日本国歴代内閣

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日本国歴代内閣(にほんこくれきだいないかく)は、日本の歴代内閣の一覧である。

内閣官制に基づく内閣

1885年(明治18年)12月22日に成立した初代・第1次伊藤内閣は、明治18年太政官達第69号[1]及び内閣職権(明治18年12月22日太政大臣公爵三条実美達)を設置根拠とした。1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が公布された後[2]、同年12月24日に内閣官制(明治22年勅令第135号)が施行され、第3代・第1次山縣内閣が成立した(なお、大日本帝国憲法には、国務大臣の規定はあるものの、内閣及び内閣総理大臣に関する規定はない。)。以後、1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法及び内閣法が施行され、内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)が公布・施行されるまで、内閣の設置は内閣官制を根拠とした。

内閣総理大臣及び国務大臣の選定過程、内閣の成立過程については、憲法その他の法令に詳細な定めはなく、慣習・慣例やその時々の有力者の考えによって行われた。そのため、時により例外はあるものの、おおむね以下の過程をたどって、内閣は成立した。

  1. 天皇は元老重臣会議などの推薦(奏薦)を受けて、次期内閣総理大臣の候補者に対し、国務各大臣の候補者を揃えて、内閣を組織すること(組閣)を命じる(これを大命降下という)。
  2. 次期内閣総理大臣の候補者が、国務各大臣の候補者を揃えて天皇に推薦(奏薦)する[3]
  3. 天皇は元老・重臣会議などに意見を聞いて、内閣総理大臣及び国務大臣を任命する(大日本帝国憲法10条)。

明治

内閣 成立年月日 終了年月日 内閣総理大臣 与党
1 第1次伊藤内閣 1885年(明治18年)12月22日 1888年(明治21年)04月30日 伊藤博文 ──
2 黒田内閣 1888年(明治21年)04月30日 1889年(明治22年)10月25日 黑田清隆 ──
三條暫定内閣[4] 1889年(明治22年)10月25日 1889年(明治22年)12月24日 三條實美 ──
3 第1次山縣内閣 1889年(明治22年)12月24日 1891年(明治24年)05月06日 山縣有朋 ──
4 第1次松方内閣 1891年(明治24年)05月06日 1892年(明治25年)08月08日 松方正義 ──
5 第2次伊藤内閣 1892年(明治25年)08月08日 1896年(明治29年)09月18日 伊藤博文[5] 日清戦争の後、自由党と提携
6 第2次松方内閣 1896年(明治29年)09月18日 1898年(明治31年)01月12日 松方正義 進歩党
7 第3次伊藤内閣 1898年(明治31年)01月12日 1898年(明治31年)06月30日 伊藤博文 ──
8 第1次大隈内閣 1898年(明治31年)06月30日 1898年(明治31年)11月08日 大隈重信 憲政党
9 第2次山縣内閣 1898年(明治31年)11月08日 1900年(明治33年)10月19日 山縣有朋 憲政党と提携
10 第4次伊藤内閣 1900年(明治33年)10月19日 1901年(明治34年)06月02日 伊藤博文[6] 立憲政友会
11 第1次桂内閣 1901年(明治34年)06月02日 1906年(明治39年)01月07日 桂太郎 ──
12 第1次西園寺内閣 1906年(明治39年)01月07日 1908年(明治41年)07月14日 西園寺公望 立憲政友会
13 第2次桂内閣 1908年(明治41年)07月14日 1911年(明治44年)08月30日 桂太郎 立憲政友会
14 第2次西園寺内閣 1911年(明治44年)08月30日 1912年(大正元年)12月21日 西園寺公望 立憲政友会

