下関市

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ファイル:Shimonoseki-city.jpg
火の山から下関市中心部を望む

下関市(しものせきし)は、山口県西部に位置する中核市

Contents

概要

ファイル:Central Shimonoseki and Kanmon Strait.JPG
海峡ゆめタワーから下関市中心部と関門海峡を望む(中央部に見えるのは関門橋、右上は北九州市門司区)

本州の最西端に位置し、古くから関門海峡北岸に面する港湾都市として栄えたこともあって、その人口規模は県庁所在地の山口市を凌ぎ、中国地方でも広島市岡山市倉敷市福山市に次ぐ5番目の人口規模の都市である。

中心部の下関港周辺は、古くは「赤間関」(あかまがせき・あかませき)と呼ばれており(対岸の門司は「もじがせき」と呼ばれていた)、これを赤馬関(あかまがせき)とも書いたことから、これを略した「馬関」(ばかん)という別名も用いられた(例えば、昔は下関駅を馬関駅と言い、今でも馬関祭りが毎年開催されている)。(朝鮮半島や中国大陸へ渡る為の関釜連絡船が下関から唯一出ていたために、半島へ行くには下関まで行くのが最も早く到着する方法だった)。

1878年(明治11年)郡区町村編制法により、東京15区、大阪4区、京都2区、以下1区ずつで名古屋、横浜、堺などと共に赤間関区(あかまがせきく)が置かれたことに始まり、1889年(明治22年)4月1日の市制施行時には、日本で最初に市制を施行された31市の1つ(山口県で唯一)として赤間関市発足。1902年(明治35年)6月1日に現在の市名である『下関市』となった。現在の市制は2代目で、2005年(平成17年)2月13日下関広域都市圏を構成していた(旧)下関市と豊浦郡の4町(菊川町豊田町豊浦町豊北町)の計1市4町が合併(新設合併)して、新たに発足したものである。合併時直近の国勢調査(2000年10月)に基づく旧1市4町の人口の合計が301,097人[1]と、中核市移行の基準である30万人を越えていたため、合併同年の2005年(平成17年)10月1日に中核市の指定を受けた[2](現在の中核市の基準は法定人口が20万人以上)。ただし、合併以来実際の人口が30万人を超えたことがなく(2005年の国勢調査時点では290,693人[1])、現在の人口は26万人あまりである。

現在も経済面でも山口県西部(長門国)の中心的都市であり、2016年の市内総生産は9174億85百万円で県内1位である[3]。下関市に本社、あるいは営業拠点を置く企業も少なくなく、中国・四国地方最大の金融グループである山口フィナンシャルグループ(山口FG)および傘下の山口銀行、山口県下最大(中国地方3位)の信用金庫である西中国信用金庫、山口県内一円を営業エリアとする一般ガス事業者の山口合同ガス、地方紙「山口新聞」や水産食品専門紙「みなと新聞」を発行するみなと山口合同新聞社が本社を置いている。また日本銀行も山口市ではなく下関市に日銀支店(日本銀行下関支店)を置いている。一方で、関門海峡対岸に位置する北九州市をはじめとする北部九州地域との交流も深く、下関市は北九州市とともに関門都市圏を形成している(詳細は後述)。

地理・人口

地勢

山口県の最西端かつ本州の最西端に位置する。関門海峡を挟んで西を日本海響灘)、南を瀬戸内海周防灘)に接する。周防灘に注ぐ木屋川や響灘に注ぐ綾羅木川などの河口付近に形成されている沖積平野部を除くと、稜線が海岸ぎりぎりまで接近する地形となっており、特に旧市街では平地が少ない。旧郡部ではいくつかの盆地が点在し、それぞれの盆地で集落を形成している。市内に位置する主な山としては、関門海峡に面し観光スポットにもなっている火の山山陽小野田市の火の山とは異なる)、航空通信施設などのある華山、あるいは狗留孫山(くるそんざん)などがある。人の住む島としては、関門海峡に面した彦島、響灘に浮かぶ角島蓋井島六連島がある。

気候

気候は複雑で日本海側気候瀬戸内海式気候太平洋側気候の境界に当たる。冬は北西の季節風の影響で曇天が多く、の降る日もある。降雪量は少ない。

三方(西・南・東)をに囲まれ、響灘を流れる対馬海流の影響もあり、旧市内及び響灘沿岸日較差(日最高気温と日最低気温の差)は小さく、夏は山口県の他の地域に比べるとそれほど高温にならず、冬も低温にならない為、温暖で過ごしやすい地域と言える。しかし、豊田町や菊川町など山沿いの内陸部では寒暖の差は大きい。[4]

