北京条約
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北京条約(ペキンじょうやく、Convention of Peking)
中国の北京で締結された条約は数多く,通称として北京条約 (協定) と呼ばれるものがいくつかあるが,通常は 1860年 (清,咸豊 10年) アロー戦争終結のため,清朝とイギリス,フランス,ロシアとの間に結ばれたそれぞれの条約をいう。清朝=イギリス間の条約は,同年 10月恭親王奕訢とエルギン伯の間に調印されたもので,清朝は 58年の天津条約を確認したうえ,(1) 賠償金を 400万両から 800万両に増額,(2) 新たに天津の開港を追加,(3) イギリスに九竜半島を割譲するなどを認めた。清朝=フランス (全権 J.グロ) との条約もほぼ同様である (賠償金は 200万両から 800万両へ)。またロシア公使 N.イグナチェフは,清朝とイギリス,フランス間の講和を斡旋した代償として,同年の愛琿条約に追加,修正を加え,ウスリー川以東の沿海州を割譲させ,庫倫 (現ウラーンバートル) ,張家口での貿易を認めさせた。