三木内閣 (改造)
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三木改造内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第66代 三木武夫 |
成立年月日 | 1976年(昭和51年)9月15日 |
終了年月日 | 同年12月24日 |
与党・支持基盤 | 自由民主党 |
施行した選挙 | 第34回衆議院議員総選挙 |
衆議院解散 |
1976年(昭和51年)12月9日 任期満了 いわゆる「ロッキード解散」 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
三木改造内閣(みきかいぞうないかく)は、三木武夫が第66代内閣総理大臣に任命され、1976年(昭和51年)9月15日から同年12月24日まで続いた日本の内閣である。
概要
前の三木内閣から三木改造内閣への内閣改造は、この年の暮れに迫っていた衆議院の任期満了を睨み、衆議院の任期切れ前解散総選挙を企図する三木と、「三木おろし」と呼ばれる激しい倒閣運動を展開した反主流派の攻防の末、三木が解散断行を断念し、反主流派に妥協する形で行ったと言われる。
三木改造内閣の組閣において、自由民主党の党三役(幹事長、政調会長、総務会長)は、反主流派の中から「三木おろし」の本拠となった挙党体制確立協議会(挙党協)に属さない人物を閣僚に起用した。この結果、田中派からの起用が前田正男のみとなり、反田中色が鮮明になった。
この内閣で衆議院の任期満了選挙を戦うこととなり、自由民主党は惨敗、三木政権が退陣に追い込まれることとなった。
閣僚
- 内閣総理大臣 - 三木武夫
- 副総理 - 福田赳夫:- 1976年(昭和51年)11月6日
- 法務大臣 - 稲葉修
- 外務大臣 - 小坂善太郎
- 大蔵大臣 - 大平正芳
- 文部大臣 - 永井道雄(非議員)
- 厚生大臣 - 早川崇
- 農林大臣 - 大石武一
- 通商産業大臣 - 河本敏夫
- 運輸大臣 - 石田博英
- 郵政大臣 - 福田篤泰
- 労働大臣 - 浦野幸男
- 建設大臣 - 中馬辰猪
- 自治大臣、国家公安委員会委員長、北海道開発庁長官 - 天野公義
- 内閣官房長官 - 井出一太郎
- 総理府総務長官、沖縄開発庁長官 - 西村尚治
- 行政管理庁長官 - 荒舩清十郎
- 防衛庁長官 - 坂田道太
- 経済企画庁長官 - 福田赳夫:- 1976年(昭和51年)11月6日/野田卯一:1976年(昭和51年)11月6日 -
- 科学技術庁長官 - 前田正男
- 環境庁長官 - 丸茂重貞
- 国土庁長官 - 天野光晴
政務次官
前内閣の政務次官が1976年(昭和51年)9月20日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。
- 法務政務次官 - 羽田野忠文
- 外務政務次官 - 小此木彦三郎
- 大蔵政務次官 - 高鳥修・斎藤十朗
- 文部政務次官 - 渡部恒三
- 厚生政務次官 - 中山正暉
- 農林政務次官 - 山崎平八郎・片山正英
- 通商産業政務次官 - 山下徳夫・河本嘉久蔵
- 運輸政務次官 - 阿部喜元
- 郵政政務次官 - 左藤恵
- 労働政務次官 - 斉藤滋与史
- 建設政務次官 – 梶山静六
- 自治政務次官 - 木村武千代
- 行政管理政務次官 - 増田盛
- 北海道開発政務次官 - 安田貴六
- 防衛政務次官 - 中村弘海
- 経済企画政務次官 - 西銘順治
- 科学技術政務次官 - 矢野登
- 環境政務次官 – 今泉正二
- 沖縄開発政務次官 - 國場幸昌
- 国土政務次官 - 江藤隆美