内閣総理大臣の一覧
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内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣を務めた人物一覧。
凡例
- 初代と第2代は、明治18年太政官達第69号及び内閣職権に基づいて任命された。
- 第3代から第45代までは、内閣官制に基づいて任命された。
- 第46代以降は、日本国憲法に基づいて任命された。なお、第45代は、同憲法103条により、同憲法に基づいて任命されたものとみなされた。
- 代は内閣(内閣総理大臣)の代数、人は何人目の内閣総理大臣かを表す。
- 期間・日数は在職期間と在職日数を表す。ただし、在職期間が連続していない場合は、各次の在職日数を挙げ、最終次の在職日数の後に通算の在職日数を記した。
- 出生地はその人物が出生した場所であり、出身地や選挙区とは必ずしも一致しない。なお、出生地と選挙区が異なる場合には注を付した。
一覧
- ジャンプリンク
代 | 人 | 内閣総理大臣 | 内閣 | 期間・日数 | 出生地 | 学歴 | 栄典・兼職など | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
明治 | ||||||||||
1 | 1 | 伊藤博文 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第1次伊藤内閣 | 1885年12月22日 - 1888年4月30日 (861日) |
周防国 (現山口県) |
松下村塾[1] | 従三位勲一等伯爵 のち従二位 |
長州閥 | |
2 | 2 | 黒田清隆 | 黒田清隆 くろだ きよたか |
黒田内閣 | 1888年4月30日 - 1889年10月25日 (544日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
従二位勲一等伯爵 陸軍中将 |
薩摩閥 単独で辞任 | ||
- | 三條実美 | (三条実美) (さんじょう さねとみ) |
(三條暫定内閣) | (1889年10月25日 - 1889年12月24日) |
(内閣総理大臣兼任) 従一位大勲位公爵 内大臣 | |||||
3 | 3 | 山縣有朋 | 山縣有朋 やまがた ありとも |
第1次山縣内閣 | 1889年12月24日 - 1891年5月6日 (499日) |
長門国 (現山口県) |
松下村塾 | 従二位勲一等伯爵 陸軍中将 のち陸軍大将 内務大臣 |
長州閥 | |
大日本帝国憲法下 | ||||||||||
4 | 4 | 松方正義 | 松方正義 まつかた まさよし |
第1次松方内閣 | 1891年5月6日 - 1892年8月8日 (461日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
造士館[2] | 従二位勲一等伯爵 貴族院議員(伯爵) 大蔵大臣 |
薩摩閥 | |
5 | 伊藤博文 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第2次伊藤内閣 | 1892年8月8日 - 1896年8月31日 (1,485日) |
(略) | (略) | 従二位勲一等伯爵 のち正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 単独で辞任 | ||
- | 黒田清隆 | (黒田清隆) (くろだ きよたか) |
(第2次伊藤内閣) | (1896年8月31日 - 1896年9月18日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 陸軍中将 枢密院議長 | |||||
6 | 松方正義 | 松方正義 まつかた まさよし |
第2次松方内閣 | 1896年9月18日 - 1898年1月12日 (482日) (通算943日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等伯爵 大蔵大臣 |
薩摩閥 | ||
7 | 伊藤博文 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第3次伊藤内閣 | 1898年1月12日 - 1898年6月30日 (170日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) |
長州閥 | ||
8 | 5 | style="background-color:テンプレート:Kenseito/meta/color"| | 大隈重信 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第1次大隈内閣 | 1898年6月30日 - 1898年11月8日 (132日) |
肥前国 (現佐賀県) |
弘道館 [2] | 正二位勲一等伯爵 外務大臣 憲政党総裁 |
政党人から初の任命 |
9 | 山縣有朋 | 山縣有朋 やまがた ありとも |
第2次山縣内閣 | 1898年11月8日 - 1900年10月19日 (711日) (通算1,210日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等功二級侯爵 元帥陸軍大将 貴族院議員(侯爵) |
薩摩閥 | ||
10 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 伊藤博文 | 伊藤博文 いとう ひろぶみ |
第4次伊藤内閣 | 1900年10月19日 - 1901年5月10日 (204日) (通算2,720日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) 立憲政友会総裁 |
長州閥 単独で辞任 | |
- | 西園寺公望 | (西園寺公望) (さいおんじ きんもち) |
(第4次伊藤内閣) | (1901年5月10日 - 1901年6月2日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 正二位勲一等侯爵 枢密院議長 | |||||
