司会
司会(しかい)は、放送番組(テレビ番組・ラジオ番組)や舞台・宴会・結婚式など、衆目の中でのイベントの進行を司ること、あるいはその人。後者は司会者(しかいしゃ)とも呼ばれる。
役割
司会は引き立て役、縁の下の力持ちとして[1]、イベントを「始め、進め、まとめ、終わらせる」[2]役割を担う。司会は独善的にならず、かつ出席者におもねらず、公平でなければならない[1]。ただし、放送番組では人を笑わせたりお世辞を言ってゲストを引き立てる「道化役」としての司会も存在する[1]。
司会の具体的な役割としては以下のようなものがある[3]。
- 時間を管理し、イベントを予定通り進行させる
- イベントの出席者を参加者に紹介する
- 出席者の発言を引き出す
- 会場の雰囲気を演出する
会議では、時に司会が議長以上の権限をもって、リーダーとして運営を行う場合がある[4]。この場合、司会は公平さを保ちつつ、発言の統制などを行い会議をまとめることになる[4]。
放送番組における司会
司会になるための資格は特にないが、番組の順調な進行と盛り上げが主な任務となる。基本的には台本に沿って(一部は台本がない場合もある)時間の管理、トークの話者の選択(ネタふり)を行うほか、生放送の場合はハプニングが発生した際のアドリブで機転を利かさなければならない場合もある。
そのため、司会を複数置き、大きく1人をトークやコントなどの展開で盛り上げを担当し、別の者を番組の進行に専念させることが多い。なお、後者はアナウンサーが担当することが多い。番組の進行と盛り上げでバランスを取らなければいけないため、その両面を見極める技量が必要とされる。
なお、多くのバラエティ番組の場合、司会がメイン出演者になるため、ゲストを除く、常連出演者の中で一番格上の出演者とされる。
1980年代中頃からは、志村けん、タモリ、ビートたけし、明石家さんまといったお笑いBIG3などのお笑いタレントが主にバラエティ番組の司会を務めることが多い。1990年代前半からは、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代が司会を務める数多くのバラエティ番組が放送された。また、1990年代後半からは、今田耕司、東野幸治、さまぁ〜ず、雨上がり決死隊、ナインティナイン、ネプチューン、くりぃむしちゅーなどのお笑いタレントが司会を務めるバラエティ番組が放送されたほか、SMAP、TOKIO、嵐などのアイドルタレントがバラエティ番組の司会を務めることも多くなっている。
別称にMC(マスター・オブ・セレモニー)、ホスト、報道・情報番組などではキャスターとも表現する。
呼称
主として放送や音楽といった分野では、英語でMC(エムシー、master of ceremonies (セレモニーのマスター)の略)という言葉が用いられるようになった。番組の進行役として話すこと、あるいはその人を指す。コンサートなどで、演奏者が曲の繋ぎに話をすることあるいはその時間もMCと呼ぶが、これは「マイク・コメント」という和製英語の略称で司会のことではない。
英語版Wikipediaには、「Master of ceremonies」の項目の他、「Presenter」(プレゼンター)、「Television presenter」(テレビの司会)、「News presenter」(ニュースの司会=ニュースキャスター)、「Radio personality」(ラジオパーソナリティ)など多数の司会業に関する項目が作成されている。意味するものは重複しており差異を完全に言う事はできないが、英語の「Master of ceremonies」は主にイベントでの司会を意味するようである。なお本件には「Television presenter」がリンクされているが、これは日本でMCと言う語を使うのが、主にテレビ業界でニュース以外の娯楽系の番組であるためである。
また、英語本来は「master of ceremonies」と複数形であるが、日本で略語のMCを説明する時には「マスター・オブ・セレモニー」と単数形で言われることが多い。
日本において、テレビ番組の司会の名称については番組により異なり、情報・報道番組系の場合は(メイン)キャスター(ニュースキャスター)、教育番組の場合はお兄さん・お姉さん・先生と呼ばれることが多い。バラエティ番組の場合は先述の通りMC(Master of Ceremonies)と呼ばれることが出てきた。その他、「総合司会」という名称を使用する番組もある。
また、番組によっては、「MC」「総合司会」以外に「メイン出演者」「キャプテン」「リーダー」と別の名称を使用する番組もある。
ラジオ番組の場合はディスクジョッキー(DJ)やラジオパーソナリティとも呼ばれる。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 佐分利重哉 『司会の実例百科』 池田書店〈イケダ・ブックス258〉、1969年。