大正

内閣 成立年月日 終了年月日 内閣総理大臣 与党等
15 第3次桂内閣 1912年(大正元年)12月21日 1913年(大正02年)02月20日 桂太郎 ──
16 第1次山本内閣 1913年(大正02年)02月20日 1914年(大正03年)04月16日 山本權兵衞 立憲政友会
17 第2次大隈内閣 1914年(大正03年)04月16日 1916年(大正05年)10月09日 大隈重信 立憲同志会
18 寺内内閣 1916年(大正05年)10月09日 1918年(大正07年)09月29日 寺内正毅 ──
19 原内閣 1918年(大正07年)09月29日 1921年(大正10年)11月13日 原敬[7] 立憲政友会
20 高橋内閣 1921年(大正10年)11月13日 1922年(大正11年)06月12日 高橋是清 立憲政友会
21 加藤友三郎内閣 1922年(大正11年)06月12日 1923年(大正12年)09月02日 加藤友三郎[8] 立憲政友会
22 第2次山本内閣 1923年(大正12年)09月02日 1924年(大正13年)01月07日 山本權兵衞 革新倶楽部
23 清浦内閣 1924年(大正13年)01月07日 1924年(大正13年)06月11日 清浦奎吾 超然内閣政友本党が支持)
24 加藤高明内閣[9] 1924年(大正13年)06月11日 1925年(大正14年)08月02日 加藤高明[10] 憲政会・立憲政友会・革新倶楽部
1925年(大正14年)08月02日 1926年(大正15年)01月30日 憲政会
25 第1次若槻内閣 1926年(大正15年)01月30日 1927年(昭和02年)04月20日 若槻禮次郞 憲政会

昭和

内閣 成立年月日 終了年月日 内閣総理大臣 与党等
26 田中義一内閣 1927年(昭和02年)04月20日 1929年(昭和04年)07月02日 田中義一 立憲政友会
27 濱口内閣 1929年(昭和04年)07月02日 1931年(昭和06年)04月14日 濱口雄幸[11] 立憲民政党
28 第2次若槻内閣 1931年(昭和06年)04月14日 1931年(昭和06年)12月13日 若槻禮次郎 立憲民政党
29 犬養内閣 1931年(昭和06年)12月13日 1932年(昭和07年)05月26日 犬養毅[12] 立憲政友会
30 齋藤内閣 1932年(昭和07年)05月26日 1934年(昭和09年)07月08日 齋藤實 挙国一致内閣
31 岡田内閣 1934年(昭和09年)07月08日 1936年(昭和11年)03月09日 岡田啓介[13] 挙国一致内閣
32 廣田内閣 1936年(昭和11年)03月09日 1937年(昭和12年)02月02日 廣田弘毅 挙国一致内閣
33 林内閣 1937年(昭和12年)02月02日 1937年(昭和12年)06月04日 林銑十郎 挙国一致内閣
34 第1次近衛内閣 1937年(昭和12年)06月04日 1939年(昭和14年)01月05日 近衞文麿 挙国一致内閣
35 平沼内閣 1939年(昭和14年)01月05日 1939年(昭和14年)08月30日 平沼騏一郎 挙国一致内閣
36 阿部内閣 1939年(昭和14年)08月30日 1940年(昭和15年)01月16日 阿部信行 挙国一致内閣
37 米内内閣 1940年(昭和15年)01月16日 1940年(昭和15年)07月22日 米内光政 挙国一致内閣
38 第2次近衛内閣 1940年(昭和15年)07月22日 1941年(昭和16年)07月18日 近衞文麿 挙国一致内閣
39 第3次近衛内閣 1941年(昭和16年)07月18日 1941年(昭和16年)10月18日 挙国一致内閣
40 東條内閣 1941年(昭和16年)10月18日 1944年(昭和19年)07月22日 東條英機 挙国一致内閣(大政翼賛会
41 小磯内閣 1944年(昭和19年)07月22日 1945年(昭和20年)04月07日 小磯國昭 挙国一致内閣(大政翼賛会)
42 鈴木貫太郎内閣 1945年(昭和20年)04月07日 1945年(昭和20年)08月17日 鈴木貫太郎 挙国一致内閣(大政翼賛会)
43 東久邇宮内閣 1945年(昭和20年)08月17日 1945年(昭和20年)10月09日 東久邇宮稔彦王 挙国一致内閣
1945年(昭和20年)09月02日日本の降伏に伴い降伏文書に署名。
天皇及び政府の統治権は、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の制限下に置かれた。
連合国軍占領下
44 幣原内閣 1945年(昭和20年)10月09日 1946年(昭和21年)05月22日 幣原喜重郎 日本進歩党日本自由党
連合国軍占領下
45 第1次吉田内閣 1946年(昭和21年)05月22日 1947年(昭和22年)05月24日 吉田茂 日本自由党・日本進歩党
連合国軍占領下