11 | 6 | 桂太郎 | 桂太郎 かつら たろう |
第1次桂内閣 | 1901年6月2日 - 1906年1月7日 (1,681日) |
長門国 (現山口県) |
正三位勲一等功三級子爵のち伯爵 陸軍大将 内務大臣 |
長州閥 | ||
12 | 7 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 西園寺公望 | 西園寺公望 さいおんじ きんもち |
第1次西園寺内閣 | 1906年1月7日 - 1908年7月14日 (920日) |
山城国 (現京都府) |
ソルボンヌ大学卒業 | 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) 立憲政友会総裁 |
|
13 | 桂太郎 | 桂太郎 かつら たろう |
第2次桂内閣 | 1908年7月14日 - 1911年8月30日 (1,143日) |
(略) | (略) | 従二位大勲位功三級侯爵 のち正二位公爵 陸軍大将 貴族院議員(侯爵のち公爵) 大蔵大臣 |
長州閥 | ||
14 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 西園寺公望 | 西園寺公望 さいおんじ きんもち |
第2次西園寺内閣 | 1911年8月30日 - 1912年12月21日 (480日) (通算1,400日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) 立憲政友会総裁 |
||
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}大正 | ||||||||||
15 | 桂太郎 | 桂太郎 かつら たろう |
第3次桂内閣 | 1912年12月21日 - 1913年2月20日 (62日) (通算2,886日) |
(略) | (略) | 正二位大勲位功三級公爵 陸軍大将 貴族院議員(公爵) |
長州閥 | ||
16 | 8 | 山本権兵衛 | 山本権兵衛 やまもと ごんのひょうえ |
第1次山本内閣 | 1913年2月20日 - 1914年4月16日 (421日) |
薩摩国 (現鹿児島県) |
海軍兵学寮卒業 | 正二位勲一等功一級伯爵 陸軍大将 |
薩摩閥 | |
17 | style="background-color:テンプレート:Rikken Doshikai/meta/color"| | 大隈重信 | 大隈重信 おおくま しげのぶ |
第2次大隈内閣 | 1914年4月16日 - 1916年10月9日 (908日) (通算1,040日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等伯爵 のち大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) 内務大臣 立憲同志会総裁 |
肥前閥 | |
18 | 9 | 寺内正毅 | 寺内正毅 てらうち まさたけ |
寺内内閣 | 1916年10月9日 - 1918年9月29日 (721日) |
周防国 (現山口県) |
陸軍戸山学校卒業 | 従二位勲一等功一級伯爵 元帥陸軍大将 |
長州閥 | |
19 | 10 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 原敬 | 原敬 はら たかし |
原内閣 | 1918年9月29日 - 1921年11月4日 (1,133日) |
陸奥国 (現岩手県) |
司法省法学校中退 | 正三位勲一等 衆議院議員(第7期・岩手県盛岡選挙区) 立憲政友会総裁 |
在任中に暗殺 |
- | 内田康哉 | (内田康哉) (うちだ こうさい) |
(原内閣) | (1921年11月4日 - 1921年11月13日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 外務大臣 | |||||
20 | 11 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 高橋是清 | 高橋是清 たかはし これきよ |
高橋内閣 | 1921年11月13日 - 1922年6月12日 (212日) |
武蔵国 (現東京都) |
ヘボン塾[1] | 従三位勲一等子爵 貴族院議員(勅撰) 大蔵大臣 立憲政友会総裁 |
|
21 | 12 | 加藤友三郎 | 加藤友三郎 かとう ともさぶろう |
加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 - 1923年8月24日 (439日) |
安芸国 (現広島県) |
海軍兵学校卒業 海軍大学校卒業 |
従二位勲一等功二級男爵 海軍大将 海軍大臣 |
在任中に病死 | |
- | 内田康哉 | (内田康哉) (うちだ こうさい) |
(加藤友三郎内閣) | (1923年8月24日 - 1923年9月2日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従二位勲一等伯爵 外務大臣 | |||||
22 | 山本権兵衛 | 山本権兵衛 やまもと ごんのひょうえ |
第2次山本内閣 | 1923年9月2日 - 1924年1月7日 (128日) (通算549日) |
(略) | (略) | 正二位勲一等功一級伯爵 退役海軍大将 |
薩摩閥 | ||
23 | 13 | 清浦奎吾 | 清浦奎吾 きようら けいご |
清浦内閣 | 1924年1月7日 - 1924年6月11日 (157日) |
肥後国 (現熊本県) |
咸宜園[1] | 正二位勲一等子爵 | ||
24 | 14 | style="background-color:テンプレート:Kenseikai/meta/color"| | 加藤高明 | 加藤高明 かとう たかあき |
加藤高明内閣 | 1924年6月11日 - 1926年1月28日 (597日) |
尾張国 (現愛知県) |
東京大学[3]法学部卒業 | 従二位勲一等子爵 貴族院議員(勅撰) 憲政会総裁 |
在任中に病死 |
- | 若槻禮次郎 | (若槻禮次郎) (わかつき れいじろう) |