下関地方気象台(下関市竹崎町、標高3m)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 19.1(66.4) 22.9(73.2) 26.2(79.2) 29.7(85.5) 30.9(87.6) 33.7(92.7) 36.2(97.2) 37.0(98.6) 35.0(95) 29.5(85.1) 26.9(80.4) 20.5(68.9) 37.0(98.6)
平均最高気温 °C (°F) 9.4(48.9) 10.1(50.2) 13.1(55.6) 18.0(64.4) 22.1(71.8) 25.5(77.9) 29.4(84.9) 30.9(87.6) 27.5(81.5) 22.6(72.7) 17.2(63) 12.2(54) 19.83(67.7)
日平均気温 °C (°F) 6.9(44.4) 7.2(45) 9.9(49.8) 14.5(58.1) 18.6(65.5) 22.3(72.1) 26.3(79.3) 27.6(81.7) 24.4(75.9) 19.4(66.9) 14.2(57.6) 9.4(48.9) 16.73(62.11)
平均最低気温 °C (°F) 4.5(40.1) 4.6(40.3) 7.0(44.6) 11.4(52.5) 15.8(60.4) 19.9(67.8) 24.0(75.2) 25.4(77.7) 22.0(71.6) 16.6(61.9) 11.5(52.7) 6.9(44.4) 14.13(57.44)
最低気温記録 °C (°F) -6.3(20.7) -6.5(20.3) -5.5(22.1) 0.5(32.9) 6.5(43.7) 9.5(49.1) 15.1(59.2) 17.5(63.5) 12.8(55) 5.9(42.6) 0.7(33.3) -4.6(23.7) -6.5(20.3)
降水量 mm (inches) 75.5(2.972) 81.2(3.197) 128.4(5.055) 135.5(5.335) 165.5(6.516) 274.8(10.819) 287.1(11.303) 153.3(6.035) 173.9(6.846) 70.3(2.768) 78.8(3.102) 60.2(2.37) 1,684.5(66.319)
降雪量 cm (inches) 2(0.8) 1(0.4) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 0(0) 4(1.6)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 9.7 8.7 11.0 9.5 9.1 11.1 10.3 8.3 8.9 6.2 8.1 8.4 109.3
日照時間 96.6 114.2 154.7 185.9 200.3 154.6 175.1 209.5 162.2 177.7 134.8 110.0 1,875.6
出典: 気象庁
豊田(下関市豊田町大字稲光字土橋、標高40m)の気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 8.4(47.1) 9.5(49.1) 12.9(55.2) 18.4(65.1) 22.8(73) 25.9(78.6) 29.3(84.7) 30.6(87.1) 27.0(80.6) 22.1(71.8) 16.5(61.7) 11.3(52.3) 19.56(67.21)
日平均気温 °C (°F) 3.3(37.9) 4.7(40.5) 7.1(44.8) 12.2(54) 16.9(62.4) 21.0(69.8) 24.9(76.8) 25.6(78.1) 21.7(71.1) 15.6(60.1) 10.1(50.2) 5.3(41.5) 14.03(57.26)
平均最低気温 °C (°F) -1.4(29.5) -1.1(30) 1.4(34.5) 5.8(42.4) 11.0(51.8) 16.5(61.7) 21.2(70.2) 21.7(71.1) 17.4(63.3) 10.2(50.4) 4.7(40.5) 0.3(32.5) 8.98(48.16)
降水量 mm (inches) 90.6(3.567) 91.1(3.587) 147.2(5.795) 157.4(6.197) 194.1(7.642) 299.3(11.783) 338.0(13.307) 160.1(6.303) 193.8(7.63) 84.9(3.343) 87.9(3.461) 73.6(2.898) 1,918(75.512)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 11.8 10.7 12.5 10.3 10.4 11.9 11.7 9.4 10.6 7.9 9.7 10.9 127.8
日照時間 89.7 109.6 139.9 178.3 193.4 144.3 153.3 185.3 148.3 163.9 126.6 106.3 1,738.9
出典: 気象庁

