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{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=19th_century&oldid=699548268 英語版 "19th century" 00:31, 13 January 2016 (UTC)]|date=2016年1月}}
 
{{出典の明記|date=2012年3月}}
 
 
{{centurybox}}
 
{{centurybox}}
[[ファイル:British_Empire_1897.jpg|right|thumb|250px|19世紀に君臨した[[大英帝国]]。]]
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'''19世紀'''(じゅうきゅうせいき)は、[[西暦]][[1801年]]から西暦[[1900年]]までの100年間を指す[[世紀]]。
 
'''19世紀'''(じゅうきゅうせいき)は、[[西暦]][[1801年]]から西暦[[1900年]]までの100年間を指す[[世紀]]。
  
 
== 19世紀の歴史 ==
 
== 19世紀の歴史 ==
 
=== 国民国家の成立 ===
 
=== 国民国家の成立 ===
[[ファイル:Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg|right|thumb|250px|フランス[[七月革命]]。ヨーロッパでは革命により近代的な国家が生まれた。]]
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[[西欧]]では[[フランス革命]]の影響により[[自由主義]]と[[ナショナリズム]]が広がった。19世紀初頭の[[ナポレオン]]の興亡や反動的な[[ウィーン体制]]、「[[諸国民の春]]」や数々の[[市民革命]]の勃発の後、ナショナリズムの高揚により[[ドイツ]]、[[イタリア]]などの新たな統一された強力な[[国民国家|国家]]が登場した。
 
[[西欧]]では[[フランス革命]]の影響により[[自由主義]]と[[ナショナリズム]]が広がった。19世紀初頭の[[ナポレオン]]の興亡や反動的な[[ウィーン体制]]、「[[諸国民の春]]」や数々の[[市民革命]]の勃発の後、ナショナリズムの高揚により[[ドイツ]]、[[イタリア]]などの新たな統一された強力な[[国民国家|国家]]が登場した。
 
また[[ナポレオン戦争]]による混乱に乗じて1810年代から1820年代にはスペイン・ポルトガルの支配からラテンアメリカ諸国が各地で独立した。しかし大土地所有者の優遇やモノカルチャー栽培などで独立してからも近代化は進まず、欧米列強への従属がこの後も長く続いた。
 
また[[ナポレオン戦争]]による混乱に乗じて1810年代から1820年代にはスペイン・ポルトガルの支配からラテンアメリカ諸国が各地で独立した。しかし大土地所有者の優遇やモノカルチャー栽培などで独立してからも近代化は進まず、欧米列強への従属がこの後も長く続いた。
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== できごと ==
 
== できごと ==
[[ファイル:Stephenson's Rocket.jpg|thumb|right|250px|[[蒸気機関車]]「[[ロバート・スチーブンソン]]の[[ロケット号]]」。]]
 
 
* 日本では[[江戸時代]]の後期及び末期([[幕末]])から[[明治時代]]にあたる。
 
* 日本では[[江戸時代]]の後期及び末期([[幕末]])から[[明治時代]]にあたる。
 
* 中国では[[清]]の時代の後期から末期にあたる。
 
* 中国では[[清]]の時代の後期から末期にあたる。
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** [[清]]の[[北京]][[紫禁城]]に[[林清]]率いる[[白蓮教]]系[[天理教 (中国)|天理教]]徒が乱入。
 
** [[清]]の[[北京]][[紫禁城]]に[[林清]]率いる[[白蓮教]]系[[天理教 (中国)|天理教]]徒が乱入。
 
** [[ライプツィヒの戦い|ライプツィヒ諸国民戦争]]でナポレオン敗北。
 
** [[ライプツィヒの戦い|ライプツィヒ諸国民戦争]]でナポレオン敗北。
[[ファイル:Congresso di Vienna.png|right|250px|thumb|革命への反動。画像は[[ウィーン会議]]の様子を描いたJ.B.Isabenの絵画。]]
 
 
* [[1814年]]
 
* [[1814年]]
 
** [[キール条約]]で[[デンマーク]]が[[ノルウェー]]を[[スウェーデン]]に割譲。
 
** [[キール条約]]で[[デンマーク]]が[[ノルウェー]]を[[スウェーデン]]に割譲。
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** [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]が帰還しフランス国王となる(ブルボン復古王政)。
 
** [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]が帰還しフランス国王となる(ブルボン復古王政)。
 
** [[ウィーン会議]]。
 
** [[ウィーン会議]]。
[[ファイル:Andrieux_-_La_bataille_de_Waterloo.jpg|right|thumb|250px|ナポレオン戦争の終結。画像は[[ワーテルローの戦い]]。]]
 
 
* [[1815年]]  
 
* [[1815年]]  
 
