田中角栄
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田中 角栄(たなか かくえい、1918年(大正7年)5月4日 - 1993年(平成5年)12月16日)
政治家。父親が家産を傾けたため幼時から貧苦の生活を送り,中学進学を断念して土木工事現場で働いた。 15歳で単身上京。中央工学校を卒業後,1938年田中土建工業を設立。 47年以来 16回衆議院議員に当選。同年,片山社会党首班内閣の炭鉱国管法案に反対し,進歩党を脱党,48年民主自由党に加わる。同年 10月法務政務次官となるが炭鉱国管疑獄に連座して辞任。 51年の東京高裁判決で無罪。 57年第1次岸内閣郵政相。第2次池田内閣蔵相を経て,佐藤内閣のもとでは蔵相,通産相,自由民主党幹事長などの要職を歴任。 72年7月自由民主党総裁,首相。9月中国との国交回復を実現。内政面では「日本列島改造論」を掲げて,経済発展を目指した。 74年 12月同党総裁,首相を辞任。 76年7月ロッキード事件で逮捕され,のち起訴。1審,2審ともに懲役4年の実刑判決を受けたが,最高裁上告中に死去した。なお,85年に脳梗塞で倒れ,89年には政界引退を表明していた。