(加藤高明内閣) | (1926年1月28日 - 1926年1月30日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 従三位勲一等 貴族院議員(勅撰) 内務大臣 | |||||
25 | 15 | style="background-color:テンプレート:Kenseikai/meta/color"| | 若槻禮次郎 | 若槻禮次郎 わかつき れいじろう |
第1次若槻内閣 | 1926年1月30日 - 1927年4月20日 (446日) |
出雲国 (現島根県) |
帝国大学[3]法科大学卒[注釈 1] | 従三位勲一等 貴族院議員(勅撰) 憲政会総裁 |
|
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}昭和 | ||||||||||
26 | 16 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 田中義一 | 田中義一 たなか ぎいち |
田中義一内閣 | 1927年4月20日 - 1929年7月2日 (805日) |
長門国 (現山口県) |
陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
従二位勲一等功三級男爵 退役陸軍大将 貴族院議員(勅撰) 立憲政友会総裁 |
|
27 | 17 | style="background-color:テンプレート:Rikken Minseito/meta/color"| | 濱口雄幸 | 濱口雄幸 はまぐち おさち |
濱口内閣 | 1929年7月2日 - 1931年4月14日 (652日) |
土佐国 (現高知県) |
第三高等中学校[4]卒業 帝国大学法科大学卒業 |
正三位勲一等 衆議院議員(第5期、高知県第2区選出) 立憲民政党総裁 |
在任中に遭難 外務大臣幣原喜重郎が臨時代理 |
28 | style="background-color:テンプレート:Rikken Minseito/meta/color"| | 若槻禮次郎 | 若槻禮次郎 わかつき れいじろう |
第2次若槻内閣 | 1931年4月14日 - 1931年12月13日 (244日) (通算690日) |
(略) | (略) | 従三位勲一等男爵 貴族院議員(勅撰) 立憲民政党総裁 |
||
29 | 18 | style="background-color:テンプレート:Rikken Seiyukai/meta/color"| | 犬養毅 | 犬養毅 いぬかい つよし |
犬養内閣 | 1931年12月13日 - 1932年5月16日[注釈 2] (156日) |
備中国 (現岡山県) |
慶應義塾[1]中退 | 正三位勲一等 衆議院議員(第17期、岡山県第2区選出) 立憲政友会総裁 |
在任中に暗殺 |
- | 高橋是清 | (高橋是清) (たかはし これきよ) |
(犬養内閣) | (1932年5月16日 - 1932年5月26日) |
(内閣総理大臣臨時兼任) 正三位勲一等 大蔵大臣 | |||||
30 | 19 | 齋藤実 | 斎藤実 さいとう まこと |
齋藤内閣 | 1932年5月26日 - 1934年7月8日 (774日) |
陸奥国 (現岩手県) |
海軍兵学校卒業 | 正二位勲一等功二級子爵 退役海軍大将 |
挙国一致内閣 | |
31 | 20 | 岡田啓介 | 岡田啓介 おかだ けいすけ |
岡田内閣 | 1934年7月8日 - 1936年3月9日 (611日) |
越前国 (現福井県) |
海軍兵学校卒業 | 従二位勲一等功三級 退役海軍大将 |
挙国一致内閣 在任中に遭難 内務大臣後藤文夫が臨時代理 | |
32 | 21 | 廣田弘毅 | 広田弘毅 ひろた こうき |
廣田内閣 | 1936年3月9日 - 1937年2月2日 (331日) |
福岡県 | 第一高等学校[3]卒業 東京帝国大学[3]法科大学卒業 |
正三位勲一等 | 挙国一致内閣 | |
33 | 22 | 林銑十郎 | 林銑十郎 はやし せんじゅうろう |
林内閣 | 1937年2月2日 - 1937年6月4日 (123日) |
石川県 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等功四級 予備役陸軍大将 文部大臣 |
||
34 | 23 | 近衛文麿 | 近衛文麿 このえ ふみまろ |
第1次近衛内閣 | 1937年6月4日 - 1939年1月5日 (581日) |
東京府 (現東京都) |
第一高等学校卒業 東京帝国大学文科大学中退 京都帝国大学[4]法科大学卒業 |
正三位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) |
挙国一致内閣 | |
35 | 24 | 平沼騏一郎 | 平沼騏一郎 ひらぬま きいちろう |
平沼内閣 | 1939年1月5日 - 1939年8月30日 (238日) |
美作国 (現岡山県) |
帝国大学法科大学卒業 法学博士[5] |
正二位勲一等男爵 | 挙国一致内閣 | |
36 | 25 | 阿部信行 | 阿部信行 あべ のぶゆき |
阿部内閣 | 1939年8月30日 - 1940年1月16日 (140日) |
石川県 | 第四高等学校[6]中退 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等 予備役陸軍大将 |
挙国一致内閣 | |
37 | 26 | 米内光政 | 米内光政 よない みつまさ |
米内内閣 | 1940年1月16日 - 1940年7月22日 (189日) |
岩手県 | 海軍士官学校卒業 海軍大学校卒業 |
正三位勲一等功四級 予備役海軍大将 |
挙国一致内閣 | |
38 | rowspan="2" style="background-color:テンプレート:Imperial Rule Assistance Association/meta/color"| | 近衛文麿 | 近衛文麿 このえ ふみまろ |
第2次近衛内閣 | 1940年7月22日 - 1941年7月18日 (362日) |
(略) | (略) | 従二位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) 大政翼賛会総裁 |
