インド大反乱

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インド大反乱(インドだいはんらん、Indian Rebellion)

1857~58年,イギリス東インド会社支配下のインドで,インド人兵士による反英蜂起に市民や農民らが加わり,北インド,中央インド全域に拡大した反乱。「セポイの反乱」とも呼ばれた。セポイ sepoyはペルシア語源の兵士を意味するシパーヒーの英語綴りをローマ字読みしたもので,東インド会社のインド人傭兵をさす。19世紀中頃,イギリスのとった強引なインド藩王国併合策はインドの支配者層をはじめ各階層の不満を高めていた。このような状況のもと,イギリス人がヒンドゥー教イスラム教の教えを無視し,銃の弾薬包に弾丸や火薬を詰める際の潤滑剤としてウシとブタの脂を使っているという噂が広がり,これが兵士による反乱の口火となった。1857年5月10日メーラトのセポイが武装蜂起し,翌日にはデリーのセポイと市民に迎えられデリーを占領,ムガル皇帝を擁立しムガル帝国の統治復活を宣言した。以後,反乱は各地に波及し,市民,農民なども加わって大衆暴動に発展,数ヵ月後にはインド全土の 3分の2に広がった。特にアワド王国とその周辺で激しく,ラクノー(ラクナウ),カーンプルは激戦地となった。イギリスは多数の援軍を送り,1857年9月にはデリーを回復,ムガル皇帝は捕えられ,翌 1858年に廃位となった。イギリスはさらに,ネパール王にグルカー兵(グルカー族)の出動を承諾させ,1858年3月にアワド王国のラクノーを占領,続いて各地を鎮定し,1858年7月8日反乱鎮圧の声明を出した。インド大反乱当時の情勢は,イギリスの植民地支配に対する不満が連鎖的に爆発したもので,民族的統一の主体もなく,反乱を指導すべき政策や組織もなかったが,インド史上最初の団結をもった反英闘争であり,最初の独立戦争とも呼ばれる点で歴史的意義は大きい。



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