機関が入居している。
- 駅北に位置する二葉の里国有地についても、2011年1月より土地区画整理事業が着工。
- 2012年3月に区画整理の保留地を株式会社泉不動産が取得、地場大手のスーパーイズミ本社ビルが移転を発表。2013年度に完成し、1階にはスーパーマーケット「ゆめマート」も併設されている。
- さらに広島鉄道病院が現在地の東隣にある社有地への移転新築を発表。この社有地は二葉の里土地区画整理事業の4街区でもあり、2016年1月に開院した(2016年4月に医療法人化しJR広島病院に改称)。
- 2013年6月には二葉の里土地区画整理事業1~3街区に関する一般競争入札が行われ、1街区をマンション開発の日本アイコム、2街区を大型家具店を展開するイケア、3街区を広島県歯科医師会がそれぞれ落札した。
- イケアの開業は2015年以降の予定で、2014年春に開業予定の立川店に続く2か所目の都市型店舗とするとしている。
- 今回の一般競争入札された街区には、1街区内に広島県広島東警察署が2018年度に移転予定、3街区内に県高精度放射線治療センター・地域医療センターが2015年度完成予定となっている。
- 2014年5月に残りの5街区の入札が行われ、結果大和ハウス工業、広島テレビ放送、エネルギア・コミュニケーションズの3社共同で62億3千円で落札。
- 5街区は3社がそれぞれ3棟を建設することとなり、
- オフィス、商業機能やホテル・高速バス乗り場を持つ『複合棟』を大和ハウス、
- テレビ放送機能とホールを備えた『メディア棟』を広島テレビ(現本社がある中区中町からの移転)、
- 『データ通信棟』をエネルギア・コミュニケーションズが所有する。
- データ通信棟は2016年12月に稼働開始。メディア棟は2018年3月に竣工。複合棟は2019年春の竣工予定。
- これにより2019年までにはすべての街区の開発が終わる予定である。
- JR西日本広島支社が、移転を発表。
- 跡地には、高層オフィスビルが予想されている。
- JR中国バス本社が、移転を発表。
- 跡地には、ヴィアイン広島が移転することが予想される。
- 広島駅新幹線口から近くにインターチェンジが設置される広島高速5号線も工事中である。
広島駅に関連するJR関連の施設
新幹線口側には旧国鉄時代より、国鉄従業員の為の団地や国鉄バスの車両基地などが以前は多く存在した。現在でもJR関連の施設は西日本旅客鉄道広島支社(JR広島支社)やJR広島病院、中国ジェイアールバス本社、広成建設などがある。
南口側は、旧・広島中央郵便局(現在の 広島東郵便局)があり、かつてはこの郵便局が広島地区最大の集配局だった。郵便局と駅のホームをつなぐ地下道が現在も残っていて、鉄道による郵便運送が行われていた時は使われていた。
その他駅周辺から離れる物の広島駅に関連した施設で、元々広島貨物ターミナル駅は広島駅の貨物部門を分割した物。広島運転所・広島機関区蟹屋派出が天神川駅の近くに。広島新幹線運転所・広島車両所・広島駅弁当本社が矢賀駅の近くにある。このように、広島駅は運行上とても大切な駅である。
- West Japan Railway Company Hiroshima 20141129-1.JPG
西日本旅客鉄道広島支社
- Medical Corporation JR Hiroshima Hospital 20160601.JPG
JR広島病院
- Chugoku-jrbus.JPG
中国ジェイアールバス本社
- KOSEI KENSETSU.JPG
広成建設
- 広島東郵便局.JPG
広島東郵便局
- JR西日本広島運転所01.jpg
広島運転所
- 広島新幹線運転所02.jpg
広島新幹線運転所
- JR貨物広島機関区02.jpg
広島機関区
- HIROSHIMA EKIBENTO 1.JPG
広島駅弁当本社
駅弁
広島駅弁当(ひろしま駅弁)が製造。主な駅弁は下記の通り[34]。
- 山のおべんとう
- ふく寿司
- もみじ弁当
- 清盛 瀬戸の彩り弁当
- 牛 万年煮弁当
- 六穀豚ミルフィーユカツレツ弁当
- 広島旅弁当
- 瀬戸内の海老と鯛そぼろ弁当
- 夫婦あなごめし
- 炙り鯖寿司
- しゃもじかきめし
- かき飯
バス路線
- 参照: 広島駅のバスのりば
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- 山陽新幹線
- G R 山陽本線
- Y 呉線(海田市駅までは山陽本線)
- B 可部線(横川駅までは山陽本線。線内は全列車普通列車として運転)
- 広島駅 - 新白島駅
- P 芸備線
- ■快速「みよしライナー」・■普通
- 矢賀駅 - 広島駅
