デンマーク
- デンマーク
- Danmark
- 国の標語:なし
王のモットー: Guds hjælp, Folkets kærlighed, Danmarks styrke
(デンマーク語: 神の救い、国民の愛情、デンマークの力) -
公用語 | デンマーク語[1] |
---|---|
首都 | コペンハーゲン |
最大の都市 | コペンハーゲン |
独立 | 8世紀頃(建国)、1815年(デンマーク=ノルウェーより) |
通貨 | デンマーク・クローネ (DKK) |
時間帯 | UTC +1(DST:+2) |
ISO 3166-1 | DK / DNK |
ccTLD | .dk |
国際電話番号 | 45 |
デンマーク(デンマーク語: Danmark, テンプレート:IPA-da)は、北ヨーロッパのバルト海と北海に挟まれたユトランド半島とその周辺の多くの島々からなる立憲君主制国家。北欧諸国の1つであり、北では海を挟んでスカンディナヴィア諸国、南では陸上でドイツと国境を接する。首都のコペンハーゲンはシェラン島に位置している。大陸部分を領有しながら首都が島嶼に存在する数少ない国家の一つである(他には赤道ギニア、イギリス[1]のみ)。
自治権を有するグリーンランドとフェロー諸島と共にデンマーク王国を構成している。
ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、市民の生活満足度は高く、2014年の国連世界幸福度報告では第1位であった。
Contents
国名
デンマーク語による正式名称は、Danmark [ˈdanmɑʀg] (発音をカタカナ書きにすると「ダンマハク」が近い)。
日本語の表記は、デンマーク(英語読み)。古くは、デンマルクと表記された。漢字による当て字は、丁抹で、丁と略される[2]。
英語の表記は "Denmark"(省略形はDa)、形容詞は"Danish"(発音をカタカナ書きにすると「デイニッシュ」が近い)。国民はDane。
国名は、古ノルド語で「デーン人の土地」を意味する「ダンメルク(Danmörk)」からで、北欧神話にもこの名で登場する。
歴史
デンマークには有史以前から人が住んでいたとされている。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年頃から人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年頃始まったようだ。
ノルマン人の一派のデーン人がゲルマン民族移動の時代に到来し住みついた。その後、彼らは8世紀から11世紀にかけてのヴァイキングの時代にヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行った。彼らはユトランド半島を基盤にして、シェラン島やスウェーデン南部に影響力を持っていた。11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。
14世紀後半にはマルグレーテ1世の手により、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーを支配下にしたカルマル同盟を築き大国として存在した。
1520年のストックホルムの血浴を契機に、1523年にスウェーデンがカルマル同盟を脱し独立、スウェーデンとの300年にわたる抗争が始まった。伯爵戦争(1534年〜1536年)でクリスチャン3世が勝利したことにより、宗教改革が行われデンマークはルーテル派の国となった。クリスチャン4世は1626年にドイツ三十年戦争に介入、敗退したことからデンマークの衰退が始まる。そして、トルステンソン戦争(1643年〜1645年)においてスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。大北方戦争に敗れたスウェーデンと共に、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。
近代に至りナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北、1814年のキール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた(ただノルウェー領であったアイスランドやグリーンランドなどはデンマーク領として残された)。417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのである。その後、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題からプロイセン王国との2度に渡るシュレースヴィヒ戦争になり南部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州などを失い、デンマークの経済は危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によってこの危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の『デンマルク国の話』で紹介され、広く親しまれた。苦難の時代ではあったが、デンマーク王室の王女たちがヨーロッパ諸国に嫁いだり、ギリシャ王国や独立時のノルウェー王国にデンマーク王家の分家が王として迎えられるなど、デンマーク王家は当時のヨーロッパ君主国の「ヨーロッパの義父」となった。
