米英戦争
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米英戦争(べいえいせんそう)
1812年戦争,米英戦争とも呼ばれる。フランス革命後の英仏抗争に巻込まれたアメリカが,西部の「タカ派」の圧力によって行なったイギリスとの戦争。英仏抗争中イギリス海軍によるアメリカ船員の強制徴用などをめぐってアメリカの世論は次第に硬化した。一方カナダや西部への進出を目指す H.クレー,J.カルフーンら西部や南部の若い指導者たちは,西部に残存するイギリス勢力と先住民族インディアンとの結びつきを断とうとした。彼らはアメリカ議会に圧力をかけ,1812年6月 18日対イギリス宣戦を決議させた。アメリカ軍はカナダに侵入しようとして阻止され,かえって首都ワシントン D.C.を焼かれる状態であったが,15年1月ニューオーリンズを攻めるイギリス軍を A.ジャクソンの率いるアメリカ軍が破って,わずかに面目を保った。ただしこれは両国間の和平が成立した (1814.12.) あとである。この戦争はナポレオン没落とイギリスの国内事情で終息に向ったが,講和後は戦前とほとんど変らない状態に戻っている。アメリカに与えた影響としては,産業革命の促進,ナショナリズムの興隆,それにインディアンの後退による西部進出の促進があげられる。