** [[ワーテルローの戦い]]でナポレオン敗北、[[百日天下]]が終わり、[[セントヘレナ島]]に流される。
 
** [[ワーテルローの戦い]]でナポレオン敗北、[[百日天下]]が終わり、[[セントヘレナ島]]に流される。
 
** [[ウィーン議定書]]の締結、[[ウィーン体制]]( - [[1848年]])の成立。
 
** [[ウィーン議定書]]の締結、[[ウィーン体制]]( - [[1848年]])の成立。
[[File:Théodore Géricault, Le Radeau de la Méduse.jpg|thumb|right|250px|「[[メデューズ号の筏]]」。[[モーリタニア]]沖での難破で船員147名のうち15名しか生存しなかった。画像はこの事件を描いたフランス人画家[[テオドール・ジェリコー]]のもの([[ルーブル美術館]]蔵)。]]
 
 
* [[1816年]]  
 
* [[1816年]]  
 
** 前年の[[インドネシア]]・[[タンボラ火山]]噴火の影響で各地が寒冷化し「[[夏のない年]]」と呼ばれる。
 
** 前年の[[インドネシア]]・[[タンボラ火山]]噴火の影響で各地が寒冷化し「[[夏のない年]]」と呼ばれる。
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** エジプトが[[第一次サウード王国]]を攻略し滅亡させる。
 
** エジプトが[[第一次サウード王国]]を攻略し滅亡させる。
 
** [[チリ]]が[[スペイン]]から独立。
 
** [[チリ]]が[[スペイン]]から独立。
[[ファイル:Darbar of Maharaja Ranjit Singh.jpg|thumb|right|250px|[[パンジャーブ]]の[[シク王国]]。イギリスのインド進出に最後まで抵抗したのがシク王国である。画像は国王ランジート・シングの宮廷(ダルバール)を描いた細密画。]]
 
 
* [[1819年]]  
 
* [[1819年]]  
 
** イギリスで[[ピータールーの虐殺]]事件。
 
** イギリスで[[ピータールーの虐殺]]事件。
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** 世界最初の鉄製汽船アーロン・マンピー号がイギリスで完成する。
 
** 世界最初の鉄製汽船アーロン・マンピー号がイギリスで完成する。
 
** 幕府が蝦夷地の上知を止め、松前藩を蝦夷地に戻す。
 
** 幕府が蝦夷地の上知を止め、松前藩を蝦夷地に戻す。
[[ファイル:Eugène Delacroix - Le Massacre de Scio.jpg|right|200px|thumb|ギリシア独立戦争。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]の「キオス島の虐殺」。]]
 
 
* [[1822年]]  
 
* [[1822年]]  
 
** ギリシャ独立宣言([[ギリシャ第一共和国]]成立)。[[キオス島]]の虐殺事件。
 
** ギリシャ独立宣言([[ギリシャ第一共和国]]成立)。[[キオス島]]の虐殺事件。
 
** [[ホセ・デ・サン・マルティン]]と[[シモン・ボリーバル]]が[[グアヤキル]]で会談。
 
** [[ホセ・デ・サン・マルティン]]と[[シモン・ボリーバル]]が[[グアヤキル]]で会談。
 
** [[ブラジル帝国]]が[[ポルトガル王国|ポルトガル]]から独立する。
 
** [[ブラジル帝国]]が[[ポルトガル王国|ポルトガル]]から独立する。
[[ファイル:Entrevista de Guayaquil.jpg|right|200px|thumb|グアヤキルの会談。スペイン支配からラテンアメリカを別個に独立させてきた二人の指導者ホセ・デ・サン・マルティンとシモン・ボリーバルがこの地で会見した。]]
 
 
* [[1823年]]  
 
* [[1823年]]  
 
** [[アメリカ合衆国]]が[[モンロー宣言]]を発する。
 
** [[アメリカ合衆国]]が[[モンロー宣言]]を発する。
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** オスマン帝国で[[マフムト2世]]が[[イェニチェリ]]軍団を廃止。
 
** オスマン帝国で[[マフムト2世]]が[[イェニチェリ]]軍団を廃止。
 
** ロシア皇帝ニコライ1世の命で[[皇帝官房第三課]]が創設される。
 
** ロシア皇帝ニコライ1世の命で[[皇帝官房第三課]]が創設される。
[[File:Two poor Chinese opium smokers. Gouache painting on rice-pap Wellcome V0019165.jpg|thumb|right|250px|清におけるアヘンの輸入超過。1820年代後半にはアヘン密輸により清の財政悪化が懸念され始めた。画像はアヘン吸引をする清の庶民。]]
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* [[1827年]]   
 
* [[1827年]]   
 
** [[ナヴァリノの海戦]]。
 
** [[ナヴァリノの海戦]]。
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=== 1830年代 ===
 
=== 1830年代 ===
 
{{main|1830年代}}
 
{{main|1830年代}}
[[ファイル:Russian attack on Warsaw 1831.PNG|thumb|right|250px|ポーランドの[[十一月蜂起]]。ポーランド人はロシアの支配からの独立を求めたが鎮圧される。この知らせを受けた[[フレデリック・ショパン|ショパン]]は[[練習曲作品10-12 (ショパン)|革命のエチュード]]を作曲した。]]
 