第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では1940年にナチス・ドイツによって突然宣戦された。国王クリスチャン10世は亡命せずに一日で降伏を選び、デンマークはドイツの占領下に置かれることになった。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチ運動家を保護したりした。その後、ドイツ軍への抵抗運動なども起こった。一方で駐米大使ヘンリク・カウフマンは連合国に接近し、グリーンランドを連合軍の便宜に任せた。またフェロー諸島とアイスランドも連合国によって占領され、うちアイスランドは1944年に独立している。カウフマンの活動もあって、デンマークは本国政府の活動にも関わらず連合国として扱われることになった。5月には駐デンマークのドイツ軍が降伏し、デンマークは解放された。
戦後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、1973年にはヨーロッパ共同体にも加盟した。しかし後に対NATO関連でNATOと対立(デンマーク化)。とは言え、ノルディックバランスを守り抜き、冷戦期を乗り切った。国内経済、教育水準共に世界トップクラスの先進国の1つであり、EUの一員、国連の非常任理事国も担当している(2010年時点で4期8年)。
自由党による中道右派政権が2001年より政権を掌握していたが、経済政策の低迷によって支持率は低下した。その結果、2011年の総選挙で社会民主党を中心とする野党の中道左派連合が僅差で勝利し、同年10月3日にヘレ・トーニング=シュミット内閣が発足。環境政策や教育改革に重点を置く一方、移民受け入れ制限の緩和など前政権の反移民・反イスラム政策の軌道修正を図っている。近年右派の伸張が際立つ北欧においては珍しいケースとなった[3]。
2015年6月18日の総選挙で社会民主党は議席を上積みしたが、他の連立政党が議席を大幅に減らしたため与党中道左派連合は敗北。ヘレ・トーニング=シュミット首相は辞任した。また、長い間中道右派連合の中核を担ってきた自由党 も振るわず結党以来最低の議席数となったが、連立相手の政党である右派のデンマーク国民党や中道右派の 自由同盟が議席を増やしたため僅差で中道左派連合を上回り、4年ぶりに政権に返り咲くこととなった。
政治
政体
行政
立法
憲法
デンマーク王国憲法は1849年6月5日に制定され、最後の改正は1953年に行なわれた。この改正では上院が廃止され、女性も王位を継承できるようになった。この改正で現女王、マルグレーテ2世が王位継承者となり、1972年に即位した。ただし、女性が王位を継げるのは他に男子が居なかった場合にのみ許されるということで、2009年6月7日の国民投票により、ようやく無条件で女子が王位を継承できることとなった。
上院を廃止したため、下院のみが存続を許された。現在のデンマーク貴族は法により免税特権がある。
成文憲法を長期間改正していない国としては日本(最後の改正は1946年)に次いで2番目(最後の改正は1953年)である。
軍事
18歳から32歳までの男子を対象にした徴兵制が敷かれている。現在の兵役期間は4か月となっている[4]。ただし、4か月経過後に希望者は期間延長が可能。なお、良心的兵役拒否が認められており、代替役務が制度化されている。
国防軍はデンマーク陸軍、デンマーク海軍、デンマーク空軍およびデンマーク郷土防衛隊の4軍体制である。兵員数は2万5000人。それに加えて、予備役1万2000人と郷土防衛軍5万1000人がいるので、有事の際には合計8万8000人ほどまで兵力を準備できることになっている。
平和維持活動にも積極的に参加しており、KFOR(コソボ治安維持軍)に380人、アフガニスタンのISAF(国際治安支援部隊)に700人、海軍の最新鋭艦アブサロンがソマリア沖の海賊退治のためにジブチを拠点に展開している。イラク戦争にも参戦し、最大500人の兵士が終戦後の復興支援活動にも従事したが、2007年に撤退している。総兵力は少ないのにもかかわらず、国際平和維持活動や対テロ戦争に多くの人員・物資を供給し、また兵士の質の高さから、国際社会からは高い評価を受けている。