挙国一致内閣 | |
39 | 第3次近衛内閣 | 1941年7月18日 - 1941年10月18日 (93日) (通算1,035日) |
従二位勲一等公爵 貴族院議員(公爵) 大政翼賛会総裁 |
挙国一致内閣 | ||||||
40 | 27 | style="background-color:テンプレート:Imperial Rule Assistance Association/meta/color"| | 東條英機 | 東條英機 とうじょう ひでき |
東條内閣 | 1941年10月18日 - 1944年7月22日 (1,009日) |
東京府 (現東京都) |
陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
従三位勲一等功二級 のち正三位 陸軍中将 のち陸軍大将 陸軍大臣 陸軍参謀総長 大政翼賛会総裁 |
挙国一致内閣 |
41 | 28 | style="background-color:テンプレート:Imperial Rule Assistance Association/meta/color"| | 小磯國昭 | 小磯國昭 こいそ くにあき |
小磯内閣 | 1944年7月22日 - 1945年4月7日 (260日) |
栃木県 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
正三位勲一等功二級 予備役陸軍大将 のち現役復帰 大政翼賛会総裁 |
挙国一致内閣 |
main}}42 | 29 | style="background-color:テンプレート:Imperial Rule Assistance Association/meta/color"| | 鈴木貫太郎 | 鈴木貫太郎 すずき かんたろう |
鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 - 1945年8月17日 (133日) |
和泉国 (現大阪府) |
海軍兵学校卒業 海軍大学校卒業 |
正二位勲一等功三級男爵 退役海軍大将 大政翼賛会総裁 |
挙国一致内閣 |
43 | 30 | 東久邇宮稔彦王 | 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこおう |
東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 - 1945年10月9日 (54日) |
京都府 | 陸軍士官学校卒業 陸軍大学校卒業 |
大勲位功一級 陸軍大将 貴族院議員(皇族) 陸軍大臣 |
1945年9月6日に主権放棄 | |
44 | 31 | style="background-color:テンプレート:Japan Progressive Party/meta/color"| | 幣原喜重郎 | 幣原喜重郎 しではら きじゅうろう |
幣原内閣 | 1945年10月9日 - 1946年5月22日 (226日) |
大阪府 | 第三高等中学校[4]卒業 帝国大学法科大学卒業 |
従二位勲一等男爵 貴族院議員(勅撰) 第一復員大臣 第二復員大臣 日本進歩党総裁 |
主権喪失下 |
45 | 32 | style="background-color:テンプレート:Liberal Party (Japan, 1945)/meta/color"| | 吉田茂 | 吉田茂 よしだ しげる |
第1次吉田内閣 | 1946年5月22日 - 1947年5月24日 (368日) |
東京府 (現東京都) |
学習院高等学科[7]卒業 東京帝国大学法科大学卒業[注釈 3] |
正三位勲一等 貴族院議員(勅撰) 外務大臣 日本自由党総裁 |
主権喪失下 |
日本国憲法下 | ||||||||||
46 | 33 | style="background-color:テンプレート:Japan Socialist Party/meta/color"| | 片山哲 | 片山哲 かたやま てつ |
片山内閣 | 1947年5月24日 - 1948年3月10日 (292日) |
和歌山県 | 第三高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 |
衆議院議員(第6期・神奈川県第3区選出) 日本社会党委員長 |
日本社会党・民主党・国民協同党連立
主権喪失下 |
47 | 34 | style="background-color:テンプレート:Democratic Party (Japan, 1947)/meta/color"| | 芦田均 | 芦田均 あしだ ひとし |
芦田内閣 | 1948年3月10日 - 1948年10月15日 (220日) |
京都府 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 東京帝国大学法学博士[5] |
衆議院議員(第6期・京都府第2区選出) 外務大臣 民主党総裁 |
民主党・日本社会党・国民協同党連立
主権喪失下 |
48 | rowspan="2" style="background-color:テンプレート:Democratic Liberal Party (Japan)/meta/color"| | 吉田茂 | 吉田茂 よしだ しげる |
第2次吉田内閣 | 1948年10月15日 - 1949年2月16日 (125日) |
(略) | (略) | 正三位勲一等 衆議院議員(第1期・高知県全県区選出) 外務大臣 民主自由党総裁 |
主権喪失下 | |
49 | 第3次吉田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1949年2月16日 - 1952年10月30日 (1,353日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第2期・高知県全県区選出) 外務大臣 民主自由党総裁→自由党総裁 |
民主自由党・民主党連立派連立
→自由党単独 1952年4月28日に主権回復 | ||||||