* [[1830年]]
 
 
** [[七月革命|フランス七月革命]]。
 
** [[七月革命|フランス七月革命]]。
 
*** 国王[[シャルル10世]]が亡命し[[ブルボン朝|ブルボン復古王政]]崩壊。
 
*** 国王[[シャルル10世]]が亡命し[[ブルボン朝|ブルボン復古王政]]崩壊。
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** [[アメリカ合衆国]]で[[インディアン移住法]]。
 
** [[アメリカ合衆国]]で[[インディアン移住法]]。
 
** [[大コロンビア]]が解体され、[[ベネズエラ]]・[[エクアドル]]が独立。
 
** [[大コロンビア]]が解体され、[[ベネズエラ]]・[[エクアドル]]が独立。
[[ファイル:The Great Wave off Kanagawa.jpg|right|thumb|250px|画狂人[[葛飾北斎|北斎]]。数ある[[浮世絵]]師の中でも市井の中で90歳近くまで絵筆をとり続けていた北斎は構図や構想では群を抜いており海外での評価も高い。画像は1831年頃に出版された葛飾北斎の「[[富嶽三十六景]]」の「[[神奈川沖浪裏]]」。]]
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* [[1831年]]   
 
* [[1831年]]   
 
** ジョン・レニー設計の[[ロンドン橋]]が完成。
 
** ジョン・レニー設計の[[ロンドン橋]]が完成。
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** [[バイエルン王国|バイエルン]]王子の[[オソン1世|オットー(オソン1世)]]が[[ギリシア]]国王として即位。
 
** [[バイエルン王国|バイエルン]]王子の[[オソン1世|オットー(オソン1世)]]が[[ギリシア]]国王として即位。
 
** [[英国国教会]]で[[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]らにより[[オックスフォード]]運動が起こる。
 
** [[英国国教会]]で[[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]らにより[[オックスフォード]]運動が起こる。
[[ファイル:WomenofAlgiers.JPG|250px|thumb|right|ウジェーヌ・ドラクロワ「アルジェの女たち」。1834年に描かれたこの作品はロマン主義の異国趣味を示すとともに、東方世界を退廃的で官能的なものと見なす「[[オリエンタリズム]]」を示す作品でもある([[ルーヴル美術館]]蔵)。]]
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* [[1834年]]  
 
* [[1834年]]  
 
** [[ドイツ関税同盟]]発足。
 
** [[ドイツ関税同盟]]発足。
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** [[モリソン号事件]]。
 
** [[モリソン号事件]]。
 
** [[イギリス]]で[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]即位( - 1901年)。[[ヴィクトリア朝|ヴィクトリア時代]]始まる。
 
** [[イギリス]]で[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]即位( - 1901年)。[[ヴィクトリア朝|ヴィクトリア時代]]始まる。
[[ファイル:Turner, J. M. W. - The Fighting Téméraire tugged to her last Berth to be broken.jpg|right|250px|thumb|[[帆船]]から[[蒸気船]]へ。交通革命により蒸気機関が搭載された船が海の主役になった。画像は[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ウィリアム・ターナー]]の「[[テメレーア (戦列艦)|戦艦テメレール]]([[ロンドン・ナショナル・ギャラリー]]蔵)」で[[トラファルガー海戦]]で戦った名だたる戦艦が蒸気船に引かれて解体されに向かうところである。]]
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[[ファイル:ChartistRiot.jpg|right|250px|thumb|チャーティスト運動。1838年には「人民憲章」がまとめられ更なる選挙権の拡大が唱えられた。]]
 
 
* [[1838年]]  
 
* [[1838年]]  
 
** [[イギリス]]で人民憲章がまとめられ、選挙権の更なる拡大を訴える[[チャーティスト運動]]起こる。
 
** [[イギリス]]で人民憲章がまとめられ、選挙権の更なる拡大を訴える[[チャーティスト運動]]起こる。
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=== 1840年代 ===
 
=== 1840年代 ===
[[ファイル:Destroying Chinese war junks, by E. Duncan (1843).jpg|right|250px|thumb|[[アヘン戦争]]。イギリスの砲撃により大破する清の軍艦。]]
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{{main|1840年代}}
 
{{main|1840年代}}
 
* [[1840年]]   
 
* [[1840年]]   
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** ボリビアがスペインから正式に独立。
 
** ボリビアがスペインから正式に独立。
 
** [[京都御所]]に[[学習院 (幕末維新期)|学習所]]が開講される(後の[[学習院大学]])。
 
** [[京都御所]]に[[学習院 (幕末維新期)|学習所]]が開講される(後の[[学習院大学]])。
[[ファイル:Maerz1848 berlin.jpg|right|250px|thumb|[[諸国民の春]]。1848年のベルリンにおける三月革命。同時期にウィーンでも革命が起こり宰相メッテルニヒはイギリスに亡命しウィーン体制は崩壊した。]]
 