交通の要衝

下関は山陽道山陰道の結節点にあたり、さらには関門海峡を挟んで九州と対峙する位置にあったこと、大陸の玄関口であったことより、古来より陸と海における交通の要衝であり続けた。陸路の例として、山陽道(西国街道)の終点であったことや現在の国道9号の終点であること、また国道191号及び国道491号の起点であること。海路の例として、近世に北前船西廻り航路)の経由地であったことや、現在、下関港国際拠点港湾および中枢国際港湾、日本海側拠点港湾、総合的拠点港湾に、下関漁港特定第3種漁港にそれぞれ指定されていることなどが挙げられる。

交通の要衝であることは、国土防衛上重要な地点であることも意味する。明治期から終戦にいたるまで、下関から門司にいたる関門海峡沿岸一帯が西日本最大と言われた要塞地帯である下関要塞地帯に指定され、写真撮影や地図作成などが厳しく制限された。現在も市内各所に当時の標柱や砲台跡など、要塞地帯の遺構が残っている。

戦前は、関釜連絡船就航によって中国本土や朝鮮半島への玄関口として活況を呈した。終戦時に下関港が在日韓国・朝鮮人送還の主要な出発港の一つになったこともあり、また、現在、日本で唯一毎日運航されている貨客国際航路である関釜フェリーの存在により、現在では市内全域に多くの韓国・朝鮮系住民が居住し、とくに下関駅北側グリーンモール商店街一帯は事実上コリア・タウンとなっている。現在、国際定期旅客航路としては、前述の関釜フェリー(韓国釜山行)などが就航している(詳しくは#交通の欄参照)。

関門都市圏の一角

下関市は、関門海峡の対岸に位置する北九州市とともに本州九州の接点として発達してきた。両市が中心となって形成される都市圏関門都市圏とも呼ばれる。両市の経済面および文化的な繋がりは極めて深く、観光や行政サービスなどで両市の交流が盛んなほか、買い物・娯楽・通勤通学・交通機関利用(小倉駅北九州空港)等を目的とした両市間の人の流れが日常的にある。ゆえに北九州市小倉の商業・娯楽施設の動向が、下関市内にある同施設の経営戦略に大きな影響を与えている。

人口

下関市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体・行政区

歴史

古くより九州中国朝鮮半島といったアジア大陸からの本州の玄関口として栄えた。また日本史における数々の重要な出来事に関係している都市でもある。

「下関」の名称の初見は869年貞観11年)[5] であるのに対し、「赤間関」の名称の初見は1185年元暦2年)である[6]。ただし、これを関所の名称[7] と捉え、「あかま(赤間[8]・赤馬[9])」が地名であると解すると平安時代まで遡ることができる。いずれにしても鎌倉時代に「赤間関」という呼び名が成立し、付属する港湾や関門海峡長門国側を指す広域地名、更には対岸の豊前国門司関を含めた関門海峡全体の別名としても用いられた[10]

元寇をきっかけに赤間関を防衛するために長門守護は長門探題とされて北条氏一門が任ぜられた。北条氏が滅びると長門の御家人であった厚東氏が長門守護とされるが、南北朝の内乱の中で周防国の在庁官人・御家人であった大内氏が南朝方として周防・長門両国を征服、後に北朝方に離反して室町幕府から両国の守護、更に対岸の豊前国の守護にも任ぜられて赤間関を含めた関門海峡両岸を大内氏が支配する体制が16世紀中期まで200年近く続くことになる。大内氏は赤間関に代官を設置して直接管理し、港湾の管理・関銭や帆別銭の徴収・朝鮮などの外交使節への応対などにあたった[11]

特に外国からの船舶が東へと向かうためには必ず赤間関に立ち寄って瀬戸内海を経由して京都方面に向かうことになり、朝鮮通信使(朝鮮の使節)が博多に寄らずに直接赤間関を目指した例もある。また、室町幕府が派遣した遣明船の往復の際にも必ず赤間関に立ち寄り、帰国時には赤間関から京都へ使者が送られていた。遣明船の記録でも、往路は寧波到着時に日本の年号から明の年号に改め、帰路は赤間関到着時に日本の年号に戻す慣例[12] があった[13]。また、16世紀に大内氏が日明貿易を独占すると遣明船から抽分銭を徴収する抽分司官が赤間関に置かれた他、明の朝廷に献上する貢物や輸出品を保管する倉庫も設置され[14]、朝鮮などの外国人も居住していた[15]


