山本権兵衛

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[生] 嘉永5(1852).10.15. 薩摩,鹿児島
[没] 1933.12.9. 東京

薩摩藩士,海軍軍人,政治家。鹿児島藩の右筆,槍術師範役の子として生れ,薩英戦争鳥羽・伏見の戦い戊辰戦争に従軍。明治維新後昌平黌に入り,1874年海軍兵学寮を卒業,76年ドイツ軍艦『ビネタ』に乗組み,教育を受けたあと,78年帰国。

『天城』『高雄』『高千穂』の各艦長,海軍省主事,軍務局長,大本営海軍参謀などを歴任し,その間日清戦争の作戦指導にあたった。 98年中将で第2次山県有朋内閣の海相となり,以後 1906年まで歴代内閣に留任し,海軍拡張計画の推進,日露戦争の遂行に尽力,海軍部内に強固な勢力をつくった。

13年護憲運動のなかで倒れた第3次桂太郎内閣の跡を継いで内閣総理大臣として組閣,薩摩閥と海軍と政友会の連合により,山県有朋らの長州閥と陸軍の連合に対抗した。政党の進出を有利にし,軍部大臣現役制の廃止や中華民国承認などを行なったが,翌年シーメンス事件が起って総辞職。

退役後,23年関東大震災の直後に,政友会とも離反して超然内閣をつくったが同年 12月,摂政 (裕仁皇太子,のちの昭和天皇) が狙撃される虎ノ門事件が起り,その責任をとって総辞職した。