ワーテルローの戦い
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ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい、仏: Bataille de Waterloo、英: Battle of Waterloo、蘭: Slag bij Waterloo、独: Schlacht bei Waterloo 場所名の「ワーテルロー」はフランス語の発音に基づく)
1815年6月 18日ベルギーのブリュッセル南東にあたるワーテルロー南郊で,ナポレオン1世の率いるフランス軍 12万 5000人とウェリントン公指揮下のイギリス軍9万 5000人および G.ブリュッヒャー指揮のプロシア軍 12万人から成る連合軍とが戦った会戦。
ナポレオン軍の敗北に終った。
この戦いの3ヵ月半前の3月1日,配流地エルバ島を脱出したナポレオンは,帝位に復して列国軍の撃破をはかり,6月15日まずリニーでプロシア軍を破った。
彼は続いてイギリス軍を討つ計画であったが,プロシア軍の追撃を命じられた E.グルーシーの失策と雨天のために砲車の活動が妨害され,18日の開戦が正午過ぎまで遅れたこととで,プロシア軍にイギリス軍と合流する機会を与え,ついに大敗した。
長いナポレオン戦争の経験から,各国の指揮者が彼の戦法を熟知してしまったことも,敗戦の大きな原因であった。
戦死者はフランス軍4万人,イギリス軍1万 5000人,プロシア軍 7000人。この敗北によりナポレオンの「百日天下」は終り,彼はセントヘレナ島に流されそこで死んだ。