ヘルゴランド=ザンジバル条約
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ヘルゴランド=ザンジバル条約(ドイツ語: Helgoland-Sansibar-Vertrag、英語: Heligoland-Zanzibar Treaty)は、1890年に当時のイギリス帝国とドイツ帝国の間で結ばれた条約。イギリス側の名称でヘリゴランド=ザンジバル条約と記されているものもある。
ドイツが、東アフリカのザンジバルと北海のヘルゴラント島を交換したかのように誤解されることが多い。正確には、ドイツは北海のヘルゴラント島とカプリビ回廊(現在のナミビアのザンベジ州)、及びドイツ領東アフリカの核となるダルエスサラームの海岸を獲得した(後のタンガニーカ、現在のタンザニアの本土部分)。
ドイツは条約でケニア海岸沿いにある小さな保護領ウィトゥランド(Wituland、スワヒリランド Swahililand とも)の権益をイギリスに譲与しイギリス領東アフリカの一部とすることを認めた。その場所はイギリスにとって決定的なもので、ビクトリア湖に至る鉄道を建設するために必要だった。また、イギリスがザンジバルに関して取る行動について、ドイツは干渉しないことを約束した。
その後、1890年にイギリスはザンジバル・スルタン国の保護国化を宣言し、1896年のイギリス・ザンジバル戦争によって、以後実効支配した。
そのうえ、条約はドイツが関心を持っていたドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)の権益を確定させ、ドイツ領トーゴラントとイギリス領ゴールドコースト植民地、およびドイツ領カメルーンとイギリス領ナイジェリアの国境問題を解決した。