 
* [[1848年]]   
 
* [[1848年]]   
 
** [[1848年革命|諸国民の春]]。
 
** [[1848年革命|諸国民の春]]。
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=== 1850年代 ===
 
=== 1850年代 ===
[[ファイル:Crystal Palace interior.jpg|right|thumb|250px|第一回[[万国博覧会]]。ロンドンで行われガラスと鋼鉄でできた[[水晶宮]]が話題となった。]]
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[[ファイル:Nightingale receiving the Wounded at Scutari by Jerry Barrett.jpg|right|250px|thumb|白衣の天使。イスタンブール近郊のスクタリにて[[クリミア戦争]]での負傷兵を見舞う[[フローレンス・ナイチンゲール]]。]]
 
[[ファイル:Ceremonial hall Dolmabahce March 2008 pano2b.jpg|thumb|right|200px|オスマン帝国の改革。クリミア戦争を乗り切ったオスマン帝国は[[アブデュルメジト1世]]のもと大胆な近代化に取り組んだ。かつてのトプカプ宮殿から西欧化された[[ドルマバフチェ宮殿]]への移動もその流れの一つである。画像はこの宮殿の「儀式の間」。]]
 
[[ファイル:Gustave Caillebotte - Jour de pluie à Paris.jpg|right|thumb|250px|パリ大改造。ナポレオン3世により生まれ変わったパリは近代都市計画の模範となった。画像は[[ギュスターヴ・カイユボット|カイユボット]]の「パリの通り、雨の日」。]]
 
[[ファイル:Визит Перри в 1854 году.jpg|thumb|right|250px|[[黒船来航]]。[[マシュー・ペリー|ペリー]]司令長官率いるアメリカ[[東インド艦隊]]の出現は200年以上続いた日本の「泰平の世」を揺るがした。画像は1854年に再び日本を訪れて[[横浜]]に上陸したペリー一行を描いたもの。]]
 
 
{{main|1850年代}}
 
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* [[1850年]]
 
* [[1850年]]
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=== 1860年代 ===
 
=== 1860年代 ===
[[ファイル:Japanese Mission Sphinx.jpg|right|thumb|250px|エジプトのサムライたち。徳川幕府がフランスに派遣した[[横浜鎖港談判使節団]]の一行が[[スフィンクス]]像前で撮った写真。]]
 
[[File:Regaining Jinling.jpg|thumb|right|250px|[[太平天国の乱]]の顛末。[[拝上帝会]]の[[洪秀全]]を天王とする宗教運動はやがて清朝を揺るがす大反乱へと発展した。画像は1864年の[[天京攻防戦]]で、この戦いで太平天国は清朝に殲滅されたのである。]]
 
[[ファイル:Nanjing Jinling Arsenal 1865 built by Li Hongzhang.jpg|thumb|right|250px|同治中興。[[アロー戦争]]後に即位した[[同治帝]]の時代から清朝では[[洋務運動]]と呼ばれる近代化が進められた。画像は漢人官僚の[[李鴻章]]が1865年に[[南京]]に作らせた金陵機器製造局の写真。]]
 
[[ファイル:Edouard Manet 022.jpg|right|thumb|250px|メキシコ出兵。この失敗により大西洋を越えたナポレオン3世の遠大な野望は潰え、彼自身の求心力の低下にもつながった。画像は[[エドゥアール・マネ]]の描いた「[[皇帝マキシミリアンの処刑|メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑]]」。]]
 
[[ファイル:Taisehokan.jpg|thumb|right|220px|[[大政奉還]]。江戸幕府15代将軍[[徳川慶喜]]は倒幕運動の高まりの中で朝廷に政権を返上する決断を下した。画像は[[邨田丹陵]] の歴史画「大政奉還図([[聖徳記念絵画館]]蔵)」で[[京都]][[二条城]]に集まった慶喜と諸藩重臣たちが描かれている。]]
 
[[ファイル:SuezCanalKantara.jpg|right|thumb|250px|[[スエズ運河]]開通。この運河によりヨーロッパからアジアへの航路は大幅に短縮された。]]
 
[[ファイル:GoldenSpikev3.jpg|right|thumb|250px|[[最初の大陸横断鉄道]]。大西洋側と太平洋側から伸びた鉄路がプロモントリーサミットで結ばれた。写真はこの地での1869年5月10日の開通記念式典の模様。]]
 
 
{{main|1860年代}}
 
{{main|1860年代}}
 
* [[1860年]]  
 
* [[1860年]]  
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=== 1870年代 ===
 
=== 1870年代 ===
[[ファイル:Wernerprokla.jpg|thumb|right|250px|[[ドイツ帝国]]の成立。ドイツ皇帝の戴冠式は普仏戦争に敗れたフランスの[[ヴェルサイユ宮殿]]鏡の間で行われた。画像はアントン・フォン・ヴェルナーによるもの。]]
 