50 | rowspan="2" style="background-color:テンプレート:Liberal Party (Japan, 1950)/meta/color"| | 第4次吉田内閣 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 (204日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第3期・高知県全県区選出) 自由党総裁 |
||||||
51 | 第5次吉田内閣 | 1953年5月21日 - 1954年12月10日 (569日) (通算2,616日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第4期・高知県全県区選出) 自由党総裁 |
|||||||
52 | 35 | rowspan="2" style="background-color:テンプレート:Japan Democratic Party (1954)/meta/color"| | 鳩山一郎 | 鳩山一郎 はとやま いちろう |
第1次鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 - 1955年3月19日 (100日) |
東京府 (現東京都) |
第一高等学校卒業 東京帝国大学法科大学卒業 |
正三位勲一等 衆議院議員(第13期・東京都第1区選出) 日本民主党総裁 |
|
53 | 第2次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 - 1955年11月22日 (249日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第14期・東京都第1区選出) 日本民主党総裁 |
|||||||
54 | 第3次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 - 1956年12月23日 (398日) (通算745日) |
正三位勲一等 衆議院議員(第14期・東京都第1区選出) 自由民主党総裁 |
|||||||
55 | 36 | 石橋湛山 | 石橋湛山 いしばし たんざん |
石橋内閣 | 1956年12月23日 - 1957年2月25日 (65日) |
東京府 (現東京都) |
早稲田大学文学科卒業 早稲田大学宗教研究科修了 |
衆議院議員(第4期・静岡県第2区選出) 自由民主党総裁 |
||
56 | 37 | 岸信介 | 岸信介 きし のぶすけ |
第1次岸内閣 改造内閣 |
1957年2月25日 - 1958年6月12日 (473日) |
山口県 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
正三位 衆議院議員(第3期・山口県第2区選出) 自由民主党総裁 |
||
57 | 第2次岸内閣 改造内閣 |
1958年6月12日 - 1960年7月19日 (769日) (通算1,241日) |
正三位 衆議院議員(第4期・山口県第2区選出) 自由民主党総裁 |
|||||||
58 | 38 | 池田勇人 | 池田勇人 いけだ はやと |
第1次池田内閣 | 1960年7月19日 - 1960年12月8日 (143日) |
広島県 | 第五高等学校[8]卒業 京都帝国大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第5期・広島県第2区選出) 自由民主党総裁 |
||
59 | 第2次池田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1960年12月8日 - 1963年12月9日 (1,097日) |
正五位 衆議院議員(第6期・広島県第2区選出) 自由民主党総裁 |
|||||||
60 | 第3次池田内閣 改造内閣 |
1963年12月9日 - 1964年11月9日 (337日) (通算1,575日) |
正五位 衆議院議員(第7期・広島県第2区選出) 自由民主党総裁 |
|||||||
61 | 39 | 佐藤栄作 | 佐藤栄作 さとう えいさく |
第1次佐藤内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
1964年11月9日 - 1967年2月17日 (831日) |
山口県 | 第五高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
従四位 衆議院議員(第7期・山口県第2区選出) 自由民主党総裁 |
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62 | 第2次佐藤内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1967年2月17日 - 1970年1月14日 (1,063日) |
従四位 衆議院議員(第8期・山口県第2区選出) 自由民主党総裁 |
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63 | 第3次佐藤内閣 改造内閣 |
1970年1月14日 - 1972年7月7日 (906日) (通算2,798日) |
従四位 衆議院議員(第9期・山口県第2区選出) 自由民主党総裁 |
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64 | 40 | 田中角栄 | 田中角栄 たなか かくえい |
第1次田中角栄内閣 | 1972年7月7日 - 1972年12月22日 (169日) |
新潟県 | 中央工学校卒業 | 衆議院議員(第8期・新潟県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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65 | 第2次田中角栄内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1972年12月22日 - 1974年12月9日 (718日) (通算886日) |
