7世紀

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7世紀(ななせいき、しちせいき)

西暦601年から西暦700年までの100年間を指す世紀

できごと

600年代

610年代

620年代

630年代

  • 630年
    • ムハンマドがメッカを征服。周辺各国にイスラム教への入信を呼びかける(遣使の年)。
    • 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがエルサレムに入城。
      • サーサーン朝から返還された「真の十字架」を奉献する聖墳墓教会を再建。
    • 唐軍により頡利可汗が捕えられ東突厥が滅亡。
      • 唐の太宗は西域諸国から「天可汗」に推戴される。
    • 第1回遣唐使として犬上御田鍬が派遣される。
  • 632年 - ムハンマドが死去。遺体は預言者のモスク(マスジッド・アルナバウィ)の墓に葬られる。
    • アブー・バクルが後継のイスラム指導者である初代カリフに選ばれる。リッダ(背教)の戦いが起こる( - 633年)。
  • 634年 - アブー・バクル死去により第2代カリフにウマルが選ばれる。
  • 634年頃 - チャールキヤ朝のプラシーケン2世がナルマダー川の戦いでハルシャ・ヴァルダナの軍を破り南インドの独立を維持する。
  • 635年以前 - クブラト・ハンにより黒海北岸のタマン半島のファナゴリアを中心とする大ブルガリアが成立する。
  • 635年
  • 636年
    • ヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。
      • 東ローマ帝国はサーサーン朝から奪回したシリアの領土を再び失う。
    • フランク王ダゴベルト1世により王家の墓所となるサン・ドニ教会がパリ近郊に設置される。
  • 637年
    • カディシーヤの戦いで、サーサーン朝がイスラム軍に敗れ、都のクテシフォンを占領される。
    • 「貞観律令」が施行される。
  • 638年
    • 東ローマ皇帝ヘラクレイオスが「エクテシス」を発布。
    • カリフのウマルにより派遣されたウトバ・イブン・ガズワーンがイスラム最初のミスル(軍営都市)のバスラを建設する。
  • 639年
    • 舒明天皇の命で百済大寺(吉備池廃寺)が建立される(天皇の命による日本初の官寺)。
    • サアド・イブン・アビー・ワッカースによりミスルのクーファが建設される。

640年代

650年代

  • 650年頃
  • 651年
    • オクサス川の戦いでサーサーン朝ペルシアが滅亡。皇子ペーローズ3世は唐に亡命する。
    • イスラム帝国カリフのウスマーンの命令で『クルアーン(コーラン)』正典が編纂される(ウスマーン版)。
    • 「永徽律令」が施行される。
  • 652年
    • 唐律疏義(永徽律疏)」が編纂され、漢代からの「春秋決獄」が廃止される。
    • 玄奘三蔵がインドから招来した経典や仏像を保存するため長安近郊の大慈恩寺大雁塔が建てられる。
  • 653年
  • 654年
    • 西ゴート王レケスウィントが属人法を廃止し「西ゴート法典(リベル法典・裁判法典)」を公布する。
  • 655年
    • 皇帝コンスタンス2世率いる東ローマ帝国軍が小アジアのリュキアの海戦(帆柱の戦い)でイスラム帝国軍に惨敗。
    • 唐の高宗の皇后王氏が廃され、武照が皇后に冊立される。
    • 皇極天皇が重祚し、第37代斉明天皇となる。
  • 656年 - ウスマーンが暗殺され、アリーが第4代カリフに選出される。
    • この選出をめぐりイスラム帝国で第一次内乱が勃発( - 661年)。ラクダの戦いでアーイシャがアリーに敗北。
  • 657年
  • 658年
    • 有間皇子が謀反の疑いで処刑される。
    • 阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討ち、粛慎を平定する( - 660年)。
    • 東ローマ皇帝コンスタンス2世がバルカン半島南部のスラブ人を制圧。
      • この時のスラブ人は小アジアに入植させられ、帝国防衛のためのテマ制(軍管区制)の原型が形成される。

660年代

670年代

  • 670年
  • 671年
  • 672年 - 天智天皇死去。大友皇子が近江宮の首班となる(第39代弘文天皇)。
  • 673年 - ウマイヤ朝海軍がキュジコス半島を前線基地として確保。
    • ここから東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを678年まで継続して包囲。東ローマ軍はギリシア火でこれを撃退
  • 676年 - 伎伐浦海戦で唐を破った新羅が朝鮮半島を統一。

680年代

690年代

時代の動向

東アジア

大陸

前世紀末に華北を再統一し、さらに南北朝の対立を解消した武川鎮軍閥出身の楊氏(普六茹氏)のが内乱の末に崩壊し、群雄割拠の中からやはり武川鎮軍閥出身の出身の李氏(大野氏)のが内乱を収拾して統一王朝を建設する。唐は建国当初はモンゴル高原東突厥の後塵を拝していたが、第二代皇帝太宗李世民はこれを屈服させて羈縻支配に置き、唐を世界帝国に成長させる。唐は武則天武周に取って代わった一時期を含め本世紀に最盛期を迎える。しかし、本世紀末の682年より東突厥は唐の支配より再び独立を果たし、唐と南北に対峙するようになる。

朝鮮半島

日本

日本では飛鳥時代古墳時代終末期)にあたる。

西アジア

南アジア

東南アジア

ヨーロッパ

人物

イスラム世界

キリスト教世界

フランク王国

ローマ教皇

イングランド・アイルランド

西ゴート王国

ブルガリア

東ローマ帝国

イラン

インド・チベット

東アジア

  • 煬帝(楊広)(569年 - 618年) - 隋王朝第2代皇帝(在位604年 - 618年)・高句麗遠征に失敗し殺害される
  • 陸法言(生没年不詳) - 隋の音韻学者・漢字発音の標準を定め『切韻』5巻を編纂・これは現存最古の韻書科挙にも影響
  • 竇建徳573年 - 621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・高句麗遠征軍から逃れて河北で自立・宇文化及を倒すが李世民に敗北
  • 李密582年 - 618年) - 隋末唐初に割拠した群雄・楊玄感の反乱に続いて挙兵し河南で自立・王世充に敗北する
  • 王世充(? - 621年) - 隋末唐初に割拠した群雄・洛陽にて恭帝侗を擁立・さらに自ら皇帝を名乗るが李淵に敗北

渤海

  • 大祚栄(? - 719年) - 渤海の初代国王(在位698年 - 719年)。東牟山に都城を築き独立・後に唐の冊封を受ける。

朝鮮

日本

フィクションのできごと

  • 618年 - 619年 - 突厥の曷薩那可汗の命により、花木蘭が男装して父の身代わりとなって徴兵に応じ各地で戦う(褚人獲『隋唐演義』)。
  • 618年前後 - 武術家神腿張の息子小虎は鄭王王世充により父を殺され自身も重傷を負って少林寺に落ち延びる。父の仇を討つため少林寺にて修行に励む小虎の前に将軍李世民が現れ、共に王世充を倒すために立ち上がることを決意する(張鑫炎監督の香港映画「少林寺」)。
  • 684年 - 飢饉に見舞われた羽生蛇村に堕辰子が降臨、飢えに耐え切れなかった村人がその肉を食べ、村に呪いが降りかかる(『SIREN (ゲームソフト)』)。

脚注

注釈

出典

  1. ただし、日本成立以前の倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。

関連項目

外部リンク