松永市
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まつながし 松永市 | |
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廃止日 | 1966年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 福山市、松永市 → 福山市 |
現在の自治体 | 福山市 |
廃止時点のデータ | |
地方 |
中国地方、山陽地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 広島県 |
団体コード | 廃止時コード制度なし |
面積 | 50.26km2 |
総人口 |
34,610人 (1966年5月1日) |
隣接自治体 |
尾道市、福山市、 芦品郡芦田町、沼隈郡沼隈町 |
松永市役所 | |
所在地 |
〒729 広島県広島県松永市松永町三丁目1番29号 |
外部リンク | 福山市 |
座標 | 北緯34度26分58.728秒東経133度15分25.165秒 |
特記事項 | 市役所は現在、福山市役所松永支所となっている。 |
松永市(まつながし)は、かつて広島県に存在した市である。
1966年5月1日、福山市と合併(新設合併)し、新たに福山市となった。ちなみに福山・松永両市の合併は中国地方では初めての市同士の合併であった。
Contents
沿革
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、沼隈郡松永・今津・神(か)・金江・高須・西・東・藤江・本郷・柳津の各村が発足する。
- 1900年3月3日 - 松永村が町制施行し、松永町になる。
- 1926年11月1日 - 今津村が町制施行し、今津町になる。
- 1953年4月1日 - 今津町・松永町が合併(新設合併)し、新たに松永町が成立する。
- 1954年3月31日 - 沼隈郡松永町・神(か)村・金江村・東村・藤江村・本郷村・柳津村が合併(新設合併)、同時に市制を施行し、松永市が成立する。
- 1955年2月1日 - 尾道市が沼隈郡高須村・西村を編入する。西村の区域は即日西藤町に改称する。
- 1955年7月15日 - 尾道市高須町のうちの川尻地区、尾道市西藤町のうちの真田地区を編入する。それぞれ高西町川尻、高西町真田となる。
- 1966年5月1日 - 福山市と合併(新設合併)し、新たに福山市となり消滅する。
歴代市長
- 石井謙三 (初代、2代)1954年5月2日 - 1962年
- 山本長市 (3代、4代)1962年 - 1966年2月24日
- 矢野泰之 (5代) 1966年3月13日 - 5月1日
第4代の山本市長は福山市との早期の合併に慎重な市民(将来、松永市と福山市に尾道市を加えた3市合併を主張していた)からリコール運動を起こされ、署名数の認定をめぐり紆余曲折があったが、法定署名数があったとして住民投票が1966年3月10日に行われるはずであった。しかし山本市長が2月に入院先の岡山大学附属病院で病死したため、新市長選挙が事実上の合併を問う選挙となり、合併推進派の矢野市長が当選したことから、わずか2ヶ月で福山市との合併が決行された。[1]
地理
河川
- 新川
- 鍋田川
- 羽原川
- 藤井川
- 本郷川
山
- 大谷山(401.3m)
- 馬背山(298.5m)
- 竜王山(221.3m)
- 鏡山(147.5m)
産業
観光
町名(1966年4月30日当時のデータ)
- 今津町(いまづちょう)
- 金江町金見(かなえちょうかなみ)
- 金江町藁江(かなえちょうわらえ)
- 神村町(かむらちょう)
- 高西町川尻(たかにしちょうかわじり)
- 高西町真田(たかにしちょうさなだ)
- 東村町(ひがしむらちょう)
- 藤江町(ふじえちょう)
- 本郷町(ほんごうちょう)
- 松永町(まつながちょう)
- 柳津町(やないづちょう)
交通
鉄道(1966年4月30日当時のデータ)
道路
- 国道
- 県道(すべて一般県道)
- 広島県道25号松永新市線…現:広島県道157号松永新市線
- 広島県道24号府中松永線…現:広島県道48号府中松永線(1976年主要地方道昇格)
- 広島県道53号鞆松永線…現:広島県道47号鞆松永線(1976年主要地方道昇格)
- 広島県道58号松永停車場線…2005年8月8日広島県告示第933号により廃止。廃止当時の路線名称は広島県道192号松永停車場線。
- 広島県道238号三成松永線…現:広島県道54号福山尾道線(1982年主要地方道昇格・改称)
- 広島県道242号御幸松永線…現:広島県道378号御幸松永線
- 広島県道250号熊野松永線…現:広島県道382号熊野松永線
- 広島県道251号草深古市松永線…現:広島県道389号草深古市松永線
教育(1966年4月30日当時のデータ)
小学校
中学校
高等学校
- 広島県立松永高等学校…かつてはJR松永駅南口(松永市松永町)にあったが1962年現在地(松永市神村町)に移転した。
備考
脚注
注釈
出典
- ↑ 福山史編纂委員会編「福山史 下篇」 1968年(1978年再版)発刊