日本国憲法に基づく内閣

1947年(昭和22年)5月3日日本国憲法が施行され、以後、内閣の設置は同憲法65条以下を根拠としている。なお、第45代・第1次吉田内閣内閣官制に基づいて成立したものの、同憲法103条により、同憲法に基づいて成立したものとみなされた。日本国憲法の施行に合わせて、内閣官制の後継法令となる内閣法(昭和22年法律第5号)が施行された。

日本国憲法に定められた内閣の成立過程は、以下の通りである。

  1. 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決によって指名され(憲法67条1項)、天皇に任命される(同6条1項)[14]
  2. 内閣総理大臣は内閣を組織する国務大臣を任命し(同68条1項)、天皇はその任命を認証する(同7条5号)[14]

昭和

内閣 成立年月日 終了年月日 内閣総理大臣 与党
46 片山内閣 1947年(昭和22年)05月24日 1948年(昭和23年)03月10日 片山哲 日本社会党民主党国民協同党
連合国軍占領下
47 芦田内閣 1948年(昭和23年)03月10日 1948年(昭和23年)10月15日 芦田均 民主党・日本社会党・国民協同党
連合国軍占領下
48 第2次吉田内閣 1948年(昭和23年)10月15日 1949年(昭和24年)02月16日 吉田茂 民主自由党
連合国軍占領下
49 第3次吉田内閣 1949年(昭和24年)02月16日 1950年(昭和25年)06月28日 民主自由党・民主党→自由党
連合国軍占領下
1952年(昭和27年)04月28日平和条約が発効。
連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の占領終了。
第1次改造内閣 1950年(昭和25年)06月28日 1951年(昭和26年)07月04日
第2次改造内閣 1951年(昭和26年)07月04日 1951年(昭和26年)12月26日
第3次改造内閣 1951年(昭和26年)12月26日 1952年(昭和27年)10月30日
50 第4次吉田内閣 1952年(昭和27年)10月30日 1953年(昭和28年)05月21日 自由党
51 第5次吉田内閣 1953年(昭和28年)05月21日 1954年(昭和29年)12月10日 自由党
閣外協力:改進党
52 第1次鳩山一郎内閣 1954年(昭和29年)12月10日 1955年(昭和30年)03月19日 鳩山一郎 日本民主党
53 第2次鳩山一郎内閣 1955年(昭和30年)03月19日 1955年(昭和30年)11月22日 日本民主党
54 第3次鳩山一郎内閣 1955年(昭和30年)11月22日 1956年(昭和31年)12月23日 自由民主党
55 石橋内閣 1956年(昭和31年)12月23日 1957年(昭和32年)02月25日 石橋湛山[15] 自由民主党
56 第1次岸内閣 1957年(昭和32年)02月25日 1957年(昭和32年)07月10日 岸信介 自由民主党
改造内閣 1957年(昭和32年)07月10日 1958年(昭和33年)06月12日
57 第2次岸内閣 1958年(昭和33年)06月12日 1959年(昭和34年)06月18日 自由民主党
改造内閣 1959年(昭和34年)06月18日 1960年(昭和35年)07月19日
58 第1次池田内閣 1960年(昭和35年)07月19日 1960年(昭和35年)12月08日 池田勇人 自由民主党
59 第2次池田内閣 1960年(昭和35年)12月08日 1961年(昭和36年)07月18日 自由民主党
第1次改造内閣 1961年(昭和36年)07月18日 1962年(昭和37年)07月18日