衆議院議員(第9期・新潟県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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66 | 41 | 三木武夫 | 三木武夫 みき たけお |
三木内閣 改造内閣 |
1974年12月9日 - 1976年12月24日 (747日) |
徳島県 | 明治大学専門部商科卒業 明治大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第14期・徳島県全県区選出) 自由民主党総裁 |
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67 | 42 | 福田赳夫 | 福田赳夫 ふくだ たけお |
福田赳夫内閣 改造内閣 |
1976年12月24日 - 1978年12月7日 (714日) |
群馬県 | 第一高等学校卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
正五位 衆議院議員(第10期・群馬県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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68 | 43 | 大平正芳 | 大平正芳 おおひら まさよし |
第1次大平内閣 | 1978年12月7日 - 1979年11月9日 (338日) |
香川県 | 高松高等商業学校[9]卒業 東京商科大学[10]卒業 |
従五位 衆議院議員(第10期・香川県第2区出) 自由民主党総裁 |
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69 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日 - 1980年6月12日 (217日) (通算554日) |
従五位 のち正二位大勲位 衆議院議員(第11期・香川県第2区選出) 自由民主党総裁 |
在任中に病死 | ||||||
- | 伊東正義 | (伊東正義) (いとう まさよし) |
(第2次大平内閣) | (1980年6月12日 - 1980年7月17日) |
福島県 | (内閣総理大臣臨時代理) 衆議院議員(第5期・福島県第2区選出) 自由民主党所属 | ||||
70 | 44 | 鈴木善幸 | 鈴木善幸 すずき ぜんこう |
鈴木善幸内閣 改造内閣 |
1980年7月17日 - 1982年11月27日 (864日) |
岩手県 | 水産講習所[11]卒業 | 衆議院議員(第14期・岩手県第1区選出) 自由民主党総裁 |
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71 | 45 | 中曽根康弘 | 中曽根康弘 なかそね やすひろ |
第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日 - 1983年12月27日 (396日) |
群馬県 | 静岡高等学校[12]卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
従六位 衆議院議員(第14期・群馬県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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72 | 第2次中曽根内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1983年12月27日 - 1986年7月22日 (939日) |
従六位 衆議院議員(第15期・群馬県第3区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・新自由クラブ連立 | ||||||
73 | 第3次中曽根内閣 | 1986年7月22日 - 1987年11月6日 (473日) (通算1,806日) |
従六位 衆議院議員(第16期・群馬県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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74 | 46 | 竹下登 | 竹下登 たけした のぼる |
竹下内閣 改造内閣 |
1987年11月6日 - 1989年6月3日 (576日) |
島根県 | 第一早稲田高等学院[13]卒業 早稲田大学第一商学部卒業 |
正八位 衆議院議員(第11期・島根県全県区選出) 自由民主党総裁 |
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{{safesubst:#invoke:Anchor|main}}平成 | ||||||||||
75 | 47 | 宇野宗佑 | 宇野宗佑 うの そうすけ |
宇野内閣 | 1989年6月3日 - 1989年8月10日 (69日) |
滋賀県 | 彦根高等商業学校[14]卒業 神戸商業大学[15]中退 |
衆議院議員(第10期・滋賀県全県区選出) 自由民主党総裁 |
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76 | 48 | 海部俊樹 | 海部俊樹 かいふ としき |
第1次海部内閣 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 (203日) |
愛知県 | 中央大学専門部法科卒業 中央大学法学部中退 早稲田大学第二法学部卒業 |
衆議院議員(第10期・愛知県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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77 | 第2次海部内閣 改造内閣 |
1990年2月28日 - 1991年11月5日 (616日) (通算818日) |