戦国時代まで

弥生時代には既に現在の下関市域には集落が複数存在しており、綾羅木郷遺跡川中地区)、土井ヶ浜遺跡(現在の豊北地区)などに当時の遺構が現在も残る。

江戸時代

明治から第二次大戦まで

第二次大戦後

行政区域の変遷

  • 1889年明治22年)4月1日 - 市制の施行により、赤間関区の一部(六連島彦島を除く)の区域、23町1村をもって赤間関市(あかまがせきし)が発足。日本で最初に市制施行した31市の中の一つとなる。
  • 赤間関市概要[16]
    • 市制施行時人口 26,556人
    • 世帯数 5988世帯(明治22年12月31日)
    • 1世帯当り人口 5.13人
    • 面積 5.362k㎡
    • 人口密度 5732.7人/k㎡


産業

港湾都市として栄えたこともあり、古くから海運や貿易および金融に関連した産業が盛んであった。詳しくは#概要参照。

企業

ファイル:Yamaguchi Bank main office.JPG
山口フィナンシャルグループ本社が入居する山口銀行本店ビル
下関市に本社・本部を置く主な企業・組織


下関市に主力拠点を置く主な企業


下関が発祥の地である主な企業

水産業

第一次産業では主に水産業が盛んで、以前は捕鯨が主であった。現在も下関は「近代捕鯨発祥の地」である上、全国有数の商業捕鯨基地であり、現在も調査捕鯨の基地である。現在はフグの水揚げ高が全国の8割を占め、水揚げ高は全国1位であり、市内にはふぐ専用の魚市場の南風泊(はえどまり)魚市場を構える(参照、下関とふく)。また最近になり、アンコウの水揚げ高も日本一であることがわかり、下関の新たな名物としてPR活動を行っている。

市内には、一般人にも開放された唐戸市場、ふぐ専用の卸売市場である南風泊市場、特定第3種漁港下関漁港にある下関漁港市場、旧豊北町にある特牛市場などの水産物部門の卸売市場がある。

主な港湾

下関市発祥のもの

行政

市長

  • 第1代:江島潔(2005年3月27日 - 2009年3月26日) - 旧市長を1995年から2005年まで連続3期務める
  • 第2代:中尾友昭(2009年3月27日 - 2017年3月26日)
  • 第3代:前田晋太郎(2017年3月27日 - 現職)

歴代市長[18]

市長名 任期 任期数
旧下関市長(官選)
伊藤房次郎 1889年(明治22年)4月28日 - 1891年(明治24年)7月19日 1
2 石川良平 1891年(明治24年)8月9日 - 1892年(明治25年)8月 1
3 内田一心 1892年(明治25年)8月 - 1896年(明治29年)2月 1
4 高洲素介 1896年(明治29年)2月 - 1899年(明治32年)3月 1
5 - 6 原勝一 1899年(明治32年)4月 - 1906年(明治39年)8月17日 2
7 白上俊一 1906年(明治39年)10月9日 - 1910年(明治43年)5月27日 1
8 小林重威 1910年(明治43年)10月5日 - 1913年(大正2年)11月15日 1
9 青木良雄 1914年(大正3年)7月7日 - 1917年(大正6年)5月29日 1
10 不破彦麿 1917年(大正6年)10月9日 - 1919年(大正8年)9月2日 1
11 李家隆介 1919年(大正8年)10月 - 1921年(大正10年)2月 1
12 - 13 山崎林太郎 1922年(大正11年)8月 - 1927年(昭和2年)1月 2
14 浮田茂太郎 1927年(昭和2年)1月26日 - 1931年(昭和6年)1月 1
15 - 18 松井信助 1931年(昭和6年)1月16日 - 1946年(昭和21年)2月 4
19 松尾守治 1946年(昭和21年)3月 - 1
旧下関市長(公選)
20 松尾守治 1947年(昭和22年)4月 - 1951年(昭和26年)3月 1
21 - 23 福田泰三 1951年(昭和26年)5月10日 - 1963年(昭和38年)4月 3
24 木下友敬 1963年(昭和38年)5月2日 - 1967年(昭和42年)4月29日 1
25 - 27 井川克巳 1967年(昭和42年)4月30日 - 1979年(昭和54年)4月29日 3
28 - 30 泉田芳次 1979年(昭和54年)4月30日 - 1991年(平成3年)4月29日 3
31 亀田博 1991年(平成3年)4月30日 - 1995年(平成7年)4月29日 1
32 - 34 江島潔 1995年(平成7年)4月30日 - 2005年(平成17年)2月12日 3
下関市長
江島潔 2005年(平成17年)3月27日 - 2009年(平成21年)3月26日 1
2 - 3 中尾友昭 2009年(平成21年)3月27日 - 2017年(平成29年)3月26日 2
4 前田晋太郎 2017年(平成29年)3月27日 - 現職 1

