フロンティア
フロンティア(frontier)とは、「最前線の」という意味であるが、別の意味としては「新天地の」として表現される。
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アメリカ合衆国
西部開拓時代と「フロンティア」の小説
アメリカ合衆国の国勢調査局は、一平方マイルにつき人口(先住民は除く)が二人以上六人以下の地域をフロンティアと定めていた。この地帯の外辺がフロンティア・ラインである。白人入植者によるインディアンに対する征服が進むとともに、フロンティア・ラインは西部に漸次移動していき、1890年の国勢調査局長が、フロンティア・ラインと呼べるものがなくなったことを国勢調査報告書に記載した。これが「フロンティアの消滅」である。このフロンティア消滅をうけて、歴史家のフレデリック・ターナーは、フロンティアと合衆国の民主主義・国民性を関連づけて述べた(フロンティア学説)。
アメリカの言う「フロンティア」とは実際には「インディアンの掃討の最前線」であり、スー族に対する「ウーンデッド・ニーの虐殺」があった1890年に「インディアンの掃討が完了した。」としてアメリカ政府は「フロンティアの消滅」とした。「フロンティアの消滅」と前後して、アメリカ合衆国は太平洋進出を始めていく。「アメリカ合衆国国民以外にはアメリカ合衆国憲法は適用されないのだから、アメリカ合衆国はアメリカ合衆国国民以外には人権を保障しない」という考え方は先住民掃討から現在まで続いている。
ジョン・F・ケネディの「ニューフロンティア」
1960年7月15日、アメリカ大統領選挙に向けてカリフォルニア州ロサンゼルスのロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにおいて行われた民主党の党大会において、大統領候補に指名された上院議員のジョン・F・ケネディが演説を行い、戦争や偏見、貧困といったアメリカが抱えた諸問題に取り組む意味での「ニューフロンティア」を掲げた。
その後のフロンティア
2001年からのアフガニスタン攻撃のときにはアメリカは「パキスタンが自由主義のフロンティア」としていた。
「開拓」(インディアンにとっては蹂躙・虐殺)が盛んな時代にあっては、開拓の最前線を指し、そこでは過酷な環境から、往々にして社会道徳が低下する半面、白人入植者の間では相互扶助等の精神的な結束力が強まる傾向にあった。
銃とフロンティア
アメリカなどではフロンティアスピリットと切っても切れない関係にあるのがガンマンで、元々は牧童や自警組織の構成員を指すが、より広義に「銃を持っている人」もこう呼ばれる。
銃は危険な獣や暴漢、更には紛争調停手段として用いられた訳だが、逆に強奪の道具としても利用された経緯を持つ。米国の銃禍は開拓時代に大量に出まわった拳銃やライフル銃が、今日に至るまで野放しになっている部分に負う所が大きく、悪漢が銃で武装するために、それから身を守るべく市民が銃を持ち、それらから何かを奪うために悪漢が銃に頼るという無限連鎖の中で、「国民の銃を持つ権利」に疑問の声も挙がっているものの、それらの銃が現実に破棄される事は、恐らく当分の間は起こらないであろう。