第2次改造内閣 1962年(昭和37年)07月18日 1963年(昭和38年)07月18日
第3次改造内閣 1963年(昭和38年)07月18日 1963年(昭和38年)12月09日
60 第3次池田内閣 1963年(昭和38年)12月09日 1964年(昭和39年)07月18日 自由民主党
改造内閣 1964年(昭和39年)07月18日 1964年(昭和39年)11月09日
61 第1次佐藤内閣 1964年(昭和39年)11月09日 1965年(昭和40年)06月03日 佐藤榮作 自由民主党
第1次改造内閣 1965年(昭和40年)06月03日 1966年(昭和41年)08月01日
第2次改造内閣 1966年(昭和41年)08月01日 1966年(昭和41年)12月03日
第3次改造内閣 1966年(昭和41年)12月03日 1967年(昭和42年)02月17日
62 第2次佐藤内閣 1967年(昭和42年)02月17日 1967年(昭和42年)11月25日 自由民主党
第1次改造内閣 1967年(昭和42年)11月25日 1968年(昭和43年)11月30日
第2次改造内閣 1968年(昭和43年)11月30日 1970年(昭和45年)01月14日
63 第3次佐藤内閣 1970年(昭和45年)01月14日 1971年(昭和46年)07月05日 自由民主党
改造内閣 1971年(昭和46年)07月05日 1972年(昭和47年)07月07日
64 第1次田中角栄内閣 1972年(昭和47年)07月07日 1972年(昭和47年)12月22日 田中角栄 自由民主党
65 第2次田中角栄内閣 1972年(昭和47年)12月22日 1973年(昭和48年)11月25日 自由民主党
第1次改造内閣 1973年(昭和48年)11月25日 1974年(昭和49年)11月11日
第2次改造内閣 1974年(昭和49年)11月11日 1974年(昭和49年)12月09日
66 三木内閣 1974年(昭和49年)12月09日 1976年(昭和51年)09月15日 三木武夫 自由民主党
改造内閣 1976年(昭和51年)09月15日 1976年(昭和51年)12月24日
67 福田赳夫内閣 1976年(昭和51年)12月24日 1977年(昭和52年)11月28日 福田赳夫 自由民主党
改造内閣 1977年(昭和52年)11月28日 1978年(昭和53年)12月07日
68 第1次大平内閣 1978年(昭和53年)12月07日 1979年(昭和54年)11月09日 大平正芳[16] 自由民主党
69 第2次大平内閣 1979年(昭和54年)11月09日 1980年(昭和55年)07月17日 自由民主党
閣外協力:新自由クラブ
70 鈴木善幸内閣 1980年(昭和55年)07月17日 1981年(昭和56年)11月30日 鈴木善幸 自由民主党
改造内閣 1981年(昭和56年)11月30日 1982年(昭和57年)11月27日
71 第1次中曽根内閣 1982年(昭和57年)11月27日 1983年(昭和58年)12月27日 中曽根康弘 自由民主党
72 第2次中曽根内閣 1983年(昭和58年)12月27日 1984年(昭和59年)11月01日 自由民主党・新自由クラブ
第1次改造内閣 1984年(昭和59年)11月01日 1985年(昭和60年)12月28日
第2次改造内閣 1985年(昭和60年)12月28日 1986年(昭和61年)07月22日
73 第3次中曽根内閣 1986年(昭和61年)07月22日 1987年(昭和62年)11月06日 自由民主党
74 竹下内閣 1987年(昭和62年)11月06日 1988年(昭和63年)12月27日 竹下登 自由民主党
改造内閣 1988年(昭和63年)12月27日 1989年(平成元年)06月03日