国際関係
日本との関係
日本に訪れた最初のデンマーク人は幕末にフランス海軍へ出向していたエドゥアルド・スエンソンである。彼は1866年から1867年の間、フランス公使レオン・ロッシュに付き従い、ロッシュと徳川慶喜の会見にも陪席した。スエンソンはこのときの様子を『江戸幕末滞在記』に著しており、「外国から見た幕末維新の歴史」を知る貴重な資料になっている。
1867年に日本とデンマークの間で「修好通商航海条約」が締結されたのが両国の国交樹立とされている[5]。
1871年、大北電信会社が日本に初めて海底ケーブルを陸揚げする。このときスエンソンは大北電信会社創業者のカール・フレデリック・ティットゲンに経験を見込まれて日本に派遣されている。
1873年(明治6年)4月に岩倉使節団がデンマークを訪問しており、当時のコペンハーゲンの様子が、『米欧回覧実記』に一部イラスト入りで、詳細に記されている[6]。
1957年にフレゼリクスハウン出身のヨハネス・クヌッセンが和歌山県沖での海難救助活動中に殉難した。日本の船員を救おうとして殉難したクヌッセンの行動は、当時の日本で大きな話題となり[7]、その勇敢な行動は顕彰され、日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られる。
デンマーク在住の日本人は2014年10月現在、1,509名。日本在住のデンマーク人は2014年6月現在、485名となっている[8]。
日本皇室とデンマーク王室の交流
- 1953年(昭和30年)に当時の皇太子明仁親王がイギリスのエリザベス女王の戴冠式出席の帰路にデンマークを訪問。フレゼリク9世とイングリット王妃に謁見[9]。
- 1985年(昭和60年)にマルグレーテ2世が国賓として来日。同年、返礼として皇太子並びに同妃美智子、昭和天皇の名代としてデンマークを訪問、マルグレーテ2世に謁見。
- 1989年(平成元年)2月にヘンリック王配、昭和天皇の大喪の礼出席のために来日。
- 1990年(平成2年)11月、今上天皇の即位の礼出席のためにマルグレーテ2世、ヘンリック王配、来日。
- 1998年(平成10年)5月に天皇皇后夫妻が国賓としてデンマーク訪問。
- 2004年(平成16年)5月に皇太子徳仁親王がフレゼリク皇太子の結婚式に参列のためデンマーク訪問。同年11月にマルグレーテ2世が国賓として日本訪問。天皇皇后夫妻は皇室御用列車などを利用して歓迎。
- 2011年(平成23年)6月にフレゼリク皇太子が東日本大震災の復興を支援するために日本訪問。
- 2015年(平成27年)3月にはグリーンランドの文化を宣伝するためフレゼリク皇太子及びメアリー皇太子妃が日本訪問。
- 2017年(平成29年)10月に国交樹立150年の記念してフレゼリク皇太子及びメアリー皇太子妃が日本訪問。
地方行政区分
1970年から2006年までの区分についてはデンマークの県を参照。
デンマークは5つの地域(デンマーク語:regioner、単数形region)に分かれ、98の基礎自治体がある。地域は、伝統的な13の県を置き換えるもので、2007年1月1日に「2007デンマーク自治体改革」の一環として設立された。同時に基礎自治体は統合され、270から98に減らされた。
新しい地域にとっての重要な仕事は、公的な医療サービスである。以前の県とは異なり、地域には徴税権はなく、医療サービスはおもに国の8%の税金(政府と自治体からの基金による)でまかなわれる。各地域の議会は、2005年の地方選挙で選ばれた41人の議員で構成される。
新しい基礎自治体の多くは最低でも人口が2万人であるが、いくつか例外もある。
その他、デンマークの海外領土としてグリーンランドとフェロー諸島があり、これらは自治領となっている。住民は、デンマーク国籍を有し、また、デンマーク議会の議員として各々2名の代表を選出することが認められている。他州と比べ、この両自治領は独立性を強めている。
主要都市
都市 | 地域 | 人口(2008) | |
---|---|---|---|
1 | コペンハーゲン | デンマーク首都地域 | 518,574 |
2 | オーフス | 中央ユラン地域 | 237,551 |
3 | オーデンセ | 南デンマーク地域 | 158,163 |
4 | オールボー | 北ユラン地域 | 122,461 |
5 | エスビャウ | 南デンマーク地域 | 70,880 |
地理