[[ファイル:Adolph Menzel - Eisenwalzwerk - Google Art Project.jpg|thumb|right|250px|[[第二次産業革命]]。科学技術の発展とその組織化により動力に石油・電気が用いられるようになり、工業は大規模なものとなった。特に統一後のドイツの革新が世界を席巻した。画像はドイツ人画家[[アドルフ・フォン・メンツェル]]の「鉄圧延機工場」。]]
 
[[ファイル:Berliner kongress.jpg|right|thumb|250px|[[ベルリン会議]]。[[露土戦争]]後のこの会議によって列強諸国による地域分割の原則が確定した。]]
 
[[ファイル:Victoria Disraeli cartoon.jpg|thumb|right|180px|[[アラジン]]に扮した[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレーリ]]が、ヴィクトリア女王にイギリスの王冠とインドの皇帝冠を交換するよう迫る様子を描いた風刺画(1876年)。]]
 
{{main|1870年代}}
 
 
* [[1870年]]
 
* [[1870年]]
 
** [[普仏戦争]]。
 
** [[普仏戦争]]。
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=== 1880年代 ===
 
=== 1880年代 ===
 
[[File:Attentat auf Zar Alexander II 1881 19Jh.jpg|thumb|right|250px|皇帝[[アレクサンドル2世]]の暗殺。[[農奴解放令]]を始めとする大改革に取り組んだアレクサンドル2世ではあったが、現状に不満を持つ急進派の標的とされあえなく絶命した。画像は[[サンクトペテルブルク]]での爆発による皇帝暗殺の様子を描いたもの。]]
 
[[ファイル:Van Gogh - Portrait of Pere Tanguy 1887-8.JPG|right|thumb|200px|世界に広がる浮世絵。[[浮世絵]]はヨーロッパ諸国の[[ジャポニズム]](日本趣味)に影響を与えた。画像は1887年に描かれた[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]の「[[タンギー爺さん]]」。]]
 
[[ファイル:Neuschwanstein Castle LOC print.jpg|thumb|250px|ノイシュヴァンシュタイン城。プロイセンによるドイツ統一に屈服した[[バイエルン王国|バイエルン]]国王[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]による城。中世の君侯に憧れ次第に精神を病んでいった王の夢の城とされている。画像は1890年代の城の写真。]]
 
[[ファイル:Statue of Liberty 7.jpg|right|thumb|180px|ニューヨークの自由の女神。アメリカ独立100周年を祝ってフランスからアメリカ合衆国に贈られた女神像。19世紀末までにはアメリカ合衆国は世界最大の工業国となり、新天地を求めた多くの移民がこの女神像を眺めつつ入国していった。]]
 
[[ファイル:Kenpohapu-chikanobu.jpg|right|300px|thumb|大日本帝国憲法の発布。「憲法発布略図」[[楊洲周延]]画。]]
 
{{main|1880年代}}
 
 
* [[1880年]]
 
* [[1880年]]
 
** ドイツの[[ケルン大聖堂]]が完成(1248年 - )。
 
** ドイツの[[ケルン大聖堂]]が完成(1248年 - )。
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=== 1890年代 ===
 
=== 1890年代 ===
[[ファイル:Paul Gauguin 134.jpg|right|260px|thumb|ゴーギャンとタヒチ。フランスの[[ポスト印象主義]]の画家[[ゴーギャン]]は新天地を求めタヒチへ旅立った。タヒチは必ずしも楽園とばかりは言えずゴーギャンは無理解と貧困に苦しめられたがその画業は深められた。画像は「三人のタヒチ人」(スコットランド国立博物館蔵)。]]
 
[[ファイル:Battle of the Yellow Sea by Korechika.jpg|right|300px|thumb|日清戦争。日本の勝利と清の敗北により東アジアの冊封体制は崩壊することになる。画像は[[小林清親]]の「於黄海我軍大捷 第一図」。]]
 
[[ファイル:China imperialism cartoon.jpg|right|thumb|200px|中国分割に乗り出した列強諸国の諷刺画。]]
 
[[ファイル:Poster Cinematographe Lumiere.jpg|right|thumb|250px|映画の誕生。フランス人の[[リュミエール兄弟]]によるこの発明はメディアの可能性を一挙に広げるものとなった。]]
 
[[ファイル:Tassel House stairway.JPG|thumb|right|250px|[[アール・ヌーヴォー]]様式。[[世紀末]]には曲線を利用したフランス語で「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーが各地に拡がった。画像は[[ヴィクトール・オルタ]]の設計による[[ベルギー]]・[[ブリュッセル]]の[[タッセル邸]]の内部。]]
 
{{main|1890年代}}
 
 
* [[1890年]]  
 
* [[1890年]]  
 