平成

内閣 成立年月日 終了年月日 内閣総理大臣 与党
75 宇野内閣 1989年(平成元年)06月03日 1989年(平成元年)08月10日 宇野宗佑 自由民主党
76 第1次海部内閣 1989年(平成元年)08月10日 1990年(平成02年)02月28日 海部俊樹 自由民主党
77 第2次海部内閣 1990年(平成02年)02月28日 1990年(平成02年)12月29日 自由民主党
改造内閣 1990年(平成02年)12月29日 1991年(平成03年)11月05日
78 宮澤内閣 1991年(平成03年)11月05日 1992年(平成04年)12月12日 宮澤喜一 自由民主党
改造内閣 1992年(平成04年)12月12日 1993年(平成05年)08月09日
79 細川内閣 1993年(平成05年)08月09日 1994年(平成06年)04月28日 細川護熙 日本新党・日本社会党・新生党公明党新党さきがけ民社党社会民主連合民主改革連合(参院)
80 羽田内閣 1994年(平成06年)04月28日 1994年(平成06年)06月30日 羽田孜 新生党・日本新党・民社党・自由党・公明党・社会民主連合・改革の会
閣外協力:新党さきがけ・新党みらい
81 村山内閣 1994年(平成06年)06月30日 1995年(平成07年)08月08日 村山富市 日本社会党・自由民主党・新党さきがけ
改造内閣 1995年(平成07年)08月08日 1996年(平成08年)01月11日
82 第1次橋本内閣 1996年(平成08年)01月11日 1996年(平成08年)11月07日 橋本龍太郎 自由民主党・日本社会党/社会民主党・新党さきがけ
83 第2次橋本内閣 1996年(平成08年)11月07日 1997年(平成09年)09月11日 自由民主党
閣外協力:社会民主党・新党さきがけ
改造内閣 1997年(平成09年)09月11日 1998年(平成10年)07月30日 自由民主党
閣外協力:社会民主党・新党さきがけ(1998年(平成年)06月まで)
84 小渕内閣 1998年(平成10年)07月30日 1999年(平成11年)01月14日 小渕恵三[17] 自由民主党
第1次改造内閣 1999年(平成11年)01月14日 1999年(平成11年)10月05日 自由民主党・自由党
第2次改造内閣 1999年(平成11年)10月05日 2000年(平成12年)04月05日 自由民主党・自由党/保守党・公明党
85 第1次森内閣 2000年(平成12年)04月05日 2000年(平成12年)07月04日 森喜朗 自由民主党・公明党・保守党
86 第2次森内閣 2000年(平成12年)07月04日 2000年(平成12年)12月05日 自由民主党・公明党・保守党
改造内閣
(省庁再編前)
2000年(平成12年)12月05日 2001年(平成13年)01月06日
改造内閣
(省庁再編後)
2001年(平成13年)01月06日 2001年(平成13年)04月26日
87 第1次小泉内閣 2001年(平成13年)04月26日 2002年(平成14年)09月30日 小泉純一郎 自由民主党・公明党・保守党
第1次改造内閣 2002年(平成14年)09月30日 2003年(平成15年)09月22日 自由民主党・公明党・保守党/保守新党
第2次改造内閣 2003年(平成15年)09月22日 2003年(平成15年)11月19日 自由民主党・公明党・保守新党
88 第2次小泉内閣 2003年(平成15年)11月19日 2004年(平成16年)09月27日 自由民主党・公明党
改造内閣 2004年(平成16年)09月27日 2005年(平成17年)09月21日
89 第3次小泉内閣 2005年(平成17年)09月21日 2005年(平成17年)10月31日 自由民主党・公明党
改造内閣 2005年(平成17年)10月31日 2006年(平成18年)09月26日
90 第1次安倍内閣 2006年(平成18年)09月26日 2007年(平成19年)08月27日 安倍晋三 自由民主党・公明党
改造内閣 2007年(平成19年)08月27日 2007年(平成19年)09月26日
91 福田康夫内閣 2007年(平成19年)09月26日 2008年(平成20年)08月02日 福田康夫 自由民主党・公明党
改造内閣 2008年(平成20年)08月02日 2008年(平成20年)09月24日
92 麻生内閣 2008年(平成20年)09月24日 2009年(平成21年)09月16日 麻生太郎 自由民主党・公明党
93 鳩山由紀夫内閣 2009年(平成21年)09月16日 2010年(平成22年)06月08日 鳩山由紀夫 民主党社会民主党(2010年(平成22年)05月まで)・国民新党
94 菅内閣 2010年(平成22年)06月08日 2010年(平成22年)09月17日 菅直人 民主党・国民新党
第1次改造内閣 2010年(平成22年)09月17日 2011年(平成23年)01月14日
第2次改造内閣 2011年(平成23年)01月14日 2011年(平成23年)09月02日
95 野田内閣 2011年(平成23年)09月02日 2012年(平成24年)01月13日 野田佳彦 民主党・国民新党
第1次改造内閣 2012年(平成24年)01月13日 2012年(平成24年)06月04日
第2次改造内閣 2012年(平成24年)06月04日 2012年(平成24年)10月01日
第3次改造内閣 2012年(平成24年)10月01日 2012年(平成24年)12月26日
96 第2次安倍内閣 2012年(平成24年)12月26日 2014年(平成26年)09月03日 安倍晋三 自由民主党・公明党
改造内閣 2014年(平成26年)09月03日 2014年(平成26年)12月24日
97 第3次安倍内閣 2014年(平成26年)12月24日 2015年(平成27年)10月07日 自由民主党・公明党
第1次改造内閣 2015年(平成27年)10月07日 2016年(平成28年)08月03日
第2次改造内閣 2016年(平成28年)08月03日 2017年(平成29年)08月03日
第3次改造内閣 2017年(平成29年)08月03日 2017年(平成29年)11月01日
98 第4次安倍内閣 2017年(平成29年)11月01日 2018年(平成30年)10月02日 自由民主党・公明党
改造内閣 2018年(平成30年)10月02日