デンマークはユラン半島(ユトランド半島)と443の島(うち76が有人島)から成り立っている。中でも重要なのは古都オーデンセのあるフュン島とコペンハーゲンを擁するシェラン島。また、シェラン島の南にはファルスター島、ロラン島が、フュン島の南にはエーロ島などがある。多くの島が橋で結ばれていて、コペンハーゲンがあるシェラン島とスウェーデンもエーレスンド橋で繋がっている。そのエーレスンド橋とスウェーデンの陸地を経由してさらにフェリーに乗るとコペンハーゲンから東南東に150キロメートル離れたボーンホルム島に辿り着く。この島は位置的にも歴史的にもデンマークの多くの島とは際立って異なる。デンマークの国土はおおむね平坦である。最高地点は173メートルであるが、これは青銅器時代に造営された人工的な地形である。本来の最高地点はモレホイの171メートル。北大西洋海流の影響で気候は穏やかで、温暖な冬と涼しい夏がある。降水量は少なく、年降水量は約745ミリ(1990年以降の平均)で、世界平均の約880ミリより少ない。このため雪が降り積もることもほとんど希である[10]。
赤道ギニア・イギリスとならび、大陸部に領土を保有しているにもかかわらず、島に首都が存在する国である。
本土周辺の主な島
- シェラン島
- ヴェンシュセルチュー島
- フュン島
- ロラン島
- ボーンホルム島
- ファルスター島
- モース島
- アルス島
- ランゲラン島
- ムーン島
- レム島
- レス島
- サムセー島
- トーシンエ島
- ヴェヌー島
- アンホルト島
- エーロ島
経済
IMFによると2015年のGDPは2,950億ドル[11]。2016年の一人当たり国民総所得(GNI)は56,730ドルで世界第5位となっている[12]。
デンマークの企業としては、高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコー (靴メーカー)、ミニバラの世界的ナーセリー,ポールセンローズ、製薬のノボノルディスクなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。また農業輸出国としても有名であり、日本との貿易では日本の輸入の約半分を豚肉が占める。イギリスでは、デニッシュという単語がベーコンの代名詞となった。日本では、デニッシュといえば、デンマーク風のパンを指す。デンマークはEU加盟国であるが、2000年9月の国民投票において、反対53.1%、賛成46.9%でユーロ参加を否決し、現在ユーロには参加していない。しかし、2008年秋から始まった世界的な金融危機の結果、小国通貨のデメリットを大きく受けたために、政府は2010年度中のユーロ導入のための国民投票実施を計画している。
鉱業
デンマーク本土の鉱業は、北海油田に由来する有機鉱物資源が中核となる。2003年時点の産出量は、原油1814万トン、天然ガス335千兆ジュールである[13]。石油自給率は100%を超えており、デンマークの輸出額のうち10.7%を原油、精製燃料、天然ガスが占める。
1960年代に到るまでデンマーク鉱業は、石灰石や砂利の生産を主体としていた。最も東に位置するボルンホルム島のカオリンは陶器の原材料として現在でも重用されている。その後、1966年、ユトランド半島で大規模な岩塩鉱床が発見される。
北海油田の鉱区は2007年時点で、イギリス、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェーの5カ国に分かれている。北海油田自体が発見されたのは1960年代初頭であった。デンマークに割り当てられた鉱区においても、1971年にはユトランド半島から西に200km離れた北海上のダン油田のほか、後に同国最大の油田であることが確認されたゴルム油田(GORM)が発見された。しかしながら、デンマーク憲法ではすべての地下資源が国家に帰属すると定められており、探査、生産には国会の承認が必要であった。非効率な制度に阻まれ、北海油田発見後、20年が経過してもデンマーク鉱区の1/4しか探査できず、採掘規模も伸び悩んでいた。このため、1981年、ほぼ全ての油田を国有化した[14]。ゴルム油田における原油と天然ガスの採掘も1981年に始まり、5年後の1986年時点では全油田を合わせ、年間362万トンの原油を採掘するに到る。2007年時点では19の油田において採掘が進んでいる。
一方、グリーンランドは豊富な金属鉱床に恵まれている。ただし、中央部は最大厚さ3400mの氷床に阻まれているため、探査、採掘活動は沿岸部に限られる。南端に近いイヴィットゥートは世界最大の氷晶石鉱山が位置していたが、1987年に鉱石が枯渇してしまった。北緯70度の西岸に位置するブラックエンジェルでは銀、亜鉛、鉛の採掘が続いている。グリーンランドは石炭を産出するが、国際価格の変動の影響を受けやすく、生産が安定していない。
エネルギー
北海油田による石油・天然ガスの供給があり、輸出も行われているなどエネルギー資源には恵まれている。このほか、風力発電が盛んであり、1980年代より組合が設立され個人の共同所有方式により多数が建設された。2004年時点で約15万世帯が約5,500基の風力発電機を共同所有している。2006年における発電設備能力は3,136.6メガワットであり、電力供給量の約2割を占めている[15]。