** 日本で第1回[[総選挙]]、第1回[[帝国議会]]、[[足尾鉱毒事件]]。
 
** 日本で第1回[[総選挙]]、第1回[[帝国議会]]、[[足尾鉱毒事件]]。
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=== 音楽 ===
 
=== 音楽 ===
[[File:Waltz1816 72.jpg|thumb|right|250px|ワルツを踊る人々]]
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*前世紀に引き続いて[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が活躍し、さらには[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]や[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]が登場するなど、[[ロマン派音楽]]が花開いた時代であった。[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]派と[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]派の激しい対立が起こったが、いずれもロマン派音楽に属する。
 
*前世紀に引き続いて[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が活躍し、さらには[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]や[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]が登場するなど、[[ロマン派音楽]]が花開いた時代であった。[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]派と[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]派の激しい対立が起こったが、いずれもロマン派音楽に属する。
 
* 「会議は踊る、されど進まず」の[[ウィーン会議]]を経て、ヨーロッパ中に[[ウィンナ・ワルツ]](これもロマン派音楽に属する)が広まったことから、19世紀は「ワルツの世紀」とも呼ばれる。ウィーンでは[[ヨーゼフ・ランナー]]と[[ヨハン・シュトラウス1世]]が「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争を繰り広げた。やがて「ワルツ王」[[ヨハン・シュトラウス2世]]がウィーンに、[[エミール・ワルトトイフェル|ワルトトイフェル]]がフランスに現れる。世紀末の1899年にシュトラウス2世が没し、同年にワルトトイフェルも引退して「ワルツの世紀」は事実上の終焉を迎えた。
 
* 「会議は踊る、されど進まず」の[[ウィーン会議]]を経て、ヨーロッパ中に[[ウィンナ・ワルツ]](これもロマン派音楽に属する)が広まったことから、19世紀は「ワルツの世紀」とも呼ばれる。ウィーンでは[[ヨーゼフ・ランナー]]と[[ヨハン・シュトラウス1世]]が「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争を繰り広げた。やがて「ワルツ王」[[ヨハン・シュトラウス2世]]がウィーンに、[[エミール・ワルトトイフェル|ワルトトイフェル]]がフランスに現れる。世紀末の1899年にシュトラウス2世が没し、同年にワルトトイフェルも引退して「ワルツの世紀」は事実上の終焉を迎えた。
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=== ヨーロッパ ===
 
=== ヨーロッパ ===
 
==== 政治家・王族 ====
 
==== 政治家・王族 ====
[[ファイル:David napoleon.jpg|thumb|200px|right|ナポレオン・ボナパルト。画像は[[ジャック=ルイ・ダヴィッド|ダヴィッド]]「アルプス越えのナポレオン」。]]
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[[ファイル:Metternich by Lawrence.jpeg|right|thumb|200px|ウイーン体制の立役者であるオーストリア宰相[[メッテルニヒ]]。]]
 
[[ファイル:Camillo Benso Cavour di Ciseri.jpg|right|thumb|200px|サルデーニャを中心としたイタリア統一を果たした宰相[[カヴール]]。]]
 
[[ファイル:Gustave-Le-Gray Giuseppe-Garibaldi Palermo-1860 1-1000x1500.jpg|thumb|right|200px|イタリア独立戦争で両シチリア王国を屈服させた[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]。]]
 
[[ファイル:BismarckundNapoleonIII.jpg|right|thumb|250px|ナポレオン3世(左)とビスマルク(右)。]]
 
[[File:Wilhelm Gause Hofball in Wien.jpg|thumb|right|250px|1900年の[[ホーフブルク宮殿]]における宮廷舞踏会にて参加者に取り巻かれた[[オーストリア]]皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世]]。]]
 
[[ファイル:Charles Darwin 1880.jpg|right|thumb|200px|『[[種の起源]]』で[[進化論]]を唱えた[[チャールズ・ダーウィン]]。]]
 
[[ファイル:Emancipation proclamation.jpg|right|thumb|250px|閣僚に[[奴隷解放宣言]]の初稿を提示するアメリカ大統領[[エイブラハム・リンカーン]]。]]
 
[[ファイル:Général Toussaint Louverture.jpg|thumb|right|200px|[[ハイチ]]の独立指導者[[トゥーサン・ルーヴェルチュール]]。]]
 
[[ファイル:Frontispiece photograph from Hawaii's Story by Hawaii's Queen, Liliuokalani (1898).jpg|right|thumb|200px|ハワイ王国最後の女王[[リリウオカラニ]]。]]
 
[[File:David Livingstone.jpg|thumb|right|200px|暗黒大陸と呼ばれていたアフリカで宣教活動を行い現地の探検を行った[[デイヴィッド・リヴィングストン]]。]]
 
[[ファイル:Punch Rhodes Colossus.png|right|thumb|200px|アフリカを南北にまたぐ[[セシル・ローズ]]。]]
 
[[ファイル:General Gordon's Last Stand.jpg|right|thumb|200px|[[ハルツーム]]の戦いで[[マフディー戦争|マフディー軍]]に包囲される[[チャールズ・ジョージ・ゴードン|ゴードン将軍]]。]]
 