- 山陽本線天神川駅・芸備線矢賀駅と当駅の間に、貨物駅の広島貨物ターミナル駅があり、書類上では同駅で両線は分岐する(線路名称上、広島貨物ターミナル駅 - 当駅は山陽本線・芸備線の二重戸籍扱い)。ただし実際には、芸備線から広島貨物ターミナル駅への出入りはできない。
- 快速列車が当駅を境に快速運転区間外に乗り入れる場合は、その区間は普通列車としての運行となる(例として、西条 - 広島間快速の「通勤ライナー」は、当駅から岩国方が普通列車としての運転区間となる)。
- ■快速「みよしライナー」・■普通
- 広島電鉄
- ■本線
- 広島駅電停 (M1) - 猿猴橋町電停 (M2)
かつて存在した路線
- 広島電鉄
- 広島電鉄7号線
脚注
補足
出典
- ↑ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 杢田光 (2015年3月15日). “新白島駅が開業 JRとアストラムライン結ぶ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 広島版
- ↑ 広島市に新白島駅開業 - NHK 2015年3月14日
- ↑ 新修広島市史 第五巻の地図「天明年間の広島城下絵図」参考
- ↑ 新修広島市史 第五巻の地図「明治27年 広島市街地図」参
- ↑ 新修 広島市史 第三巻 P.433
- ↑ 中国新聞 夕刊1972年7月26日 P.6
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』4ページ
- ↑ 『山陽鉄道物語』グラビア8,9ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』6ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』24・25ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』30ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』31ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』31ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』34ページ
- ↑ 高見彰彦「明治~戦後 駅名標こぼれ話 第1回」『レイルNo.104』エリエイ 2017年
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』43ページ
- ↑ 『広島駅七十年のあゆみ』44ページ
- ↑ 広島駅の歴史展(写真展)より
- ↑ “JR広島駅の新連絡通路、利用開始”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 広島版. (2014年11月3日)
- ↑ 22.0 22.1 太田康夫 (2014年9月6日). “11月2日から新通路利用可 JR広島駅”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 広島版
- ↑ 木村和規 (2015年5月22日). “新幹線名店街が新装オープン きょう、JR広島駅”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 広島版
- ↑ 宮川純一 (2017年5月29日). “広島の歩み紹介、壁画がお出迎え 広島駅2階通路開通”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 広島版
- ↑ JR広島駅の「新玄関」28日稼働 在来線の中央改札 - 日本経済新聞 2017年5月27日
- ↑ JR広島駅自由通路 あす開通 - 読売新聞 2017年5月27日
- ↑ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ
- ↑ 28.0 28.1 『広島電鉄開業100年・創立70年史』124ページ
- ↑ 国鉄新幹線建設局 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』 社団法人日本鉄道施設協会、pp.404 - 405、1977年
- ↑ 国鉄新幹線建設局 『山陽新幹線岡山博多間工事誌』 社団法人日本鉄道施設協会、p.407、1977年
- ↑ “広島駅に新跨線橋完成 自由通路も29年度には”. 産経新聞 (2014年11月2日). . 2014閲覧.