社会
ノルディックモデルの高福祉高負担国家であり、高齢者福祉や児童福祉が充実しており、国民の所得格差が世界で最も小さい世界最高水準の福祉国家である[16][18]。市民の生活満足度は高く、国連世界幸福度報告では第1位(2014年)、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではスイス、ノルウェーに次いで第3位、世界幸福地図では世界178ヵ国で第1位(2006年)、世界価値観調査での幸福度(Happiness)はアイスランドに次いで第2位(2005年)であった。
市民の95%は、支援が必要になった際に誰かに頼ることができると考えている(OECD平均では88%)[19]。
なおGDPに占める税収比は48.6%とOECD各国で最大で(2013年)[17]、地方所得税(県税と市税の合計)は平均32.7%[18]。2014年でのVAT(付加価値税)は25%である[20]。平均所得者(子どもなし)の場合では、所得税は28%、社会保険料は10.7%となる(2011年)[21]。
保険
平均寿命は80歳(男性82歳、女性82歳)。
医療制度は社会保険ではなく、一般税収を原資とするユニバーサルヘルスケアが実現されている(スウェーデン、ノルウェーと同様)[22][18]。GDPの11%が医療に投じられ(2010年)[22]、平均寿命は81歳(2010年)[22]、国民294人あたり1人の医師がいる。患者満足度はOECD平均よりも高い[22]。総合診療医(GP)は一人あたり約1,300人の患者を受け持っており[18]、プライマリケアへ24時間アクセスが可能である[22]。登録したGPへの受診の場合は、患者に自己負担は生じない[22][18]。制度はデンマークの地方行政区画(レギオナ)レベルにて地方分権的に運営されており、原資の大部分が地方自治体の税収であり、医療は自治体行政の最重要政策の一つである[18]。保健サービスは中央政府および自治体レベルの両方で課税される国民保健税(Health income tax, de:sundhedsbidrag)を主な原資としており、レギオナレベルでは課税権を持たない。
成人肥満率は13.4%(2009年)でOECD中下位グループである[22]。健康増進のために、食品に含まれる飽和脂肪酸の量に応じた課税制度(脂肪税)の導入が2010年から行われたが食習慣に変化は見られず、2012年には廃止された[23]。
課題としては、医師・看護師の給料が低いことから、医療従事者の慢性的不足に悩んでいる。EU諸国やインドから医師や看護師を呼び寄せているが、診察や手術の予約待ちは数か月に及ぶことが普通。そのため、ガン患者などは中国やインドで治療するケースが最近急増している。また、歯科は補助が出るだけで、治療費はかなりの高額になる。そのため、隣国のドイツやポーランドで治療を行う患者が非常に多い。
国民
デンマークはデンマーク人による単一民族国家であり、2009年の統計によると全人口の90.5%を占める。残りの9.5%、526,000人を移民とその子孫が占める。ヨーロッパの先進国の中でも最も民族・宗教ともに単一の福祉国家でるが、中東を中心とする移民をデンマーク社会に溶け込ませるかで長年苦慮している[24]。
移民制度
アジア、中東からの急激な移民増加を受けて社会問題が発生した影響で、欧州一とも言われる厳格な移民法が成立して施行されている。現在、デンマークへの新規移住は不可能ではないが難易度が高いとされる。婚姻による移住も厳しい審査が実施され、居住許可が下りないことも多い。また、24歳以下、60歳以上の国際結婚カップルには居住ビザが原則として発給されない。永住権の申請はデンマーク在住7年後から可能だが、7年間の間に1回でも移民統合省が設定する基準や条件を満たさなかった場合はノーカウントとなり、1年目からのやり直しとなる。今後変わる可能性があるが、現時点では仕事やデンマーク社会への参加度により3年または5年で永住権を申請できる。デンマーク人と結婚する場合、婚姻ビザを申請する前にデンマークの首都・コペンハーゲン郊外のブロンビューにある「Vestegnens Sprog- og Kompetencecenter」でデンマークに関するテストを受けて、合格しなければ配偶者ビザ発給自体を認めない法律が2010年から施行された。また、2010年5月から結婚等でデンマークに居住する者への永住権発給も、通算滞在期間の半分の就労期間、1年間の社会奉仕活動、最高度のデンマーク語試験への合格が義務付けられた。未だに寛容な受け入れ対策するスウェーデンと違い、ノルウェーやフィンランドと同様に安易な移民受け入れに反対する政党が政権へ影響力を持っている[25]。2018年5月28日にデンマーク政府はイスラム教徒の移民に、デンマークの伝統、クリスマス、イースターなどキリスト教の休日を教育を受けること義務付け、義務を果たさない親には児童手当の支給が停止する政策を決めた[26]。