市長選挙

・2017年3月12日執行[19]

※当日有権者数:225,864[20]人 最終投票率:47.09%(前回比:+5.05ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
前田晋太郎40自由民主党48,896票46.39%
中尾友昭67無所属45,546票43.21%
松村正剛63無所属10,958票10.40%

・2013年3月10日執行[21]

※当日有権者数:229,011人 最終投票率:42.04%(前回比:-11.43ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中尾友昭63無所属55,383票58.27%
西本健治郎36無所属39,656票41.73%

・2009年3月15日執行[22]

※当日有権者数:234,585人 最終投票率:53.47%(前回比:+4.17ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中尾友昭59無所属62,964票50.75%
友田有51無所属40,706票32.81%
香川昌則45無所属20,401票16.44%

・2005年3月27日執行[23]

※当日有権者数:238,549人 最終投票率:49.30%(前回比:ポイント)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
江島潔47無所属45,938票39.52%
中尾友昭55無所属43,468票37.39%
松原守62無所属26,838票23.09%

市役所

唐戸に隣接する南部町(なべちょう)に本庁を置くほか、2005年(平成17年)の合併前の旧郡部の各町に総合支所(4箇所)、旧下関市内に12支所、総合支所管内に11支所を配する。また、3つのサテライトオフィスと1つの事務所(東京事務所)、上田中町に下関市役所上田中町庁舎を置いている。

2004年の広域合併以降、市庁舎の位置を巡って紆余曲折が見られる。市長選挙でも度々、市役所移転問題(市役所を現在の位置のままにするか、新下関に移転するか)が取り上げられたが、結局は唐戸地区のままである。

地域区分

市役所本庁、総合支所、支所(総合支所内のものを除く)の所管する地域として、17の地区がある。

各地区の名称は、本庁の所管する区域は「本庁地区」、〇〇(総合)支所の所管する区域は「〇〇地区」と呼ばれる。

本庁地区の領域は市制施行(1889年)当初のものに旧生野町(1921年編入合併)を合わせたものである。そのほかの地区の領域は、概して、下関市への編入合併 (1933年(昭和8年)彦島 - 1955年(昭和30年)内日) や下関市との新設合併 (2005年(平成17年))によって消滅した各町村(旧豊浦郡や旧厚狭郡に属していた) の領域を引き継ぐものである。(本庁地区以外の領域の詳細は、支所設置条例 および 総合支所設置条例 を参照。)

立法

市議会

会派構成(2015年2月26日現在)
会派名 議員数
志誠会 13
創世下関 6
公明党市議団 5
市民連合 4
日本共産党下関市議団 4
無所属 2

山口県議会(下関市選挙区)

  • 定数:9名
  • 任期:2015年(平成27年)5月11日~2019年(平成31年)5月10日
議員名 会派名 備考
西本健治郎 自由民主党
塩満久雄 自由民主党
友田有 自由民主党
先城憲尚 公明党
曽田聡 公明党
平岡望 自由民主党
高瀬利也 自由民主党
木佐木大助 日本共産党
林哲也 自由民主党

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
山口県第4区(下関市、長門市 安倍晋三 自由民主党 9 選挙区

公共サービス

警察

現在市内には、下関警察署長府警察署小串警察署の3つの警察署と彦島幹部交番(旧彦島警察署)、豊田幹部交番(旧豊田警察署)の2つの幹部交番がある。各警察署の管轄区域は以下のとおり。

  • 下関警察署:本庁地区、川中地区、安岡地区、吉見地区、勝山地区、彦島地区
  • 長府警察署:長府地区、王司地区、清末地区、小月地区、王喜地区、吉田地区、内日地区、菊川地区、豊田地区
  • 小串警察署:豊浦地区、豊北地区

消防

消防業務は下関市消防局が行っている。現在市内には、中央消防署・北消防署・西消防署・東消防署・豊浦西消防署・豊浦東消防署の6つの消防署がある。各消防署の管轄区域は以下のとおり。

