三井物産

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三井物産株式会社(みついぶっさん、: MITSUI & CO., LTD.)は、三井グループの大手総合商社三井不動産三井銀行(現・三井住友銀行)と並ぶ『三井新御三家』の一つ。通称は物産

概要

日本初の総合商社。歴史上、まだ商事会社という日本語すら無かった明治初期に、あらゆる産品の貿易を手掛ける世界に類を見ない民間企業として発展し、後に「総合商社」と称される企業形態の原型を造った。

明治時代の日本企業による海外進出は、まず三井物産が進出し、日本郵船が航路を開き、横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)が支店を出すと言われ、日本の外交官から「公館(大使館・領事館)無けれど物産あり」と言われるほど、官民を問わず、日本の組織としていち早く海外の辺境地域へ進出していた。

戦後財閥解体により一時解散を余儀なくされるが、1959年(昭和34年)2月旧三井物産系商社が大合同し現在の三井物産が誕生。大合同により当時最大の総合商社の地位を取り戻すが、三井グループ挙げて投資したイラン・ジャパン石油化学(IJPC)がイラン革命及びイラン・イラク戦争により暗礁に乗り上げ、三菱商事にその座を譲る。

同社は多くの人材を輩出している。戦前の大日本麦酒(現在のアサヒビールサッポロビール)、大正海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)、東レなどの三井グループの中核企業には、旧三井物産出身者の設立した企業が少なくないことから、「組織の三菱」に対し「人の三井」と言われる。

トヨタグループの創設者 豊田佐吉の自動織機製造の資金・海外展開面で支援したことから、トヨタグループとの繋がりも深く、現在もカナダや中南米の一部の国におけるトヨタの販売会社(ディーラー)に出資する等の関係を継続している。セブン&アイ・ホールディングスと親密で物流やショッピングセンターの開発などの面で提携している。

沿革

  • 1874年明治7年)3月 - 井上馨益田孝らとともに先収会社を設立[1]
  • 1876年(明治9年)7月 - 井上馨の政界復帰に伴い先収会社は解散し、三井組は先収会社の人員・事業を引き継いで三井物産会社を設立。初代社長は益田孝 創立時の社員数は18名(益田を含む)[2]
  • 1876年(明治9年)11月 - 三井組内の商事組織である三井組国産方および三越滞貸取立方と合併[3]
  • 1889年(明治22年)6月 - 三池炭鉱社(のちの三井鉱山)と三池炭の一手販売契約締結。
  • 1915年大正4年) フランク・ヴァンダーリップ(Frank A. Vanderlip)やジョン・モルガンらのアメリカン・インターナショナル・コーポレーション(American International Corporation)と京杭大運河プロジェクトに合意。
  • 1920年(大正9年)4月 - 綿花部を分離し、東洋棉花(のちのトーメン、現豊田通商)設立。
  • 1937年昭和12年)7月 - 造船部を分離し、玉造船所(現三井造船)設立。
  • 1942年(昭和17年)12月 - 船舶部を分離し、三井船舶(現商船三井)設立。
  • 1947年(昭和22年)7月 - 財閥解体によりGHQより解散命令。第一物産、旧三井物産系の新会社の一つとして設立。
  • 1947年(昭和22年)11月 - 旧三井物産解散。
  • 1949年(昭和24年)5月 - 第一物産、東証上場。
  • 1958年(昭和33年)3月 - 第一物産、日本レミントン・ユニバック(現日本ユニシス)設立。
  • 1959年(昭和34年)2月 - 第一物産を中心に旧三井物産系新会社結集、大合同成る。
  • 1963年(昭和38年)6月 - アメリカ・モービル石油と合弁で極東石油設立。
  • 1965年(昭和40年)6月 - 木下産商の営業譲受け。
  • 1966年(昭和41年)8月 - ブリヂストン液化ガス(現ENEOSグローブ)に資本参加。
  • 1967年(昭和42年)11月 - 情報システム部門を分離しコンピューターシステムズサービス(現三井情報)設立。
  • 1969年(昭和44年)4月 - オーストラリア・マウントニューマンからの鉄鉱石出荷開始。
  • 1969年(昭和44年)7月 - 三井グループ17社により三井石油開発設立。
  • 1971年(昭和46年)2月 - アメリカNASDAQ上場。
  • 1971年(昭和46年)3月 - リース事業部を分離し三井リース事業(現JA三井リース)設立。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 東京都千代田区大手町一丁目2番1号に本店移転。
  • 1977年(昭和52年)5月 - アブダビ・ダス島のアブダビLNG生産開始。
  • 1989年平成元年)3月 - 日本通信衛星(現スカパーJSAT)が、日本初の民間商用通信衛星JC・SAT1号の打ち上げ成功。
  • 1989年(平成元年)10月 - イラン・ジャパン石油化学(IJPC)より正式撤退。
  • 1995年(平成7年)6月 - オーストラリア・ワンドゥー油田取得。
  • 1999年(平成11年)4月8日 - 英ロスチャイルドグループと提携、6月に長期ファンドを設立して日本未公開株に投資[4]
  • 2009年(平成21年)2月 - ロシア・サハリン2LNG生産開始。
  • 2013年(平成25年)8月 - 本店ビルの建て替え計画を発表[5]
  • 2014年 (平成27年) 11月 - 東京都千代田区丸の内一丁目1番3号にある日本生命丸の内ガーデンタワーに本店移転。一部は同区大手町一丁目3番1号にあるJAビルへ入居させ、本店事務所が2か所となる。
  • 2016年 (平成28年) 1月 - オマーン国営電力・水公社から受注した天然ガス火力発電の建設・操業事業に参画することを発表[6]
  • 2017年 (平成29年) 4月 - ロシアで最大手の製薬会社R-ファームへの出資、海外で初の大型太陽光発電事業となるヨルダンの太陽光発電所建設に参画することを発表[7]