文化
子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園も、それを模したものが岡山県の倉敷市に倉敷チボリ公園として日本国内にも存在していた(2008年12月31日に閉園)。
今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。日本の東海大学も、その出発点はこのフォルケホイスコーレをモデルにして発足している。
食文化
映画
音楽
- ヴォルビート
- キング・ダイアモンド
- ディジー・ミズ・リジー
- ティム・クリステンセン
- ブルー・ファウンデーション
- マーシフル・フェイト
- ミュー
- ロイヤル・ハント
- Under Byen
- The Kissaway Trail
- The Broken Beats
- Kashmir
- The Raveonettes
- Figurines
- Oh No Ono
- Ghost Society
- When Saints Go Machine
- Iceage
- Shout Wellington Air Force
- Diefenbach
- Choir of Young Believers
- Speaker Bite Me
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Nytårsdag | |
復活祭前の木曜日 | 聖木曜日 | Skærtorsdag | |
復活祭前の金曜日 | 聖金曜日 | Langfredag | |
3月/4月 | 復活祭 | Langfredag | |
復活祭翌日 | イースターマンデー | 2. Påskedag | |
復活祭後第4金曜日 | 一般礼拝日 | Store Bededag | 大きくはないキリスト教徒の聖日の集まりを1日にまとめた日 |
復活祭40日後 | キリストの昇天 | Kristi Himmelfartsdag |
|
復活祭7週間後 | ペンテコステ | Pinsedag | 日曜日。デンマーク人は聖霊降臨祭の2日間を祝う |
復活祭7週間1日後 | ウイットマンデー | 2. Pinsedag | 月曜日。デンマーク人は聖霊降臨祭の2日間を祝う |
12月25日 | クリスマス初日 | Juledag / 1. juledag | デンマーク人は初めに12月24日の晩から始まるクリスマスの3日間を祝う |
12月26日 | クリスマス第2日 | 2. juledag |
スポーツ
スポーツではサッカーが盛んで、代表は1992年欧州選手権で優勝している。日本の川口能活は一時期、デンマークのサッカークラブノアシェランに所属していた。2010 FIFAワールドカップのグループリーグにおける日本の対戦国でもあり、2002 FIFAワールドカップでデンマーク代表のキャンプ地となった和歌山県和歌山市ではデンマークを応援する「和歌山ローリガンズ」が存在する。
また伝統的に自転車競技が盛んで、ロードレースにおいてUCIプロツアーチームでビャルヌ・リース率いるチーム・サクソバンクはデンマークを本拠としているチームである。そのほか、セーリングの強豪国でもある。
陸上競技800m世界記録保持者であるウィルソン・キプケテルも、ケニアからデンマークに移籍後に実績を残した選手である。
結婚
1980年に、婚姻の際に夫婦同姓と夫婦別姓の選択が可能なように法改正された。 1989年に、同性カップルにも婚姻と同等の権利義務関係を認める世界初の同性パートナーシップ制度を創設した。 また、2012年からは、同性同士の結婚(同性婚)が認められるようになった。
著名な出身者
- ピア・クラスゴー(右翼政治家・政党党首)
- ニコラス・ペタス(空手家・格闘家)
- ピーター・ゲード(プロバドミントン選手)
- トム・クリステンセン(レーサー)
- ビャルヌ・リース(自転車選手)
- ハンス・クリスチャン・アンデルセン (文学者)
- セーレン・キェルケゴール (哲学者)
- イエンス・ペーター・ヤコブセン(詩人・作家)
- ニコライ・グルントヴィ (詩人・教育者)
- ビャーネ・ストロヴストルップ (情報科学者)
- マッツ・ミケルセン(俳優・第65回カンヌ国際映画祭 男優賞)
- カール・ニールセン(作曲家)
- ルーズ・ランゴー(作曲家)
- カレン・ブリクセン(作家)
- ニルス・ゲーゼ(作曲家)
- ヴァン・ホルンボー(作曲家)
- ラース・フォン・トリアー (映画監督)
- ニールス・ボーア(物理学者・量子力学の祖 アメリカへ亡命)
- アルネ・ヤコブセン(アーネ・ヤコブセン)(建築家)