[[ファイル:Menelik II.gif|right|thumb|200px|エチオピア皇帝の正装をした[[メネリク2世]]。]]
 
[[File:Abd-EL-Kader-And-Napoleon-III.jpg|thumb|right|250px|ナポレオン3世と会見する「[[アルジェリア]]民族運動の父」[[アブド・アルカーディル]]。]]
 
[[ファイル:ModernEgypt, Muhammad Ali by Auguste Couder, BAP 17996.jpg|right|thumb|200px|エジプトの近代化を推進した[[ムハンマド・アリー]]。]]
 
[[ファイル:Sultan Abdülmecid - Google Art Project.jpg|right|thumb|200px|[[ギュルハネ勅令]]を出して[[恩恵改革]](タンジマート)を行い[[ドルマバフチェ宮殿]]を建設させたオスマン帝国の[[アブデュルメジト1世]]。]]
 
[[ファイル:Portrait of Bahadur Shah II as calligrapher. Delhi, ca. 1850, Royal Ontario Museum, Toronto. - копия.jpg|right|thumb|200px|[[インド大反乱]]で担ぎ上げられたものの廃位されミャンマーに流された最後のムガル皇帝[[バハードゥル・シャー2世]]。]]
 
[[ファイル:Chulalongkorn LoC.jpg|right|thumb|200px|[[チャクリー改革]]を行いタイ王国の独立を維持した[[ラーマ5世]](チュラーロンコーン)。]]
 
[[ファイル:George Francis Joseph - Sir Thomas Stamford Bingley Raffles.jpg|right|thumb|200px|マレー半島南端に[[シンガポール]]を開港したイギリス人の[[トーマス・ラッフルズ]]。]]
 
[[File:Jose rizal 01.jpg|thumb|right|200px|フィリピンの独立のためにスペイン植民地政府に銃殺された[[ホセ・リサール]]。]]
 
[[ファイル:The Ci-Xi Imperial Dowager Empress (5).JPG|right|thumb|200px|清朝末期の政局を左右した[[西太后]](慈禧太后)。]]
 
  
 
===== フランス =====
 
===== フランス =====
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* [[志賀潔]]([[1871年]] - [[1957年]]) - 明治時代の医学者・細菌学者・北里柴三郎に師事・[[赤痢菌]]を発見・[[京城帝国大学]]総長などを歴任
 
* [[志賀潔]]([[1871年]] - [[1957年]]) - 明治時代の医学者・細菌学者・北里柴三郎に師事・[[赤痢菌]]を発見・[[京城帝国大学]]総長などを歴任
 
* [[樋口一葉]]([[1872年]] - [[1896年]]) - 明治時代の女流小説家・赤貧に苦しみながら『[[たけくらべ]]』『[[にごりえ]]』などを執筆
 
* [[樋口一葉]]([[1872年]] - [[1896年]]) - 明治時代の女流小説家・赤貧に苦しみながら『[[たけくらべ]]』『[[にごりえ]]』などを執筆
 
== 19世紀生まれの最後の生き残り ==
 
2013年6月12日、日本の[[木村次郎右衛門]](男性での史上最高齢者)が116歳で死去し、19世紀生まれの男性は全員がこの世を去った。2017年4月15日には[[エンマ・モラーノ]]が117歳で死去し、1800年代(1800年 - 1899年)生まれの人物は全員がこの世を去ったことになり、19世紀生まれは残り2人([[ヴァイオレット・ブラウン]]、[[田島ナビ]]の2人、いずれも女性)となった。さらに同年9月15日にブラウンが117歳で死去したため、田島が19世紀生まれの最後の生き残りとなった。そして2018年4月21日午後7時58分、田島が117歳で死去したことににより、生年月日に確実な証拠のある19世紀生まれの人物は全員この世を去ったこととなった<ref>{{en icon}} {{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2018年4月22日}}</ref>。
 
  
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
* [[長い19世紀]]
 
* [[年表]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

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19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀

19世紀の歴史

国民国家の成立

西欧ではフランス革命の影響により自由主義ナショナリズムが広がった。19世紀初頭のナポレオンの興亡や反動的なウィーン体制、「諸国民の春」や数々の市民革命の勃発の後、ナショナリズムの高揚によりドイツイタリアなどの新たな統一された強力な国家が登場した。 またナポレオン戦争による混乱に乗じて1810年代から1820年代にはスペイン・ポルトガルの支配からラテンアメリカ諸国が各地で独立した。しかし大土地所有者の優遇やモノカルチャー栽培などで独立してからも近代化は進まず、欧米列強への従属がこの後も長く続いた。

帝国主義の興隆

ファイル:SepoyMutiny.jpg
インド大反乱。アジア・アフリカ諸国には苦渋の時代であった。

19世紀のイギリス工業化による生産力の増大により得た、圧倒的な経済力と軍事力で世界の覇権を握った。イギリスは時には武力をも用いて世界各国に自由貿易を認めさせ、イギリスを中心とした国際経済体制に世界を組み込んでいった(パクス・ブリタニカ)。この過程で、大陸国家であるロシア海洋国家のイギリスとの間に度重なる衝突が発生し、20世紀における世界大戦の遠因が形成された。

