自然主義文学
自然主義文学(しぜんしゅぎぶんがく)は、19世紀末にフランスで提唱された文学理論に基づく作品、およびそこから影響を受けた日本の20世紀前半の文学のこと。
エミール・ゾラにより定義された学説の下、19世紀末、フランスを中心に起こった文学運動。自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き見出そうとする。
フランス
19世紀末のフランス(エミール・ゾラの『ナナ』『居酒屋』など)を中心にして起こったものである。ゾラは、人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとした。
日本
ゾラの作品は、日本の1900年代の文学界に大きな影響を与えた。坪内逍遥らによる写実主義を経て、小杉天外は『はつ姿』、永井荷風は『地獄の花』などを書いた。このほか、フロベールやモーパッサンなども紹介される。
そして島崎藤村の『破戒』(1906年)や田山花袋(1907年)の『田舎教師』が自然主義文学の支柱を成した。藤村や国木田独歩といった浪漫派詩人は自然主義の小説家に転ずるにあたってロマン主義からの脱却を目指し、花袋は、『蒲団 (小説)』に見られる『露骨なる描写』により、自分の作品を貫く論理を明らかにしようとした。また、「早稲田文学」を本拠に評論活動を行った島村抱月や長谷川天渓も、自然主義文学の可能性を広げようとした。花袋も『一兵卒』のような作品では、客観描写による小説のふくらみを試みてはいた。また、徳田秋声も、『あらくれ』のような女性の一代記を中心に、大河ロマンを書こうとしていた。このほか、正宗白鳥、近松秋江、岩野泡鳴、真山青果、小栗風葉らが活躍した。
しかし、『蒲団』の衝撃は大きく、これによって自然主義とは現実を赤裸々に描くものと解釈され、ゾラの小説に見られた客観性や構成力は失われ、変質してしまった。近松秋江の作品が、みずからの愛欲の世界を鋭く描いたことが、そうした傾向に拍車をかけた。その結果、小説の内容は事実そのままが理想であるという認識が徐々に浸透していった。その流れはもっぱら作家の身の回りや体験を描く私小説に「矮小化」されたとされる。代表的なものに、藤村『家』『新生』がある。また反自然主義運動が盛んになり、ヨーロッパから帰国した永井荷風らの耽美派、雑誌「白樺」を中心とする白樺派、余裕派の夏目漱石、高踏派の森鴎外、新現実主義の芥川龍之介らが活動し、自然主義は急速に衰退していった。すなわち、日本の自然主義文学は、フランスに見られた作品の域には達することなく潰えてしまった訳である。
一方、社会の真実をみつめることは、20世紀の日本の資本主義の発展を認識するという側面もあり、それは1930年代になって、藤村が幕末社会を描き出した長編『夜明け前』や、秋声が集大成と言える『縮図』を書いたように、必ずしも小世界にとどまらない傾向も存在し、同時期のプロレタリア文学の評論家の蔵原惟人が、自然主義のリアリズムを発展させる〈プロレタリア・リアリズム〉を主張したような、社会性に目を向けるという方向性も生み出した。そのような点においても、自然主義文学は、20世紀の日本文学にとって通過しなければならない一段階であったといえる。