林則徐

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林 則徐(りん そくじょ、Lín Zéxú、1785年8月30日乾隆50年7月26日) - 1850年11月22日道光30年10月19日))

中国,清末の政治家。福建省福州の人。字は少穆。号は竢村老人。諡は文忠。嘉慶 16 (1811) 年の進士。翰林院から地方官に転出,治水などに尽力し,名声を得た。道光 12 (32) 年江蘇巡撫,同 17年湖広総督に就任。黄爵滋のアヘン厳禁上奏に応じて,アヘン厳禁を主張,同 18年欽差大臣として,広東のアヘン貿易取締りを命じられ,同 19年赴任し,イギリス商人のアヘンを没収,棄却した。このためアヘン戦争が勃発,林則徐は海外事情を研究し,軍備を整え,官民を協力させて抵抗したが,和平派の圧力により同 20年免職,翌年イリ (伊犂) へ流された。のち復職を許され,雲貴総督となり,同 30年太平天国討伐のため欽差大臣として赴任中病死。その上奏文を集めた『林文忠公政書』などがある。



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