衆議院議員(第11期・愛知県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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78 | 49 | 宮澤喜一 | 宮澤喜一 みやざわ きいち |
宮澤内閣 改造内閣 |
1991年11月5日 - 1993年8月9日 (644日) |
東京府 (現東京都) |
武蔵高等学校[16]卒業 東京帝国大学法学部卒業 |
衆議院議員(第8期・広島県第3区選出) 自由民主党総裁 |
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79 | 50 | style="background-color:テンプレート:Japan New Party/meta/color"| | 細川護煕 | 細川護熙 ほそかわ もりひろ |
細川内閣 | 1993年8月9日 - 1994年4月28日 (263日) |
東京府 (現東京都) |
上智大学法学部卒業 | 衆議院議員(第1期・熊本県第1区選出) 日本新党代表 |
日本新党・日本社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合連立 |
80 | 51 | style="background-color:テンプレート:Japan Renewal Party/meta/color"| | 羽田孜 | 羽田孜 はた つとむ |
羽田内閣 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 (64日) |
東京府 (現東京都) |
成城大学経済学部卒業 | 衆議院議員(第9期・長野県第2区選出) 新生党党首 |
新生党・公明党・日本新党、 |
81 | 52 | style="background-color:テンプレート:Japan Socialist Party/meta/color"| | 村山富市 | 村山富市 むらやま とみいち |
村山内閣 改造内閣 |
1994年6月30日 - 1996年1月11日 (561日) |
大分県 | 明治大学専門部政治経済科卒業 | 衆議院議員(第7期・大分県第1区選出) 日本社会党委員長 |
日本社会党・自由民主党・新党さきがけ連立 |
82 | 53 | 橋本龍太郎 | 橋本龍太郎 はしもと りゅうたろう |
第1次橋本内閣 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 (302日) |
東京府 (現東京都) |
慶應義塾大学法学部卒業 | 衆議院議員(第11期・岡山県第2区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・日本社会党(→社会民主党)・新党さきがけ連立 | |
83 | 第2次橋本内閣 改造内閣 |
1996年11月7日 - 1998年7月30日 (631日) (通算932日) |
衆議院議員(第12期・岡山県第4区選出) 自由民主党総裁 |
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84 | 54 | 小渕恵三 | 小渕恵三 おぶち けいぞう |
小渕内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
1998年7月30日 - 2000年4月5日 (616日) |
群馬県 | 早稲田大学第一文学部卒業 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了 |
衆議院議員(第12期・群馬県第5区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党単独
→自由民主党・自由党連立 →自由民主党・自由党・公明党連立 →自由民主党・公明党・保守党連立 | |
85 | 55 | 森喜朗 | 森喜朗 もり よしろう |
第1次森内閣 | 2000年4月5日 - 2000年7月4日 (91日) |
石川県 | 早稲田大学第二商学部卒業 | 衆議院議員(第11期・石川県第2区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党・保守党連立 | |
86 | 第2次森内閣 改造内閣(再編前) 改造内閣(再編後) |
2000年7月4日 - 2001年4月26日 (297日) (通算387日) |
衆議院議員(第12期・石川県第2区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党・保守党連立 | ||||||
87 | 56 | 小泉純一郎 | 小泉純一郎 こいずみ じゅんいちろう |
第1次小泉内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
2001年4月26日 - 2003年11月19日 (938日) |
神奈川県 | 慶應義塾大学経済学部卒業 | 衆議院議員(第10期・神奈川県第11区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党・保守党連立
→自由民主党・公明党・保守新党連立 | |
88 | 第2次小泉内閣 改造内閣 |
2003年11月19日 - 2005年9月21日 (673日) |
衆議院議員(第11期・神奈川県第11区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党・保守新党連立
→自由民主党・公明党連立 | ||||||
89 | 第3次小泉内閣 改造内閣 |
2005年9月21日 - 2006年9月26日 (371日) (通算1,980日) |
衆議院議員(第12期・神奈川県第11区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | ||||||
90 | 57 | 安倍晋三 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
第1次安倍内閣 改造内閣 |
2006年9月26日 - 2007年9月26日 (366日) |