  • 中央消防署 :本庁地区(山の田を除く)
  • 北消防署:本庁地区の山の田、川中地区、安岡地区、吉見地区
  • 西消防署:彦島地区
  • 東消防署:長府地区、王司地区、清末地区、小月地区、王喜地区、吉田地区、勝山地区、内日地区
  • 豊浦西消防署:豊浦地区、豊北地区
  • 豊浦東消防署:豊田地区、菊川地区

医療

かつて二次救急を担う4医療機関はすべて本庁地区に所在していたが、2005年4月に済生会が安岡地区へ、2009年4月に関門医療センターが長府地区へ移転したため、救急指定病院の集中度が緩和された。それでも、4医療機関のすべてが旧市部に所在する状況は変わらず、旧郡部からの移動が1時間を超える地域もあるため、救急医療体制や交通網のさらなる充実が課題となっている(ただし、旧郡部の北側では、長門市の二次救急医療機関を利用するほうが少ない移動時間で済む場合がある。)。

主な社会・文化施設

ホール
美術館博物館
図書館
中央図書館、長府図書館、彦島図書館、菊川図書館、豊田図書館、豊浦図書館、豊北図書室の7図書館(室)と移動図書館がある。
また、北九州市との協定で、下関市民は北九州市立図書関連施設(19施設)の貸出利用が可能。 このほか、 一般公開している学校図書館下関中等教育学校) もある。
スポーツ施設

駐日外国公館

  • 在下関大韓民国名誉総領事館(東駅

国の行政機関

主な商業施設

ファイル:Shimonoseki Station Area.JPG
海峡ゆめタワーからみたJR下関駅周辺
下関駅周辺・細江町
彦島
唐戸
東駅山の田

(椋野町のゆめマートとは異なる)

長府小月
マックスバリュナフコ、数軒の専門店で構成されており、一般的に言われる大規模なイオンSCではない)
  • 長府商店街(鳥居前、乃木さん通り、金屋通り)
  • トライアル
勝山(新下関)
川中(綾羅木)安岡
豊浦町
  • マーレとようら
  • 川棚サンパル
椋野
  • ゆめモール下関

観光

観光地

旧下関市街地では幕末前後から明治・大正時代にかけての歴史遺産を整備した名所旧跡や歴史的建築物(洋館、神社仏閣など)が多数存在するほか、城下町の長府地区には由緒ある神社仏閣や武家屋敷などが集まっている。また関門海峡沿いには観光施設が複数建設されており、対岸の門司港レトロ地区(北九州市)と併せた周遊ルートとして多くの観光客で賑わう。下関市は山口県のなかで、最も観光客数が多く、2017年の観光客数はおよそ705万5千人である。海外からのクルーズ船も多く、2017年の下関港湾局統計によると、クルーズ船が57回帰港している。 また、旧4町では「角島大橋」のある角島、「瓦そば」が名物の川棚温泉石柱渓、本州最西端の地である毘沙ノ鼻などの自然景観を生かした観光地が中心となる。

本庁地区・彦島

ファイル:Takezaki shimonoseki.jpg
竹崎町4丁目(JR下関駅付近)
ファイル:Route9 Ends Shimonoseki stn.JPG
国道9号終点の下関駅前(JR下関駅付近)
ファイル:Yumetower7109.JPG
海峡ゆめタワー
ファイル:Shimonoseki jiejing.jpg
海上から見た細江町付近

関門海峡に面したエリアに観光スポットが多く並ぶ。

下関駅竹崎町)・豊前田細江町エリア
唐戸壇ノ浦エリア
東駅山の田エリア
彦島エリア

山陽方面(周防灘沿岸)

長府エリア
小月王喜吉田エリア

山陰方面(響灘沿岸)

ファイル:Cosmos of refreshment park Toyoura.JPG
リフレッシュパーク豊浦のコスモス
川中(綾羅木)安岡吉見・吉母エリア
豊浦エリア
  • 川棚温泉
  • 大河内温泉
  • クスの森
  • リフレッシュパーク豊浦(コスモスの名所)
  • 福徳稲荷神社
豊北エリア

内陸部

県道34号沿いのエリア。

勝山(新下関)エリア
菊川エリア
  • 植松古墳公園
  • 中山渓
豊田エリア

主な祭り・イベント

ファイル:Shimonoseki 3MAY2008 Yamaguchi Japan.jpg
しものせき海峡まつり(源平船合戦海上パレード)

