ドイツ連邦
ドイツ連邦(ドイツれんぽう)ないしドイツ同盟(ドイツどうめい、独:Deutscher Bund)は、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の領邦と4つの帝国自由都市との連合体。1815年のウィーン議定書に基づき、オーストリア帝国を盟主として発足、1866年の普墺戦争のプロイセン王国の勝利をもって解消された。
ドイツ連邦は、あくまでも複数の主権国家の連合体、つまり国家連合(Staatenbund)であり、連邦国家(Bundesstaat)でない。そのため、「ドイツ連合」や「ドイツ国家連合」などとも訳される(下記「訳語」の項目を参照)。
Contents
歴史
ドイツ連邦はライン同盟の解体を受け、ウィーン会議を経て1815年6月8日のドイツ連邦規約に基づいて成立した。規約第17条では帝国郵便を営んできたトゥルン・ウント・タクシス家の事業存続権が保証された[1]。
オーストリア帝国(連邦議会議長)、プロイセン王国、4つの帝国自由都市(リューベック、フランクフルト、ブレーメン、ハンブルク)など39の領邦が同盟を構成した。なお、旧神聖ローマ帝国の領域を範囲としたため、オーストリアおよびプロイセンの領土は連邦の内と外にまたがっていた。
それまで神聖ローマ皇帝が司ってきたドイツ全体に関わる懸案の審議と議決を目的に、フランクフルトに連邦議会(Bundestag des Deutschen Bundes あるいは Bundesversammlung)が常設された。軍隊、警察、関税は構成国の主権に属した。連邦議会の議員は諸邦の普通選挙で選ばれた官吏、大学教員等の市民階級の代表が務めた。プロイセンのビスマルクもその一人であった。
1848年の三月革命によって存続を危ぶまれたが、1849年に復活した。しかし、1866年の普墺戦争に勝利したプロイセンはドイツ連邦を解消、翌1867年プロイセンは北ドイツ連邦を成立させ、ドイツ統一の主導権を握り、後のドイツ帝国の母体とした。
加盟諸邦
連邦議会で4票を有する
連邦議会で3票を有する
連邦議会で2票を有する
ドイツの歴史 | |||||||||||||||
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近世
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再統一後のドイツ | |||||||||||||||
関連項目 | |||||||||||||||
オーストリアの歴史 | |||||||||||||||
ドイツ ポータル |
連邦議会で1票を有する
- ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国
- ザクセン=ゴータ公国
- ザクセン=コーブルク公国
- 両ザクセン公国は、1825年に以下の3か国に再編。
- 25px メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
- オルデンブルク大公国
- アンハルト=デッサウ公国
- アンハルト=ベルンブルク公国
- アンハルト=ケーテン公国
- 上記の3か国は1863年に下国に再編された。
- シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国
- シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国
- ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯国
- リヒテンシュタイン侯国
- ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯国
- ヴァルデック侯国
- ロイス侯国(兄系)
- ロイス侯国(弟系)(ロイス=ローベンシュタイン、ロイス=シュライツ、ロイス=エベルスドルフ)
- 25px シャウムブルク=リッペ侯国
- リッペ侯国
- 自由都市リューベック
- 25px 自由都市フランクフルト
- 25px 自由都市ブレーメン
- 25px 自由都市ハンブルク
訳語
Deutscher Bund はアメリカ合衆国のような連邦国家ではなく、国家の緩やかな連合体(国家連合)であるため、「ドイツ連邦」という訳語は問題があるとする考えもある。連邦国家でないものを「ドイツ連邦」と称するのは本来的にミスリーディングであり、「ドイツ同盟」と訳すほうが望ましいとする[5]。また、訳語に用いられるほかの例としては、「ドイツ連合」[6]や「ドイツ国家連合」[7]などがある。
脚注
- ↑ 「自由な協定によって別の条約が締結されないならば、トゥルン・ウント・タクシス侯家は、1803年2月25日の帝国代表者会議主要決議あるいはその後の条約によって確認された連邦諸国における郵便の所有と利益を保持する。あらゆる場合において、先の帝国代表者会議主要決議の第13条により、タクシス侯家には、郵便の委託または適切な補償に基づく権利と要求が保証される。1803年以来、帝国代表者会議主要決議の内容に反して、郵便の廃止がすでに起こったところでも、その補償が条約によってまだ決定的に取り決められていない限り、このことは適用される。」
- ↑ 1837年まで君主はイギリス国王
- ↑ 1864年まで君主はデンマーク国王、以後はオーストリアとプロイセンの共同管理
- ↑ 君主はオランダ国王
- ↑ 「ドイツ同盟」を用いる例に、イェリネク(芦部ほか訳)『一般国家学』学陽書房 や、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』など。
- ↑ 「ドイツ連合」を用いる例に、小畑郁「国際法の主体」『国際法 第5版』松井芳郎ほか、有斐閣。
- ↑ 「ドイツ国家連合」を用いる例に、福田耕治『国際行政学 国際公益と国際公共政策』有斐閣。