東京都 | 成蹊大学法学部卒業 | 衆議院議員(第5期・山口県第4区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | |
91 | 58 | 福田康夫 | 福田康夫 ふくだ やすお |
福田康夫内閣 改造内閣 |
2007年9月26日 - 2008年9月24日 (365日) |
東京府 (現東京都) |
早稲田大学第一政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第6期・群馬県第4区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | |
92 | 59 | 麻生太郎 | 麻生太郎 あそう たろう |
麻生内閣 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 (358日) |
福岡県 | 学習院大学政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第9期・福岡県第8区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | |
93 | 60 | style="background-color:テンプレート:Democratic Party of Japan/meta/color"| | 鳩山由紀夫 | 鳩山由紀夫 はとやま ゆきお |
鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 - 2010年6月8日 (266日) |
東京都 | 東京大学工学部卒業 スタンフォード大学大学院工学部博士課程修了 |
衆議院議員(第8期・北海道第9区選出) 民主党代表 |
民主党・社会民主党・国民新党連立
→民主党・国民新党連立 |
94 | 61 | style="background-color:テンプレート:Democratic Party of Japan/meta/color"| | 菅直人 | 菅直人 かん なおと |
菅内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 |
2010年6月8日 - 2011年9月2日 (452日) |
山口県 | 東京工業大学理学部卒業 | 衆議院議員(第10期・東京都第18区選出) 民主党代表 |
民主党・国民新党連立 |
main}}95 | 62 | style="background-color:テンプレート:Democratic Party of Japan/meta/color"| | 野田佳彦 | 野田佳彦 のだ よしひこ |
野田内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
2011年9月2日 - 2012年12月26日 (482日) |
千葉県 | 早稲田大学政治経済学部卒業 | 衆議院議員(第5期・千葉県第4区選出) 民主党代表 |
民主党・国民新党連立 |
96 | 安倍晋三 | 安倍晋三 あべ しんぞう |
第2次安倍内閣 改造内閣 |
2012年12月26日 - 2014年12月24日 (729日) |
(略) | (略) | 衆議院議員(第7期・山口県第4区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | ||
97 | 第3次安倍内閣 第1次改造内閣 第2次改造内閣 第3次改造内閣 |
2014年12月24日 - 2017年11月1日 (1,044日) |
衆議院議員(第8期・山口県第4区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 | ||||||
98 | 第4次安倍内閣 | 2017年11月1日 - (構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。日) (第2次発足から構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。日) |
衆議院議員(第9期・山口県第4区選出) 自由民主党総裁 |
自由民主党・公明党連立 |
時系列
存命中の内閣総理大臣経験者
氏名 | 在任期間 | 生年月日 | 所属政党 | 現在の政治活動 |
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中曽根康弘 | 1982年–1987年 | 1918年5月27日(106歳) | 自由民主党 | 世界平和研究所会長 |
海部俊樹 | 1989年–1991年 | 1931年1月2日(93歳) | 自由民主党 | |
細川護熙 | 1993年–1994年 | 1938年1月14日(86歳) | 無所属 | |
村山富市 | 1994年–1996年 | 1924年3月3日(100歳) | 社会民主党 | 党名誉党首 |
森喜朗 | 2000年–2001年 | 1937年7月14日(87歳) | 自由民主党 | 東京オリンピック競技大会組織委員会会長 |
小泉純一郎 | 2001年–2006年 | 1942年1月8日(82歳) | 自由民主党 | |
福田康夫 | 2007年–2008年 | 1936年7月16日(88歳) | 自由民主党 | |
麻生太郎 | 2008年–2009年 | 1940年9月20日(84歳) | 自由民主党 | 衆議院議員 副総理・財務大臣 |
鳩山由紀夫 | 2009年–2010年 | 1947年2月11日(77歳) | 無所属 | 東アジア共同体研究所理事長 |
菅直人 | 2010年–2011年 | 1946年10月10日(78歳) | 立憲民主党 | 衆議院議員 党最高顧問 |
野田佳彦 | 2011年–2012年 | 1957年5月20日(67歳) | 千葉民主連合 | 衆議院議員 |
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
日本国歴代内閣総理大臣 | ||||||||
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