歴史

源流は、明治初期外国の商館に牛耳られていた貿易を日本人の手に取り戻そうと、井上馨益田孝らによって設立された先収会社。井上馨の政界復帰に伴い、益田孝らが三井家の支援を得て先収会社の志を引き継ぎその商権等を元に旧三井物産が1876年明治9年)に設立される。

戦前三井財閥の中核企業であったが、戦後財閥解体で一時解体。その後1947年昭和22年)に設立された第一物産株式会社を中心に旧三井物産系の企業が再結集しはじめたが、ライバルの三菱商事が比較的再結集の容易な商品別に分社化し1954年(昭和29年)に大合同が成ったのに対して、物産の場合は再結集の難しい地域別に分社化したことと、佐藤喜一郎三井銀行社長ら三井グループ内でも物産の再結集に難色を示す声が多かったため、戦後から14年が過ぎた1959年(昭和34年)に大合同がなった[8]。しかし、この大合同に参加しなかった企業群に、成長が期待された石油部門のゼネラル物産(現 JXTGエネルギー)、東食(現 カーギルジャパン)等があった。1965年(昭和40年)には木下産商を吸収合併している。

バブル景気の一時期は三井グループの中核企業でありながら、メインバンク富士銀行(現・みずほ銀行)になった時期があった[9]。これは、三井グループの金庫番である三井銀行(現・三井住友銀行)が第二次世界大戦中に第一銀行(後の第一勧業銀行、現・みずほ銀行)と合併して帝国銀行となったものの内部融和が全く進まず、終戦直後に分裂した事が後遺症となって高度経済成長期以降も規模の面で都銀中位行に甘んじ、バブル期における三井系企業の莫大な資金需要に応えられなくなってしまったためである。この出来事により三井銀行は規模拡大を余儀なくされ、1990年太陽神戸銀行と合併する事となった(さくら銀行の誕生)。尚、富士銀行を母体とするみずほ銀行は現在も三井物産のサブメインバンクである。

2004年11月22日、ディーゼル排気微粒子除去装置(DPF)の性能データ捏造が発覚し、本社社員ら3人の逮捕者を出した[注 1]

かつてはテレビ東京の多くの番組のスポンサーだったが、最近でも映画、「子ぎつねヘレン」をテレビ東京とともに制作したり、同局の早朝深夜の通販番組で三井物産の「イオニックブリーズ」を販売している。またTBSとは三井物産出身の足立正がTBSの前身であるラジオ東京初代社長に就任した経緯があり、現在に至るまで関係が深い。

歴代経営者

  • 創業者 - 井上馨益田孝
  • 初代 - 新関八洲太郎(1947年10月 - 1961年5月)
  • 第二代 - 水上達三(1961年10月 - 1969年5月)
  • 第三代 - 若杉末雪(1969年5月 - 1973年5月)
  • 第四代 - 池田芳蔵(1973年5月 - 1979年6月)
  • 第五代 - 八尋俊邦(1979年6月 - 1985年6月)
  • 第六代 - 江尻宏一郎(1985年6月 - 1990年6月)
  • 第七代 - 熊谷直彦(1990年6月 - 1996年6月)
  • 第八代 - 上島重二(1996年6月 - 2000年6月)
  • 第九代 - 清水慎次郎(2000年6月 - 2002年10月)
  • 第十代 - 槍田松瑩(2002年10月 - 2009年3月)
  • 第十一代 - 飯島彰己(2009年4月 - 2015年3月)
  • 第十二代- 安永竜夫(2015年4月 - )

グループ企業

主な子会社

主な関連会社

その他出資企業

三井物産を筆頭株主としている企業

三井物産を主要株主としている企業

三井物産食品グループ

これはいわゆる企業系列ではなく、物産社を総発売元(あるいは代理店)として取引のある食品関連企業の企業共同体である。問屋はメーカーへ直接商品を発注しても、支払いはすべて物産社へ入金する(帳合取引)。また、「三井物産食品グループ」というクレジット名で日本テレビ読売テレビTBSテレビTBSラジオBS-TBSで提供を出している。

かつて三井物産食品グループに所属していた企業

など

脚注

注釈

  1. 後に1人は不起訴処分となった

出典

  1. 田村1968、46頁。
  2. 木山2013、116-117頁。
  3. 木山2013、117-119頁。
  4. 張国興 「東アジアの貿易・投資・安保関係年表(V)」 久留米大学法学 36, 292-209, 1999-10
  5. “「大手町一丁目2番街区」一体開発事業に係る基本合意、及び三井物産本社社屋建替え”. 三井物産. (2013年8月8日). http://www.mitsui.com/jp/ja/release/2013/1200824_4689.html . 2013閲覧. 
  6. オマーン国におけるIbri, Sohar-3発電事業への出資参画について 三井物産リリース 2016年1月4日
  7. 三井物産、ロシア製薬への出資・ヨルダンでの太陽光発電を発表 日本経済新聞 2017年4月27日
  8. 『メガバンク学閥人脈』(山口日太郎、新風舎、2006年7月) P140、P145
  9. 三井グループのサッポロビール芙蓉グループにも加盟しており、この縁で三井物産は富士銀行ともバブル期以前から関係が深かった。

参考文献

  • 木山 実「三井物産草創期の人員ー特に先収会社からの人員に注目してー」、『経済学論叢』64巻4号、同志社大学経済学会、2013年4月、 103-115頁。
  • 田村 貞雄「政商資本成立の一過程」、『史流』9号、北海道教育大学史学会、1968年3月、 32-49頁。

関連項目

関連人物

外部リンク