- ↑ JR西日本広島支社、広島駅の新幹線コンコースをリニューアル - 日本経済新聞 2017年11月11日
- ↑ 鉄道ピクトリアル 2000年7月号 【特集】 路面電車〜LRT p.35
- ↑ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、 258頁。
広報資料・プレスリリースなど一次資料
- ↑ 広島市 (2011年3月). “広島都心ビジョン4-3地域特性別の取り組みの方針【別図3】新都心成長点(広島駅周辺地区)における回遊性向上のための取組イメージ (PDF)”. . 2012閲覧.
- ↑ “路線・電停ガイド - 本線”. 広島電鉄. 2015年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
- ↑ “二葉の里地区及び広島駅自由通路等の整備について”. 広島市. . 2014閲覧.
- ↑ “広島駅新幹線口ペデストリアンデッキの工事が本格化します”. 広島市. . 2014閲覧.
- ↑ “広島駅新幹線口ペデストリアンデッキ等整備に伴うバス乗降場の変更のお知らせ”. 広島県バス協会. . 2014閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 “広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針の決定について” (プレスリリース), 広島市, (2014年9月2日)
- ↑ 7.0 7.1 “JR広島駅の跨線橋(こせんきょう)の切り替えにあわせた記念企画の実施について” (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2014年10月17日)
- ↑ 8.0 8.1 “JR広島駅構内の新跨線橋(こせんきょう)の使用開始について” (プレスリリース), 西日本旅客鉄道, (2014年9月5日)
- ↑ 山陽新幹線 主要5駅の「発車予告音」に「銀河鉄道999」の音色を導入します~3月9日以降、新神戸・岡山・広島・小倉・博多の5駅で使用開始~
- ↑ “階段をのぼるアテンザ?!駅に展示された新型アテンザの秘密。”. マツダ公式ブログ (2013年2月21日). . 2014閲覧.
- ↑ hiroshimastation - 広島電鉄
- ↑ “広島駅新幹線口ペデストリアンデッキを供用開始します”. 広島市. . 2017閲覧.
統計資料
- ↑ 1.0 1.1 データで見るJR西日本 (Report). 西日本旅客鉄道. (2014). p. 84 .
- ↑ 2.0 2.1 2.2 『広島市勢要覧(1949年版)』 101ページ
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 『広島市勢要覧(1951年版)』 135ページ
- ↑ 『広島市勢要覧(1952年版)』 177ページ
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- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 『広島市勢要覧(1959年版)』 55ページ
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- ↑ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 9.13 9.14 『広島市勢要覧(1968年版)』 94ページ
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- ↑ 14.00 14.01 14.02 14.03 14.04 14.05 14.06 14.07 14.08 14.09 14.10 14.11 『広島市統計書(1980年版)』 143ページ
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 15.4 『広島市統計書(1981年版)』 160ページ
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- ↑ 18.0 18.1 18.2 18.3 18.4 『広島市統計書(1995年版)』 122ページ
- ↑ 19.0 19.1 『広島市統計書(1997年版)』 111ページ
- ↑ 20.0 20.1 『広島市統計書(1999年版)』 111ページ
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- ↑ 25.0 25.1 『広島市統計書(2009年版)』 91ページ
- ↑ 26.0 26.1 『広島市統計書(2011年版)』 91ページ
- ↑ 27.0 27.1 『広島市統計書(2013年版)』 91ページ
- ↑ 28.0 28.1 データで見るJR西日本
関連項目
参考書籍
- 新修広島市史第一巻(広島市編集)
- 新修広島市史第二巻(広島市編集)
- 新修広島市史第三巻(広島市編集)
- 新修広島市史第四巻(広島市編集)
- 新修広島市史第五巻(広島市編集)
- 新修広島市史第五巻の地図(広島市編集)
- 広島駅七十年のあゆみ(広島駅)
- 長船友則『山陽鉄道物語』 JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉 ISBN 978-4-533-07028-0
- 各 広島市統計書
- 各 広島市勢要覧
外部リンク
- 広島駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- ひろしま駅ビル アッセ
- JR広島駅西NKビル(ジェイアール西日本不動産開発より)