名産品

下関四大名物

下関三大鍋料理

その他の名産品

教育

大学・短期大学

4校

公立
私立

省庁大学校

1校

中等教育学校

1校

高等学校

14校(公立9校、私立5校)

中学校

24校(公立23校、私立1校)

市立

私立

小学校

市立

54校・1分校

特別支援学校

専修学校・高等専門学校・各種学校

姉妹都市・提携都市

海外

姉妹都市
友好都市

国内

姉妹都市
その他

交通

航空

市内に空港はないが、近隣には北九州空港および山口宇部空港があり、後者は下関市内から路線バスで連絡している。また、福岡空港への高速バスも運行されている。なお、かつては北九州空港への路線バスも存在したが、2011年(平成23年)3月31日をもって廃止された[25]

鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)
トワイライトエクスプレス瑞風(発着駅)
九州旅客鉄道(JR九州)
  • 山陽本線:下関駅

なお、かつては以下の鉄道事業者が現・下関市域を運行していた。

  • 山陽電気軌道路面電車):長府駅 - 下関駅 - 大和町、唐戸 - 東下関駅 - 幡生駅など。1971年廃止。
  • 長門鉄道:小月 - 西市。1956年廃止。
  • 長州鉄道:東下関駅 - 幡生 - 小串。幡生 - 小串間は1925年に国有化(現在の山陰本線の一部)、残区間は1928年に山陽電気軌道に譲渡。
  • 山陽鉄道:小月 - 下関。1906年に国有化(現在の山陽本線の一部)。

海運

主な港湾

#産業の欄参照

下関港を発着する旅客航路

国際フェリー

その他の航路

路線バス

サンデン交通は、2005年の市町村合併前からの下関市域全域と、旧菊川町域、旧豊田町域、旧豊浦町域の川棚温泉以南に路線を持つ。また、下関市と山陽小野田市・宇部市・美祢市・長門市を結ぶ路線もある。

ブルーライン交通は、旧豊田町域、旧豊浦町域の豊洋台団地以北、旧豊北町域に路線を持つ。

下関市生活バスは、2005年の市町村合併により編入された各町のコミュニティバスを引き継いだコミュニティバスである。

かつては下関市内を発着・経由し、関門トンネルや関門橋を通り福岡県との間を運行する西鉄バス路線があったが、すべて廃止・撤退し現存しない。但し西鉄バスとサンデン交通が共同運行している高速バスは存在する(下記参照)。

高速バス

福岡市と下関市を結ぶ「ふくふく天神号」、フジグラン宇部山口宇部空港と下関市を結ぶ路線がある。これらはサンデン交通による運行である(ふくふく天神号は西鉄高速バスとの共同運行。詳細はふくふく号を参照)。

このほかかつては東京都東京駅)・横浜市大阪市広島市・山口市・北九州市などへも高速バスが運行されていたが、これらは廃止された。

タクシー

道路

高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道

メディア

市内に立地するテレビ局

市内に立地するラジオ局

新聞

通信社

下関とプロ野球

下関市は、大洋漁業株式会社(現:株式会社マルハニチロ水産)の創業の地であり、西日本地区におけるベースオフィスでもあったことから、当地を本拠地に大洋漁業(当初は林兼商店)野球部が活動し、1948年国民体育大会優勝、その他都市対抗野球などにも出場する強豪チームとして知られた。

1950年の2リーグ分裂により、同チームはプロ化して「株式会社まるは球団」を設立。チーム名も大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)として、セントラル野球連盟に加盟し、旧・市営野球場を本拠とした。大洋は経営的に不利な状況が続き、1951年には広島東洋カープとの合併も囁かれたが、広島市民の熱意で合併は一旦回避される。しかし、1953年のシーズン開幕前に松竹ロビンス京都市)と電撃合併が決まり、チーム名も「大洋松竹(洋松)ロビンス」として大阪市を本拠地とすることになり、下関のホエールズは3シーズンで消滅した。