関連項目

脚注

  1. 法令全書に記載された法令名は「太政大臣左右大臣参議各省卿ノ職制ヲ廃シ内閣総理大臣及各省諸大臣ヲ置キ内閣ヲ組織ス」である。
  2. 大日本帝国憲法が施行されたのは、第1回帝国議会が開会された1890年(明治23年)11月29日である。
  3. なお、この時点で国務各大臣の候補者を揃えられない場合、鰻香内閣流産内閣などと呼ばれる。
  4. 黒田内閣総辞職に際し、明治天皇は黒田の辞表のみを受理。他の閣僚は留任させ、内大臣三條實美に内閣総理大臣を兼任させた。天皇があらためて山縣有朋に組閣の大命を下したのは2ヶ月も経ってからだったため、この間は一つの内閣が存在したものとして、かつては「三條暫定内閣」と呼んでいた。ただし、今日では慣例としてこれを歴代の内閣には数えていない。
  5. 1896年(明治29年)08月31日‐同年09月18日の間、黒田清隆枢密院議長が臨時兼任
  6. 1901年(明治34年)05月10日‐06月02日の間、西園寺公望枢密院議長が臨時兼任。
  7. 1921年(大正10年)11月04日‐同年11月13日の間、内田康哉外務大臣が臨時兼任。
  8. 1923年(大正12年)08月24日‐同年09月02日の間、内田康哉外務大臣が臨時兼任。
  9. 1924年(大正13年)06月11日に成立した加藤高明の護憲三派内閣は、連立が崩壊したため、一旦総辞職。加藤はあらためて組閣の大命を受け、1925年(大正14年)08月02日憲政会単独の内閣を組織した。かつてはこの08月02日以降の内閣を「第2次加藤高明内閣」と呼んでいたが、現在では両内閣を一貫して「加藤高明内閣」と呼ぶことが慣例化している。
  10. 1926年(大正15年)01月28日‐同年1月30日の間、若槻禮次郞内務大臣が臨時兼任。
  11. 1930年(昭和05年)11月14日‐1931年(昭和06年)03月10日の間、幣原喜重郎外務大臣が臨時代理
  12. 1932年(昭和07年)05月16日‐同年05月26日の間、高橋是清大蔵大臣が臨時兼任。
  13. 1936年(昭和11年)02月26日‐同年02月28日の間、後藤文夫内務大臣が臨時代理。
  14. 14.0 14.1 実際には、以下の手順を経て新内閣は成立する。国会から指名を受けた新・内閣総理大臣は総理大臣官邸(首相官邸)に入り、国務大臣候補者を呼び込む組閣作業を始める。新・内閣総理大臣は組閣作業を終えた後、国務大臣候補者とともに皇居へ参内し、天皇に国務大臣人事の内奏を行う。内奏の後、旧・内閣総理大臣が侍立(天皇の脇に付き添って立つこと)して内閣総理大臣任命式(親任式)が行われる(憲法71条)。これに引き続き、新・内閣総理大臣が侍立して国務大臣任命式(認証官任命式)を行う。
  15. 1957年(昭和32年)01月31日‐同年02月25日の間、岸信介外務大臣が臨時代理。
  16. 1980年(昭和55年)06月12日‐同年07月17日の間、伊東正義内閣官房長官が臨時代理。
  17. 2000年(平成11年)04月03日‐同年04月05日の間、青木幹雄内閣官房長官が臨時代理。