アジアアフリカにとっては苦渋の時代であり、トルコタイ王国などの国では西欧文化を取り入れ近代化が試みられた。清国の半植民地化が実質的に始まったのは、アロー戦争敗北後に天津条約北京条約を締結してからである。オスマン帝国もヨーロッパ諸国による介入でギリシャ独立戦争において敗北し、ムハンマド・アリーエジプトでの台頭を止めることが出来なかった。インドではイギリスが19世紀にマラーター戦争シク戦争を行い、インドを植民地化した。1857年にはインド大反乱が勃発したが、翌年にイギリスはこれを鎮圧し、ムガル帝国は終焉を迎えた。

日本でも1853年アメリカペリー浦賀に来航、江戸幕府開国を認めさせ、日本も欧米を中心とした世界経済に組み込まれた。1868年には長らく続いた幕藩体制は崩壊し(明治維新)、新たに発足した明治政府は欧米文化を摂取して急速な近代化を目指した。19世紀末には、近代化に成功した日本やタイ王国などの一部の国以外は、西欧列強の植民地にされるか、強い影響下におかれた。

列強の植民地争奪戦

19世紀中頃に、ドイツ、フランス、アメリカ合衆国はイギリスに続いて産業革命をなしとげた。こうした後進産業国では政府の強力なリードのもとで産業育成がなされた。19世紀の末期には資源の豊富なアメリカ合衆国や重化学工業分野が成長したドイツの発展が著しく、事実上イギリスの覇権は崩れた(第二次産業革命参照)。これにより1870年代の露土戦争前後から19世紀末には列強の植民地争奪競争がおこなわれた。日本も日清戦争日露戦争などを通じ、こうした植民地争奪戦に乗り出していく。

できごと

  • 日本では江戸時代の後期及び末期(幕末)から明治時代にあたる。
  • 中国ではの時代の後期から末期にあたる。
  • イギリスではジェームズ・ワットの圧縮蒸気機関が開発され、その10年後にはワットの複動式蒸気機関が完成し、炭鉱において地下300メートルの深さまで掘ることが可能になった。毎年さまざまなタイプの石炭を何百万トンも産出するようになり、世の中が一変した[1]

1800年代

ファイル:Hiroshige le pont Nihonbashi à l'aube.jpg
江戸時代の旅行ブーム。1802年には十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の刊行が始まり、文化文政時代のおおらかな気風も相まって各地への旅行が庶民でも楽しまれるようになった。画像は歌川広重の「東海道五十三次」の「日本橋」。
ファイル:Nội thất cung Diên Thọ.jpg
阮朝越南の成立。黎朝衰退後に台頭した西山三兄弟を倒し、阮福暎は嘉隆帝と名乗ってベトナム全土を統一した。画像は首都の順化(ユエ)に今も残る順化皇城の延寿宮中文版

1810年代

ファイル:Masakra mameluków.jpg
シタデルの虐殺。エジプト総督ムハンマド・アリーはアラビア半島遠征への壮行会に乗じてこの国の支配者層であるマムルークを虐殺し、権力基盤を固めた。
ファイル:Napoleons retreat from moscow.jpg
ナポレオンのロシア遠征。画像はアドルフ・ノーザンの「ナポレオンのモスクワからの退却」。

1820年代

1830年代

1840年代

ファイル:Carl Spitzweg 036.jpg
ビーダーマイヤー時代。ウィーン体制の相対的安定は政治や国際情勢ではなく小市民としての平穏な生活を優先する人々の嗜好に合致していた。画像はビーダーマイヤー時代を代表するドイツ人画家カール・シュピッツヴェークの「日曜日の散歩」。
ファイル:Ireland population change 1841 1851.png
ジャガイモ飢饉。連合王国に併合されたアイルランドでは、その弊害としてイギリスに住む不在地主の搾取により大飢饉が発生し人口が激減した(1841年 - 1851年)。

1850年代

1860年代

1870年代

1880年代

1890年代

1900年代

文化

文学

音楽

思想

科学

技術

人物

ヨーロッパ

政治家・王族

フランス
オーストリア=ハンガリー
ロシア
イギリス
ドイツ(プロイセンほかドイツ領邦を含む)
北欧
イタリア
スペイン
ベルギー
ギリシア

軍人

実業家

科学と技術

思想と哲学・人文諸学

宗教

文学

美術

音楽

社会事業家

探検家・旅行家

料理

その他

アングロアメリカ

ラテンアメリカ

サハラ以南のアフリカ

西アジアと北アフリカ

南アジア

東南アジア

オセアニア

東アジア

越南

日本

脚注

注釈
  1. ただし、この時点ではA型、B型、C型の3つであるとされた。
出典


外部リンク