大洋が下関から撤退した後も準本拠地的に年数試合の主催ゲームが開かれた。

下関を主要な舞台にした作品

  • 作品全体での主要舞台になっている場合のみ追加
映画
ドラマ
小説

出身有名人

政治

文化

芸能

マスコミ

スポーツ

その他

ゆかりのある人物

その他

市外局番

  • 下関MA(市外局番:083、市内局番:2xx(217を除く)、766 - 768、77x、78x)=市内全域
    従前、下関・豊浦・美祢の3MAが混在し、市外局番も別であった。2008年3月1日より、郵政省告示改正により、MAの統合・分割が行われ、下関市全域が同一市外局番となった。
    それまで美祢MAに含まれていた下関市豊田町(旧市内局番:66 - 68)は、現在の美祢MA(旧美東町エリアを除く美祢市、市外局番:0837、市内局番:50 - 65、69)との相互通話は区域隣接通話となり、以前より通話料が高くなるほか新たに市外局番が必要である。
    山口県西部の天気予報はそれまでの0832-177(旧・下関MA)から0836-177(宇部MA)に変更された。217局は山口県西部の天気予報(宇部MA)への誘導用のため使用できない。

郵便番号

  • 下関郵便局:750-00xx、750-85xx、750-86xx、750-87xx
  • 菊川郵便局:750-03xx、750-02xx[注釈 1]
  • 豊田郵便局:750-04xx
  • 小月郵便局:750-11xx
  • 粟野郵便局:759-51xx
  • 阿川郵便局:759-52xx
  • 特牛郵便局:759-53xx
  • 滝部郵便局:759-55xx
  • 矢玉郵便局:759-61xx
  • 豊浦郵便局:759-63xx
  • 下関東郵便局:751-08xx、751-85xx、751-86xx、751-87xx、759-65xx、759-66xx[注釈 2]
  • 長府郵便局:752-09xx、752-85xx、752-86xx、752-87xx

自動車のナンバープレート

自動車のナンバープレートは、以前は「山口」ナンバーであったが、2006年10月10日より、県内唯一のご当地ナンバーである「下関」ナンバー登録の地域となった。

脚注

注釈

  1. 「750-02xx」地域は元・内日郵便局管轄。2017年に内日郵便局の無集配局化に伴って菊川郵便局へ移管。
  2. 「759-65xx」地域は元・吉見郵便局管轄、「759-66xx」地域は元・安岡郵便局管轄。それぞれ、2006年に安岡郵便局、2015年に吉見郵便局の無集配局化に伴って下関東郵便局へ移管。

出典

  1. 1.0 1.1 統計しものせき (地区別の数値)”. 下関市総務課 (2018年1月15日). . 2018閲覧. から関連データを閲覧。
  2. “魅力ある下関へ前進 合併10周年で記念式典”. 山口新聞. (2015年2月15日). http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2015/0215/1p.html . 2018閲覧. 
  3. 下関市 2018年1月15日公開『統計しものせき』(全市の数値(2)経済基盤、行政基盤)〈C 経済基盤 市町村民経済計算 C11-01- 0 市町村内総生産〉 及び 平成28年度山口県統計年鑑「所得」〈150 経済活動別市町内総生産:Excel〉参照。
  4. 山口県の気象特性・地勢 下関地方気象台
  5. 「貞観11年9月27日太政官符」『類聚三代格」巻18所収。
  6. 『吾妻鏡』元暦2年正月12日条。同年3月24日条にも記載あり。
  7. 『続日本後紀』承和8年8月戊午条には「長門関司」の呼称が登場する。
  8. 『大同類聚方』「赤間薬 長門国赤間稲置等家方」
  9. 藤原佐理『離洛帖』「長門赤馬泊」
  10. 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P112-113
  11. 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P114-118
  12. 『笑雲入明記』
  13. 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P121-123
  14. 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P123-124
  15. 須田牧子『中世日朝関係と大内氏』(東京大学出版会、2011年)P127-128
  16. 下関市『統計しものせき』2000年度版 参照
  17. 下関三井化学沿革
  18. 『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。
  19. 下関市長選挙(平成29年3月12日 執行)下関市
  20. 下関市長選挙 確定投票状況下関市
  21. 平成25年3月10日執行 下関市長選挙下関市
  22. 平成21年3月15日執行 下関市長選挙下関市
  23. 下関市長選挙 選挙結果選挙ドットコム
  24. “都市間交流宣言:龍馬の絆で結ぶ協定 全国8市区、観光・防災で交流へ”. 毎日新聞. (2014年11月16日). http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20141116ddlk26040311000c.html 
  25. 北九州空港エアポートバスは路線廃止致しました。 - サンデン交通
  26. 山口新聞2018年2月28日(水)掲載記事より

関連項目

外部リンク