- オーレ・レーマー(物理学者・光の速度を世界で初めて測定)
- ハンス・クリスチャン・エルステッド(物理学者・電磁気の発見者)
- イエスタ・エスピン=アンデルセン(社会学者、福祉レジーム論提唱者)
- オーレ・キアク・クリスチャンセン(レゴ社創業者)
- ラーズ・ウルリッヒ(ミュージシャン・メタリカのドラマー)
- ティコ・ブラーエ(天文学者・超新星の発見者)
- インゲ・レーマン(地学地震学者・地球の内核と外核を区分けるレーマン不連続面の発見者)
- カスパー・バルトリン(医学・解剖学者)
- アイナー・ヘルツシュプルング(天文学者・ヘルツシュプルング・ラッセル図表の考案者)
- ディートリヒ・ブクステフーデ(音楽家)
- ピーター・シュマイケル(サッカー選手)
- ミカエル・ラウドルップ(サッカー選手)
- ブライアン・ラウドルップ(サッカー選手)
- ヨン・ダール・トマソン(サッカー選手)
- イェスパー・グレンケア(サッカー選手)
- ダニエル・アッゲル(サッカー選手)
- ニクラス・ベントナー(サッカー選手)
- ヴィトゥス・ベーリング(探検家)
- ヘレナ・クリステンセン(モデル)
- クリスティアン・コングスガード(卓球選手)
- モーテン・ラスムセン(卓球選手)
- ミッケル・ケスラー(ボクシング選手)
- キャロライン・ウォズニアッキ(女子プロテニス選手)
脚注
- ↑ ユーラシア大陸にジブラルタルを領有するほか、南極大陸の一部について領有権を主張している。
- ↑ “大辞林 第三版の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.
- ↑ “デンマーク政権交代”. 東京新聞 (中日新聞社). (2011年9月16日) . 2011閲覧.
- ↑ NHK「地球ラジオ」(2010年7月24日放送)「世界まるごと質問箱」
- ↑ 2017年日本・デンマーク外交樹立150周年 在デンマーク日本大使館
- ↑ 久米邦武 編『米欧回覧実記・4』田中彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、133〜155頁
- ↑ “参議院会議録情報 第26回国会 運輸委員会 第3号”. 参議院 (1957年2月19日). . 2012閲覧.
- ↑ デンマーク基礎データ - 外務省
- ↑ 平成10年6月2日(火) デンマーク女王陛下及び王配殿下主催晩餐会(フレーデンスボー宮殿)における天皇陛下のご答辞宮内庁ウェブサイト
- ↑ 新谷俊裕「Danmark er et fladt land」(デンマークは平らな国)/ 村井誠人編著『デンマークを知るための68章』明石書店 2009年 24ページ
- ↑ 「デンマーク」外務省
- ↑ 「1.2 名目GDP(国内総生産)及び一人当たりGNI(国民総所得)順位」外務省
- ↑ 『鉱業便覧平成14年版』、経済産業調査会、2003年、ISBN 4-8065-1659-7
- ↑ デンマークの鉱区は、Energi Styrelsen (Danish Energy Authority webサイト ) の管理下におかれた。
- ↑ 北嶋守「デンマークにおける風力発電機の普及と産業化のプロセス (PDF) 」 、『機械経済研究』第39巻、機械振興協会、2008年3月。
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- ↑ “Denmark to abolish tax on high-fat foods”. BBC News. (2012年11月11日) . 2012閲覧.
- ↑ [2]
- ↑ 「北欧諸国への難民申請者数が減少、最も激減したのはノルウェー。ポピュリズム効果?」
- ↑ [3]
参考文献
- 山岡規雄「デンマーク憲法概説」、『レファレンス』第59巻第2号、国立国会図書館調査及び立法考査局、2009年2月、 49-59頁、 NAID 40016478434。
関連項目
- デンマーク関係記事の一覧
- デンマーク大百科事典
- デンマーク王国
- デンマーク王国共同体
- カルマル同盟
- エーレスンド橋
- レゴ
- 安城市 - 「日本デンマーク」と呼ばれる。また、デンパークという農業公園がある。
外部リンク
- 政府
- デンマーク王国公式ウェブサイト (英語)
- デンマーク王国王室 (デンマーク語)(英語)
- デンマーク大使館 (日本語)
- (日本語)
- 観光
- デンマーク政府観光局 (デンマーク語)(英語)
- スカンジナビア政府観光局 - デンマーク (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - デンマーク (日本語)
- 在デンマーク日本国大使館 (日本語)
- その他